もう明日が待っている 鈴木おさむ 2025.5.18.
2025.5.18. もう明日が待っている
著者 鈴木おさむ 1972年4月25日、千葉県生まれ。19歳で放送作家デビュー。バラエティーを中心に数多くのヒット番組の企画・構成・演出を手がける。映画・ドラマの脚本や舞台の作・演出、映画監督、エッセイ・小説の執筆等、様々なジャンルで活躍。2024年3月31日に放送作家を引退。著書に『仕事の辞め方』(幻冬舎)、 『最後のテレビ論』(文藝春秋)など。
発行日 2024.3.31. 第1刷発行 2024.4.20. 第3刷発行
発行所 文藝春秋
初出
第1章 『文藝春秋』2023年8月号
第7章 『文藝春秋』2024年4月号
第8,9章 『文藝春秋』2023年1月号
他の章は書き下ろし
この物語を、共に最高のテレビ番組を作ってきた黒木彰一と仲間たちに捧ぐ
第1章
素敵な夢をかなえておくれ
l 1991 0909
晴海埠頭で光genjiの野外ステージを見る。'88年、バブルとともに人気が膨らむが、バブル終焉と共にその人気は終わり、代わってブームになったのが、80年代終盤から勃興したバンド。バンドが人気になると、歌番組に出演しないバンドも増え始め、それまで全ての音楽の情報発信地で栄華を極めていたテレビの歌番組が消滅し始める
バブルの終りとともに、日本人が「虚像」から「リアル」を求めるようになっていった
アイドルという存在が滑稽にすら見えて来た1991.9.9.にデビューしたのが6人組のアイドルで、その中には光genjiのバックで踊っていた人もいたし、自分と同学年の2人もいた
l 1995 0120
'92年僕はラジオ局で放送作家生活をスタート。光genjiの握手会のイベントの手伝いに動員され、初めて6人組と出会う
アイドル冬の時代と言われる中、6人組はバラエティ番組に出始め、アイドルが決してやらなかった出演の仕方をしていた。身体を張って若手芸人と同様のことをしていく。それを裏方で支えていたのが飯島というプロダクションに所属していた女性マネジャー(飯島三智)で、テレビ局に売り込みをかける。彼等の必死の姿に、なんか共感した
放送作家としての僕に初めてFM番組のレギュラーの仕事が入る。6人組の1人同学年のタクヤの番組を作る仕事で、アイドル像を破壊するやんちゃな番組
阪神大震災の翌日の番組で、ブラックミュージック的音楽に乗せた新曲を予定していたところ、急遽歌の内容を変更、どんな時もくじけずに頑張ろうと、本気で本音で伝えようと歌い踊った夏が過ぎたころ、光genjiはグループを卒業――解散
l 1996 0415
'96年、6人は面白くて格好いい今までにない「アイドル」として、人気が上がっていく。歌にドラマに、バラエティ番組でも活躍。お母さん世代にまで受ける
フジから月曜22時のテレビの冠番組のオファーが来る。初のゴールデン・プライムタイム(GP帯)でのアイドルメインの番組で、①女優をゲストにしたモリクンの料理番組、②コント企画、③CG多用の歌のコーナー、の3つの要素で構成(SMAPxSMAP)
番組制作中に5月のモリクンの脱退が決まる。4月の第1回は、料理のゲストが大原麗子、歌が中森明菜。大人が見て楽しめる新たなバラエティ番組に仕上がる。初回放送の視聴率は、常識破りの22.4%。この瞬間テレビの歴史が変わる。アイドルが冠番組を持つ時代になった
モリクンはオートレーサーになる。記者会見にはリーダーが同席し、温かく送り出す
l 1996 0527
新番組は特大のホームランに化ける
0527は、モリクンを送り出す特別番組となり、リーダーは歌いながら泣く
第2章
あれからぼくたちは
l 1997 1231
5人になってからの彼らは、ソロの活動もインパクトを残し、より力強く輝いていく
映画俳優がバラエティ番組に出るのは珍しく、キャスティングに難航したとき、思い切ってトップの高倉健を狙い、1年後に射落とし、大人の男性にも受ける番組に成長
アイドルらしからぬバラード曲《夜空ノムコウ》がヒットし、紅白の司会に、フジからは’97年末のカウントダウン番組の司会と次々に大役が舞い込む
第3章
世界で二番目にスキだと話そう
l 2000 1123
‘99年正月、田村正和の人気刑事ドラマ《古畑任三郎》にSMAP全員がグループ名をそのままに出演、しかも5人で殺人を犯すというリスクを冒しながら、32%の視聴率を上げる
