世界を分断する「壁」  Alexandra Novosseloff/Frank Neisse  2017.11.24.

2017.11.24. フォト・ドキュメント 世界を分断する「壁」
Des Murs Entre les Hommes

著者
Alexandra Novosseloff パリ第2大学で政治学博士号取得。同大付属の国際関係分析研究所「チュシディッドセンター」などの研究員として、主に国際連合、平和維持活動を専門とする。現在、ニューヨーク大国際協力センターの招待研究者。紛争後の地域の写真を撮るカメラマンでもある。www. alexandranovosseloff.com
Frank Neisse 政治学、国際関係学の修士号取得。0108年の間、バルカン半島や西サハラにおいて、国際連合の平和維持軍活動や欧州連合の危機管理ミッションの政治・軍事顧問として現地に滞在。09年から欧州連合関係機関で働き、現在は欧州対外行動局のスタッフ

訳者 児玉しおり 神戸市外大英米学科卒。神戸大文哲学科卒。89年渡仏、パリ第3大学現代仏文学修士課程修了。在仏邦字紙の編集者を経て、現在はフリーの翻訳家・ライター。パリ郊外在住


発行日           2017.6.30. 第1
発行所           原書房


  序文                   ミシェル・フシェ(地理学者、外交官)
壁そのものについての記述というよりも、壁を建設した国家と壁との関係、壁の恩恵あるいは負の影響を被る人々と壁との関係を分析
地球規模にすると壁の長さは陸地の国境の34%に過ぎないが、人々の心に占める重みは大きいというコントラストは印象的 ⇒ 壁が持つ象徴的な意味が大きいゆえ
衝撃的なのは、しばしば民主的国家によって一方的に壁が建設されていること
壁は、線を引く境界作りと定義される ⇒ 断絶と外に出ることを禁じる機能を備えた禁止の形態の1
機能面からの分類:
    領土紛争の壁やフェンス ⇒ 紛争に終止符を打ち、安全を確保しつつ境界線を引く機能
    領土問題のない国家間の壁やフェンス ⇒ 民族的、人口的、政治的な緊張状態がある
    軍事紛争後のフェンス
    移民防止フェンス
9つの壁の状況からいくつかの定理が明らかになる:
    壁やフェンスの建設とその強化が続いている
    壁をすり抜ける手段が普及し、繁栄する北への移民流入は増加
    最新テクノロジーを使った安全保障システムの技術移転がイスラエルからアメリカやインドに伝播
    トルコ系キプロス住民が「認知されないヨーロッパじん」と自認しているように、分離がアイデンティティ定義の社会的要素としてしばしば作用する
壁やフェンスに対する批判的考察が、境界の政治的・社会的機能についての分析を何ら損なわないことがわかる

  イントロダクション
初版は2007年。以後壁の建設は増加
取り上げた9つは「恥の壁」

  二つの朝鮮の間の非武装地帯――時を超えた空間
建造年:1953、長さ:241km、高さ:23m、使用材質:有刺鉄線、金網、監視所:韓国側131カ所、北朝鮮側337カ所、駐留人員:韓国側414千、北朝鮮側70万、関係住民:北朝鮮人と韓国人
一部の観光地を除き、完全な軍事ゾーンで近寄れない
両者間は法律でコミュニケーションが禁止

  キプロスのグリーンライン――ヨーロッパにおける分割
建造年:1974、長さ:180km、幅:20m7km、使用材質:有刺鉄線、建物、砂袋、ドラム缶、駐留人員:国連平和維持軍850人、キプロス国防軍12千、トルコ軍21千、関係住民:ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人
年間342日晴れ、観光客250(住民の2倍以上)、キュプロスとは銅の意、BC11世紀以来支配され続けた島
1930年代からギリシャ系とトルコ系2つのコミュニティのナショナリズムが台頭
64年以降、ニコシアの緩衝地帯は国連軍の居住地
2004年分割されたままEU1つのキプロスとして加盟 ⇒ トルコ系住民は「権利を持たない欧州連合人」と見做されキプロス共和国のEUパスポートを持つ

