11の国のアメリカ史  Colin Woodar 2018.1.12.

2018.1.12.  11の国のアメリカ史(上・下) 分断と相克の400
American Nations 
~ A Histry of the Eleven Rival Regional Cultures of North America           2011

著者 Colin Woodard 1968年メイン州生まれ。91年タフツ大卒後、米紙のヨーロッパ特派員を経て、96年シカゴ大大学院修了。歴史家・ジャーナリスト。現在アメリカで最も注目を集めている中堅ジャーナリスト。環境問題や特色ある地方分化に強い関心を寄せる。
16年『アメリカ人の性格――個人的自由と公共善の壮大な闘争の歴史』を著し、今日の合衆国の鋭い政治文化的な対立の根源を、私生活への規制や干渉を嫌い個人の自由と独立を尊ぶ南部プランターの伝統と、教条的で公共善を最重要視するヤンキーダムの価値観との相克に見出し、社会的経済的格差が拡大し混迷を極める現代のアメリカ政治においてリベラルな民主主義の回復に期待を寄せる

訳者 
肥後本芳男 同志社大グローバル地域文化学部教授。アメリカ史。序文・序章・第4部・終章担当
金井光太朗 東外大大学院総合国際学研究院教授。アメリカ政治史。第1部・2部担当
野口久美子 明治学院大国際学部准教授。アメリカ史・先住民研究。第3部担当
田宮晴彦 水産大水産流通経営学科准教授。アメリカ史。第1部担当雄

発行日           2017.10.25. 第1刷発行
発行所           岩波書店




【下巻表紙裏】 北米の歩みを、11のネイション間の分断と相克の歴史として描くユニークな歴史書。下巻では、西部開拓・南北戦争から現在までを扱う。「北部対南部」という2項対立の見方を修正し、いかなる南北戦争像を描くのか。20世紀半ばより先鋭化したネイション・ブロック間の対立は、アメリカをどこへ導くのか。北米大陸の再編までをも展望する壮大な歴史叙述

本書で言うネイションとは、主権を持たないものの、特有の歴史・民俗・文化を共有する地域的な文化圏という意味で用いる

1.    エル・ノルテ ⇒ メキシコとその国境沿いの州南部
2.    ニューフランス ⇒ ルイジアナ南部とケベック
3.    タイドウォーター ⇒ イーストコーストのデラウェアからカロライナ
4.    ヤンキーダム ⇒ ニューイングランド及び5大湖西部ミネソタまで
5.    ニューネザーランド ⇒ ニュージャージー、ペンシルヴェニア、マンハッタン
6.    深南部 ⇒ ディープサウス
7.    ミッドランド ⇒ 中西部の北半分と五大湖の北
8.    大アパラチア ⇒ 中西部の南部、アパラチアの西
9.    ファーストネイション ⇒ カナダ北部の先住民居住区
10. 極西部 ⇒ ロッキー山脈の両側
11. レフト・コースト ⇒ 西海岸




日本語版への序文

序章

第1部        起源――15901769
植民地時代に各文化的勢力圏がそれぞれ固有の歴史と文化を伴って創設され、発展していったことを考察
第1章        エル・ノルテの創設
第2章        ニューフランスの創設
第3章        タイドウォーターの創設
第4章        ヤンキーダムの創設
第5章        ニューネザーランドの創設
第6章        諸植民地の最初の反乱
第7章        深南部の創設
第8章        ミッドランドの創設
第9章        大アパラチアの創設



第2部        ありそうもない同盟――17701815
統一を欠いたまま発展していった諸ネイションが、なぜ一緒になって本国イギリスからの独立へと向かったのか ⇒ ネイション毎に違った地域事情や民族文化的な理由から、忠誠派(多くは中立派)と愛国派に複雑に分離していた結果、6つの個別に闘われた解放戦争の総体が独立戦争の実相であり、独立後の連邦共和国は文化地理的に極めて不安定な土台の上の構築された
第10章     共同の闘争
第11章     6つの解放戦争
第12章     独立か革命か
第13章     北方の諸ネイション
第14章     最初の分離運動



第3部        西部獲得の戦争――18161877
独立革命後アパラチア山脈を越えて広がった西部領土への4つのネイションの勢力拡張を描き、エル・ノルテのアングロによる征服とレフト・コーストという新たな民族文化圏の創設に言及
第15章     西へ拡張するヤンキーダム
独立戦争後4つのネイションがアパラチアを超え西へ拡張、大陸中間部の一帯が個々のネイションが混ざることなく4つの文化で分断
ニューイングランド人は、ペンシルヴェニアからオハイオ、イリノイ、アイオワ、ミシガン、ウィスコンシン地域で優勢 ⇒ 東海岸北部の痩せた土地は開拓し尽くされていたため、18世紀末新たに来た農民たちは土地を求めて西へ行かざるを得なかった。イギリス国王の発行した特許状もあって周辺に土地の権利を主張して進出
ミッドランド人は中心部に広範に広がる ⇒ ヨーロッパ各国人が混在
アパラチア人は、オハイオ川を下りその南岸を勢力圏としながら、テキサス中央部の丘陵地帯まで広がる
深南部の奴隷主たちはフロリダからメンフィスへ、西はテキサス東部沿岸まで拡張
1786年オハイオと中西部の北部地域が連邦政府により「北西部領域」として元来のインディアンの土地を指定し、各州は管轄権を放棄
ヤンキーの入植者たちは、近隣家族と集団を作って新たな土地に向かい街を作っていった
入植開始後9年で、多くのニューイングランド様式の大学のうち、最初の大学を設立、文化的なインフラを整備していくとともに、地域の政治をほぼ完全に牛耳る
オハイオを南北に2分する旧国道(現在の40号線)の北は、典型的なヤンキーの街並みが整然と並ぶが、南部は貧しく教育も受けていない人々が暮らす
ヤンキーは新参者に自分たちの文化規範を押し付け、他人の事情に介入しようとするというのが定評で、カトリック教徒との相性が悪かった。多文化主義がヤンキーの特徴となるのは大分後のこと
投票パターンを精査してきた政治学者は、元来階級や職種が投票行為に影響を及ぼすと考えてきたが、全くの間違いで、特に19世紀の中西部では、50年代以降ずっと、ネイションの出自が最優先していることが判明 ⇒ 南北戦争直前、ヤンキーが先行して入植していた地域は、設立後間もない共和党(現在の共和党のルーツ)の支持基盤となっていった
中西部の北部の大部分は、大ヤンキーダムの一部だが、その中心地シカゴは、1830年代ヤンキーによって建設されたが、ヤンキーとミッドランド西部を繋ぐ交通と地上交易の中継地点としての役割を果たし、新たな入植者に圧倒され、ニューイングランド人はすぐ北にエヴァンストンという自分たちの町を作る
19世紀にはニューイングランドにおける宗教の正当性は衰えを見せたが、神の王国と類似する地上の社会を築くことは可能であるという、ヤンキーに深く根差した信仰心はそのまま受け継がれた

