陰謀史観  秦郁彦  2015.10.20.

2015.10.20. 陰謀史観

著者 秦郁彦 1932年山口県生まれ。現代史家。東大法卒、ハーバード大、コロンビア大留学。プリンストン大、拓大、千葉大、日大で教授を歴任

発行日           2012.4.20. 発行
発行所           新潮社(新潮新書)

誰が史実を曲解し、歴史を歪めるのか? そのトリックは? 動機は? 明治維新から日露戦争、田中義一上奏文、張作霖爆殺、第2次世界大戦、東京裁判や占領政策、911テロまで、あらゆる場面で顔を出す「陰謀史観」を徹底検証。またナチス、コミンテルン、CIAの諜報や、ユダヤなどの秘密結社、フリーメーソンと日本の関係も解明する。日本史に潜む「からくり」の謎に、現代史研究の第一人者が迫る渾身の論考

第1章        陰謀史観の誕生
陰謀史観とは、特定の個人ないし組織による秘密謀議で合意された筋書き通りに歴史は進行したし、進行するだろと信じる見方
キーワードは、「ひそかに」「はかりごと」「体系的」
代表的な陰謀史観選定の基準
(1)  上記3要素を充足
(2)  昭和期を中心とする日本近代史の流れに繰り返し出没して、定説ないし通説の修正を迫るもの
(3)  それなりの信奉者を集め、影響力を発揮している
主軸に据えたいのは、明治維新に始まる近代日本の急速な発展ぶりが生み出した陰謀史観で、今になって振り返れば多分に被害妄想の産物だったといえる
日本の対外膨張欲を、先進帝国主義勢力が許容するはずがないと思い込めば、日本は包囲下にあっていずれ窒息するしかないのなら、東亜100年戦争の覚悟で囲みを破ろうとする衝動にかられることになる
日本が関わった陰謀史観中の白眉とも評される田中上奏文は明白な偽書とはいえ、世界征服の野望にとりつかれているのかという憶測が内外に広がる ⇒ 27年、天皇の勅旨に応じて田中義一首相が日本の対満蒙積極政策を上奏したとされる。東京裁判でも、中国側は上奏文の真偽は問題ではなく、その後の日本軍の行動が事実で証明しているとの論法
東京裁判において、天皇を免責したことに対する内外の不満はくすぶり続けたが、その先駆となったのは『天皇の陰謀』(71年刊)を書いたバーガミーニ(『ライフ』誌の科学記者)で、天皇が積極的に陰謀に加担したと主張しているものの、加担した端緒とされる会合の年代すら取り違えている程度の低いプロパガンダにすぎなかったにもかかわらず、長い間にわたって広く支持者を集め、いまだにアマゾンでも高値で売られている
続いて、ビックス(ニューヨーク州立大教授、歴史家)著『昭和天皇』がベストセラーとなるが、日本の左翼史家との交流から書かれたものと想像され、間違いだらけにもかかわらず、日本では「天皇もの」は宣伝さえすれば質の良否を問わず売れるというジンクス通りで、いかがわしい陰謀史観の根拠とされた

第2章        日米対立の史的構図()
ペリー来航以来の日米史を、友好の歴史と捉えることも、対立の歴史と捉えることも可能
フランクリン・ローズヴェルトは、1902年にハーヴァードで出会った松方乙彦(正義の7)から聞かされた清国との戦争に始まる日本帝国膨張の100年の大計に鮮烈な印象を受け、長く頭から離れなかった
日米戦争が回避可能だったのか、不可避だったのかという論点を巡る論争は今もって続いている ⇒ 日本の行動パターンでアメリカの不信を招いたのは、外交と軍事行動の露骨な同時進行で、外交交渉も本気だが決裂した場合に備え、軍が並行して準備行動するのは当然だという軍人の論理は、相手方に狡猾な背信行為と猜疑されやすい。日米交渉の最終段階で、日本の大船団が台湾海峡を南下中との情報を聞いた大統領は、「日本が休戦、撤兵の交渉をしながら遠征軍を仏印に送っているのは背信の証拠だ」として、暫定協定による収拾を打ち切ってハル・ノートの発出に切り替えたという。日本は石油禁輸の警告時と同様に、「虎の尾を踏んだ」ことを自覚していなかったらしいが、この種の国際政治における不感症は明治期の日本外交には見られない現象だったとすれば、それを取り戻させるのが勝者アメリカの占領政策における「荒療治」の目的だったといえよう

