2013.1.27. スポーツ 世界が驚愕したまさかの88試合! 世紀の番狂わせ

編著 鉄人ノンフィクション編集部

発行日           2012.7.26. 発行
発行所           鉄人社

せっかくの労作にも拘らず、誤植が多過ぎる。日付や最終順位表など、単に記録を辿って転載すれば間違えようのないものまで事実と違っているのは不思議
“88試合というのも数が合わない


1.    2007.8.22. 第89回全国高等学校野球選手権決勝 佐賀北 5x4 広陵
無名の県立高校が、8回裏起死回生の逆転満塁ホームランで全国一に
県内有数の進学校、部員は全員地元出身。年間予算は60万円。00年初出場、07年が2回目。決勝の広陵のマウンドは野村祐輔(後に明治⇒広島、12年新人王)7回まで1ヒット11三振。81アウト後2本のヒットと2四球で1点を取り、続く3番の副島浩史(後に福岡大⇒佐賀銀行)11から左翼席へ本塁打

2.    2011.8.28. 世界陸上大邱(テグ)大会 男子100m決勝 大本命ウサイン・ボルトがフライングで失格
08年の北京五輪100m200mの金メダリスト
2010年より、「一発失格」にルール改正
フライングで、残った記録は、リアクション・タイムの「マイナス0.104秒」のみ

3.    1996.7.21. アトランタ五輪男子サッカー 日本 10 ブラジル
マイアミ・オレンジボウルで行われたグループリーグD組第1
「マイアミの奇跡」 
オリンピックのサッカーは23歳以下だが、この大会から3人のオーバーエイジ枠が設けられた
ブラジルは、23歳以下にロベルト・カルロス、ロナウド、オーバーエイジにリバウド、ベベッド等最強の布陣
日本は西野朗監督。オーバーエイジを使わず、前園、城らのJリーガーが主体、キーパー川口の神がかり的セーブで28本のシュートをかわす一方、後半27分ゴール前に上げた山なりのボールに城が滑り込み、キャッチしようとしたキーパーと激突している間に、ボランチの伊東輝悦が押し込む
予選結果は、ナイジェリアを含み3チームが21敗で並び、得失点差で予選敗退
対ナイジェリア 02、 対ハンガリー 32
ナイジェリアが金、ブラジルは銅

4.    1998.11.1. 第118回天皇賞 秋 府中競馬場 稀代の逃亡者サイレンススズカ レース中に骨折 薬殺処分に!
常識では到底逃げ切れないと思われた18002200mの重賞レースで6連勝を遂げ、7連覇に臨んだ天皇賞で骨折、その日のうちに安楽死処分
平成10111日東京11レース11番単勝1.2倍の1番人気
騎手は武豊。3コーナー過ぎで事故。粉砕骨折で予後不良の診断。169

5.    1990.2.11. ボクシング統一世界ヘビー級タイトルマッチ 東京ドーム
ジェームス・ダグラスがマイク・タイソンを10ラウンドKOで破る
37戦全勝のタイソン(23)が世界ランク3位のダグラス(29)に敗退
試合前のオズは421
8回終了間際タイソンがダウンを奪うが、ダグラスが立ち上がってゴングに救われる ⇒ 14カウントだということで「ロングカウント事件」として、後に物議を醸す
タイソンは、その後レイプ事件で服役、タイトルを奪還するがすぐにホリフィールドにTKO負けで失い、97年には再びホリフィールドに挑むが、耳に噛みつく反則で負け。0304年と暴行で逮捕という転落人生。05年には39歳で無名のボクサーにTKO負けして引退。11年殿堂入り

6.    2000.9.27. シドニー五輪柔道男子100㎏超級決勝
ダビド・ドゥイエ(フランス)が篠原信一に優勢勝ち、アトランタに続く2連覇
世紀の大誤審と言われ、柔道にビデオ判定が導入されるきっかけとなる
3年前のパリでの世界選手権決勝でも同じ対戦で、地元寄りの不可解な判定で反則負けしていた
開始135秒、ドゥイエが篠原の背中の帯を掴み内股を仕掛けると、篠原は内股透かしで返し、ドゥイエを背中から畳に叩きつける。両者とも勝負あったと思ったが、判定はドゥイエの「有効」。山下監督は、審判団から再協議の申し出を受けながら、フランス語が分からずに、競技の再開を許し、その後は互いに「有効」を1つづつ取り合い、結局優勢でドゥイエが優勝
試合後、国際柔道連盟はビデオを分析した結果、両者の技が完全ではなかったと認め、ニュージーランド審判による「有効」の判定を誤審としたが、「試合場から3人の審判が離れた場合は判定は覆らない」との規定に則り、メダルの色が変更されることはなかった
篠原は、「自分に本当の力があればあの後で勝てたはず。審判に不満はない」と殊勝に言ったが、03年の3位に終わった全日本選手権を最後に引退

7.    2004.4.2. 第76回センバツ高校野球 準々決勝 東北 67x 済美(愛媛)
ダルビッシュが甲子園で戦った全14試合の中で、マウンドに上がらなかった2試合のうちの1つ。1回戦でダルビッシュが熊本工相手にノーヒット・ノーラン。準々決勝は肩の張りを訴えて5番レフトで出場。9回表まで62でリード。2点返されたが2アウトランナーなし。それから連打で2走者を出し、逆転ホームランを浴びる
済美は、この勢いをかって初出場初優勝を飾る

8.    2011.7.17. FIFAサッカー女子W杯ドイツ大会決勝 フランクフルト
日本 22(PK31) アメリカ

準々決勝のドイツ(延長)、決勝のアメリカ(PK)と、いずれも勝ったことのない相手を下しての優勝
ドイツ戦は、071分け、延長の後半3分に澤のパスを丸山が押し込んで決勝点
アメリカ戦は、0215分け、11で延長の後、前半にアメリカが1点を入れ、試合終了直前に宮間のコーナーキックをニアサイドの澤が右足を伸ばして同点ゴール
大会得点王の澤は、アジア人初の「FIFA最優秀選手賞」も受賞

1章 オリンピック大波乱劇
9.    1936.8.4. ベルリン五輪 男子サッカー 1回戦 日本 32 スウェーデン
優勝候補スウェーデンを破った「ベルリンの奇跡」、日本サッカーの原点
40年の東京大会誘致を期して大選手団を送った中に、ヨーロッパの人気スポーツのサッカーもあった ⇒ 同年1月に大学選手権で勝った早稲田を中心とした関東大学出身者によるチーム編成。ベルリン到着後地元の最下位クラスのチームとの練習試合でも0-3で敗け
本戦は16か国が参加、優勝候補はドイツ、イタリア、スウェーデン
1回戦のスウェーデン戦は、日本の報道陣すら取材が無し
前半で2点先行された後半の4分と17分にゴール、さらに40分に決勝ゴールを挙げて逃げ切る ⇒ 準々決勝ではイタリアに0-8と完敗
ゴールを挙げた右近徳太郎、松永行は戦死

10. 1988.9.24. ソウル五輪 陸上男子100m決勝 べン・ジョンソン ドーピングで金メダル剥奪
ドーピングが世間に広まるきっかけを作った一大スキャンダル
同じ1960年生まれのカール・ルイスとベン・ジョンソン(カナダ)の対決、4年前のロス五輪ではルイスが勝利、87年世界陸上ではジョンソンが983の世界記録で雪辱
本戦ではジョンソンが979の世界新でルイスを数メートルも離す圧勝、その3日後に衝撃、2年の競技者資格停止、前年の記録も取り消しの処分 ⇒ 繰り上がり優勝したルイスの992が世界記録に
91年東京の世界陸上で復帰したが、400mリレーの3走で8位と惨敗
92年のバルセロナに出場するも準決勝で最下位
931月のレースで再度ドーピングが発覚、永久追放に
12年マスコミの取材に対して、「誰でもやっていた。ルイスもソウル五輪で3回もひっかかっているのに、どうして自分だけが」と悪びれない

