自転車 Jody Rosen 2025.4.28.
2025.4.28. 自転車 人類を変えた発明の200年
TWO
WHEELS GOOD 2022
著者 Jody Rosen 1969年生まれ。ジャーナリスト、著作家。『『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』などの雑誌やオンラインメディアに主に音楽批評を寄稿。ブルックリン在住
訳者 東辻賢治郎 1978年生まれ。翻訳家、建築・都市史研究
発行日 2025.1.20. 第1刷発行
発行所 左右社
プロローグ 月の世界へ
1890年代の広告用ポスターには、宇宙を旅する自転車が登場。乗り手は女神が多い。自転車ブームの時代で、市場は飽和状態になり、広告が派手になった
空飛ぶ自転車は、通俗小説やSFにも登場。19世紀の終りには、飛行船と自転車を組み合わせる試行錯誤が繰り返され、その種の発明の報告が新聞を賑わした
アイルランドで交通手段の歴史を画する出来事が起こったのは1888年。獣医のダンロップが石畳のでこぼこ道を走る自転車のタイヤに空気を注入したゴムのチューブを装着。スムーズな走りを発見して特許を取得。19世紀末の10年間に何百万人もの人が自転車熱に駆り立てられる。ただ生前は、50年前に既に特許が成立しており、ダンロップの特許は無効とされた
序章 自転車の惑星(ほし)
自転車は、1817年の原始的な〈走行器(ランニングマシン)〉から、1860~70年代にかけての〈ボーンシェーカー〉(骨を揺さぶる)や〈ハイホイーラー〉、そして1880年代発明の自転車ブームを引き起こした、現代の自転車の原型ともいえる〈安全型自転車〉へ。いずれの時代も世の中を揺さぶる存在として持て囃されてきた
自転車は、空を飛ぶことと同じくらいに古い夢を叶えた。素早く移動するための機械で、荷運びする家畜への依存から解放され、自分の力だけで大地を高速で移動することを可能にした
何十年か後、自転車の熱狂が欧米を席巻すると、自転車は重大な変化の原動力と言われる。階級差をなくし、身体を浄化し、精神を解放し、心を自由にするものと誉めそやされた
19世紀の自転車は驚異だったが、現代の自転車はモラルであり、啓蒙の乗り物とされる
現在、世界にはおよそ20億台の自転車があり、自動車の2倍。自転車の惑星に暮らしている
自転車には不便なところがたくさんあり、同じ警句が通用する
現在の自転車の形は、イングランドの発明家ジョン・ケンプ・スターリーが1885年に考案した革新的な〈ローバー〉型自転車とほぼ同一で、昔から不変。電動自転車でさえ設計は同じ
自転車には昔から論争がつきもの。最初に非難の声が上がったのは1819年。素朴な二輪車は欧米で禁止令が出るほどの批判を浴びる。道路の優先を巡る対立から階級的な反目など、現代のアンチ自転車感情に連綿と続いている
本書は、自転車への愛と憎しみの物語。自転車が引き起こす強烈な愛着と嫌悪を見つめながら、それらの態度が歴史や文化を通じて、人々の生活や心の中に何度もこだましている様子を観察する
自転車ブームのあるところには自転車を巡る闘いがある
自転車と進歩主義やラディカリズムとの関係は歴史に根差している。1890年のイギリスで誕生した最初期のサイクリング団体には、社会主義者の自転車クラブがあった。彼らは自転車を平等主義の〈大衆の馬〉として賞賛。各国の政府は、ずっと自転車をレジスタンスの手段と見做してきた。ヒトラーが最初に着手したことの1つは、ドイツの自転車団体の解体であり、占領地では地元民から自転車を没収
自転車を社会変革の触媒として知らしめたのは、何よりも女性解放運動に果たした役割。19~20世紀の変わり目には、欧米の女性運動によって、自転車が変わりゆく価値観の象徴として、そして抗議行動の手段とした活用された。自転車に跨る女性の服装は、来るべき解放された「新しい女」のシンボルとなった、イランでは未だに女性の公共の場での自転車は禁止
