カニという道楽  広尾克子  2019.12.8.


2019.12.8.  カニという道楽 ズワイガニと日本人の物語

著者 広尾克子 1949年大阪府生まれ。関西学院大大学院社会学研究科研究員。1971年神戸大文卒後、日本旅行入社。00年退職まで主に海外旅行企画部門に従事。13年関学大学院社会学研究科入学。同科博士後期課程を単位取得退学後、現在に至る。著作に『カニ食の社会史―「カニ道楽」の誕生』『カニツーリズムのゆくえー北陸地域からの考察』

発行日             2019.10.25. 初版第1刷発行
発行所             西日本出版社

はじめに ズワイガニとは?
2016117日鳥取市賀露(かろ)漁港の魚市場でのカニの初セリで130万円の市場最高値が出た ⇒ 10月の鳥取県中部地震からの復興を訴えた地元仲買人の心意気
116日がカニ解禁日
2018年の最高値は鳥取市の初セリで出た200万円
本書は、ズワイガニとズワイガニに関わった人々の物語
日本で食用にされるカニは、大型のものだけでもタラバガニ、ズワイガニ、ベニズワイガニ、毛ガニ、ワタリガニなど数種に及ぶが、これらのうち、「松葉ガニ」「越前ガニ」「幻の間人(たいざ)ガニなどと称されるカニがズワイガニ。真っ白い脚身は甘く、甲羅内の内蔵(カニミソ)は絶品とされる。主として島根県から新潟県辺りまでの西日本海で漁獲
大阪でカニと言えばズワイガニだが、東京ではロシアかどこかの冷凍ものばかりで、カニと言えば毛ガニかタラバガニ
本書ではズワイガニを扱い、「カニ」と記す場合、「オスのズワイガニ」のこと。なかには「ミズガニ」や「若松葉」と呼ばれる安価なカニがあるが、これは脱皮直後の若いオスガニを指し、身が柔らかく水っぽく、質の劣るカニとされる
「メスガニ」は、オスとは別物の小型で安価なカニ。地域により「セイコガニ/セコガニ」「コッペガニ」「香箱(こうばく)ガニ」「オヤガニ」などと愛称で呼ばれ、卵と内蔵のおいしいカニとして愛好される

l  ズワイガニとは?
カニの種類は全世界で6000種以上、日本で生息しているだけでも1000種以上
ズワイガニは、甲殻類エビ目のカニ類ケセンガニ科に属する、食用のカニ。日本で最大の漁獲量を誇るベニズワイガニも同科に属する
他の食用の大型のカニとしては、クリガニ科の毛ガニ、ワタリガニ科のガザミ、イワガニ科のモクズガニ(上海ガニはこの一種)、イチョウガニ科のイチョウガニ(主にヨーロッパで食用)やストーンクラブ、ダンジネスクラブ(サンフランシスコ)がある
ワタリガニ科のカニも多様で、インド洋・太平洋地域で食されるマングローブガニやマッドクラブ、ソフトシェルクラブとして食べるブルークラブなどを含む
他に世界最大のカニと言われるタカアシガニ、縦長の甲羅が特徴のアサヒガニ
タラバガニは、ヤドカリ類タラバガニ科に属し、厳密にはカニではない。同じヤドカリ類にはタラバガニに近似するアブラガニや、根室付近で漁獲されるハナサキガニ、南の島で食されるヤシガニなど
カニには、グルタミン酸やイノシン酸などの旨味や、グリシン、アラニンなどの甘味がたっぷり含まれる
ユダヤ教などは、宗教上のタブーでカニを食べない
ズワイガニの種類 ⇒ 日本海、オホーツク海、カナダなどで漁獲されるのが本書で扱うホンズワイガニ(学名オピリオ)、ロシア、アラスカなどで揚がるオオズワイガニ(学名バルダイ)、日本海深部に生息するベニズワイガニ。全2者は外見も区別がつかず、市場の表示は「ズワイガニ(英名snow crab)」で統一
ベニズワイガニは主に日本海で魚獲され、ほとんどが缶詰や調理用に加工。生きているときから鮮やかな赤色をしているので、生の状態なら暗褐色のズワイガニと間違うことはない。缶詰にはマルズワイガニと表記されているものもあり、アフリカで漁獲されるオオエンコウガニ科に属する他種のカニで、味の評価は高い
メスガニは10万個の卵を産み、孵化するまでに半減、孵化後数回脱皮して3mmのカニの形になるまで1年半を要し、さらに10回以上の脱皮を行って成体となるので、漁獲対象の大きさになるまで810年かかる。雑食性で、魚の死骸やプランクトンなども含め何でも食用にする。寿命は1517年と計算されるが、生態について不明な点が多い
日本海での生息域は、水深200から400mの海底
成体はメスで甲羅7cm以上、脚を広げた全長40cm内外、オスは甲羅が10cm以上、脚を広げた長さが70cmを超えるものも多い
成体になるとほぼ無敵だが、ごくまれに巨大なタコに食べられることはある。小さい時には食物連鎖の掟通りすべての魚やヒトデなどの餌になるので、成体までの生存率は極めて低い
ズワイガニの語源は諸説。傷みやすいので酢で和えて食べるのが普通であるところから「酢で和える」が「すあえ」「ずあえ」「ずわい」と変化したとする説や、「楚」という漢字にまつわるもので、古くは「すわえ」と読まれ、「若い枝の細く真っ直ぐなもの」を意味していたのが、なまって「ずわい」となったという説
1742年の『越前国福井領産物』にある「ずわいかに」という文字が、ズワイガニの最も古い記録