11. 1992.7.27. バルセロナ五輪 女子競泳200m平泳ぎ決勝 岩崎恭子 2’26’’65(五輪新)
国際大会の経験は皆無、優勝候補だった姉の敬子を破って五輪代表に
予選5組で優勝候補のアニタ・ノール(銅メダル)0.01秒差の2位、長崎宏子の日本記録を2秒以上も更新。午後の決勝で50m5位、100m3位、150m2位で折り返し、疲れたアニタをかわして優勝。146日の金メダルはいまだに五輪最年少記録
4年後のアトランタでは200m10位、100mが予選落ち。20歳で引退

12. 1998.2.7.22. 長野五輪 男子アイスホッケー決勝 チェコ 10 ロシア
初めてプロが参加(88年から認められていたが、シーズンの重複からトッププロは参加していない)NHLのスター選手を擁するアメリカ(準々決勝 4-1)、カナダ(準決勝 2-1 延長PS)を連破しての優勝
92年五輪まではソ連の独壇場だったが、80年のレークプラシッドでミネソタ大学生中心のアメリカがソ連を破って金メダルを獲得、「氷上の奇跡」としてパラグアイでは記念切手まで発行
シードされた6か国の中では最低の下馬評、21敗のグループ2位で決勝トーナメントに進出、準決勝のPS戦では、ハシュックの神憑り的なセーブにカナダ5人が全員外す
ロシアを破っての優勝に、その軌跡を題材としたオペラ《ナガノ》が制作され、現在も上演される

13. 2002.2.16. ソルトレイク五輪 男子ショートトラック1000m決勝
最終コーナーで上位4人が次々転倒、最下位だったオーストラリアのスティーブン・ブラッドバリーが優勝。世界一ラッキーな金メダリストに
一周111.12mのトラック。ブラッドバリーは世界35位。準々決勝で3位となるが失格者が出て繰り上がり、準決勝でも先行3人が転倒、ゴールした寺尾も失格となったため決勝へ
オーストラリアでは、金メダリストには記念切手が作られ、当然ブラッドバリーも切手になったし、俗語辞典には、「漁夫の利を得る」という意味で「ブラッドバリー」が使われる

14. 2004.8.20. アテネ五輪 女子競泳800m自由形決勝 柴田亜衣 8’24’54
日本女子自由形史上初の快挙。身長176㎝。鹿屋体育大で、03年の学生選手権の400,800を制したが、五輪代表ではシドニーのファイナリストだった山田沙知子の陰の存在
山田が予選敗退に対し、柴田は3位で決勝進出
優勝候補はフランスの17歳マナドゥ。400mの金メダリスト。750mで逆転
北京五輪では予選27位で敗退。同年26歳で引退

15. 2004.8.14.8.28. アテネ五輪 男子バスケットボール 米ドリーム・チーム3
92年のバルセロナがドリーム・チームの初参加。88年のソウル五輪でユーゴに負けた雪辱を期し手の派遣(それ以前で負けたのは72年のミュンヘンのみ)
バルセロナでは、ジョンソンやジョーダンが活躍、全8試合平均で44点差をつける圧勝
緒戦プエルトリコ戦に7392で歴史的大敗、リトアニア戦でも9094で負け、グループ4位で辛うじて決勝トーナメントに出場したが、準決勝で優勝したアルゼンチンに8189で敗れた
次の北京、ロンドンはアメリカが復活

16. 2008.8.11. 北京五輪 バドミントン女子ダブルス 準々決勝
末綱聡子・前田美順 21 楊・張(中国)
世界ランク1位が敗退、中国では「大会最大の番狂わせ」と報道
07年世界選手権銅メダルの小椋久美子・潮田玲子ぺアの陰で万年2位だったが、直前の世界ランクは8(オグシオは6)まで上げていた
中国は83年以降の世界選手権で95年を除き金メダル独占、92年バルセロナ五輪で正式種目となって以降も4連覇
2ゲーム後半の16-19から23-21と逆転。第3ゲームも13-13から5ポイント連取、2114で快勝
準決勝で韓国ペアに、3位決定戦で中国に敗れ4位に終わる。オグシオは初戦敗退

17. 2008.8.21. 北京五輪 ソフトボール 決勝 日本 31 アメリカ
4度目の五輪で王者アメリカを下し悲願の金メダル
96年アトランタ五輪で正式種目となって以来、世界選手権も含め6連覇
日本は65年の第1回世界選手権から出場、70年大阪大会で優勝したが、アトランタ五輪4位、シドニー2位、アテネ3位とアメリカには歯が立たない
北京でオリンピック種目から外されることが決まっていた
ページシステムという独特のトーナメント方式も障碍
8チーム総当たりの予選リーグではエース上野を温存、アメリカに07で敗れたが2位で通過、準決勝のアメリカ戦は延長914で敗退、3位決定戦でオーストラリアに勝ち決勝進出、準決勝から投げ続けた上野の好投でアメリカを破って、モントリオールの女子バレー以来32年振りの女子団体の金メダル。アメリカのメディアは、「北京五輪最大の衝撃」と報じた
2年後の世界選手権ではアメリカに敗退

18. 2008.8.21. 北京五輪 陸上男子4x100mリレー 決勝 3位 38’’15
陸上トラック競技で人見に次いで80年振りのメダル
メンバーは、塚原直貴、末續慎吾、高平慎士、朝原宣治(36)
バトン操作が加わる分勝機はあり、00年シドニーでは6位、アテネで4位、07年大阪の世界陸上では5(アジア新)
予選1組ではアメリカとナイジェリアがバトンミス、南アも失格、日本が出場した2組でも前回優勝のイギリスがレーンを越えて反則、フランスもバトンミスで敗退。強豪5か国が予選で敗退、日本は全体の3位で決勝に。
決勝は、ジャマイカが世界新で圧勝、2着が最後の逆転でトリニダード・トバゴ

2章 W杯のアンビリバボー
19. 1950.6.29. FIFAサッカーW杯 ブラジル大会 予選リーグ 
アメリカ 10 イングランド
12年ぶりにW杯再開。参加は僅かに13か国
最強の呼び声高かったイングランド代表が、全員アマのアメリカ代表に敗退
イングランドが、選手に対する休業補償問題でFIFAと対立し、脱退してから17年、ようやく和解して初参加
優勝オッズは、イングランドの3倍に対しアメリカは最低の500
前半38分、イングランド陣内でのアメリカのスローインしたボールが、走り込んだアメリカ選手のこめかみに当たってゴール。サッカー史上最大の恥辱となる
アメリカもこの1勝だけで予選敗退。イングランドは、スペイにも敗れ決勝トーナメントに進めず
アメリカでは、試合の4日前に朝鮮戦争勃発のため、この快挙も世間に広まらず仕舞い

20. 1954.7.4. FIFAサッカーW杯 スイス大会 決勝 西ドイツ 32 ハンガリー
ハンガリーは、50年以来国際大会33連勝中の世界最強軍団で、マジック・マジャールと呼ばれ、西ドイツの勝利(初優勝)は「ベルンの奇跡」と言われた
ハンガリーは予選2試合、決勝トーナメント2試合の合計得点が25、「黄金の頭」の異名をとったコチシュは11点で大会の得点王 ⇒ FCバルセロナ等で活躍したが、79年事故で左足を切断、精神的ショックで自殺、享年49
ドイツは20年振りのW杯復帰、予選同リーグで38で負けた後決勝で再戦、ハンガリーが前半10分で2-0とリードするがドイツが次の10分で追いついて膠着状態に。後半39分ドイツが決勝点
ハンガリーは、負けた後も55.11.まで15連勝したが、56年の動乱で選手は亡命
西側のプロ選手が参加できなかった64年東京と68年メキシコでは連覇したが、それまで

