歴史を変えた50人の女性アスリートたち  Rachel Ignotofsky  2019.8.4.


2019.8.4.  歴史を変えた50人の女性アスリートたち
Women in Sports

著者 Rachel Ignotofsky 『ニューヨーク・タイムズ』ベストセラーに選ばれた作家兼イラストレーター。世界の素晴らしい女性たちの物語を分かち合う仕事を誇りに思っている。彼女の初の著作『世界を変えた50人の女性科学者たち』は、子供と大人の両方に、革新的な女性科学者たちについて学ぶよう促した。本書では自らの情熱を追求するために闘い、女性の体に何ができるのかについて世の中の認識を変えた果敢なアスリートたちのことをみんなに知って欲しいと願っている
ニュージャージー州で漫画とおやつを健康的に摂取しつつ育ち、11年タイラー美術学校のグラフィックデザイン科を優秀な成績で卒業。現在はミズーリ州カンザスシティで1日中絵を描いたり、文章を書いたり、できるだけ学んだりしながら、暮らしている。彼女の作品は歴史と科学からインスピレーションを得ている。彼女はイラストレーションが学びを面白くさせる強力なツールであると信じており、密度の高い情報を取り込み、それを楽しく親しみやすく表現することに情熱を燃やす
公式サイト:www. Rachelignotofskydesign.com

訳者 野中モモ 翻訳者・ライター。

発行日           2019.4.20. 第1版第1刷発行
発行所           創元社


女性を締め出していた近代スポーツ界に飛び込み、圧倒的な能力と粘り強さで記録と歴史を塗り変えてきた女性アスリート50人、その驚くべき成績やエネルギーに満ちた人生をチャーミングなイラストとともに紹介

日本版によせて  來田(らいた)享子(中京大学スポーツ科学部教授)
この本には、「やってみたい!」という願いを行動に移した女性たちのストーリーが詰まっている。そのストーリーは、私たちがいまでも、日々、たくさんの「ふつう」に縛られていることを気づかせてくれる。そして、私たち11人が「やってみたい!」を行動に移すことは、世界の誰かの「やってみたい!」を実現する道に繋がっていることにも気づかせてくれる
彼女たちの輝きは、記録よりもある女性の生き方の「記憶」として心に残るから色褪せない
19世紀の終わり、スポーツに世界共通のルールができ、国際大会が開かれて、一緒に競うことが可能となったが、当時の欧米社会では、スポーツはリーダー候補である、経済的に豊かな白人男性が楽しみ、勇気や判断力や、他の人と協力する力を身につけるためのもの
「やってみたい!」を実現するためにはたくさんの「ふつう」を変えていかなければならない場面にぶつかるが、そんな時この本の中のアスリートたちがこぞって教えてくれる秘訣がある。それは、「やってみたい!」と感じた自分を信じ、ありのままの自分を大切にし続けること

はじめに
1970年代を通じて英米など先進国でフェミニズム運動が開花。女性は男女同一賃金、機会均等を求めた
アメリカでは1972年にあらゆる性別の教育機会均等を謳う教育改正法第9(タイトルIX)可決。学校が運営費の割り当てにおいて男女で差をつけることが違法となり、多くの学校が女子のスポーツ活動に予算を割くようになる。大学は女子学生にスポーツ奨学金を出し始める
ビリー・ジーン・キングは、「女は弱い」と公言したボビー・リッグスを破る。彼女はスポーツのスターという立場を利用して、労働における女性と有色人種の機会均等を実現するためのロビー活動を行う

歴史年表
紀元前776年頃、第1回古代オリンピクに女性は参加不可。既婚女性の観戦も禁止
1866年 アメリカのヴァッサー大学に女性だけの野球チーム誕生
1896年 第1回近代オリンピック開催。女性の参加禁止。メルポメネが非公式に約42㎞走ったという噂がある
1900年 パリオリンピックで女性の参加が認められた
1926年 ガートルード・エダールが、女性初の英仏海峡横断水泳に成功
1950年 アリシア・ギブソンが黒人テニス選手として初の全米オープンに出場。会場は白人のみに開かれたカントリークラブ
1964年 合衆国の公民権法により、公共の場における人種分離は違憲となり、有色人種はスポーツや労働において多くの機会を得られるようになった
1966年 ボストンマラソンで男装の女性ランナーが初めて登場。翌年も女性が完走
1972年 合衆国では教育機会均等を定める教育改正法第9編可決。学校教育活動における性差別が違法に
1978年 ユネスコはスポーツが「すべての人が持つ基本的権利」と宣言
1991年 FIFAが女子ワールドカップを開催
1996年 合衆国で女子プロバスケットリーグ立ち上げ