第1章          カニを都市に持ち込んだ人
戦後の高度成長期まで、都会で生のオスガニを見ることも食べることもなく、食べるのはカニ缶
1.   道頓堀の「かに道楽」
1962年道頓堀に誕生した「かに道楽」を創業した今津義雄(191595)は兵庫県豊岡市瀬戸というカニが水揚げされる津居山漁港に隣接する村の出身。小学校卒業とともにカニを行商。19歳で結核に倒れ、2年の闘病で徴兵も免れ、兄が関わる地元の日和山遊園(現城崎マリンワールド)で働き、戦後兄が設立した日和山観光に入社、現在でも城崎の旅館「金波楼」やゴルフ場経営、水産加工業などの事業を拡大、地元資本の大企業として地域経済の中核を担う会社の役員として活躍
1958年「金波楼」の大阪案内所所長として大阪西道頓堀に赴任、2年後に海鮮食堂「千石船」を併設。山陰のカニの味が忘れられずに大阪でも食べたいという客の需要に応える形で始めたが、当初2年弱は不入りで身売りも考えたが、61年冬の解禁とともに突然流行り出す
同時に、「金波楼」の宿泊客の要望で茹でたカニを大阪まで先回りしてトラックで配送、大阪で帰って来た客に渡すというサービスを始め、輸送方法も取得
622月道頓堀に「かに道楽」開店。たちまち動くカニの看板で評判となり、68年にはテレビコマーシャルを始め、全国に数十店舗を展開
産地でのカニ料理は、茹でたカニをそのままか、酢に添えて食べるだけだったが、61年かにすきを開発して爆発的に広がる ⇒ 漁師が獲れたての魚介を塩水で煮て食べた「沖すき」がヒント。出汁に苦労、鍋料理につきもののシメジやマイタケでは味が出て出汁のバランスを壊すが、味の邪魔をしないエノキダケに行きついてカニの鍋料理が完成
シーズンオフ用にカニを丸ごと氷に閉じ込める「カニ氷」を開発、通年提供を可能にする
シーズン中の買い占めで浜値が上がったため、他の地域のカニを探す必要に迫られ、65年からは北海道のカニの仕入れが本格化。この頃北海道ではタラバガニが缶詰用として重視され、ズワイガニは顧みられていなかった
北海道の漁業の中心は、タラとサケ・マスで、タラ資源が減っていく過程で同じ漁場・鱈場にいることからタラバガニに目が付けられた。缶詰以外のタラバガニを札幌の人が口にするのは1964年タラバガニ専門店「氷雪の門」創業時。毛ガニも姿のまま出回ったのは同じ頃
70年代から山陰地方のズワイガニは、漁獲量が減少、高騰化、希少化するが、いち早く北海道のカニに目を付けたところから「カニ道楽」の全国展開が可能になった
オホーツク海のカニ漁は海域により漁期が異なり、常にどこかで漁獲されているので、ロシア船からも直接仕入れする
「カニ道楽」だけで年間3500トン消費。80%がズワイガニ
国産ズワイガニの漁獲量は17年で3995トン。兵庫が942トンでトップ