自転車と自動車は根深い血縁を持つ。フォードは、初めて売り出す自動車として〈クアドリシクル〉をせいぞう。4つの車輪を持つ自転車のいとこのようなもので、後輪を駆動輪とする仕組みも、各種部品もみな自転車のために開発されたものだったし、ライン式の工場や販売店網など自動車産業の礎となる要素も自転車産業の大手が先鞭をつけていたもの。アメリカでは道路までが、世紀の変わり目頃に自転車乗りが主導した道路改良運動の産物
自転車アクティヴィスとのお気に入りのスローガンは「二輪は良い、四輪は悪い」で、これはオーウェルの『動物農園』に出てくる「2本足は良い、4本足は悪い」という標語をもじったものだが、道徳的に自転車は車より優れていて、自転車乗りは気高いという独善的な香りが漂う
第1章
自転車の窓
自転車は間違いなく19世紀の産物。産業時代の科学とエンジニアリング、大量生産と海を越えた貿易の結晶だが、その起源を巡っては諸説が飛び交っている
1817年、カールスルーエの2級貴族出身のドライスがマンハイムで〈ラウフマシーネ(走行機〉)を発明。ペダル無しで人間が漕ぎ、10㎞余りを約1時間で走行。1815年のインドネシアのスンバワ島のタンポラ火山の「超巨大」噴火によって1年以上も灰の雲が北半球を覆って冷害となり、馬も大量に死んで移動手段がなくなったことが発明の契機と言われるが、詳細は不詳
1884年、イングランドのセントジャイルズ教会の〈自転車の窓〉と呼ばれるステンドグラスに描かれた自転車らしきものの図柄が、自転車の起源として注目を浴びるが、後輪は窓の枠外で描かれておらず、自転車と即断するには飛躍が過ぎるし、何の根拠もなしに製作年が1642年となっていて、以降自転車の聖地とされ、巡礼も盛んという
第2章
洒落者(ダンディ)の馬
1819年、ロンドンで自転車らしきもの(〈ヴェロシペード〉)のレース挙行。厳密な意味で史実とはいえないが、〈ラウフマシーネ〉の普及が窺われる
当初は、洒落物の乗り物で、侮蔑の目で見られていたが、徐々に後押しする者が現れ、英王立協会フェローの数学者トマス・スチーヴンス・デイヴィスも二輪車への賛辞を語っている
第3章
自転車というアート
移動手段としては未熟だったが、曲線美のシルエットや、スポークに支えられて優美な円形を描く車輪を備えた二輪車は、芸術品としては否定しがたい魅力があった
1860年代、フランスで流行した頃は〈ボーンシェーカー〉と呼ばれ、錬鉄製のフレームと鉄の輪をはめた木製の車輪が石畳を走行するとき、骨まで揺さぶったことから来た命名
自転車ほど明瞭に「形態は機能に従う」という原則を表現する人工物はあまり例がなく、クラシックなシルエットはいつまでも踏襲され、その形態は本源的で変更の余地がない趣がある
車輪が2つあって、強さと軽さ、安定性と柔軟性を両立させる。車輪の設計にブレークスルーをもたらしたのは、1860~70年代に出現した金属線のスポーク。28~36本のスポークが
タイヤとインナーチューブ。チェーン駆動は自転車設計における最大のマイルストーンであり、足踏みペダルを上下に動かす反復運動をクランクを使って回転運動に変換する
三角形のフレーム2つを組み合わせたダイヤモンド型フレームが発明されたのは1880年代
ダンロップによるゴム製の空気タイヤの発明は、歴史の暗部を記録する。ダンロップによる技術と商売における大成功の物語の裏には、アマゾン流域やベルギー領コンゴなどのプランテーションで「赤いゴム」と呼ばれたゴム生産による途方もない規模の犠牲者がいる
自転車の進化の歴史は製造業の歴史でもあり、そこには革新的な製品やそれを世に出した企業の物語がある。大小の自転車ブームを牽引したのは、その時々に世に出た新しいタイプの自転車で、1880年代には三輪自転車、1930年代には競技用自転車、60~70年代には変速機付き自転車やBMX、80年代にはマウンテンバイクがある