彼等5人は、グループから出て個人でも活躍、大きな結果を残してまたグループに戻ってくる
「国民的スター」の地位を確実にしていく中、タクヤが結婚を打ち明け、またまた大きなリスクを冒す。すでに子供も出来ていた。イイジマサンも事務所に無断でタクヤの決断を受け入れる
野島伸司作詞の《らいおんハート》(《フードファイト》主題歌)が2作目のミリオンヒットになるが、子供が生まれたら君は世界で2番目にスキだというメッセージに唸る
1123、全国ツアーのファイナルのあとタクヤの会見を予定していたが、スポーツ紙がスクープしたため、急遽繰り上げてその日のライブのあと会見。素直にスクープを認める
第4章
1・2・3・4 FIVE RESPECT
l 2000 1125
東京ドームでの開幕と共に、タクヤがファンの前で結婚を報告
翌年初から始まったタクヤの連続ドラマは平均視聴率34.4%を記録、時代のヒーローとなる
'02年、5人のメンバー紹介をする曲《FIVE
RESPECT》をリーダーと共に作詞し、お互いのことを想ってリスクを乗り越えた5人を思って、曲のサビに「ピンチはチャンス」と入れる
第5章
WELCOME ようこそ日本へ
バラエティ番組は終わりが決まっていないので、長く続けるのは難しい
初出演の「大物」が尽きてきたところで、ハリウッドに目をつける。キャメロン・ディアスを皮切りに、番組の評判がハリウッドに広がり、次々に出演の交渉がまとまる。マドンナすら出演
奇跡はマイケル・ジャクソンの出演。ギャランティ2000万円で落とす(日本人トップで100万)
第6章
とってもとっても僕のBEST FRIEND
東日本大震災から2年、「和」を求める時代の風潮に乗って出てきたのが「嵐」の5人組。常に「わちゃ」があった。SMAPの5人と違って、常に友達のように仲良く、「わちゃ」感が国民に愛されていき、SMAPと並び立つ国民的人気を誇るようになる
SMAPxSMAPの場合は、日テレの裏番組《しゃべくり007》が立ちはだかる
嵐に対抗して考えついた企画が、初めての5人だけのサプライズ旅行
第7章
くじけずにがんばりましょう
東北大震災の瞬間、僕はTOKYO
FMのスタジオで生放送中だったが、報道番組に切り替わり、僕の番組は中止に。混乱が続く中、イイジマサンから10日後のスマスマで生放送をやりたいとの連絡、リスクを超えて全国に勇気を届ける
第8章
20160118
2022年、人気俳優が事務所から独立するという。長年お世話になった事務所から独立するのは、芸能界ではタブーだったが、そのタブー感がこの頃薄れてきているのを感じるのは、SMAPの「あの放送」があったからではないか
2016.1.18. 僕は放送作家として終わった。僕が作・演出の芸人主演の舞台が大成功で、打ち上げにクラブに行ったとき、携帯に流れたのがSMAP解散のスクープ。その夜の番組で、報道に関しての説明をナマでするための原稿を書き事務所のOKを取ったが、ジャニーズ創業家のメリー北川(本名藤島メリー泰子)から強烈なダメ出しを食らう。藤島の指示は、「タクヤが社長に謝る機会を作ってくれたおかげで、「今、僕らはここに立っている」」というもので、残る4人の謀反を際立たせる内容だった
第9章
もう明日が待っている
この放送から7カ月後、解散を発表
2016.12.26. スマスマ最終回。5時間の特別番組は瞬間最高視聴率37.2%を記録(平均視聴率31.2%)
それから7年、テレビもメディアも大きく変わった。彼等のお陰で、今まで手に入れることの出来なかった自由を手に入れられた人も沢山いるはず
文藝春秋 ホームページ
これは「小説SMAP」である
放送作家・鈴木おさむが引退と同時に贈る、覚悟の一冊。
これは「小説SMAP」である。
メンバーの脱退、トップアイドルのまさかの結婚、東日本大震災発生10日後の生放送、誰にも言えなかった苦悩、戦い。
国民的スターとして沢山の夢や希望をもたらしてきた彼らの全てが、たった一夜の「放送」で壊れていった。
そして日本中が悲しんだ解散――。
大ヒット番組「SMAP×SMAP」の放送作家として20 年以上彼らと走ってきた著者にしか書けなかった、奇跡の物語がここに完成した。
月刊「文藝春秋」に掲載され、「小説SMAP」と呼ばれて大きな話題を呼んだ3篇に新たな書き下ろしの章を大幅に加えた本作は、2024年3月31日をもって放送作家を引退する著者が贈る、覚悟の一冊。