第3章        日米対立の史的構図()
降伏=終戦を境として、一夜のうちに激変した日本人の集団心理に注目
半世紀を超える日米の同盟関係の基調は揺らぐことはなかったが、それを支えていたのは、国民の大多数に定着した良好な対米感情
日米対立/反米論の伏流は細々ながら続いている ⇒ 陰謀史観の台頭。戦後の占領政策は、日本を無害化するために米占領軍が巧妙に仕組んだ謀略の所産であり、無意識のうちに「洗脳」された日本人は、いまだに「属国根性」から抜け出していないと説く
占領期に関わる陰謀史観の中では、「東京裁判史観」と「閉ざされた言語空間」が注目
「東京裁判史観」という造語が語義不分明のまま登場したのは1970年代に入った頃だが、まともに議論した形跡はない
「閉ざされた言語空間」は、江藤淳がアメリカ製の公文書を引き合いに陰謀の「証拠固め」に乗り出して発見した事実 ⇒ 戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるために、占領軍が検閲を行ったというもの

第4章        コミンテルン陰謀説と田母神史観
現役の航空幕僚長が民間の懸賞論文に投稿して、大日本帝国が第2次大戦の侵略者ではなかったと主張したために解任された
諸説を体系化する流れを作ったことは評価
張作霖爆殺事件から日中戦争の発端を経てハル・ノートに至る一連のコミンテルン陰謀説は根強い

第5章        陰謀史観の決算
仕掛け人が「犯行声明」を出せば一過性の陰謀事件として片付くが、証拠の有無にかかわらず、有力な異論、反論が出現すると陰謀論の領域に昇格 ⇒ ケネディの暗殺事件や、911事件
陰謀史観の実像と実績の再検分 ⇒ 陰謀組織には2つのタイプ
1つは、コミンテルン、ナチ、CIAMI6、モサドなどで、活動歴が公開されている
もう1つは、ユダヤ、フリーメーソン、国際金融資本、各種のカルト教団のような秘密結社と呼ばれる国境横断的な非国家組織で、陰謀と成果の因果関係も判然としない



