スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち  山根一眞  2017.11.4.

2017.11.4.  スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち 
標高5000mで動き出した史上最高の

著者 山根一眞 ノンフィクション作家。1947年東京生まれ。獨協大外国語学部ドイツ語学科卒。宇宙航空研究開発機構(JAXA)客員。福井県文化顧問。理化学研究所相談役。日本生態系協会理事。3.11支援・大指復興アクション代表。日本「モノつくり」を広く伝えた『メタルカラーの時代』シリーズは25冊を出版。『小尾惑星探査機はやぶさの大冒険』は渡辺謙主演で映画化。獨協大特任教授。日本文藝家協会会員

発行日           2017.7.31. 初版第1刷発行           8.21. 初版第2刷発行
発行所           日経BPコンサルティング

序章 嵐の神戸港
2011.8.26.播磨臨海工業地帯フクトクテクノス高砂超大型工場から三菱電機社製の口径7mのパラボラアンテナ、ベース、キャビンの3点セットが運び出され、神戸港からチリに海上輸送。神戸直撃の台風通過を待って99日に出港
チリの標高5000mのアタカマ砂漠に66台のアンテナを設置して数十億年かけて地球に届く「電波」を捉えようとする試み。総工費1000億円

第1章        電気仕掛けの望遠鏡
宇宙から届く電波のうち、波長が短いミリ波、サブミリ波を受信・観測することが目的だが、波長の短い電波は大気中の水蒸気などによって吸収されてしまうため、水蒸気のない場所で、宇宙に最も近い土地を選んで電波望遠鏡を設置するしかない
アルマが受信するのは、138億年前に発した電波
最初のアンテナは2009年に日本が建てたもの
66台のアンテナが受信した同じ天体からの電波をコンピューターで組み合わせることで、巨大な望遠鏡とする方法を考案 ⇒ 開口合成法と呼び、今回のは口径16㎞に相当

第2章        野辺山のサムライたち
1931年米ベル研究所にて、宇宙から地球に届いている「電波」を偶然キャッチ ⇒ 電波天文学の誕生
82年野辺山宇宙電波観測所開所 ⇒ 口径45m世界最大のミリ波電波望遠鏡設置
太陽系の誕生の標準モデルを提唱したのが日本人であっただけに、その仮説を立証するのも日本人の手でということで、野辺山の干渉計が実証
92年おうし座の「GG星」に、中心の恒星を取り巻くガス円盤が実際に回転していることを突き止める ⇒ 原始惑星系円盤
サブミリ波の観測でなければ、さらなる詳細は分からない

第3章        奪われた花嫁
92年箱根でサブミリ波観測シンポジウム ⇒ 95年国際共同プロジェクト覚書
01年日米欧の協調が実現、04年正式スタートするが、日本の予算承認が遅れたため、欧米にイニシアチブを奪われ、欧米が口径12mのアンテナ各25台を建設するのに対し、日本は口径12m4台、7m12台のみ

第4章        魔法工場のデスマッチ
第5章        凧揚げとガンダム
第6章        冷たいラジオの作り方
電波の受信器は、熱雑音などの影響を徹底して排除するために極低温に冷やす

第7章        天空のセレモニー
2013年アルマ開所式 ⇒ 小平さんも歴代国立天文台長の1人として出席
日本の在チリ代表は、名古屋大空電研から国立天文台教授に栄進した森田耕一郎だったが、開所式直前にサンティアゴで強盗に襲われ死去

終章 奇跡の星、地球
アルマの目的:
   銀河系の誕生を探る
   惑星系の誕生を探る ⇒ 14年視力2000を達成、惑星誕生の現場の撮影に成功
   宇宙物質の進化を探る


スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち 山根一眞著
2017/10/7付 日本経済新聞 朝刊
 南米チリのチャナントール高原。酸素が希薄で人が住めないこの場所に巨大パラボラアンテナが並ぶ。宇宙の果てから届く電波をキャッチし、宇宙の成り立ちを観測しようとする「アルマ」だ。本書は天文学者から町工場の職人まで、このプロジェクトに携わった日本人に取材したノンフィクション。東京から大阪の1円玉が見える精度を実現した彼らの奮闘ぶりが、日本のものづくりの底力を伝える。(日経BPコンサルティング・1500円)


