異邦人のロンドン  園部哲  2024.10.16.

 2024.10.16.  異邦人のロンドン

 

著者 園部哲 翻訳家。1956年福島県生まれ。79年、一橋大法卒、三井物産入社。05年同社退職、翻訳者に。訳書に『北極大異変』(集英社インターナショナル)、『北朝鮮 14号管理所からの脱出』『アジア再興』『アメリカの汚名』『ニュルンベルク合流』『エリ・ヴィーゼルの教室から』『第三帝国を旅した人々』『上海フリータクシー』(以上、白水社)、『密閉国家に生きる』『人生に聴診器をあてる』(共に中央公論新社)。朝日新聞GLOBE連載「世界の書店から」英国担当。ロンドン郊外在住。夫人はスイス人、娘1

 

発行日           2023.9.30. 第1刷発行      

発行所           集英社インターナショナル

 

 

F  遠来の旅人

20203月末、コロナ感染で「ロックダウン法」が制定されイギリス全土が原則外出禁止になるなか、新聞に「テムズ河畔にtravellers(ママ)がやってきた」との見出しが載る

Travellersとは漂泊の民ジプシーを意味する。そこにはインド亜大陸発ヨーロッパ経由で何世紀も前から渡来してきたロマ・ジプシーや、アイリッシュ・トラベラーという白人種が含まれ、まとめてGRT(Gypsy, Roma and Traveller)という呼称を使う

その時は警察などに追い払われたが、1年後またやって来て、キュー・グリーンというお洒落な緑地帯を占拠。マイホームの大型のキャラバンを緑地帯に停めてファンフェアの準備をしている。方や、駅の反対側の元ゴミ屋敷には、日本人女性による洒落たカフェがオープン。ロンドンはこうした異なるものが無数に存在し、輪郭がくっきりと表れやすい場所

ロンドンの「よそ者」には様々な事情がある。日本企業の海外駐在員はexpat(expatriateの略、故国patriaの外へex出た者の意)という気軽な身分

著者が住んでいたのは、ヒースロー空港に向かうフライトパスのほぼ真下で、着陸態勢に入った飛行機が車輪を出す時に、そこに隠れていた密航者が放り出されて落下してくる

密航先としてはロンドンの人気が高く、過去26年で13

ロンドンが人を惹きつけるのは、1つには可能性の大きさ、2つ目は懐の深さ、最後は英語の都市。在住者の4割以上が外国生まれ。チャーチルも難民ユグノーの子孫

 

F  そもそもの始まり

2020年のロックダウンが始まった時、80を超えた高齢者は「極めて脆弱」な人々に分類され、ワッツアップで組織した半径100mくらいの緩い隣組ができ、買物などを代行していたが、その間禁を破って、しかも隣組の地域外の老婆が我が家にウィスキーを買ってきてくれと金をもって数回現われた。今もってなぜ区域外の我が家に頼みに来たのか不明

 

F  人種差別

ロンドンを取り囲む環状道路を東西に流れるテムズ川が真横に切断

ジャマイカ生まれの友人は、白人の人種差別に敏感。ロンドンでは警察が黒人男性を職務質問する頻度は白人男性に対する場合の19倍で、実際の黒人による殺人件数が白人の2倍というのを遥かに上回り、しかも職質時の白人警官が黒人に対して示す残忍性が非道い

友人は、「緊急車両は命を救うが、パトカーは苛めだ」として道を譲らない。それは何の対抗手段もない黒人の、日常のなかでのゲリラ的抵抗

203月のチェルトナムでの障害競馬大会は、コロナ感染の一大クラスターとなり41人の死者が出て、それを契機に全英のロックダウンが宣言された

黒人差別問題の根っこには、奴隷貿易から英帝国時代の植民地経営、植民地終焉後の英国内での黒人労働者搾取があるが、205月のブラック・ライブズ・マター抗議運動の成果の1つがそうした歴史的事実を若者たちが認識し始めたこと

以降、うわべを糊塗したセカンダリー・スクール(私立の中高一貫校)の自国自賛型カリキュラムに批判が集中し、学校側も見直しに着手すると約束

 

F  ロンドンの変貌

「ロンドン貧困地図」という19世紀末に作成された社会学的に画期的な資料がある。全住宅群を貧富の度合いによって7色に塗り分け。特に貧困層の分類が細かくなっていて、後の救貧改正法の制定に寄与

