ポピュリズムとは何か  水島治郎  2017.11.23.

2017.11.23.  ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か
  
著者 水島治郎 1967年東京都生まれ。東大教養卒。99年東大大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。甲南大助教授、千葉大法経学部助教授を経て、現在千葉大法経教授。専攻はオランダ政治史、ヨーロッパ政治史、比較政治

発行日           2016.12.25. 発行
発行所          中央公論新社(中公新書)

イギリスのEU離脱、反イスラムなど排外主義の広がり、トランプ大統領誕生……世界で猛威を振るうポピュリズム。「大衆迎合主義」とも訳され、民主主義の脅威と見られがちだ。だが、ラテンアメリカではエリート支配から人民を解放する原動力となり、ヨーロッパでは既成政党に改革を促す効果も指摘される。一方的に断罪すれは済むものではない。西欧から南北アメリカ、日本まで席巻する現状を分析し、その本質に迫る


はじめに
先進各国でポピュリズム政党の伸長が始まったのは、2014年欧州議会選挙 ⇒ 反EU、既成政党を非難、排外主義、メディア活用により直接人々に訴える政治スタイル
イギリスでは、2016年のEU離脱を問う国民投票で勝利
日本では、2012年の橋下率いる維新の会の躍進
アメリカでは、2016年の大統領選挙でのトランプの圧勝
本書では、ポピュリズムを理論的に位置付けたうえで、ヨーロッパとラテンアメリカを主たる舞台とし、日本やアメリカ合衆国にも触れながら、ポピュリズム成立の背景、各国における展開と特徴、政治的な影響を分析。ポピュリズムの持つ多面性、その功罪を明らかにすることで、現代デモクラシーの「隘路」としてのポピュリズムの姿を明らかにする
ポピュリズムとは、デモクラシーに内在する矛盾を端的に示すものではないかということを提起したい ⇒ 現代デモクラシーを支える「リベラル」な価値、デモクラシーの原理を突き詰めれば詰めるほど、結果としてポピュリズムを正統化する
現代デモクラシーは、自らが作り上げた袋小路に迷い込んでいるのではないか
ポピュリズム研究に新境地を開いた政治学者マーガレット・カノヴァンによれば、「ポピュリズムは、デモクラシーの後を影のようについてくる」という。デモクラシーの成立と発展こそがポピュリズムの苗床となったとすれば、ポピュリズムなきデモクラシーはありえないのだろうか

第1章        ポピュリズムとは何か
かつてのポピュリズムは、少数派支配を崩し、デモクラシーの実質を支える解放運動として出現 ⇒ 19世紀末の合衆国、20世紀のラテンアメリカ諸国を典型として、既成の政治エリート支配に対抗し、政治から疎外された多様な層の人々の政治参加と利益表出の経路として、ポピュリズムが積極的に活用された
ポピュリズムの持つ二面性 ⇒ 当初は「解放の論理」として現れ、現代では排外主義と結びつき「抑圧の論理」として席巻
1の定義 ⇒ 固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル
2の定義 ⇒ 「人民」の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動(カノヴァン)
本書では第2の定義をとる ⇒ 現代のポピュリズムは「下」からの運動に支えられている側面を重視
特徴 その1 ⇒ 主張の中心に「人民」を置く:「普通の人々」「一体となった人民」「われわれ人民」
特徴 その2 ⇒ 「人民」重視の裏返しとしてのエリート批判
特徴 その3 ⇒ 「カリスマ的リーダー」の存在
特徴 その4 ⇒ イデオロギーにおける「薄さ」。具体的な政策内容による定義は困難
ポピュリズムの主張の多くは、実はデモクラシーの理念そのものと重なる面が多い
ポピュリズム政党が標的とするのは、代表制民主主義(間接民主主義)
近代デモクラシーの2つの解釈である「立憲主義的解釈」と「ポピュリズム的解釈」の間には常に緊張関係が存在し、いずれをとるかでポピュリズムへの評価が変わる ⇒ 立憲主義的解釈とは自由主義の伝統を擁護する立場でありポピュリズムを警戒し、後者の民主主義の伝統を擁護する解釈ではポピュリズムに「真の」民主主義を見出す