第16章     西へ拡張するミッドランド
大半がドイツ語話者であるミッドランド人は、中西部の中央に広がる ⇒ 多元的文化をハートランドにもたらし、隣人関係を重んじ、家族を中心に社会を発展させ、現実的政治を支持し、大きな政府に対する不信感を持つという特徴がある
互いに寛容なエスニック集団の集合体として、かつて東部地方でそうであったように、非寛容で共同体主義的な道徳観を持つ大ヤンキーダムと、個人主義的な享楽主義を掲げる大アパラチアの間の緩衝材としての役割を果たし、多くの信仰や民族的出自を持つ人々が、互いに干渉せずに隣接して住む、節度と寛容さを備える中心地として発展
1830年代以降ドイツから膨大な数の移民が到着、文化的な親しみのあるこうした環境を気に入り、シンシナティに集まる
ミルウォーキーは「アメリカにおけるドイツ首都」とみずからせんげんしていたが、そこにいたるまではヤンキーの抵抗を克服するための多大な時間と労力を費やした
セントルイスもミッドランドの拠点で、1852年ドイツ移民がバイエルン・ビール工場を設立、数年後にアンホイザーとブッシュに売却
ウィーン体制を終わらせた1848年革命後の軍事独裁政権から逃避した多くのドイツ人が、新ドイツン建設地を求めて入植 ⇒ いずれの州でもドイツ生まれの人口が多勢を占めることはなかったが、183060年にかけて大量のドイツ人が祖国を去ったことで、多様で寛容なミッドランド人文明がアメリカの中核地帯を支配することが確実となる
クエーカー教徒の移住も小規模ではあったが、同じような理由で中西部に移り、19世紀初頭フレンド派は、社会からの孤立を求め、人口過密な東部沿岸から離れ、オハイオやインディアナ中部へと移住、奴隷制を嫌悪してタイドウォーターと深南部を捨て、1850年代にはインディアナが北アメリカにおけるクエーカー教徒の拠点となる ⇒ 今日でもリッチモンドはCity of Brotherly Love(フィラデルフィアの別名)に次いで多くのクエーカー教徒人口を有する
大ミッドランドでは、ヤンキーと同様、隣人同士の複数家族からなる集団単位で移住が行われたが、ヤンキーとの違いは、近隣コミュニティを同化しようとせず、お互い不干渉状態にあり、郡単位では総じて多元的様相を持つ
ドイツ人集団は総じて高いレベルの教育、農業技術、、職業能力を持っており、多くの人々が半狂乱になってフロンティを目指す国で、移住した土地に永住するためのインフラ投資を行う ⇒ アメリカ中西部の文化に対するドイツ人の最も持続的な貢献
ヤンキーの文化帝国主義に反抗、ヤンキーの支配する共和党に反対して民主党を支持したが、50年代末頃になるとキリスト教の教義上の方針に沿って分裂を始め、その結果あらゆる問題について連邦政府と連携か分裂かを左右する浮動票を抱える巨大な地域となる
奴隷制については共和党を支持 ⇒ 主としてドイツ人の間で支持政党が変動したことにより、リンカーンが政権につき、深南部は連邦を離脱

第17章     西へ拡張するアパラチア
アパラチア人の中でもボーダーランド人は、積極的にアメリカ先住民の領土に向かい、先頭を切ってアパラチア山脈を越えた
ヤンキーやミッドランドは、連邦軍がインディアンを駆逐するまで、彼らの居住地に侵入するのは踏みとどまっていた
最初の先住民との軋轢はテネシー中部でのチェロキーとの出会い
Old Dominion(ヴァージニアの異名)や他の東部諸州からの大規模な人口移動は「大移動」として知られるが、大半はアパラチア人で、ヴァージニアは最大の人口を持つ州としての地位から転落
1850年にはテキサス北部にまで拡大
大アパラチアは、粗野で素朴なネイション。個人単位あるいはごく小規模な単位で動き、共有施設に投資しようとはせず、識字率も低い。農業もその場しのぎの破壊的な作業で、森林地帯を求めて移動、貧しい人ほど移動頻度は高まったという
アパラチア人が大勢を占めるインディアナでは、彼らはフロンティアの田舎者を示す南部の方言で「フージャー」と呼ばれる
ヤンキーとは全く異なる政治的傾向を持っていて、高学歴の専門家や富裕層、南部の奴隷主を毛嫌いし、「正直な農民と職人」であることを最も敬った
個人的理想を追求するうえで最大の脅威となったのがヤンキーだったので、公民権運動の時代が来るまでは一貫して深南部人主導の民主党支持
元々アパラチアのいたところには先住民のチェロキーがいて、同じ先住民のイロコイ、クリーク、ショーニーの侵入から土地を守り、ボーダーランド人を追い払い続けていた
アパラチアとチェロキーは、対立関係にもかかわらず、文化的かつ生物学的な交流は継続的に行われ、アパラチア人がチェロキーの中に入って一ケースも、チェロキーがキリスト教に帰依するケースもあった
1929年アパラチア人から最初の大統領ジャクソンが出る ⇒ ボーダーランド人、先住民クラークを撃退したこともあり、ニューオーリンズ(14年秋~151)の戦いでイギリスを打ち負かした後は国家的ヒーローとなって頭角を表わす。奴隷所有者。反インディアン戦士として、スペイン領フロリダに侵略して先住民のセミノール・インディアンを征伐。メイソン・ディクソン線以南の全票を獲得、アパラチア、タイドウォーター、深南部での圧倒的な支持を得て大統領に当選、小さな政府、最大の個人的自由、積極的な軍事力の拡大、白人優越主義、各ネイション間の相互不干渉と個々の文化尊重が信念
就任式のお祝いには支持者がホワイトハウスに大挙して押し寄せ、無頼の限りを働き、「敵の戦利品は勝者がいただくルール」を生み出す
チェロキーの駆逐はジャクソンの最優先事項、インディアンの強制移住法を公布しジョージア内のチェロキーをオクラホマに移住させ、その土地を抽選で白人に配布。最高裁が併合を違憲としたのも無視して、さらにはアラバマとミシシッピが先住民の土地を併合したことにより、そこに居住していたクリークとチカソーも同様な憂き目にあう
「南部高地」の文化は、奴隷制が存在するため、同じボーダーランド人が入植しているオハイオ川以北の文化と異なるというのが歴史家による伝統的な解釈だったが、大アパラチア人にとってはどこに住もうが、奴隷制があろうがなかろうが、一貫した文化的な価値観や特徴を共有していたが、平原地域の同輩より南部高地の山間部フロンティアの人々はより危険で、不確かで、予測不可能な生活と直面、無法地帯で常に闘争状態
ボーダーランド人の信仰的遺産は、かなり感情的でかつ衝動的なもの、個人的救済、神との相互交渉関係、来世での応報を強く唱える信仰で、福音主義的な信仰に近い

