THE WORLD FOR SALE  Javier Blasほか  2023.6.4.

 2023.6.4.  THE WORLD FOR SALE 世界を動かすコモディティー・ビジネスの興亡

THE WORLD FOR SALE  2021

 

著者 

Javier Blas ブルームバーグ、オピニオン・コラムニスト。前フィナンシャル・タイムズ紙コモディティーズ・エディター

Jack Farchy ブルームバーグ・ニュース、エネルギー・コモディティー担当シニア記者。前フィナンシャル・タイムズ紙コモディティー担当記者

 

訳者 松本剛史 1959年和歌山市生まれ。東大文社会学科卒

 

発行日           2022.10.20. 11

発行所           日経BP/日本経済新聞出版

 

カバー裏

コモディティー商社の知られざる素顔とパワー:

石油、金属、穀物。車を動かす燃料からスマートフォンの筺体金属まで。当局の規制の網をかいくぐってビジネスを展開、政治家を凌駕するパワーを持ち、グローバル金融の巨人でもあるコモディティー・トレーダー。ウクライナ危機で浮上した資源・食料問題でコモディティー商社の存在感、影響力が注目されるが、その実態は意外にも知られていない

世界のコモディティー取引の実態を20年にわたり調べ尽くした2人のジャーナリストが第2次世界大戦後から現代に至るまで、トレンドを読みぬく秀でた能力で世界政治・経済の構造変化の波に巧みに乗り、莫大な利益を獲得してきた「最後の冒険家たち」の歴史と現在を描き出す。すぐれたスリラーさながら、トレーダーたちの活き活きとした人物描写、数々のスキャンダラスな事件を交え、目を奪われるようなコモディティー・ビジネスの実態を描いた傑作読み物

 

 

 

序 章 最後の冒険家たち

2011年初め、カダフィに反発する勢力が制圧したリビア・ベンガジにビトルのCEOイアン・テイラーが降り立つ。燃料の尽きかけた反政府軍を支援するカタールからの石油精製品を反政府軍に届ける役割を引き受けたのがビトル。支払いは反政府軍が抑えた油田から産出する原油で、パイプライン経由でエジプトで受け取る

テイラーの強みは、ロンドン、ワシントンとの政治的コネクション

テイラーは、リビア国営石油の反体制派支部を統括する男と手を握る

燃料さえ確保できれば、砂漠の戦争の勝利は確実で、それを見越したテイラーの取引

テイラーの取引が暴露され、カダフィ軍はパイプラインを爆破、テイラーは収入を失って窮地に立たされたが、反政府軍の勝利に社運を賭ける。カダフィが欧米に保有する数十億ドルの銀行口座が凍結されていたのが頼りで、実際秋には一部凍結解除された資産がビトルへの支払いに充当されている

テイラーの支援にもかかわらず、リビアの政情は不安定のまま、2014年には再び西部と東部の軍閥が石油資源を巡って戦い再開、今もなお戦火は燻っている

コモディティー商社は現代経済に欠かせない歯車だが、影響力は経済に留まらず、世界の戦略的資源の流れをコントロールすることで、自らが有力な政治的勢力にもなっている

イラクでは、フセインが国連の制裁をくぐり抜けて石油を売るのに手を貸し、キューバでは、カストロ相手に砂糖と石油を交換し、社会主義革命が生き延びるのを助けた

コモディティー商社とは、グローバル資本主義の最後の冒険家たちで、非情な姿勢と個人的魅力を組み合わせ大きな結果を出す。しかも業界の持つ力や影響力がごく少数に集中していて、非公開会社が多いこともあって彼らの知名度はほとんどない

秘密のヴェールが開き始めたのは2011年、グレンコアがロンドン史上最大の株式公開を果たした時で、競合他社も広報コンサルタントを雇い入れ始めた

本書は、私たちがコモディティー商社について20年間学んできたことの成果であり、焦点を合わせるのは、現物商品の売買をビジネスとする企業および個人であって、価格変動だけに巨額の金を賭ける者・企業たちは除外

これら会社の多くは、ある1つの企業帝国に属する

196070年代にはフィリップ・ブラザーズがコモディティー取引を支配。’80年代になるとフィリップで上級トレーダーを務めたマーク・リッチが独立してマーク・リッチ&カンパニーを立ち上げるが、その後トップトレーダーたちがリッチを追い出し、グレンコアと改称、現在では世界最大の金属商社であり、第3位の石油商社、最大の小麦商社に成長

