茶の間の正義 山本夏彦 2015.1.15.
2015.1.15. 茶の間の正義
著者 山本夏彦 1939年、24歳のとき『年を経た鰐の話』その他を『中央公論』に発表、戦中戦後、2,3の雑誌社出版社で編集と営業に携わり、51年以来、工作社を主宰する。55年『室内』を創刊し、『日常茶飯事』を連載。84年菊池寛賞受賞
発行日 1979.2.10. 初版 1987.10.25. 9刷
発行所 中央公論社(中公文庫)
初出 1967年 文藝春秋刊
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テレビのモラルとは、茶の間の正義であって、眉ツバものであり胡散臭い
テレビでは、如何に大衆に受けるかと言うのが基準になっている
大元は新聞で、それをラジオが真似さらにテレビがまねているだけなので、茶の間の正義は昔から存在した
人を褒めて面白く読ませるのは至難である。悪く言って面白がらせるのは容易だから易きについたのだと思う
テレビの視聴者、新聞の読者の多くは女性である。女性でないにしても、少なくとも茶の間では女性化された男子である。
政治に女性的なものが介入するのは危険だと思う
女性が常に正義で潔白だとだと思い得るのは言うまでもなく実社会の責任ある地位にいないせいである。実社会は互いに矛盾し複雑を極める。それは他人を見るより自分は見ればわかる。自己の内奥を覗いてみれば良心的だの純潔だのと言える道理が無い。それを最も見ないのが婦人である
新聞は政治家の悪事を暴き、反省してももう騙されるなと大衆に呼びかける。ならばどうするかと言えば革命しかないが、物質文明に浸かった大衆には革命などさらさらする気はない
新聞は茶の間のモラルを支配し既に言論を売買して独占している。我々はその売買された言論しか読めない
茶の間の正義からは何ものも生まれないと、笑ってばかりいていいものではない
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株式会社亡国論とは経済の事ではなくモラルのこと
会社が激増したのは戦後のことで、戦前はすべて個人があった。法外な税金を逃れるための自衛手段であって、当初は同情していたら今の世の中会社だらけになり、国は繁栄しているのに会社という法人のせいでわが国は腐敗した
諸悪の根源は税制にあり
個人は、税制から避難して法人化したが、なって法人を悪用することを覚え、腐敗した
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核家族礼賛を排す
年寄のいない家庭は家庭ではない。家に年寄がいないと衣食住の伝統が断絶する。着物を縫ってもらえなくなり、着せてもらえなくなり、家の味、おふくろの味が亡び、年中行事が消えてなくなる
老若、親子の間の言語は、通じなくなって久しい。これも進んではねつけてきたのだから通じなくても平気だろうが、互いに言語が通じなくなっては、文明でもなければ文化でもない、野蛮である
両親や先祖と縁を切れば、人が僅かに過去と繋がるのは「おふくろの味」だけ。家の味は、食器とも繋がる。古い家具も同様で、長年にわたって染み込んだ一家の歴史が刻まれているが、それとは知らぬ嫁に来たばかりの他家の女が昨今はやりのデコラに改めようと言い出して、初めて他人だなあと姑や亭主もこの嫁を眺める
仮に強情な親がいて、嫁に家風のごときものを伝えようとしても、嫁は承知しないし、いちいちなぜかと詰め寄るが、いずれも返答に窮する些事だから余計困る。よしんば嫁が納得したとしても、両者は赤ん坊の誕生によって再び、今度は決定的に分離する
同居であれ別居であれ、若夫婦が親たちを、最も拒否するのは育児に於いてである。親たちの育て方は古い、古いものは悪いと、相場が決まっている
親子2代、あるいは孫を加えて3代が同居しているケースもあるが、不本意の同居ではコミュニケーションもない、言語の応酬が無ければ意思も通じない。奈良や京都を見物して感動したと称するのは胡乱だ。お互い今でも通じない人が千年前の古社寺と通じるわけがない
ただし、年寄といっても、若い世代に迎合しているのでは年寄とは言えない。若い者の口真似を事として、伝統を伝える意思も能力もなければ、若夫婦は親たちと共に住んでも何の得るところもない
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税金感覚
株式会社は税金をごまかす=合法的に免れるための存在
首相が一銭も漏らさず申告したといっても、実際の政治は無税の何億という金で運用されている。九牛の一毛を正しく申告して納税しても、税金感覚は生じない
税金などの天引きをやめて申告制にすれば、出し渋る者が続出するだろうし、払った金がどう使われるかにもより関心がいく
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テレビ料理を叱る
芋の煮ころがしは滅びてもう随分になる。料理の本(もと)は芋の煮ころがしであり、日本の家の味。これが我々の味覚の基本で、料理屋の料理ごときは末に過ぎない。芋の煮ころがしがあって、初めて料理屋やレストランの味がある
本が滅びれば、末も滅びる
家の味を粗末にして、料理屋やレストランの味を珍重して、その真似ばかりすると、料理屋は次第に客を侮るようになる。客を侮っては、料理屋の料理はダメになる。世界各国の料理の粋は我が国にあって、しかも一流だというのは、眉ツバである
