ノーベル経済学賞の40年 Thomas Karier 2012.12.21.
2012.12.21. ノーベル経済学賞の40年 上・下 20世紀経済思想史入門
著者 Thomas Karier 経済学者。カリフォルニア・バークレー校でPh.D取得後、現在はイースタン・ワシントン大学教授。バード・カレッジのジェローム・レヴィ経済研究所の研究員
訳者 小坂恵理 翻訳家。慶應大文学部英米文学科卒
発行日 2012.10.15. 初版第1刷発行
発行所 筑摩書房(筑摩選書)
本書は、経済学賞の受賞スピーチを通じて、経済学の偉大なアイディアを、一般人にも分かりやすく説明しようとした
(上巻) 69年創設以来740年間で64名の受賞者を選出したノーベル経済学賞。いったい彼等は何を発見し、それはどのように役に立っているのか。ミクロ経済学からマクロ経済学、一般均衡に国際貿易、ゲーム理論に行動経済学。分かりにくい受賞者たちの理論を、彼等の半生、人柄とともに辿ると、今日まで苦闘を重ねてきた経済思想の流れが見えてくる。20世紀の経済思想を一望できる格好の入門書
(下巻) ノーベルの遺言で設立されたノーベル賞に、スウェーデン国立銀行の提案によって追加された経済学賞。その人選については、これまでも議論の的だった。果たして経済学は科学なのか。人類のどんな課題に向けて経済学は進むべきか。そして彼等は受賞に相応しい人物だったか。経済学賞受賞者たちの思想の系譜から、今日の我々が直面している問題の本質が見えてくる。混迷を深める世界経済を読み解くための必読書
ノーベル賞が対象とした3部門、物理、化学、生理学・医学は、いずれもノーベルのキャリアを反映、更に彼の興味が及んだ文学賞へと広がり、最後に加えられたのが平和賞
経済学賞は、スウェーデン国立銀行からの提案と資金の提供で1968年にノーベル財団によって認定されたが、他の部門と違って人類に対してどんな貢献をしたのかはよくわからない
対象から外された大物には、ガルブレイスがいる ⇒ 保守的な選考委員の目からは、リベラルすぎて、数学的でなく、かつ、大衆から熱烈に支持されるのは研究に対する「厳格な姿勢」が十分ではないという証拠に他ならないという理由? 2006年死去して沙汰止みに
授与されるメダルも異なり(平和賞も違う)、正式名称も「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」、財団も正式メンバーも「ノーベル賞」とは呼ばず単に「経済学賞」という、「ノーベル賞受賞記念講演」も単に「記念講演」と呼ばれる
経済学賞受賞者の中には、経済学の2人の巨人アダム・スミスとケインズのいずれかの流れを汲む者が多い
アダム・スミスは、自由市場を擁護、シンプルな前提に基づいて需要と供給からなる市場の機能について解説。価格が中心的な役割を果たし、財の余剰や不足のシグナルとなり、望ましい結果を市場にもたらす。自由な市場は経済の中で無理なく効率的に生産や分配を調整するというのが持論。政府の介入は自由な市場を歪めるとして排除する
フリードマンンをリーダーとするシカゴ学派も、自由市場での完全競争という抽象的なモデルを使い、市場経済に関する自らのビジョンを擁護
新古典学派と呼ばれる人たちは、市場を数学的に表現する傾向を強め、人間の合理的な行動は自己利益に深く根差し、一貫性と確実性を伴う予測可能なものとして、経済モデルを構築
この合理性に基づく理念は、イギリスの経済学者マーシャルによってさまざまな理論を統合・集大成され、ミクロ経済学という学問を打ち立てる
一方、マーシャルの弟子のケインズは、1929年の大恐慌という現実を前に、全く異なる経済学を開拓し、アメリカにわたってより緻密で洗練度の高い定義が考案された
合理的な行動という概念に大きく影響されながらも、独自のアプローチを発達させた分野がゲームの理論で、その本質は単純なゲームを支配する数学的ルールの解明 ⇒ パイオニアのノイマンは天才数学者だったが、経済学賞が創設される前に死去
マーシャルと並んで、スミスの理論の流れを汲みつつ、需要と供給に関する公式をふんだんに使って経済全体を表現することに成功したのがフランスのワルラスで、”一般均衡理論”が誕生
経済学のアイディアが重要で幅広い影響力を持っていても、常に正しいとは限らないし、現実の世界で機能することの保証はない。経済学のアイディアは現実の世界で活かされこそ、真価を認められる
1.