  ベルファストの「ピースライン」――街中の壁
建造年:1969、長さ:ベルファスト市内各所に総延長21km、高さ:614m、使用材質:金網、コンクリート、駐留人員: 北イングランド警察(非常駐)、関係住民:カトリック教徒のナショナリスト並びにプロテスタントのユニオニスト
紛争が激化した70年代に一時的な措置として急ごしらえで造られたものが多い
市内の空間的分割は国民としてのアイデンティティや宗教に基づいているし、使われる語彙すら地区によって異なる
紛争は17世紀に遡る ⇒ アイルランド北部を支配していたイングランド王国が17世紀に20万のプロテスタント教徒を入植させ、アイルランドの肥沃地の大部分を没収したことから対立が始まる、アイルランド人は常にローマ教皇に忠誠を誓う
1960年代末、アメリカの公民権運動に触発された二流市民で基本的人権すら認められていなかったナショナリストが北アイルランド公民権団体を設立し、平等の権利を求めて闘争を開始 ⇒ 「ザ・トラブルズ」の時代の始まり

  西サハラの土手――西サハラ砂漠の砂の壁
建造年:1981、長さ:2,000km、使用材質:砂土手、地雷原、駐留人員:モロッコ軍10万、ポリサリオ戦線56千、関係住民:西サハラ人とモロッコ人
1884年以来植民地としていたスペインのフランコ政権が1975年放棄、長年にわたって領有権を主張していたモロッコに2/3、残りの1/3をモーリタニアに譲渡する旨の合意を両国と交わす
元々モロッコの君主と西サハラに住むいくつかの部族とは従属関係にあったことから、モロッコ国王は「緑の行進」として35万のモロッコ人により西サハラを占領させる
スペインの植民地支配に反対して西サハラ住民によって結成されたポリサリオ戦線は。モロッコの占領を阻止できず、とりあえずアルジェリアに避難、いまだにそのまま難民キャンプでの生活を続けたまま、サハラ・アラブ民主共和国として独立を宣言。国連総会の非植民地化特別委員会に登録されているアフリカ大陸唯一の地域で、アフリカ最後の植民地
ポリサリオ戦線はソ連の支援でモロッコ軍への挑発行動を開始、モロッコは米仏の支援で81年から段階的に砂や石の壁を建造。ポリサリオ戦線はこの壁を「恥の壁」と呼ぶ

  インドとバングラデッシュとの間の囲い込みフェンス――ベンガル地方のど真ん中にある傷跡
建造年:19892010、長さ:2,760km、高さ:2.5m、使用材質:電気柵、有刺鉄線、コンクリート、駐留人員:インド国境警備隊、バングラデッシュ国境警備隊、関係住民:インド人とバングラデッシュ人
19世紀初めのインド近代化の中枢であるベンガル地方を真っ二つに分断
大英帝国支配の終焉の6か月前にわずか6週間で英総督によって決められた ⇒ ヒンドゥー教徒が大多数の地域とイスラム教徒が大多数の地域の間を線引き、その東側は56年に東パキスタンとなり、71年にはバングラデッシュとして独立
この分割は、虐殺と難民をもたらす ⇒ 71年の独立戦争では100万人が死亡、400万人がインドに移住
インド領内にバングラデッシュを囲い込む国境で、総延長4,096km、境界線のはっきりしない部分が残り、世界で最も複雑な国境の1つ ⇒ 人々は頻繁に国境線を行き来する世界一穴だらけの国境