トラフィギュラも同じ帝国に属する。1993年、リッチに不満を抱いたクロード・ドーファンらのグループが独立して起こした会社。現在では世界第2位の石油・金属商社

石油業界の代表格がビトル、バッキンガム宮殿から僅か数メートルにオフィスがある

農産物ではカーギルが王者。アメリカ中西部の何世代にもおよぶ富の上に築かれた帝国

業界に足りないものは女性。グレンコアが初めて女性の取締役を任命したのは2014年、最後まで取締役全員を男性が占めていた会社。それも圧倒的に白人が占めている

仲介者の存在が必要とされるのは、需要と供給が一致しないためで、場所の違い、生産物の品質や形態の違い、受渡期日の違いから生じる価格差によって利鞘を稼ぐ

この業態が現在のような形をとるようになったのは、第2次大戦から数年後のことで、石油が取引可能なコモディティーになり始めたのが契機。世界における製品と天然資源の取引額は戦争直後600億ドル弱だったものが、2017年には17兆ドルを上回り、その1/4を占めるのがコモディティー

グローバル経済をコモディティー商社にとって有利な方向に形作ったのは4つの変動:

   厳格に統制された市場が開放されたこと――石油は、7sistersの独占から、1970年代には中東諸国の国有化に移行し、自由化が始まる

   ソ連崩壊――計画経済に市場の法則が持ち込まれ、コモディティー商社がライフラインの役割を果たし、政府全体の下支えすらして、引き替えに天然資源を安価に入手

   中国の急成長――膨大なコモディティー(特に食糧と燃料)の新規需要が生まれる

   世界経済の金融課と銀行部門の拡大――商社の信用力が増し、銀行借り入れと保証を利用できるようになり、遥かに大量の取引と多額の資金調達が可能になった

コモディティー・トレーダーたちの活動がこれほど長きにわたって監視の目を逃れてきた理由の1つは、彼らの仕事の場が国際金融システムの最も不透明は領域であること

実際のコモディティーの取引は公海上で、ペーパーカンパニーを通じて行われ、商社の本拠は低税率の国にあることが多い

そのため、マスコミの話題に上るのは、何らかの不正行為がらみであることが多い。その典型がマーク・リッチ。多くの点で、現代のコモディティー取引の創始者ともいえるリッチは、脱税に加え、テヘランでアメリカ人が人質にとられている最中にイランと取引したかどで起訴され、スイスに身を潜めていた

業界では健全化の動きもあるが、世界最大の商社の多くが反腐敗を掲げる世界各国の検察当局の標的になっているのも事実

気候変動という現実を受け入れつつある世界にあって、いまだに環境を汚染するコモディティーに大きく依存している事業モデルを改善しようという姿勢があまり見られないどころか、化石燃料なども、世界が消費し続ける限り取引を続けると主張するばかり

 

第1章     先駆者(パイオニア)たち

1954年、西独に燃料を供給する会社マバナフトのコモディティー・トレーダーのテオドア・ヴァイサーがソ連の貿易担当の政府機関ソユーズネフチェクスポルトのトップとコンタクトに成功、ソ連のディーゼル燃料の西側導入の嚆矢となる

戦後の好況に沸く世界経済から生み出されたチャンスをものにしたのがナチスからニューヨークに亡命してきた金属トレーダーのルドウィグ・ジェセルソンで、フィリップ・ブラザーズをウォール街の大手銀行と手を組むほどの有力企業に育て上げる

ミネソタ州では、穀物トレーダーのジョン・Hマクミラン・ジュニアカーギルをアメリカ最大の民間企業に押し上げる

この3人が現代コモディティー取引産業の父祖。世界中を1つの市場として見通し、新しい経済秩序の模範となる。数十年にわたって静かに成長を続けた後で、世界はようやくコモディティー商社がグローバル経済の中心となったことを理解して彼らに跪く

現在のトレーダーに似たコモディティー商社が初めて登場したのは19世紀になってから

成功を収めたのは東インド会社

蒸気船の発明で、輸送コストが急激に下がり、低価格商品の長距離輸送が可能になった

同時に、1858年の大西洋横断の電信を契機にほぼ瞬時にグローバルな通信を可能にした

19世紀の金属取引はヨーロッパの工業地帯で発展、ドイツの3つの会社が支配していたが、世界大戦中に大半は消滅。その背後にいたユダヤ人家族も四散

戦後の復興景気がコモディティー商社に新たなチャンスを与える――「政治は無視し、倫理もおおむねさて措いて、どこへでも行け」を信条に、利益だけを追求

3人の父祖の功績は、経済的な影響力と同時に、今日でも通用するコモディティー取引のモデルを創出したこと――特定の地域や市場に拘らず、世界的に商うことを目指し、大規模かつ長期的な取引を展開