うまい店を紹介する書物と人があるが、これもまた胡乱。毎日あんなものを食べ歩いて、うまくてたまらぬというのはヘンだ
食道楽というのも、昔は自分の金でしたが今は他人の金ですることになり、言葉は同じだが、中身はあべこべになった
料理は、戦後20年で、跡形もなく滅びた
魚や野菜の鮮度に対する感覚がない。もったいないという心持がない。果物や野菜の皮をむかせると分かる
料理は才能であり感覚だから、習って上達するものではない。習って覚えられるのは形骸だけ。形骸だけを教えよう、習おうという思想は、明治以前のものではない
料理学校の先生は、料理の形骸だけを伝えるだけだから、味が分からなくても勤まるし、材料の鮮度に敏感である必要もない
土地が変わると水が変わる。その水に微妙な味の変化がある
古人の食生活は、季節の蔬菜とシュンの魚とからなる食膳で、今人(こんじん)のそれより豊富だった
「ス」の入っていない大根などなくなって久しいし、長く糸を引く歯切れのいいハスも今やない。薯も戦前のそれとは全く別物なのに、依然として中年の婦人の好物なのはどういうわけか、知ってなお大好物なのか
家々にそれぞれの調理があれば、それを味わうのは、交際の、また結婚の楽しみの一つであり、その愉しみ、または不安は今日の若夫婦の間に見られない。2人の間にあるのはライスカレーか牛鍋に決まっている。百万女性の誰を選んでも、出るのはライスカレーと牛鍋なら、何度見合いをして誰を選んでも甲斐はない
おむすびも茶漬けも茶の間のもので、金を出して食べるものではない
老若を問わず、鮮度に対する感覚を失ったのは、まず温室のせい。缶詰のせい、冷凍技術の発達のせい。季節外れの食材を得て、本物を失った
食卓の豊富ということは、むやみに何でもあることではない。季節のものさえあればそれでいい。秋でなければ食べられないから秋を待つのであり、食べて秋の来たことを知る。味わうということはそういうことだ
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やはり職業には貴賎がある
肉体そのものは売買できない。その肉体に汗して、人工を加えて、何か作りだした加工品なら、売買は許される。天賦の裸体は、加工品ではない。セックスも、爪も髪も売ってはならない。血も売るものではなく、タダでやるべきもの。
芸者や女給のことを「芸者さん」だの「芸者衆」と呼ぶのは、明治の頃花柳界を礼賛したように、臭いものの臭みが分からなくなって美化した結果であり、不見識も甚だしい。待合の女中だって芸者は芸者と呼び捨てにする。人権の問題とは関係ない
楽して大金とるのが、よい職業と見做され、大枚のギャラを取る芸人と面識があることを誇る者さえ中にはある
女給や芸人が、いくら大金を得ても、それは堅気が得た金とは違う
古人はそれを区別した。どんなに人気があろうとも、芸人は芸人と見た。桟敷や枡で弁当をつかいながら、箸のさきで客は芸人を品定めした
子供を一流校へ入れたがるのも、いずれ社会に出たときのことを考えるからで、貴賎があると白状しているのも同然
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衣食足りて礼節いまだし
古人は世論に異存が無ければ黙っていた。異議あるときのみ発言をし、文字で志を述べた
だから言論は売買の対象にならず、少数を密かに印刷して友人知己に献じたが、今は売買が目的である。となると、迎合を事とするに決まっている。迎合すること同じならば、本は少ない方が文化国家だ
通学の途上は端正なる姿勢を保つべし。みだりに左顧右眄、喋々喃々(ちょうちょうなんなん)、見苦しき態度あるべからず
朝夕出没する御用聞きにも相当の礼儀あるべし。馴れてこれを失えば、軽侮を招く
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金切声 このごろ男が金切り声を出す なぜか
税務署は、法で許されていない高利貸しからも税金をとるのだろうか。とればその高利は許されることになる。なってモラルは一貫するのだろうか
みんな政治が悪い、世の中が悪いというが、夫婦喧嘩だってどっちもどっちで、どちらかが一方的に悪いということはない。してみれば、みんな政治が、世の中が、経営者が悪くて、自分は何一つ悪くないということはありっこない。ありっこないことをあるように思わせる力が、言葉にはある
言葉は乱用されると、内容を失う。敗戦このかた、平和と民主主義については言われ過ぎた。原水禁運動と言っても、平和を守るための威力としての核兵器ならいいそうだ。アメリカ製はいけなくてソ連製はいいそうだ。互いに平和を称して争い、被爆者はそっちのけ
平和だの民主主義だの言論の自由だのと、男が金切り声をあげるが、その言葉には内容がない
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父よ笑え 男は女を笑わなければならぬ
男が産休を取るという
お産は、会社の仕事とは無関係の私事である。病気でもないから、病院に任せれば亭主の出る幕はない
女は痛みを耐えた。陣痛は産むのが近づいた徴で、泣いてもわめいても軽くはならない。ならないのに騒いではみっともない、物笑いになるだけだから、騒ぐなと母や娘に教えた
騒いで甲斐ないことなら、騒がない方がいいに決まっている
学校での子供の喧嘩に親が出る、受験に親が付き添う。父にとっても、ついていってやりたいが、ここは突き放すべきところだと笑う
家庭に第三者がいなくなったらどうなる?