  アメリカーメキシコ間の国境――「メックスアメリカ」の移民防止壁
建造年:1994、長さ:2,500km、使用材質:金網、波状トタン板、有刺鉄線、駐留人員:国境警備隊21千、州兵、民兵組織、安全保障関係の連邦政府機関、関係住民:メキシコ人とアメリカ人
国境線3,200kmは、世界で最も頻繁に通過される国境
最初のフェンスが設置されたのは、米墨自由貿易地域創設についての交渉がスタートした1989年 ⇒ 移民流入制限が目的

  メリリャとセウタの有刺鉄線――モロッコにある壁に囲まれたスペイン飛び地
建造年:1933~、長さ:メリリャ12km、セウタ8km、高さ:6m、使用材質:有刺鉄線、金網、駐留人員:スペイン治安警備隊、モロッコ軍、関係住民:スペイン人、モロッコ人、サハラ砂漠以南からの移民
メリリャは400年前からモロッコ内のスペインの飛び地領。オスマン帝国に対抗して、地中海の商業ルート保護のため北アフリカ海岸に征服地を確保していたが、18世紀にはセウタとともに流刑地となり、普通の町に戻ったのは20世紀初めになってから
境界の外の町との間の商取引や往来は絶え間なく、混沌としている

  カシミールの電気柵――インドとパキスタンの間にある「管理ライン」
建造年:20023、長さ:550km、使用材質:有刺鉄線付き電気柵、駐留人員:アサド・カシミールのパキスタン兵3万、ジャンムー・カシミールのインド兵45万、関係住民:パキスタン人、カシミール人、インド人
2,912kmに亘る両国間が夜間ずっと証明に照らされる世界で唯一の国境
唯一両国から正式に認められた通過点がワガ
パキスタンからの過激組織メンバーの侵入を防ぐためにインド政府が2002年から建造した電気柵は、「アジア版ベルリンの壁」とも呼ばれる
ワガの北方に両国間の対立の原因となったカシミール地方があり、70年にわたって放置されたまま ⇒ 大英帝国の解体に伴って解決困難な紛争となったカシミール問題は、国際連合の安全保障理事会が最初に扱った案件
「世界で最も一触即発の危険性がある地」であり、「世界で最も危険な地」となった
イスラム教徒の国の建設を望んだパキスタンの分割・独立によって、双方各600万に上る膨大な数の住民が移住を余儀なくされ、それが暴力や虐殺を伴い死者は50万以上という
インド独立の際、カシミール藩王国はどちらかに帰属を決めなければならなかったが、あわよくば独立をと狙ったため、パキスタンが侵入、それに伴い藩王国はインドに帰属を決めるも、中国まで加わった関係国が領有権を主張して紛争は泥沼化 ⇒ インド60%、パキスタン30%、中国10%で、帰属を決める住民投票は行われないまま
2002年以降緊張緩和により両国が管理ラインにおける停戦を宣言 ⇒ ワガにおける両国警備兵の舞夕刻の交代儀式は観光名物になっている
両国間の貿易取引もワガの境界線を挟んで手渡しで行われる

  パレスティナの壁――安全確保から分断へ
建造年:2002.6.から、長さ:予定710km15年時点で456km、使用材質:コンクリート、電気柵、有刺鉄線、駐留人員:イスラエル軍、関係住民:パレスティナ人、イスラエル人入植者
パレスティナ問題は、第1次大戦後からイギリスの統治下にあったパレスティナの「2度約束された地」の分割計画から生まれた ⇒ 1947年国連で加盟57か国のうち33か国がパレスティナ「分割」とイスラエル建国に賛成。アラブ人の国とユダヤ人の国を作り経済同盟で結ぶという計画
ユダヤ人国家とされた地域にはユダヤ人(558)と同じくらいのアラブ人(455)が居住していたが、48年イスラエル独立とともにアラブ人の強制排除政策を実行
イスラエルにいたパレスティナ(アラブ)難民の数は726千に上り、今日では700万とも言われ、世界最大の難民
イスラエル人がパレスティナ自治区に入ることは原則禁止、パレスティナ人にはより厳しく、ガザ地区に行くにはイスラエルの許可が必要だし、外国に行くにはヨルダンからしか行けない
歴史的パレスティナの地には、610万のユダヤ人と630万のパレスティナ人(イスラエルに170万、ガザ地区に180万、ヨルダン川西岸地区に280)が住むが、2つの民族は決して交わらない
分離壁は、地区ごとにばらばらに建造され、イスラエル軍が勝手に土地を接収し、多数のパレスティナ人労働者を使って建設を進め、土地をイスラエル領土に併合
国連統治のエルサレム市内での両者の争いが頻発 ⇒ パレスティナ人の貧困率が高く、基本的な公共サービスも市内東部のパレスティナ人地区では行われないところから不満が高まる