1963年、飢饉に陥ったソ連がアメリカの商社から大量に穀物を買い付け、各商社と個別に秘密の契約を結んだため、蓋を開けると実際のブツが不足、市場価格の高騰を招くという失態となり、アメリカ政府の鼻先で地政学上最大の敵に大量の穀物を売った事実は、コモディティー商社が蓄えてきた力を示すのに十分な出来事

 

第2章     石油のゴッドファーザー

1960年、ソ連の新油田発見で市場支配力を弱められたスタンダード・オイル―オブ・ニュージャージーが中東の公示価格を7%引き下げたのに対し、産油国側が反発しOPEC誕生、石油資源の国有化が進んだのを契機に、石油の売買決定の主役がセブン・シスターズからコモディティー商社に移り、産油国が権限を持つようになった

1967年、イスラエルがエジプトとシリアを急襲したため、ナセルはスエズ運河を閉鎖、戦争は短期に集結したが運河の閉鎖は長期にわたって続けられたため、イスラエルは供給側のイランと共同で紅海から地中海へのパイプライン建設を秘密裡に開始、そこに絡んだのが商社。ドイツ生まれのユダヤ人でナチスの国からニューヨークに亡命したマーク・リッチは、フィリップ・ブラザーズに入って頭角を現し、石油取引の主役が交代する時期にパイプラインに着目して輸送コストがかからないゆえに安価なイラン産原油を取り扱い、新たな市場を開拓するが、ジェセルソンは取引拡大に慎重

1973年、エジプトとシリアがイスラエルに報復攻撃を仕掛け、イスラエルを支持するアメリカその他同盟国に対し産油国の減産が通告され、市場価格が跳ね上がるなか、リッチはさらなるリスクをとって積極的に取引を拡大しようとしてジェセルソンと衝突、他の上級トレーダーたちとともに独立してマーク・リッチ&カンパニーを設立

コモディティー商社の多くが石油取引市場に参入、大きなリスクを負って荒稼ぎを狙うギャンブラーたちの新しい世界は「ロッテルダム市場」と呼ばれ、石油取引産業の中心となるとともに、実際のブツもこの港を通って取引された

1979年、G7で各国首脳は石油会社とOPEC諸国に、「スポット市場取引を緩和する」よう促し、「国際石油取引を登録する」仕組みを作ることを検討したが、それは史上初めて世界各国がコモディティー・トレーダーの持つ力は無視できないと認めた瞬間

 

第3章     商社は最後の頼みの綱

1970年代の石油危機で大打撃を受けたジャマイカは、回復途上にはあったが、80年代初めに石油輸入代金支払いに困窮。頼った先がマーク・リッチ。同社は石油取引で得た膨大な利益の次の投資先として戦後の好景気の中で最も人気の高い金属となったアルミニウム産業に目をつけ、石油を融通する代わりにボーキサイトやアルミナの取引に介入。それまでもIMFの厳しい基準未達をカバーするための裏金を提供するなどして、実質的にジャマイカの経済を乗っ取っていた。1988年には金属部門の利益が石油を抜く

70年代の石油価格の高騰は多くの輸入国を混乱に陥れ、さらにモスクワとワシントンは、ニカラグアからアンゴラまで世界各地で代理戦争を繰り広げ、通商禁止措置はさらに拡大

どこの資源国でもコモディティー市場の支配は、アメリカの大手企業の手から奪い取られ、サプライチェーンが細かく解体され、価格決定が市場の手に委ねられるようになった

コモディティー・トレーダーたちのモラルを顧みないやり方が如実に示されたのがアパルトヘイト下の南アとの取引――石油は南アのアキレス腱であり、'73年のOPECによる禁輸、77年の国連による制裁、さらには79年のイスラム革命でイランからの供給が断たれ、商社に頼るしかなくなる

禁輸措置と政治的な情実だらけの1980年代の世界で、コモディティー商社は偽装と欺瞞を巧みに操ることを学ぶ――ブルンジを舞台にしたマーク・リッチによる偽装工作は、同国政府との合弁会社の形式をとって、石油輸入取引を一手に仕切る