1.    マッジ・サイアーズ(フィギュア・スケート、18811917)
イングランドでは男女とも冬になるとフィギュアスケートを楽しんでいた。初めて世界選手権に出場した時はロングスカート、次いで審査員がフットワークをよく見えるようにとふくらはぎ丈のスカートを取り入れ流行らせた。1899年仲間のスケーターと結婚。世界選手権に割り込み2位に食い込み、女子の部立ち上げに貢献
1906年史上初の女子フィギュア選手権で優勝、翌年連覇。オリンピックは1908年から女子の部も同時に始まり金メダルと、夫婦でペアの銅メダルも獲得、1回のオリンピックで2個のメダルを獲得した初の女性となったが、心筋炎で夭折

2.    タイニー・ブロードウィック(スカイダイバー、18931978)
ノースカロライナ生まれ。身長152㎝、体重40㎏未満。15歳で夫を失いシングルマザーに。カーニバルで見た気球からのダイビングに憧れ空中曲芸団に入り、1908年初めて飛んで天職を見つける。団長の養子となって各地を旅してまわる
1913年女性史上初の飛行機からのパラシュート降下に挑戦
翌年、軍用試験に失敗してパラシュートのラインが飛行機の尾翼に絡まってしまった際、史上初のフリーフォール・ジャンプを成功させる
1000回を超えるジャンプの後1922年若くして引退
航空技術における伝説的人物であり、最高に刺激的なエクストリーム・スポーツの先駆者
合衆国政府航空パイオニア賞とジョン・グレン勲章授与

3.    ボビー・ローゼンフェルド(陸上・アイスホッケー・テニス・ソフトボール、190469)
ロシア生まれ。幼少でカナダに移住。10代ではソフトボールをやり俊足で知られた
ソフトの大会中に100m走でカナダの国内チャンピオンに勝ち陸上に転向
1928年オリンピック陸上競技に試験的に女性の参加が認められ、ボビーは4x100mで世界新で金メダルを獲得したが、800mのゴールで倒れた女性を見て、その後32年間同種目から女性は排除
ソフトとアイスホッケーに復帰してから2年後の29年に関節炎発症、33年で完全引退し、カナダ紙の記者になり、20年にわたり『スポーツ談義』というコラムで女子スポーツを熱烈に応援
ボビー・ローゼンフェルド賞は、毎年カナダの最優秀女性スポーツ選手に贈られる

4.    ガートルード・エダール(長距離水泳、19052003)
ニューヨーク生まれ。24年のオリンピックで4x100mリレーで金メダル。遠泳が好きでローワーマンハッタンの波止場からニュージャージーのサンディフラッグ迄28㎞を7時間11分の世界記録で泳ぐ。36㎞の英仏海峡を女性で初めて横断、それまで男性5人しか成功せず、世界記録は16時間33分、2度目の挑戦で成功し14時間31分を記録、その後24年間破られなかった
英仏海峡横断で一時的に耳が聞こえなくなったこともあって、引退後は耳の不自由な子供たちに泳ぎを教える

5.    アイリーン・リギン(飛込・競泳、19062002)
映画に出演し、映画やダンスなど水泳の魅力を幅広く示した
6歳で水泳を習い、飛込に興味を示し、14歳で20年のアントワープ・オリンピックの代表となりアメリカ史上最年少の金メダルを獲得、24年のパリ・オリンピックでは同一大会の飛び込みと競泳の両方でメダルを獲得した史上初の人物。67年国際水泳殿堂入り
26年のステージパフォーマンスでは深さ180㎝のガラス製水槽に飛び込む
85歳のマスターズでは6つの世界新を出し、96歳で亡くなった時は世界最高齢の女性オリンピック・メダリスト

6.    ベイブ・ディドリクソン・ザハリアス(ゴルフ・バスケット・陸上、191156)
陸上の万能選手。バスケットでもゴルフでも、常に世界一のアスリートを目指す
テキサス生まれ。新聞に「筋肉女」と書き立てられ憤慨。夫はプロレスラー
国内では5種目制したが、女性がオリンピックに出られるのは3種目迄で、やり投げと80mハードルで世界新の金メダル
大恐慌後ゴルフに転向 ⇒ 4647年女子のトーナメントで14連勝。45年には男子大会で予選突破。女子プロゴルフ協会共同設立。故郷のボーモントには記念館がある

7.    福田敬子(柔道、19132013)
女子柔道を世界に広めた。祖父が柔術の師範で嘉納治五郎の師で、講道館で女子を教えていたので参加を勧めた。21歳で柔道を始め、見合いを断って柔道の道に進み、女子で初の黒帯5段に昇段。昭和女子大で日本文学の学位取得
カリフォルニアで教え、66年には移住してミルズ大学で教え、74年史上初の女子だけの道場を立ち上げ
講道館に性差別撤廃を訴え、70年代前半女性初の6段取得者に、06年には9段に
98歳のときアメリカ柔道連盟から10段授与。日本政府から瑞宝章授与
64年東京オリンピック開会式で柔の型を披露

