海の地政学  James Stavridis  2017.12.25.

2017.12.25.  海の地政学
Sea Power ~ The History and Geopolitics of the World’s Oceans          2017

著者 James Stavridis 1955年フロリダ生まれ。アメリカ合衆国海軍大将(退役)76年アナポリスの海軍兵学校卒。35年以上を現役の海軍軍人として過ごす。7年に渡り4つ星の海軍大将として勤務。0913年米海軍出身者では初のNATO欧州連合軍最高司令官。13年退役後、タフツ大フレッチャースクール学長。同大で博士号取得。国際安全保障に関する論評を『ニューヨーク・タイムズ』などに寄稿

訳者 北川知子 翻訳家

発行日           2017.9.10. 初版印刷                    9.15. 初版発行
発行所           早川書房
米タフツ大フレッチャースクール学長。米国海軍大将(退役)

「現代のマハン」が艦上の視点で語る21世紀の海洋戦略!
米海軍出身者初のNATO欧州連合軍最高司令官スタヴリディス提督。現役時代から尊敬を集め、現在はタフツ大フレッチャースクールで学長を務める元海軍大将が、歴史への深い洞察と自らの豊富な艦隊勤務の経験をもとに、今後の世界の行方を左右する海洋戦略を語る
地中海の覇権をめぐる古代ギリシャ諸国やローマの海戦、コロンブスやマゼランよる大航海、太平洋を舞台にした日米の艦隊戦、台頭する中国や核・ミサイル開発を進める北朝鮮の動向など、古今東西の海軍史に照らして現下の情勢を見定め、通商、資源、観光面にも目を配りつつ「海」がいかに人類史を動かし、今後とも重要であり続けるかを解き明かす
海軍理論家マハンの系譜を継ぐ新たなシーパワー(海上権力)論に、日本と世界の針路が見える。海事・貿易関係者、国際情勢に関心のある読者は必読の書

日本の読者へ
日本は海を全ての国家に対してオープンで自由な状態に保つグローバルな海洋同盟の中で決定的に重要な役割を果たし続けるはず
アメリカにとって、海上作戦のあらゆる面において、最上級のパートナーとして見ている。我々が共同して行う仕事の多くはシーパワーを土台としたものであることを忘れるな

はじめに 海はひとつ
世界の海洋を長年支配してきたイギリス海軍は、水路が互いに結び付いていることをよく理解していた。「海はひとつ」というのはイギリス人がよく使う言い回し
海は地政学的存在としてはひとつであり、これからも世界の出来事に極めて大きな影響を及ぼし続けるだろう。海洋地政学が激動の21世紀に我が国の政策や選択を左右するのは確か
本書では、第1に自身の海軍軍人としての経験、第2に海洋の地政学とそれが陸での出来事にどのように影響を与えているのか、という側面から海洋を描く

第1章        太平洋 すべての海洋の母
太平洋の表面積は約6400平方マイル(166百万㎢)で、全ての陸地の合計より広い
太平洋を初めて横断したヨーロッパ人はマゼランだが、1500年代初めにバスコ・デ・バルボアがパナマ地峡を横断し、太平洋を発見して、「神とスペイン」のものと宣言してから、海を越えたアメリカ大陸植民地争奪戦が始まった
太平洋の命名はマゼラン ⇒ 1519年西回りで南アメリカ大陸沿岸を南下、マゼラン海峡を発見、グアム島経由21年にフィリピンに到着、マゼランは島内の対立に巻き込まれて殺害される
本格的に太平洋貿易に乗り出したのはスペイン人、新世界で発掘した銀をアジアに運び、加工品をヨーロッパ市場へと持ち帰る
1718世紀前半にかけて西太平洋を制覇したのはオランダとイギリス、遅れてフランス
アメリカが太平洋に進出するのは、1848年にカリフォルニアで砂金が発見されてから
1860年代に石炭船が開発されて以降、適切な間隔での補給の必要性から、広大な太平洋に点在する島の確保が重視され、1898年まずハワイを併合
日本を含むアジア諸国にとって太平洋は、東への天然の緩衝地帯の役割を果たした
地政学や安全保障の観点で注視すべき強力な指標は、太平洋周辺での軍拡競争の激化
軍事衝突を避けるためには、海洋外交が必要。地域の同盟国との協力を推進すべき