2.   認知された「かに道楽」
当初派手な看板は、目立ちすぎて品がないと好感を持たない人もいたが、すぐに大繁盛で雲散霧消
東京ではズワイガニを「越前ガニ」と通称して、評判が広がる
70年頃からは同業他社も相次ぎ、相乗効果で都市に浸透。商号争いや動く看板の疑似店告訴も発生するが「カニ道楽」は勝訴している

第2章          カニツーリズム誕生とカニの流通
都市の人々がカニに関心を抱くようになったからこそ発生した事象が、新聞がカニ解禁を報じるようになったことと、カニを食べる目的で産地に赴くカニツーリズム現象の誕生
1.      カニツーリズム現象
1955年農林省令『ずわいがに採捕取締規則』により、富山県以西のオスズワイガニの漁期を111日から331日と限定
1962年朝日新聞が初めて、日本海ズワイガニ解禁を初冬の味覚として報道。同日解禁の鴨猟の記事の方がはるかに大きい取り扱い
1968年漁期が116日から320日に短縮。資源保護が目的。高価で希少な食材の扱いで、贅沢食材の代表例になる
「カニの香住」を中心に、都市の人々のカニへの想いから、カニを食べに産地に来るカニツーリズムが始まり、農業の傍ら釣り客や海水浴客相手の民宿が受け入れ宿として、都会で始まっていたカニ料理を客に聞きながら会得していった
70年大阪万博が日本の旅の様相を転換させ、その年に始まる国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが各地方の潜在的魅力を発掘・発信して人々の旅行動を促し、豊かさを求める時代の要請と相呼応して盛り上がる

2.      ブランド化されるカニ
日本海のズワイガニ漁は底引き網漁のみ許可、島根ではカゴ漁も認可
底引き網漁は、底魚の資源保護のために厳正に漁期が定められている ⇒ 9月~5
100トンの大型船1隻で、豊漁ならオスガニ3000枚、メスガニ10000枚以上漁獲
産地ごとのタグ装着が始まったのは「越前ガニ」で、カニのブランド化が始まったが、原産地の証明だけで、品質は別の問題
香住地区の柴山漁協が出している「柴山GOLD」は、姿かたち、身の締りなどすべてが揃った1.4㎏以上(現在は1.35㎏以上に変更)の最高級のカニに装着される

3.      都市に流通しないカニ
山陰・北陸で水揚げされる国産のズワイガニは、市場外流通と言って産地で仲買人が仕入れて直接売るのが大半で、カニを必要とする消費者相手の店や高級鮮魚店などに、相手先の要望に応じた処理をして提供。浜の仲買人が卸売業者であり、加工業者であり、小売業者でもある
カニの一番おいしい食べ方は?と問うと仲買人も漁業者も「姿茹で」「ラウンドのボイル」と答える。活カニの「浜茹で」が最高だが、「カニは目利き10年、茹で一生」と言われるくらい、特に甲羅のミソの茹で加減が難しい

第3章          カニ産地を行く
1.      カニの名産地――越前(福井県)、丹後(京都府)、但馬(兵庫県)
他所よりも早くからカニを認知していたのが越前だが、戦後まで地域内で費消
開高健が「越前ガニ」を称賛した効果もあって80年代はカニ旅客が殺到
越前岬以南の越前海岸にある越前漁港は日本でも屈指のズワイガニ水揚げ港
料亭として名高いのが1870年創業の「こばせ」。富山の薬売り商人の定宿
丹後半島は、「間人ガニ」産地として有名 ⇒ 1950年の間人ミナト祭から観光がスタート、62年丹後半島一周道路の完成で海水浴客が急増、民宿が発展。70年代後半から冬のカニ客を取り出す。老舗は「吉野家(現・よ志のや)
間人の西南の夕日ヶ浦温泉は、1982年にオフシーズン対策として掘った温泉が当たって、カニを町興しに活用、立派な海浜温泉郷として知名度を上げている
但馬地域は香住と柴山の漁港が中心。老舗は「川本屋」
38豪雪で壊滅的被害を受けた地元の梨農家が兼業で民宿を始めたのが昭和38年。釣り客や海水浴客が目当てだったが、カニすきを始めて客足が伸び、72年頃から一気に民宿が増える
1998JR西日本が主催する「かにカニエクスプレス」という日帰りかにツアーが香住で始まり人気を博すが、町興しには役だったが、各店の常連も増えた今では沈静化