21. 1966.7.19. FIFAサッカーW杯 イングランド大会 予選リーグ 
北朝鮮 10 イタリア
W杯初参加にして、アジア・アフリカ・オセアニアに与えられた唯一の出場枠を勝ち取り、アジア勢初のベスト8に進出
出場枠の少なさに怒ったアフリカ勢は予選出場を拒否、韓国も辞退、北朝鮮は相手を甘く見たオーストラリアとの出場決定戦を圧勝。予選リーグではソ連に0-3で敗れたがチリに終了間際で1-1に追いつくが、最後のイタリアはイングランドに続く優勝候補だったが、主将が負傷退場し代わりの選手を出せないままパワープレーで敗退
決勝トーナメントでは、ポルトガル相手に3点を先制したが、5点取られて惜しくも敗退
イギリス人監督により、ドキュメンタリー『奇蹟のイレブン』が制作された

22. 1982.6.16. FIFAサッカーW杯 スペイン大会 予選リーグ 
アルジェリア 21 西ドイツ
初出場のアルジェリアが優勝候補の西ドイツを破った大金星
予選最終戦の西ドイツとオーストリアの八百長と等しき談合試合
ジーコらの「黄金のカルテット」を擁する優勝候補の大本命ブラジルに関心が集まる
それに対抗出来るのは80年の欧州選手権を制した西ドイツ下、前回優勝のアルゼンチン
アルジェリアは、予選リーグを2勝、得失点差0で終える。その時点で西ドイツ(11敗、得失点差+2)対オーストリア(2勝、得失点差+3)戦が残る。この試合を契機に最終戦は同日同時刻に行われるようになるが、当時は1日ずれていた。西ドイツが1点先行した後は、ボールを回すだけとなり終了。3チームが2勝で並んだが、得失点差でアルジェリアは決勝進出を逃す
アルジェリアは、FIFAに提訴するも、「疑わしいものの、証拠なし」として却下
大会は、ブラジルが予選でイタリアに敗れ、そのイタリアが優勝、西ドイツは準優勝

23. 1990.6.8. FIFAサッカーW杯 イタリア大会 予選リーグ 
カメルーン 10 アルゼンチン
アフリカ勢初のベスト8
予選初戦で、前回の覇者でマラドーナを擁するアルゼンチンと当たる。パワープレーを強いられたものの、後半22分にヘッディングが決まり、さらに1人退場で9人となったが守り切った。予選を21敗で通過、決勝トーナメントでも1回戦でコロンビアを延長の末2-1で破るが、準々決勝のイングランドに2-3で敗退
中心選手は、38歳のロジェ・ミラで、引退していたのを引っ張り出され4得点を挙げる
「不屈のライオン」の愛称を持つカメルーンの活躍でアフリカの出場枠は3に増える
優勝は西ドイツ、アルゼンチンが準優勝

24. 1998.6.14.7.11. FIFAサッカーW杯 フランス大会 ユーゴ紛争終結から3年、独立国家クロアチアが初出場で3
日本が初めて本戦に出た大会で、予選リーグは、アルゼンチン以外は、ジャマイカ、日本、クロアチアとすべて初出場
ユーゴは1930W杯第1回大会から出場、「東欧のブラジル」とも呼ばれる強豪、90年大会ではオシム(現日本代表監督)のもとストイコヴィッチを擁してベスト8
予選2位で通過(日本は全敗)、決勝トーナメントでもルーマニアに1-0で勝ち、準々決勝は西ドイツに3-0と歴史的な圧勝、準決勝はフランスに12で惜敗したが、3位決定戦ではブラジルに敗れて優勝が無くなり気落ちしたオランダ相手に21で勝利
退会は、地元フランスがジダンの活躍で3-0の圧勝、初優勝を果たす

25. 2002.5.31.から6.11. FIFAサッカーW杯 日韓大会 前回大会覇者フランスが1得点も挙げられずに最下位で予選敗退
フランスは、00年の欧州選手権でも優勝、連覇の呼び声も高かったが、韓国との練習試合にジダンが怪我で、本戦予選リーグ出場が絶望的に、それでもセネガル(0-1)、ウルグアイ(0-0)、デンマーク(0-2)相手であれば十分予選突破は可能と思われたが、ウルグアイ戦でのパワープレーが分かれ目で浮上できず
06年ドイツ大会で準優勝し返り咲きを見せたが、その後は凋落の一途を辿り、10年の南ア大会でも1勝もできずにグループ最下位で予選敗退

26. 1993.10.28. FIFAサッカーW杯 アジア地区最終予選 日本 22 イラク
本大会出場を逃した3大悲劇(2628)
日本初のW杯本戦出場をかけた大一番で、視聴率は48.1
カタールのドーハに出場をかけた6チームが終結して総当たりのリーグ戦で実施、上位2チームが本大会出場
最終戦を残して日本は勝ち点、得失点差とも1位。勝てば文句なく圧倒的に有利な立場
前半三浦和良のゴール、後半追いつかれた後の中山雅史のゴールで、90分までリード。同時開催の他2試合は終了、サウジが出場を決定、韓国が勝って勝ち点、得失点差で日本を上回り、日本は勝たなければいけない状況に。91分イラク最後のプレーと思われたコーナーキックをショートコーナーにした後一瞬の隙を突いたループシュートで同点
その時、NHK-BSで解説していた岡田武史が4年後の監督になって、「ジョホールバルの歓喜」によって初出場を果たすことになるとは想像すらしていなかったに違いない

27. 1993.11.17. FIFAサッカーW杯 ヨーロッパ地区最終予選 グループ6最終戦 フランス 12 ブルガリア
「パリの悲劇」 ⇒ ホームでブルガリアの前に散った歴史的敗北
6か国によるホーム&アウェイ方式の総当たり方式で、上位2か国が本大会出場
8戦終了時点でフランスが1位、残りホームの2試合いずれかを引分け以上でよかった
ところが最下位イスラエルに逆転負け、勝てば本戦出場のかかるブルガリアと対戦、11で膠着状態のままロスタイムに入ってブルガリアの逆転ゴールが決まる
ブルガリアは本大会で4位、グループ61位通過のスウェーデンが本大会3
フランスは、EURO96ではブルガリアに雪辱、98年のW杯で優勝

28. 1997.11.22.&29. FIFAサッカーW杯 大陸間プレーオフ 
オーストラリア 33 イラン(オーストラリア:アウェイ 1-1、ホーム 2-2)
アジア出場枠は3.5。既にサウジ、韓国、日本が決定。4位のイランが、オセアニア1位のオーストラリアと最後32か国目の出場国をかけて戦う。オーストラリアは74年本大会初出場を果たすが、その後は5大会連続地区最終予選、プレーオフで敗れ因縁の戦い
オーストラリアが、ホームでの2戦目、後半3分までは2-0でリードしたが、26分、30分とたて続けにゴールされ引き分け、アウェイでのゴール数の差により敗退
イランは78年以来の出状を確保
オーストラリアは、8年後にまたもプレーオフで、ウルグアイを破り32年振りのW杯出場を果たし、本戦では日本を終了間際の5分で3点を取り3-1の逆転で破り決勝トーナメントに進出

3章 ジャイアントキリング・オブ・甲子園
29. 1981.3.27. 第53回センバツ高校野球 1回戦 東山 62 早実
大ちゃんフィーバーを起こした早実の荒木大輔は1年生の夏、5試合に登板、4試合で完封、決勝で愛甲の横浜高に惜敗したが、441/3無失点の回答で観客を魅了
2年のセンバツでは異例の完璧評価で優勝候補だったが、緒戦で京都の東山に敗退
敗因は荒木の気負いと過信、その後の甲子園でもベスト8どまり
東山は2回戦で敗退、その後4度甲子園に行ったがいずれも2回戦敗退