8.    マリオ・ラドウィグ(ボウリング、19142010)
5060年代ボウリングのブーム到来で、「ボウリングの女王」の名をほしいままにした
ミシガン生まれ、最初はソフトボールの選手、22歳でボウリングの手ほどきを受け、41年で地方大会優勝、49年からは連戦連勝、9度にわたって「今年の女子ボウリング選手」に選ばれ、ボウリング界の伝説に。オールスターで8回優勝。女子プロボウリング協会の設立に協力。59年州スポーツの殿堂入り
30年に亘ってブランズウィック・ボウリングのために働き、世界中でボウリングを教えた

9.    トニ・ストーン(野球、192196)
ミネソタ生まれ。様々な差別に立ち向かった
43年女子プロ野球リーグが始まるが、有色人種は参加が認められず
男子でも別リーグが存在し、ジャッキー・ロビンソンが初めてメイジャー・リーグ入りしたのは47
53年ニグロリーグのメイジャー入りを果たし、プロ野球史上初の女性となる。2塁手で、通算打率.24390年野球殿堂で彼女の特別展開催。ミネソタには彼女を讃えて命名された野球場がある。引退後は看護師

10. アルシア・ギブソン(テニス、19272003)
ニューヨークのハーレム生まれ。13歳でトップクラスの黒人専用テニスクラブに招かれ、4445年の女子の部全国優勝
50年初めてフォレストヒルズの全米オープンに参加、翌年にはウィンブルドンに初の黒人選手として出場、56年黒人初のグランドスラム達成。57,58AP通信社の「今年の女性アスリート」に。『スポーツイラストレイティッド』『タイム』の表紙を飾った初の黒人女性
テニス界の伝説は人種差別撤廃の重要性についての理解を促そうと尽力、有色人種のアスリートたちが夢を追う道を切り拓いた ⇒ アルシア・ギブソン協会を設立、恵まれない子供たちがゴルフとテニスを習い奨学金を獲得するのを支援

11. アン・カルヴェッロ(ローラーダービー、19292006)
ロングアイランド生まれで、パンク・ロックが流行るずっと前に派手な色の髪と服とメイクで自分だけのスタイルを作って悪役を演じローラーダービーを広める。リンクで12回も鼻を折ったことから「バナナ鼻」の異名
ローラーダービーは大恐慌時代の産物 ⇒ 35年初の大会が開催され男女25チームが参加、最初に3000マイルに達したチームが優勝するレース
獅子座生まれから別名「ザ・ライオネス」としてライオンの指輪やタトゥーをして、プロレス的な気質のハイペースな競技になるのに貢献
「ジョー・ネイマスは、フットボール界のアン・カルヴェッロ」と発言したのは有名

12. ベリル・バートン(自転車、19372006)
イギリス最高のオールラウンダーとして25年間連続でロードレース界に君臨。娘も自転車選手で、全国大会で負かされている
67年には男子の最速記録を破る ⇒ 12時間タイムトライアルで446㎞の世界新。以後2年間破られず
国際自転車競技連合UCIのロードとトラックに出場、世界選手権のメダル合計15個獲得
64年大英帝国勲章MBE68年に大英帝国勲章OBE授与
オリンピックに女子自転車競技が認められたのは84年から

13. スー・サリー・ヘイル(ポロ、19372003)
全米ポロ協会は女性のプロを禁止 ⇒ 20年にわたって入会を求め続けた
ロサンゼルス生まれ、小さい頃からポロに親しみ、50年代から20年にわたり男装して競技に出場、5度にわたる妊娠中もプレーを続ける ⇒ 72年女性の協会員と認められる
『ポロ・マガジン』で「伝説のポロ選手20人」の1人に

14. 田部井淳子(登山、19392016)
75年女性で初めて(男女では36人目)エベレストに登頂し、世界中の女性たちのロールモデルに。氷のナイフのような尾根の側面を6㎞も這い進み、頂上は「畳1畳よりも小さい」と語る
69年日本初の女性登攀(クライミング)グループを立ち上げ、アンナプルナに登頂
92年には世界7大陸最高峰を制覇。70カ国の最高峰も登頂
エベレストの生態系を登山者のゴミから守ろうと呼び掛け

