国際秩序  Henry Kissinger  2017.10.8.

2017.10.8. 国際秩序
World Order 2014

著者 Henry Kissinger 元国家安全保障問題担当大統領補佐官、元国務長官、国際政治学者。キッシンジャー・アソシエイツ会長。1923年生まれ。ドイツ出身。ナチスの迫害を逃れて米国に亡命。第2次大戦では米陸軍に所属し、ヨーロッパ戦線で戦う。復員後にハーバード大に進学、69年にニクソン政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任。フォード政権では国務長官を務める。ベトナム和平を実現したパリ協定の締結によって、73年ノーベル平和賞受賞。今日に至るまで米国の外交・安全保障政策に多大なる影響を及ぼしてきた人物

訳者 伏見威蕃(いわん) 翻訳家。1951年生まれ。早大商卒。ノンフィクションからミステリー小説、軍事未来小説まで幅広い分野で活躍中

発行日           2016.6.24. 11
発行所           日本経済新聞出版社

賢者が語る「極上の世界史」
キッシンジャー版「大世界史」
いま、世界史を改めて克明に学ぶことが、極めて重要になっている。グローバリゼーションや、インターネットの普及で、従来は触れ合うことのなかった社会が密接に交流し、そこに複雑な状況が生まれている。そういうときこそ、過去に目を向け、歴史から教訓を得るべきだろう。本書は、21世紀の国際秩序のありようを歴史的な観点から考察している。いわばキッシンジャーの「大世界史」だが、アメリカ政府で枢要の地位にあったキッシンジャーらしい視点が垣間見られるのも興味深い。また、21世紀の世界が誤った方向に進まないようにという著者の願いが、端々に感じられる。現在の世界の状況を理解するには、歴史をよく学んで関連性を見定めていかなければならない。そんな風に歴史の流れを汲み取るのに、『世界秩序』は最適の参考書である


序 章 世界秩序という問題
過去のアメリカ大統領が支えようとして来た諸国家の共同体は、共通のルールと規範を遵奉し、開放的な経済システムを信奉し、国の主権を尊重する中で、参加民主主義の統治システムを採用する国々の協力的な秩序の確立を目指した
現在は、この「ルールに基づく」システムが、様々な問題に直面
「国際社会」という言葉は、どんな時代にもなかったくらい、しつこく引き合いに出されていながら、その目標、手法、制限について、合意された明確なものは何も示されていない
我々の世代は、世界秩序の概念を追い求めてきたが、、現在では相互依存が前例のない域に達しているため、大混乱が同時に起きる恐れが大きい
かつて秩序としてまかり通っているものは1648年のウェストファーレン条約くらいで、それもヨーロッパ以外の他の大陸や文明国はほとんど関与せず
ただ、ウェストファーレン方式が複数の文明や地域にまたがる国家を基礎とする国際秩序の枠組みとして世界中に広まったのは、ヨーロッパ諸国が版図を拡大したときに、自分たちの国際秩序の青写真を携えていったからで、植民地の人々が独立を要求する時にもウェストファーレンの概念が旗印となり、民族独立、主権国家体制、国益、非干渉といった言葉が独立後の国家を守るのに有効な論拠となることが実証された
現代の多様化する世界の中での解決策の1つは、以下の3つのレベルでの秩序で対処する
  世界秩序 ⇒ 地域若しくは文明が持つ概念を示すもので、全世界で適用できると考える公正な取り決めや力の分配が重要
  国際秩序 ⇒ この概念を地球のかなりの部分(力の均衡に影響を与えるほど広く)に実際的に適用する
  地域秩序 ⇒ 同じ原則を特定の地域に適用する
いずれの秩序の体系も、2つの要素に基づく ⇒ 許容される行動の限界を明確化し、一般に受け入れられたルール一式と、ルールが破られたときに抑制を実施するような力の均衡
正統性と力のバランスは複雑
互いに異なる歴史上の経験や価値観を、どうやれば1つの共通した秩序に変えられるかという、克服しなければならない謎に対し、全人類が共に考えるべき

