いわゆる痴呆の藝術について  谷崎潤一郎  2012.6.30.

2012.6.30. いわゆる痴呆の藝術について                      (昭和237月記)

著者  谷崎潤一郎 

発行日           2001.12.25. 印刷             1.10. 発行
発行所           中央公論新社(中公クラシックス) 中央公論社刊『谷崎一郎全集』第20(1982.12.)、第21(1983.1.)、第22(1983.6.)からの転載

辰野隆が、いつもの毒舌で、菊五郎だけでなく義太夫のことも悪く言うので、山城少掾が自分に反駁の筆を執ってくれないかと頼んできた
歌舞伎を痴呆の藝術だと言い出したのは正宗白鳥だが、痴呆という点ではむしろ義太夫の方が本家
辰野の義太夫嫌いは少年時代から、府立一中時代には、山の手と下町の風俗の差がはっきりしていて、山の手の家庭では概して歌舞伎芝居や浄瑠璃等の町人藝術を卑しむ風があり、子女に悪影響を及ぼす物として、見たり聞いたりすることを禁じる傾きがあったので、辰野の様な山の手っ児は、義太夫に限らず、すべての江戸時代の音曲を軽蔑していた
義太夫の筋書きは不自然。忠義のために世間を欺くことはあっても、その欺き方が実にあくどくて念が入り過ぎている。他の浄瑠璃はそんなことはないのに、義太夫だけが変に残虐な場面を好み、血を見なければ承知しない文学といった趣があるのはどういうわけか
藝道の名人の血のにじむような数々の苦心談を読めば感心させられるし、多大の敬意を払うが、そういう修行に不自然さがあるような気がし、彼等の折角の天分と、不撓不屈の熱情とを、もっと素直な方面へ伸ばさせる道はなかったのであろうか、というような疑問を抱かずにはいられない
一時は義太夫道が他の音曲を圧倒して日本全国津々浦々を風靡していたのは、何かよほどわれわれ日本人の嗜好に投ずるところがあったに相違ないのだと思うと、ちょっと私は不快な気持ちになる。この間の戦争中も、軍閥政府が義太夫の時代物と文楽の人形浄瑠璃と一部の歌舞伎劇だけは、国粋藝術であるとかいって大いに奨励したが、私は実は内心甚だ苦々しくも、滑稽にも感じていた。なぜといって、あの義太夫が知性に欠けているところ、矛盾や不合理を敢えてしてそれを矛盾とも不合理とも感じないところ、まるで小便でもするように簡単に腹を切ったり人を殺したりして、人命の重んずべきを知らないところ、非人間的な残忍性を武士道的だと思っているところ、それらは同時に軍閥政府の特徴でもあったからである
辰野隆の考は、義太夫や文楽を全面的に否定しようというのではなく、何も国粋藝術として世界に向かって宣伝するほどのものではない、というにあるのだと思うが、それなら私もその説に左袒する。特に外人が見て、日本の藝術は皆こんな風に残忍で、野蛮で、論理を無視したものであり、国民性もまたそうであるかのように彼等が思い込んでしまうのではないかと思うと、たまらなく腹が立つ。義太夫文学以外には、われわれの国にかくの如く愚昧で残忍な文学はほとんど1つもない。能楽を見るときにこそ、かような形式美の舞台芸術を完成したわれわれ祖先の偉大さを思い、日本人と生まれてかようなものを賞翫し得る幸福を感謝したくなるが、こんな立派な前代の遺産を受け継ぎながら、徳川時代の作家たちはどうしてああいう歪んだものを作り出したのであろう。文学として見た義太夫は、大近松の作品を例外として、われわれの国においても一流に伍するものでは決してない
大阪の郷土藝術である義太夫や、それと密接に結びついている文楽の人形浄瑠璃や歌舞伎劇中の時代狂言等が、いかに念のいった痴呆の藝術であるかということは前から分かっていた。分けても義太夫が痴呆の本家本元。返す返すも互いに相警(いまし)めたいのは、これは世界的とか国粋的だとかいって、外国人にまで吹聴すべき性質のものではないこと。われわれが生んだ白痴の児、因果と白痴ではあるが、器量よしの、愛らしい娘なのである。だから親であるわれわれが可愛がるのはよいが、他人に向かって見せびらかすべきではなく、こっそり人のいないところで愛撫するのが本当だと思う。年歯もいかない子供たちに見せたり、ああいう藝術が日本の誇りであるかのような教育をするのもいかがであろうか
劇評家が、下らぬ心理の詮索をしたがるが、もともと論理を無視した世界の物事を捉えて、末節の辻褄を合わせてみたところで何になるのか

義太夫節は、江戸前期大坂で始めた浄瑠璃の一派。
浄瑠璃は、三味線を伴奏に太夫が詞章を語るもの。代表的な流派に義太夫節、常磐津節、清元節があり、義太夫節にのせた操り人形で物語を語るのが人形浄瑠璃
文楽は、本来人形浄瑠璃専門の劇場の名。現在は、人形浄瑠璃の代名詞






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