マーク・リッチは、イスラム革命後もホメイニ政権に接触して取引を続けたため、取引自体はスイスの会社を通じて行われたためアメリカの禁輸措置の対象外だったが、脱税容疑の捜査から秘密取引が暴露され、1983年大陪審に刑事訴追され、すべての罪状を合わせると300年以上の刑となるため、米国籍を放棄して国外に逃亡。イスラエル首相やスペイン国王まで巻き込んだロビー活動が功を奏しクリントン政権から恩赦を受ける

 

第4章     紙の樽(ペーパーバレル)

1990年の湾岸戦争では、国連安保理がイラクに対し「全コモディティー」の禁輸措置を科すと、コモディティー・トレーダーたちにとっては新たな稼ぎ時となり、先物、オプションという新たな世界の力を借りて、石油価格の決定に第二の転換を起こしつつあった

石油市場の「金融化」は、全く新しいビジネスを切り拓く――現物の石油を売買するのではなく、先物やオプションそのものを取引の対象とするところから「ペーパーバレル」と呼ばれる。他のコモディティーでは古くから行われていた慣行だったが、石油には80年代まで先物市場が存在しなかった

デリバティブの登場は、石油市場を根底から覆す――米国産ジャガイモを対象としたコモディティー・デリバティブ取引は100年以上にわたってニューヨーク・マーカンタイル取引所NYMEXで行われてきたが、1976NYMEXのトレーダーたちが債務不履行に陥り、破綻の瀬戸際にあったNYMEXがジャガイモの代わりの商品として目を付けたのが石油で、1983年からWTI(West Texas Intermediate)の先物取引を開始

コモディティー商社内は、事業開発を専門とする現物を扱う者たちと、ウォール街の言語に通じた若く新世代の数学の達人たちが中心の現物取引から儲けを出すために金融契約を売り買いするトレーダーたちに分化していく。ウォール街の銀行自体も石油取引に参入

フィリップ・ブラザーズは、1979年のイラン革命を背景に、石油市場のジェットコースターに乗って絶頂期に達していたが、さらなる多角化を期して金融市場進出を企図、ソロモン・ブラザーズを買収し、フィブロ・ソロモンを設立。、元のフィリップ・ブラザーズが扱った金属取引事業は衰退の一途を辿り、1990年にはマーク・リッチの傘下に入る。フィブロ・ブラザーズの石油ビジネスは成功し、現物取引と金融の世界を股にかけて活躍

資金力の豊富なウォール街の銀行の登場とともに、1970年代に市場を支配したコモディティー商社の地位は崩れ去り、適応しきれないトレーダーたちは廃業

 

第5章     マーク・リッチの凋落

1992年、世界を支配する天然資源商社として鳴らしたマーク・リッチ&カンパニーの財務に異変――お尋ね者になったリッチの支配力が衰え、お家騒動に発展。さらにリッチが、亜鉛市場独占の話に乗って失敗し大きな損失を出すと、社内クーデターが一気に爆発、スイスの製薬会社ロシュがバリウムで儲けた莫大な資金を背景に投資家として登場、リッチを追い出し、アルミニウムのトップだったストロトットを代表に、社名をグレンコア(グローバル、エネルギー、コモディティー、リソースの各語からの造語)と変えて再出発。リッチの軛から解き放されたグレンコアは投資銀行を味方につけ急上昇、350人のトレーダーに自社株を配分したため、毎年大富豪を量産

一方石油部門のトップのドーファンは他のトレーダーたちとともに、トラフィギュラという別会社を作って独立するが、しばらくは雌伏の時を過ごす

 

第6章     史上最大の閉店セール

ソ連の崩壊は、コモディティー商社にとっては、1970年代に石油市場がセブン・シスターズの支配から開放されて以来の激震。石油のみならず、金属や穀物でも最大級の生産国で、統制価格で安価に供給されていたものが、突然世界経済の中に投げ込まれ、商品が市場にあふれ出した。そこに目を付けたのがコモディティー・トレーダーたちで、ソ連の崩壊が閉店セールのようになって、貴重な鉱物資源が市場の1/4ほどの価格で買い叩き、統制を失った市場を席捲。ロシア国内でもオリガルヒという新たな大富豪たちを生み出す

 

第7章     資本主義に冒された社会主義

ソ連崩壊で援助が途切れたキューバではあらゆる物資の不足に直面していたが、1995年観光の目玉として突然5つ星ホテルが出現。投資したのはコモディティー商社のビトルで、以前からキューバに燃料を売っていたが、代金回収の手段として観光事業に投資