第1章     ヨーロッパ――多元主義的な国際秩序
ヨーロッパの秩序の特異性 ⇒ 中国やイスラムと違ってヨーロッパの秩序はローマ帝国の崩壊後は多元主義が特質
カトリックとプロテスタントの争いが頂点に達したのが1618年の30年戦争
ウェストファーレン条約によって、教皇制度は教会組織の機能に限定され、主権平等という教理が支配的になる
キリスト教世界の平和達成のための会議だが、実際は2つの小さな町での会合の一連の合意から平和が生まれた ⇒ 神聖ローマ帝国の178の当事者を含めたカトリック勢力はミュンスターで、プロテスタント勢力はルター派も含めてオスナブリュックに集まって作られた3つの補完的な合意の骨子が和平をもたらす。ミュンスター条約でスペインがオランダの独立を承認し、30年戦争と重なり合ったオランダの80年に亘る反乱に終止符を打つ。さらに別の勢力集団がミュンスター条約とオスナブリュック条約に調印、2つの条約の条件が合致するよう重要事項を参照として組み込むという形をとる
和平条約は、そこに盛り込まれた要素が複雑ではなく、包括的であったために国家の歴史の転換点になった。帝国、王国、宗教的権威ではなく、国家がヨーロッパの秩序の基礎単位であることが確認され、国家の主権という概念が確立。互いの内政には不干渉、少数宗派の信仰の自由も確保。平和維持の術策を向上させるために加盟国の首都に互いに常駐の代表を配置するという外交の枠組みを設計。条約の条項が現在の実体法のように細かく定められることなく、手続きのみが定められていたことが功を奏した
出発点から多様性を採用し、多種多様な社会が現実を受け入れて、秩序を共に模索するよう仕向け、20世紀半ばにはこの国際システムがすべての大陸に根付き、現存の国際秩序の骨格であり続けている
条約後の世界は、現実としての力の均衡とシステムとしての力の均衡を実現することが外交政策の主要目的の1つとなった
18世紀にはいgリスが強大な海軍力によって隆盛を極め、力の均衡の現状をシステムに変えることが可能となり、イギリスが力の均衡の調停者として均衡を保つよう、保証人の役割も果たした ⇒ 現代の世界におけるアメリカの役割にもこの原理は当てはまる

第2章     ヨーロッパの力の均衡システムと、その終焉
ナポレオンの時代の半世紀前に登場したロシアが西欧の力の均衡の一員となって以来、独自のリズムを刻んでほとんどあらゆる気候と人種に及ぶ大陸に版図を拡大。ピョートル大帝からプーチンまで状況は変わってもリズムそのものは異様なまでに一貫していて、西欧はロシアを畏怖と不安の目で眺めた
ロシアに関するすべて――絶対主義、大きさ、全世界に及ぶ野望と不安定さ――は当初から、釣合いと抑制の上に築かれたヨーロッパの昔ながらの国際秩序の概念に対する脅威
ロシアは、アメリカが西部へと突き進んだのと同じように、未開の地に秩序と啓蒙を広めるという倫理的な理由で、征服を正当化。禁欲的な辛坊強さが根底にある
ドフトエフスキー「地球にあまねく偉大な教会を求めるという、熄()むことのない憧憬は、ロシアの民が本質的にずっと抱いてきたもの」
1814年ウィーン会議で確立した秩序 ⇒ ①既成の秩序の枠内で平和を進展させる。②システムの維持はシステム内で起こりうる抗争よりも重要。③意見の相違は戦争ではなく話し合いで解決すべき
大戦間の正統性と力 ⇒ 既存の国際秩序が崩壊し、目的の欠如したヴェルサイユ条約によって新しい平和な国際秩序をまとめようとしたが、約定を強制的に執行する意思を示す国はなかった
2次大戦後、西欧が倫理の力を見出し、秩序の新たな手法を目指す道を歩み始めたのは、3人の偉大な人物の功績 ⇒ アデナウアー()、ロベール・シューマン()、アルナーデ・デ・ガスペリ()
初代西独首相となったアデナウアーはヨーロッパ統一に意欲を燃やし、西側との同盟を放棄すれば東西ドイツの合併を認めるというソ連の提案を拒否して、あえて分裂を選択する
冷戦期の国際秩序は、史上初のほとんど独立した2組の均衡を反映 ⇒ 米ソの核戦力の均衡と、NATO内部の均衡
冷戦後 ⇒ 世界はある程度多極化し、ヨーロッパは独立したアイデンティティを明確にしようとした
EUの新しい構造は、ウェストファーレンの放棄のようにも見えるが、ヨーロッパという地域の力として、ウェストファーレン・システムの世界版において、新しい1個の集合体の役割を果たしている
ヨーロッパは、自分たちが乗り越えようとしている過去と、まだ定まっていない未来との間で、宙に浮いた状態にある