自由市場主義者たちの経済学
ハイエク(74)、フリードマン(76)、ブキャナン(86)
1947年 ハイエクは経済学者を集めて戦後社会の最大の不安材料について話し合う ⇒ 大きな政府こそ最大の脅威と考え、文明の根本的な価値が危機に晒されているという認識を共有
政治や経済の複雑な問題を全て、「個人の選択の自由を侵害するか否か」の基準で判断
30年も前の理論によってノーベル賞を得たが、その後は市場で生じる結果を予測することも市場の優位性を証明することも不可能だと確信するとともに、その必要すらないと信じるようになる。経済学に数学的要素を取り入れて物理などの科学を真似してもうまくいかないとし、数学の役割が際限なく膨らんでいく事態を憂慮した
生涯にわたり、ソ連の計画経済、ケインズは経済学の隆盛、政府主導の政策の拡大、経済学における数学重視の傾向などに対して困難な戦いを挑んだが、いずれも圧倒的な時代の趨勢であり、敵う筈もなかった
ただ、経済学の中に保守的なリバタリアンの伝統をいち早く定着させた先駆者としての功績は評価すべき
フリードマン ⇒ 歴代受賞者の中で最も有名にして、世間を騒がせた人物。一国の経済政策にも大きな変化を促した数少ない経済学者の1人。自由市場を守るためには一切の妥協を許さず、容赦ない攻撃は政府にも向けられた
最も有名なのは貨幣政策 ⇒ 経済に混乱を引き起こさずに政府が供給できる貨幣の量には限界がある、という事実は今日では広く認識されている
固定相場制の崩壊を早くから予言、変動相場制を強く示唆
貨幣供給量を管理する政府の取り組みをすべて逆効果とまで言い切ったために激しい論争を引き起こす
ブキャナン(13.1.逝去、93歳) ⇒ 貧農に育ち、テネシーの州立大卒業後、ニミッツの下で働いたが、戦後シカゴ大学から博士号取得、リバタリアンの信条に心酔、フリードマンの実証主義を受け入れ
公職にあるものが、自己利益を優先し、国民の意思を無視するかもしれないという"公共選択論”が授賞理由の1つ ⇒ 選挙で有利になる様財政支出を増やす政治家の利己心など政治過程の分析を導入。小さな政府を奉じる保守派として、80年代レーガン政権の経済政策にも影響を与えた
2.
ミクロの信奉者――シカゴ学派
ベッカー(92)、スティグラー(82)、シュルツ(79)、コース(91)
ミクロ経済学は、18世紀に市場の行動に関するアダム・スミスの著作をきっかけに誕生
20世紀初め、アルフレッド・マーシャルが需要と供給を現代風に表現し直して、この学問分野の普及に貢献
ミクロ経済学の基本コンセプトを本来の市場とは無関係の新たな分野に応用した受賞者
全員がシカゴ大学の出身、フリードマンの指導の下、完全競争モデルに強い拘りを持ち、政治的には自由市場を好む
ベッカー ⇒ 車通勤の際、有料駐車場に停めるか、無断駐車して罰金のリスクを負うかの決断を迫られたところから、犯罪経済学という画期的な分野を開拓、多数の成果を残す
犯罪者は、捕まる可能性と刑期の長さを客観的に計算したうえで犯行に及ぶと推定
差別にも経済学の視点を取り入れ ⇒ 差別の存在する企業は競合他社よりも収益が低くなり自然に淘汰される
3年連続でシカゴ学派から受賞者が出たことに驚きの声が上がる
スティグラー ⇒ 経済学が客観的な科学になり得ることを理解させようと努力
情報格差が市場の需給に影響をもたらすという”情報経済学”という新たな学問分野を創造
政府の規制に関する研究も受賞対象 ⇒ 政府によるあらゆる形の規制を攻撃対象とする
シュルツ ⇒ 貧しい低開発国の救済策に自由市場のアプローチで臨む。人的資本と農業発展への関心を結びつけ、教育の中でも特に農民教育の必要性を訴え、教育に限っては政府の支出を支持
コース ⇒ 会社はなぜ存在するのかという疑問への回答(取引コストが高くなると会社規模が大きくなる)と、汚染などの問題へのユニークな解決法の提案(取引コストがゼロで完全情報を前提とするなら、賛否対立する両者の交渉による協定が富の最大化に繋がる)が授賞理由
3.