第2章        大西洋 植民地支配のはじまり
大西洋の面積は約4000平方マイル(165百万㎢)
大西洋の名は、天空を肩にかついだと言われる古代ギリシャの巨人神アトラスに由来
大西洋への航海が始まったのは8001000年頃のヴァイキングの活躍による
太平洋世界を海と陸の両方で発見し植民地化したのは1516世紀のポルトガル人
コロンビア交換/新世界交換 ⇒ ヨーロッパ人の大西洋横断が加速する中で、探検が容赦なく変容をもたらした。ヨーロッパ人が新大陸に「銃、病原菌、鉄」を持ち込み、生産物を持ち帰った
シー・パワーがいかんなく発揮され、世界政治を支配する「制海」と「戦力投射」の原動力が生みだされたのが大西洋                                                                  
アメリカの台頭によって、大西洋はイギリスとアメリカの戦場となる                    
蒸気船等の新技術の開発によって海が小さくなっていった ⇒ 特に北大西洋で顕著
大西洋の北部にはGIUKギャップというグリーンランド、アイスランド、イギリスの陸地に挟まれた重要な戦略的海域があり、冷戦時代には、ソ連とワルシャワ条約機構加盟国vsアメリカ率いるNATOの間で、GIUKギャップの統制を巡って紛争が勃発寸前になった
1982年のフォークランド紛争は、大西洋における20世紀最後の国家間の戦争 ⇒ 巡航ミサイル時代に、水上艦が空からの攻撃に対してどれほど脆弱かを示す好例     
長年戦争のキャンバスと見做されていた海洋は、深刻な紛争の可能性を秘める東地中海と黒海を除けば、比較的穏やかで、驚くべき変化といえる                                 

第3章        インド洋 未来の海洋
世界の表面積の20%を占めるが、地政学的な意味ではまだ白紙に近い
インド洋の戦略的特徴は、アラビア湾と紅海という2つの内海を除けば、海岸線から外に広がる広大な海洋だという点にある ⇒ 主な戦争は陸や領土の所有を巡るもの
インド、パキスタン、イラン、アラビア半島に囲まれるアラビア湾は狭く窮屈で、圧迫感がある上に浅い。イスラム圏の海。その奥にペルシャ湾が存在し、現在はサウジ率いるスンニ派諸国と、イラン率いるシーア派諸国との冷戦の湖となっている
インド洋や周辺の海を巡る交易と商業には、奴隷と海賊という暗黒面が大昔から存在、現在も続いている
1498年ヴァスコ・ダ・ガマのインド南西端到達以降ヨーロッパ人がインドに進出。最初はポルトガル、次いでエジプトを征服して紅海へのアクセスを得たオスマン帝国がイスラム教徒の保護領を築こうとして陸から進出
1600年イギリスの東インド会社設立は、国力を背景とした交易のモデルとなり、交易路に要塞を築いて安全を確保
19世紀を通して、新技術の到来、特に蒸気機関の普及が、スエズ運河の開通とともにインド洋周辺の人間の往来を大きく促進
20世紀に入って第1次大戦の勃発とともにヨーロッパの力に陰りが見え、インド洋沿岸では目覚ましい変化が起きる ⇒ 労働者の移動と地域全体での植民地支配の定着
シンガポールの地政学的位置は重要
2次大戦後のインド洋における主な地政学的変化は、イギリスの本格的な離脱 ⇒ アメリカとソ連の艦隊がこの地域での警戒レベルを上げようとした
現時点では、世界の海上輸送の50%、原油の70%がインド洋を行き交うし、インド洋に面する国は約40か国、世界のイスラム人口の90%以上が住む活発なイスラム圏でもある