「明日」を望むすべての日本人に向けた作品となっている。
なお、本書の著者印税はすべて能登半島地震の義援金として寄付されます。
【鈴木おさむ氏からのメッセージ】
僕は2024年3月31日をもって、32年間やってきた放送作家を辞めます。
辞めると決めた後に、この「小説」を出そうと、書き切ろうと思いました。
誰かが記して残さないと、物語は消えていきます。だから僕が僕の目で見た真実を記して、放送作家を辞める時に刊行すると決めました。
このタイミングでしか、この小説を世に出すことは出来なかったと思います。
日本一有名な彼ら5人と、一緒に作り戦ってきた仲間たちとの物語を、自分の魂を削り、泣きながら書き上げました。
ずっとずっと読み継がれてほしい、新たなテレビ文学が出来たと思っています。
鈴木おさむさんが語るSMAP「謝罪放送」の“真実”…あらがえなかった「ソウギョウケ」の力
2024/07/03 10:30 讀賣Online
「SMAP×SMAP」や「Qさま!!」など、放送作家として数多くのテレビ番組を手がけてきた鈴木おさむさん(52)が今春、その活動に終止符を打った。まだまだ活躍できる年齢での引退に驚かされたが、同じタイミングで出版した書籍「もう明日が待っている」(文芸春秋)には、さらに驚かされた。SMAPのデビューから解散までを小説という形で振り返った本には、SMAPファンのみならず多くの人に衝撃を与えた「あの夜の出来事」の“真実”が描かれていたからだ。鈴木さんは何を思い、なぜ筆を執ったのか。(編集委員・村田雅幸)
辞めないと書けない
本書が、「放送作家を辞めると決めたから書けた」物語だったということは、事前に聞いていた。だから記者は、インタビューの冒頭近くで尋ねた。――なぜですか?
「お分かりになりますよね。分かっていて聞いているんだと思いますけど」
鈴木さんはすぐさま言葉を返し、こう続けた。
「だって、ジャニーズのことを書けば、この人、大丈夫なのかなって誰もが思うはずでしょう。それが旧ジャニーズ事務所ですから」
確かにそうなのだろう。芸能界に強い影響力を持つ事務所の意向に沿う限りは、特段問題はないのだろうが、本書は2016年1月18日、SMAPのメンバー5人が自分たちのテレビ番組「SMAP×SMAP」で行った、解散騒動を巡る謝罪の舞台裏を克明に記している。後に「公開処刑」などと批判された出来事の裏側を表に出すとなれば、様々なハレーションが起き、鈴木さんのみならず、テレビ局関係者にも迷惑がかかることが予想された。それ故、放送作家として活動をするうちに出版することはできないと判断したのだという。
l 悲しむファンに光を
だが、自分の責任として、いつかは書いておきたい本だった。
「謝罪放送については、僕自身もモヤモヤしていたし、SMAPファンの人たちもずっと悲しんでいた。作り手として世の中にあれを出してしまった以上、番組を見て傷ついた人を少しでも癒やせないかという思いがあったんです。ファンに一筋の光を、一滴の希望を持たせてあげたかった」
それがドキュメントではなく、小説となったのには理由がある。
「僕らに正義があるように、事務所側にも彼らの正義があったはず。でも僕はそれを知らないし、調べようとしても(相手は)答えてくれるはずもない。だからルポルタージュのように書くことは不可能でした。けれど、僕が見たことを小説として書くのであれば、いいのではないか。そう考えたんです」
小説に登場する人物の名は、フルネームでは書かれない。しかし、読者にはそれが誰のことかすぐに分かるはずだ。リーダー、タクヤ、ゴロウチャン、ツヨシ、シンゴ。グループを途中で脱退したメンバーの名も、モリクンとして出てくる。また、小説とは言うものの、作中で描かれる出来事も「自分の目で追いかけていた、本当に起きたことです。そこで書いた僕の感情も含めて」。
l あの夜、起きていたこと
本書の最大の読みどころとなるのはやはり、1月18日夜の謝罪放送となる。鈴木さんの視点から、時間の経過とともに描かれるとあって、ドキュメント的な迫力も持つ。一部分を引用してみよう。
【午前1時30分】
3杯目のハイボールを頼んだ時だった。
携帯が揺れた。
「大変申し訳ないですが、今から局に来ること出来ますか?」
僕はクラブを出た。