(ひもとく)「壁」を考える 分断の現場から想像力広げる 今福龍太
20179170500分 朝日
 境界とは曖昧(あいまい)な存在である。それが「分断」する、といえば力にまかせた暴力的な装置に思えるが、「横断」する、といえば横にたち切るという意味よりは、むしろ異なった領域を超えてつながる、という創造的な意味になる。こうした正反対の用法に開かれていることこそ境界の多義性ゆえである。人間は無数の境界を社会生活の中に引きながらも、それをただの障害とは考えず、意識の跳躍の足がかりにして、境界を越えて往(い)き来する自由を探し求めて来た。
 世界が内向きに
 しかしいま境界をめぐる私たちの思考は、人々を分断する強圧的な「壁」の問題に集約されているように見える。トランプ米大統領の、メキシコとの国境線すべてに壁を建設するという極端な公約が象徴するように、政治の世界での内向きの国家主義が他者を排斥し、自らの安全を確保する「壁」の存在を肯定する動きが強まっている。
 『世界を分断する「壁」』は、国連平和維持活動に深く関わった二人による、現代世界のさまざまな「壁」の実態とその由来を鮮やかな写真とともに報告する貴重な一冊である。
 そこで紹介される「壁」にはさまざまな類型がある。領土紛争による壁(西サハラの砂の「土手」やインド・カシミールの「電気柵」)、領土問題のない国家間の壁(北アイルランドの「ピースライン」やインドバングラデシュの「囲い」)、軍事紛争後のフェンス(南北朝鮮の間の非武装地帯キプロスを二分する「グリーンライン」)、そして移民防止壁(アメリカメキシコ国境の壁、モロッコ北部スペイン飛び地のフェンス)など。その素材もコンクリート、ブロック塀、金属フェンス、有刺鉄線、果ては砂の土手やドラム缶まで、おどろくほど多様である。
 理解を育む努力
 世界の「壁」の現状を知ると、どこかで不条理な感覚が襲う。その理由はおそらく、壁が自らの論理によって自らを維持する自閉的なシステムであることを、私たちが直感するからだろう。それは恐れから生まれ、暴力を恐れてさらなる暴力を生む防護壁であり、結局は人間の頭のなかにある壁の、現実への反映にすぎない。人間が自らの心理的な壁を壊す勇気を持っているかぎり、現実の壁もまた必ず崩れる。そう信じつつも、現実の壁の建設をやめることができない人間たち。この矛盾こそが「壁」の問題の本質である。
 壁に阻まれつつ、それを越えて横断的な理解を育もうとする努力は地道に続けられている。イスラエルが不当な占領を既成事実化するために造った「分離壁」によって、買物(かいもの)や通学や病院にも行けず、日々爆破に怯(おび)えるパレスチナの民。その日常の細部を活写したルポルタージュ『ぼくの村は壁で囲まれた――パレスチナに生きる子どもたち』も、状況を知ることで生まれる相互理解への希望を語る。
 あるいは「壁」にたいする芸術家による反応の刺激的な例として注目の写真集が、昨年アメリカで出版されたミズラックとガリンドによる『Border Cantos(ボーダー・カントス)』である。ここには、アメリカメキシコ間の長大なボーダーの意外な文化景観の意味をミズラックの写真映像をつうじて探究し、そこに写された国境地帯のさまざまな遺物を素材に作られた不思議な「楽器」を作曲家のガリンドが演奏して国境地帯の「音」や「声」を象徴的に再現する、という刺激的なプロジェクトの全貌(ぜんぼう)が示されている。
 越境者とは単なる「不法入国者」ではない。一人一人の生存を賭けた物語を私たちはいかに「聴く」ことができるのか。物理的な「壁」のイメージに限定された私たちのボーダーへの想像力を哲学的・詩的に広げる、刺激的な本である。
 いまふく・りゅうた 文化人類学者 55年生まれ。『ボーダー・クロニクルズ〈パルティータ4〉』など。