15. ウィルマ・ルドルフ(陸上・短距離、194094)
テネシー州生まれ。4歳でポリオ感染、左足の筋肉が麻痺し、2度と歩くことはできないと宣告されたが、白人専用使用権病院に差別されながら回復。高校ではバスケットの選手
60年のオリンピックで前日足首を捻りながら短距離3種目で金メダルを取った最初のアメリカ人女性。ヨーロッパでは「黒いガゼル」「黒真珠」と呼ばれた ⇒ 故郷での凱旋パレードを人種統合のイベントに利用するとともに公民権運動にも貢献
全米陸上殿堂と国際女子スポーツ殿堂入り

16. ジョディ・コンラッド(バスケット監督、1941)
テキサス生まれ。63年ベイラー大で体育学の学位を取って高校教師としてバスケットチームを監督。テキサス大ロングホーンズの女子監督として86183連勝して全国制覇。84,86WBCAの「今年の監督」に、
87年合衆国代表監督としてパンアメリカン大会優勝。2010NACWAAから生涯功績賞
女性チャンピオンたちの時代を先導し、女子アスリートに対する国の認識を変えた

17. ビリー・ジーン・キング(テニス、1943)
カリフォルニア生まれ。12歳からテニスを始めるが、人種・性別差別に悩む
61年ウィンブルドンのダブルス優勝、66年にはシングルスも優勝
68年全米テニス協会は大会に賞金を出し始めたが、女子は男子の半分以下で、この歳ウィンブルドンで優勝したが賞金は750ポンドで男子は2000ポンド
女子プロテニス大会「バージニア・スリムス・ツアー」を立ち上げ、71年には1回の大会当たり賞金1万ドルを確保
72年女性で初めて『スポーツ・イラストレイテッド』誌の「今年のスポーツ選手」に選出
73USTAが男女同額の賞金を宣言
女性の社会進出に批判的だった元世界チャンピオンのボビー・リッグスが「男女対抗試合」を持ち掛け、マーガレット・コートが負けたのを見て挑戦し30で圧勝、女子テニス協会設立に繋がる。試合開始前に「男性優越主義者のブタ!」としてリッグズに子豚をあげた
『ライフ』誌の「20世紀のもっとも重要なアメリカ人100人」の1人に
グランドスラム39回優勝を引っ提げ、現在でもスポーツと労働における男女平等の待遇実現のために闘い続けている。「ビリー・ジーン・キング・リーダーシップ・イニシアチブ」は労働とリーダーシップにおける更なる多様性の実現を目指して活動
81年レズビアンをカムアウトした最初のスーパースター

18. パティ・マッギー(スケートボード、1945)
65年『ライフ』誌は、スケートボードを「改造車に次いで最高に爽快かつ危険な乗り物」と紹介、表紙に逆立ちでスケボーに乗っていた金髪の小柄な少女がマッギー
カリフォルニアのサンタモニカ生まれのサーファー。62年から波の低いときには道路に出てスケボーを始め、65年全米の女子チャンピオンになり、19歳でプロに転向
70年代にはスキーも始め、種々の仕事を経験して、スケボーのビジネスに戻る
スケートの歴史における先駆者。04年「マリブ・サーフィンの伝説」になる

19. アニタ・デフランツ(ボート・スポーツ組織、1952)
フィラデルフィア生まれ。公民権運動に携わる黒人の両親の元で、弁護士になって公民権運動をする一方で、ボート競技でも76年オリンピック参加を果たしエイトで銅を取るが、80年のモスクワでは金の夢を政治に阻まれ、出場する権利を求めて提訴までした
86IOCで合衆国出身史上初のアフリカ系アメリカ人となり、9514IOCの女性とスポーツ委員会委員長、97年には女性として初めてIOC理事兼副会長に就任
彼女のロールモデルは、自分の祖母とハリエット・タブマン

20. フロー・ハイマン(バレーボール、195486)
カリフォルニア生まれ。60年代女子バレーボールは真剣なスポーツとは見做されておらず、バレーボールは白人のもの、バスケットは黒人のものと考えられ、195㎝と背の高い黒人のハイマンはステレオタイプを一新
75年合衆国代表チームに加入、84年に銀メダルを獲得
86年日本のプロ選手として活躍中に遺伝性疾患であるマルファン症候群による心不全で死去。そのあと弟は検査を受けて命を救われる
8704年フロー・ハイマン記念賞が18人の女性アスリートに贈られた

21. スーザン・ブッチャー(ドッグマッシャー犬ぞり操縦、19542006)
マサチューセッツ育ち。シベリアン・ハスキーを飼ったのを契機に自分の天職に気付く
アラスカで開催される犬ぞりレース「アイディタロッド」(1920世紀前半の鉱山町の供給路を基にしたレース)1688㎞に及ぶ「地上最後の大レース」 ⇒ 78年初めて19位入賞、女性として初めて賞金の出る順位に入る
79年女性として初めてデナリ(マッキンリー)の犬ぞりチームのリーダーに
86年最速記録で初優勝、以後3連覇、いずれも最速記録更新。90年も111時間5323秒で優勝。男女平等に競う競技で超一流アスリートとなる