【午前2時15分】
レインボーブリッジを渡っていると、見えてきたお台場のテレビ局。
「今夜の番組の一部を生放送にすることになりました」
彼らが所属する事務所から「こうしてほしい」という強い願いがあり、局側もそれを受け入れて、決まったのだという。
「本の印税はすべて、能登半島地震の義援金に寄付しています。『SMAP×SMAP』では東日本大震災の後、募金を呼びかけていました。僕の中ではこの本が番組の最終回みたいなものなので、今回も募金しようと。あと、この本でお金をもらってはいけないとも考えていました」
以降、小説は【午前3時30分】【午前6時】【午前9時】【午後3時】【午後6時】【午後7時】【午後7時30分】【午後8時】と、時刻を明示しながら高い緊張感を保ったまま、その時々の出来事を記していく。その間に「僕」(鈴木さん)は、メンバー5人が生放送で解散騒動について謝罪することになったと知る。急きょ、彼らが語る謝罪の言葉を作ることになった「僕」。放送を前にメンバーそれぞれの思いを聞き、一度はその文言を完成させたが、放送開始まで1時間を切った段階で1枚の紙が届いて……。
【午後9時15分】
そこに書いてある言葉は、彼ら5人が所属する事務所を作った「ソウギョウケ」のトップの1人であり、この日本で、唯一無二のプロダクションを作り上げてきた女性によるものだった。
生放送の中で、絶対言うべき言葉が書いてあった。
メンバーの1人が社長に謝る機会を作ってくれたおかげで、「今、僕らはここに立ててます」というものだった。
その後、現実の放送がどう進んだかは、多くの人が記憶しているに違いない。黒いカーテンの前に、黒いスーツ姿の5人が並び、1人ずつ謝罪の言葉を述べるのだが、苦しそうだったり、途中で言葉に詰まってしまったり。とんでもないことが今、テレビの中で起こっているのだと感じた人も少なくなかったはずだ。
もちろんその場にいた鈴木さんも、あり得ないことが目の前で起きていると実感していた。その場面を小説で書く際に選んだ言葉が「ソウギョウケ」だった。
「圧倒的な力、僕らが逆らうことができない何か、ということを考えた時、ぱっと降りてきた言葉でした」
ソウギョウケ――。どこか「創造主=神」をも思い浮かばせる単語。ソウギョウケの前に、テレビはひれ伏してしまった。その状況を鈴木さんは今、こんなふうに振り返る。
「すべてが魔法にかかっていたんです。本当は違うのに、従わなければならないと誰もが思い込んでいた」
l もう明日が待っている
謝罪放送から7か月ほどでSMAPは解散を発表し、その年の暮れに解散した。小説は最終章で、2024年1月までを描く。5人が現在、どんな活動をしているのか。どう立ち上がろうとしているのか。決して長い章ではないが、5人への視点は優しく、温かい。そして、こうつづる。
僕はあの時からだと思っている。
彼らのおかげで、彼らがあの時から変えたことにより、今まで手に入れることの出来なかった自由を手に入れられた人も沢山いるはずだ。
「あの謝罪放送がゼロ地点だと思っているんです。こう言うとファンの皆さんには申し訳ないけれど、あれがあったから魔法が解け始めた。壊れ、奪われても、そこから芽が出て、新しいものが生まれてくることがある」
l 本書が持つ、もう一つの“顔”
「今思えば、みんな懸命でした。SMAPも、番組スタッフたちも。こんなにたくさんの人が懸命になって作り上げてきた物語が、一夜にして壊れてしまう。それを自分が書き残しておかなきゃっていう思いもありました」
本書はSMAPの歴史をたどった本ではあるが、同時に男性アイドル論、平成のテレビ史としても読むことができる。
SMAPがデビューした1991年は「男性アイドル冬の時代」だった。しかし彼らは既存のアイドル像を壊し、バラエティー番組にも積極的に出演。同時に、大人の男性でも夢中になれる曲も歌った。鈴木さんは本の中で、その人気を決定づけたのが、96年4月にスタートしたバラエティー番組「SMAP×SMAP」だったと記す。
「初回視聴率が20%を超えました。あれが日本の芸能史、テレビ史を大きく変えたんです。アイドルが若い子の流行(はや)り物で終わるんじゃなく、国民的スターになる。彼らが成功したことで、後輩たちもテレビに不可欠な存在になった」