2.      「かに王国」宣言――城崎温泉の選択
毎年1123日が城崎温泉「かに王国」の開国イベントで、向こう4か月間活気に覆われる
60年前後から観光客目当ての暴力団が入り込み、風俗営業が風紀を乱す
70年暴力団を一掃、オイルショックによる景気の冷え込みに対し町興しとして考えられたのがカニで、「カニの行商のおばちゃん」が最寄りの津居山漁港で仕入れたカニを観光客の土産として売ったのが始まり
1982年城崎温泉観光協会が「かに王国」の建国宣言 ⇒ カニツーリズムを体現する代表的な観光地に模様替え。2013年にはミシュラン・グリーンガイドで2つ星として紹介され、外国人観光客も増加

第4章          ズワイガニの日本史
1.      江戸時代にようやく現われるズワイガニ
カニそのものは貝塚から発見されており、『古事記』『万葉集』にも登場するが、いずれもサワガニ等、身近で生息する小さなもので、深海に生息するズワイガニは漁撈技術が未発達の時代に漁獲されることはなかった
ズワイガニとしてはっきり認識されるのは1724年『越前国福井領産物』及び1738年能美郡(現・小松市)の『郡方(こおりかた)産物帳』に「ずわいがに」と記されたのが最初
次いで1782年、因幡鳥取藩主・池田治道が美作藩主・松平康哉にお歳暮として「鱈と松葉蟹」を送ったという記録がある

2.      明治以降のズワイガニ
カレイを主に狙う漁網にカニが混獲され続けたようで、1905年の香住町の漁獲物記録にはカニの漁獲量がカレイの1/7で、金額的には1/14とあり、カニの換金価値は低い
次第にオスガニが漁獲されるようになるが、冷蔵・冷凍など保冷技術未発達の時代では、鮮度劣化が早く、塩蔵にも干物にも加工できないカニは、近隣に行商されるのみ
1911年山陰線佐津駅開業により柴山漁港から京阪神への直接出荷が可能となったが、カニは劣化が早く鉄道輸送には適さなかった
明治以降カニは浜で缶詰に加工されて流通 ⇒ 1884年福井でズワイガニを缶詰にした記録が残り、90年の第3回内国勧業博覧会に福井・石川から出品されている

3.      産地から出ないズワイガニ
1905年東京で出版された『食道楽』という食情報誌に、金沢の料理道楽研究会の献立の1つとしてカニしんじょが紹介され、29年にも大阪で出版された同名の雑誌にも冬の越前の代表としてカニを上げている
戦後は1950年の『旅』に初めて、米子市で生きのいいカニの脚をご馳走になるとの記事が載り、54年には、「能登、加賀、越前にかけて蟹がうまい」とある

第5章          カニという道楽を守るために
国産ガニの漁獲量激減に対し、カニの輸入量が急増
カニ資源の先行きは明るいとは言えない
1.      ズワイガニ漁獲量の推移
1970年代から激減 ⇒ 日本海西区蚤の漁獲量は、72年までは優に10000トンを超えていたが、90年代に2000トンを割り込み、05年には様々な対策から4000トン前後まで回復したが、また減少に転じ、17年には3000トンを割っている

2.      輸入ズワイガニの流入
貿易統計に登場するのは70年から。89年まではカニ1
70年は897トン。75年に10000トンを超え、85年から急増、90年には12万トンを超え、2000年ごろをピークに減少し、18年では3万トンへ。うち半分以上がズワイガニ
世界的なカニ資源の減少が問題視され、漁獲規制と価格高騰による買い負けが考えられる
2014年日ロ間で「水産物の密漁・密輸防止に関する協定」発効により、密漁ガニでないというロシア当局の証明書付きのカニしか輸入できなくなり、活カニを頼っていたロシアからの輸入が急減したが、密漁が含まれているとの指摘は止まらない