第4章        地中海 ここから海戦は始まった
面積は約100万平方マイル(250万㎢)、東西2400マイル、沿岸の距離約23千マイル
地中海と大西洋を結ぶのは幅10マイルのジブラルタル海峡のみ ⇒ ギリシャ、ローマ人の間では「ヘラクレスの柱」として知られる
地中海の長い歴史に繰り返し登場する地理的な特徴は、シチリア島の争奪戦
戦闘技術の発展や海洋戦略の創出にも重要な役割を果たした
対立する文明の海上の交差路に存在
地中海が地政学的影響を及ぼし始めたのは、ギリシャ人とペルシャ人、フェニキア人とローマ人の間で生じた初期の戦いから ⇒ 最初は紀元前492年ペルシャ艦隊がギリシャに到着したが、アテナイ艦隊とスパルタ軍によって撃退されたものの、ギリシャは内紛に突入し海を支配した大帝国を築くことはなかった
紀元前3世紀にはローマがカルタゴに勝って、海賊や海のならず者を国家を一掃し航海を尊重する文化、海軍、地中海の内海を権威と独創性によって支配する自信とを手に入れた
2次大戦では地中海が初期の戦場 ⇒ 北アフリカでドイツのロンメル将軍を撃退
冷戦時代は、アメリカ海軍が地中海哨戒のために空母2隻を配備
90年代にはバルカン半島で宗教的・民族的対立が激化、海軍が密輸船掃討に貢献
黒海では、ロシアがクリミアを併合
航海の観点から懸念されるのはリビアの脅威 ⇒ イスラム国の言葉を聞くべき
そのうえでなすべきことは、①NATOを地中海を舞台とする戦略に組み込む、②地中海での情報収集活動を促進、③海を重視し地中海でNATO海軍を活用、④リビア問題を根本的に解決するための戦略を考案
地中海の安全保障上の課題は、今後も人類史を左右する重要なものであり続ける

第5章        南シナ海 紛争の危機
カリブ海を上回る規模を持ち、世界の海洋貿易の約半分、液化天然ガスの半分、海上輸送される原油の1/3が行き来する
中国南部とメコン川流域の扶南王国がこの地域の最初の交易拠点 ⇒ 紀元1000年頃には、最初は文化の違いとして現れた中国とベトナムとの対立が顕著。南シナ海はこの時期にインドと中国という2つの優れた文明の境界線として登場
1368年明が建国した頃には、交易、商業、海を介しての交換のDNAは南シナ海に根付いていた
1700年代後半にはイギリス人が貿易を掌握し始め、次々と拠点を英領化していく
1898年にはアメリカがキューバでのスペインとの戦いを機にフィリピンでもスペイン艦隊を撃破して植民地化
2次大戦では日本も天然資源を必要としてこの地域に進出し、制海権を掌握するが、マリアナ沖海戦を契機にアメリカ軍が勢いを取り戻し、レイテ沖海戦を経て「アメリカの湖」となる
戦後の冷戦でのドミノ理論は、アメリカがこの地域での共産主義国家のドミノ的新設に対峙しなければならないことを迫るが、アイゼンハワー大統領はこの地域での陸戦に巻き込まれるのを避けようと努力、フランスがインドシナの植民地を激しい暴動によって失いかけたときも、部隊の派遣も核兵器の使用も控えた
その戦略を覆したのがケネディで、南ベトナムの紛争に介入、トンキン湾での「幻の攻撃」を発端として、南シナ海作戦にも海軍を主要戦力として200万の兵力が投入された
1950年代には台湾を巡り、中共と中華民国との南シナ海での戦いが繰り広げられ、アメリカは台湾を支持し続けたが、中共にとっての仮想敵がアメリカからソ連に変わるに及び、台湾海峡の緊張は緩和
過去20年以上にわたって、巨大な中国と、南シナ海沿岸に位置する小さいがダイナミックな近隣諸国との地政学的対立が続いている ⇒ 西沙諸島、南沙諸島、ミスチーフ礁を巡る対立で、その背後には炭化水素資源がある
中国による人工島の建設は、地政学的、軍事的な問題のみならず、生態系を破壊し「珊瑚礁域が人類史上最速で失われている」と指摘されている
対応策としては、①アメリカと中国とのオープンな対話の維持、②この地域の同盟国やパートナー国との関係の強化、③国際的な会合の場で中国の国際法違反を主張、④国際法に基づく通行の権利の主張
米中関係を包含した幅広い脈絡を考慮して、国際法侵害に対処する必要がある