第18章     西へ拡張する深南部
1830年代までは、「南部」は奴隷制をいずれ消え去るに任せるべき時代錯誤的な構造であると見做していたが、30年以降「南部人」たちは次第に奴隷制を称え始める
誕生しつつあった南部連合で奴隷制が神聖化されたのは、大陸に存在する2つの主たる奴隷文化であるタイドウォーターと深南部が持つ相対的権力が大きく変化した結果
3の勢力であるアパラチアは、南北戦争後に初めて、ディキシーと呼ぶ連合に真に加わわるようになった
タイドウォーターは、1820年まで大陸の南東部で勢力を誇り、特にヴァージニアは最大の人口を誇る州として独立戦争はもとより、合衆国憲法の知的基盤を作り、初代から5番目の大統領のうち4人を輩出。アパラア人の州から正式な代表権を剥奪。国家的な問題についてはタイドウォーターこそが「南部」を代弁、奴隷制を恥じていた
2030年代にかけて、急速に拡大する深南部を前にタイドウォーターの影響力が衰退
19世紀初頭の大移動期、ボーダーランド人に封じ込められて影響力を西に向けて拡大できなかったが、その間深南部が勢力圏を拡大、新たな州を設立したり既存の州への影響力を広げ、莫大な利益を生み出す資源を完全に支配することによって、ボーダーランド人を手中に収める ⇒ タバコに代わって綿の市場価値が高まり、小規模家族経営の綿花農家が次々とプランテーション奴隷所有者に駆逐され、地球規模の綿花生産が3倍に増加した一方で、深南部の生産量は50年で9%から68%へと増大
1803年に合衆国に併合されたルイジアナ南部にはニューフランスの飛び地があり、湿地帯に住むアカディア人難民の子孫やフランス西インド会社の砂糖プランターや商人が居住していたが、スペインやフランスにおける寛大な奴隷制度と人種関係を引き継いだニューオーリンズでは奴隷に自由を買う権利を与えていたため、自由黒人が高い社会階層まで与えられ、スペイン系とフランス系の白人住人であるクレオールと共生。独自のアイデンティティを保持し続け、みな共和党を支持、南部の連邦離脱に反対。他の地域への同化に反発し、21世紀に至るまで孤立を保っている
深南部から新しくやってきた人々はそれを嫌悪、両者の溝は深い
奴隷制が浸透しえない極西部への進出は深南部にとって困難、変わって着目したのが熱帯地域で、メキシコからカリブ海諸国、特にキューバの併合を声高に主張、政府も深南部の支持を期待して試みたがいずれも失敗、ただこの時点でメキシコ領の大半は既に合衆国によって征服されていた

第19章     エル・ノルテの征服
1821年メキシコ独立するも、既に財政破綻状態、国内の大部分の地域が放置状態に置かれたため、政府から見放されたエル・ノルテの指導者たちは、交易を禁止されているにもかかわらず合衆国に接近
エル・ノルテは、メキシコ中央部と比較しても個人主義的意識が強く、自活を重んじ、経済活動を重視する傾向があり、常にメキシコ内の革命と改革の最前線と言われている
アメリカからの移民が後を絶たず、遂にテキサス地域が独立闘争をはじめ1836年にメキシコから独立 ⇒ エル・ノルテはサンアントニオの北方コーパスクリスティの南の地域に押し戻され、テキサスの北東部、北中央部、中央部はアパラチアに吸収され、メキシコ湾岸地域の北半分は深南部に併合、ヒューストンとダラスの境界、つまりヒル・カントリーと湾岸平原、そしてヒスパニックの南部とアングロ系の北部を分けるテキサスの典型的な地域区分が作られた。州北部に突き出た地域には後にミッドランド人が入植し、他の地域とは一線を画す
45年合衆国は、テキサス共和国に対し奴隷州として連邦構成州の地位を付与するための法案を議論
同年、リオ・グランデ渓谷の係争地を含む新たな境界線をめぐってアメリカがメキシコに宣戦を布告、48年終戦 ⇒ ヤンキーは最初から侵略戦争に反対していたが、アメリカ軍はメキシコシティまで占領、最終的に人口希薄のメキシコ領北半分のみを獲得。現在のアリゾナ、ニューメキシコ、カリフォルニア、ネバダ、ユタを含む。深南部はそれ以上の併合については人種混交が進んでいて、白人種の政府には不要と反対した
合衆国に併合された旧メキシコ領の大半は、真の意味で植民地化がされていたとはいえず文化的にもエル・ノルテの一部ではなかった ⇒ 先住民から奪った土地に迅速に建設された2つの新しい民族文化的ネイションを生み出そうとしていた。それが極西部とレフトコーストで、全く正反対の方向に、さらにその南部に広がるスペイン語圏のネイションとも相反目しつつ発展していった

第20章     レフト・コーストの創設
カリフォルニア北部、オレゴン、ワシントンの3州の沿岸部は、同じ州内にある他の地域と比べてニューイングランド的な風土を色濃く持っている ⇒ 投票傾向から文化戦争、外交政策に至るまでヤンキーダムと同盟関係を保ち、当初から南や東の隣人たちと折り合いが悪かった
その理由は、レフト・コーストの初期入植者の大半が、北太平洋岸に第2のニューイングランドの建設を夢見て海上から入植したヤンキーだったから。ただ、東部の同盟者とは常に根本的な気質上の差異を有していたうえ、この地にユートピア的理想主義の痕跡を残し、そのため恭順なエル・ノルテやリバタリアンの極西部の隣人と衝突
19世紀初頭はまだ先住民チヌーク・インディアンの居住地、スペインの勢力もモントレー北部までで、サンフランシスコ以北はイギリスの毛皮交易複合会社=ハドソン湾会社が事実上統括
1834年北部メソジスト派の伝道師がオレゴンのセーラムに伝道所設立、ニューイングランドからの入植を勧誘、一方でボーダーランド人も積極的に農地を確保し、人口ではヤンキーを圧倒したが、町の支配はヤンキーが掌握次々に州を独立させた
46年合衆国がカリフォルニアを併合
48年アメリカ川(サクラメント川の支流)で金が発見されたことで、レフト・コーストと内陸部が分裂
カリフォルニアのヤンキーは、49年に金鉱を探しにカリフォルニアに来た野蛮人たちフォーティナイナーから土地を守らなければならなかった ⇒ もう1つのピルグリム的任務を果たす使命に燃える
カリフォルニア沿岸地域で、ヤンキーのエリートたちが抱いていた道徳的、知的、ユートピア的な熱意と、アパラチア人や移民の大多数が重んじる自活重視の個人主義が混在。そこで生成された理想主義的だが個人主義的な文化は、内陸部の金の採掘地域とは異なっていたが、オレゴン・ワシントンの両州西部とは類似した、まさに新しい地域文化で、後に連邦を変革するためにヤンキーダムと連携することになる