Wikipedia
アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(アタカマおおがたミリはサブミリはかんしょうけい、英語: Atacama Large Millimeter/submillimeter ArrayALMA、アルマ、アルマ望遠鏡)は、チリアタカマ砂漠に建設された大型電波干渉計である。
2002から建設が始まり、2013313に完成記念式典が行われた[1]20146月に全てのアンテナが到着した。
略称のALMA(アルマ)とは、スペイン語で「」や「いとしい人」を意味する単語である。
概要[編集]
東アジア(日本台湾)・北米(アメリカ合衆国カナダ)・ヨーロッパの国際共同プロジェクトである。アンデス山脈中の標高約5,000mの高地砂漠(アタカマ砂漠)に高精度パラボラアンテナを合計66台設置し、それら全体をひとつの電波望遠鏡として観測可能な開口合成電波望遠鏡として活用する。観測に用いる波長帯は1cm31.3GHz)から0.3mm950GHz)である。
電波天文学分野における国際共同利用施設であり、観測テーマに応じた研究計画によって天体観測研究が行える施設でもある。
設置場所について[編集]
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f9/A_view_across_the_plains_of_Chajnantor_with_the_ALMA_construction_site_at_the_centre.jpg/330px-A_view_across_the_plains_of_Chajnantor_with_the_ALMA_construction_site_at_the_centre.jpg
アルマ望遠鏡建設地
アタカマ砂漠に設置することが決定したのは後述する観測対象という点と砂漠地帯ならば水蒸気の影響を受けないため、高い周波数(短い波長)の電波の観測が可能である点である。特に、高地砂漠の場合には平野などの低地に比べて比較的高い周波数の電波の観測が容易である。観測場所(AOS)が標高5,000mの高地にあるため、観測場所とは別に標高3,000mの山麓にメンテナンスをするエリア、望遠鏡の遠隔制御室などのサポート施設(OSF)が設けられている。
国際共同利用機関としての組織[編集]
アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(Atacama Large Millimeter/submillimeter Array: ALMA, “アルマ)は、ヨーロッパ、東アジア、北米がチリ共和国と協力して建設する国際的な天文観測施設である。アルマ望遠鏡の建設費は、ヨーロッパではヨーロッパ南天天文台ESO)が、東アジアでは日本の自然科学研究機構NINS)とその協力機関である台湾中央研究院AS)が、北米では米国国立科学財団NSF)とその協力機関であるカナダ国家研究会議NRC)および台湾行政院国家科学委員NSC)によって分担されている。アルマ望遠鏡の建設と運用は、ヨーロッパを代表するESO、東アジアを代表する日本の国立天文台NAOJ)、北米を代表するアメリカ国立電波天文台NRAO)(NRAOの管理は米国北東部大学連合AUI))が実施する。合同アルマ観測所JAO)は、アルマ望遠鏡の建設、試験観測、運用の統一的な執行および管理を行なうことを目的としてチリ共和国内に設立された。
沿革[編集]
1980年代日本天文学会の天体電波研究委員会とアメリカ天文学会の天体電波研究連合が相互別々に精度の高い天体電波研究に関する次世代計画のコンセプトを作り上げた。
アメリカ国立電波天文台では、口径10mアンテナ50台のミリ波干渉計による観測計画と設置場所としてチリのアタカマ高原を提案。アメリカ国立電波天文台では、ヨーロッパ(ヨーロッパ南天天文台ESO)のチームとカナダの研究者も参加。日本の国立天文台では、口径8mのアンテナ40台のサブミリ波干渉計による観測計画を提案した(これは、1990年代野辺山宇宙電波観測所にて石黒正人教授らが作成した基本構想である)。
北米、ヨーロッパ、日本の学術機関に所属する技術者及び研究者が国際学会での議論やプロポーザルを実施。1990年代後半には、技術仕様を初めとして設置場所を含めて計画としてまとまった。
各国の研究者チームは、それぞれ自国の政府に対して建設予算の要求を実施。参加各国の中央天文台では第三者評価を行い、それを下にして財務当局及び立法府へ提案を実施。最終的には各国政府の合意によって現在の計画となるに至った。なお、2001に計画承認が行われたのはNRAOESO。日本は、所轄官庁である文部科学省では調印が2001年(科学技術政策局長による調印)。国会承認については行政改革などの様々な事情により遅れたため、最終計画承認は2004となってしまい、本格的な参加に出遅れている(他にも、様々なプロジェクトが影響を受けた)。
装置開発においても、観測機器開発においても、運営計画においても各国が不平等にならないようにするためにALMA合同オフィスをチリに設置。そこに各国の技術者及び研究者が常勤もしくは非常勤で参加し、現在も準備を進めている。