第2章        解放の論理――南北アメリカにおける誕生と発展
1892年 合衆国に人民党(People’s Party)設立、党員はポピュリストと呼ばれ、ポピュリズムの語源 ⇒ 格差拡大により2大政党からも取り残された農民や労働者層の不満をまとめ上げ、そこに社会改良運動、禁酒運道などを加味して結党したが、支持層は農業州の白人男性に限られたため、凋落も早かった
1930年代以降のラテン諸国では、カリスマ的支配者の下、寡頭支配に対抗して、中間層や労働者、農民など多様な支持層を背景に躍進 ⇒ アルゼンチンのペロンが代表例

第3章        抑圧の論理――ヨーロッパ極右政党の変貌
現代ヨーロッパのデモクラシーが、1990年代以降ポピュリズム躍進の舞台となった理由
    グローバル化やヨーロッパ統合の進展、冷戦の終焉といったマクロな変化の中で、既成政党の求心力が弱まり、政党間の政策距離が狭まった
    政党を含む既成の組織・団体の弱体化と「無党派層」の増大
    グローバル化に伴う社会経済的な変容 ⇒ 格差拡大
ヨーロッパで伸長しているポピュリズムの特徴
    マスメディアを駆使して無党派層に広く訴える政治手法
    デモクラシーに対する姿勢の変化 ⇒ 直接民主主義を主張
    政策面における福祉排外主義 ⇒ 福祉の充実は主張し、移民は排除

第4章        リベラルゆえの「反イスラム」――環境・福祉先進国の葛藤
2015年初より、イスラム過激派による事件頻発を機に、反イスラムを掲げて支持を集めたのがヨーロッパ各国のポピュリズム政党
デンマークは、障碍者をめぐる「ノーマライゼーション」を進めた福祉先進国であり、風力発電が発達した環境先進国
オランダは、21世紀初頭には時短と賃金抑制をセットにしたいわゆる「ワーク・シェアリング」の発祥の地、「オランダ・モデル」の国として知られ、最近ではワーク・ライフ・バランス政策や同一労働同一賃金を進めた国
両国では反移民を掲げるポピュリズム政党が躍進、政権に協力し影響力を与えた結果、移民・難民政策が大幅に厳格化されている
両国のポピュリズム政党は明らかに極右とは距離を置き、デモクラシー的諸価値を前提として成立した政党であり、近代西洋の「リベラルな価値」を前提とし、政教分離・男女平等を訴える一方で、「近代的価値を受け入れない」移民やイスラム教徒への批判を展開、いわば近代啓蒙主義を受け継ぐものとして「リベラル」を称し、そのリベラルな価値を突き詰めることで移民排除を訴える

第5章        国民投票のパラドクス――スイスは「理想の国」か
近代ヨーロッパの育ててきたもう1つの政治的価値であるデモクラシーに着目し、その「民衆による支配」を語源とするデモクラシーの論理を究極的に体現した国民投票が制度化されたスイスで、国民投票制度を梃子としてポピュリズム政党が伸長してきた
07年国民議会選挙の際のスイス国民党のポスター ⇒ 「安全を確保しよう」という標語とともに、スイス国旗の上にいる白い羊が黒い羊を後ろ足で蹴って国旗の外に追い出す絵を掲載。90年以降反移民・反外国人政策を掲げて急伸、07年得票率史上最高の29%で第1党となる。直接民主主義の象徴である国民投票の制度こそがポピュリズム躍進の最大の武器になった
スイスが統一されたのは1847年、独仏伊3か国語が存在、カントンという20の州と6つの準州の自発的な同盟に起源を持つが、中央集権的な権力に対する警戒感から中央政府の行動を抑える制度的仕組みとして導入されたのが国民投票で、現在では、①国の根幹にかかわる重要事項については「義務的国民投票」が、②法律や条例などについては「任意的国民投票」が、③10万人以上の署名で憲法改正が発議された際は「国民発案(イニシャティブ)」という3通りの国民投票があり、過去①については1/3が、②については1/2近くが否決されているところから、政府の暴走に対する一定の歯止めにはなっている。なお、①と③についてはダブル・マジョリティといって過半数の州の賛成も必要