細君が目を吊り上げ、口角泡を飛ばしても、ていよくあしらうのが父なのである
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私の言文一致 とんではねるのが何より自慢
相反することを、同時に言う。ほめながら悪く言う。悪く言いながらほめる
ジャーナリズムはタイトルだと教えるが、内容の正しい反映ではタイトルにならない、ある程度の奸智をもってしなければ人は惹きつけられない
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贔屓
どんな作者でも、ほんとは100人の読者しか持たないのではないか。私はこれをご贔屓と呼ぶ
作者と読者の仲は、縁であり贔屓に過ぎぬと思っている
世代の違いと言うなかれ
話が通じないとすぐ世代の相違だと断じるが
人情風俗の相違は感じても断絶なんかは感じない
親は子に、教師は生徒に迎合しすぎ、そのあげくにそれと知らずに尊敬を失っている
解説 河盛好蔵
私は久しい以前から著者の「贔屓」である
山本夏彦という優れたエッセイストを最初にジャーナリズムに紹介したのは福田恒存
彼に教えられて忽ちにして熱心な愛読者になった
平生漠然と考えていることを、目が覚めるように鮮やかに解明する
世間で正義とされているもろもろの言説が、実は下等な嫉妬心の産物以外の何ものでもないことが完膚なきまでに剔抉されている
身辺清潔の人は、何事もしない人、出来ない人だ。政治も企業も、清濁併せのむ人でなければできない、と喝破する辺り胸がすくうよう
世間には、「自分は決して履行しない、履行するつもりがないモラルを説く」連中が多過ぎる。著者は常に少数派に身を置き、多数派の偽善やごまかしに一歩も譲らない
著者の魅力は、着想の面白さと、それを展開する巧みな語り口にある ⇒ 諸悪の根源が税制にあり、法人が国を滅ぼすという『株式会社亡国論』は本書の圧巻
著者は声高に語る人ではないが、その声は隅々までよく透り、時として人の肺腑を抉るほど鋭い。しかし邪念を去って耳を傾けるとき、これほど心にしみる頼もしい声も少ない。愛読してやまない所以である
Wikipedia
祖父は高利貸しの山本義上(1848年 - 1909年、ゆえに銀行を嫌った)。父は詩人の山本露葉。息子は写真週刊誌『FOCUS』の編集長を務めた編集者の山本伊吾。義兄(姉の夫)にロシア文学者、脚本家の八住利雄。山本にとっては甥に脚本家の白坂依志夫。
経歴[編集]
山本三郎(1879-1928)の子として東京の下谷根岸に生まれる。父親は坪内逍遥に傾倒して慶応から早稲田に転学し、山本露葉の名で、児玉花外、山田枯柳らとともに若手の新体詩人として注目されたが、夏彦が小学6年のときに死亡[1]。15歳で渡仏。3年後に帰国し、24歳のときにフランス童話『年を歴た鰐の話』の翻訳で文壇デビュー。のちに老舗雑誌となった『室内』を創刊し、コラムニストとしても活躍した。
年譜[編集]
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1930年(昭和5年)亡き父の友人であった武林無想庵に連れられフランスに渡り、1933年(昭和8年)まで暮らし帰国。パリのユニヴェルシテ・ウヴリエール(Université Ouvrière de Paris)修了。
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1955年(昭和30年)インテリア専門誌『木工界』を創刊する。『木工界』はその後1961年(昭和36年)に『室内』と誌名を変更。2006年(平成18年)3月号で一旦休刊するまで、50年にわたって発行された。
同コラムにおいて、保険外交の高成績を収める女性達に対し、彼女たちは女であることを武器に契約をとっていると書き、生命保険組合よりクレームを受けたり、日航機墜落事件の生存者の少女が「これから光熱費を自分で払わなければならない」とインタビューで答えたことに対し、その亡父が共産党地方議員であったこととあわせ「おかしなことを言う」と述べるなどの逸話があった。批判に対しては常に反論で返す強気の人でもあった。
受賞[編集]
評価[編集]
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山本夏彦を西部邁(評論家)は2013年に次のように評価した。「山本夏彦さんっておられたでしょう。いいこと言う人だなと思ったことが一度だけあって、「西部さん、誉め言葉は相手が生きているうちに言わないとダメだよ」、これはやはり名言だと思った。僕はそれまでもそこそこやっていたんですけど、それ以来、生きているうちに誉めるよう心がけています。」[2]
著書[編集]
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日常茶飯事 工作社 1962 のち中公文庫、新潮文庫
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茶の間の正義 文藝春秋 1967 のち中公文庫(新版再刊)、新版ワック
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変痴気論 毎日新聞社 1971 のち中公文庫(新版再刊)
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毒言独語 実業之日本社 1971 のち中公文庫(新版再刊)
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笑わぬでもなし 文藝春秋 1976 のち文庫、中公文庫、新版ワック
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編集兼発行人 ダイヤモンド社 1976 のち中公文庫(新版再刊)
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かいつまんで言う-編集兼発行人 二冊目 ダイヤモンド社 1977.6 のち中公文庫
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二流の愉しみ 講談社 1978.10 のち文庫、中公文庫
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ダメの人 文藝春秋 1979.3 のち文庫、中公文庫
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つかぬことを言う 平凡社 1980.12 のち中公文庫
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恋に似たもの 文藝春秋 1981.6 のち文庫、中公文庫
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やぶから棒 夏彦の写真コラム 新潮社 1982.3 のち文庫