自転車の改変は、歴史の行く末も改変。ヴェトナムに最初に登場した自転車は、帝国の道具。仏領インドネシアに赴任した植民地政府官僚の移動と娯楽の手段で、長い間ヴェトナムの自転車市場は仏メーカーが独占していたが、反植民地闘争の際は、地元民の有力な武器となる
マウンテンバイクの起源は、1970年代の北カリフォルニアの一群のサイクリストが、タマルパイス山の上り下りのために改造したことに始まる
第4章
もの言わぬ駿馬
人類文明の移動にはヒヅメの音の伴奏が付きものだったが、自転車がそれを覆し、英語圏では「もの言わぬ馬」とあだ名され、〈ホービー・ホース〉〈ダンディ・ホース〉などと呼ばれた
19世紀における自転車と馬の対立は、進歩と旧態の対立であり、浮ついた希望や展望が悲観的な黙示録的世界観と正面衝突していた。「鉄の馬」と呼ばれた蒸気機関車が到来したときも同じ様な論争が勃発していたが、自転車は個人的な移動手段であり、機関車とは訳が違う
自転車の最大の軍事的利点はその隠密性で、第2次ボーア戦争(1899~1902)で初めて実地に試された。イギリス歩兵が折畳み自転車を持ち込んだが、優越性を見せつけたのはボーア軍の自転車偵察部隊だった
自転車とフェミニズムの繋がりは、伝統主義者に馬への支持を強めさせるものだった。自転車に載る「新しい女」はブルマーを好むが、馬ならば裾の長い服を着て横鞍に乗ることができる
自転車と馬についての議論の大半は、社会の階級を巡るもの。洒落物の乗用馬(ダンディ・ホース)が「大衆の駄馬」になるまでには何十年もの時間を要した。二輪車が大衆の手に届くのは1880年代のこと。馬の牽く馬車は、品格や旧いヒエラルヒーや由緒ある社会的地位の象徴であり、一方、自転車は無秩序な反乱そのもので、混沌と変化をもたらすもの
アメリカ自転車連盟LAWは、1880年ニューポートで自転車製造会社の創業者アルバート・ポープによって設立され、各地の自転車クラブを傘下に収め、全国的な自転車ロビー団体となり、道路改良運動に取り組む。ヨーロッパ諸国は既存道路の舗装化では数十年先行
第5章
自転車狂時代 1890年代
1899年、オハイオでは妻の自転車熱を理由に、夫が離婚申し立て
1896年、カンザスでは妻の自転車狂が、そのブルマー姿と共に幸福な家庭の破壊者となる
第6章
バランスの妙技
歴史上最も背の高い男だったマカスキルは、1825年スコットランド生まれ。24歳でサーカスに入り、102㎝の小人と組んで最大の出し物となる。1863年死去後は、巨人を記念する博物館ができる。その孫ダニーが5歳の頃、自在に自転車を操る少年として有名人となる。車輪を地面から浮かせるのが好きで、マウンテンバイクのトライアルという競技に夢中になる。2009年には、曲乗りの映像をYouTubeに投稿。偉大なエンターテイナーとして今なお活躍中
自転車の曲芸の人気は時代とともに変化したが、表舞台から姿を消すことはなかった
現在一番目立っているのはスポーツになった自転車のスタント。BMXは2008年からオリンピックの正式競技になった。「エクストリーム」なアクロバットの方面にもMTBやBMXの競技があり、並外れたスキルやトリックを見せつけ、考えられないような危険なジャンプを敢行
第7章
脚のあいだの悦楽
自転車は性欲の対象にもなり、自転車ポルノも罷り通るし、自転車のパーツから倒錯的な発想を思いつく奴もいれが、ジョイスはバタイユなどの作家もポルノ紛いのシーンを登場させる
現代の自転車カルチャーにも通じる話で、毎年多勢の自転車乗りが服を脱ぎ捨てて、「思うきり裸になって」街を走行する「ワールド・ネイキッド・バイク・ライド」が多くの都市を舞台に開催されている
第8章
凍てつく大地
天気に勝てる自転車乗りはいない。自転車で移動することは、外気に身を晒すことの愉悦と危険を経験すること。世の中には、凍えるような寒さや、雪と氷に覆われた大地の危険に一層の愉悦を見出す自転車乗りが存在する。北極圏に自転車が現れたのは1827年のこと