第6章        イギリスのEU離脱――「置き去りにされた」人々の逆転劇
2016.6.23.EU離脱の是非を問う国民投票で、独立党が中心となって起こした離脱キャンペーンが奏功して離脱支持派が勝利 ⇒ ポピュリズムの影響を受け、「デモクラシー」の論理を突き詰めて国の行く末を決することの功罪をまざまざと示した
「置き去りにされた」人々の「声なき声」を代弁したポピュリズムが、EUと世界に突き付けた問いは重い
独立党は1993年発足の欧州懐疑派の政党。当初は泡沫政党だったが、EU設立のためのマーストリヒト条約参加に反発した辺りから急速に支持を伸ばし、99年欧州議会選挙では得票率7%当選3名、04年には16%当選12名を出し注目
当初の反EUの単一争点から基幹産業衰退から地盤沈下した地方の労働者層、農村部での既存政治への不満を吸収して支持を拡大 ⇒ 反EUの保守層と、既存政党への不満層の両者が混在
2000年代に広まった「チャブchav」たちの不満 ⇒ 労働者階級出身の粗野な若者層に対する侮りを込めた言葉。ベッカムもチャブ出身(チャブ・リッチ)
21世紀のイギリス政治で露となったのは、保守党対労働党という20世紀型の2大政党間の対立というよりは、中間層の支持集めに汲々とする既成政党と、「置き去りにされた」人々との断絶 ⇒ グローバルに活躍するヨーロッパ志向のエリートが進めるEU統合が、「置き去りにされた」人々にとっては蔑ろにされたと見做された

第7章        グローバル化するポピュリズム
2016年のトランプ旋風は、ポピュリズムのグローバル化を示すもの
ラストベルトと呼ばれるウィスコンシン、オハイオ、ペンシルベニアなどは、大統領選の鍵を握る激戦州で、経済の衰退、失業・貧困の増加に不満を爆発させた「虐待されたプロレタリア」「衰退地域の白人労働者」がトランプ勝利の原動力となった
イギリスのケースと酷似
フランスの国民戦線 ⇒ 極右的な遺産を払拭し、ユーロクラット(EU官僚)によって置き去りにされた民衆に配慮、さらにイスラム批判に重点を置くことで支持を拡大
ドイツでは、元々議席獲得には得票率5%以上など小党乱立を防ぐ選挙制度があり、反民主的政党は禁止、右派的主張を政党が掲げることに法的な制約があったため、ポピュリズム的な新党の出現は困難だったが、2013年誕生の「ドイツのための選択肢AfD」がEU批判、特に金融・通貨政策への不信から過重債務国への金融支援に反対し、16州のうち8州で議席を確保するなど躍進、それとともに反移民、反イスラムなどの排外主義的な主張も強まる
ラテンアメリカでも21世紀に入るころからポピュリズム的な政治勢力が再登場、特にベネズエラ、ボリビア、エクアドルなどで、「解放」型の左派ポピュリズムを生む土壌から「分配」志向のポピュリズムを求める圧力が高まり、既得権益を批判した貧困層の強い支持を背景にポピュリズム政権が誕生 
  ポピュリズムと「リベラル」な「デモクラシー」との親和性 ⇒ 現代のポピュリズム政党は「リベラル型」に収斂。「デモクラシー」の基本的な価値の枠内で既存政治を批判
  ポピュリズムは一過性のものではなく、ある種の持続性を持った存在 ⇒ 初代のカリスマはほとんどいなくなったが、適任の新リーダーが輩出して一層の伸長を果たす
  ポピュリズムが現代政治に与える「効果」 ⇒ ポピュリズム政党が野党にとどまる限りは、政策的な影響力は限定されるが、既存政党の改革を促す等デモクラシーの信頼回復や政治の「再活性化」に貢献する可能性がある
現代のデモクラシーが、ポピュリズムを使いこなせるほど成熟していると言えるのか
ポピュリズムは、ディナー・パーティの泥酔客のような存在 ⇒ 時に公然の秘密に触れたり、隠されていた欺瞞を暴く存在でもあったりする


ポピュリズムとは何か
2017.10.27. 朝日
(ひと)水島治郎さん ポピュリズム研究で石橋湛山賞を受賞した千葉大教授
 受賞作「ポピュリズムとは何か」は、既成政党を批判する新興勢力がなぜ欧米で躍進したかを解き明かす。大衆迎合的な民主主義への脅威と切り捨てず、「政治から排除されてきた集団の参加を促した」とプラス面にも着目する。
 2014年5月の欧州議会選挙を見て「いずれ大国に波及する」と予測。2年かけて各国の政治潮流を分析した。出版が、トランプ氏が米大統領選で勝った直後の昨年暮れに重なり、注目された。
 小学生のとき、慶応大教授だった父ががんで逝去。同僚らが「遺児募金」で進学を支えてくれた。「人と人との支え合いの大切さを知りました」。カトリック系の中学、高校で各国出身の神父らに出会い、世界への目が開かれた。大学で政治学、特に欧州の福祉国家研究を志すきっかけとなった。
 北欧は先行研究が多かったのでオランダに留学。時代の流れに敏感で同性婚や安楽死など先駆的政策をとり、政治的変化も大国に先んじて現れる国と知った。
 授賞式では「小国のオランダを研究する者として、日本の大国化を戒め、小国主義を提唱した石橋湛山の名を冠した賞は励みになる」とあいさつした。
 指導するゼミ生らは海外の政治動向を学びつつ、商店街で祭りに参加し、まちづくりに取り組む。人と人とのつながりと政治学の接点をともに探求している。
 (文・北野隆一 写真・相場郁朗)
    *
 みずしまじろう(50歳)