3.      ズワイガニの漁獲管理
カニ資源枯渇への官民挙げての対応の取り組みがなされている
鰈の手繰り網漁として規制の対象になっていたが、底引き網漁業に代わって40年に賀露漁協の提案で410月の禁漁が実施され、最初の漁期設定となる
55年農林省令で日本海西区におけるズワイガニの漁期が113(メスは11.16.2.15.)と決められ、70年新たに11.6.3.20.(メスは11.6.1.20.)と短縮し、富山県までを含めた
新潟県以北はオス・メス区別なく10.1.5.31.と長く、オホーツクも10.16.6.15.と異なる
省令とは別に64年、島根から石川までの15県の漁業者で構成される「日本海ズワイガニ特別委員会」が設置され、省令より厳しい自主規制を敷く ⇒ ミズガニとメスガニの漁獲期間を短縮、1,2年でオスガニに成長するミズガニを保護
地域ごとにも、漁獲可能な個体のサイズや1回の漁獲量の規制などを実施
1996年批准発効した国連海洋法条約では、領域内での適切な資源管理が求められており、97年からは日本でもTotal Allowance Catch規制を導入。当初の管理対象6種にズワイガニも含まれているが、適切な管理からはほど遠い
行政による資源保護対策として1983年の京都府の取り組みでは、海底にコンクリート枠を敷設して一定のサンクチュアリを設置したのが功を奏し、96年には「松葉ガニ保護区作戦大当たり」の記事が載る ⇒ 現在でも、水産庁の「フロンティア漁場整備事業」の一環として継続され、西区には多くのズワイガニ保護区がある
ブラガニという、まだ脱皮を続けるオスガニの水揚げが多いのも、カニの小型化につながる恐れが多い ⇒ ブラは次の脱皮のためにミソを蓄えているので、ミソ好きにはたまらず指名買いが増えるが、ブラの漁場で網から逃れたブラは、早く成体になって子孫を残そうとして脱皮をやめてしまい、マツバというオスガニになって生殖を始めてしまうため、脱皮回数が減って小型化すると考えられるが、科学的な根拠はなく、カニの生態すらわかっていない
コンクリートブロックによる保護には異論もあり、ブロック内で安心しきったカニの質が劣化するという話もある
養殖も、深海を好み成長に10年もかかるところから難しい
多角的にカニの生態を研究して、科学的根拠をもって漁業を律しないと、自然の回復力だけに頼っていたのでは資源保護にも限界がある

4.      カニ漁は存続できるのか
カニ漁の担い手の問題 ⇒ 現代の漁業は「機器が魚を獲る」「装備が勝負」と言われるが、カニは海底の泥の中にいるので魚群探知機は効かない。過去の記録ノートとプロッターという航跡記録装置が最も頼りになるという機器とは無縁の世界
2018年の解禁日に衝撃的なニュースが流れる ⇒ 「ズワイガニ少子化危機で3年後に半減予測」という記事で、水産庁の依頼により山陰・北陸でズワイガニ資源量を調査した結果。原因は不明だが、何らかの理由で未成熟の稚ガニの死亡率が高いという。回復には78年かかるとの予測




(書評)『カニという道楽 ズワイガニと日本人の物語』 広尾克子〈著〉
2019.11.23. 朝日
 冬の味覚の王者、脱皮への秘話
 毎年秋が深まると、旅行会社の広告が赤く染まる。紅葉ゆえではない。赤の正体はカニである。
 オスのズワイガニ、またの名を松葉ガニないし越前ガニ。116日の漁解禁日には初セリで1匹ン百万もの値がつく、冬の味覚の王者である。「いやいや、カニといったら毛ガニかタラバガニでしょ」と思ったあなたは東日本人。北陸から近畿、山陰までの港で水揚げされるこのカニは関西をはじめとする西日本でとりわけ愛されてきた。
 もっともそうなったのはさほど古い話でもないらしい。〈「カニはそのへんにころがってた」「カニなんか畑の肥やしやった、捨てとったで」〉と産地の人々は証言し、一方、都市ではカニとはカニ缶のことだった。それがなぜ?
 時は1960年代初頭。兵庫県の日本海沿いの町から生のズワイガニを都市に持ちこんだ人物がいた。ご存じ「かに道楽」の創業者である。「かにすき」を考案し、巨大な動くカニの看板を掲げ、「とれとれピチピチ」というCMソングで殻付きのカニをアピールする。いわばカニが缶詰から脱皮した瞬間だった。
 7080年代にはカニを食べることを目的にした「カニツーリズム」が興隆、カニ料理を出す民宿や旅館が急増する。先陣を切った香住(かすみ)(兵庫県)、開高健の随筆が火をつけた越前町(福井県)。丹後ちりめんの集積地だった間人(たいざ)(京都府)では買い付けに来た西陣の旦那衆から評判が広がり、城崎温泉(兵庫県)では遊興目当ての観光客の減少をカニが救った。つまり〈カニは産地から出ずに、産地に人びとを呼び込む「まねき」となったのだ〉。
 肉や魚とはちがい、カニなどべつに食べなくたって死にゃしないのである。にもかかわらずカニに情熱を傾ける人々。これはもう文化か道楽というほかない。通りいっぺんの食味ルポとは異なる渾身の文化史。カニ好きとカニの蘊蓄を語りたい方は必読である。
 評・斎藤美奈子(文芸評論家)
     *
 『カニという道楽 ズワイガニと日本人の物語』 広尾克子〈著〉 西日本出版社 1650
     *
 ひろお・かつこ 49年生まれ。関西学院大大学院研究員。『カニ食の社会史 「かに道楽」の誕生』など。