2004から装置開発においてはアメリカ国立電波天文台のアリゾナサイトで、国立天文台・アメリカ国立電波天文台・ヨーロッパ南天天文台が開発した口径12mパラボラアンテナのテストをそれぞれ実施した。この実験は2007で終了。各望遠鏡に基づいて製作した望遠鏡を運用予定順に現地に搬入を実施している。
日本の担当するアンテナ本体は三菱電機が、受信機は国立天文台が自前で、そして相関器は富士通が製作しており、ACA用の12mサイズのアンテナ16台のうち4台が2008に調整を終了している。2011に全ての観測機器が揃って試験観測を実施し、2012から本格運用が開始される予定である。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/39/3-ALMA-antennas-interferometry.jpg/330px-3-ALMA-antennas-interferometry.jpg
3台のパラボラアンテナによる干渉計観測
日本天文学会の春季年会中の2008318には日本が担当するパラボラアンテナの1台を用いて試験観測中に撮影した月の電波写真を公開した。そして、20081219、日本の製作したACA用の12mアンテナがALMAの第1号アンテナとして観測所に引き渡された。20091120日、ALMA観測所にとって3台目となるアンテナが無事に山頂施設(標高5,000メートル)に設置され、複雑な技術試験終了後、天文学者と技術者たちは結合された直径12メートルのアンテナ3台すべてを使って天体からの最初の信号を観測することに成功した。
2011930日にアンテナ16台での初期科学運用が始まった。[2]
2013313日、66基のアンテナのうち59基が可動を始め、開所式が催された[1]
2014616日、アルマ望遠鏡最後のアンテナが山頂施設に到着。この最後のアンテナは、欧州によって開発された直径12mアンテナで、すでに山頂施設に運ばれている欧州製の24台の12mアンテナ、北米製の25台の12mアンテナ、そして日本が開発した16台のアンテナ(直径12m4台、7m12台)に合流した(ただし、標高2,900mの山麓施設に一時的に移設されてメンテナンス作業を受けているものを除く) [3]
性能[編集]
口径12mのアンテナ50台と、日本製のアンテナ16台(口径7m×12台、口径12m×4台、愛称「いざよい(十六夜)」)からなる望遠鏡システム「アタカマコンパクトアレイ(ACA、別名「モリタアレイ」)[4]」の合計66台からなる。ミリ波・サブミリ波領域では世界最大の基線長を誇り、分解能・感度ともに世界一となる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f4/Alma_antenna_in_transit.jpg/330px-Alma_antenna_in_transit.jpg
台車に載せられて運ばれるアンテナ
アメリカ国立電波天文台のVLAや国立天文台野辺山宇宙電波観測所のミリ波干渉計のような移動型の電波干渉計になる予定である。VLAや野辺山ミリ波干渉計がレールを敷設しその上を移動する台車でアンテナを運搬するのに対し、ALMAの場合は道路の上をゴムタイヤを履いた台車が移動することでアンテナを運搬する。
ALMA望遠鏡は、18kmの範囲に66台のアンテナを配置する。ACA16台のアンテナをコンパクトに配置し、分解能は低いものの広がった天体構造を高い感度で観測する。一方で50台のアンテナで構成される干渉計は広がった天体構造に対する感度はないが、細かい構造を高分解能で観測する。両者のデータをフーリエ空間上で画像合成することにより、高い感度・高い分解能の双方を備えた信頼性の高い観測結果を得ることができる。
各アンテナには、10の観測周波数帯に対応した10個の受信機が搭載される予定である。このうち国立天文台3つ、カナダ・米国・オランダ・フランスがひとつずつを担当している。本観測プロジェクトで用いられる開口合成観測時に基準となる観測時刻を刻む原子時計はルビジウム型となった。
技術仕様[編集]
共通基本仕様
口径:12mアンテナ54/開口合成口径
口径:7mアンテナ12
開口合成口径:ALMA全体 18km/ACA 80m
鏡面材質:鏡面アルミパネル+コート
鏡面精度:25μm @ 12mアンテナ、20μm @ 7mアンテナ
架台:経緯儀式
指向精度:0.6秒角
観測装置:超伝導半導体型(周波数が高いため、効率良く電波を受信することを目的としている)
観測補助装置:並列分散型デジタル分光計(FX型及びXF型の並列機)
観測対象[編集]
ミリ波サブミリ波という波長の短い電波を使って銀河の形成、星と惑星系の形成、宇宙における物質進化(有機分子の合成等)などを解き明かすことが主目的だがその他にも天文学・惑星科学の分野で汎用の装置として活用される。また南半球のチリに設置されるため、いて座の方角にあって日本からは観測しにくい銀河中心部や日本からは全く見ることのできない大マゼラン雲小マゼラン雲など南天の天体の観測にも適している。