第3章     イスラム主義と中東――無秩序の世界
かつての栄光の夢と、国内・国際の正統性の共通原理を中心に団結することができないという現状の狭間で停滞し、預言者じみた絶対主義が蔓延しているのがこの地域の著しい特徴 ⇒ 地域秩序をまとめることも、その秩序を他の地域の平和と安定に融和させることも困難
パレスチナ問題と国際秩序
現在繰り広げられている紛争には、宗教と地政学の両方が絡む。サウジと湾岸諸国を主としてエジプトとトルコも若干関係しているスンニ派ブロックと、シーア派のイランが主導し、アサドのシリア、マリキの中央・南部イラク、レバノンのヒズボラ武装組織、ガザ地区のハマスを支援するブロックの対立。それにロシアとアメリカが関与

第4章     アメリカとイラン――秩序への取り組みのちがい
2013年イラン・イスラム共和国の最高指導者アヤトラ・アリー・ハメネイ師は、新たな世界革命の開始を賛美する演説を行う ⇒ 国益やリベラルな国際主義ではなく宗教原理が世界を支配する
イランは、領土の一部を不当に奪った当の相手国と、通常の外交関係を営むと同時に、イスラム主義者の側面では、レバノンのヒズボラやイラクのマフディー(救世主)軍のような組織を支援 ⇒ 非国家武装組織は、既定の権威を脅かし、戦略の一環として、テロ攻撃を用いる
イラン政府にはイスラム革命という急務があるので、より幅広い反欧米の権益を推し進めるために、スンニ派とシーア派の分裂を超えた協力も許されるという解釈がなされ、憲法でムスリム統一という目標を国の義務として掲げている
彼らの言う平和には、世界が正しい宗教教義に服従するという先行必須条件があり、06年イラン大統領がブッシュに宛てた書簡の結びにも、「まことの導きに従うものには、誰であろうと平安がある」と、7世紀にムハンマドがビザンツとペルシアの皇帝に送った戒告と同じ文言があり、その直後にいずれもイスラム聖戦の攻撃を受けた
欧米の専門家は何十年にもわたってこうした気運の「根本的原因」を探求し、政策や過去の欧米の所業の放棄が、和解の扉を開くのではないかと、自分たちを納得させてきたが、アヤトラの政策概念の下では、欧米との紛争は、特定の技巧的な和解や手管の問題ではなく、世界秩序の性格をめぐる争いなのだ
アメリカと西欧民主主義国は、イランとの協力関係を育めるように門戸を開くべき。ただし、自分たちの国内での経験が他の社会に必ずそのまま当てはまる、という予想に基づいて、そういう政策を立ててはいけない。和解を促進するために大きな努力を払うべきだが、その努力を実らせるために、とりわけイランの核開発プログラムについては、方向性を明確に認識しておかなければならない
今後のイランとアメリカの関係は、一見技術的な軍事問題のように見えることを解決できるかどうかに左右されるだろう
伝統的な力の均衡では、軍事力と産業の能力が重視されるが、現代の力の均衡は、ある社会の科学開発のレベルを反映しており、1国の領土内での出来事のみによって急激に脅かされる恐れがある
技術を提供するのに吝かでないパキスタンと、北朝鮮、リビア、イランとの「非公式」拡散ネットワークは、核兵器がばら撒かれると国際秩序に広範な影響があることを実証しているが、拡散している当のパキスタンはならず者国家とは認定されていない
03年交渉開始以降、イランの核戦力保有が着々と進む間、欧米の姿勢が次第に軟化、現在もなお交渉中だが、「レッド・ライン」が重要
1967年以降の中東紛争に和平がもたらされたのは、①アメリカの積極的な政策と、②暴力によって世界統一の原理を押し付け地域秩序を確立しようとする目論見が挫かれたこと、③平和の長期的な構想を描いた指導者たちが出現したことの3条件が重なって実現した
和平の立役者のサダトもラビンも暗殺され、世界秩序への期待を暴力による恫喝のドクトリンが脅かしているが、それを阻んだ暁には突破口が開かれるかもしれない