Wikipedia
ポピュリズム(: populism)とは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことである[1][2][3][4]。日本語では大衆主義や人民主義[5]などのほか、否定的な意味を込めて衆愚政治や大衆迎合主義[6][7]などとも訳されている。
また、同様の思想を持つ人物や集団をポピュリスト(: populist)と呼び、民衆派や大衆主義者、人民主義者、もしくは大衆迎合主義者などと訳されている。
歴史[編集]
「ポピュリズム」の用語は「ラテン語: populus(民衆)」に由来し、通常は「エリート主義」との対比で使用される[8][9]
古代ローマでは「populus」は「ローマ市民権を持つ者」の意味であったが、ポピュリスト達は「民衆派(大衆派)」とも呼ばれる事実上の党派となり、ティベリウス・グラックスガイウス・マリウスガイウス・ユリウス・カエサルアウグストゥスなどは、元老院を回避するために民衆に直接訴えて市民集会で投票を呼びかけた[10]
19世紀にヨーロッパで発生したロマン主義は、従来の知識人中心の合理主義や知性主義に対抗し、大衆にナショナリズムやポピュリズムの影響を与えた。1850年から1880年のロシア帝国では、知識人(知的エリート)に対立する運動として現れた[11]
1860年代のロシアのナロードニキ(人民党、大衆党)は、小作農を主体とした革命を提唱した。
19世紀末のアメリカ合衆国では、人民党(通称ポピュリズム党)が既成の支配層である鉄道や銀行を攻撃し、政治思想としての「ポピュリズム」が広く知られるようになった。以後もアメリカでは、マッカーシズムや、2000年代のティーパーティー運動などがポピュリズムと呼ばれた。
1930年代のイタリアファシズム運動[12][13][14]ドイツナチズム[15]アルゼンチンフアン・ペロン政権[16]などは、既存のエリート層である大企業・外国資本・社会主義者・知識人などに強く反対し、大衆に対して雇用や労働条件向上を実現する変革を直接訴えたため、ポピュリズムと呼ばれる場合が多い。
アルゼンチン[編集]
アルゼンチンは財政や経済の仕組みなどを無視して、国民に受けがいいポピュリズム政策による短期的な成長とその後の長期的な経済破綻によって先進国から発展途上国へ転落した唯一の国である。戦後直後は先進国であったが、ペロン大統領が人気取りのために外資含めた企業国有化、過度な労働者や組合保護、一次産品主導型の経済、そして福祉へのバラマキで財政無視の放漫財政をした。このような国家の現実を無視した政策はすぐに破綻して、国家資産を使い果たして戦前からの先進国から転落した。ペロンの死後も財政無視の福祉の国家負担やペロンの残した労働組合の強さで投資のしづらい国となり企業が利益が減少し続けた。企業が儲からないため、国内の経済悪化による対外債務の急増で大規模な金融危機を起こしてデフォルトに陥っている。民主主義国家なために、今でも政治家が「人気取り」で多数派の票を集めるために歳入に合わない福祉維持を増加させて財政赤字と対外債務の膨張、悪性インフレを起こしているなど典型的なポピュリズムによる悪影響が出ている[17][18] [19]
概念[編集]
ここ数世紀の学術的定義は大きく揺れ動いており、「人民」、デマゴーギー、「超党派的政策」へアピールする政策、もしくは新しいタイプの政党へのレッテルなど、しばしば広く一貫性の無い考えや政策に使われた。英米の政治家はしばしばポピュリズムを政敵を非難する言葉として使い、この様な使い方ではポピュリズムを単に民衆の為の立場の考えではなく人気取りの為の迎合的考えと見ている。[20]にも関わらず近年新たに学者によってポピュリストの見分け方や比較分類の為の定義がまた作られている。Daniele AlbertazziDuncan McDonnellはポピュリズムの定義を「均一的(人種・宗教などが共通の)良民を、エリート層と危険な『違う人々』を両者共に主権者たる人々から権利、価値観、繫栄、アイデンティティー、発言力を奪う(もしくは奪おうとする)ものと説き、民衆と対決させる」理念としている。[21]
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3e/Nolan-chart.svg/330px-Nolan-chart.svg.png
ノーラン・チャートによる定義では、ポピュリズム(および全体主義)は左下に位置する。