小説は、同番組に関わったテレビマンたちの奮闘にも触れる。高倉健に出演してもらうために毎週手紙を書き続け、50通も送ったプロデューサー。マイケル・ジャクソン出演に向けての莫大な出演料をめぐる駆け引き……。面白いものを作ろうと奔走する彼らの懸命な姿も、本書の大きな魅力となる。
「青春の物語、仲間の物語でもあります。なので30代、40代の男性にもぜひ読んでほしい」
様々な人間の努力が実を結んで番組は大きくなり、SMAPのメンバーそれぞれも活躍の場を広げていった。それは、喜ぶべきことだった。だが……。
鈴木さんは「すごくつらいことだけれど」と口にしてから、こう語った。
「後に事務所の力が巨大になりすぎて、メディアとの関係が通常ではあり得ないものとなってしまった。SMAPが変えたことが、最終的に自分たちを壊すものになってしまった」
l 放送作家を辞めたわけ
鈴木さんがこの春、放送作家を辞めたことにも、実はSMAPへの思いがかかわっているという。
「僕はSMAPのメンバーや、彼らを育てたマネジャーの飯島三智さんの背を必死に追いかけてきました。彼らに必要とされる存在でありたい、振り落とされたくないと、頑張っていたんです。でも、僕のことを必要だと一番思ってほしい人たちがいなくなり、自分の中でスイッチが入りきらなくなってしまった」
では、次に何をやるのか? そうして始めたのが、若い起業家をサポートするベンチャーファンド「スタートアップファクトリー」だった。
「僕は5、6年前から、事務所の下でシェアオフィスをやっているんですが、若い起業家たちが入れ替わり立ち替わり入っています。彼らは自分の身を削り、会社の成功を第一にしていて、昔のテレビマンみたいなんですよ」
その姿がもう一度、鈴木さんのスイッチを押す。
「彼らに必要とされたいと思ったんです。彼らと向き合っていると、昔みたいにワクワクする。ワクワクを感じながら生きるのが一番」
誰かを支え、誰かに支えられながら懸命に駆け抜ける。鈴木さんはこれからも、そうして生きていくのだろう。
WEB本の雑誌 2024.4.15.
【今週はこれを読め! エンタメ編】鈴木おさむの"小説SMAP"『もう明日が待っている』
文=高頭佐和子
放送作家として、長い年月をメンバーたちと関わってきた鈴木おさむ氏による「小説SMAP」である 。
野心あふれる一人の若者が、世間に認知され始めたばかりのアイドルグループに出会い、自らも才能を開花させていく自伝的青春小説でもある。
「アイドル冬の時代」と呼ばれる時期にデビューし、バラエティ番組に活路を見出して、人気が出始めていた男性アイドルグループがいた。1994年、駆け出しの放送作家だった「僕」は、そのメンバーの一人「タクヤ」のラジオ番組に、放送作家として関わることになる。22歳同士の二人は意気投合し、従来のアイドル像を壊していくような番組を作った。それを面白がってくれたマネージャーの「イイジマサン」に誘われ、人気テレビ局で始まる彼らがメインの新番組に参加することが決まる。
番組の視聴率は初回から20%を超え、新しい時代が始まった。すぐにメンバーの一人「モリクン」が脱退するが、5人になったグループの人気はますます加速する。そんな折に「タクヤ」は結婚し、勢いが衰えていくことを予想する人も多かったが、彼らは「国民的」と言われるほどの人気を獲得し、番組視聴率はますます上がっていく。
メンバーひとりひとりの個性と結束力、「イイジマサン」の決断力、番組を作る人々の熱意......。それらが合わさって、彼らは危機を乗り越え、いくつもの奇跡を起こしていく。この小説の中では、具体的なグループ名や番組名は語られない。主要な登場人物たちも、フルネームで出てくることはないから、フィクションのように読むこともできる。だけど、同じ時代をよく知る私には、全てが映像のように具体的だ。テレビのこちら側で見ていた場面でも、視聴者の立場では決して見ることのできなかった場面でも、彼らの姿と声が脳内で鮮やかに再現されていった。物語のラストは2016年だ。異例の緊急生放送から、グループとして最後のテレビ出演となる番組の最終回までが「僕」の視点で描かれていく。