カジノと化した株式市場
ミラー、マーコウィッツ、シャープ(90)、ショールズ、マートン(97)
ショールズ、マートン ⇒ 金融商品の価値を計算する独創的な数式の考案が授賞理由だったが、受賞から1年もたたないうちに、史上最悪の倒産劇に受賞者2人が関与していた
LTCMは、2人を取締役に加え(ショールズは共同設立者)その理論を実践
ミラー、マーコウィッツ、シャープ ⇒ 数理ファイナンスという新しい分野のパイオニア。ミラーはハーバードでノーベル賞受賞者のソローと同じクラス
ミラーは、株価の決定要因は収益性のみとの発想をもたらした
マーコウィッツは、”リスク”と″ポートフォリオの多様化”という問題に焦点 ⇒ 平均収益とリスクという2つの数字によって投資の組み合わせが決定される新しいポートフォリオモデルを考案
シャープは、資本資産価格モデルを考案。複数の銘柄からなるポートフォリオの収益は、多少の値動きの激しさを伴いながらも歴史的に一定のパターンを繰り返す
4.
さらにミクロに
ヒックス(72)、ヴィックリー、マーリーズ(96)、スミス(02)
シカゴ学派以外でミクロ経済学を、他の分野に応用した学者
ヒックス ⇒ 厚生経済学という、資源配分の変化が社会全体の福祉に与える影響を評価する学問の分野を開拓
ヴィックリー ⇒ 受賞発表の3日後に逝去。完全に自由な市場ではない場合に市場価格を決定する方法の1つとしてオークションを取り上げ、オークションの仕組みを解明するためにミクロ経済学のツールを利用
イングリッシュ・オークション ⇒ 価格を競り上げて、最終的に最も高い価格を提示した買い手が落札
ダッチ・オークション ⇒ 売り手が設定する最高価格が順次引き下げられ、最初に買い手がついた時点でそれが落札価格として決定
封印入札方式 ⇒ サイレント・オークションで、第1価格入札と第2価格入札があり、最高価格を提示した買い手が落札するが、前者では最高提示額が落札額になるが、後者では実際に支払う価格は2番目に高い入札価格となる
ヴィックリー・オークション ⇒ 封印入札方式でイングリッシュ・オークションの効果を出そうとした方式で、第2価格入札のやり方を取るが落札者の支払額を次点の入札価格に1ドル上乗せした金額とするもの
マーリーズ ⇒ 最も多くの人々に利益をもたらし、経済へのダメージが最も少ない税率としての最適税率を導き出す
税金を、勤労意欲に及ぼす影響として捉え、最適な課税制度では、勤労意欲や投資意欲が失われる可能性(効率性)と、同じ収入から得られる総体的な満足度の違い(公平性)が考慮されなければならないとする ⇒ ヴィックリーが問題提起をして、マーリーズが効率性と公平性という2つの要因の相対的な重要性に左右されるという結論を導き出した
スミス ⇒ ミクロ経済学とゲーム理論の妥当性を検証。市場の自己調整機能を検証
最後通牒ゲーム(Aに100ドル渡しBと分け合うが、分け方はAに一任。Bは分け方に不満なら受け取りを拒否できるが、その場合は2人とも1ドルも受け取れない) ⇒ ある実験では平均の提示額が44ドルになったが、それでも常に受け取るとは限らなかった。どの実験においても、人々は合理的に行動しないことが判明。人間はゲームの理論の予想以上に相手を信頼して協力し合い、結果を導き出すことがわかる ⇒ 他人のために犠牲を払うのは、相手から最低でも同じ程度、出来れば多くの見返りを期待できるからと考えるからだと結論付ける
5.