22. ベヴ・フランシス(重量挙げ・ボディビルディング、1955)
オーストラリア生まれ、小さい頃から筋肉に興味を持ち、砲丸投げの選手から74年には本格的なウェイト・トレーニングを開始
8085年世界重量挙げ選手権6連覇。40以上の重量挙げの世界記録を作る。彼女の最高記録は、スクワット500ポンド、ベンチプレス355ポンド、デッドリフト501ポンド
国際ボディビル連盟のミズ・オリンピア競技会は筋肉の左右対称性と形以外に女性については「女らしい美しさ」も審査の対象となり、8791年いずれも23位に終わったが、世界一、史上最高に筋骨隆々の女性として有名になった

23. ナディア・コマネチ(体操、1961)
76年のオリンピック段違い平行棒で10点満点、以後計7つの満点を記録
ルーマニア生まれ。6歳から国家の威信をかけて体操の訓練を受け、75年ヨーロッパ選手権で金メダルを獲得。76年には「社会主義労働英雄」勲章受章。80年のオリンピックでも金メダル
81年コーチが米国に亡命すると、厳しい監視下に置かれ、89年歩いてハンガリーに亡命、ニューヨークで亡命者として受け入れられる

24. ジャッキー・ジョイナー・カーシー(7種競技、1962)
イリノイ州生まれ。高校で陸上とバスケットの花形選手。UCLAでバスケットの奨学生となるが、陸上にも注力し、NCAAと全米選手権の7種競技で優勝。86年には史上初の7000点越えの世界記録7148点を出す。88年のオリンピックでは7291点の世界記録で金メダル、以後も96年までオリンピックでメダルを取り続ける

25. ジュリー・クローン(騎手、1963)
ミシガン州の農場育ち。母親が調教師。5歳で青年馬術ショーの最高の栄誉ブルーリボンを獲得したのが最初の勝利。調教師補佐をしながら騎手デビューし、同年初勝利
68年以降女性騎手もいたが、性差別的言動に直面。一般大衆の尊敬を得るためには格の高いレースで勝たなければならないとして、87年には一流競馬場でタイトルを獲得した最初の女性となる。91年にはニューヨークで男女混合騎手ランキングの3位に入る
93年女性で初めてトリプルクラウンの1つのベルモントステークスに勝利、現在までに3704(04年完全引退)00年女性初の全米競馬殿堂博物館入り。03年女性初のブリーダーズカップ優勝。4ft10インチと騎手としても小柄

26. ボニー・ブレア(スピードスケート、1964)
ニューヨーク生まれ。2歳以前からリンクに立つ7歳で州大会に優勝
身長165㎝、体重59㎏はスピードスケート選手としては小柄
84年オリンピック出場を勝ち取るが活動費用がなく募金で7000ドルを集めるもメダルに届かず。88年のカルガリーでは500m39.10秒の世界記録で金、9294年のオリンピックでは500mに次いで1000mでも金。94年には39秒の壁を破る
92年にはアメリカ最高のアマチュア・アスリートとしてジェームズ・E・サリバン賞受賞
現在トニー・ブレア慈善基金を運営、スケートの指導と講演活動を行う

27. ヴァイオレット・パーマー(レフェリー、1964)
ロサンザルス近郊生まれ。高校バスケットの花形ポイントガードで、CALTECポモナ校の全額支給奨学生となりNCAA DivisionII2回優勝。アルバイトで男子の試合のレフェリー代理を務め審判の面白さを体験。95年全米プロバスケットボール協会が彼女をレフェリー研修プログラムの仕事に招き、97年には女性には無理と言われたNBAの公式戦でのレフェリーを務める。06年にはプレイオフのレフェリーも務め、09年には同ファイナルの、14年にはオールスターの審判も務め、18シーズン勤務して引退
14年長く付き合っていたガールフレンドと結婚

28. アンジャリ・バグワット(射撃、1969)
ムンバイ生まれ。キルチ大の国立軍事教練隊に加入し、インド最高の射撃の名手になる
射撃は6㎏の銃を何時間も抱えながら完璧な姿勢を保つため男性のスポーツとされていたが、訓練と才能によってマスターし、02年コモンウェルス・ゲームと国際射撃連盟選手権でインド人として初の世界一に。03年には10m400点中399点を出し優勝、インド最高のスポーツ名誉賞ラジヴ・ガンジー・ケール・ラトナ賞受賞