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ズワイガニ(楚蟹、学名 Chionoecetes opilio は、十脚目ケセンガニ科(旧分類ではクモガニ科)のカニ。深海に生息する大型のカニであり、食用のカニとして扱われる[1][2]
ベニズワイガニ (紅楚蟹) などの近縁も本項で記載する
形態[編集]
甲羅にカニビルの卵が付着したオオズワイガニ
メスのズワイガニ(セコガニ)
体色は全身が暗赤色をしている。甲は膨らみがある三角形、鉗脚(第1胸脚)と第5胸脚は短いが第2 - 4胸脚が長く、大きなオスが脚を広げると70cmになる。オスの甲幅は最大14cmであるものの、メスは半分の大きさである。メスは性成熟すると産卵、抱卵、幼生放出を繰り返す[3]。日本産の個体は歩脚の長節が長く、亜種C. opilio elongatus Rathbun, 1924 として分類する見解もある[2]
「ズワイ」は、細い木の枝のことを指す古語「楚(すわえ、すはえ)」が訛ったものとされ[3]、漢字で「津和井蟹」とも書かれる。
オスとメスは大きさが異なるために多くの漁獲地域でオスとメスの名前が異なる。
オス:エチゼンガニ、マツバガニ、ヨシガニ、タイザガニなど[4]
メス:メスガニ、オヤガニ、コッペガニ、コウバコガニ[5]、セコガニ、セイコガニ、クロコガニなど[4]
本種を記載した"Fabricius"は、オットー・ファブリシウス (Otto Fabricius) で、動物分類学の基礎を築いたことで知られるヨハン・クリスチャン・ファブリシウス (Johan Christian Fabricius) とは別人である。記載者まで表記する際は"O. Fabricius"として正確を期すことが多い[1]
生態[編集]
山口県以東の日本海と茨城県以東からカナダまでの北太平洋、オホーツク海、ベーリング海に広く分布する。水深50 - 1,200mの砂泥底に生息するものの、水深200 - 600mの深海と水温0 - 3の水域を好む[1][2][3]
食性は雑食性であるものの、貝類多毛類などを捕食するほか、海底に落ちた魚介類、海洋性哺乳類などの屍骸、自分自身の殻も食す。産まれてから親になるまでに約10年を要し、オスは11齢で漁獲許諾サイズの甲羅幅90mmを超える。最終齢からは4年程度生存する[6]。最終齢になると脱皮をしなくなるものの、春季に脱皮をすると損傷した足は再生する。汚染海域では水銀ダイオキシンが蓄積する。
産卵期は初産6 - 7月、経産2 - 4月で、深海域に生息するため、脱皮、季節移動、寿命など生態の解明は十分ではないものの、オホーツク海での調査では、季節により生息域が変化し、雄雌により生息水深が変化していた[7]。交尾後産卵された卵は、腹節の内面にある腹肢に付着して抱卵され、1年から1年半経過すると、孵化しプレゾエアとなり放出される。放出後、親は短期間で再び産卵する。従って、成熟したメスは長期間、卵を抱いている。交尾時の精子は、メスの貯精嚢に保存されて少しずつ使用される[8]。飼育実験によると、ゾエア幼生からメガロパ幼生期の適正飼育水温は9 - 14[9]100日から120日で稚ガニとなり、着底する。2003年に若狭湾で行われた調査によると、メスは66,000粒程度の卵を抱いており、高齢のメスはあまり放出しない[10]
関係[編集]
l  ズワイガニ(オピリオ)C. opilio (O. Fabricius), 1788
本種。日本海、オホーツク海、カナダなどで水揚げされる。ホンズワイガニとして知られており、全国各地で地域ブランドとして販売される。濃厚なケガニヤドカリ下目で大きなタラバガニと並ぶ三大食材であり、オピリオで甘味を引き出す場合は鮮度に注意して熟成を行う必要がある。