行動主義者
サイモン(78)、カーネマン(02)、アカロフ、スティグリッツ、スペンス(01)
自由市場信奉者が、人間は常に完全な情報に基づいて合理的な判断を下すものだという仮定に満足していた時、人間の誤った判断力という考え方によって従来の経済学の多くの矛盾を暴くことに成功したのがケインズ
経済理論を確立する上で人間らしい行動を様々な角度から検討してのがこのグループ
サイモン ⇒ 不確実性があまりにも多い現実の世界では、人が判断するとき経験則が重要な役割をしていることを指摘
カーネマン ⇒ 心理学者で、人間が合理的に行動しないことの研究に関しての第1人者
アカロフ ⇒ 完全な人間がいないように、完全な情報など存在しないことを取り上げる。特に売り手と買い手の間における情報の非対称性をミクロ経済学者に認めさせた
中古車をレモンに例えて「レモン市場」なる論文で、情報の非対称性を実証
スティグリッツ ⇒ 情報が原因で失敗した市場を建て直すために、政府の介入を強く擁護。モラルハザードを自由市場の機能を損なう原因として取り上げる。また、情報が限定される世界では、情報の正しさを他人に納得させることも大切
93年 クリントン政権の経済諮問委員となり、95年には委員長。さらに96年には世界銀行で開発政策を担当する上級副総裁兼チーフ・エコノミストに ⇒ 経済成長を阻む原因の1つがIMFの高圧的対応にあるとして、予算均衡を始めとする緊縮策、政府の補助金カット、資本市場の規制緩和等の無差別適用を批判
スペンス ⇒ 市場には同じことを知っている参加者と知らない参加者がいることを唱えたアカロフの議論を進めて、情報を持っている人がそれを伝えるためのシグナルを情報を持たない人に送ることがあることを発見。情報格差によって市場の効率性は損なわれるが、市場の参加者がコストの高いシグナルに頼らざるを得ないと、されに効率性が失われる
6.
ケインジアン
サミュエルソン(70)、ソロー(87)、トービン(81)、モディリアーニ(85)、クライン(80)、ミュルダール(74)
自由市場が常に機能するわけではないことを明らかにする
サミュエルソン ⇒ 新しい分野を発見したわけではないが、各種の問題について抽象的な公式や数学的な証明を提供
ソロー ⇒ 経済成長モデルに、成長の源として技術の進歩を加えた。アメリカの経済成長の1/2~3/4は技術革新によるもの
トービン ⇒ マコーウィッツが提唱したポートフォリオ多様化の理論を進めて、ポートフォリオの概念をケインズ経済学に導入した功績が授賞理由となる
モディリアーニ ⇒ 貯蓄率が、年齢、より正確にはライフサイクルの段階に応じて決まることに着目して、イタリア人初のノーベル賞受賞者となる
クライン ⇒ 経済予測という特別な技術でのパイオニアとしての功績を認められた
経済予測が、実際の経済データを使用しているところから、「応用経済学」のカテゴリーに含まれる ⇒ 77年に、円高がアメリカ経済にとって追い風と予測し、翌日円は高騰
ノーベル賞受賞スピーチで10~20年の長期予測を示したが、悉く外れた
ミュルダール ⇒ 74年は、正反対の理論を提唱する2人が受賞(もう1人はハイエク)
ハイエクが強く反対した善意の政府関係者の1人で、経済刺激策としての財政政策の役割に注目。お互いに相手が選ばれたことに不快感を示す
ミュルダールは、スウェーデン政府の経済計画の責任者で、後の商工大臣、上院議員、経済学賞を創設したスウェーデン国立銀行の理事会のメンバーでもあった
7.
古典派の復活
ルーカス(95)、プレスコット、キドランド(04)、フェルプス(06)
古典派経済学によれば、失業が発生するのは最低賃金制や労働組合によって賃金が不自然に高く設定されるときだけである。ところが、この説は大恐慌の時は全く当て嵌まらず、ケインズ学派の台頭を許した。古典派の権威は失墜し、僅かにミクロ経済学という限られた領域で生き残る。実体経済は、彼等の主張とはかけ離れていた
70年代、オイルショックの発生にすべての経済学者がショックを受け、古典派もその混乱に乗じる形でシカゴ学派を中心に新たな古典派理論を発表し反撃を開始
ルーカス ⇒ 90年から4年続けてシカゴ学派から受賞者が出た後、1年置いてルーカスが5人目の受賞。80年代妻と離婚する際、ノーベル賞をもらったら折半との条件をつけ、その有効期限が95.10.31.で失効直前での受賞となり、約束通り折半した
古典派経済学の伝統的な貨幣数量説に固執、弱い経済を救済する手段として金融政策に頼る必要はないことを証明
プレスコット、キドランド ⇒ 政府が介入する場合は、政策を表明するだけでなく、実際にそれを守らなければならないと考え、インフレの克服にも同じ考えを当て嵌めた。よいルールに従い、ルールを維持してくれるような経済や政治の仕組みをつくれば、インフレは抑え込める
フェルプス ⇒ 理解を深め、政策や経済の研究に決定的な影響を及ぼした功績が認められた。失業率が増加している状況でも政府に介入行動をとらせないための理論武装
8.