第21章     西部への戦い
南北戦争は「南部」と「北部」の争いとして描かれているが、この2つは文化的にも政治的にも実際には存在しない地域
メリーランドとミズーリの間、テネシーとルイジアナの間、インディアナ、ヴァージニア、テキサス間に深く刻まれた差異の説明ができない
さらには、戦争の原因が奴隷制だったのか、それともケルト系対そのライバルであるアングロ系およびゲルマン系との民族対立だったのか
州単位で分析しても、さらに混乱を招くだけ
大陸を地域民俗学的諸ネイションの集合体という視点でとらえると、南北の地域が戦争に向かった動機、大義、そして行動原理が明らかとなる ⇒ 南北戦争は2つの同盟間の戦争で、1つは深南部とその衛星地域とも呼べるタイドウォーター、もう一方がヤンキーダムで、他のネイションは中立を望み奴隷主(深南部)やヤンキーの両方から干渉されない独自の連合を設立しようと画策
19世紀前半、ヤンキーダム、ミッドランド、アパラチア、深南部の4つはそれぞれ自分たちの文化をアパラチア山脈以西の土地に展開しようと、支配権をめぐって競合したが、突出したのがヤンキーダムと深南部で、特に深南部は砂糖と綿花の需要の高まりで得た膨大な富を背景に奴隷文化を西部に向けて拡大、かつての盟主タイドウォーターを凌駕し、白人至上主義によってアパラチア人からの支持も獲得。膨張主義的戦争によって連邦全体に永久的な支配権を獲得しようとしていた
深南部やタイドウォーターから排除された外国人移民はヤンキーや中西部のミッドランドの地域に向かい、1850年には奴隷州の人口1人に対し自由州では8人の外国生まれの居住者が存在、さらに西海岸でのヤンキーの影響力が高まってレフト・コースト3州が自由州として合衆国に加わると深南部を凌駕する政治力を持つに至る
ヤンキーは、世界を改善していくという自らの使命に駆り立てられ、誰もが認める中心的担い手として奴隷制即時廃止運動を担ぐ
奴隷制に対する「南部」の意見はかなり多様であり、州や階級、職業上の境界ではなく、民族地域的な境界で分断されていた ⇒ 南部の中でもアラバマ北部、テネシー東部、テキサス北東部におけるアパラチア人の入植地は連邦離脱に反対、それ以外の深南部人が入植する地域では連邦離脱を支持
リンカン大統領の誕生で深南部人の支配する諸州が連邦を離脱、アラバマに新政府を樹立
タイドウォーターとアパラチアの諸州は参加せず、独自の連盟を組織しようと画策
サウスカロライナがチャールストン港を守るサムター要塞を攻撃する前には、ヤンキーダムは孤立し、深暗部の反乱を武力で抑え込もうとする信念に同調するネイションは皆無
リンカンはサムター要塞で物資が不足した際にも、慎重な対応をし、武器ではなく食糧を供給、南部連合の政府も事情を理解して国務長官のラザーズも戦争を仕掛ければすべてを敵に回すと警告していたが、デイヴィス大統領はそれを無視、後にこの決断は北アメリカ史上最悪の誤算と証明された
ニューネザーランドは、奴隷制をもたらした張本人であり、深南部を熱心に支持、寛容さはその文化の中心であり、奴隷所有に対しても同様だったが、ニューヨーク州政府の支配権をヤンキーに奪われ、奴隷制が禁止されてしまう。ただ、ニューヨーク市内では多くの不法奴隷売買人が存在し、南部に奴隷を供給していたので、ほとんど南部に属していたようなもので、事実60年の選挙では、リンカンの政敵であるスティーヴン・ダグラスに投票
ニューヨーク市では、ロングアイランドとともに低税率の都市国家としての独立も検討
サムター要塞への攻撃が全てを一夜にして変え、合衆国に対する極端な愛国心が湧き上る
ミッドランドは、歴史上長きにわたって奴隷廃止の心情を持っていたにもかかわらず曖昧な態度をとり、南部の平和的な離脱を期待。60年の選挙では圧倒的にリンカンを支持したが、ヤンキー支配には反対してアパラチア人が支配する諸州と一緒に中央連合国の建設を画策、ヤンキーと深南部の緩衝地帯になろうとした
タイドウォーターの人口は少数派。奴隷制を巡る対立が深まるにつれ、文化的差異に関わらず、保護を求めて深南部側につかざるを得なくなる ⇒ タバコ市場の縮小とともに、タイドウォーターの指導者層は奴隷を南部に売り渡し、深南部のイデオロギーを受け入れたが、南北の対立をアングロサクソンの専制からノルマン人を解放するための戦争と位置付けることで、より問題視される奴隷制についての議論が賢明にも避けられた
サムター攻撃とリンカンの開戦宣言の後になって、ヴァージニアとノースカロライナが離脱、メリーランドとデラウェアが残ったが、4州の動向にはボーダーランド人が決定的な役割を担っていた
大アパラチアは、最も曖昧な態度をとった ⇒ 人種平等を執拗に主張し道徳的聖戦と称して他者の行動を左右しようとするヤンキーを嫌悪する一方で、貴族的な奴隷所有者たちの下で何世代にもわたりその圧政に苦しんできたことから南部プランターにも反抗
60年の選挙では決定的に分裂 ⇒ アパラチアの支配する4(ケンタッキー、ヴァージニア、テネシー、テキサス)では、穏健派のベルが辛うじて多数票を獲得したが、リンカンはペンシルヴァニアのアパラチア人票を、ダグラスは中西部のアパラチア人評を獲得
サムター攻撃後は、アパラチアの多くが北側に着く
65年の南部連合敗北後は、ヤンキーやミッドランド人の理想に従って南部連合の民主化が進められ、多くの黒人連邦議員が誕生したが、76年の北軍撤退の後、「再建された」地域の白人はヤンキーの政策を悉く破棄、クー・クラックス・クランが「横柄な」黒人を暗殺

第4部        文化戦争――18782010
世紀転換期に大量に押し寄せた新移民がもたらした社会や文化への影響に始まり、南部再建期以後急速に台頭した2つの相対立する大きな勢力(ヤンキー・ブロックとディキシーーブロック)の形成過程と宗教・世界観の衝突を描く
第22章     極西部の創設
極西部は北アメリカ最後の入植地 ⇒ 南北ダコタ、ネブラスカ、カンザス、オクラホマを2分する西経98度から始まる西側で、雨量が少なく、土漠と砂漠、アルカリ塩で汚染された土壌では穀物が育たない
長らく、必要な資本を持っていた北のより古いネイションや連邦政府の内陸植民地だった
47年最初に来た集団がヤンキー系のモルモン教徒。49年に来たフォーティナイナーたちはアパラチア人気質の極めて個人主義的なフロンティア人
59年にカムストック銀鉱脈がネバダの山脈で発見されたが、64年には枯渇、地下に潜ると大企業の支配下になり、やがてその地域の政治をも支配
鉱山地区以外の極西部への進出は鉄道の敷設とともに拡大 ⇒ 連邦政府が鉄道会社に沿線の土地を交付、大規模な販売キャンペーンで入植者を惹きつける
1886年の冬に極寒状態に見舞われ、その後は旱魃が続いて90年までには独立自営農民の大半がこの地を脱出
鉄道会社と鉱業利害関係者、先住民の保留地以外は連邦政府が管轄 ⇒ 現在でもモンタナとコロラドの1/3、ユタ・ワイオミング・アイダホの1/2、オレゴンの極西部風土帯地域の2/3、ネバダの85%が連邦政府の所有
2次大戦まで、経済的ポピュリズムや労働組合主義、社会主義の温床
連邦政府に対する極西部の敵意のお陰で、この反権力的な地域はアメリカ大陸の最も権威主義的なネイションとの、他ではあり得ないような同盟を結ぶことになり、その同盟が北アメリカと世界にとって永続的な影響を及ぼしている

第23章     移民とアイデンティティ
地域的なネイションの文化は、1830年以降の大量の移民の波に飲み込まれたものの、「アメリカ全体の文化」を変化させたのではなく、アメリカの個別地域の諸文化を変化させた
移民の第1波は183060年の約450万で、アイルランド・ドイツ・イギリスのカトリックが大半、第2波は6090年の約900万で、前記+スカンジナビアと中国から、901924年の第3波は約1800万、南欧・東欧からで、3/4がカトリックかユダヤ教徒
1924年「劣等人種」への移民割り当て法で移民の波が突然終わる ⇒ 外国生まれは全人口の14%がピーク(1914)
移民のもう1つの注意点は、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストン、シカゴ、サンフランシスコなどの少数の拠点都市に集中したこと ⇒ 移民の大半が強固な貴族政や封建制から逃げてきたため、深南部やタイドウォーターには向かうはずもなく、大アパラチアはまだ貧しく仕事もなかった
移民はアングロ・プロテスタントのアメリカ人に変容させられたというアメリカのるつぼ概念は、実際はヤンキーの矯正法を指す
今日メキシコからの第4波は合衆国内のメキシコ人人口を急増させ、アングロ・プロテスタント文化に同化することもなく、エル・ノルテのアメリカ領を再び支配、同地域のノルテーニョ文化に同化しつつあり、地域の起源に戻ったと言え、いずれ彼ら独自の共和国を建設するであろう