世紀の変わり目の自転車ブームにおける「驚異の年」である1896年は、カナダ北西部で金鉱が発見された年で、一獲千金を夢見て人々が殺到。探鉱者にうってつけのハイテク装備をした自転車が売り出された。厳冬の未開の山道を重たい荷物を載せて走り続ける
1世紀後の現代でも、世界の至る所に、冬に自転車に乗る者のエクストリームなサブカルチャーが存在する。「グレイシャー・バイク・ダウンヒル」は、アルプスのスキー場の斜面を猛スピードで駆け下りる自転車競技。世界最速記録はフレンチ・アルプスでの227.7km/h
第9章
山間の王国
ブータンには自転車で山を駆け回る王様がいる。「国民総幸福量GNH」という概念を提唱したことで知られる、第4代のジグミ・シンゲ・ワンチュクで、イギリス留学中に自転車に惚れ込み、2006年退位後はますます自転車に熱を上げる
平均標高3300m、国土の98.8%が山地で、1962年より以前は舗装された道がなかったこの国は、自転車にとっては最も過酷な国
毎年秋開催されるツアー・オブ・ドラゴンは、166.5マイルの原野を行くロードレース。高低差2150m、最大勾配は15%。現在の記録は10時間42分。完走は46人中22人
第10章
停まったまま全速力で
1912年に沈没したタイタニック号には、ボート漕ぎマシンなどと一緒に最先端の器具としてエクササイズ用のバイクが2台ジムに置かれていた。現在もなお海底3800mに眠る
1796年に特許が取得されたジムナスティコンという機械がその始祖と言われるが、自転車の場合と同様で、自転車をどう定義づけるか、どのくらい細部に目をつぶるかによる
室内に固定された自転車は、人間の運動からエネルギーを取り出す極めて効率の良い手段であり、様々な道具の動力源に利用できる。ニューディール時代に歯科医院で使われたドリルや、ムッソリーニのために造られたローマの地下壕の空調から、最近ではコペンハーゲン市庁舎の巨大なクリスマスツリーの灯りなどにも活用されている
第11章
アメリカの海から海まで
オールド・パリ・ハイウェイは、ホノルルから北東に延びる道で、ハワイの歴史や神話に特別の存在感を持つ。カメハメハ大王のハワイ統一の戦いとなった古戦場の近くを通る。1960年代に61号線開通で、ハイカーやサイクリストの道となる
1976年、合衆国独立200年記念に、オレゴンのリーズポートからヴァージニアのヨークタウンまで、アメリカ横断の集団ライド“バイクセンテニアル”開催。モンタナで独立記念日を迎える
参加者は9~67歳の4065人、完走は2000人ほど。大半が中産階級の白人
1日平均80㎞。最も悪名高い坂道はヴァージニア州ロックブリッジのアパラチア山脈の上り坂。登り切ったところがブルー・リッジ・パークウェイ
第12章
荷を負う動物
ダッカの交通は常に極限状態であり、いつでもどこでもカオスで、カオスがその秩序となっている。2200万人の都市で、都市の面積のうち道路として使われているのは7%のみ(19世紀的な都市計画の代表例であるパリやバルセロナでは30%程度)
21世紀の都市問題の象徴としてダッカを世界に知らしめているのはやはり交通の問題。交通問題故にダッカは狂乱と麻痺が共存するシュールな場所と化し、日常生活のリズムも変わってしまった。地元紙は、渋滞(ジャム)に巻き込まれた時にする5つのこととして、「友だちに連絡を取って見る、読書、日記をつける」などを列挙
自転車は荷を負う動物。ベトナム戦争の時、現地を目撃した『ニューヨーク・タイムズ』の副編集長が上院外交委員会の公聴会で、「自転車のせいで負けつつある」と証言。ベトコンは機動力のかなりの部分を自転車に頼っていた。特に補給車両としての活躍は目覚ましい
人力車は日本で、恐らく1869年に発明。人権の問題を巻き起こす
第13章
ぼくの自転車遍歴
近年、研究者たちは私たちが自転車の乗り方を身につけるプロセスについての研究を深めている。科学者はすでに小脳からの信号を制御し、自転車の操縦のような新しい運動スキルを脳の記憶として書き込まれるコードに変換する神経細胞(分子層介在ニューロン)を発見している。これはいわゆる「手続き記憶」と呼ばれるもので、歩いたり、話したりといった行動と同じく、自転車に乗る技術は一旦習得されてしまえば意識的に考えることなく自動的に発揮される。自転車に乗ることは「手続き記憶」の最も有名な事例