30. 1984.8.21. 第66回全国高等学校野球選手権 決勝 取手二 84 PL学園
茨城の取手二、常総学院の監督を歴任した木内幸男は、「木内マジック」と言われる頭脳プレイで試合を作ることに長けて、多くの高校野球ファンを魅了。11年引退
中でも会心の試合が84年の優勝。PLの清原・桑田に対し2か月前の練習試合では僅か1安打の0-13で完敗。桑田から「これが茨城一のチームか」となめられた
取手先行、9回裏の攻撃の際木内は「延長をやるからな」と選手を笑わせる。PLが先頭打者ホームランで追いつき、さらに死球を出したところでエース交代、1アウトを取ったところで、再びエースをマウンドへ、息を吹き返したエースが清原・桑田を打ち取って延長へ
10回表取手は3ランで試合を決め、PLの連覇の夢を砕く
取手はこれ以後甲子園に出ていない。エース石田は早大、日本石油の後ドラフト5位で横浜に入団、中継ぎだったが94年に引退、08年癌で他界、享年41
木内はその年監督を退任、常総に移って87年夏PLとの決勝で敗れている

31. 1985.8.19. 第67回全国高等学校野球選手権 準々決勝 甲西 6x5 東北
創立3年目の滋賀の無名校が、後の大魔神・佐々木(主浩)を打ち崩し、逆転サヨナラ
初戦(2回戦)で創立100周年の岐阜商から7点を取る歴史的な1勝、3回戦では準優勝経験のある久留米商相手に延長11回逆転で勝利、準々決勝は甲西先行だが逆転に次ぐ逆転のシーソー・ゲーム、1点先行された9回裏に甲西が1死走者なしから逆転
準決勝では、優勝した清原・桑田のPL2-15で大敗
甲西は、翌年も出場して2回戦まで進んだが、以降甲子園には一度も出ていない

32. 1986.3.28.4.3. 第58回センバツ高校野球 吹き荒れた「新湊旋風」
富山の県立高校がベスト4に進出、「新湊旋風」として語り草に
富山県勢は、戦後春夏を通じベスト8は僅かに5回、初戦敗退が40回近く。センバツでも選出されることは少なく、新湊は16年振りの選出。出場校中打率は最下位
初戦・享栄のエースは、後にドラゴンズ・ドラフト1位の近藤真一。それを上回る好投をしたのがエースの酒井で完封。2回戦は東の横綱格の拓大紅陵、4点先行されながら6回に6点の猛攻で逆転勝ち、「新湊旋風」の呼び名が出始める。準々決勝の京都西戦、延長14回ボークで取った1点を守って勝つ。準決勝の宇都宮南戦で3-8と力尽きる。ベスト4は県勢最高でいまだに破られていない
優勝は、蔦率いる池田高

33. 1991.3.29.4.4. 第63回センバツ高校野球 松商学園が殊勲の準優勝
春夏合わせて49回出場(北海校に次いで2番目に多い)の古豪だが、戦前1回の優勝以外は大半が1,2回戦負けだったが、91年は、エース上田佳範を擁して優勝候補の天理、大阪桐蔭、国士舘を完封、決勝で広島・広陵に惜敗
1回戦は、イチローを擁する愛工大名電相手に3-2の辛勝。イチロ―はエースで地方大会の打率7割を誇る超高校級だったが5打数無安打。以降3試合は、前年夏を制した天理、1回戦で初出場ながらノーヒット・ノーランを達成した大阪桐蔭、前年の神宮大会優勝でその時松商が4-10で大敗している国士舘。決勝では松商有利の下馬評となり、先行したが上田が打たれて途中交代、5-6xのサヨナラ負け
松商は同年夏の大会にも出場、準々決勝で松井秀喜の星陵に2-3で惜敗
上田は高卒後ドラフト1位で日本ハムに入団、肩の故障で外野手に転向するが08年引退

34. 2001.8.14. 第83回全国高等学校野球選手権 2回戦 秀岳館 30 常総学院
センバツ優勝で、夏も優勝候補筆頭の木内監督率いる常総学院を、初出場校が初戦で倒す
常総は、1回戦を20安打の15-4で大阪の上宮太子に大勝
秀岳館は、1923年開校の八代の名門私立。1回から点を稼ぎ、暴投3つと打撃を過信してボール球に手を出す常総打線を完封。次の3回戦では横浜高に0-5の完敗
03年にセンバツに2度目の出場を果たすが、初戦で敗退。常総はその夏全国制覇

35. 2003.8.16. 第85回全国高等学校野球選手権 2回戦 岩国 127 広陵
現在の巨人の守護神・西村健太郎は、広陵時代2年春から4回連続甲子園出場。03年の春を制して、春夏連覇を目指したが、西村が9点取られて阻まれた
岩国は、山口県有数の進学校。それまで甲子園出場7回はいずれも初戦敗退。1回戦で羽黒高に完封勝ちしたのが初勝利。西村相手に7回、守備の乱れに乗じて一気に逆転
岩国は3回戦も大勝し、堂々のベスト8

36. 2004.8.22. 第86回全国高等学校野球選手権 決勝 駒大苫小牧 1210 済美
優勝旗が初めて北海道に渡る。同じ日アテネ五輪で女子マラソンの野口みずきが優勝
優勝候補は、春を制覇した愛媛の済美、ダルビッシュの東北等。投手力が少し評価
本大会では打線が爆発、準準決勝では涌井の横浜高を6-1で下し、準決勝でも東海大甲府を10-8の打撃戦で制す。5試合で88安打、打率.448(大会記録)
偶然でないことは翌年田中将大を擁して連続制覇、翌々年も齋藤佑樹には敗れたが準優勝したことで証明

37. 2006.4.3. 第78回センバツ高校野球 準決勝 清峰 60 PL学園
広島のエース前田健太が高3のセンバツで、センバツ初出場の長崎県立校に滅多打ち
清峰は、前年夏初出場、済美、愛工大名電を倒して注目され、センバツに選出
決勝では、横浜高に0-21の屈辱的大敗。09年のセンバツで全国制覇

4章 まさかの結末~スポーツ 世紀の番狂わせ
38. 1989.10.21.29. 89年日本シリーズ 近鉄 3勝-4勝 巨人
近鉄は3つの悲劇に見舞われている ⇒ 後の2回は、①79年日本シリーズ第7戦で1点ビハインドの9回裏1死満塁逆転サヨナラの好機に「江夏の21球」で広島に優勝を阻まれる、②88年のペナント最終戦でロッテと10回時間切れ引き分けで優勝を逸する
西武、オリックスとの熾烈な優勝争いを最終の前の試合で制した近鉄が、初の日本一を目指して臨んだシリーズ。下馬評は巨人有利。予想に反して近鉄が3連勝後、無失点で勝利投手になった加藤哲郎がヒーローインタビューで、「(巨人は)大したことない、シーズンの方がよほどしんどかった」「最下位のロッテより弱い」と舌禍事件を起こす。第7戦に登板した加藤から駒田がホームラン、塁を回りながら加藤に「バーカ」と叫ぶ姿がシリーズを象徴
01年近鉄はプロ野球史上初の代打逆転サヨナラホームランで、前年の最下位からリーグ優勝を果たすが、シリーズではヤクルトに敗退、04年にオリックスに吸収され55年の歴史に幕