第24章     神と布教活動
移民が南北戦争後の数十年にネイション間の差異をより際立たせた一方で、根本的な価値観の差異が、ネイションを緩衝州で分離された敵対的なブロックに二極化した結果、文化を巡る冷戦となり、負けたディキシー・ブロックが勝ち誇った社会改革志向のヤンキーやニューネザーランド、レフト・コーストの連合と対抗 ⇒ 1960年代に突如顕著な対立に発展
南北戦争後、全アパラチアを含む南部はヤンキーによって地域全体が作り変えられようとしたため、被支配州は2000年の世紀転換期には強力なディキシー連合を作り上げる
ディキシー連合が個人的救済と伝統的な社会的価値の擁護を軸に連携している間に、北部同盟はそれとは大きく異なる価値を目指した宗教のもとに形成されつつあった ⇒ ヤンキーダムの牧師や知的エリートによって陣頭指揮されていたが、他のネイションでも圧倒的に支持され、個人よりも社会の救済に焦点があてられた
北部同盟の顕著な変化は、禁酒、子供の福祉保障、女性の参政権、対抗文化的運動への寛容さ、善行を通じて世界を浄化しようというピューリタン的使命などに現われる
ディキシー同盟では、近代主義や自由主義神学、不都合な科学的発見に反対する動きが顕著。学校で進化論を教えることを非合法とした州も多く存在

第25章     文化衝突
ディキシー・ブロックでは、アフリカ系アメリカ人が人種隔離とカースト的社会制度に抗議して立ちあがる ⇒ 公民権運動として北部同盟が支援、5060年代を通じて「第2の再建」と呼ばれ、64年には公民権法案が成立したが、ディキシー・ブロックの私的プロテスタントの価値観を変えることはなかった
一方北部同盟では、若者による文化的反乱に直面 ⇒ 「若者運動」の創設文書とされる62年のポートヒューロン宣言はヤンキーとミッドランド人の中心的価値観の融合体。全世界の武装解除や戦争経済の終焉を謳い、所有や特権あるいは境遇に根差した権力を終わらせ、参加型民主主義の確立を求める。ヒッピー運動はサンフランシスコとマンハッタンのビート族から生じたものだし、「民主社会のための学生同盟」は北部同盟の各ネイション内の主要大学のキャンパスで最も強固に支持された

第26章     戦争、帝国、軍隊
ディキシー・ブロックのネイションは、1830年代以降事実上あらゆる戦争を断固として支持、同時に合衆国の力を拡大し維持するための武力行使を支持
極西部とエル・ノルテは、常にキャスティング・ボートを握るネイション ⇒ スウィング・ネイション
アメリカ帝国建設への反対者は、常にヤンキーダムが中心 ⇒ 外国領土の占領は、アメリカ独立革命を戦った原理、とりわけ代議制の自治政府を持つ権利に著しく違反するとして反対
2次大戦では、戦争準備の必要性について連邦内が分裂、真珠湾攻撃のあと、諸ネイションは後にも先にも決して経験しないほど互いに結束
ヒトラーと裕仁天皇は、歴史上他のどの行為者よりも極西部とエル・ノルテの地域の発展に多大な貢献 ⇒ この2つのネイションに連合軍が戦争に勝利する産業基盤が集中
2000年の選挙で、ディキシー・ブロックは46年ぶりにホワイトハウスと上下両院を同時に掌握、伝統的な外交政策の原則から即座に根本的に転換し、9.11で加速
イラク戦争は、合衆国の一方的な軍事力の行使に対する諸ネイションの熱意を測るリトマス試験紙となる ⇒ ディキシー・ブロックは熱烈支持、南部人は6234%で支持、中西部人は4744%、レフト・コーストは06年の増派に反対、ヤンキーダムやエル・ノルテも反対、ミッドランドとニューネザーランドは賛否両論