29. シャンタル・プチクレール(車いす陸上、1969)
ケベック生まれ。13歳の時事故で両足不自由になり、最初は水泳、次いで陸上
92年バルセロナ・パラリンピック初出場し200m800mでメダル獲得、96年アトランタでは2つの金を含む5つのメダル、08年まで連続出場で計21個のメダルを獲得
10015005種目で世界記録
16年カナダの国会議員 ⇒ 障碍者スポーツの拡充に注力

30. キム・スニョン(アーチェリー、1971)
韓国生まれ。9歳でアーチェリーを始め、16歳では30mで世界記録更新
88年のソウル・オリンピックは軍事政権から議会制民主主義に移行する記念碑的行事だが、そこで個人・団体とも金メダル

31. クリスティ・ヤマグチ(フィギュアスケート、1971)
祖父は第2次大戦でアメリカのために戦ったにも拘らず日系アメリカ人強制収容所に抑留され、母親はそこで誕生したが、クリスティはアメリカを代表し、アジア系アメリカ人史上初のオリンピック金メダルを勝ち取る
カリフォルニアに生まれ、内反足のため幼い頃は矯正用の靴とギブスを着用、ドロシー・ハミルに憧れ、足を鍛えるためにフィギュアを始め、最初はペアで全国優勝、次いでシングルスに転向し、91年の世界選手権優勝、92年オリンピック金メダルを獲得し76年のハミル以来の3(全米、世界、五輪)を達成
96年オールウェイズ・ドリームファウンデーション設立、慈善事業で恵まれない子供を支援
全米及び世界フィギュアスケート殿堂入り

32. レイン・ビーチリー(サーフィン、1972)
オーストラリア生まれ。生後すぐ養子に出されたのがなにかで世界一になろうというやるきに火をつけた
16歳でプロサーファーとなり世界連盟の女子ワールドカップに参加、93年初優勝
慢性疲労症候群からうつ病を発症するが、サーフィンで克服
9803年世界選手権で6連覇、男女を通じ初の偉業。06年にも優勝し、最多勝を記録。試合中に転倒して腰椎が砕けたがそれでも優勝
少女にあらゆる分野で奨学金を出す慈善団体エイム・フォー・ザ・スターズを設立

33. ミア(マリエル・マーガレット)・ハム(サッカー、1972)
アラバマ生まれのテキサス育ち。15歳で史上最年少の合衆国代表チーム入り。ノースキャロライナ大では89,90,92,93年にNCAAで優勝(91年はワールドカップ出場のため休学)
99年国際試合での108ゴールを達成、男女を通じた世界記録
99年のアメリカでのワールドカップは女子の試合を小さな競技場でやろうとしたため反発、米中の決勝戦はローズボウルを9万の観衆で満員にした
01年合衆国初の女子サッカーリーグ設立に協力
男女同一賃金と機会均等実現に向け今なお闘い続ける

34. リサ・レスリー(バスケット、1972)
カリフォルニア州ガーデナ生まれ。中学でバスケットを始め、183㎝の身長を活かして前半だけで101点を入れて新聞記事に。90USCの全額給付奨学生に
96年代表入りしてオリンピックで金。同年NBAが女子リーグを承認、WNBA設立
02年女性選手としてプロ試合初のダンクを決める。オリンピックは4連覇
09年ロサンゼルス・スパークスを引退するが、MBAを取得して11年にはオーナーで復帰。世界中の女性の力強いロールモデル

35. マノン・レオーム(アイスホッケー(ゴールキーパー)1972)
ケベック生まれ。6歳で兄のチームのキーパーを務め、学校では男子に加わってプレー
20歳でNHLの新チームに誘われ、女子選手として初めてNHLに参加
女子世界選手権ではカナダチームのキーパーとして、92,94年に優勝
08年スポーツ奨学金で少女たちを助けるマノン・レオーム・ファウンデーション設立

36. 鄧亞萍(とうあひょう)/デン・ヤピン(卓球、1973)
河南省生まれ。5歳で卓球を始め、13歳から全国大会で優勝したが、身長150㎝しかなかったので代表チーム入りが遅れた
88年代表入りをし、89年にはダブルスの世界チャンピオンに、9296年のオリンピックでは単複とも金。8年にわたって世界ランキング1位。世界タイトル19
97IOCアスリート委員に選出

37. ヴァレンティーナ・ヴェッツァーリ(フェンシング、1974)
イタリア生まれ。6歳でフェンシングを始める
96年オリンピックの団体金に貢献、99年世界選手権で初めて個人優勝、00年オリンピックでも個人・団体で金。個人は08年まで3連覇
母とスポーツ選手とを両立。数多くの慈善活動にも貢献、政治の領域でもスポーツを擁護する声になりたいと願い、13年には国民議会の議員に選出