39. 1995.12.3. 95年関東大学ラグビー対抗戦 早稲田 2015 明治
1923年に始まった早明対抗戦、対抗戦グループの最終戦として12月第1日曜日に開催
2011年まで、対抗戦は早稲田の49352分、大学選手権は明治の75
90年代は明治の黄金時代で、対抗戦優勝8回、大学選手権優勝5回を誇る
95年、誰もが明治の圧勝を予想したが、早稲田先制、そのままリードして後半へ。明治が15-13と逆転してロスタイムへ。43分に早稲田が自陣ゴール前でパスを拾い左ウィングが70m走って逆転のトライ

40. 2006.1.2.1.3. 東京箱根間往復大学駅伝競走 亜細亜大が奇跡の初優勝
90年以上の歴史の中で最大の番狂わせ
前評判では、前哨戦の出雲や全日本インカレを制した東海大、5連覇がかかる駒大、「山登りの神」今井正人の順天大等の強豪の名がもてはやされていた
往路は、今井の5人抜きで順天大がトップ。亜細亜大は6位。東海大は8位と不振
順天大と30秒遅れの駒大の争いと思われたが、順大は8区で脱水症状、9区で亜細亜大がトップに立ちそのままゴール。駒大はエースが10区で失速して5
0710位、085位に盛り返すが、ここ2年は予選落ちが続く

41. 2006.3.16. 第1WBC 第2ラウンド2組最終戦 メキシコ 2x1 アメリカ
日本の優勝はメキシコのお蔭 ⇒ 失点率僅か0.01の差で崖っぷち日本を救ったメキシコの大金星は、「アナハイムの奇跡」と呼ばれる大番狂わせ
参加16か国が4組に分かれて第1ラウンド、上位2チームが第2ラウンドに進み、2組に分かれて各4チームが総当たり戦の結果上位2チームが準決勝を戦い、それぞれの組の勝者同士で決勝を戦う
2ラウンドで日本はアメリカ、韓国、メキシコと同組。アメリカに負けた後、第1ラウンドに続いて韓国に屈辱の連敗で12敗。韓国はアメリカにも勝って準決勝に進出。日本が準決勝に進むためにはアメリカがメキシコに2失点以上で負けること
メキシコは、ポールに当たった先制のホームランをエンタイトル2ベースと誤審され奮起、3回に先制、さらに5回に追加点を取ってアメリカの反撃を1点に抑える
結果、失点率0.01の差でアメリカが予選敗退
準決勝で、日本は韓国を6-0で完封、決勝ではキューバも破って優勝

42. 2007.12.1. サッカーJ1 最終節 浦和 01 横浜FC
前節終了までトップは浦和で勝ち点702位が鹿島で勝ち点69
浦和は全盛期、前年のリーグ戦と天皇杯、この年のアジア・チャンピオンズ・リーグを制し無類の強さを誇っていた
浦和の相手は、僅か3勝で最下位の横浜FC10月に史上最速でJ2陥落が確定
横浜が前半17分で先制、そのまま押し切る。同時刻開催の鹿島は無失点で9連勝し、逆転で5年振りの優勝を飾る。その後鹿島は3連覇、一方の浦和は凋落、11年には降格争いを演じる
鹿島は2266分けの勝ち点72。浦和は20410分けの勝ち点70

43. 2008.12.6. サッカーJ1 最終節 ジェフ千葉 42 FC東京
毎年J1の下位3チームと、J2の上位3チームを入れ替え ⇒ 2012年より、J236位が入れ替えトーナメントのクライマックス・シリーズを戦うよう変更
08年の残留争いは熾烈、6年振りにJ1復帰した札幌が最速タイで降格を決めた後、最終節まで5チームでもつれる。一番分が悪かったのが千葉で、東京ヴェルディ、磐田ともに負けない限り残れない。しかも千葉の相手はアジア・チャンピオンズ・リーグ出場圏内の3位を狙うFC東京。前半に0-1の劣勢、東京Vと磐田は0-0。後半80-2となったところで2選手を交代した直後の7分で3点を入れて逆転。交代した選手が4点中3点に絡むという神がかった采配。東京Vと磐田はいずれも敗退して、千葉が奇跡の残留
翌年、千葉は大型補強もむなしく降格

44. 2009.6.1. テニス全仏オープン 4回戦 ナダル 13 ソデルリング
ナダルはスペインのグランドスラマー(史上10番目)、北京五輪の金メダリスト
最も得意とするのが、05年初出場初優勝以来4連覇した全仏。09年も第1シードだったが、第23シードのスウェーデン選手にまさかの敗北
同年の全豪を制し、世界ランクも1位、直前のイタリア国際では6-1,6-0の圧勝
この日は明らかに調子を崩し、1-1のセットオールから第3セットで転倒して手首を痛めたこともあってずるずると敗退、連勝も31で途切れる ⇒ 試合後、両膝を痛めていたことが判明、休養を余儀なくされたが、全仏だけは10年から3連覇

45. 2009.8.16. 全米プロゴルフ選手権 タイガー・ウッズ
ウッズは199722歳でマスターズを制して以来、ニクラウスに次ぐトリプル・グランド・スラムを達成、121月現在世界ランク1位を623週維持
3日間首位を維持しながら、ランク110位のY.E.ヤンに逆転負け、史上最大の番狂わせ
08年ひざを手術、約8か月試合から遠ざかっていて、4度優勝して得意とする本大会が完全復帰をアピールする絶好の機会
過去14回のメジャー優勝は、全て最終日をトップで迎えていた。2位のヤンと同組。ヤンは全米ツアー1勝。4番ウッズがボギーで並ばれ、14番でヤンがイーグル、そのまま3打差に広げて優勝
ウッズは、同年暮れに不倫騒動が発覚、無期限活動停止を発表。12年シーズンに復活

46. 2010.6.26. ストライクフォース サンノゼ
人類最強の格闘家皇帝ヒョードルまさかの1本負け
ヒョードルは、日本主催の総合格闘技団体『PRIDE』の絶対王者、元ロシアの柔道家、23歳で格闘技に転向、05年当時K-1の最強クロコップを下し08年には総合格闘技世界統一のタイトルWAMMAチャンピオンに。9年間26戦無敗。この時33
ブラジルのヴェルドゥムを相手に、一方的な展開だったが、69秒で三角固めにギブアップ
この敗戦が影響したのか、12年にかけて3連敗し、引退へ

47. 2012.5.13. イングランド・プレミアリーグ 1112年シーズン 最終節
マンチェスター・シティ(マンC) 32 クイーンズ・パーク・レンジャーズ
スペインのリーガ・エスパニョーラと並ぶ世界最高峰のサッカーリーグ、8月~5月にかけ、所属20チームがホーム&アウェーの総当たり、全38試合
人気は、長年ビッグ4”と呼ばれたマンU、チェルシー、アーセナル、リヴァプール、それにマンCだが、同じマンチェスターでもマンUは過去20年で12回のリーグ制覇に対し、マンC67-68シーズン以降優勝がない
マンCは、08年にUAEの投資家グループが買収して以来、実力選手を次々に獲得、成績を上げてきた(10-11シーズンは3)
11-12シーズンは、マンUとマンCが熾烈なトップ争いを展開、直接対決のマンチェスター・ダービー"はマンCが連勝、特にマンUのホームでの全勝対決ではマンC6-1で歴史的な勝利。37試合を終わって両者とも2755分けの勝ち点86。得失点差でマンCが上回る
最終戦、マンCの相手は格下だが負ければ降格の瀬戸際にあり、後半1-1に追いついた後は徹底した引き分け戦術に、さらに66にはカウンターで1点を追加分、90分を経過してもマンCの劣勢は変わらず、マンUの敗戦・引き分けは考えられないため、5分のロスタイムに2点が必要、92分と94分に相次いでゴールを決め、44年ぶりの優勝