第27章     権力闘争I――民主党支持ネイション
北アメリカのネイションは創設以来、お互いに闘争してきたが、その目的は連邦政府機関である議会やホワイトハウス、裁判所や軍隊を支配すること
1877年以降アメリカ政治は、基本的に階級闘争や農業と商業の利害対立でもなく、競合する党派的なイデオロギー間の緊張でさえなかった。決定的な政治闘争は、民族地域的な諸ネイションの移り変わる同盟間の衝突であり、1つは常に深南部に率いられ、他方はヤンキーダムによって統率されていた
最も強固で長く続いてきた連合は、1840年代にヤンキーダムとレフト・コーストの間で形成されたもの、改革的でユートピア的課題を抱いたヤンキーダムがいつも基調を打ち出したが、その基調とは「公共善」の推進を追求することで、その推進手段は税制基盤と共有資産に支えられ、慎重に管理される無駄のない有能で実行力のある政治を確立すること
187797年ヤンキーダムとレフト・コーストは、連邦の周りに関税障壁を築いて製造業を保護、関税収入は連邦歳入の60%にも達し、その半分以上が北軍兵士に恩給年金の形で還元された
人口過密で強力な都市国家のニューネザーランドは、保護関税に反対してディキシーの綿業王たちと連携する一方、20世紀に入ると巨大で複合的な都市拠点として効率的な政府と費用の嵩む公共インフラを求める必要上ヤンキーダムとの共通利害を見出した。文化的多様性、良心の自由、表現の自由を重視、最も社会的にリベラルなネイションであり、深南部の熱狂的行動に反対し、ヤンキーと運命を共にする以外選択肢はなかった
ヤンキーに率いられた3つのネイションによる北部同盟は、共和党のテディ・ローズヴェルトの「保守的」政権から民主党のオバマの「リベラル」な政権まで、強力な中央政府の維持や連邦による企業権力規制、環境資源の保全を支持
20世紀前半、共和党は「北部の政党」であり、大恐慌まで連邦政府を支配
18971932年までウィルソンを除き6人の北部共和党員が大統領 ⇒ 3人がヤンキー(マッキンリー、タフト、クーリッジ)1人がオランダ系ニューネザーランド(テディ・ローズヴェルト)2人がミッドランド(オハイオのハーディング、ドイツ/カナダ系クエーカー教徒のフーバー)で、自由放任の資本主義時代の指揮を執ったにもかかわらず、フーバー以外はアフリカ系アメリカ人の公民権を支持し、クーリッジを除けば皆連邦政府の権力拡大と企業や財閥の権力の抑制を支持。減税に反対はしなかったが、富裕層にだけ利益を集中させるようなやり方での減税はしなかった
ローズヴェルトは巨大なトラストを解体し、鉱山労働者に有利な解決を保証すべく主要なストに介入し、国立公園局や全米野生動物保護区、米国林野局を設立、史上初のユダヤ教徒の閣僚を任命
タフトは、マサチューセッツのピューリタンの子孫、イェールで教育を受け、ローズヴェルトの反トラスト捜査を推し進め、連邦所得税と連邦上院議員の直接公選制導入のための憲法修正を支持
ハーディングは、企業と富裕層の所得税を減らしたが、他方で行政予算管理局や会計検査院を設置して政府をより効率的なものに変えようとした。復員軍人援護局を創設
クーリッジは、銀行や企業の規制に反対したことで名を挙げたが連邦政府の肥大化回避が根底にあった。マサチューセッツ州知事時代は労働者の立場からの保護策や賃金保障などを実行、大統領就任後も減税をしたが、富裕者にとって有利でないやり方をとる
フーバーは、国立公園や退役軍人の病院制度を拡大、連邦教育省と司法省の反トラスト部門を設立、低所得者の税金削減や普遍的な老齢年金制度設立(不成功に終わる)に奮闘
以上の最も保守的な北部同盟の大統領は、ディキシーから見れば、大きな政府を掲げるリベラルと見做され、1950年代の北部同盟主導の共和党もまた同じように見られる
アイゼンハワーの最初の任期では、共和党が議会両院とホワイトハウスを支配したが、保健教育福祉省を創設、公民権判決を強制するために連邦軍をアーカンソー州に派遣し、台頭しつつある「軍産複合体」によって引き起こされる民主主義への脅威を警告
198820083つの北部ネイションは、一貫してより進歩的な候補を選択し、同一の大統領候補を支持 ⇒ 父ブッシュよりデュカキスを、ブッシュよりアル・ゴアを、マケインよりオバマを選択。同様に、50年代はアイゼンハワーを、64年にはゴールドウォーターよりもリンドン・ジョンソンを支持
この時期、北部同盟出身の大統領は4名のみ ⇒ 共和党ではフォードと父ブッシュ、民主党ではケネディとオバマで、4人とも政府事業計画を通して社会を改善させ、市民権保護や環境保全を拡張しようとした
フォードは、男女平等の憲法修正条項と、全米に連邦の資金による特別支援教育計画を創設、最高裁判事にリベラルのスティーヴンスを任命
父ブッシュは、レーガンから財政赤字を引き継いだが、富裕層への税率を引き上げ、政治的に不利になるのを承知で資本利得税削減に反対、公民権を身体障碍者に拡張、大気汚染防止法の再認可を支持、教育や研究振興、保育に連邦の支出を増やす
ケネディは、64年の公民権法となるものを提案、黒人の南部大学に入学させるために連邦軍まで派遣、最低賃金と手ごろな価格の住宅や精神衛生事業のための連邦基金を増加、環境問題に関する重要な転機となる調査を開始、環境保護庁設立に向けた基盤を敷く
オバマは、連邦の医療保険業界の刷新、金融サービス業の規制、温室効果ガス排出の削減努力を支持したが、全て強力なディキシーの反対に抗って行われた
公民権闘争直後、ディキシーの保守主義者が共和党の支配権を握ったとき、北部同盟の共和党員とディキシーの黒人は党を捨てた
195698年の間、共和党候補者に投票したニューイングランド人の割合は、55%から33%へと低下、ニューヨーク市民(ヤンキーとニューネザーランド)の割合も、54%から43%に低下
ヤンキーの中西部も、21世紀最初の10年間に共和党支持の低下が加速
2010年までに共和党は、3つの北部同盟ネイションにおいて、全ての州議会下院と1州を除くすべての上院で少数派、北部同盟が優勢な13州のうち7州で知事職を失う
巨大な政治再編の中で、民主党が北部同盟の政党になり、「リンカンの政党」はディキシーの白人たちの目的達成手段となった
父ブッシュ時代、北部同盟の共和党連邦議員はほとんど排除されん、共和党はその生誕を見た地で基本的に消滅
北部同盟の下院議員は、政党の所属に関わらず、彼らのネイションの政策課題を支持
70年代末には、ディキシーの「労働権」法を禁止したり、連邦職場安全検査から小規模会社を免除し、大規模建設地での労働者のストを事実上禁じる法律の変更を支持
80年にはまだ多くの北部共和党員がいたが、全てのヤンキーとニューネザーランドの連邦議員は、3名を除いて、特定の消費者コミュニティでの実際の寒冷状況に応じて連邦低所得者暖房費補助配分を支持、レフト・コーストも加州を除き賛成
10年のオバマ・ケア法案の下院議員の投票は、圧倒的な差で支持、世界の銀行システムがほぼ壊滅状態に陥った直後の金融規制制度強化の法案でも同様だったが、両方ともディキシーは民間市場への不当な侵害として猛烈に反対
連邦議会が厳格な党路線に沿って投票する時でさえ、共和党の離反者はいつも北部同盟かミッドランド出身だった ⇒ 99年のクリントンの不倫疑惑での弾劾を拒否したのは共和党の4名の下院議員であり、10年のオバマの財政改革計画案に対し共和党員の3名が反対したが全員がニューイングランド出身者
21世紀の初めまで、北部同盟の民主党員と共和党員は、ディキシー・ブロックのそれぞれ同じ党員に比べて、お互い同士の間で遥かに多くのものを共有 ⇒ 南部連盟は北部人が大切にしているほとんどすべてのものに反対を表明

