エラリー・クイーン 推理の芸術  Francis M. Nevins  2017.2.16.

2017.2.16.  エラリー・クイーン 推理の芸術
Ellery Queen  The Art of Detection          2013

著者 Francis M. Nevins アメリカのミステリ作家・研究家・アンソロジスト。1943年ニュージャージー州ベイヨン生まれ。ニューヨーク大卒。元セントルイス大法科大学院教授。『エラリー・クイーンの世界』(1974)MWAエドガー特別賞、『コーネル・ウールリッチの生涯』(1988)MWA最優秀評伝・評論賞。本書は長年のクイーン研究の集大成

訳者 飯城勇三 1959年生まれ。東京理科大卒。エラリー・クイーン研究家。著書『エラリー・クイーン論』(論創社)で本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞

発行日           2016.11.25. 初版第1刷発行
発行所           国書刊行会

1929年、『ローマ帽子の謎』で登場、「読者への挑戦」を掲げ、題名に国名を冠した探偵小説シリーズで人気を博したエラリー・クイーンは、フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーという従兄弟同士の合作作家だった。2人はバーナビー・ロスの別名義で『Xの悲劇』以下の4部作を発表。さらにミステリ専門誌『EQMM』を創刊、ラジオ・映画・TVにも進出して、40年以上にわたって活躍、「アメリカの探偵小説そのもの」と評された。本書はクイーン研究の第一人者が資料や関係者の証言を収集し、偉大なミステリ作家のデビューから晩年までの軌跡を辿ったエラリー・クイーン伝の決定版である。2人が激しい応酬を繰り広げた合作の内幕をはじめ、後期の代作者問題、1960年代に量産されたペーパーバック・オリジナルの真相など、初めて明らかとなる新情報を盛り込んだファン必読の評伝。詳細な書誌・邦訳リストを収録。図版多数

レーガンの時代に『コーネル・ウールリッチの生涯』を書いて、文章によるヒッチコックと著者が表現した悩める隠遁者についての想像しうる限りの質問すべてに答える本だったが、いま本書で目指すのは、エラリー・クイーンのすべてに答える本
ブルックリン生まれの従兄弟同士の2人は、エラリー・クイーンという名前を、主人公と合作用ペンネームの両方で用いて、最高に複雑で手の込んだ探偵小説を、そのジャンルの黄金時代に生み出し続けた。この2人をまとめて、しかも同等に扱った本を書こうとした
ウォーターゲートの時代にも書いたが、良い仕事ではなかった。当時、エラリー・クイーンの公式の顔は、フレッド・ダネイだった。初めて会ってから数年間で、フレッドは私にとって、一番親しい祖父とも言える知人になったが、ところがマニー・リーに関しては最後まで、プライベートに踏み込めるような知り合いにはなれなかった。そのため、「エラリー・クイーン90%はダネイだ」という印象を与える不手際をした
その後息子のランド・リーによって書かれた回想の数々などの資料によってマニーの人物が理解できた
本書は、あらゆる点で前書の改訂版と言えるが、著者にとっては一番重要な本
EQのラジオ・シリーズ(193948)や、従兄弟たちとバウチャーの数十年にわたる交流といったテーマの数々に、より詳細な情報を追加できた。ジム・八トン主演のEQのテレビ・シリーズや、ダネイの3回目の結婚や晩年、死といった、1970年大中盤以降のテーマについても、そのすべてをカバーしている