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美しければすべてよし 夏彦の写真コラム 新潮社 1984.1 のち文庫
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おじゃま虫 写真コラム 講談社 1984.4 のち中公文庫
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冷暖房ナシ 文藝春秋 1984.11 のち文庫
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不意のことば 夏彦の写真コラム 新潮社 1985.12
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世はいかさま 夏彦の写真コラム 新潮社 1987.11
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「戦前」という時代 文藝春秋 1987.11 のち文庫
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生きている人と死んだ人 文藝春秋 1988.11 のち文庫
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無想庵物語 文藝春秋 1989.10 のち文庫
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最後のひと 文藝春秋 1990.10 のち文庫
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良心的 夏彦の写真コラム 新潮社 1991.3 のち文庫
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「豆朝日新聞」始末 文藝春秋 1992.3 のち文庫
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世間知らずの高枕 夏彦の写真コラム 新潮社 1992.9 のち文庫
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愚図の大いそがし 文藝春秋 1993.4 のち文庫
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私の岩波物語 文藝春秋 1994.5 のち文庫
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オーイどこ行くの 夏彦の写真コラム 新潮社 1994.9 のち文庫
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世は〆切 文藝春秋 1996.1 のち文庫
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その時がきた 新潮社 1996.7
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『室内』40年 文藝春秋 1997.3 のち文庫
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死ぬの大好き 新潮社 1998.6
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誰か「戦前」を知らないか 夏彦迷惑問答 文藝春秋(文春新書)
1999.10
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「社交界」たいがい 文藝春秋 1999.2 のち文庫
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寄せては返す波の音 新潮社 2000.9
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百年分を一時間で 文藝春秋(文春新書)
2000.10
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一寸さきはヤミがいい 新潮社 2003.2、「写真コラム集」最終刊
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最後の波の音 文藝春秋 2003.3 のち文庫
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男女の仲 文藝春秋(文春新書)
2003.10
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ひとことで言う 山本夏彦箴言集 新潮社 2003.10
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「夏彦の写真コラム 傑作選 1・2」 新潮文庫
2004
共著[編集]
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夏彦・七平の十八番づくし 私は人生のアルバイト 山本七平共著 サンケイ出版
1983.3 のち中公文庫、産経新聞出版
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意地悪は死なず 山本七平共著 講談社 1984.8 のち中公文庫、新版ワック
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浮き世のことは笑うよりほかなし 講談社(対談集) 2009.3
翻訳[編集]
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年を歴た鰐の話 レオポール・シヨヴオ 桜井書店
1941 2003年文藝春秋より復刊
脚注[編集]
関連人物[編集]
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鴨下信一
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久世光彦
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幸田文
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竹田米吉
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植田康夫
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