第28章     権力闘争II――共和党支持ネイションと無党派ネイション
ディキシー・ブロックは、特に安定した連盟ではなかった ⇒ 深南部と第アパラチアは、歴史のほぼすべてを通じて宿敵、独立戦争でも南北戦争でも一戦を交えている
格下のパートナーであるタイドウォーターは、南部の隣接ネイションに比べてアパルトヘイトや権威主義にあまり関与せず、今日ではミッドランドの影響下に入りつつある
深南部の寡頭支配は、自らの経済的利害にとってブロックのお陰があるので、自身の地域の黒人に有権者資格を付与せざるを得ず、さらにタイドウォーターのエリートの紳士的穏健さの傾向や、ボーダーランド人の強力なポピュリスト的感情にも対処しなければならず、こうした勢力の全てがディキシー連合を掘り崩す恐れがあった
深南部の寡頭政治の目標は、4世紀以上もの間一貫して、労働や仕事場の安全、医療や環境規制を可能な限り最小限に保ち、従順で教育程度の低い低賃金労働力を利用した天然資源の採掘と大規模農業に依拠する植民地的経済を維持することで、一党独裁体制を堅持すること。元奴隷と下層白人を政治過程から排除するため人頭税や識字テストを導入、労働力需要を満たすためにカースト的社会階級とシェアクロッパー制度(小作人となった解放黒人に対し農作物の1/31/2を地主に納入する条件で土地使用を認める制度)を発達
公職に就くと富裕者への課税をカットし、寡頭政治の支配者のアグリビジネスと石油会社へ巨額の補助金を注入、労働規制と環境規制を除去、発展途上国からの安価な労働力確保のため「ゲストワーカー」計画を立て、北部の高賃金の産業から製造業の仕事を横取りすることに専念
寡頭政支配者にとって最大の課題は、大アパラチを自らの連盟に引き入れ、留めること
ボーダーランド人は、平等主義と自由を称揚、あらゆる形態の貴族政を毛嫌い
アパラチアには強力なポピュリストの伝統があり、深南部の寡頭制支配者の願いに逆行するもので、偉大な南部ポピュリストの大半はボーダーランド出身のたたき上げの男で、リンドン・ジョンソンやロス・ペローなどがいる。ディキシーに多くの進歩主義者をもたらしたがその中にはクリントンやアル・ゴア、コーデル・ハルがいる
アパラチアの大部分が南北戦争で南部連合に対して戦ったという事実が、深南部の寡頭制支配者の戦略をさらに複雑にしている
人種主義と宗教が寡頭制支配者に有利に働く ⇒ 南北戦争の時、ボーダーランド人はユニオン(連邦)のために闘ったのであり、アフリカ系アメリカ人を救うためではなかったので、ヤンキーが黒人を解放し、選挙権を付与しようとしたとき反抗。また、ボーダーランド人やタイドウォーターと深南部の貧困白人は共通の宗教的伝統を持つ。それは社会改革を拒否した私的プロテスタント主義の形態で、聖書にある奴隷制の正当化を見出し、世俗主義やフェミニズム、環境主義や近代科学の重要な発見の多くを神の意思に反するものとして非難
南北戦争後でも、公民権や自由選挙に反対するディキシーの議論は、人種差別的なもので、ほとんどすべての黒人と大半の貧困白人は投票権を奪われ、プランテーションのエリートたちはこの地域への覇権主義的な支配を確立
ディキシーの連邦政治への影響は、20世紀初頭にローズヴェルトが革新党を創設して北部同盟の票が分裂しウィルソンが大統領になったときだけで彼は筋金入りの人種差別主義者
ウィルソンは、ボーダーランド人家庭に生まれたアパラチアの南部人
民主党のケネディとジョンソンが公民権法案を成立させた際、ジョンソンは法案への署名直後に「今度長期にわたって南部を共和党へと引き渡したと思う」と語ったという
実際この時、ディキシー連合の大半がポピュリストのアパラチア人大統領と民主党をあっさり見捨てた ⇒ 68年のディキシーの大統領候補は南部の急進的な人種差別主義者のウォーレスであり、狙撃されて負傷しなければ72年も立候補したかもしれない
代わりに候補に選んだのが、エル・ノルテのアングロ系少数派出身で新しいディキシー型の共和党員だったニクソンとレーガンで、共和党の北部同盟支配を転覆させることに成功
60年代半ば以降、常により保守的な大統領候補を支持 ⇒ オバマよりマケイン、ケリーよりブッシュJr.、モンデールよりレーガン、マクガヴァンよりニクソン、68年はハンフリーよりニクソンとウォーレスで、逸脱が起こったのはカーターやクリントンといったディキシー出身の候補が出たとき
ディキシー・ブロックの有権者は、一貫して超保守主義を支持 ⇒ 09年に18名の現職連邦上院議員がアメリカ保守連合から100点満点で90点以上の生涯の功績評定を受けたが、全員が極西部かシキシー・ブロックの出身者
60年代には公民権法に反対、70年代にはユニオンショップ協定の禁止に賛成、8000年代には富裕層への税金引き下げ、相続税廃止に賛成、03年にはイラク侵攻を支持、10年には医療保険改革と財政規制改革や最低賃金引下げ阻止に賛同
90年代から、ディキシーの連邦政府への影響力は強大となり、94年にはディキシーに先導された共和党が40年ぶりに連邦議会両院を支配、06年までその勢いを堅持
カーターの進歩主義に失望したのか、00年ついに1850年以来初めて彼ら自身の中から大統領を出したのがブッシュJr.で、大統領としての国内政策の最優先事項は、深南部の寡頭制支配者のもの。富裕者への減税、社会保障の民営化、エネルギー市場の規制緩和、沖合の採掘装置への環境や安全規制の中止、海外タックスヘイヴンの黙認、二酸化炭素排出規制や自動車に対する厳格な燃費基準の成立阻止、低所得者の子どもたちへの医療扶助金の成立阻止、石油探査のために保護区域の開放、政府の福祉事業を宗教団体に譲渡
16年間のディキシー支配の終わりまでには、所得格差と富の集中は歴史上最も高い水準に達した ⇒ 1%の富裕者の富の割合が3倍に膨れ上がる
北部同盟とディキシーの間に起こる権力交替の原因は、3つのスイング・ネイションの行動にある ⇒ ミッドランドとエル・ノルテ、極西部の3
18771933年北部同盟は、極西部とミッドランドの支持を得て連邦を支配
198008年のディキシーの支配時代は、極西部とミッドランドとの同盟に基づいていた
どちらのブロックも真に優勢でない時期でさえ、支配的多数派はネイション間の連携を通して形成された
ニューディール期には、ディキシー、ニューネザーランド、ミッドランドが提携
60年代には、北部ネイションと、アパラチアの進歩主義者との間で連携
オバマの選挙では、エル・ノルテ、タイドウォーター、北部同盟の間で連携
3つのスイング・ネイションは何を求めているのか
ミッドランドは、最も信条的に自立しており、干渉的で救世主的なヤンキーと、権威主義的なディキシー狂信者の両方を警戒する一方、中産階級社会というアイデンティティをヤンキーと共有、政府の干渉に対するボーダーランド人の不信感、文化的多元主義へのニューネザーランド人の傾向、大胆な行動主義に対する深南部の嫌悪感を共有。真に中道的なアメリカ社会であり、どちらか一方に与するということはなかった。30年代にフランクリン・ローズヴェルトを、80年代にレーガンを、08年にはオバマを一方的に支持したのは、国内的緊張が一気に高まり、行き過ぎを是正しようという時期と重なる。ミッドランド出身の大統領であるトルーマンとアイゼンハワーは、党派とは関係なくブロック内に対立競合を生まないように抑えることができた「妥協的候補者」だった
極西部は、対照的に、生活様式が依拠している連邦補助金の流れを維持しつつ、北部同盟の植民地的支配から逃れることが課題。ニューディールや第2次大戦、冷戦を通じて連邦政府の支出によってインフラが整備され、新しい産業が興された結果、1880年代に極西部が出現したから1967年までは北部同盟の票に同調していたが、6804年の間、大企業の利害に資するように連邦規制力を弱体化させるという共通の利害から、ディキシーと連携、ディキシーがリベラルな南部人を選んで保守派を拒否したとき以外はディキシーと共に行動。議会下院では減税を通し、医療改革や財政改革に反対、環境規制を後退。ただ、極西部は市民的自由を規制することに強く抵抗するリバタリアン的性格を帯びているため、ディキシーとの親密性は薄区、08年の選挙ではディキシーの政治綱領を支持した極西部の地元の息子マケインより北部の候補(オバマ)に投票するなど連携に亀裂が見え始める。共和党支持はほとんどすべての郡で衰退、「超保守的な」モンタナでさえマケインの勝利は薄氷の差
エル・ノルテは、20世紀後半まで他のネイションは、いずれどこかのネイションに吸収され、アメリカ先住民の道を辿ると目されていたが、ヒスパニックとの関係性において、ノルテーニョが再び政治や文化の主流になろうとしている。サンアントニオからロサンゼルスまでの知事、議会に代表を送り、合衆国最大の少数派となり、レコンキスタ(国土回復運動)の話題をもたらす。ニューメキシコではノルテーニョが過半数。ディキシーはノルテーニョの心を掴もうとしなかったので、エル・ノルテの活動家や政治指導者は北部人と連携、1988年以降の大統領選ではヤンキーダムに投票。ディキシーと極西部のポピュリストがメキシコ人移民の脅威を激しく煽っているので、エル・ノルテはしばらくの間北部ブロックを支持するだろう
1867年に創設されたカナダは、東方にはカナダの古い英語話者の社会とニューフランスがあり、中央にはミッドランド人が定住したオンタリオ南部とマニトバがあり、多元的で平和主義的な傾向を持つ。西経100度以西の極西部はサスカチュワン、アルバータ、ブリティッシュコロンビア内陸部、ユーコン、ノースウェスト準州南部にもリバタリアンの思想と資源採掘経済を持ち込む。西海岸はレフト・コーストの延長で、環境保全の意識が高い。インディアンに対するニューフランスの温和な態度の陰で、多くの北部先住民(カナダ人の用語ではファーストネイションと呼ばれる)は、いまや北アラスカからグリーンランドまでの伝統的な領土(カナダ大地)の過半に及ぶ地域に主権を再要求しつつあり、全てのネイション中で最大のネイションの出現を加速させている