5章 大金星
48. 1965.5.18. ボクシング世界バンタム級 タイトルマッチ 愛知体育館
ファイティング原田が、世紀の番狂わせで日本人初の2階級制覇
49戦無敗で黄金のバンタムといわれたブラジルのジョフレを、フライ級から転向した原田が、ジョフレ圧倒的有利といわれた下馬評を覆して、判定で破る
現在は4団体に各17階級の世界チャンピオンがいるが、当時はWBA8階級のみ
原田は、子供の頃から米穀店でアルバイト、60年に16歳でデビュー、打ちまくる熱い戦い振りで破竹の25連勝。62年のフライ級王座獲得は、直前に引退した矢尾板の代わりで出場しランク10位から奪ったという幸運にも恵まれていた(80発もの連打を見舞い狂った風車と評され、KOでの世界最年少チャンピオン)3か月後のリターン・マッチを減量苦で失って階級を上げるが、そこでも連勝を続け世界1位まで上る
ジョフレは、8度の防衛戦をすべてKO勝ち
試合は15ラウンドとも連打の応酬、日本人審判が72-70で原田、アメリカ人審判が72-71でジョフレ、アメリカ人レフェリーが71-69で原田。翌年のリターン・マッチは、ジョフレを選び堂々3-0で防衛。さらにフェザー級に上げて69年ファメションとタイトル戦を行うが、アウェーのシドニーでのジャッジは不公平を極め引き分けに終わる

49. 1974.10.30. ボクシング 統一世界ヘビー級タイトルマッチ 
アリ、32歳で王座返り咲き キンシャサの奇跡
73年前王者フレージャーをKO像をも倒すと言われた当時最強のハードパンチャーで40戦全勝だったフォアマン(26)を、ピークはとうに過ぎたアリがKOで倒した試合は、#5がジャイアントキリングならもちらは史上最高のドラマチックな試合
ザイール(現コンゴ)のモブツ大統領が5百万ドルのファイトマネーで呼び寄せた
アリは、6422歳で世界ヘビー級王座に就いたが、67年ベトナム戦の兵役を拒否してボクサーライセンスを剥奪、37か月の空白の後70年復帰戦では世界1位を3TKOで倒すが、当時王者のフレージャーに初の敗北を喫し、74年フレージャーを破って挑戦権を獲得
アリは、防戦一方から8回突然反撃、逆転のKO勝ち。その後3年以上にわたって防衛、81年引退。フォアマンは、77年引退して宣教師となったが、87年に更生施設建設費用捻出のため現役復帰、45歳の97年に15歳年下のモーラーにKO勝ちしてチャンピオン復帰の偉業達成

50. 1991.8.30. 世界陸上東京大会 男子走り幅跳び決勝 パウエル vs ルイス
ライバル対決最大の死闘、名勝負
81年以降2度の五輪を含む出場試合すべての走り幅跳びで優勝、65連勝中のしていたルイス。パウエルはソウル五輪で2位となったがルイスが大本命であることは変わらず。決勝5日前の100mでは9”86の世界記録で優勝し、30歳を超えても進化し続けていた
決勝1回目8m68を跳び、パウエルは8mにも届かず。3回目ルイスは8m83と自己ベスト(8m76)を更新。4回目のパウエルはファウルとなったが9m01の大ジャンプ。ルイスは、メキシコでビーモンが不滅の記録として飛んだ8m90を破る8m91の世界記録(追い風参考2.9)5回目でパウエルが8m95(追い風0.3m)と逆転。ルイスは5回目8876回目884と、生涯ベスト3のジャンプを見せて迫るが届かず
ルイスは、1年後のバルセロナ(パウエル2)、続くアトランタで勝ち(パウエル5)、五輪4連覇

51. 1993.12.26. 第38回有馬記念(G1) 中山競馬場 トウカイテイオー奇跡の制覇
4(3)時に無敗で皐月賞とダービー、5(4)時にジャパンカップを制した稀代の名馬
テイオーの名を刻んだのは93年の有馬記念。「左前トウ骨剥離骨折」というサラブレッドには致命的な重傷から364日の休養後いきなりグランプリを制覇
皇帝シンボリルドルフの子として88年生まれ、90年の新馬戦から5連勝、91年の皐月賞・ダービーの後親子2代での無敗クラシク3冠達成を期待されたがダービーで左足骨折、全治6か月となって菊花賞を断念。翌92年の復帰戦を勝ったが天皇賞ではメジロマックイーンに破れまたも骨折、秋のジャパンカップ(92年からG1)で欧米の名馬相手に5番人気だったが1着。有馬記念では1番人気となったがレース中に臀筋を痛め大敗。剥離骨折が判明、予後不良=安楽死となってもおかしくない大怪我だったが手当
復帰戦が有馬記念で、騎手も同じ田原成貴。G1馬が8頭揃う豪華版。1番人気は菊花賞を制したビワハヤヒデ。テイオーは4番人気。残り100mでビワをかわしてゴール
363日での勝利は、現在も長期休養明けG1勝利の最長記録
テイオーは、93年で引退

52. 2004.6.12.から7.4. UEFA欧州選手権(通称EURO) 伏兵ギリシャが制覇
ヨーロッパの王者決定戦で4年に1
無名選手しかいないギリシャが、80年に次ぐ2回目の出場を史上最大の番狂わせで制覇
W杯も、唯一出場した94年アメリカ大会では3連敗
1次リーグでロシアに敗退、スペインと引き分け、ポルトガルに勝利、グループ2位で通過、準々決勝で連覇を狙うフランスに快勝、準決勝ではチェコを延長で下し、開催国ポルトガルと再戦。ドイツ人監督レーハーゲルの戦術を守り、大会MVPとなったサゴラキスを中心にまたも2-1で破る
その後出場した08EURO10W杯とも予選敗退、12EUROでは決勝トーナメントに進出したがドイツに敗退

53. 2011.10.10. 第91回サッカー天皇杯 2回戦 福岡大 11(PK 5-3) J1 大宮
大正10年に始まる日本最古で最大のカップ戦。出場は41のシードチームと、各都道府県代表47チームで、トーナメントにより、最終元旦に国立競技場での決勝戦となる
プロとアマが戦える唯一の大会。プロには歯が立たないが、ここ5年波乱が起きている
07年明治がJ2京都を、08年国士舘がJ2徳島を、09年明治がJ2湘南とJ1山形を破る
福岡大は、これまで40人のJリーガーを輩出、県代表で天皇杯に出場するのも26回目。1回戦で大分県代表の社会人チームを破るが、エースを怪我で失う
大宮アルディージャは、05年に昇格して以来J1に定着。年初の福岡大との練習試合では30分ミニゲーム4本の結果は12-0、実力差は歴然
後半25分大宮がFKで先制、その2分後福岡大が同点、そのまま延長からPK戦へ。大宮4人目が外し万事休す
福岡大は3回戦でJ2湘南ベルマーレと対戦、延長まで行ったが力尽きる
決勝はFC東京と京都サンガの史上初のJ2同士の対戦で、FC東京が制覇

54. 2003.12.14. 第83回サッカー天皇杯 3回戦 
市立船橋高 22(PK 1-4) 横浜マリノス
高校サッカー部が同年のJ1王者を追い詰めた試合として語り草に
カレン・ロバート(現オランダ・リーグで活躍)を中心に超高校級のレベルで、天皇杯にも全日本ユースの優勝により予選免除、2種シード、1回戦でJFL昇格を決めたザスパ草津を、2回戦で大学の強豪阪南大を連破
前半6分でマリノスが2点リード、大差が予想されたが、後半24分を終了5分前に各1点を入れて同点。終了直前市船は退場者を出し10人となったが延長を守り抜く
PK戦で力尽きたが、試合後マリノス・サポーターから「イチフナ!」の大コール

