おらおらでひとりいぐも  若竹千佐子  2018.3.6.


2018.3.6.  おらおらでひとりいぐも

著者 若竹千佐子 1954年遠野市生まれ。釜石南高校(現在の釜石高校、偏差値52)、岩手大学教育学部卒。卒業後、教師の道を進み、5年後27歳で結婚し、教師を辞めて家庭に
入る。85年千葉県に引っ越し。09年夫・若竹和美さん逝去。和美さんは生前、妻の千佐子さんが書き物をしていると、「千佐ちゃんが、芥川賞かな、直木賞かな」と言っていた。そんな言葉を思いだしていたのでしょうか、若竹千佐子さんは小説講座に通い始めます。
この行動が後の芥川賞受賞へと結びつくなんて、若竹千佐子自身、思いもしていなかったでしょうね。2017年、62歳で小説家デビュー。処女作が『おらおらでひとりいぐも』
で、第158回芥川賞を受賞するという快挙に


『おらおらでひとりいぐも』は、「老い」をテーマにして、主人公はおばあちゃんです。
作者の若竹千佐子さんは現在63歳ですから、これから素敵なおばあちゃんになっていかれるんじゃないかなぁって、記者会見を見て思いました。
おらおらでひとりいぐもってなんだ?と思った人も多いかと思います。
なんでも、東北の人ならわかるらしいのです。
発音は「おら おらで しとり えぐも」だそうです
そして、おらおらでひとりいぐもの意味ですが、「私は私で一人で逝きます」ということらしいです。
74歳、ひとり暮らしの桃子さん。おらの今は、こわいものなし。
結婚を3日後に控えた24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、故郷を飛び出した桃子さん。身ひとつで上野駅に降り立ってから50――住み込みのアルバイト、周造との出会いと結婚、二児の誕生と成長、そして夫の死。
「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」
40
年来住み慣れた都市近郊の新興住宅で、ひとり茶をすすり、ねずみの音に耳をすませるうちに、桃子さんの内から外から、声がジャズのセッションのように湧きあがる。
捨てた故郷、疎遠になった息子と娘、そして亡き夫への愛。震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いたものとは――(出典:河出書房新社)
みんな、見た目の問題だったり、筋肉の衰えだったり、好きな食べ物が食べられなくなっていったりと、「年はとりたくないものだね」なんて言葉と共に感じる人が多いようですが、それとは反対に「おらおらでひとりいぐも」は「年をとるのも悪くない」と思えるような小説だそうです。
こういった小説を玄冬小説というらしいです
モデルが誰かはわかりませんでしたが、作者の若竹千佐子さんは63歳で、芥川賞史上最年長ということなので、自身の感じたこと、体験が大いに反映されているのではないかと個人的に考えます。
タイトルにもある「おらおらでひとりいぐも」は宮澤賢治の「永訣の朝」にあるフレーズの一つです。
この本は、リアリティがありました。年を取って、飾らない自分が出てきた。
それが東北弁というプリミティブな言語で語り出すから、方言を持つ人は羨ましいとさえ思った。
若い人が読んで、この本に実感を重ね合わせることができるだろうか。
経験がある分だけ、思慮深くもあり、捨て鉢で、器用な生き方をしているのだけれど。
高齢者は必読の書。
出典:https://www.amazon.co.jp/

後期高齢者にならんとしている桃子さん。
老いというものに直面してこそわかり得るのだろう感情に正面から挑んでいるのがわかる作品だった。
それにしても、全編をとおして使われている、東北弁?にはまいった。
それがいい味を出していて、桃子さんの存在感とつながるのだけれど、読み進めるのは大変だった。
出典:https://www.amazon.co.jp/
主人公の感情の描き方を絶賛する声が多いようですね






芥川賞に石井・若竹氏、直木賞に門井氏
2018/1/16 19:15 (2018/1/16 21:51更新) 日本経済新聞
 第158回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が16日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞は石井遊佳氏(54)の「百年泥(ひゃくねんどろ)」(「新潮」11月号)と、若竹千佐子氏(63)の「おらおらでひとりいぐも」(「文芸」冬号)、直木賞は門井慶喜氏(46)の「銀河鉄道の父」(講談社)に決まった。芥川賞の2人はいずれも初の候補作だった。
 2月下旬に都内で贈呈式が開かれ、受賞者には正賞の時計と副賞100万円が贈られる。
 石井氏は大阪府枚方市生まれ、インド・チェンナイ在住。受賞作は、インドで日本語教師として働くことになった「私」が主人公だ。100年に1度の大洪水で堆積した泥の中に他者の人生の幻影を見る。
 石井氏はインドからの国際電話で「書くことは私の業(ごう)。支えてくれた人のおかげで取れた。感謝の気持ちでいっぱい」と語った。
 若竹氏は岩手県遠野市生まれ。受賞作は東北から上京し、今は都市近郊でひとり暮らす70代の女性が人生を振り返る。標準語と東北弁が入り交じる特徴的な文体で、たくましく生きる老女の姿を写し取った。
 若竹氏は記者会見で「人生の終盤でこんな晴れがましいことが私に起こるなんて。方言は自分に正直な言葉で、私の思いがてらいなく表現できる。そこが評価されてうれしい」と話した。
 選考委員の堀江敏幸氏は「石井さんは制御をきかせない言葉に、若竹さんは体の中から爆発して出てきた方言に魅力があった」と評した。
 門井氏は1971年群馬県桐生市生まれ。2003年に「キッドナッパーズ」でオール読物推理小説新人賞を受賞してデビュー。直木賞の候補は16年の「家康、江戸を建てる」に続き3回目になる。
 受賞作は、童話「銀河鉄道の夜」や「雨ニモマケズ」の詩など知られる宮沢賢治を、父親の政次郎の目から描いた長編。家業の質屋を継がせるか迷う政次郎と、夢を追い続ける賢治の愛憎半ばする関係を、現代に通じる普遍的な父子の物語としてつづった。
 「風が来た。飛ぶだけだ」と喜びを表した門井氏は「私は歴史小説家。これからも歴史を21世紀の言葉で伝えていきたい」と意気込みを語った。選考委員の伊集院静氏は「父と賢治の互いの気持ちが、門井流の短い言葉で端的に書かれ、ユーモアがあった。まさに門井ワールド」と評した。
芥川賞選評