第14章
墓場
パリ市は10年位ごとに1度、サン・マルタン運河の水を抜く。もともとはコレラや赤痢の蔓延するパリに新鮮な水を供給するために造られたが、2世紀後の今では液体ゴミ箱と化した
一番たくさん見つかるのは、ワインボトルと携帯電話に次いで自転車。理由のない蛮行を働きがちな性向の者にとって、 自転車は魅力的な標的。バイク・シェアリングの仕組みの成長によって、ドックに固定されずに街頭に置かれる自転車の数は増え、恰好の獲物に映るのだろう
第15章
大衆運動(マス・ムーブメント)
1989.6.4. 天安門広場は自転車の墓場と化す。人民解放軍の戦車と銃弾によって一掃された天安門広場に残った自転車の山が、抗議運動とその暴力的な結末を想起させた。政府が中国の人々にその残骸を目撃させたことに込められたメッセージに疑問の余地はない
自動車の普及と共に、中国の都市はそれを受け入れられるように改造され、打ち壊しと造成、破壊と新造を繰り返し、多車線の道路や高架橋や高速道路を建設。昔ながらの道路は消え、そこを埋め尽くしていた自転車の群れもまた消え去る。中国の自転車は1996年の5.2億台をピークに急減。共産党による大規模な社会変革とは、脱自転車化のプログラムだった
2020年のコロナによって、再び中国にも自転車が戻って来た。アメリカでも自転車の売上が約60%増加。ヨーロッパでも106の都市で自転車道が新造、特にパリでは熱心な自転車推進派の市長の下、危機が始まった最初の数カ月のうちに既存の自転車レーンに加えて「コロナピスト」と呼ばれる数百キロもの新しい自転車レーンが設定された。世界のコロナの流行の中心地となったニューヨークでは、急増する死者が、ロングアイランド湾にある面積101エーカーのハート島の共同埋葬地に葬られた。医師や救急車の乗組員などエッセンシャル・ワーカーに感謝を捧げるためにアパートから身を乗り出してフライパンなどを打ち鳴らす騒々しい賛歌が毎晩7時に聞えて来るが、同じエッセンシャル・ワーカーでありながら、コロナ罹患で隔離された人々に食料を運ぶデリバリー配達員(デリバリスタ)がその賛歌の対象として意識されていたか否かは疑わしい。彼等の多くは低所得の移民で感染率の高いエリアに住み、電動アシスト付きの自転車を使い、路上では自動車の危険運転に曝され、最もキツい仕事の一つ
2020年5月には、ニューヨークでジョージ・フロイドが職質の警官に殺され、大規模なデモに発展したが、警察はデモ隊の自転車を押収。自転車を標的にした市警の取り締まりは継続。もともと市警は自転車乗り、特に自転車に乗ったデモ参加者に対して、以前から敵対的で、市は行き過ぎた取り締まりに対し、何百万ドルもの賠償金を支払っている
警察と自転車乗りの対立は、アメリカ中で起きている。特に不当な扱いや逮捕の対象とする割合は白人よりも非白人に対する場合が圧倒的に高く、統計数字は示すのは、有色人種が自転車に乗ることはほぼ違法行為と変らないということ
シングルスピードで固定ギア(フィクシー)という古典的なスタイルに戻りつつある。ペダルを止めてもそのまま走行することができる(「滑走」)のはフリーホイールのお陰だが、フィクシーではギアが後輪のハブに直接固定されているので、滑走は出来ない。フィクシーにはコースターブレーキ(フットブレーキ)も含め、一切のブレーキがない。究極の自転車たる所以
訳者あとがき
本書は、自転車の神話的な起源やそのイメージに始まり、19世紀末~現代まで、自転車を巡る言説、文化、社会の様々な側面を論じ、語っていく。その舞台は自転車の発祥の地であるヨーロッパや、アメリカは勿論、バングラデッシュ、ブータン、中国といった、自転車の歴史にはあまり登場しないが、むしろ自転車の「本場」といえる国々まで幅広い