第1章        ブルックリン従兄弟の謎
1928年、雑誌の探偵小説コンテストに2人で応募しようと決め、遊び半分とはいえ、真剣に取り組み、合作用のペンネームが誕生
年上のマンフレッド・リー(元マンフォード・レポフスキー)は、19051月にロシア系ユダヤ人の移民の子としてブルックリンに生まれる。組織化された宗教を見下す一族の伝統を守る
同年10月、リーの母親の妹の子としてフレデリック・ダネイ(元ダニエル/デイヴィッド・ネイサン)が、すぐ近くで誕生。12歳の時に病床で読んだ『シャーロック・ホームズの冒険』が人生を変える
20年には2人は高校の往き帰りもアイディアを出し合ったり、プロットを練ったりし始める
マン・リーはニューヨーク大学のワシントン・スクエア・カレッジに進む。専攻は国語。最終楽器では主席をとり、母校で文学の教授になりたいと言ったが、ニューヨークの大学の仕組みでは、ユダヤ人は決して終身在職権を得ることができないと告げられ、マン・リーというユダヤ人らしくない名前を合法的に取得。「20世紀のシェイクスピア」を夢見る
禁酒法で酒屋だったフレッドの家は貧窮の底に喘ぎ、フレッドも16から働く。職歴の第1号は帳簿係。アート・ステューデント・スクール(ニューヨークの美術学校)に入学。20年代中頃、ダネイに名前を変える
ダネイはニューヨークの広告代理店で、リーはフランスの映画配給会社の広報として働き、一緒にランチしながら探偵小説の構想を練る
主人公の名前は、トランプをしながら思いついたといい、世間知らずの2人はホモセクシュアルを蔑むときに使われる言葉とは知らずに、エラリー・クイーンに辿り着く
主人公と作者の名前を同じにすれば、誰も作者の名前を忘れないと考えた
応募作の名は『ローマ帽子の謎』で、3か月も経って忘れたころに受賞内定を告げられるが、公式発表までに主催した出版社の大きいほうが潰れ、引き継いだ別の出版社が女性読者に受ける別の応募作を入選としてしまい、喜びは水の泡に。わずかに残った方の出版社が出版に同意してくれて、受賞作より前に刊行される

第2章        エラリー一世登場
2人に計り知れないほどの影響を与えたのがウィラード・ハンティントン・ライト(1887~
1939)S・ヴァン・ダインのペンネームで、超思索的な探偵ファイロ・ヴァンスを誰もが知る名前にして歴史を作ったが、プロットは雑で文章は平板、今では高く評価されていない。のろのろした物語に、知的な雑学とも言える百科事典のような脚注での考察が定期的に挟み込まれ、読者の邪魔をしているが、ミステリ小説というジャンルの中の高度なサブジャンル、すなわち本格的な推理パズルの骨格をほとんど独学で築き上げた
それに肉付けして完成させたのが、30年代に活躍したジョン・ディクスン・カーやアガサ・クリスティ、エラリー・クイーン
エラリー・クイーンの方が、プロットや人物描写や文体に於いて、ファイロ・ヴァンスのベストセラー本を遥かに上回っていたが、それでもあらゆる面においてヴァン・ダインの影響を受けていた。「(国名の形容詞)+(名詞)+謎」という厳密なクイーンの題名のパターンは、ヴァン・ダインの「(6文字の単語)+殺人事件」というパターンに由来するし、主人公の周りにもよく似た面々が登場する

第3章        豊穣の年
第4章        長編、短編、そして雑誌
第5章        エラリー一世退場
第6章        新生EQ
第7章        どのようにして彼らはやってのけたのか?
第8章        エラリー電波を支配する
第9章        ソフトカバーとセルロイド
第10章     実り豊かな収穫の年
第11章     電波に還る
第12章     スミスという男
第13章     タイプライターの上の新しい血
第14章     最後の30
第15章     神は死に、猫が来るとき
第16章     カレンダーとキングたち
第17章     黄金と緋色とガラス
第18章     第三期の黄昏
第19章     アト・ランダム
第20章     幽霊(ゴースト)が忍び込む
第21章     幽霊(ゴースト)が増えていく
第22章     従兄弟たちに別れが訪れる
第23章     エラリーの時代の終わり