壁が世界を分断する? ジェームズ・ホリフィールド氏×木村草太氏 朝日地球会議2017
20171020500分 朝日
 移民 国が守り、繁栄につなげる
 グローバル化が進み、国境を越える人の移動が加速する一方、世界各国で移民に否定的な政治家や政治運動が躍進し、「壁」を築こうとする。この分断に、どのように向き合えばいいのか。
 移民研究で知られる米サザンメソジスト大のジェームズ・ホリフィールド教授は、「社会や経済が開放されなければ、繁栄しない」という考えと、「個人が守られ、権利が保障されなければならない」という要望がぶつかり合っていると分析。「リベラル主義の二つの側面の衝突を、どのように解決するのかがジレンマだ」と述べた。
 経済や貿易と異なり、移民を地球規模で管理、調整する機構はない。「開放性、グローバル化に対する反動」としてポピュリズムが各国で広まり、米国ではトランプ大統領の当選にもつながったとみるホリフィールド氏は、「各国の政府が移住者に、どのような地位や権利を与えるのかが、非常に複雑なゲームになっている」と語った。
 日本にも詳しいホリフィールド氏は、国内の状況についても言及。「小売店や建設現場、老人ホームなどで多くの移住労働者が働いている」と、日本も「移民社会」になりつつあると指摘したうえで、移住者をめぐる議論が1970年代のドイツに似ていると発言。「当時、ドイツは決して移民国家にならないと言っていたのに、現在は多くの人を受け入れている」と話した。
 続いて登壇した木村草太・首都大学東京教授は、日本の外国人政策について問題を提起。憲法学では、普遍的な価値を世界的に保障することが難しいため、「主権国家がそれぞれの領域で保障する」という考え方が国境の出発点になっているにもかかわらず、日本の判例では外国人の権利が制限されている例を紹介し、「国境がまさに壁となり、人権が保障されていないと感じる」と述べた。
 こうした現状を踏まえ、ホリフィールド氏は、移住者の権利の保障の重要性を訴えた。労働のために外国人を受け入れながら、定住や国籍取得の権利を阻害すれば、「国家としてより不安定な状態になる」と警告。各国が検討すべき課題としつつ、高齢化の進む日本は「特に法整備の必要があるだろう」と提言した。
 会場からは「物理的な壁には、どんな意味があるのか」という質問も出た。ホリフィールド氏は米国について「非合法移民と言われる人たちの大半は、不法に国境を越えたのではなく、合法的なビザで入国し、そのまま滞在している」と説明。「壁を建設する」という主張が政治家にとっては効果的でも、実際に壁を建設することの効果は「ほとんどない」と答えた。
     *
 <ジェームズ・ホリフィールド氏> 米サザンメソジスト大教授 専門は国際政治経済学、人の国際移動研究。移民研究で世界的に知られ、欧米各国政府や国連、世界銀行などの顧問を務める。
     *
 <木村草太氏> 首都大学東京教授 1980年生まれ。東大法学部卒業後、同大助手、首都大学東京准教授を経て現職。2016年4月から朝日新聞論壇委員。


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