本書の特徴は、自転車そのものの技術的な歴史ではなく、自転車に乗る人々や、社会や、その舞台となっている街の空間に目を向けていること。自転車が優れて政治的な存在として語られていることに気づく。ジェンダーの歴史で自転車が女性の解放と結び付けて語られるのは良く知られているが、それだけではなく、人種、階級、世代、価値観、そして文字通りの政治までをも含む様々なポリティックスの結節点
とりわけ「自動車社会」のアメリカでは、自転車に乗ること自体が、避け難く主流のアメリカ文化へのオルタナティブな振る舞いとなってきた
自転車は、自分の身体とその移動を巡るポリティックスの入口として存在している
紀伊国屋書店 ホームページ
内容説明
19世紀末の大自転車ブームを支えた植民地下コンゴのゴム農園、第二次ボーア戦争でイギリス軍を苦しめたボーア軍の自転車部隊、タイタニック号とともに海に沈んだ2台のエクササイズ用バイク、社会主義者グループが組織した最初期のサイクリング・クラブ、26インチホイールをそのまま現代アートにしたデュシャン、権力を掌握したヒトラーが最初にした「ドイツ自転車連盟」の解体、自転車で国土を走り回るブータン国王、2027年、自転車市場は800億ドルに達するだろう。世界の自動車は10億台、自転車はその2倍。
(書評)『自転車 人類を変えた発明の200年』 ジョディ・ローゼン〈著〉
2025年3月22日 朝日
■対立を超え、生きるために乗る
500ページの熱量に探り探り読み出すと、移動手段として自転車を決定づける特徴は、動力源が乗り手であることだと書いてあった。
自分が動力になる。体の内から思い出すのは子ども時代、手足のすり傷と引き換えに初めてすーっと自転車が進んだ時の浮遊感。親の知らない空き地へ友だちと風を切る解放感も、ペダルをこいで得たものだ。
人びとが自転車に乗る時、社会では何が起きたか。著者は自転車200年の旅に出る。
選ぶルートは壮大にして脇道もたっぷりだ。山国ブータンで過酷な自転車レースを開く理由、パリの運河の底に大量の自転車が沈む怪、天安門広場に集まった自転車の行方は。膨大な資料に取材を織り交ぜ、自転車の過去と今、光も影も、最後は口笛を吹くような軽妙なタッチで描き出す。
キーワードが新旧の価値観の対立。そもそも自転車の原型が街に出た19世紀初め、馬車を邪魔するものだと各地で禁止令が出された。のちに同じ構図が、自動車との間で繰り返される。
一方、自転車の新しさを女性たちは支持する。不道徳を夫に訴えられてもコルセット入りのスカートをブルマーにはきかえ、自分をしばる家から外へこぎ出すのだ。
著者は西欧の目で自転車を語ることに異議がある。豊かな人が、趣味や主義という「生き方」で乗るのもいいだろう。ただ地球上には生業、「生きるため」に乗る自転車が無数に走っている。
ニューヨークがコロナのロックダウンで静まりかえった時、感染リスクを負って食事を届ける配達員の多くは移民だった。その自転車の姿を、街のどれだけの人が見ようとしたのかと。
コロナを契機にわき起こった自転車ブームは、歴史上最大のものだという。新たな対立を起こすのか、新しい景色が開けるか。本書を読めば、どっちが楽しいかわかる。動力は人間。行く先は自分たちで決められる。
評・長沢美津子(本社くらし報道部記者)
*
『自転車 人類を変えた発明の200年』 ジョディ・ローゼン〈著〉 東辻賢治郎訳 左右社 4950円
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Jody Rosen 69年生まれ。ジャーナリスト、著作家。「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」などに寄稿。
書評『自転車』ジョディ・ローゼン著
人類の暮らしと200年の軌跡
2025年3月1日 日本経済新聞
コロナ以降なるべく自転車に乗って移動していると、ふだん見えないものが色々と見える。