エラリー・クイーン推理の芸術 フランシス・M・ネヴィンズ著 危うい分業関係と米大衆文化
2017/2/5 2:30 日本経済新聞 朝刊
 「読者への挑戦」で名高いアメリカの本格推理作家エラリー・クイーンは、ユダヤ系移民の子としてブルックリンで生まれた従兄弟(いとこ)、マンフレッド・リー(190571年)とフレデリック・ダネイ(0582年)の合作ペンネーム。広告宣伝業に携わっていた20代前半の2人は仕事の合間に『ローマ帽子の謎』を共同執筆し、世界恐慌が起こった年に「覆面作家」としてデビューした。読者が覚えやすいよう作者とシリーズ名探偵を同名にするという妙案は、やがて彼らの人生を支配する「フランケンシュタインの怪物」を生み出すことになる。
 本書は2人の作者と被造物である「クイーン」の足跡をたどった評伝で、ダネイの存命中に発表された『エラリイ・クイーンの世界』を大幅に増補した決定版。前著は作品の読解が中心の作家論だったが、この増補版では作者のプライベートな側面が重視され、金銭事情やメディア社会学的な視点も加わって、より複雑で視野の広い本に生まれ変わった。クイーンという名のモンスターに関わり、その魔力に取りつかれた人々(著者のネヴィンズも含む)の群像劇でもあり、どの章にも20世紀アメリカ大衆文化の光と影が生々しく刻みつけられている。
 40年以上にわたるクイーンの活動は小説だけでなく、自らの名を冠した雑誌《EQMM》の編集や、ラジオ・映画・TVへの進出など広範囲に及ぶ。中でも39年から48年にかけて全米で人気を博したラジオドラマに関する記述は示唆に富み、『災厄の町』『九尾の猫』など傑作を連発した4050年代の成熟と60年代の迷走の根が、いずれもこのラジオ期にあることがわかる。また長年の議論の的だった代作者問題や、60年代に量産されたペーパーバック・オリジナルの内幕が公にされたことは、ミステリ読者にとって大きな意味を持つはずだ。
 ダネイとリーは「合作方法の秘密」というクイーン最大の謎を最後まで明かさなかった。ネヴィンズは関係者の証言や書簡等からこの秘密に迫り、ある程度の役割分担まで突き止めているが、核心部分は藪の中だ。愛憎半ばするダネイとリーの危うい分業関係は、彼らの精神的息子というべき評論家アントニー・バウチャーが2人の間で引き裂かれていく姿からもうかがえる。これほど性格も文学観も異なるライバル同士が、壮絶な議論と衝突の果てにあれだけの傑作群を生み出せたのは、奇跡としか言いようがない。
原題=ELLERY QUEEN
(飯城勇三訳、国書刊行会・3600円)
著者は43年米国生まれ。ミステリー作家・研究家。『コーネル・ウールリッチの生涯』など著書多数。
《評》作家
法月 綸太郎