ALMAハッブル宇宙望遠鏡で観測された触角銀河のデータを合成した画像

ALMAが観測した重力レンズ天体SDP.81
ALMAが観測したおうし座HL英語版
脚注[編集]
2.    ^アルマ望遠鏡、ついに開眼! - 初めての科学観測を開始”. 国立天文台 (2011103). 2013530日閲覧。

2012511 国立天文台I Love ChileNHK
57日(チリ現地時間)、国立天文台の森田耕一郎教授がチリ・サンティアゴで死去した。強盗事件に巻き込まれたとみられる。教授は同国で携わっていたアルマ望遠鏡プロジェクトにおいて、観測画像の高画質化の研究などで大きく貢献してきた。
国立天文台の森田耕一郎教授が57日、自身が携わる電波望遠鏡国際プロジェクト「アルマ計画」で滞在していたチリのサンティアゴで死去した。享年58歳。同市内プロビデンシア地区の自宅アパート付近で強盗に遭ったとみられ、10日に25歳の男が逮捕されている。
観測施設から1,000km以上南にある首都サンティアゴには合同アルマ観測所の中央事務所がおかれ、プロジェクト参加国の研究者らの生活・研究の拠点となっている。NHKなどの報道によれば、現場は「日本大使館に近い新市街地の高級住宅街にあるアパートで、比較的治安がよい場所」とのことだ。
アルマ望遠鏡は建設途中ながら20119月より初期科学観測が開始され、今年4月には国立天文台のチリにおける研究活動の拠点として「国立天文台チリ観測所」が発足した。
国立天文台およびアルマ望遠鏡プロジェクトは教授の死去に関して「職員一同、深い悲しみを共有しつつ、森田耕一郎教授の遺志を継いで、前に進んでいくことを改めて誓うとともに、教授のご冥福をお祈り致します」とのコメントを発表している。
森田教授の功績(国立天文台「アルマ通信」より)
森田耕一郎教授は、1980年代、野辺山宇宙電波観測所でミリ波干渉計の建設に従事し、複数のアンテナを組み合わせて一つの望遠鏡として動作させる「開口合成法」の研究において世界を代表する研究者の1人でありました。
2000年代になり、日米欧共同プロジェクトであるアタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計「アルマ望遠鏡」計画に参加。日本が分担する「アタカマコンパクトアレイ」(ACA)のアンテナ16台の配列設計を行い(画像)、アルマ望遠鏡の性能を最大限に引き出すためのミリ波サブミリ波帯での画像の高画質化の研究において多大な業績を残されました。
その後、2010年にチリに設置された合同アルマ観測所のメンバーとなられ、アルマ望遠鏡のシステム性能評価を行うチームのリーダーという中心的な立場で国際的に活躍されました。

日本のACAを「モリタアレイ」と命名

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