原題=TWO WHEELS GOOD(東辻賢治郎訳、左右社・4950円) ▼著者は69年生まれ。ニューヨーク・タイムズ・マガジンなどに寄稿する。
500ページを超えるこの本は、細部や素材は刷新され続けながらも基本的なテクノロジーはほとんど変わらぬまま現代でも街のあちこちで見かける自転車という乗り物について、そして自転車と人類とが現在まで付き合ってきたおよそ200年の中で生まれたさまざまなトピックが、序章含め16の章立てによって書かれている。
著者のジョディ・ローゼンは、音楽のジャンルを中心に活躍するニューヨーク・ブルックリン在住のジャーナリストだという。確かに、語られる内容は映画やポスターデザイン、名作の内容や社会活動など著者の暮らしと並行しながら多岐にわたる。
普及し始めた当初は道で馬を驚かせ事故につながると、道路の使用の優先を巡り大きな問題になったという自転車。郵便、警察、街の構造や都市計画にも多くの影響を与えたその乗り物は、いくつものできごとを経て現在に至る。
たとえば初期の自転車はペダルもなく蹴って走るものだった。車輪も木と金属で作られていたものが、スコットランド人の獣医ダンロップが開発したゴムチューブ製の空気式タイヤによって、石畳の道での走行を飛躍的に快適にし、その技術は現在にも続く。
自転車は現代美術の中にも登場する。たとえばマルセル・デュシャンや、中国の現代美術家アイ・ウェイウェイなど。社会的な作品でも知られているアイは、中国の社会発展に強く繫(つな)がる自転車というイメージを用いた作品を多く発表した。
自転車のビジョンはともすると、軍事的な部隊や諜報(ちょうほう)活動、フェミニズム運動といった歴史的な大衆の動きにも結びつく。この本では「自転車に乗る女性は貞操観念が乱れる」などの流言といったトピックが、古今を繫ぐように語られていく。エコロジー思考や運転者のモラルなど、自転車を巡る論争は現在でもなお続いている。
フランスの運河には大量の自転車が沈み、ハリウッド映画では宇宙生命体を自転車の前かごに載せた少年が空を飛ぶ。世界中で自転車は、人や、人ならざるものを載せて今も運び続けている。そんなよもやまを著者による冴(さ)えたカットアップで楽しめる一冊だった。
《評》作家 高山 羽根子
『自転車 人類を変えた発明の200年』ジョディ・ローゼン著
2025/02/14
15:20 読売新聞
驚き、感心 風切りながら
評・奈倉有里(ロシア文学研究者)
◇Jody Rosen=1969年生まれ。ジャーナリスト、著作家。「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」などに寄稿。
自転車がこれほどまでに近現代史の鍵を握っていたとは!と、 頷きと感心の連続だった。
まだペダルもなく、イギリスやフランスの「洒落者」のあいだに流行し、危険だと批判されてその後長らく消えかけた自転車の原型。安全型自転車の普及と社会運動との連動の萌芽。権力を握るやいなや自転車団体を解体させたヒトラー。零下30度でも自転車に乗る地域。性的な対象として見られるほど一部の人を魅惑することもある自転車。山間(やまあい)のブータンの自転車好きの国王と、山岳探検のような自転車イベント。バングラデシュの過酷な自転車リクシャの切実な生活と仕事と夢。
賛美ばかりではない。この本は自転車の歴史のなかの負の面(植民地との関連など)にも目を配るという謙虚な視点も交えつつ、ブームや論争の歴史を辿っていく。だが章を追うごとに高まる情熱が、読者を次々に想像もつかない場所へ案内してくれる。自転車に魅せられた人々が生みだす「病んだ社会や経済への処方箋として自転車の再生(ルネサンス)を訴える」といった挑戦的で魅力的な表現も満載だ。
夢中で読むうちに、私たちが知っていたのは自転車の歴史のごく一部にすぎないのだと気づかされる。アメリカのブラック・ライブズ・マターに象徴される「乗る権利」をめぐる闘い。中国が1980年代の自転車大国から一転して自動車大国に至る転機には、天安門事件における自転車の果たした活躍があったこと。そして新型コロナウイルスが世界に及ぼした影響と、そこから副産物的に沸き起こった世界的な自転車熱の再来の彼方にみえる希望が、読者をより一層、自転車に惹きつける。