インターネットより:
「陰謀史観」(コンスピラシー・セオリー)の虚実
陰謀史観はハッタリ、でも陰謀はそこらじゅうに存在している
1.陰謀史観とは
 陰謀は隠謀とも書き、「ひそかに計画する、よくないくわだて」のことである。戦争、革命、暴動、大事件、大事故、金融恐慌、社会不安など世界におこる、ありとあらゆる社会・経済・政治的事象を、特定の「闇の勢力」「国際的秘密結社」などの陰謀によるものだと根拠なく断定する考え方を陰謀史観という。ヤミの黒幕の代表格はフリーメイソン=ユダヤ人あるいはCIAやモサドなどの諜報機関であることがおおい。
 歴史を振り返ってみると、未解決な問題や謎に包まれた事件が大変多い。なんとも不可思議な出来事はなかなか「偶然」によるものとは考えられないことも多い。そこで、「やつら」の企みではないのか、「連中」が裏で巧みに操っているではないのかと考えてしまう。その考え方が「根拠無く」「一般化」されたとき「陰謀史観」が誕生するのである。
2
.陰謀史観あれこれ
 「世界はユダヤ人、ロックフェラー、ロスチャイルド一族に陰で支配されている。」「フランス革命はフリーメーソンによって仕組まれたものである。」「世界の経営がなぜうまくゆかないのかというと、それはユダヤ人が世界を乗っ取ろうと企てているからだ。」「CIA(米中央情報局)、KGB(旧ソ連国家保安委員会)、モサド(イスラエル情報部)などと世界的政治家や銀行家などは相互に深いところでつながっている。」「改宗ユダヤ人がカトリック教会に入ってきて高位の僧や神学者になり、カトリックの教理に操作を加えた。ユダヤ民族会議で世界征服が企てられ、それが達成された暁には他の民族を奴隷化するという要綱(シオンの長老たちの議定書 Protocols of the Elders of Zion )が定められた。」などなどユダヤ陰謀説が多い。
 新しいところでは、「2001911日の世界貿易センタービルに対するテロはモサドの陰謀である。ユダヤ人は事前に避難して被害に遭っていない。」が有名である。
 次はCIA。何でもかんでもCIAがやったとよく言われる。国際政治、外交、安全保障などの領域で説明が付かない問題があると、「あれはCIAのせいだ」となる。これをCIAコンスピラシーと言う。
 チンケな事例だと、一時期永田町界隈に「竹下史観」というのがあったそうだ。永田町で起こる不可解な事柄について、「また竹下が裏で何かやってるな」と考えることを「竹下コンスピラシー」と言うそうである。
3
.陰謀史観の背景
 ユダヤ人の経済支配という「ステレオタイプ(画一的理解)」の古典は、シェークスピアの戯曲『ベニスの商人』である。『ベニスの商人』は、日本人のユダヤ人に対する偏見の元凶といわれている。シェイクスピアによって「守銭奴シャイロック=悪徳商人=ユダヤ人」なるステレオタイプが定着してしまった。
 次に、禁断の「カバラ」。カバラというのはユダヤ教の中の「密教教典」の様なもので、12世紀以後のユダヤ教世界で大成して「裏経典」にまとめられた。人間が如何にその神の実在に近づく事が出来るかの「奥義」を書いているそうだ。カバラは信仰の代わりとして魔術的プラクティスと世界制覇思想を教えているという。
 マレーシアのマハティール首相は、ヘッジファンドの帝王ジョージ・ソロスのビジネス活動をユダヤ人全体と結びつけ非難したが、欧米において、ユダヤ人がCEO(最高経営責任者)を務める有力企業は少なくない。世界の資産家のランキングにはユダヤ人が大勢いる。彼等は、欧米の金融界や経済界に大きな影響力を持っている。当然、彼等のなかには不正行為を働く者もいる。
 さらに、メディアの世界でもユダヤ人は力を持っている。CNN創設者のテッド・ターナーなどの名がすぐに挙がる。このように、社会において成功したユダヤ人は多いし、教育を重んじるためか、遺伝的に元来頭がいいのか知らないがノーベル賞受賞者も非常に多数である。こうした事実に基づいて、「ユダヤ人は金融を牛耳っている」、「メディアを支配している」などの「不当で根拠のない一般化=ステレオタイプ」が横行する。
4
.陰謀は存在しないのか
 これらの陰謀史観に対して、「証拠がない」「共同謀議や指令の存在が、書面や証言で立証されていない」「そんなのは迷信だ」といった批判が存在するのは当然である。また、「本当にユダヤ人が世界を支配してるなら、なんでユダヤ人の陰謀を暴露するような本が規制もされず出版されるの?」といった笑える質問も出てくる。第一、説明できない事態に出会うと、「誰かの陰謀だ」で済ませるのは何とも安易な思考である。世界史上のすべてのよく分からない出来事は「UFO」「M資金」も全部CIAの陰謀だといった調子で説明可能である。そこで「陰謀史観」などタワケどもの妄想だという人がいる。
 しかし、本当にそれだけでよいのか。「何でもかんでもCIAやユダヤの陰謀」という考え方も極端なら「陰謀など地上のどこにも存在しない」というのも行き過ぎた考え方ではないのか。
 「日本の真珠湾攻撃は、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空と同様に、ルーズベルトの描いたストーリーにはまっただけであった。アメリカ国民に参戦を認めさせるために敢えて日本軍にハワイを攻撃させたのである。」これは、一見陰謀史観の典型のように見えるが、公開された機密文書を丹念に調べ上げた研究によって高い信憑性を持つ有力な説である。ルーズベルトはハワイの将兵の生命を犠牲にして、国内に参戦の機運を作り出したのである。ベトナム戦争への本格的介入のきっかけになったトンキン湾事件も、真珠湾と似たような謀略だったと言われている。