l  オオズワイガニ(バルダイ)C. bairdi Rathbun, 1893
ロシアなどで水揚げされる。オピリオよりも大きいため、しゃぶしゃぶに使用される。
l  ベニズワイガニ(ジャポニカス)C. japonicus Rathbun, 1932
オピリオよりも水深の深い場所に生息する。脚、胴の腹面含め全体に暗褐色であり、加熱する場合は全体が鮮やかな紅色を呈する。日本海、北朝鮮、ロシアなどで水揚げされる。オピリオよりも殻が柔らかいため、冷凍には向かない。加熱する場合は身が縮みやすいものの、生鮮品では甘味が最もあり、ジャポニカスの刺身はオピリオよりも美味しい場合がある。漁港で水揚げされたジャポニカスは、保存の問題から兵庫県でのみ食べられるため、カスミガニとしてブランド化されている[11]。本種は、1906年にアメリカの海洋調査船アルバトロス号が日本海佐渡沖水深960mで採集した1匹の個体により、アメリカの海洋生物学メアリー・ラスバン1932年に記載した。日本では存在も知られておらず、1950年に但馬沖で採集した11匹の個体により、山本孝治が和名を与えた。富山湾では1941年から赤ガニと呼ばれており、刺し網で大量に捕獲されている。現在では山陰沖が主要な漁場。資源保護の目的により、当初からメスは水揚げされていない[12]
l  マルズワイガニ(オオエンコウガニ)Chaceon maritae (Manning et Holthuis), 1981
オオエンコウガニ科オオエンコウガニ属であるため、厳密にはオピリオの近縁ではない[13]。南アメリカ、西アフリカなどで水揚げされる。比較的安価であるため、缶詰に使用される。
雑種
生殖能力を持たないものの、オスのオピリオとメスのジャポニカスにおける雑種やオスのオピリオとメスのバルダイにおける雑種などが確認されており、それぞれオウゴンガニやハイブリッドなどと呼ばれている[1][2]
漁業[編集]
漁獲[編集]
水深200m程度から2000m程度が主な漁場で主に沖合底びき網[14]、カニカゴ漁[15]で捕獲される[6]
TAC制度(漁獲可能量制度)のため、海域により、漁獲量の上限が定められている。日本海での漁は沖合底びき網漁が主体となっているものの、カニカゴ漁、刺し網、板びき網漁も行われている[16]。資源保護のため、省令により、細かく制限されている。例えば、新潟県以東の海域と富山県以西の海域では異なる。
新潟県以東の海域:雌雄とも漁期は101 - 翌年531日、共に甲幅90mm未満のオスと未成体のメスにおける漁獲の禁止。
富山県以西の海域:メスにおける漁期は116 - 翌年110日、オスにおける漁期は116 - 翌年320日、さらに富山県以西の海域では漁業者の自主協定により、漁獲量の上限、禁漁区の設定、漁期の短縮、初産のメスにおける漁獲の禁止、省令より厳しい甲幅の制限、ミズガニ(最終脱皮前または最終脱皮後1年以内のオス)における漁獲の禁止[17]
漁期以外の季節にカレイなどの底びき網漁で混獲されてしまうものの、日本の漁船での捕獲は禁じられているため、海に再放流している。生存率は30%で実態は死んだカニの投棄に近いという疑問から、京都府農林水産技術センターらが2009年から2010年に行った調査では80%の生存率となる[18]。この状態を解決すべく、混獲されるカニを減らすための技術開発も行われている[19]
資源回復を目指し1964年頃から福井県や兵庫県などで飼育研究が行われている[20]
統計[編集]
平成28年(2016年)漁業・養殖業生産統計 魚種別漁獲量(ズワイガニ[21] 単位=t
総漁獲量 (底引き網漁)
2016年漁獲量順位
漁獲量
2004
5,959 (4,455)
1 兵庫
1,016
2005