近年では、「複雑な政治的争点を単純化して、いたずらに民衆の人気取りに終始し、真の政治的解決を回避するもの」として、ポピュリズムを「大衆迎合(主義)」と訳したり、「衆愚政治」の意味で使用する例が増加している[22]村上弘によれば、個人的な人気を備えた政治家が政党組織などを経ずに直接大衆に訴えかけることや、単純化しすぎるスローガンを掲げることを指すとする。[23]
民主主義は民意を基礎とするものの、民衆全体の利益を安易に想定することは少数者への抑圧などにつながる危険性もあるという意味では、衆愚政治に転じる危険性は存在する[4]が、それは民主主義の本質であって、ポピュリズムそのものの問題ではない[24]。民主制は人民主権を前提とするが、間接民主制を含めた既存の制度や支配層が、十分に機能していない場合や、直面する危機に対応できない場合、腐敗や不正などで信用できないと大衆が考えた場合には、ポピュリズムへの直接支持が拡大しうる。その際にはポピュリストが大衆に直接訴える民会出版マスコミなどのメディアの存在が重要となる。
ノーラン・チャートによる定義では、個人的自由の拡大および経済的自由の拡大のどちらについても慎重ないし消極的な立場を採る政治理念をポピュリズムと位置づけ、権威主義全体主義と同義としており、個人的自由の拡大および経済的自由の拡大のどちらについても積極的な立場を採るリバタリアニズム(自由至上主義)とは対極の概念としている[25]
脚注[編集]
^populism (The Free Dictionary)”. The American Heritage. 2012718日閲覧。
^ a b 今村仁司、三島憲一、川崎修「岩波社会思想事典」 岩波書店2008年、p298-299
^ 蒲島郁夫竹中佳彦「現代日本人のイデオロギー」p402、東京大学出版会
^ 小学館「デジタル大辞泉」
^ 三省堂「大辞林 第三版」
^ Populist Mobilization: A New Theoretical Approach to Populism, Robert S. Jansen, Sociological Theory, Volume 29, Issue 2, pages 75–96, June 2011
^ Julius Caesar (William Shakespeare, Marvin Spevack) 2004, p70
^ Larousse, Le Petit Robert, des noms propres, 1997, <populisme> の項
^ Ferkiss, Victor C. 1957. "Populist Influences on American Fascism." Western Political Quarterly 10(2):350–73.
^ Dobratz and Shanks–Meile 1988
^ Berlet and Lyons, 2000
^ Fritzsche, Peter. 1990. Rehearsals for Fascism: Populism and Political Mobilization in Weimar Germany. New York: Oxford University Press. ISBN 0-19-505780-5: 149–150.
^ [1]アルゼンチンにおける回復企業運動の 発展条件に関する考察
^Twenty-First Century Populism”. Palgrave MacMillan. p. 3. 2008年閲覧。...
^ 「ポピュリズム」を「大衆迎合」や「衆愚政治」などの意味で使用した書籍の例には以下がある。「日本型ポピュリズム:政治への期待と幻滅」(大嶽秀夫、中央公論新社、2003年)。「ポピュリズム批判:直近15年全コラム」(渡邊恒雄、博文館新社、1999年)書籍の帯は「大衆迎合は国を滅ぼす。新世紀を斬る。」博文館新社の経済・社会。「自治体ポピュリズムを問う:大阪維新改革・河村流減税の投げかけるもの」(榊原秀訓、自治体研究社、2012年)
^ 吉田徹『ポピュリズムを考える』NHKブックス、2011
^ Christie, Stuart, Albert Meltzer. The Floodgates of Anarchy. London: Kahn & Averill, 1970. ISBN 978-0900707032
関連項目[編集]
支配者の種類             君主制 - 貴族制 - 神権政治 - 共和主義
権力者の特徴             寡頭制 - メリトクラシー - ポリアーキー


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