これまで私はぼんやりと自転車が好きだったが、その「好き」の正体がなんだったのかを、500頁近くもの長距離ライドで、速すぎず遅すぎない自転車の速度で風を切りながら共に考え、教えてくれる、ものすごい本だ。東辻賢治郎訳。(左右社、4950円)
読書委員プロフィル
奈倉 有里( なぐら・ゆり )
1982年生まれ。ロシア文学研究者、翻訳者。『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』で紫式部文学賞、『アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯』でサントリー学芸賞。著書に『ロシア文学の教室』『文化の脱走兵』など。
ジョディ・ローゼン著 東辻賢治郎訳「自転車 人類を変えた発明の200年」
伊藤 亜紗 美学者・東京工業大学教授
2025/05/09 文藝春秋 6月号
自転車の上にいる人ならではの思考のドライブ感
自分の力だけで高速で進む。高度に情報化した現代において、自転車はどこまでも身体的だ。ペダルをこげば体がホカホカしてくるし、車と違って風を全身に感じることができる。渋滞にも満員電車にも煩わされずに都会の高いビルの合間を疾走したかと思えば、農村のでこぼこ道も涼しい顔、重い荷物もへっちゃらだ。自転車が与えてくれるのは、強烈な自由の感覚と気分の高揚である。
実際、自転車はしばしば進歩的な価値観と結びつけられてきた。あるときそれは窮屈な衣類を脱ぎ捨てた「解放された女性」のシンボルとなり、またあるときは圧政や占領軍に対するレジスタンスを可能にする機動力の高い手段となり、さらに現代では大気を汚す自動車文化に対抗する環境保護の処方箋となっている。
こうした「カウンターカルチャー」としての自転車のイメージは、確かに一面では正しいかもしれない。しかしそれがすべてではない、と著者は言う。1817年に現ドイツの貴族カール・フォン・ドライスが発明してから約200年。本書は、自転車と社会や人間の関係を描き出す、重厚にして軽妙な文化史だ。
たとえば、自転車は1870年にはすでに軍事利用されている。独仏戦争で、フランス軍が偵察目的で自転車兵を出動させたのだ。発明された直後から、自転車は馬と比較されてきた。餌がいらない、蹴らない、死なない、勝手にいなくならない。しかし最大の美点は「静かである」ことだった。足音を立てたり鳴いたりしないので、戦場では敵を不意打ちするのに役立つ。20世紀には、ベトナム戦争の折に北ベトナム軍が弾薬や軍需品の輸送に自転車を大量に利用した。トラックと違って目立たず敏捷で、アメリカ軍が橋を落としても手作りの細い吊り橋さえ架ければ用が足りた。
西洋以外の世界に目を向けていることも本書の特徴である。たとえばブータン。ヒマラヤの地でありながら、この国では自転車がブームで国王も愛好家だと言う。ツアー・オブ・ドラゴンという過酷なアマチュア向けロードレースも開催されている。国民総幸福量(GNH)の国において、自然に囲まれるサイクリングの経験が、幸福にとって重要な意味をもつと考えられているのだ。だが著者はGNHが「創られた伝統」にすぎないこと、また仏教ナショナリズム的な政策のもとで民族浄化が進み、国民一人あたり最も多くの難民を出していることも見逃さない。
自転車の視点から見るとき、街はより街らしいものになる、と著者はいう。危険はよりダイレクトに、景色はより鮮やかに、あらゆるものが一触即発の生き生きした表情を見せるようになる。ビビッドでちょっと斜め。翻訳の妙もあって、自転車の上にいる人ならではの思考のドライブ感を感じられるのが痛快だ。
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