 国際政治は全て陰謀だというのも陰謀など一切ないというのもどちらも実際的な考えではない。陰謀もあれば誠意と真実もあるというのが正しい見方ではないのか。それでこそ陰謀が生きてくる。我々の身の回りの出来事も同じことで、善人面した連中にまんまとはめられることは日常茶飯ともいえる。
 証拠がない限り陰謀とはいえないというのは正しいが、証拠がないから陰謀もないと断定するのも誤りであると思う。なぜなら陰謀が陰謀であるためには証拠を残してはならないからである。殺人事件だって、証拠が挙がり犯人が罰せられる例ばかりではない。証拠不十分どころか何の手がかりもなく迷宮入りの事件は山ほどある。まして「陰謀」ともなれば証拠も手がかりもないのがむしろ普通ではないのか。
 さて、陰謀という限りには、「相手にとって悪い結果をもたらそう」あるいは「自分たちにとって有利な結果をもたらそう」という意思の存在と意思を現実に実行する行為が不可欠であろう。一人で考え一人で実行する謀略は単なる通常犯罪に過ぎないから、複数の人間の謀議に基づく計画が存在し、役割分担に従って一定の行為がなされるのが通常の陰謀であろう。
 そう考えると「ユダヤの陰謀」というのは非現実的だと断じざるを得ない。世界中のユダヤ人の代表が秘密裏に会合し、一定の目的を達成するために、世間に知られず悪巧みを計画し、役割分担のもとに証拠も残さず実行するなど現実的には考えられない。しかし、ある特定のユダヤ人達が秘密裏に謀議を凝らして自分たちの利益を図ることはいくらでもあり得ることである。しかし、このようなことは別にユダヤ人でなくてもいくらでもある。
 筆者は何でもかんでも謀略だという「陰謀史観」は眉唾だが、世間に陰謀はいくらでも存在すると思う。
5
.強力な集団に陰謀など必要ない
 世間の種々の現象は因果の法則のもと、さまざまな要素、様々な力が絡みあって生じる。特に重要なのは人間的要素である。すなわち人間の持つ欲望や意思とそれを実現させる「力」である。ベクトルにたとえると欲望や意思はベクトルの向きであり「力」はベクトルの大きさである。「力」を決定する要因には知力、体力などもあるが、何と言っても、政治力、経済力、それに「人脈力」が重要である。「人脈力」はある個人がどのような集団に属するかと言うこととほぼ同義である。すなわち、属する国、属する民族、属する階級・階層、属する地位、属する門閥・閨閥などである。そして個々人の持つベクトルの総和がその集団の向きと大きさを持ったベクトル「世論」を形成する。所属する集団の構成員は互いに利害が一致する場合が多いのでベクトルの総和も大きくなる場合が多い。また当然ながら大きな力を持つ構成員の意志や欲望は世論に大きな影響を与える。このようにして国家の意思、民族の意思、官僚の意思、貴族の意思などなどが形成される。勿論一部の人々の会合もあれば、密談、謀議も存在するかも知れないが、公式の代表会議など無用である。
 イスラエルを支援するために世界に散らばっているユダヤ人達が互いに緊密に連絡を取り合うなどというのはナンセンスきわまりない。そもそもユダヤ人達は代表会議を開く必要などない。同じ民族同士の自然な連帯感に基づいて、それぞれの立場でそれなりの行動を起こせば足りるのである。合衆国の国民に占めるユダヤ人口の割合はそんなに大きくないが、経済力など大きな力を持つものが多ければ世論ベクトルに向きに大きな影響を持つのは当然である。だから一部の人間の間で「謀議」があってもいいが、必要不可欠な因子では絶対にない。これは他の民族や集団の場合でも同じである。筆者に言わせれば、わざわざ会議を開いて意思統一を図らなければならない団体ほど構成員の持つベクトルの向きがバラバラで団体としての力は弱いのである。
6.陰謀史観の危険性と陰謀が存在することの現実性
 陰謀史観の危険性は、ナチスの例を見ればわかるように、大衆を操作するためのアジテーション、プロパガンダに利用されるところにある。世界に起こる悲劇や不都合、大衆の不満や不安の責任を一部のグループのせいにする。わかりやすくて思考の手間が省け鬱憤晴らしや妬みなどの劣情を満足させるのに持ってこいなので、そのまま鵜呑みにする。ある個人の「悪事」がそのグループが悪性の団体であることの証拠であると喧伝されるという典型的ステレオタイプが大手を振ってまかり通り、潜在的な暴力となる。そしてついには、とんでもない悲劇が起こる。ナチの時代にはヨーロッパ中がヒトラーだらけであった。このような手口はナチだけの専売特許ではなく、「全体主義」諸政党の得意技である。
 しかし、当たり前だがすべての権力者が誠実であるわけではないので、権力者が裏でさまざまな策略をめぐらせたり陰謀を凝らしたりしていることも当然ある。また権力の行使は、一般には公表できないような危険な選択もしばしば紛れ込むであろう。ルーズベルトの決断だって別に私利私欲ではなかったはずである。
 2002911日の世界貿易センタービルに対するテロはアメリカのブッシュ政権が、テロの首謀者ビンラディンと裏でつながっているといった内容の一見荒唐無稽と思える陰謀史観がある。対テロ戦争でアメリカの軍産複合体が利益を得ている事実、ブッシュ政権の政策がアメリカの中の一部のグループの利益につながっているという事実などの状況証拠が「陰謀史観」を後押ししている。これなどが、陰謀があったのか、なかったのかについて未来永劫不明のままとなる典型例であろう。






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