私のヴァイオリン  前橋汀子  2018.1.26.

2018.1.26. 私のヴァイオリン――前橋汀子回想録

著者 前橋汀子 日本を代表するヴァイオリニスト。17年に演奏活動55周年を迎えた。その演奏は優雅さと円熟味に溢れ、多くの聴衆を魅了してやまない。国内外で活発な演奏活動を展開し、これまでにベルリン・フィル、ロイヤル・フィル、フランス国立管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、イスラエル・フィル、メータ、ロストロポーヴィチ、サヴァリッシュ、マズア、小澤征爾など世界の第一線で活躍するオーケストラや音楽家との協演を重ねている
近年、小品を中心とした親しみやすいプログラムによるリサイタルを全国各地で展開、好評を得ている。一方、J.S.バッハの《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》全曲演奏会、そして14年からはチェロ原田禎夫、ヴァイオリン久保田巧、ヴィオラ川本嘉子と共にベートーヴェンの弦楽四重奏曲の演奏会を行うなど、室内楽にも意欲的に取り組んでいる
04日本芸術院賞受賞。07年第37エクソンモービル(東燃ゼネラル))楽賞洋楽部門本賞受賞。116紫綬褒章受章。174旭日小綬章受章
使用楽器は1736年製作のガルネリウス・デル・ジェス

発行日           2017.8.20. 初版印刷          8.25. 初版発行
発行所           早川書房

プロローグ
1961.8.17.横浜からソ連船「モジャイスキー号」でソ連留学へと出発
当時桐朋学園高校2年生
潮田益子と一緒の船
ナホトカから汽車でハバロフスクへ、そこから飛行機でモスクワ経由レニングラードへ

第1部        生い立ち
第1章        ヴァイオリンを始める
父正二は京大文学部史学科卒、北豊島工業高校社会科の教師、母輝子は専業主婦。桜台の母の実家で誕生
運動が苦手で孤立
4歳で自由学園幼児生活団に入園 ⇒ 情操教育の一環としてピアノかヴァイオリンを選ぶことになっていて、身体が小さいところからヴァイオリンを選んだ
学園の理念:正しい生活を身につけることが、健やかな心身を育む
せっかく始めたのできちんとした先生につこうということになって、5歳で小野アンナの紹介を受ける ⇒ アンナは小野と離婚後も同じ家で一人で教えていた
区立小から3年で学大附大泉に転入
小学校5年でヤマハホールでリサイタル ⇒ チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲他
小学校6年で、毎日学生音楽コンクールで2

第2章        ソ連に行きたい
19556年の時にオイストラフの演奏を日比谷公会堂で聴いてソ連行きを目指す
中学から桐朋学園主催の「子供のための音楽教室」に通う ⇒ 48年吉田秀和、齋藤秀雄、井口基成が設立、4年後に女子校となり8期生として区立中から転向入学
1で毎日音楽コンクール一般の部に挑戦、2位特賞
61年レニングラード音楽院が創立100周年記念で、共産圏以外から初めて留学生受け入れを表明 ⇒ 日本から前橋と潮田が選抜(理由は不明)

第2部        ソ連時代
第3章        ソ連で一から
60年黒海近辺のジョージアに帰国していた小野アンナに迎えられ、音楽院の学生寮に入る
ミハイル・ヴァイマンに師事 ⇒ 2年前の来日時、アンナの家で紹介
レオポルド・アウアーの奏法を学ぶ ⇒ ヴァイマンは孫弟子
モスクワ音楽院でレオニード・コーガンに師事していた佐藤陽子がレニングラードに弾きに来たのを聴き、才能のなさを嘆く

第4章        ソ連を生き抜く
62年モスクワへチャイコフスキー・コンクールを聴きに行く ⇒ 第1回をアメリカのクライバーンに獲られたため、ソ連がメンツにかけて選んだのがアシュケナージ、ヴァイオリンはレニングラードのグトニコフ、チェロはシャホスカヤで、いずれも優勝
1年目の終わりに延長を決断、仕送りしてくれた祖父が亡くなった代わりに、ヴァイマンに頼んでコンサートで演奏できるようになる
夏休みにオデッサに旅行に行く途中、キエフでリヒテルの演奏を聴くが、途中で弦が2度も切れるハプニング