Wikipedia
エラリー・クイーン(Ellery Queen)は、アメリカ推理作家。フレデリック・ダネイ(Frederic Dannay19051020 - 198293)とマンフレッド・ベニントン・リー(Manfred Bennington Lee1905111 - 197143)が探偵小説を書くために用いた筆名の一つ。ダネイとリーは従兄弟同士であり、ユダヤ系移民の子である。上記の彼らの個人名もそれぞれペンネームであり、ダネイの本名はダニエル・ネイサン(Daniel Nathan)、リーの本名はマンフォード・エマニュエル・レポフスキー(Manford Emanuel Lepofsky)。
小説シリーズでは、エラリー・クイーンは著者の名前だけでなく物語の名探の名前でもある。一般的人気はアガサ・クリスティに劣るものの、日本では特に熱烈なマニアの崇拝を集め、この名を第一に挙げる推理作家が非常に多い。なお共作の手法は、まずプロットとトリックをロサンジェルスに住むダネイが考案し、それをニューヨークに住むにリーに電話で伝え、2人で議論を重ねたあとリーが執筆した。2人がこの創作方法をとるようになったのは、プロットを思いつく能力は天才的ながら文章を書くのが苦手なダネイと、プロットは作れないが文章は大変上手なリーの2人の弱点を補完するためであった。
日本では昔からマニア的読者に強い人気を誇り、影響を受けた作家が数多く存在する(誰にでもわかるような形でペンネームに名前を取り入れた依井貴裕、警視の父親を持つ作者と同名の作家兼探偵という主人公をそのまま踏襲して作品を発表し続けている法月綸太郎のほか、『ニューウェーブ・ミステリ読本』(1997年原書房)では有栖川有栖千街昌之によって「日本のクイーンの称号に相応しい」と記され、同書のインタビューでは綾辻行人が好きな作家として「海外では断然クイーン」と語っている)
経歴[編集]
ローマ帽子の謎』から『スペイン岬の謎』までのいわゆる国名シリーズは、ヴァン・ダインの影響が見られるものの、読者への挑戦状など独自の工夫もあり、手掛りの解釈に緻密さと大胆さを両立させ得た作風は、本格探偵小説として評価が高い。
同時にバーナビー・ロス名義で、聾者の探偵ドルリー・レーンが活躍する4部作も発表している。第2作『Yの悲劇』は、とりわけ日本で評価が高く、SS・ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』の影響を受けつつも、さらに意外な犯人で、推理小説の歴史に残る傑作とされる(第1期)。
『中途の家』から『ドラゴンの歯』までの5作品は、クイーンがハリウッドで脚本の仕事を始めたり、女性誌に作品を発表したりし始めたことから、恋愛小説的要素が増えた(第2期)。
ライツヴィルという架空の地方都市を舞台にした『災厄の町』から、人間の心理面に重きが置かれるようになり、『九尾の猫』では悲劇的な真相に気づいて涙を見せるなど、超人的な名探偵であったエラリーが、間違いを犯し苦悩することもある人間として描かれる。そして、中年となったエラリーが30年前(『ローマ帽子の謎』直後)の事件の真相に気づく、集大成的な作品『最後の一撃』でこの時期は終わる(第3期)。この「間違いを犯し苦悩することもある人間」としての探偵については、後期クイーン的問題としてしばしば議論の対象となる。
1960年代以降の作品のいくつかは、監修は行っていたと考えられるものの、執筆は他の作家によることが知られている。代表的なものには、シオドア・スタージョンによる『盤面の敵』、エイヴラム・デイヴィッドスンの手になる『第八の日』『三角形の第四辺』などがある(第4期)。これらはクイーンの本来の共作スタイルとして、「ダネイがプロット担当、リーが執筆担当」だったものが、リーの衰えにより、ダネイのプロットの作品化を他作家に委ねたものである。
同時期にペーパーバック・オリジナルで刊行されたクイーン名義のミステリとロス名義の歴史小説は、他のライターの作品をリーが監修・編集等を行ってクイーン作品としたものである。『二百万ドルの死者』が早川書房から、『青の殺人』など数作が、原書房から翻訳され出版されている。遡って1940年代にも他者の手になるノベライゼーション『エラリー・クイーンの事件簿』(「大富豪殺人事件」ほか数点をまとめた中編集)やエラリー・クイーン・ジュニア名義の児童もの(うち9作翻訳あり)がある。
初期から晩年までダイイング・メッセージに固執し続けたが、この点については筑道夫他評価しない論者もいる。
実作以外には、1933年に創刊された雑誌『ミステリー・リーグ』の編集に参加(二人で参加)。ただし雑誌は4号で廃刊となった。その後1941年に推理小説専門誌 エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(Ellery Queen's Mystery MagazineEQMM) を創刊(ダネイ単独)して新人作家の育成を行ったり、アンソロジーの編纂により過去の作家の佳作を発掘するなどの活動も広く行った。「エラリー・クイーンはアメリカの探偵小説である」 "Ellery Queen is the American detective story."という評もある。
1961MWA賞巨匠賞を受賞している。さらに、1950EQMMにもMWA賞特別賞が贈られている。
『災厄の町』は、『配達されない三通の手紙』として、野村芳太郎監督により1979に映画化された。1978年には『Yの悲劇』も清水邦夫脚本、石坂浩二主演で連続TVドラマ化されている。
バーナビー・ロス名義使用の真相[編集]
エラリー・クイーンが『レーン最後の事件』で表明しているところでは、最後に意外な犯人の新しいパターンを成立させるために、新しいペンネームと新しい探偵を創造した(先行する3作が4作目のトリックを際立たせる仕組み)ということになる。トリック用ペンネームとでもいうべきクイーンの覇気満々の時代の念の入った仕事である。
なお、クイーン名義の『ローマ帽子の謎』中に「バーナビー・ロス殺人事件」なる語句を挿入し、読者にヒントを与えていたのだと主張している。
かつて「クイーン」と「ロス」の二人がそれぞれ覆面をかぶって公開討論したことがある。二人合同でペンネームを二つ持つという事実が秘密だったから可能になった「二人二役」である。


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