数学する身体  森田真生  2016.4.28.

2016.4.28. 数学する身体(しんたい)

著者 森田真生 1985年東京都生まれ。独立研究者。東大理学部数学科卒後独立。現在は京都に拠点を置き、在野で研究を続ける傍ら、全国各地で「数学の演奏会」や「大人のための数学講座」など、ライブ活動をやっている
http://choreographlife.jp

発行日           2015.10.15. 発行            2015.11.30. 第4
発行所           新潮社

以下の初出を大幅加筆修正
「数学と情緒」 (『考える人』2013年夏号)
「数学する身体」 (『新潮』20139月号)
「計算と情緒」 (『新潮』20141月号)
「零の場所」 (『新潮』201410月号)
「アラン・チューリングの艸のみち」 (『みちくさ』No.1)

はじめに
ひとたび起点を決めたなら、そこから確実に歩を進めていくのが数学
頼りなく、あてのない世界の中で生まれて亡びる身体が、正確に、間違いのない推論を重ねて、数学世界を構築していく
数えることも測ることも、計算することも論証することも、すべては生身の身体にはない正確で、確実な知を求める欲求の産物。曖昧で頼りない身体を乗り越える意思のないところに数学はない
数学は身体の能力を補充し、延長する営みであり、それゆえ、身体のないとことに数学はない。数学はいつでも「数学する身体」とともにある。本書はそこを丁寧に描き出す

第1章        数学する身体
個数の差異を厳密に把握できるのは、数の助けを借りているからで、「数」は人間の認知能力を補完し、延長するために生み出された道具
3個までならその個数を瞬時に正確に把握する能力を持つ。4つ以上については身体の部位を使って数えようとする
数字のデザインは文明ごとに多様だが、1を表す記号を2個、3個並べて23を表すのが基本で、4つ以上並べないのは人間の認知能力の限界のためで、道具としての使い勝手が悪くなるのを回避するために、45を境に独自の記号を編み出している
「計算用の数字(=算用数字)」を発明したのは7世紀のインド人
アルゴリズムとは、具体的な問題を解くための系統だった手続きのこと  筆算のアルゴリズムと人間の脳との連携の結果として2桁以上の計算も簡単にできる
図形は、「形」や「大きさ」についての直感を拡張するための重要な道具
様々な具体的な問題に対して、それを解決するための計算手続き=アルゴリズムを開発することが古代においては数学という営みの中心
紀元前5世紀のギリシャにおいて、「証明」によって結果の正当性を保証するプロセスに重きを置く姿勢が生まれる  「なぜ」その答えが正しいかという理論に拘る。象徴的なのがユークリッドの『原論』で、500近くの基本命題を含む大作。聖書に次ぐベストセラー
Mathematicsという言葉は、ギリシャ語の「学ばれるべきもの」に由来し、ピタゴラス学派が、数論、幾何学、天文学、音楽の「4科」からなる特定の学科を示す言葉として用いた
「人工進化」  自然界の進化の仕組みに着想を得たアルゴリズムで、人工的に、多くの場合はコンピュータの中の仮想的なエージェントを進化させる方法のこと

第2章        計算する機械
学校で教わる数学のほとんどは数式と計算だが、これは1719世紀の西欧数学に特有の傾向で、それ自体が必ずしも普遍的な考え方ではない
古代ギリシャ人は幾何学的論証を重視して、具体的な数値的計算を数学に持ち込もうとはしなかった
現代の数学も過度の計算に頼るよりも、抽象的な概念や論理を重視する方向に進んだ
1.   証明の原風景
数学の起源、「数学」そのものの輪郭が明確ではないため判然としないが、数学の歴史を大きく変えた1つが紀元前5世紀ごろのギリシャで、初めて「証明」の文化が生まれた
それを支えたのが「図」の役割で、命題の文が図の存在に依存、図そのものが命題の一部分になっている
2.   記号の発見
その後17世紀のヨーロッパで起こった大きな革命が、図の代わりに「記号」が全面的に使用され、論証に代わって「計算」が数学の前面に押し出されることに
古代文明の衰退後、その数学的遺産の最大の継承者となったのがアッバース朝(7501258)下のイスラーム世界で、バビロニアやインドの数学など周辺地域から様々な伝統を吸収し、それらを併せ呑んだ実践性と理論を兼ね備え、数と幾何学の双方に関わる独自の数学文化を育む
16世紀には、活版印刷技術の普及も手伝って、記号法の統一が進む
未知数の記号化に加え、既知数まで記号化することにより「一般式」の概念に到達。問題を個別に解くのではなく、「あらゆる問題を解決する」ことが可能に
二次方程式の一般式 3x2 + 2x + 1 = 0   ax2 + bx + 1 = 0 
近代数学を発展させたのは、デカルト、ライプニッツ、ニュートン
19世紀に入ると、計算の精緻化により数式と計算を中心とした数学そのものが次第に限界に近づき、計算の代わりに創造的な「概念concept」を導入して過剰な計算過程を節約しようと考えた。その1つが「集合」の理論
公理によって証明を一度に片づけてしまう公理的方法の著しい生産性に着目して数学全体を公理によって規定された抽象的な「構造」についての学問として再構成しようとしたのが「ニコラ・ブルバキ」を名乗るフランスの若手数学者の集団
一方で、「証明」を重視する公理主義はアラン・チューリング(191254)によって「計算についての数学」として整備され、その理論的副産物として現代のデジタルコンピュータの数学的な基礎が構築され、「計算する機械」としてのコンピュータが誕生
3.   計算する機械=コンピュータ
チューリングの数学研究への情熱の背景にある原体験  心と機械を架橋する手掛かりを、数理論理学の世界に見出す
1936年 「計算」の歴史の転換点となる画期的な論文を発表  「計算」という行為の本質を数学的に抽出し、「計算可能性computability」という概念に明快な定式を与えた。計算する人間の振る舞いをモデルとした仮想的な機械を考案。さらに物理的に実現したのがパソコンやスマートホン。「計算するもの=プログラム」と「計算されるもの=データ」の区別が解消され現代的なコンピュータの理論的礎石が打ち立てられた
チューリングは、39年にブレッチリー・パークに招聘され、41年にはエニグマの、42年にはタニー(エニグマに代わるドイツ軍の暗号)の解読に貢献
人工知能の開発、生物の成長の仕組みの解明へと進む