この10年、ロンドンは「ロンドングラード」なる異名を冠せられてきた。ロシアの飛び地になりつつあると同時に、闇の力も一緒についてきた。ロシアのウクライナ侵攻を契機にロンドングラードの見直しが始まり、チェルシーを買収したアブラモヴィッチも侵攻の6日後には撤退を発表したが、資産はすべて凍結

 

F  リトル・ドラマーの指導

1989年ベルリンの壁崩壊から15年後の04年に東欧諸国がどっとEUに加盟し、ロンドンでも東欧人が急増。特に建設現場のポーランド人が目立つ

EU区域外の特別な手段のない女の子にとって人気のある渡英方法はオーペア・ビザで、住み込みの家事手伝い。男でもありボーイズ・オーペアと呼ばれる

小学校に入ると共産主義団体のメンバーになり、英語でいう「リトル・ドラマーズ」、10歳からは「ピオネール」という軍隊の子ども版に入れられる

 

F  大地震以降

東北大震災で実家のある磐城の親戚に電話をしたがなかなかつながらず、しばらくしてから分かったのは断水になったので親戚は内陸の方に避難したという

その時の強いストレスが原因で、ある日の6時間の記憶が飛ぶ一過性全健忘症との診断を受ける

 

F  小学校の風景

娘が卒業した小学校は、1876年創設だが家族経営の「寺子屋」もどき。この20年で生徒の国籍・人種の多様化が進むと同時に、宗教行事の違い、アレルギー対応を含む食事制限に加え、生徒間での人種差別の言動などが急増し、その対応に忙殺された

コロナ禍は、社会の襞に隠れていた格差、矛盾、不満、不合理を可視化する現像液の役割を果たす。この国の場合には、2016年のEU離脱投票前後から英国例外主義がふつふつと湧いてきて、20年当初のコロナ禍対応には英国だけは大丈夫という姿勢が透けて見えた。優越性の幻想で、小学校の教師でも、外国人生徒が増えると教育レベルが下がると公言

その時期に英国政府が「英国の価値British Values」なるものを喧伝し始める。教育現場への浸透を目指したもので、①民主主義、②法の支配、③個人の自由、④信仰・信条の異なる者に対する尊敬と寛容の4つの価値を訴えたが、あたかも英国独自のもののようにいう

 

F  ハリウッドからロンドンへ

母国を離れて異国に長く住む人は、えてしてその国で起きた出来事を順序良く覚えていることが多い。ハリウッド育ちで1962年にロンドンに来て永住した友人の老婆の話

 

F  お辞儀とアペリティフ

1960年代の軍事政権下のブラジルからロンドンに逃れてきたテニス友達は、サンパウロの日本人社会が大切に保存してきたものを、通りを隔てて吸収していた。その一つがお辞儀、ヨーロッパの人たちがお辞儀の真似事をするとどうもおかしいが、彼のはずっとまし

 

F  愛犬国家

ラブラドールとテリアの混血種のマイロが迷子になり、「愛犬隣組」ともいうべきネットワークが探す。公園ではリードを外して遊ばせるので、迷子は頻発

ロンドンに戻ってきていつも印象深いのはロンドンの緑の深さと犬を散歩させる人々の姿

英国はペットに手厚い。コロナ禍でペットの需要が急増、値段も3倍に跳ね上がる

イギリス人にとって、犬はよそよそしくない会話を始めるための便利な小道具

 

F  私立校・公立校

学校名に”C of E/Church of England”と略号がつくのは、キリスト教徒コミュニティのために設立された公立校。全国の1/4が国教会系で、教育水準は高いが、国教徒優先

公立に対する私立の偏頗(へんぱ)的重要性という事実は、英国社会の理解に不可欠

私立出身者は人口の7%に過ぎないが、社会の指導的立場にある人の過半数を占める

英国では、Public Schoolとは中等教育を授けるprivate schoolをさし、イートン、ハロウ、ウィンチェスター、ウェストミンスター、ラグビーの5校が突出、いずれも寄宿学校

キャメロン、ジョンソンという2人の首相がいずれもイートンからオックスフォードに進み、程度の差こそあれ鼻持ちならぬ傲慢さを発散させてパブリック・スクールの評判を落とす。特にジョンソンの庶民的な振舞の下に隠した差別意識、特権意識、選民意識を見て、いかにもイートンらしい鼻持ちならない態度だと感じて、体制に反発する人が増えた