発明者たち
クズネッツ(71)、ストーン(84)、レオンチェフ(73)、カントロヴィチ、クープマンス(75)
クズネッツ ⇒ 経済学賞を受賞した3人のロシア人の1人(後の2人はレオンチェフとカントロヴィチ)。アメリカの国民所得勘定システムを開発。大恐慌を機に、経済学で最もよく知られた指標となる国内総生産(GDP)の考え方を発明
ストーン ⇒ 「国民所得勘定の父」とも呼ばれる。国民所得勘定に含まれる情報に注目したケインズの下でアシスタントとして働き、国家制度に複式簿記を導入するという貢献GDP=GDI(国民総所得)
レオンチェフ ⇒ 経済計画に欠かせないツールとなった投入産出分析を発明(ある産業の産出の全てが経済システムのどこかで投入と見做されるか、最終需要の一部と見做される)。膨大な経済データの分析の中から法則を発明し、実体経済に応用
革命後のソ連で反共運動をしながらドイツへの脱出に成功した珍しい経歴の持ち主
カントロヴィッチ ⇒ 線形計画法の原型を発明。様々な条件下でコストや利益などの変数を最大化または最小化するための数学的なテクニックで、経済学やビジネスで頻繁に発生する問題解決のために欠かせないツールとなる
クープマンス ⇒ 物理学者から経済学者に転身。線形計画法を広汎な経済問題に応用し、価格やコストや生産量の制約を考慮したうえで最も効率的な活動や最も利益の上がる業務を決定することが出来た
9.
ゲームオタクたち
ナッシュ、ゼルテン、ハーサニ(94)、オーマン、シェリング(05)、ハーヴィッツ、マスキン、マイヤーソン(07)
この8人はゲーム理論への貢献を評価されたが、ゲーム理論の父とも呼ばれるジョン・フォン・ノイマンは、経済学賞創設の12年前54歳で死去
ナッシュ ⇒ アカデミー賞作品『ビューティフル・マインド』のモデル。若くして統合失調症という衰弱性疾患に冒され、30年後に回復
ゲーム理論を経済学に応用
ゼルテン ⇒ 経済学賞を受賞した唯一のドイツ人。たくさんの結果が考えられるのに、そのすべてが同じ可能性を持っていた時、多くの解から実体のない脅威や約束等一部を取り除き、結果に関する予測の精度を高めたことを評価されて受賞
ナチス政権下、最後に脱出できたユダヤ人の1人
実生活への応用として評価できるものはほとんど見当たらない
ハーサニ ⇒ ほとんど無名だったが、ナッシュの理論に僅かな修正を加えたことが評価
不完全情報しか与えられないゲームを、不完全だが完備した情報の揃ったゲームに転換し、ゲーム理論による分析を容易にした
オーマン ⇒ ゲーム理論の冷戦への応用を評価したが、アラブ・イスラエル紛争については言及しなかった。オーマンはイスラエルの数学者でその紛争にゲーム理論を応用したことで有名だった。イスラエルが中東紛争で勝者となるために応用されたため、ノーベル賞の受賞は世界中の平和活動家から非難された
ゲームが何度も繰り返された時の予測 ⇒ 競争か協力かの選択となるが、両者とも攻撃を受ければ必ず報復する戦略を採用。より長く耐え続けるほど将来成功する可能性が高くなることを証明
シェリング ⇒ 冷戦を理解するための鍵として”抑止力”を考えた。報復能力さえ備わっていれば、相手は先制攻撃を仕掛けない
ハーヴィッツ、マスキン、マイヤーソン ⇒ 経済学賞は全盛期をとっくに過ぎてから受賞するケースが多い。ハーヴィッツは”メカニズムデザイン論”のパイオニア(60年の論文で紹介)。特定の取引メカニズムが目標を達成する可能性を評価する方法を発明、マスキンとマイヤーソンが発展させた。2人でパイを公平に分け合う方法として、一方にパイをカットさせ、他方に好きな方を選ばせるメカニズムが効果的と評価
10. 一般均衡という隘路
アレ(88)、アロー(72)、ドブルー(83)
市場メカニズムの記述から始まった経済学を、数学によって抽象的に証明する方向へ走ったのが一般均衡理論の分野
11. 世界経済への視線
セン(98)、ルイス(79)、ミード、オリーン(77)、クルーグマン(08)、マンデル(99)
ほとんどの経済理論は市場経済への何らかの応用が想定されているが、国際貿易や経済開発は独自の問題をいろいろ抱えている。経済学者はこれらの問題に関心を寄せてきたが、その成果に対しても経済学賞が授与された
12. 数学へのこだわり
フリッシュ、ティンバーゲン(69)、ホーヴェルモ(89)、グレンジャー、エングル(03)、マクファデン、ヘックマン(00)
実践的な経済学者は、現実世界の活動について洞察を得るための手段として、理論だけでなく統計分析にも頼ったが、その成果に対しても経済学賞が授与された
13. 歴史と制度
フォーゲル、ノース(93)、ウィリアムソン、オストロム(09)
09年は、経済ガバナンスと呼ばれる制度上の問題に焦点を当てた功績により受賞
企業が自由市場で存在するためには効率的でなければならないが、その原則を”垂直統合型企業”に当て嵌めた