おらおらでひとりいぐも
百年泥
小川洋子
卓越した語りの文体は、自由気ままを装いながら、実に用心深く論理的に組み立てられている。桃子さんは理由を考えるのが好き。だからこそ地球の歴史を超越した、もっととんでもない場所にまで到達した桃子さんを見たかった
泥の中から書き出された人魚のミイラが母親の記憶を引き寄せる。チェンナイの騒々しさの中、堤防に残された母の足跡が、100年分の泥に埋もれても消えないにとっての定点となっている。すべてを飲み込むのは泥ではなく、母の無言なのだ、と気づいた時、圧倒される思いにとらわれた
吉田修一
底流に流れるのは、生きていくことのぬくもりで、このぬくもりは、作者がその人生を賭けて勝ち取ったものである
どこか自虐的な女性語りにギリギリ嫌みがない。発想の独創性は言うまでもなく、自分でも整理できなくなったイメージが次々に投げつけられるようで疾走感もある
山田詠美
チャーミングな東北弁でやり取りされる74歳桃子さんの脳内ポイズンベリー。ファンキーで力強く、どこか哀しい。最早これは東北弁であって東北弁ではない。若竹節といえるかも。野蛮で秀逸
題名に引き付けられた。主人公の口調がいい。話すように書きながらも、書き言葉でないと成立しない文体の勝利。年季が入ってる! かの地の泥の中から引っ張り上げた自身のピースが存在感のあるコラージュを完成させた。労作にして傑作
宮本輝
東北弁は読みにくいが心地よい柔らかさで深い文学世界を作り上げている。74歳の女性の内面の複雑さはある程度年齢を重ねてこなければ書けない。方言の持つ自然の力をしっかり書いている。まだ63歳なので花開いた天分をさらに磨いて書き続けてもらいたい
マジックリアリズム的手法でなければ描きようのないインドとそこに暮らす人々の精神性を活写して見事。これからさらにいい作品が書ける作家
高樹のぶ子
桃子さんの中での言語による対立で彼女の人生が語られるのは新鮮で痛快。桃子さんの岩手弁は老いへの挑戦状であり、裡なる対立をエネルギーにして未来へと疾走する。魅力的で新しい老女の出現
マジックリアリズム小説。最後は前半の魔法を裏切ってインドの「情報」になっているのが残念。この国の異様さや非人間性を視るには、先進国の眼鏡ではなく、インドの魔法の眼鏡が必要な気がする
奥泉光
老女の記憶や思考といった「思弁」で小説の強度を保つのは難しいが見事に達成されている。作者の言葉に対する感覚の鋭さと時間をかけた錬成の故であり、東北弁を導入することで新しい日本語の地平を切り開こうとする大胆な狙いが成功している。何より言葉に活気があり、読み進む喜びを与えてくれる。溌溂とした意欲と野心に溢れた「若さ」を持つ新人の登場を祝福
いくつもの物語が不整頓に構成されている過剰性は、混沌のパワーが不足しているように見えたが、評価に値する
島田雅彦
標準語と東北弁の二重構造が効果的。一種の自分探しの物語だが、自分を構成する要素としてのコトバ、家族、自然などを巡る考察になっており、自身の記憶のみならず、無意識に刻まれた土地や先祖の記憶をも掘り起こそうとしている
地域研究の成果として出色のもの。小説とルポとの境界線をどこに引くべきかということを考えさせられた
堀江敏幸
主人公の内側から湧き出る東北弁に語り手がきちんとした理路を与えているので混沌はない。一人語りのくどさを超えて、小さな日常の中から「あのどき」の過剰さを引き受けようとする言葉の渦に、読者は抗えない
泥から上がった記憶と奇想の車輪が徐々に制御不能に陥っていく勢いの中にこの書き手の目にしか映らない言葉の破片が散っている
川上弘美
「小説の言葉」というものの見事な結実。「孤である存在に当てはまる非常に独特なさま」を描こうとしながら、「普遍」というものが現れてくるのが芥川賞

普遍的な真面目さとは違う真面目さが必要。ある種の適当さというかおおらかさというかその辺りの独特さに惹かれた。バカな感じがいい


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