SMAPのことが好きだった。今でいう「推し活」をするほど熱心だったわけではない。だけど、アイドルという言葉から連想できる年齢を超えても、5人で歌っている彼らはかっこよかったし、それぞれの場で活躍しながらずっとSMAPも続けていくのだろうと思っていた。全員が黒いスーツ姿で並んだ笑顔が全くない会見を見た時の、大切な何かが壊されたような衝撃はよく覚えている。世の中はきれいごとばかりでできていないことはわかっていたけれど、あのラストはやっぱり悲しかった。たくさんの奇跡を起こしたスターにも、どうしても動かせない大きな物があって、その前では諦めることしかできない同世代の男性だったのだと、気づいてしまったような気持ちだった。痛ましさもモヤモヤした感情も、読みながら再現されてしまった。
でも、全て読んだ今思うのは、何かが終わったからといって、それがなくなるわけではないということだ。結末に苦みがあっても、彼らが起こした奇跡が消えるわけではない。さまざまなことを乗り越えて、今もひとりひとりのメンバーは新しい輝きを放っている。あの解散があったからこそ、変わったことや気づいたこともある。
すばらしい思い出も、苦い過去も、感謝も後悔も全て抱えて生きていく。それはきっと、彼らも私たちも同じなのではないだろうか。国民的アイドルグループのような影響力はないけれど、生きている限りは誰だって、小さな奇跡を起こすことや何かを変えることができる。そんな気持ちで一歩を進む力を、彼らと彼らの周辺にいた人々は確かにくれていたのだ。そこにどんな努力や思いがあったのかということを、どれだけ本気で全力だったのかということを、この小説によって知ることができた。始まったことには必ず終わりがあるけれど、何かが終わった後にも明日が待っていることも、教えてくれた。読んで良かったと心から思いながら、私の頭の中ではずっと彼らのヒット曲が流れている。
(高頭佐和子)
Wikipedia
鈴木 おさむ(すずき おさむ、1972年4月25日 - )は、日本の実業家、元放送作家。株式会社BSフジ放送番組審議会委員。脚本家・作詞家・ラジオパーソナリティ・タレント・映画監督としても活動していた。本名は鈴木 収(読み同じ)。ペンネームはすますま・すずき。元スマイルカンパニー所属[2]。2024年4月時点での肩書は、「スタートアップファクトリー ゴーイングメリー代表」。妻は大島美幸[3]。
経歴
[編集]
千葉県安房郡千倉町(現在の南房総市)生まれ[4]。千葉県立安房高等学校卒業[5][6]、明治学院大学経済学部中退(2年次)[7]。
高校2年生のときに『夢で逢えたら』を観て、放送作家を志す[8]。明治学院大学在学中、放送作家になるため太田プロダクションの門を叩くが、芸人採用オーディションを受けることとなった。その際、審査員の1人である放送作家の前田昌平の目に留まり師事する[8]。前田から「芸人さんの気持ちが分からないとダメだから、お前、オーディションを受けて、ライブに出てみろ」と言われ、半年ほどピン芸人として太田プロのライブへ参加している[8]。事務所のネタ見せ時には、土田晃之と同じオーディションを受けていた[9]。
ちゃんこ屋「鈴木ちゃん」を経営(中目黒、2012年9月3日 - 2018年4月30日)[10]。
2015年7月6日、育休(本人曰く父勉)のため一年間休業することを自身のブログにて発表
メシ酒場「鈴木ちゃん」を開店(目黒区、2018年8月 - )
2023年10月12日、2024年3月をもって放送作家業・文筆業から引退することを発表。
脚本家としての最終作品は、2024年12月に明治座ほかで上演される舞台「Thank you very マッチ de SHOW ギンギラ学園物語」(近藤真彦座長公演かつ主演・企画・プロデュース・演出。鈴木は脚本・構成を担当)となる予定。2024年7月19日、日本武道館で行われた近藤の60歳の誕生日記念コンサートにて発表された[13]。
人物
尊敬してきた人物は、SMAP×SMAPを共に作り上げてきた元SMAPの中居正広。
白鵬と親交がある。白鵬の30回目の幕内優勝祝賀会に参加した鈴木は、力士たちの面白さに気付き、バラエティ番組へ力士を起用するようになった。これにより遠藤、逸ノ城などを中心とした力士ブームの火付け役が鈴木であるとする分析もある。
中山美穂と10年間プライベートで親交があった。
2020年放送の『M 愛すべき人がいて』は、前クールに放送された大映テレビ制作『テセウスの船』の影響もあり、「令和版・大映ドラマ」として放送評論者の注目を集めた。
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