オストロム ⇒ UCLAで政治学を学んだ経歴もユニークだが、女性初の経済学賞受賞者。環境問題に興味を持ち、共有資源が環境的なリスクを引き起こすことを考え、競争ではなく協力が効果を上げる時もあることを発見
93年の受賞は、経済史での研究成果(未解決の歴史的問題への取り組み)が授賞理由
フォーゲルは、奴隷制が経済的に効率がよかったかどうかを研究し、効率が良いと結論
ノースは、政府の干渉しない自由市場は幻想にすぎないとし、政治システムが構築され、その裏付けとなるルールが守られることは、自由市場の存在に劣らず経済の成功に欠かせないとした
14. ノーベル賞再編へ向けて
経済学賞自体の評価 ⇒ 2006年の平和賞受賞者でバングラデッシュのムハマド・ユヌスは、経済学者だが、貧民のための銀行を創設してマイクロ金融を普及させ多くの人々を貧困から救ったが、経済学賞の対象とはならなかった。その受賞記念講演で、「従来の経済学は人間を一面的に捉えるだけで、生活の中にある政治的、感情的、社会的、精神的、環境的側面が無視されている」と懸念を表明
特に新しい洞察を得たわけでもないのに、経済でよく知られた考え方や行動を数学モデルに置き換えただけで受賞した学者が多過ぎる ⇒ もっと、現実の経済問題の解決に繋がる洞察を得るために情熱を注がなければならない。数学や統計学の優れた業績よりも、経済のアイディアに専念すべき。入札制度改善の理論よりももっと重要な経済問題は他にあり、人々にとって最も重要なトピックを優先すべき
最初の40年間、選考委員会はシカゴ大学経済学部を不当なまでに優遇 ⇒ 規制緩和を支持した2001年の電力の規制緩和がカリフォルニアで失敗した理由や08年のアメリカの金融システムに対するリスクを正しく説明できたノーベル賞受賞者はいない
ノーベル経済学賞は、経済のパーフォーマンスの改善に繋がるようなイノベーションや発見を評価すべき。人類への最大の貢献のみを評価すべき
ノーベル経済学賞の40年(上・下) トーマス・カリアー著 受賞者たちの人物像と業績を紹介
日本経済新聞朝刊 書評 2012年12月2日付
現代経済学は数式だらけで難解すぎる、と非難されて久しい。やさしそうな経済学の解説本は、アダム・スミスやケインズについては私生活や性癖まで詳しいが、そこで終わるのではなく、その後の最新の経済学の具体的な内容を知りたい人も多いのではないか。
(小坂恵理訳、筑摩書房・各1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
本書はこの期待に応えた格好の現代経済学ハンドブックである。ノーベル経済学賞受賞者を軸とし、人物紹介や反響そして受賞の理由を克明にまとめている。ノーベル賞は近年、新分野の開拓者が受賞することが多いため、本書を読めば各分野の基礎を網羅的に知ることができる。なかでも人物紹介が面白い。カウボーイブーツを履いて授賞式に現れる、とノーベル委員会に心配されたアリゾナ大学のスミス、賞をもらったとたんに役員を務めるヘッジファンドが破綻したマートンとショールズ、イスラエルよりの政治的な発言が多く、受賞を取り消すよう嘆願書まで送られたオーマンら、色々な人物がいる。受賞は必至と予想し、ノーベル賞賞金を前妻と山分けする契約を迫られて離婚した教授はロバート・ルーカスだ。将来を偏りなく予想する合理的期待形成論者でも有名な教授だが、予想通り見事に受賞したものの、なまじ正しい予想があったために彼の獲得金額は半減してしまった。
数式を使わず受賞の理由を解説している本書だが、底意地の悪い記述や、八つ当たり気味の部分も多い。特に数理的な経済学や市場主義的な経済学には敵意を隠さない。リベラルなカリフォルニア大学バークレー校出身の著者からすると、保守的なシカゴ大学在籍者はもらいすぎだそうで、その憤懣には圧倒される。
本書の主張には異論もあろう。ただ現代経済学全体を視野に入れた類書はなく、示唆するところは大きい。ノーベル賞受賞者が開拓した新分野は、後継者によって高性能化している。しかしそれらは個別特殊化した「部品」であり、使い方の把握が難しい。米アップルの故ジョブズのように、高性能部品を組み立てる経済学が必要ではないかとも読み取れる。
(首都大学東京教授 脇田成)
Wikipedia
アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞(スウェーデン語;Sveriges
riksbanks pris i ekonomisk vetenskap till Alfred Nobels minne、英語;The
Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel)は、1968年にスウェーデン国立銀行が設立300周年祝賀の一環として、ノーベル財団に働きかけ、設立された賞である。一般的にノーベル経済学賞と呼ばれている。スウェーデン王立科学アカデミーにより選考され、ノーベル財団によって認定される。授賞式・その他一般は他のノーベル賞と同じように行われている。日本人の受賞者はまだいない。