38. エレン・マッカーサー(長距離ヨット、1976)
イングランド生まれ。4歳で初めてヨットに乗り、18歳でヨット航海士の資格獲得
96年大西洋横断レースで3位。04年ノンストップ単独世界一周航海に挑戦、7114時間1833秒で達成し最速記録を18時間以上も更新
10年慈善活動団体エレン・マッカーサー・ファウンデーション設立、リサイクルとリユースを進める「循環経済」の振興活動に注力

39. メリッサ・ストックウェル(パラトライアスロン、1980)
ミシガン州生まれ。イラク戦に中尉として従軍し、24歳で爆撃に巻き込まれ片足を切断、軍を辞めて傷痍軍人支援プログラムにより義足でスポーツに挑戦、パラリンピックを紹介され、水泳チーム入りを果たし08年北京パラリンピックに出場
その後パラトライアスロンに転向、1012年には世界選手権で3連覇
16年初めてパラリンピックの正式種目となり銅メダル獲得

40. セリーナ・ウィリアムズ(テニス、1981)
ミシガン州生まれ、カリフォルニア育ち。姉のヴィーナスとともに4歳からテニスを始め、90年にはフロリダに移住。99年全米オープンのシングルス優勝。00年のオリンピックでは姉妹がダブルスを制覇。9901年グランドスラムのダブルス完全制覇。03年世界1位。02年全仏以降グランドスラムのシングルスで4大会連覇
肺の血栓症でしばらく遠ざかったが、11年スポーツ史に残るカムバックを果たし、12年のオリンピックでは単複金となり、単複ともキャリアゴールデンスラムを達成、131位に返り咲き、15年『スポーツイラストレイティッド』誌の「今年のスポーツパーソン」に
世界の人々を励ます闘士、ロールモデル、ファッションアイコン、慈善家

41. ダニカ・パトリック(レーシングドライバー、1982)
イリノイ州出身。10歳でゴーカートに乗り、94,96,97年世界ゴーカート協会のグランドナショナル選手権で優勝。16歳でスポンサーがつきイギリスで活動
05年インディ500に史上4人目の女性として出場、『スポーツイラストレイティッド』誌の表紙になって「今年のルーキー」賞受賞。0507年人気を独占
08年インディジャパン300でインディカーレース史上初の女性チャンピオンに
10年からナスカーレースNASCARに参入、先頭を走った初の女性となり、12年にはその中のストックカーレースに転向

42. ニコラ・アダムズ(ボクシング、1982)
イングランド出身。1996年女子ボクシング禁止令解除。ジム唯一の女性として参加
07年欧州選手権で2位となり、大きな大会でメダルを獲得した初のイギリス人女性選手
12年オリンピックの正式種目となり、初のチャンピオンになり、16年も連覇
バイセクシュアルを公表、イギリスのLGBTのロールモデルになっている

43. ミザリ・ラジ(クリケット、1982)
インド生まれ。14歳で初めてワールドカップの控えとして参加。19歳の時イングランド相手に214ランの新記録
06年テストシリーズ史上初優勝。12年にはワンデイバッティングのランキング1位。15年にはクリケット情報誌出版社ウィズデン社の「今年のインドのクリケット選手」に女性初で選ばれ、同年インド政府が民間人に与える最高の栄誉パドマシュリ賞受賞
性の平等を目指し、スポーツで女性が活躍する機会を増やすために闘っている

44. ケリー・クラーク(スノーボード、1983)
ヴァーモント出身。2歳からスキーを始め、7歳からスノーボードも追加
01年グランプリのタイトルを手にする。02Xゲームズとオリンピックで金
11年女性として初めて公式試合で1080に成功
13年キャリア通算60勝で男女共通のスノーボード新記録(現在では70回を超える)

45. リンゼイ・ボン(アルペンスキー、1984)
ミネソタ州生まれ。9歳で国際大会出場。02年オリンピック初出場しアルペン複合で6位入賞。03,04年全米選手権連覇。08年ワールドカップの複合と滑降で優勝。ケガに泣いたが10年のオリンピックの滑降でようやく念願の金
15年ワールドカップ優勝67回の新記録、現在では76回に。ワールドカップポイントの優勝のクリスタルグローブを20個獲得した最初の選手

46. ロンダ・ラウジー(総合格闘技、1987)
カリフォルニア生まれ。母親がアメリカ人初の柔道世界チャンピオンで、ロンダも08年のオリンピックで銅(アメリカ人初の柔道のメダル)07年のパンアメリカンでは金
総合格闘競技ミクスト・マーシャル・アーツMMAと出会い、11年アマで無敵となってプロに転向、12年プロの団体ストライクフォースでチャンピオンに
ロンダの活躍に押されるように、MMAの最大の団体であるUFCが女子の部を設立、史上初のUFC女子バンタム級チャンピオンとしてMMAのスーパースターに