第3章        風景の始原
岡潔(190178)によれば、数学の中心にあるのは「情緒」
歴史的に構築された数学的思考を取り巻く環境世界の中を、数学者は様々な道具を駆使しながら行為=思考する。その行為が新たな「数学的風景」を生み出していく。数学者とは、この風景の虜になってしまった人のこと

第4章        零の場所
アンドレ・ヴェイユ(現代数学の象徴的存在であるブルバキ派数学の生みの親)は、「数学は零から」という  数学の本質は零からの創造であり、いかなる信仰や政治的信念からも自由に本当の「零」から出発して豊かな世界を構築しうる手段
岡の返答は、「零までが大切」という  「零」からは人間の意志で進めるが、「零まで」は人間の力ではどうしようもないが、それこそが肝心だという意味。数学における創造は、数学的自然を生み、育てる「心」の働きに支えられている。その心の「彩(いろどり)や輝きや動き」をもっと直截に喚起する言葉として「情緒」という表現を使う

終章 生成する風景
本書で辿った数学の流れは、チューリングと岡潔の2人に流れ着く
性格も研究も思想もかけ離れた2人だが、共通しているのは両者とも数学を通して「心」の解明へと向かったこと
人間が生み出す数学の道具は、時代や場所とともにその姿を変える。道具が変われば、それを用いる数学者の行為、さらにはその行為が生み出す「風景」も変わる。数学と、数学する者とが互いに互いを編むように、数学の長い歴史が紡がれてきたし、これからも私たちの知らない風景を生み出し続けることになるだろう


数学する身体 森田真生著 2偉人対比、哲学や歴史描く
 [日本経済新聞夕刊201512月3日付]
 子供は1、2、3、…10と数えてから、ちょっと困った顔をして「いっぱい」と言ったりする。でも、本書によれば、中世ヨーロッパでは、指を使って9999まで数える方法が存在したという。
 「身体」から始まった数学は、+、-、×、=、といった「記号」の発見により、抽象化の階段を一気に駆け上る。そして、デカルトが座標系を発明し、幾何学の問題も方程式で解けるようになった。
 本書は、数学の歴史を辿(たど)りつ
· (新潮社・1600円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 子供は1、2、3、…10と数えてから、ちょっと困った顔をして「いっぱい」と言ったりする。でも、本書によれば、中世ヨーロッパでは、指を使って9999まで数える方法が存在したという。
 「身体」から始まった数学は、+、-、×、=、といった「記号」の発見により、抽象化の階段を一気に駆け上る。そして、デカルトが座標系を発明し、幾何学の問題も方程式で解けるようになった。
 本書は、数学の歴史を辿(たど)りつつ、やがて、「計算する機械」を発見したチューリングと、世界的数学者・岡潔の対比へと進む。二人にとって数学の「心」とは何だったのか。
 数学の身体性、歴史、哲学、心を描いた名著だ。
★★★★★
(サイエンス作家 竹内薫)



Yomiuri Online
評・青木淳(建築家)
『数学する身体』 森田真生著
20151116 0527
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概念世界と一体化する
 旅から帰ってきても、行った先で感じていた感覚は残っているものだ。撮った写真を見ると、その感覚が(よみがえ)るし、旅先で食べた品々の匂いを嗅ぐと、その日の行動が次から次へと思い出されてくる。ある土地のことを本や映像で知っても、こうはいかない。実際に行ってみて、その土地に自分を置いてみないと、こんなにくっきりとした感覚は得られない。
 数学も旅のようなもの、と著者は書く。ただしそれは手で触れることも、目で見ることもできない抽象的な概念世界への旅だ。「多変数解析関数」の世界と聞いても、さてそれはどんな世界なのだろう。しかし数学者の岡潔にとって、その世界は「峻険(しゅんけん)なる山岳地帯」だったらしい。彼はその山岳地帯を旅し、そこに自らの身を置いたのである。そうすることで、その風景の(ひだ)を探査できる数学的乗り物を発明し、ついには連綿と連なる未解決問題の「一群の山系」を発見し、その姿を正確に捉えることに成功した。
 その岡潔が「わかる」ということを説明するとき、好んで引き合いに出したのが、道元禅師の歌だった。「聞くままにまた心なき身にしあらば己なりけり軒の玉水」。
 自分を失うまでに、降りしきる雨に没入する。すると、自分の内側が、雨の世界としか呼びようもないもので満たされてくる。ふと、我に返って思う。あれ、今、自分は雨になっていたような……。そう気づくとき、もう、雨の世界は消えてしまっている。でも、そこで味わった風景の襞や匂いは、記憶にありありと残っている。それが「わかる」ということ、と言うのだ。
 身をもってその場と一体化することで初めて、そんな風景が立ち現れてくる。著者は、そこに至るプロセスを「身体化」と呼び、客体とも主体とも違う、その両者があいまって生まれる第三の道の存在を、数学を通して、示そうとしている。パラダイムを変える萌芽(ほうが)(はら)んだ意欲的なデビュー作である。
 もりた・まさお=1985年、東京生まれ。独立研究者。「大人のための数学講座」など各地でライブ活動を行う。
 新潮社 1600円
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