概要 [編集]
アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞はアルフレッド・ノーベル自身が設置、遺贈したものではないので、正式なノーベル賞とは言えないとされ、ノーベル賞のホームページでもそのように強調されている。そのため、賞金はスウェーデン国立銀行から拠出されている。しかし、選考や授賞式などの諸行事は他の部門のノーベル賞と合同で実施されている。
受賞は1969年より開始された。なお他の部門と同じく、1回に受賞可能な人数は3人が上限であり、また共同受賞の場合は同じ受賞理由が適用される。選考は化学賞及び物理学賞と同じくスウェーデン王立科学アカデミーが行っている。ちなみに、日本では経済学賞のみ賞金が課税対象となっている。これは、所得税法9条13号ホに基づきノーベル基金からの賞金は非課税となる(湯川博士受賞を機に非課税に、五輪メダリストの報奨金も)が、経済学賞の賞金はノーベル基金ではなくスウェーデン国立銀行からのものであり、非課税対象から外れるためである(ただし、日本人が受賞したことは過去にないので、課税されたことはない)
選考基準 [編集]
経済学者のなかでは選考基準に一貫性がなく曖昧なことでも有名である。真に優秀な経済学者および経済学に大きな影響を与えた研究者に授与されていることも確かであるが、当確・確定と言われている大物が逃していたり、最先端の研究者に与えたかと思えば大昔の研究者に賞を与えたり、以前に受賞した同じような研究に遡って与えたりしている。
1974年のフリードリヒ・ハイエクへの受賞、1976年のミルトン・フリードマンの受賞は、それぞれオーストリア学派およびマネタリズムへの関心を一気に高める結果となった。また新古典派価格理論と市場主義的自由主義をその特色とするシカゴ学派に関係した人々の受賞が多いが、これはシカゴ大学が経済学研究において世界トップレベルの大学の一つであることも意味しているとの評価もある。
1995年の2月には、経済学賞を社会科学と再定義することが決定された。これによってより政治学、心理学、社会学などの経済学と接する分野の学者にも賞が与えられる可能性が大きくなった。同時に以前は全員経済学者であった5人の審査員のうち2人は非経済学者とすることが規定された。しかしこれ以前からも計算機科学者ハーバート・サイモン、心理学者ダニエル・カーネマン、統計学者クライブ・グレンジャー、数学者ジョン・ナッシュ、政治学者エリノア・オストロムのような経済学者ではない他分野の受賞者も多数存在している。またロバート・オーマンやチャリング・クープマンスなど他分野出身の経済学者のなかにもノーベル賞受賞者は多数存在する。このように色々な分野の人間が受賞するので受賞候補者は社会科学・自然科学問わず存在し、完全な理系分野である生物学のジョン・メイナード=スミスでさえ有力な候補とされていた。またノーベル賞に数学賞は存在しない(これについては有名な噂ないし勘ぐりがある)が、経済学は数学者が受賞出来る可能性の高い分野の一つであり、実際に数学者のジョン・ナッシュやレオニート・カントロヴィチなどが受賞し、日本人数学者では伊藤清が有力な候補とされた。よって批判派からはノーベル学際賞と皮肉を言われる事もあるが、ノーベル経済学賞は心理学・政治学・数学・物理学・生物学・計算機科学・経営学・統計学・哲学・社会学など幅広い分野の人間が受賞する可能性が存在する。
経済学賞の受賞者のほとんどを欧米出身者が占め、その中でも特にアメリカとイギリスの出身者が多い。2010年までの受賞者数67名のうち、非欧米出身者はわずかに3名しかいない。その内2名はイスラエルとアメリカの二重国籍となっており、欧米諸国の国籍を持たない受賞者は、1998年のアマルティア・セン(インド)が最初であり、唯一の受賞者となっている。
選考方法 [編集]
ノーベル経済学賞の選考は、物理学賞、化学賞と同様にスウェーデン王立科学アカデミーによって行われる(生理学・医学賞はカロリンスカ研究所、平和賞はノルウェー国会、文学賞はスウェーデン・アカデミーによって行われる)。選考にはおよそ1年の期間が費やされ、その過程は秘密とされている。ノーベル財団によって認定されている。
選考に際しては、毎年9月に王立科学アカデミー内に設置された経済学賞の委員会が翌年の候補者の推薦依頼状を推薦権所持者に送付し、候補者を集める。推薦権を所持するのは、王立科学アカデミーの会員と委員会の構成員、過去の受賞者、北欧諸国の大学の経済学の教授、世界から選ばれた大学の経済学部門の長、特別に選ばれた個人などであり、締切りは1月の末である。