47. アシュリー・フィオレク(モトクロス、1990)
ミシガン州生まれ。高度難聴で障碍者の仲間入り。7歳で父・祖父のやっていたモトクロスの世界に。バイクの音でギアを変えるのではなく、振動の変化に応じてギアを変える技術を身につけ、17歳でプロに転向
09,10年nXゲームズで金、11年には3回にわたって女子モトクロス協会WMA選手権で優勝するが、女子選手権への不当な扱いに憤然として競技会から去り、スタントウーマンとしてバイクに乗り続けた

48. マリアナ・パホン(BMX自転車、1991)
コロンビアのメデジン育ち。父・兄がバイシクルモトクロスBMXレーサーだった影響で4歳で自転車に乗り、9歳からレースに出場
08年初の世界ジュニア・タイトル、09年連覇、1016年世界選手権で優勝
16年のオリンピックでも金

49. ケイティ・レデッキー(競泳、1997)
ワシントンD.C.の生まれ。6歳で競泳チームに参加。12年合衆国代表チーム入りし、800mで金。15年の世界選手権では出場5種目すべて金(800mリレー、200m400m800m1500m)16年のオリンピックでは、400m800m自由形で世界新で金、200m自由、4x200mリレーでも金、4x100mでは銀
16年『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」の最年少に

50. シモーネ・バイルズ(体操、1997)
オハイオ州生まれ。6歳で体操を始め、13年には世界体操選手権で初の個人総合金メダル、以後3連覇した史上初の女性選手。16年オリンピックでも跳馬、床、個人、団体で金
床運動に自分の名のついた技を持つ
身長142

²  報酬とメディア統計
テレビ放送(米国) 1989年 男92%、女5% ⇒ 2014年 男94.4%、女3.2
ESPEN放送 2014 放映時間 男95.5%、女2
賃金格差 
ゴルフ賞金総額 男320百万ドル、女61.6百万ドル
サッカー 全米代表 男(ワールドカップ11)9百万ドル、女(同優勝)2百万ドル
バスケット NBA年俸(1516年シーズン) 男最高16.4百万ドル、最低525千ドル、女最高 109.5千ドル、最低38.9千ドル

²  大きな影響を与えたチーム
1866年 ブルーマー・ガールズ ⇒ 男性を少数含む混成の野球チームで、全国を巡回し地元の男子チームと対戦。1943年全米女子ソフトボール・プロリーグ創設に繋がる
195060年代 テネシー州立大 タイガーベルズ ⇒ タイトルIX20年前の女子陸上チーム。ルドルフら40人のオリンピアンを養成
サッカー日本代表チーム「なでしこジャパン」 ⇒ 11年のワールドカップでアメリカを破って優勝、男女を通じてアジア初の歴史的快挙。加えてフェアプレー賞、澤穂希はMVPと得点王を獲得。チームのビジョンに「女性が輝く社会への貢献」を掲げて進化し続ける
2016年 オリンピック難民選手団 ⇒ 史上初の10人による難民選手団がオリンピックの旗の下で競技に参加。難民の苦境に世界の関心を向けさせる場となった



(みる)『歴史を変えた50人の女性アスリートたち』 レイチェル・イグノトフスキー〈著〉
2019760500分 朝日
 20世紀初頭から100年以上続く、女性アスリート活躍の歴史を紹介する本書は、女性は弱く、運動に向いていないと思われていた時代から、体を動かすことが好きで、結婚し母になる以外の夢を持つ女性たちがいたことを教えてくれる。例えば、15歳でサッカーのアメリカ代表になったミア・ハムはわたしと1歳しか違わず、中学のサッカー部に入れてもらえなかった自分も、機会さえあれば日本代表になっていたかもと思わせてくれる。世界で初めてエベレスト登頂に成功した女性が日本人だったことも初めて知った。
 彼女たちが共通して持つのは「わたしにはできる」という強い信念、それを肯定し励ます周囲のサポート、そして女性にも力があることを証明したいという思いだ。女性アスリートが被ってきた経済的社会的格差への言及もされている。漢字にルビが振られているので、特に小学生にお薦めしたい。「女の子」を理由に好きなことをやめる必要はないことがわかるはずだ。
 長島有里枝(写真家)
    *
 『歴史を変えた50人の女性アスリートたち』 レイチェル・イグノトフスキー〈著〉 野中モモ訳 創元社 1944円


コメント

このブログの人気の投稿

近代数寄者の茶会記  谷晃  2021.5.1.

自由学園物語  羽仁進  2021.5.21.

新 東京いい店やれる店  ホイチョイ・プロダクションズ  2013.5.26.