第5章        最高の教育を受ける

第6章        病に倒れる
63年潮田益子がエリザベート王妃国際音楽コンクールで日本人初の入賞で5位に
その夏、扁桃腺切除の手術を受け、ロン・ティボーの準備ができないまま一次予選で落ちる
64年夏一時帰国 ⇒ 日本で梶本音楽事務所に所属し、妹と演奏活動を始める
67年ロン・ティボーに再挑戦 ⇒ 海外派遣コンクールに合格して出場、本選で弾くシベリウスの協奏曲を齋藤秀雄に聴いてもらうとともに、父が農協のローンで360万円の「テストーレ」を購入してくれたお陰で、3位入賞を果たす

第3部        ニューヨーク時代
第7章        ジュリアード音楽院
66年ジュリアード弦楽四重奏団来日、ワークショップ開催に参加 ⇒ シェーンベルクの弦楽3重奏を第1ヴァイオリンのロバート・マンからレッスンを受ける
67年ジュリアード音楽院ディプロマコースに入学し、ドロシー・ディレイとマカノヴィッキーに師事、カルテットはマンに師事
カーネギー・ホールで聴いた忘れられない演奏がバレンボイムとジャクリーヌ・デュ・プレと、レオニード・コーガン
14年のカルテット結成の導火線が、当時のアルバイトで大金持ちの夕食会での演奏で恥をかいたこと

第8章        チャンスを勝ち取る
在米1年を過ぎた後、オーディションを受けたり、音楽家のエージェントに売り込んだり、コンクールにも出場したりして過ごす
「バレストリエリ」に出会い、何とか買おうとして、チェースのデイビッド・ロックフェラーに紹介してもらうが、返済計画がなかったため融資は受けられず
代わりに若い音楽家を支援する慈善家でキャサリン・ペップバーンのまた従姉妹アリス・タリーに紹介され、たまたまイタリアのスポレート音楽祭で前橋の演奏を聴いていたこともあって、チェースからの借り入れの保証人になってくれ、無事楽器を手に入れる
アメリカン・シンフォニーの指揮者ストコフスキーがヴァイオリンのソリストを探している時にオーディションを受けたのがきっかけで、70年にストコフスキーに招かれてカーネギー・ホールでデビューを果たす
68年ロサンジェルス・フィルの常任指揮者ズービン・メータのオーディションを受け、ソリストとして協演。さらにメータの推薦を受けて69年ナタン・ミルシテインの代役としてのイスラエル・フィルのソリストを務める
70年には指揮者ルドルフ・ケンペのオーディションを受け、ロンドン・ロイヤル・フィルの全米20都市公演にソリストとして参加
在米3年で、アメリカの競争社会に違和感を覚え、ちょうどシゲティが隠退してスイスのモントルーで教えていることを知り、シゲティに師事していた潮田に頼んでアポイントを取ってもらい、マルセイユでの演奏のあと尋ねる

第4部        スイス時代
第9章        シゲティに師事する
68年シゲティと15年ぶりで再会、ニューヨークから通いでレッスンを受けていたが、モントルーが気に入って2年後に移り住む
ナポリのアルベルト・クルチ国際ヴァイオリンコンクール優勝
73年からはミルシテインに師事
70年のカーネギー・ホールデビューではシゲティがピエトロ・ガルネリを貸してくれた

第5部        日本を拠点に
第10章     運命
99年妹客死 ⇒ 都立西高から1浪で藝大ピアノ科へ
03年ロンドンの楽器商から1736年製のガルネリウス・デル・ジュスを、手持ちのストラディバリウス、ガルネリウスの2本と引き換えに購入

エピローグ
05年自主企画のアフタヌーン・コンサート開始 ⇒ 年1回、4大都市に拡大
13年デイライト・コンサート開始 ⇒ 年1
15年カルテットでラズモフスキーを演奏 ⇒ 
1ヴァイオリン 前橋汀子
2ヴァイオリン 久保田巧 ⇒ ミュンヘン国際コンクール日本人初優勝
ヴィオラ 川本嘉子 ⇒ 元東京都交響楽団の首席
チェロ 原田禎夫 ⇒ 桐朋の同級生、東京クヮルテット