55. 2011.11.5. ATPワールドツアー スイス・インドア 男子シングルス準決勝 
錦織圭 21 ジョコビッチ
4大大会に較べると2段階下がるが、ランク上位の選手が多く出場
1回戦でランク6位のベルティハを撃破、準決勝の相手は世界ランク1位のセルビアのジョコビッチで、同年の全豪、全英、全米を制覇、673(うち2敗は棄権、1敗は全仏の準決勝フェデラー戦)。第1セットを2-6で落としたが、第2セットはあと2ポイントで負けというところまで行きながら逆転の7-6で取り、最終セットはまさかの6-0
決勝は、フェデラーに対し1-6,3-6の完敗
日本人選手が、ランク1位に勝ったのは初めて。それまでは松岡が2位のエドベリに勝ったのが最高
ATPが選ぶ11年度の番狂わせの3位にランク ⇒ 1位はランク143位のドナルド・ヤングが5位のアンディ・マレーに勝った試合
錦織は、12年の全豪オープンでランク6位を破りベスト8(4大大会ではウィンブルドンの松岡以来17年振りのセミファイナリスト)

56. 2012.5.20. 大相撲夏場所 千秋楽 優勝決定戦 旭天鵬 叩き込み 栃煌山
平幕37歳が史上最年長で初優勝。平幕同士の決定戦も、決定戦での平幕優勝も史上初
旭天鵬は前頭7枚目、20年前モンゴル人第1号として大島部屋に入門
33人、43人で最多6人の決定戦が予想される中、開始前の協会挨拶で北の湖理事長が、7敗の琴欧州の休場を発表、取り組み相手が優勝争いをしている3敗の栃煌山だったために43人の優勝可能性が消え場内騒然
まず土俵に上がったのが旭天鵬、相手は殊勲賞が決まっている好調の関脇豪栄道、過去の対戦も48敗と不利だったが、何とか寄り切りで破る。稀勢の里は把瑠都に逆転負け
決定戦は、一瞬の勝負。初土俵以来121場所目の賜杯は史上最も遅い記録
場所前大島親方の定年で、引退して部屋を継ぐか転籍か悩んだ末、友綱部屋に移籍して夏場所を迎えていた。まさに堅忍不抜の精神

57. 中央競馬大波乱劇場
JRAは、毎年約3400のレースを実施、うちGI24レースのみ
最低人気でGIを制した伝説の3
Ø  1989.11.12. エリザベス女王杯 京都競馬場 サンドピアリス 牝馬のみ、4(3)に限定されたクラシックレースだった当時、全く下馬評にも載らず、「初年度募集馬を、主戦ジョッキー岸滋彦の鞍上で出走させたい」との馬主の意向だけでいわば記念参加、当然ダントツの最低人気。最後の直線で逆転勝利。単勝は現在でもGI最高の43,060
2着が10番人気、3着が14番人気となり、連複馬券も大波乱
1番人気はレース中の故障で最下位に、
Ø  1991.12.22. 有馬記念 ダイユウサク ジョッキーは熊沢重文。武豊かのメジロマックイーンが大本命。ダイユウサク(7)GIIIで優勝しているが距離は2000mまで、GI2500mは無謀で、人気も15頭中14番。最後の直線で抜け出したマックイーンに対し、残り100mで内側から差し切り、レコードタイムでの優勝。その後6レースに出るが6位以下の惨敗
史上最強の一発屋
Ø  2000.10.1. スプリンターズステークス 中山競馬場 ダイタクヤマト(7) 騎手は江田照男。エダテルこと江田照男は、平成の穴男の異名をとる万馬券の演出者。その真骨頂がこのレース。7頭ものGI馬が出走、ヤマトはGIII2着が最高でノーマークの最低人気、やや重の馬場を見て最後の直線勝負に出てぶっちぎりで優勝

6章 歴史を変えた大誤審
58. 1969.3.15. 大相撲春場所 2日目 戸田 (押し出し) 大鵬
新入幕から6場所で優勝、関脇・大関の最年少記録を更新、6連覇2度を含め優勝29回、残るは双葉山の連勝記録。68年秋場所、69年初場所と全勝で連覇、連勝はこの日まで45にまで伸びていた。前頭筆頭の戸田に立ち会い一気に土俵際に押し込まれ、大鵬が回り込んで叩くと、戸田の右足が蛇の目の砂を掃いたが、次の瞬間大鵬は押し出され、戸田は土俵下に突っ込む。行事は大鵬に軍配を上げたが、物言いで行司差し違え、連勝がストップ
大鵬は5日目から休場
翌日の報道は誤審を捉えていた。他にもこの場所では疑惑の判定が続き、場所後ビデオ判定を参考とすることに決定。戸田は5月場所でも横綱柏戸と対戦、ビデオ判定で金星

59. 1985.12.8. 第6回トヨタカップ 国立霞ヶ丘競技場 
ヨーロッパと南米の代表でクラブチーム世界一を決める対決(05年からFIFAクラブW杯に移行)。欧州はセリエAのユヴェントス、南米はアルゼンチンのアルヘンティノス・ジュニアーズ。結果は、2-2後のPK戦でユヴェントスがヨーロッパ勢初の王者に
後半22分プラティニの胸でトラップ後のボレーシュートがオフサイドで無効とされる
誤審か否かは微妙だが、プラティニは芝に横になって抗議、プラティニの技であり、あまりに美しいボレーシュートゆえに伝説となる
セリエAの中心選手プラティニは、3年連続リーグ得点王、フランス代表としても84年の欧州選手権でフランスに初の国際タイトルをもたらす。自身でも8512月が選手生活のピークだったと語っている

60. 1986.6.22. W杯メキシコ大会 準々決勝 アルゼンチン 21 イングランド
86年はディエゴ・マラドーナ(25)のための大会、母国アルゼンチンを優勝に導く
マラドーナが挙げた全5ゴールのうちの1つは、明らかにハンドによる得点で、試合後の記者の質問に、「ゴールは神の手とディエゴの頭から生まれた」と言い、「神の手ゴール」として残る
後半6分、イングランドのクリアミスからペナルティエリアに浮いたボールをGKと身長164㎝のマラドーナが争い、ボールが2人の頭上から撥ねてゴールへ。イングランドは抗議したが、テレビはなく、主審、線審ともゴールを認め、判定は覆らず。その僅か3分後、ハーフラインでボールを受けたマラドーナがイングランド4人を抜く60mの独走でGKもかわしてシュートする神業を披露。それがあったからこそハンドによるゴールも伝説に
08年マラドーナは取材に応じてコメント。「過去に戻って謝罪できるならそうしたい。だが私に歴史は変えられない」

61. 1988.10.2. ソウル五輪 男子ボクシング ライトミドル級決勝 
90年代から00年代にかけ、ボクシング界で「体重差がない場合の最強チャンピオン」と言われたのが米国人プロのロイ・ジョーンズ・ジュニア。86,87年と全米のアマチュアを集めた大会で優勝、プロ転向後はミドル級からヘビー級まで4階級を制覇した天才ボクサー
唯一手にしていないのが五輪金メダル
19歳で出場したソウル五輪、金は確実視されていたが、決勝の相手は韓国の朴時憲、2度ダウンを奪って有効打も8632と圧倒したのに、判定は3-2で朴に。ジョーンズが記者会見で「盗まれた金メダルを返してほしい」と訴えたので、盗まれた金メダル事件と呼ばれる五輪史上に残る判定疑惑事件となる
提訴を受けて調査の結果、審判員らが事前に300ドルをソウル五輪組織委員会から受け取り、食事を接待されていた ⇒ 2年の資格停止処分だけで灰色決着
朴は、世論の批判を受けてプロの道を断念。判定にもポイント制が導入された