終章
ネイション間の権力闘争は、将来にどのような意味を持つか ⇒ 合衆国はグローバルな卓越性を失いつつあるように見え、衰退する帝国の古典的な兆候を示してきている
膨大な対外貿易赤字と国債残高、軍事的に過剰な展開、国民総生産では金融サービス部門の割合と国政面では宗教過激派の役割を共に増大
メキシコ連邦は、さらに悪い状態にある ⇒ 麻薬の蔓延で、政治的にも経済的にも破綻状態にあり、エル・ノルテのメキシコ側半分が解放されて北方へと向かうのは容易に想像
亀裂の入ったカナダの状況は、ニューフランスが独立への動きを加速させたが、1つだけの優勢な文化を持つ国民国家という幻想を退けてきたがゆえに、3つの北アメリカの連邦国家の中で最も安定した連邦となっている
合衆国が現状維持を保てるかもしれない1つのシナリオは、諸ネイションがカナダと同様、統合のために様々な文化的懸案について妥協することだが、容易には実現しそうにない
恐らく各州にもっと権限を与えるか、中央政府の機能の多くを解体するために連邦議会で団結し、合衆国は存続するがその権力は国防、外交政策、州際通商協定に限定されるかもしれないし、州レベルでもテキサスやイリノイ、カリフォルニアなどは州がさらに分裂することも考えられる
確かなことが1つある ⇒ アメリカ人が合衆国を現在のような形で存続させたいのであれば、連合の基本的な信条を尊重するのが一番良いということ。公正かつオープンで効率的に機能するような中央政府の存在こそが合衆国を繋ぎとめている数少ない信条
カナダのファーストネイションは、地理的にはすべての中で断然最大のネイションで、共同性の強い社会、すこぶる強力な環境倫理を持ち温暖化が自分たちの生活様式を破壊するとして気候変動の闘いの先頭に立つ。グリーンランドは09年にデンマークから自治権を得てほぼ独立した存在となり、女性が過半の政治的地位を握る。このネイションは21世紀のグローバルな課題に向けて北アメリカ大陸や世界の他の諸国とはかなり違ったアプローチをとるだろう。すでに自分たちのネイション国家を次々に建設しようとしている






11の国のアメリカ史(上・下) コリン・ウッダード著 地域性で解く分裂のリスク
2018/1/6付 日本経済新聞
 アメリカには11もの国がある。単一のアメリカなどない。これが本書の主張である。「国」はネイションということばで表現される概念であり、主権の有無と関わりなく、固有の歴史・民族・文化・価値観を共有する地域である。本書では、アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ北部が視野に入れられている。
原題=AMERICAN NATIONS
(肥後本芳男ほか訳、岩波書店・各2900円)
著者は68年生まれ。米新聞社の欧州特派員を経てシカゴ大院修了。歴史家・ジャーナリスト。
書籍の価格は税抜きで表記しています
 その中でとくに重要なのは以下の国々である。(1)ヤンキーダム。急進的なカルヴァン派によって創造され、改革を求める道徳的社会的価値観を持つ。ニューイングランドからミネソタに至る州、そしてカナダの大西洋岸地域にまで広がる。(2)ミッドランド。政府の介入に懐疑的であるが、政治的見解は穏健。ペンシルヴェニア州東南部からカンザス州、そしてカナダのオンタリオ州南部までを含む。(3)大アパラチア。北アイルランドやスコットランド低地からの好戦的な入植者によって創設された地域が発祥だが、アパラチア山脈からテキサス州の一部にまで広がる。社会改革について懐疑的である。
 (4)深南部。長期にわたる白人優越主義の砦(とりで)。サウスカロライナからテキサスにおよぶ。(5)レフト・コースト。カリフォルニア州モントレーからアラスカ州ジュノーに連なる海岸地域。環境運動、同性愛者の権利運動などの拠点。(6)極西部。アリゾナからカリフォルニア、アラスカに至る内陸部。連邦政府の介入に反発する。
 アメリカの地域的多様性はよく知られているが、それは同時に政治的多様性も意味している。本書はこの点を教えてくれる。
 アメリカ政治の主導権は、これらの国々の連合によって左右される。かつて(1)は南北戦争で南部を圧倒したが、近年(4)を中心とする南部連合は(2)(3)(6)といった浮動勢力をうまく取り込めると(1)を中心とする北部連合に勝利できる。アメリカの分裂は、人種、宗教、信仰派と世俗派の対立、イデオロギーなどさまざまな角度から分析されてきたが、地域性との関係を認識することも重要である。
 最近の分断の特徴は、二大政党のイデオロギー的分極化と、地域的対立とが重なり合っていることである。著者が、アメリカは再び分裂する可能性があると指摘するゆえんである。今必要なのは、対立を煽(あお)るのでなく、妥協を促す指導者である。
《評》東京大学教授 久保 文明
(書評)『11の国のアメリカ史 分断と相克の400年』(上・下) コリン・ウッダード〈著〉
2018.1.14. 朝日新聞
 混沌のレース、行方やいかに
 アメリカ開拓レース、ゲートオープン!
 バラついたスタートになりました。まず先頭を奪ったのはスペイン産「エル・ノルテ」、しかし母国の衰運に引きずられて早々に失速です。ついでフランス産「ニューフランス」、イギリス紳士「タイドウォーター」。
 なんとピューリタン発「ヤンキーダム」が伸びてきました。新社会建設の理想に燃え、多数の学校を設立して教育力を武器に、みるみる加速しています。負けじとドイツ農民「ミッドランド」は家族経営で手堅く、イギリス辺境民「アパラチア」はダート向きの荒々しい走りで追います。
 独立戦争コーナー通過。各馬足並み揃(そろ)わず、相互に駆け引きをしながら、連邦型のゆるい馬群を形成しています。あ、「ニューフランス」、カナダ方面へコースアウトですね、残念。
 ここで大外を回って「ディープサウス」、奴隷が生み出す砂糖と綿の富を力に、たくましい馬体がぐいぐい先頭に並びかけます。
 南北戦争コーナー通過。「ヤンキーダム」、ハナ差リード。「ディープサウス」は進路を「アパラチア」に遮られて怒っています。独立不羈(ふき)の「アパラチア」がお節介(せっかい)焼きの「ヤンキーダム」に味方するとは予想しなかったのでしょう。
 世界大戦コーナー通過。アメリカは世界に打って出るべきか。積極派の「ディープサウス」は「アパラチア」と折り合い、慎重派の「ヤンキーダム」は「ミッドランド」に西海岸の「レフト・コースト」も巻き込んで、競り合いが続きます。
 21世紀到来。おっと序盤で失速した「エル・ノルテ」が、メキシコの破綻(はたん)を吸収して盛り返してきました。
 ごらんの通り、アメリカは400年間、出自も主義も異にする11の勢力が併走し、合従連衡と叩(たた)き合いを繰り返してきたのです。混沌(こんとん)きわまるレースの行方やいかに。合衆国というゆるい結び目は、ほどけてしまうのか? 世界の未来がかかっています!
 評・山室恭子(東京工業大学教授・歴史学)
     *
 『11の国のアメリカ史 分断と相克の400年』(上・下) コリン・ウッダード〈著〉 肥後本芳男ほか訳 岩波書店 各3132円
     *
 Colin Woodard 68年生まれ。米国の歴史家・ジャーナリスト。本書は11年に本国で刊行、話題になった。


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