大本営発表のマイク 私の十五年戦争  近藤富枝  2014.3.24.

2014.3.24. 大本営発表のマイク     私の十五年戦争

著者 近藤富枝 1922年東京生まれ。作家。東京女子大卒後、旧文部省、NHK、武蔵野女子大等に勤務。

発行日           2013.8.20. 初版印刷                   8.30. 初版発行
発行所           河出書房新社

第1章        昭和ノスタルジー
昭和6年 父親が破産して、田端の祖父母の家に預けられ、肩身の狭い思いをした
日本橋本町にある父の妹の嫁ぎ先・富山家の初午祭に招かれて出掛ける
継子なるがゆえに、学校から帰ると「田端文士村」だった近所を遊び歩き、映画を見て歩く

第2章        戦争の足音
昭和6年勃発の満州事変が、ラジオで臨時ニュースとして発表 ⇒ 臨時ニュースの始まり。「臨時ニュース」が流行語になったが、二・二六の「今からでも遅くはない」と好一対
翌年、上海事変で「爆弾3勇士」が大きな話題となり、歌舞伎や浪曲、文楽でも取り上げられたが、日活では僅か16日後には映画になって封切られた(新興キネマは9日後)
母は、離婚後通訳(ガイド)に合格、神田区内の大きな商家に嫁ぐ。3人の娘を捨てた人が3人の娘の母親になったと世間はよくは言わなかったし、自分も本当に捨てられたと思ってショックを受ける

第3章        女学生の日々
昭和10年、東洋高女入学、3年の時婦人運動家の山高しげり女史の妹に習う
昭和12年、築地座の新劇俳優・友田恭助が上海で戦死 ⇒ 39歳で異例の召集。左翼思想もないのに不思議
上級学校へ行く段になって、商家の娘に必要ない、早く嫁に出せという声に反対して、女子大への進学を認めてくれたのは、普段自分の教育には関心がないとばかり思っていた祖母で、後から聞いたところでは、女学校に行く時も、祖父が3年生の裁縫学校でいいというのを、祖母が高等学校にやるべきと言ってくれたのだそうだ
先生にはなりたくなかったので女高師は避け、試験のある程度の高い学校として東京女子大に狙いをつけ独学で受験勉強をした

第4章        東京女子大学の人々
昭和15年入学、全て洋風のものは敵とされ排斥された時代に、キャンパスは別天地
瀬戸内寂聴が同級生で、徳島弁で堂々としゃべっていた
商業演劇に憧れ、瀬戸内と相談して花柳章太郎に弟子入りの手紙を書いたが、返事はなかった
次々と結婚等で退学する中、やたらと本を読み、映画や芝居を見、演劇史を勉強、自分でも脚本を書き出す
昭和16128日、初めて大本営発表を聞く
勝報の時は「軍艦マーチ」が響き、凶報の時は「海ゆかば」の曲が流れたが、これは128日の大本営発表の折に、前夜JOAKの宿直をしていた和田信賢アナウンサーが咄嗟に思いついてやったこと
東部軍管区情報

第5章        芝居への想い
昭和17年、芸術小劇場の研究生に ⇒ 左翼系の劇団が消滅した後、昭和12年文学座(岸田國士、岩田豊雄(獅子文六)、久保田万太郎が創始)と同時に、築地小劇場出身の北村喜八、村瀬幸子夫妻によって誕生。村瀬が東女の先輩の縁で参加
学内で積極的に芝居の公演を主宰 ⇒ 後の福田恆存夫人や阿刀田高の姉上などが一緒
4月に東京初空襲
俳優協会の技芸証を取らないと舞台に立てない規則があり、学校に露見することを恐れて歌舞伎研究家で近松や俳諧史を習っていた守随憲治教授に相談したところ、教授が新聞のエッセイで、劇団側の横暴・無理解を批判したため、学内にばれそうになって芸術小劇場を辞める
夏休みに水上温泉で出会ったニューギニアの負傷兵から、「敵さんの人肉を煮て食べた」と言う話を聞いて、普通の生活人を鬼のような所行に追い込むのが戦争なんだと、遠くに霞んでよく見えなかったものが見えてきたような気がした
文学座の研究生になる
昭和18年、瀬戸内結婚。学校は続ける ⇒ 前年秋に蒲柳の質(体がほっそりしていて病気になりやすい弱々しい体質)を直すと言って断食療法をしたが、結婚した時はリバウンドしていて側に寄るまで誰だか分らなかった
彼女は、本人は否定していたが、私はきっと作家になると思っていた
文学座は、友田恭助、田村秋子夫妻が主宰する築地座の経営に苦しんでいるのを救おうとして岸田らが計画したもの。築地小劇場から引き継いだ杉村春子、東山千栄子、岸輝子らの女優陣が充実