大学側も、マイノリティと公立出身者を積極的に受け入れようと努力している

小学校から私立と公立という棲分けが出来ていて、お互い交わらずその延長で歩んでいく

 

F  ロンドンの日本 

ロンドンにおける日本のプレゼンスは大きく変化。その象徴が日系百貨店の参入と撤退

1979年の三越を皮切りに、伊勢丹、高島屋、そごうと開店したが、三越以外は00年までに撤退、三越も13年撤退。ヨーロッパでも21年の三越のローマ閉店で皆無に

 

F  ドイツから来た娘

娘のヴァイオリンの先生だったシレジア出身のドイツ人のお婆さんのイギリスでの生活史

 

F  日本を憎んだ人たち

イギリスには、VJ Day/Victory over Japan Day(対日戦勝記念日)があり、日本軍の捕虜経験者がいて、未だに憎しみが消えず、815日には装甲車まで出るパレードがある

2次大戦は英国にとって植民地帝国崩壊の始まりで、局地戦では負けてばかり。それだけに人種差別の感情と相俟って対日勝利は賑々しく祝う価値のある勝利であり、アメリカの驥尾に付して得た「配当」だったにせよ、だからこそ日本軍の捕虜になって虐待されたことは悶絶の恥辱だった。6万人の英連邦兵が3年半も日本軍の捕虜だった

英語になった日本語の1つにTENKOがある。「点呼」のことで、捕虜経験者の間では忌まわしい思い出であり、BBCが同名の連続テレビドラマを作ったことで拡散・定着した

英国で書かれた日本関連本としては、経済や文化などよりも、日本軍捕虜収容所での体験を書いたものが一番多いらしい。「極東捕虜の歴史研究会」という集まりもあって、体験談を語り合っているという。なかに、「国として高潔な態度を示し、今からでも遅くないので昔のことについて謝罪の意志を示してはどうか。国家の品格とは、そうした基本的な礼儀を守るかどうかで測られる」というメッセージがあった

 

F  オリヴァーの脱出

香港生まれの中国人男性の香港脱出記。父親の決断で一家でロンドンに亡命、息子は金融の世界から教育に転職

日本人は、競争ではなく協力したときに力を出す国民なのに、いつまでも競争が絶対善

資源が有限の世界で正しい投資とは何か。他者の存在に注意を払い尊重することが重要

 

F  エリザベス女王在位七十周年(プラチナ・ジュビリー)

在位の周年記念ごとに、庶民は通りを封鎖し、料理を持ち寄ってストリート・パーティーに興じる。コミュニティがあることを意識させるよい機会で、新しい友人が5人はできる

イギリス人はコミュニティということを絶えず意識しているような印象がある。なければならないもの、なければ作るべきものというふうな。そもそも混合民族であることに加え、近代以降ロンドンを中心に様々な理由で「外国人」を惹きつける国であり続けるせいか

女王逝去の翌年のチャールズ3世の戴冠式は豪勢。チャールズ自らの提案だったという黒人男女8人のゴスペルが圧巻だったが、背後に見える参列者の圧倒的に白い表情の大半は険しく、戸惑って見えた。女王の発言には政治色がなかったが、息子は正反対

戴冠式翌日にもストリート・パーティーが開かれたが、前年の女王の時の16千件以上に比べて、僅かに3087件。助走期間が長すぎたために毀誉褒貶の多い君主になった

 

F  階級について 

イギリス社会では、自分が属する階級をきちんと認識して、尋ねられれば隠さず臆せず答えるし、逆にイギリス人のなかには、外国人を同定しないと落ち着かない人もいる

あらゆる側面に階級意識が染みこんでいるので、それを鍵にして読解するのも興味深い

Plebaian/pleb(平民/下層民)という言葉は差別用語

食事問題にも階級意識がついて回る。5年ほど前に「アボカド・ハンド」は典型的なミドルクラス(日本なら上流階級に相当)の怪我だと新聞が報じた。アボカドと格闘中にナイフで掌や指などを切る怪我のこと。80年代からスーパーに出回りだしたアボカドだが、積極的に取り込む家庭はやはりミドルクラス以上らしい

階級意識とは区別意識のことで、差異の競争が行われる。食習慣もその例外ではない

同じ私立学校でも、寄宿生と通学生では異なるし、イギリスの南北分割という驚きもある。マンチェスターやヨークシャーから「降りて来た」学生は、ロンドン出身者を始めとする南部出身者をposh(気取った連中)として扱って区別する。言葉も食べ物も違う