4,849 (3,636)
2 鳥取
939
2006
5,996 (4,226)
3 北海道
894
2007
5,970 (4,367)
4 福井
433
2008
5,308 (3,806)
5 石川
388
2009
4,717 (3,288)
6 新潟
197
2010
4,809 (3,352)
7 島根
110
2011
4,439 (3,122)
8 京都
76
2012
4,353 (2,976)
9 山形
42
2013
4,181 (2,734)
10 富山
34
2014
4,348 (2,745)
11 秋田
14
2015
4,412
2016
4,153
食材[編集]
冬における味覚の王様として人気が高い。塩茹で、蒸し料理、鍋、しゃぶしゃぶ、寿司、刺身、缶詰として食される。肉、カニミソ、卵巣も食される。脱皮直後におけるズワイガニでは淡白な風味を楽しめるほか、脱皮をしなくなったズワイガニでは日本酒を楽しめる。
甲羅に付着する黒い粒子はカニビルの卵であり、寄生虫ではない。脱皮後の時間が長く、身入りが良い証拠として扱われる。
観光産業[編集]
ズワイガニのモニュメント(京都府京丹後市久美浜町)
ズワイガニは人気のある食材であり、名産地へのツアーが商品として扱われる。
地方名・地域ブランド[編集]
鳥取県網代港恵長丸のタグ
日本各地にズワイガニの呼び名があり、オスとメスでも呼び名が異なる[22][23]。地方での代表的な呼び名にエチゼンガニやマツバガニがある[23]。地方名では山形県などで本種をタラバガニと呼ぶ地域もある[23]
また、一部の漁港では一定の基準を満たすズワイガニを地域ブランド化する動きもあり、脚に色違いのタグを取り付けられる。一定の基準を満たすものにブランド、漁獲漁船名、所属漁港が明示される。
オス[編集]
ホッカイマツバガニ - ロシア、北海道、青森県、山形県、新潟県、富山県で水揚げされるオスのズワイガニとオスのオオズワイガニとオスのタラバガニ。
マイセツガニ - 秋田県における男鹿漁港で水揚げされるオスのズワイガニであり、1225日~2月末日における個体。基準は800g以上で脚が揃っているもの。
カノウガニ - 石川県で水揚げされるオスのズワイガニ[22]。名称は公募で決めた。
エチゼンガニ - 福井県で水揚げされるオスのズワイガニ[22]。全国で最初にタグ付けを行った。
マツバガニ - 山陰地方で水揚げされるオスのズワイガニ[24]
タイザガニ - 京丹後市における間人漁港で水揚げされるオスのズワイガニ[22]
アミノガニ - 京丹後市における浅茂川漁港で水揚げされるオスのズワイガニ。「アミノガニ」における「タイザガニ」は唯一の底引き船「大善丸」の名に由来するオスのズワイガニ。
カスミマツバガニ - 香美町における香住漁港で水揚げされるオスのズワイガニ。「カスミガニ」はオスのベニズワイガニ。
シバヤマガニ - 香美町における柴山漁港で水揚げされるオスのズワイガニ。
ツイヤマガニ - 豊岡市における津居山漁港で水揚げされるオスのズワイガニ。
ハマサカガニ - 新温泉町における浜坂漁港で水揚げされるオスのズワイガニ。
トットリマツバガニ - 鳥取県で水揚げされるオスのズワイガニ。
なお、脱皮直後におけるオスのズワイガニはミズガニと呼ばれており[22]、鳥取県ではワカマツバガニと呼ばれている[25]
メス[編集]
コウバコガニ - 石川県におけるメスのズワイガニ[22]
セコガニ - 福井県、兵庫県におけるメスのズワイガニ[22]
コッペガニ - 京都府におけるメスのズワイガニ[22]
オヤガニ - 鳥取県、島根県におけるメスのズワイガニ[22]


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