第6章        カリブ海 過去に閉じ込められて
表面積は地中海を凌ぎ、約160万平方マイル
「カリブ」の名は、アメリカ先住民の部族に因んだもの、「銃、病原菌、鉄」によって一掃されたが、他の部族の多くも原始的な生活を破壊され、ほとんど痕跡が残っていない
1517年のルターが起こした宗教戦争の余波から、スペインのカトリック教徒がアメリカ大陸に巨大帝国を築こうとし、それに対抗したのがイギリスやオランダのプロテスタント
1820年代にアメリカはモンロー主義を主張したが無視、アメリカが台頭するにつれ威力を発揮
1917年デンマークからヴァージン諸島を買い受けたのは、ルイジアナ、アラスカに次ぐ幸運をアメリカにもたらす
1962年キューバ危機 ⇒ 核戦争に最も近づいた瞬間
1979年のグレナダ侵攻は、アメリカのカリブ海への関心と関与の欠如を示すもの ⇒ うまく機能していない国の集まりだということを忘れてはいけない
特に問題となるのは麻薬取引
アメリカができることは、①カリブ海域に対する責任を認識、②カリブ海諸国の協調を促す、③カリブ海域での安全保障における協力、④アメリカ国内の巨大なディアスポラ(難散民)を活用する建設的で組織的な方法の確率、⑤メキシコ、カナダとの協力、⑥集団的カリブ海戦略の考案、⑦アメリカの民間部門とカリブ海周辺地域の結びつきの強化(「トラック2」外交)

第7章        北極海 可能性と危険
表面積は約540平方マイルでほぼ南極大陸に匹敵
様々な対立が展開 ⇒ 環境保護主義者と天然資源の開発業者、ロシアとNATO(2の冷戦への危険)、科学者と観光業者など
北極圏がロシアにとってどれほど重要か ⇒ 全人口の20400万人が定住
2040年には一年中通行可能となり、その10年後には北極を覆う氷がなくなると予測
世界でまだ発見されていない原油の約15%、ガスの30%、希少金属を含む鉱物資源の存在が予測されており、各国の開発競争が加速 ⇒ 地政学的に言えば、大陸棚についてのロシアの主張を踏まえれば、北極圏の確定埋蔵量の約80%はロシア人のもの
北極海航路の開発によって極端に航路を短縮できるが、運航補助システムがほとんどない公海を進む危険は大きい ⇒ 温暖化によって融けた永久凍土層からメタンガスが放出される(⇒地球の温度が1℃上がれば北極の気温は5℃上がる)
アメリカが直面する課題は、①ロシアとの地政学的対立の深まり、②環境や生態系への悪影響、③原油やガスを求める商業活動の活発化、④アメリカ社会に極北に積極的に関与しようという意図がないこと
アメリカは何をするべきか。①北極評議会のリーダーであり続ける、②砕氷船を増設、③NATO内で北極圏に関してリーダーシップを発揮する、④ロシアとの対話の推進、⑤省庁間アプローチをとる

第8章        無法者の海 犯罪現場としての海洋
海洋は世界における最大の犯罪現場と呼ばれ、「無法者の海」という言葉もある
もう一つの深刻な課題は、環境問題 ⇒ 地球温暖化、酸性化、汚染化
20世紀後半から海賊行為が顕著に増加 ⇒ 世界の輸送網に及ぼす損害は150200億ドル
ソマリアでは海賊を捕らえた後が厄介で、大半は若者で、カートと呼ばれる麻酔性植物の中毒、身分証明書を持たず、引き渡す先がなかった
海洋での法的支配を揺るがすもう一つの課題は漁業に関連 ⇒ 世界の海には70を超える主として魚を対象とした国際協定が存在し漁業を規制しているが、協定を強制する実質的手段を持たないために、海の資源は陸の森林の2倍の速度で消えているという
主として乱獲により海は混乱し、タンパク資源の入手も難しくなりかねない。世界では10億人以上がタンパク質の摂取を魚に頼り、ほぼ同数の人々が海洋に関わる仕事をしている。1970年以降、魚種資源は50%減少しているという
漁業を巡る地政学的緊張が世界的に高まりつつある ⇒ 中国の漁船団が違法操業を繰り返し、東アジアや西太平洋の緊張は高まるばかり。世界の海洋の中でも極めて不安定な地域となっている
公海での犯罪行為の最大のものは、日常的に、意図的に環境に損害を与える行為 ⇒ 地球温暖化による海水温度の上昇に加え、石油汚染と資源開発
私たちがなすべきことは、国際協力の更なる推進