第5章     アジアの多様性
アジアの歴史的な国際システムでは、主権の平等ではなく、階層制が地域をまとめる原理として働き、外交システムでは、君主は神威を具現するものか、少なくとも父親のような権威と見做されていた ⇒ はっきりとは捉えにくい多様な遺産を受け継いできた
アジアの地域秩序とは ⇒ 外部勢力が欠かせない特徴として含まれ、これまで気の遠くなるくらい複雑な多国間の集合や二か国での機構を作り上げてきたが、そこには一貫した方向性が存在しない
歴史的遺産がぶつかり合い、自分たちの歩んできた道のりや、それが21世紀の世界秩序に与える教訓について、各国は総意を全く見出すことができずにいる
2つの均衡が現れようとしている ⇒ 南アジアと東アジアだが、いずれもヨーロッパの力の均衡の特色である絶対に欠かせない要素――バランスをとる役目の国が、弱い側に肩入れして釣合いを確保するという仕組み――がない
アメリカは、アフガンから撤退後、アジア地域の秩序を確立するような積極的な外交を行わざるを得なくなるだろう。さもないと空白ができて地域紛争が避けられない

第6章     アジアの秩序に向けて――対決か協調か?
アジア諸国の最大の共通点は、「新興国」や「元植民地」を代表しているという意識だろう
それぞれに異なる歴史的背景を持ち、強力な民族的アイデンティティを主張する所から、地域秩序に一定の変動をもたらしているが、アジアの構造は世界秩序とは切り離せない難問 ⇒ アジアの主要国は、力の均衡ではなく国益をシステムとして意識し、それを追求して、これまで発展してきた秩序の機構を形づくってきた。環太平洋パートナーシップが可能かどうか、今後の試練
アメリカと中国は、相手方の軍事行動と国防プログラムを、疑惑を裏付ける根拠と見做しているので、双方の部隊配置や行動が、軍拡に発展しないよう、ともに注意を払う責任がある
1次大戦前10年間の歴史を学ぶ必要 ⇒ 隠れた対決が段階的に拡大し大惨事を招いた。自分たちの軍事計画に固執し、戦術と戦略と切り離す能力がなかったために、身動きできなくなった
中国は、国際秩序はリベラルな民主主義を広めることで育まれるという命題を撥ねつけているが、国際社会にはそれをもたらす義務があるし、人権を認識していることを具体的に国際貢献で示すことを求められている
一方のアメリカは、戦略的な優先事項との関連で、人権に関する見解の適用を微調整することはできるが、アメリカの歴史とアメリカ国民の確信に鑑みて、その原理を完全に放棄することはできない。ただそれも中国に言わせれば、強くて豊かな国の利益を守る仕掛けがあるときに限られ、それ以外の時は自分たちの力を恃んで弱者を脅かしているだけ
北朝鮮については、もっと逼迫した問題がある。ビスマルク曰く、「我々は不可解な時代に生きている。そこでは強者が躊躇いゆえに弱く、弱者が厚顔故に強い」 ⇒ 核兵器の存在には、軍の実行力を超える政治的影響力がある
中国とアメリカの指導者たちは、建設的な成果をはっきり示すことに両国の共通の利害関係があると公に認めている ⇒ 2代にわたるアメリカ大統領(ブッシュとオバマ)はそれぞれ中国の国家主席(胡錦涛と習近平)と太平洋における戦略的パートナーシップの関係にあることに同意したが、具体的な段階に進む気配はない
パートナーシップという概念は、殊にアジアでは、現代の力の均衡において様々な成分になる必要があり、それを包括的な原則として実行すれば前例のない重要な手法になり得る
力の均衡戦略とパートナーシップ外交の組み合わせは、衝撃を和らげることに役立つだろうし、両国の指導者たちがいい結果をもたらしそうな協力を経験すれば、より平和な未来を築く方法をそれぞれの社会に伝えられる