第6章        美への旅
昭和17年のお盆の頃、本家の当主・水島三一郎東大教授から、日本の聨合艦隊が消滅したことを聞かされる
東女の国語専攻部では卒業年度に関西へ美術旅行するのが恒例 ⇒ 昭和18年は中学専門学校の修学旅行は中止となっていたが、決行され、奈良に2泊して有名なお寺のみ仏を網羅する見学、大阪で文楽を見、京都では清涼殿の内部見学、室生寺にも泊まり、伊勢を詣でて計8日間の旅だった
半年繰り上げ卒業となり、25歳以下は全員女子挺身隊として工場に徴用されるが、先輩の退職で空きのできた文部省に入賞
米が配給になった当時は男25勺、女23勺で余ったほど
町のすし屋でも米持参で行くと変わらない握りが食べられた

第7章        文部省時代――悪化する戦局
日本語振興会から文部省教学局国語科に派遣され、南方向けと支那向けの日本語の教科書作成が主な仕事
昭和19年、歌舞伎座の3月興行が中止に。東劇帝劇も閉館

第8章        アナウンサーに
日本放送協会の女子放送員募集に応募 ⇒ 和田信賢アナの『三四郎』の朗読を聞いて憧れ、弟子入りしたいと思っていたところ、女子の大量採用の機会が巡ってきた
11月が初放送

第9章        大空襲
昭和1910月、レイテ戦の失敗で、特攻隊のニュースも慢性の負け戦への諦め感覚で受け取っていた
警戒警報がちょくちょく来るようになり、ブザーが鳴って放送が中断された
1124日昼過ぎから始まった空襲が東京での本格空爆の最初
年が明けると毎晩のようにB29が来襲
310日、東京大空襲

第10章     大本営発表
523日と25日の東京空襲で、残っていたところもすべてやられた
大本営発表を疑うより、失敗無く読むことの方が大事

第11章     終戦
玉音放送の担当は、和田信賢
終わって外に出ると、空が薄墨色になり、黒片が一面に舞っている ⇒ 艦政本部、外務省、海軍省で機密書類を焼却
放送局の接収のために下見に来たメージャー(大尉)を案内する日本の若い陸軍将校が、爽やかで背も高く、ハンサムで微笑を口元に浮かべながら歩き、動作もかつての敵兵に礼を失わず、卑屈でもなく、友人のように自然な態度なのに感動、この敗戦を日本は乗り切れる、何とかなる、とそう思った
敗戦の影響は何も予想のつかないことに、空襲とは別種の恐ろしさがあった
出征者の帰還でアナウンサーが増え、女子アナへの風当たりがきつくなったことから辞表
アメリカ側は女性アナを全員辞めさせたことを批判し、何人かは戻る

第12章     戦争は終わったけれど
放送はCIE(民間情報教育局)の管理下に置かれ、全て彼等の検閲の下に仕事をしなければならなかった
下町の人間は芸妓や花魁には憧れこそあれ、醜いとか汚いとは思わない人種だが、パンパンだけは見たくなかった。それは彼女たちが相手にする客が異国の男達だからではなく、戦いに勝った側の男達だからなのだった

あとがき
失われた戦中の15年を我が年齢から差し引いて考えることにした
あまり語りたくないあのいやな時代を、それで消滅させることが出来たらこんなめでたい話はない




太平洋戦争下 その時ラジオは []竹山昭子/大本営発表のマイク []近藤富枝
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「報道」から「報導」への傾斜

 東京放送局(JOAK)が、テスト放送を開始したのは、1925年3月1日。ラジオはまもなく90年という節目を迎えるが、そのせいかラジオに関する書、あるいは放送人の実像を語る書が相次いで刊行されている。
 この2書もその系譜に列(つら)なる。竹山書は、太平洋戦争期にラジオというメディアはどのような役割を持たされたか、の解説書。近藤書は自身の前半生の自分史だが、44年10月から敗戦時まで日本放送協会のアナウンサー時代を率直に語っている。放送論と体験史を重ねてみると、音声メディアのラジオがその特性ゆえに歴史に都合よく使われたことがわかる。
 竹山書は、「一つの声が同時に直接全国民の耳に入る」放送の機能が、戦時下ではどう利用されたのかを具体的に明かしていく。各種資料や文書記録を引用しながらの解説だが、太平洋戦争の始まりとともに、「国策の徹底」から「国民生活の明朗化」「生産増強」へ、そして戦争末期には「戦争報道」ではなく「戦争報導」に傾斜していく。いわば放送報国のそのプロセスに、このメディアに関わった放送人の懊悩(おうのう)があった。
 たとえばアナウンサーは、「無色透明なる伝達者」として主観を交えない段階から、やがて「国民動員の宣伝者」になれとの職業意識が課せられていく。さらに「国策を自己の解釈により、情熱をもって主張」へ、戦争後期になれば、「信頼感と安定感」を与えるよう原稿を読めと命じられる。
 戦況を伝えるアナウンサーの微妙な感情を国策に収斂(しゅうれん)させよということだが、近藤書では、「大本営発表」を読むときには男性アナウンサーと異なって感情を交えないよう原稿を読んだという。「ニュースの内容まで批判する習慣が私から消えていた」と書いている。
 放送人の自戒は、この点にも集約しているようだ。
    
 『太平洋戦争下』朝日新聞出版・1680円/たけやま・あきこ『大本営』河出書房新社・1890円/こんどう・とみえ


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