第9章        アメリカと海洋 21世紀の海軍戦略
マハンは、北軍海軍の一員として南北戦争に従軍、船乗りとしては凡庸だったが、早い時期からシーパワ―理論を構築、同世代では最も影響力のある海軍士官となった
ロードアイランド州ニュー―ポートの海軍大学校の第2代、4代校長。死後大佐に
セオドア・ルーズベルトがマハンを尊敬し熱心にその教えを吸収したと言われる
シーパワーや海の歴史に関して記された著書は、今も我が国の海軍力の基盤をなす
シーパワーの元は、①生産活動→交易、②海上交通、③植民地や同盟
シーパワーを効果的に創り出し行使するための国家の能力に影響を及ぼす条件とは、①地理(海へのアクセス)、②海岸の規模(海岸線の距離と港の特徴)、③国民(人口動態)、④政府の性格(海への関心の度合い)
アメリカ合衆国への助言:
    海洋国としての自覚
    オープン・グローバル・コモンズの考え方 ⇒ 公海の航行や通過の権利、国際海洋法条約の重要性
    世界各国との同盟やパートナーシップの強化、友好国とのネットワークが必要
    民間部門の重要性 ⇒ 海運産業や世界的交易能力の重視
マハンの想起していなかった新しい変化 ⇒ 海中戦争の増加であり、戦争行為が陸、海、空の間で高度に統合された作戦になっていること、さらにはサイバー空間の重要性
戦略的観点から、世界の海洋をどのように見るべきか ⇒ シーパワーの本質は、海洋が1つのグローバル・コモンズに結び付いている点にある一方で、それぞれの海洋についての戦略的観点から考える場合には、歴史的、文化的、政治的、経済的、軍事的要因を考慮する必要がある
アメリカ合衆国のとるべき作戦:
    カナダ、メキシコとの友好関係の維持
    北太平洋、北大西洋の統制を維持できる十分なシーパワ―を持つこと ⇒ 12の空母戦闘群に分かれた約350隻の軍艦が必要
    アメリカ艦隊が東西へ「旋回」できるようパナマ運河を統制すること
日本と韓国に適切なミサイル防衛システムを配備することも重要

解説 米海軍の元高官がつまびらかに語る海洋戦略 奥山真司 





海の地政学 ジェイムズ・スタヴリディス著 世界的な戦略の必要性説く
2017/11/25付 日経
 米国の海軍軍人で著名な戦略家であったマハンは、「海洋を制する者は世界を制す」と喝破し、海洋を重視した地政学を唱えた。彼の地政学は米国が強力な海軍を建設する後押しとなったが、その理論は21世紀でも有効なのだろうか。こうした観点から、海洋が国際社会に与える影響を多角的に分析し、米国の海洋戦略を検討したのが本書である。
原題=SEA POWER
(北川知子訳、早川書房・2200円)
▼著者は米タフツ大フレッチャースクール学長。米国海軍大将(退役)。
※書籍の価格は税抜きで表示しています
原題=SEA POWER
(北川知子訳、早川書房・2200円)
著者は米タフツ大フレッチャースクール学長。米国海軍大将(退役)。