委員会の選考は外部の専門家の助言とともに進められ、最大3人の受賞者を内定する。決定は王立科学アカデミーが行い、事前に告知した日に発表を行う。自然科学の3賞(物理、化学、生理学・医学)は受賞分野を決めてから受賞者を絞り込むとされており、経済学賞も同様と見られる。
批判 [編集]
受賞者 [編集]
1960-70年代 [編集]
年
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名前
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国籍(出身国)
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受賞理由
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1980年代 [編集]
年
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名前
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国籍(出身国)
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受賞理由
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1990年代 [編集]
年
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名前
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国籍(出身国)
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受賞理由
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「金融派生商品(デリバティブ)価格決定の新手法
(a new method to determine the value of derivatives)」 に対して。オプション評価モデルであるブラック-ショールズ方程式の開発と理論的証明 |
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2000年代 [編集]
年
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名前
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国籍(出身国)
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受賞理由
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ミクロ計量経済学において、
個人と家計の消費行動を統計的に分析する理論と手法の構築を称えて |
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時系列分析手法の確立を称えて
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動学的マクロ経済学への貢献
:経済政策における動学的不整合性の指摘と、リアルビジネスサイクル理論の開拓を称えて |
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マクロ経済政策における異時点間のトレードオフに関する分析を称えて
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貿易のパターンと経済活動の立地に関する分析の功績を称えて
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経済的なガヴァナンスに関する分析を称えて
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2010年代 [編集]
年
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名前
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国籍(出身国)
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受賞理由
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マクロ経済の原因と結果をめぐる実証的な研究に関する功績を称えて
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