芸術に生き55年、充実の音色 バイオリン前橋汀子、全国で記念公演
2017941630分 朝日
 バイオリニストの前橋汀子が演奏活動55周年を迎え、今月、全国で記念のリサイタルを開く。「楽器を通して呼吸し、自分の中にある音楽を音にする。そういうことが若い頃より、自然にできるようになってきた気がする」という。
 充実の時を迎えている。この春、旭日小綬章を受けた。8月に出版した回想録「私のヴァイオリン」(早川書房)には、芸術家ならではの感性でとらえた時代の証言が満載。幼い頃に聴いたオイストラフの響きを追い、10代で冷戦下のソ連へ。「命か芸術か」という極限の世界を生きる演奏家たちを目の当たりに。
 米国では前衛音楽の最先端に触れ、スイスでは憧れのシゲティに師事するという悲願をかなえた。どんな生徒にもネクタイを締めて向き合い、ひとつひとつの音やテンポの意味を考えさせる名匠の姿に、こう心に刻んだ。人々とともに生きてこそ、音楽家だと。
 13年前、ラッシュ時の駅の改札で、疲れた顔で帰途に就く人々の顔を見ながら「ああ、この中のいったい何人が、生のバイオリンの音を聴いたことがあるのかな」とふと思った。チケットをCD1枚分の値段にしたら来てくれるかな。祝日か土日の午後なら――。そんなアイデアが、東京での自主企画「アフタヌーンコンサート」に結実した。
 「年をとると、体力とかいろんな事情で夜に出かけるのが難しくなるものでしょ。休日の昼間なら、若い人も前後の時間を食事やショッピングに有効に使うことができる。自身の人生に、演奏会を組みこんでいただく。これが『最初の一歩』だと思うんです」
 55周年記念公演は9日午後3時、アクロス福岡10日午後2時、広島のはつかいち文化ホール15日午後6時半、埼玉の川口総合文化センター17日午後2時、東京のサントリーホール「アフタヌーンコンサート」24日午後1時半、名古屋市民会館。03・3574・0550(カジモト)。
 (編集委員・吉田純子)


Wikipedia
前橋 汀子(まえはし ていこ、19431211 - )は日本ヴァイオリニスト
来歴[編集]
白系ロシア人音楽教師の小野アンナと、桐朋学園子供のための音楽教室の斎藤秀雄に師事。少女時代に来日したヨーゼフ・シゲティダヴィッド・オイストラフの演奏会を訪れ、ヴァイオリニストの道を志す。中学生からロシア語を独学し、17歳でレニングラード音楽院に留学。1963に一時帰国した後、新ウィーン楽派や同時代の音楽への興味から、ジュリアード弦楽四重奏団のロバート・マンに入門すべく渡米し、ニューヨーク州ジュリアード音楽院に留学、名伯楽で知られるドロシー・ディレイ教授にも師事。さらにニューヨークから渡欧して、スイスモントルーにてゼフ・シゲティナタン・ミルシテインの薫陶を受ける。シゲティ他界後もモントルーに暮らし、最晩年のチャップリンココシュカとも親交を結んだ。
20116月、紫綬褒章受章[1]20174月、旭日小綬章受章。
妹の前橋 由子(まえはし ゆうこ、19451117 - 1999218)はピアニストで、コンサートやレコーディングで多く共演した。
演奏スタイル[編集]
恩師シゲティが捨てたロマンティックなレパートリー(チャイコフスキーブルッフシベリウス協奏曲、小品集)の演奏・解釈に特色がある。師シゲティミルシテインと同じく、J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを得意とする。レコードやCD制作も数多い。演奏それ自体に加えて、凛としたステージマナーや美しい容姿に惹かれて、ファンを公言する著名人(作家の深田祐介や演劇界の蜷川幸雄萩原健一加賀まりこら)は少なくない。
テレビ出演[編集]
徹子の部屋数回出演。2012年が最新(2014324日の徹子の部屋クラシック特集にも出演)
今夜も生でさだまさしスペシャル「いつでも夢を!朝まで生で音楽会」(2013331NHK総合
今夜も生でさだまさしスペシャル ~朝まで生で音楽会2014~ (2014330NHK総合



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