 著者は米海軍で40年近く勤務し、米軍でも最高位ポストの一つである欧州連合軍最高司令官に、海軍軍人として初めて就任して注目された。退役後も閣僚級での政権入りがとりざたされ、リーダーシップは高く評価されている。また、現役時代から多数の著作を発表し、現在は自らが博士号を取得した大学院の学長を務め、その経歴も軍人で理論家でもあったマハンと重なるところが少なくない。
 本書はまず、太平洋やインド洋を含む7つの海域の歴史的背景や政治・経済情勢を踏まえ、その戦略的意義や米国の関与の在り方を論じている。とりわけ南シナ海と北極海では資源や領有権をめぐる緊張が高まっているため、平和的な解決にはさらなる米国の関与が必要と指摘する。さらに、海賊行為、違法漁業、環境汚染を海洋の三大問題としてとりあげ、それらに対処するためには国際協力が不可欠であることを強調している。
 本書を一貫するのは、海洋が国際社会を左右する存在であり、その安定確保に米国が積極的な役割を果たすべきだというメッセージである。その実現のためには、米国が海洋国家としての自覚を持ち、強力な海軍と海外基地を維持すべしとするマハンの教えは有効であるという。さらに省庁間や官民間の連携強化や、同盟国・友好国との協力拡大を新たな要素として重視し、これらに基づく世界的な海洋戦略の必要性を説いている。
 島国である日本にとって、海洋の重要性は自明のように思える。ただ、海洋の安定は一国のみで達成できるわけではない。本書で強調されているように、米国ですら諸外国との連携なくして、広大な海洋の安全を守れない。より限られた資源を有効に使うために、日本は米国以上に優れた戦略が必要であり、その「水先案内」として本書は重要な示唆を与えてくれる。
《評》防衛研究所主任研究官 塚本 勝也


Wikipedia
『海軍戦略』(Naval Strategy)とは1911年に発刊されたアルフレッド・セイヤー・マハンによる海軍戦略の著作である。
概要[編集]
マハンは海軍兵学校の教官として海軍戦略を講義し、著書として刊行した。帆船時代の経験に基づいて書かれた1890刊『海上権力史論』では世界の海軍関係者にその名を知られた。21年後に刊行され、最後の著作となった本書では、日清戦争米西戦争日露戦争で新たに戦史に加わった汽走海軍の戦いを踏まえた内容となっている。
本書は海洋の戦略的意義を初めて体系的に分析し、国家戦略としての戦略思想を確立した。特に地理的要因を戦略理論の中に導入したことは後のハルフォード・マッキンダー地政学でも参照されている。1914パナマ運河開通が近未来史に予測され、大西洋・太平洋に艦隊を分散配置せねばならないアメリカ合衆国の戦略環境が立論の背景となっていた。
成立史[編集]
要旨[編集]
海軍は通商保護のために敵の艦隊を撃破することで制海権を確保し、海上交通路を保全しながら国防を達成するための原則が示されている。その原則とは目標を単純化かつ明確化する目標の原則、決定的地点に戦力を集中する集中の原則、戦術的に海上作戦攻勢作戦を採用する攻撃の原則とされている。
戦略の原則[編集]
マハンはアントワーヌ=アンリ・ジョミニを参照しながら、自らの戦略思想の原則をいくつか提示している。その中で最も強調しているのが集中の原則である。マハンによればこれは決定的地点に対して優勢な戦力を集中させる原則であり、あらゆる軍事行動における戦略的前線において攻撃のための戦力を集中させなければならないと述べている。同時に目標の原則として指揮官が目標を明確化することや、海軍は戦術的には常に攻撃的でなければならないとも述べている。
戦略地点[編集]
根拠地の戦略的価値を定めるものとしてマハンは位置関係、軍事的能力、資源の三つの要素を挙げる。戦略線との相対的な位置関係は一般に海上交通路と戦略位置の一般的関係は距離によって示すことができる。海上交通路に近接するほどその戦略的価値は高まる。次に港湾施設の攻撃または防御における潜在的能力も検討しなければならない。防御力は陸上と海上両方からの攻撃に対する能力であり、攻撃力は大規模な海上戦力の集合や行軍を支援する能力である。そして戦略的価値を左右する最後の要素とは資源の状況であり、海上戦力が必要とするあらゆる天然資源や人工資源の状況によってその価値が左右される。
戦略線[編集]
二つの戦略地点を接続する線を戦略線と呼び、これは利用法によって作戦線、退却線、兵站線と呼ばれる。これは原則的に公海を通過する海上交通路か海岸線を辿る海上交通路によって構成されている。特に兵站についての線は重要であり、敵の海軍によって断たれることは補給が困難になることと同義である。したがって戦略線を維持するためには敵の海軍を撃破し、戦略地点相互の連絡を維持しつつ、敵の戦略線を断たなければならない。
艦隊[編集]
マハンによれば戦略価値を持つ艦隊は戦略線の支配のために必要な二つの要素から成り立っている。それは艦隊と既に述べた戦略地点である艦隊の作戦基地としての港湾施設である。港湾に対して艦隊がより重要であるが、その艦隊の使命とは敵の艦隊を撃破することによって制海権を確立することである。この艦隊のあり方については守勢的な要塞艦隊と攻勢的な牽制艦隊の二つの議論があり、この二つの立場を踏まえた上で艦隊を状況に応じて調整的に活用しなければならないとマハンは論じている。


 アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan [məˈhæn], 1840927 - 1914121)は、アメリカ海軍軍人歴史家戦略研究者最終階級海軍少将
マハンはアメリカ海軍の士官であるだけでなく、研究者としても名を馳せた。その研究領域は海洋戦略・海軍戦略海戦術などに及び、シーパワー制海権海上封鎖大艦巨砲主義などに関する研究業績がある。中でも古典的な海洋戦略を展開した『海上権力史論』は世界各国で研究されている。「世界の諸処に植民地を獲得せよ。 アメリカの貿易を擁護し、かつ外国に強圧を加えるために諸処に海軍根拠地を獲得し、これを発展させよ」との持論を持っていた。[1]
19世紀フランスの研究者アントワーヌ=アンリ・ジョミニや父デニス・ハート・マハンの影響を強く受けており、マハンの研究に影響を受けた人物にはセオドア・ルーズベルトヴィルヘルム2ジュリアン・コーベット佐藤鉄太郎秋山真之などがいる。彼に因んでいくつかの艦船が「マハン」と命名された。
生涯・人物[編集]
マハンはニューヨーク州ウェストポイントで、陸軍士官学校の教授であったデニス・ハート・マハンとメアリー・ヘレナ・マハン夫妻の間に生まれる。親の希望に反してコロンビア大学2年間学び、その後海軍兵学校に進んだ。
1859に卒業後、1861少尉任官し、南北戦争ではフリゲートコングレス (USS Congress)、外輪船のポカホンタス (USS Pocahontas)ジェームズ・アジャー (USS James Adger) に乗艦した。この勤務中に1865には海軍少佐1872海軍中佐と昇進している。イロコイ号英語版 の副長として幕末明治維新日本を実見した[2]
1885には論文メキシコ湾と内海』が評価されたため、海軍大佐に昇進して海軍大学校の初代教官を務め、海戦術の教育を担当した。1890に『海上権力史論』が発表され、1892から翌年まで海軍大学校の第二代校長として務める。
1893巡洋艦シカゴの艦長としてイギリスを訪問する。
1896に退役してからは、アメリカ歴史学会会長およびハーグ平和会議のアメリカ代表団顧問を務めた他は研究に専念しており、『ネルソン伝』『米西戦争の教訓』『フランス革命ナポレオン帝国におけるシーパワーの影響』『海軍戦略』を発表した後の1914ワシントンD.C.で死去した。
^ 朝日東亜年報. 昭和17年版 (大東亜戦争特輯)国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号:26
^ イロコイ号が天保山沖に停泊中、徳川慶喜開陽丸に移るまで一夜泊めている。(中原裕幸海軍戦略家アルフレッド・マハンと将軍徳川慶喜」、『Ocean Newsletter』第336号、笹川平和財団海洋政策研究所、201485日。)を参照。また、開港直後の兵庫港では神戸事件を経験している。


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