第7章     「すべての人類のために行動する」――アメリカとその秩序の概念
アメリカが海外への関与で本当に挑んでいるのは、外国の人々すべてが模倣したがるとアメリカが確信している価値観を広める大計画
アメリカでは、建国以来、信仰の精神と自由の精神が争うことなく合体して、開放的な文化と民主主義の原理によって世界の手本となり何百万人もの避難所になった
アメリカの原理は万国共通だと確信し、アメリカがやっていることを実践しない政府は完全に正統であるとは言えないという信念がある

第8章     アメリカ――矛盾をはらんだ超大国
戦後のアメリカの2大政党の大統領すべてが、アメリカの原理を全世界に適用することができると宣言してきた
世界秩序への責任感と、アメリカの力が絶対に欠かせないという意識が、指導者たちの道徳普遍主義を根底に、自由と民主主義に献身するというアメリカ国民の総意によって強化され、冷戦とその後に数々の素晴らしい偉業が達成された
植民地主義の終焉とともに、様々な歴史や文化を持つ国々が登場し、共産主義の性格がより複雑になり、与える影響が矛盾を孕むようになると、アメリカの国内・国際秩序を拒絶する政府や軍事ドクトリンが解決しにくい厄介な問題を引き起こした
ベトナムの教訓の苦悩に満ちた議論から30年を経て、同じように激しいジレンマがアフガニスタン戦争とイラク戦争で再燃 ⇒ 源はどちらも国際秩序の崩壊

第9章     テクノロジー、釣り合い、人道的良心
どの世代にもライトモチーフがある。その一定の信条が、宇宙を説明し、個人に影響を与える多種多様な出来事の解釈を提供して、個人を感化したり元気づけたりする。中世では信仰が、啓蒙時代には理性が、1920世紀はナショナリズムに歴史観という動因が組み合わさった。我々の時代の支配的概念は科学とテクノロジー
何らかの釣合いはどんな国際秩序にも欠かせない構成要素だったが、核兵器の出現で混乱
核兵器の拡散は、現在の国際秩序にとって、何よりも重要な戦略課題になっている
インターネット・テクノロジーは戦略やドクトリンを凌駕
テクノロジーの時代が有望な将来性を実現するには、知恵と洞察力が必要になるだろう、それには歴史と地理をもっとよく理解して、当面の問題にもっと集中する必要がある
情報の収集と共有を根本的に変革した機器の発明者たちが、概念的基礎を強化する手段を発明すれば、その変革を凌ぐとは言えないまでも、同等の貢献を果たすかもしれない。初の真にグローバルな世界秩序に向かうためには、人間がテクノロジーの分野で成し遂げたこの偉業を、人道的で超越的で倫理的な判断の力を強化して、それと融合させなければならない