62. 2002.2.11. ソルトレイク五輪 フィギュアスケート 男女ペア
12か国20組が参加。ショート終了時点でライバル同士のロシアが1位、カナダが2位、フリーではロシアが僅かなミスに対してカナダは完璧な演技、誰もがカナダの優勝を確信したのに、判定は5-4でロシア。当時の採点は9か国の審判が「技術点」と「芸術点」を6点満点で採点、相対的に順位をつけ、その点数で優劣を決めていた
翌日、国際スケート連盟の調査で、フランスの審判員が本国のスケート連盟会長から、「ダンスでフランスを勝たせてもらう代わりに、ペアはロシアを勝たせろ」と言われたと、裏取引の存在を告白、フランス審判の得点を削除して、2組を1位として4日後に表彰式をやり直す。同時に2つの金メダルが贈られたのは史上初めて
胴体空きでは、女子シングルでも、ショート4位のアメリカ選手が、ショート・フリーとも上位のロシア選手を逆転して優勝し、プーチン大統領が正式に抗議する騒動もあった
スケート連盟は、得点システムを変更、03年から試験運用の後、04年から正式にISUジャッジシステムとして採用
審判員の主観で勝負が決まるフィギュアは採点方法改良の歴史でもある

63. 2002.6.18.&6.22.  FIFAサッカーW杯 韓国大会 決勝トーナメント 
1回戦      韓国 21 イタリア
準々決勝   韓国 00(PK 5-3) スペイン
06FIFA創立100年記念で映像ライセンスを持つ会社が作成したDVDの中に「世紀の10大誤審」が収録、1位は「神の手ゴール」だが69位には韓国の戦った決勝トーナメントの2試合がランクイン! 
アジア勢初のベスト4だが、誤審に助けられたのではとの疑惑
日韓大会は、FIFA会長選挙絡みの思惑から、国際マッチの経験の少ない審判が多く起用されていて、決勝トーナメント1回戦の韓国vsイタリアのモレノ(エクアドル)もその1
延長後半13分、トッティが倒れたのをシミュレーションと判定、2枚目のイエローカードで退場、重大誤審の7位に入ったが、後にFIFAも正式に誤審と認めた
その7分後、トンマージがゴールしたがオフサイドの判定で(6位にランクイン)、ゴールデンゴールが取り消し、終了間際に韓国の安貞桓がゴールを決めて準々決勝進出
この試合では韓国選手がマルディーニの頭を足で蹴り、大会終了後に本人がわざと蹴ったと認めて物議をかもした
準々決勝のスペイン戦でも、8位にランクインしたのが48分のスペインのゴールをオフサイドと判定、9位が延長2分のスペインのゴールを、直前のセンタリングがゴールラインを割っていたとして無効と判定。試合は0-0からのPK戦で5-3と韓国が勝利
疑惑の噴出にFIFAは、準決勝以降をヨーロッパの審判で固める判断をした

FIFAが発表したワールドカップ100年の歴史の「世界10大誤審」は、FIFAが創立100周年記念の特別限定版として製作したDVDFIFA FEVER』(日本語版未発売)の中に収録されています。
韓国人の必死の反対運動も空振りに終わり世界の10大誤審DVDがついに発売。
世界の子供達はこのDVDを見ながら成長します。そして買収の残酷さ、韓国の卑怯さを学ぶのです。W4強買収、その代償はあまりにも大きいです。
10挙げられている『世紀の誤審』の69位が、韓国関連で占められており、なおかつ韓国のサッカー協会が本気で遺憾の意を表してしまったという曰くつきのDVD
またの名を『おまえ、あの4位はシャレになってないから覚えておけよDVD by FIFA

1位・1986年メキシコ大会「アルゼンチン対イングランド戦:アルゼンチン、マラドーナの神の手ゴール」
2位・1994年アメリカ大会「ドイツ対ベルギー 戦:ベルギー、ウェーバーがペナルティエリア内でドイツDFテクルに倒されるもノーファール」
3位・2002年日韓大会「ブラジル対ベルギー戦:ベルギー、ヴィルモッツがヘディングゴールを決めるもファールを取られノーゴール」
4位・1978年アルゼンチン大会「ブラジル対スウェーデン戦:ブラジル、ジーコがヘディングゴールを決めるも主審は試合終了後のゴールとして認めず」
5位・1982年スペイン大会「カメルーン対ペルー戦:カメルーン、ロジェ・ミラがゴールを決めるもオフサイドでノーゴール」
6位・2002年日韓大会「韓国対イタリア戦:イタリア、トンマージがゴールデンゴールを決めるもオフサイドでノーゴール」
7位・2002年日韓大会「イタリア、トッティがシミュレーションを取られ警告を受け退場」
8位・2002年日韓大会「韓国対スペイン戦:スペイン、モリエンテスがヘディングシュートを決めるもファールを取られノーゴール」
9位・2002年日韓大会「韓国対スペイン戦:スペイン、モリエンテスがゴールを決めるもその直前のホアキンのクロスがゴールラインを割っていたとしてノーゴール」
10
位・1962年チリ大会「ブラジル対チリ戦:ブラジル、ガリンシャがチリDFへファールをしたとして警告を受け退場」

64. 2003.8.29. 世界陸上 パリ大会 男子200m決勝 末續 3位 20”38
日本人初の決勝進出、初の銅メダルを獲得と歴史的快挙を達成したのが末續慎吾
誤審がなければ銀だったかもしれない
末續は、高校時代国体で100m2度優勝、東海大時代にはシドニー五輪出場、03.6.の日本選手権で世界ランク3位に当たる20”03を出し期待
決勝のスタートで”On your mark”の後仕切り直し、再度スタートの構えを取った時に審判員が末續に注意、末續はスターティングブロックの右足の位置を10㎝下げさせられる。3度目のスタートでは、いつもの両膝を揃えて着くスタートと違い、左膝だけをついてスタート、スタートでは遅れたが後半追い上げて結果は銅メダル
当時のルールでは、「両手と膝がトラックに、両足はスターティングブロックと接触していなければならない」とあり、両膝をつくことへの規定はなく、末續が右足を3㎝だけ下げ両足をそろえることで素早い重心移動を可能にすべく編み出したにもかかわらず、国によって判断がまちまちだったために、結果として審判はルールの解釈を誤った ⇒ 五輪後「少なくとも片膝をついていなければならない」と条文が変更された

65. 2006.3.12. 第1WBC アナハイム 予選2次ラウンド 初戦 
日本 34 アメリカ
イチローの先頭打者ホームランで日本が先行、3-3で迎えた8回表日本は1死満塁、岩村の犠牲フライで西岡がタッチアップしてホームインしたが、アメリカが離塁が早いと抗議、2塁塁審はセーフを確認したが、アメリカの監督は主審に再度抗議、主審は塁審に確認もせずに判定を覆す。王監督も抗議したが覆らず、試合は3-4でアメリカが勝利
主審のボブ・デービッドソンは、誤審常習犯として有名、12.5.には度重なる違反行為を理由に米大リーグ機構から出場停止処分を食らった

66. 2010.6.2. MLB公式戦 タイガース - インディアンス
完全試合は、日本で15回、アメリカでは22
デトロイトのガララーガ(28)がクリーブランド相手に92死まで完全試合、27人目の打者が平凡な1塁ゴロ、投手にトスして達成と誰もが確信した時、1塁塁審のジム・ジョイスがセーフの判定。次を3塁ゴロに打ちとって本人初の完封勝ち
ジョイスは、メジャー審判歴22年のベテラン。試合後「ビデオを見るまでセーフだと信じ切っていた」と発言、ガララーガに謝罪、ガララーガも「誰しも完全ではないと審判を抱きしめたという。その後2人は共著を出版


日本経済新聞 夕刊 『エンジョイ読書』 
目利きが選ぶ今週の3冊 藤島大 スポーツライター
隠れた労作。安易なようで「まさかの88試合」全編にスポーツ好きの熱がこもる。
五輪ボクシング判定疑惑から甲子園の「新湊旋風」まで。古今東西に目配りは効いている。




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