 

F  食事の意味 

イギリスの食事がこの2,30年で遥かにおいしくなったのは間違いない

ロンドンの飲食産業が抱える不安の1つが、EU離脱の影響。料理人が自由に行き来できなくなり、リクルートメント・クライシス(雇用危機)が特に飲食産業では深刻

家庭料理の経験からも、美味しいと感じたのは例外なく異国要素を含んだ家庭の料理

 

F  空から落ちてきた人たち

我家の近くのテムズに浮ぶEel Pie Islandは、周辺でとれるうなぎをぶつ切りにして茹でてパイに入れたりするが、生臭いままでとても食べられる代物ではない。その島が1960年代にはロックンロール・アイランドと呼ばれた聖地だった

2015年に空から降って来たアフリカからの密航者を5年がかりで取材したドキュメンタリーを見た。同行者が1人いて九死に一生を得て亡命者に認定されていた

 

 

 

 

 

集英社ホームページ

【第72回日本エッセイスト・クラブ賞受賞】

朝日新聞GLOBE「世界の書店から」の筆者が綴る、移住者たちのトゥルー・ストーリー。空から人が落ちてきた──それはアフリカから旅客機の脚につかまってロンドンまで飛んできた青年だった。

飛行機にしのびこみ、ロンドンへの密航を企てた外国人は、過去26年間で13人に上る。

なぜ、ロンドンはこれほどまでに人を引き寄せるのか。いまやロンドン在住者の4割以上が外国生まれ。通算30年のロンドン滞在になった著者もその一人だ。

コロナ禍のロックダウンを機会に、移住者たちの間で交わされた会話は、さながら14世紀ペスト禍の名作『デカメロン』のように、多様で、繊細で、魅力に溢れている。

学校で露骨に現れる人種差別と、それに抗する人たち。

両親にだまされてロンドンへ移住したアメリカ人、中国人。

日本人を憎み続けるイギリス人の存在。

移民、人種や階級差別、貧富の差……。さまざまな問題を抱えながら、世界中から人を集め続けるロンドンの実像を鮮やかに描く。

 

 

エッセイスト賞に園部哲さん

2024529 500分 朝日

 第72回日本エッセイスト・クラブ賞(同クラブ主催)は28日、園部哲さんの「異邦人のロンドン」(集英社インターナショナル)に決まった。賞金30万円。

 

 

日刊ゲンダイ 

金井真紀の本でフムフム

「異邦人のロンドン」園部哲著

公開日:2023/11/23 06:00 更新日:2023/11/23 06:00

 春らんまんの中国の農村で、宴会に参加したことがある。今から25年前。お尻丸出しの幼児が走り回る広い庭で、日本人が歌えば中国人が踊り、たいへんな盛り上がりを見せた。あれはどこだったんだろう。連れて行ってくれた中国人の先生はすでに亡くなり確認できないが、たぶん江蘇省。宴が果て皆が上機嫌で別れを惜しむとき、シワだらけの老人が進み出た。「この村は中日戦争の激戦地で……」そこまで言うと涙ぐみ、後が続かなかった。あのときの衝撃をずっと覚えている。かつて日本人がやらかしたことを知らなかった自分への衝撃だ。

 さて、本書はロンドン在住歴30年余りの日本人作家が暮らしの中で見聞きした「よそから来た人」たちのルポ。世界都市ロンドンには、多様な土地から多様な物語を背負った人が流入してくる。モザンビークからの密入国者、香港から逃げてきた一家、ロシアの資産家、ブラジル人のテニス友だち……各章が色とりどり、切なくもにぎやかで興味が尽きない。

「人種差別」の章でつづられる歴史教育の話にもグッときたが、「日本を憎んだ人たち」の章に心を揺さぶられた。著者はイギリス人との付き合いの中で、彼らが第2次大戦の対日戦──とりわけ膨大な英連邦兵が日本軍の捕虜になったこと──をいかに「根に持っている」かを思い知る。英国で書かれた日本関連本でいちばん多いのは日本文化の紹介本ではなく、日本軍捕虜収容所での体験記なんだって! 1万人以上の捕虜が命を落とし、生還した数万人も戦後その記憶に苦しみ続けた。

 加害の歴史を知るのはつらい。だからこそ知って知って知らなければ。

 

 

 

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