結 論 私たちの時代の世界秩序は?
アメリカの取り組んできた大事業は、成功したからこそやがて批判に晒される
どんな国際秩序も、遅かれ早かれその結合力を脅かす2つの傾向に直面する ⇒ 正統性の定義の見直しか、力の均衡の大きな変動であり、力と正統性を均衡させることが偉大な政治家の真髄
不均衡が大きくなるにつれ、21世紀の世界秩序の構造は、3つの重要な局面で欠陥があるのを露呈:
  国際社会の基本となる正式な単位である国家の性格そのものがいくつもの方向から圧力を受けている
  世界の政治・経済機構は、互いに対立している。国際経済がグローバル化したのに政治構造は相変わらず国民国家が基本
  重大な問題で大国が相談に乗り、場合によっては協力するような、有効な仕組みがない
国際システムの再建は、私たちの時代の政治家が力量を問われる最大の難問


朝日新聞デジタル 書評
国際秩序 [著]ヘンリー・キッシンジャー


自制、力、正統性の釣り合いを

 国際政治学者キッシンジャーの基本的な歴史観・世界観を凝縮した研究書である。フォード政権で国務長官も務めたのだから、その理論は現実の中で応用、援用あるいは微調整されていたことも窺(うかが)える。加えて本文中にはわずかとはいえ、「私は」という主語のもとで自らの出自や生育時の歴史的環境も語られていて、それが論の裏打ちの役割も果たしている。
 人類史はこの数世紀、どのような国際秩序をつくろうとしてきたのか、それぞれの地域の特性はどう生かされたのか、政治家や外交官、戦略家たちはどういった思想・哲学のもとで動いたのか。それらを実証していくわけだが、これには幾つかの尺度や教理が必要である。
 著者はその教理のひとつにヴェストファーレン(ウェストファリア)条約を挙げる。「(この条約は)世界中にひろまっている新しい国際秩序の概念の先駆けとして、格別な共鳴を得ている」と高い評価を与えている。公式の会議や首脳同士の会談から秩序が生みだされたわけでなく、紛争や戦争が起こったら当事者が真摯(しんし)に話し合い、和平の秩序をつくりあげるシステム。1618年から48年までの三十年戦争を終結させるために、ドイツのヴェストファーレンの町に当事者が集まり、戦闘は続いているのに、とにかくその妥協点(キリスト教世界の平和)を求めて和平条約をまとめあげる。ここに、ヨーロッパの秩序の基礎単位は国家であり、国家の主権という概念が生まれた。
 この条約に至るプロセスに、世界秩序づくりの知恵があった。18、19世紀の人類史は秩序(つまり国際社会の枠組みと自国の位置)を求める戦いだった。フランス革命とその後の啓蒙(けいもう)思想の絶頂期、ウィーン会議時の最強国ロシアの発想、国民国家誕生とナショナリズム、戦略家が欠けた第1次世界大戦の不幸な戦争内容、ヴェルサイユ条約の歪(ひず)みで民主主義の秩序が解体していく道筋、現在、ヨーロッパ自体が宙に浮いた存在になっているとの分析、イスラムの台頭、それらを詳述しながら、著者はアジアにこそヴェストファーレン条約の影響が色濃く残っていると説く。
 中国やインド、日本のこの2、3世紀の動きを見つめながら、これらの国に欠けている点や、秩序をつくりえない歴史上の背景も描いている。「秩序はつねに、自制、力、正統性の微妙な釣り合いを必要」と理解する政治家が望まれる、との見方は鋭い。全体に、新しい秩序づくりにアメリカの果たす役割が大きいことが巧みに論証されている点に、抵抗を覚える向きもあるだろう。だが、その本質は理論と実践の合一である。
    
 Henry Kissinger 23年生まれ。ドイツ出身。ナチスの迫害を逃れて米国亡命。ニクソン政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官、フォード政権の国務長官。73年にノーベル平和賞。著書『外交』など。

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