ビトルのCEOイアン・テイラーは1956年イギリス生まれ、シェルに就職し、カラカスやシンガポール勤務で人脈を広げ、ビトルにスカウトされる

キューバに目を付けた商社の最初はマーク・リッチ。ソ連の崩壊とともにあらゆる資源を商社に頼るようになり、テイラーも乗り込み1992年にキューバ政府と合弁で砂糖取引事業を開設するが、収穫の不安定な砂糖に代わってより独創的方法として思いついたのがホテル事業。カストロの国内市場の開放・観光業への投資誘致策に乗る

ソ連崩壊の反響が世界中に及ぶ中、変化する政治的情勢を利用しようとコモディティー商社が乗り出す。旧共産圏諸国は、資本主義体制への移行に取り組まなかればならないだけでなく、少なからず頼っていたロシアからの施しを失い、市場との関わりを持たざるを得なくなったため、あらゆる場面で救いの手を差し伸べたのがコモディティー商社

商社は、代金を支払う能力のほとんどない国から、何かしら利益を生み出す方法を見つけなくてはならず、激しいバーター取引が繰り広げられた。そんな中で劇的に変化したのがビトルで、1990年代初頭は主に精製品を扱う中規模程度の企業だったが、世紀末には世界最大の石油商社に変貌。1966年創立当時は、ライン川を上り下りするバージ船を使った石油精製品の売買をする会社だったが、ソ連原油の供給量の増大に対応するために85年にテイラーが入社して本格的に原油を扱うようになり急成長

1990年代は、コモディティー業界にとって冬の時代。グローバル経済が不安定な状態になって98年には原油価格が12ドルの最安値をつけるなどコモディティー価格が低迷し、一山当てるといった取引は難しくなる。94年のメキシコに始まり、97年以降の東南アジア、98年のロシアの国家債務不履行、99年のブラジルの金融危機と続き、支社のネットワーク構築などの各種コストも高騰

環境悪化で業界の整理統合が進む中、どこよりも積極的に統合を推し進めたのがエンロン。パイプラインの会社が、天然ガスと電力市場の自由化の波に乗って世界最大級のコモディティー商社となり、若手のトレーダーを集めて、ライバルの商社を買収、ビトルにも買収オファーが来たが拒否。不正会計の発覚で2001年事業停止、破産を申請

 

第8章     ビッグ・バン

2001年、グレンコアが39%出資する鉱山会社エクストラータの立て直しでは、コモディティー価格の上昇に賭けた。狙ったのは中国需要の活発化で、狙い通り中国は驚異的な成長の時期を迎え、天然資源の業界を一変させ、資源価格は軒並み高騰

中国で都市部への人口移動が始まり、平均所得が4000ドル/年を超えるとコモディティー需要の転換期を迎え、2001年にはWTOに加盟し、経済成長がさらに加速する局面を告げる前触れとなる

中国の需要急増に対し、コモディティー業界は90年代の低価格のために、多くの穀物や天然資源の生産者はコスト削減を強いられ、増産できにくくなっていたため価格は急騰

中国に主導されたスーパーサイクルが、9.11で一旦頓挫したが、石炭価格急上昇の見込みが当たって、倍々ゲームで資産が急膨張し、エクストラータとグレンコアの運命を共に一変させ、コモディティー取引業界全体を造り変えようとしていた

エクストラータは、グレンコアから炭鉱を買収した後、オーストラリアの鉱山会社のTOBに成功、立て直し前の評価額4.5億ドルは最盛期の’08年には842億ドルの世界第5位の炭鉱会社となり、グレンコアも’03年の利益10億ドルが’07年には61億ドルを稼ぐ

中国需要は、先物市場も一変させる。原油価格でも、中国の輸入量が増大していることにすら気付くトレーダーは少数で、先物はいまだに現物価格を下回っていたため、濡れ手に粟で大儲けしたトレーダーもいたし、銅などの鉱物資源でも、現物取引のブツが市場からなくなったことで、初めて中国の急速な成長に産業が追い付けずにいることが暴露

コモディティー取引業界全体が中国の成長による変化の影響に目覚めるのに、そう時間はかからず、鉱山業者に石油掘削業者、農産物業者に金融業者、そして間もなく一般の人々までがコモディティー価格の驚異的な動きに注目、05年には「スーパーサイクル」がウォール街で流行語となり、様々な投資家がコモディティ市場に集まる。安定供給されるコモディティーを確保できれば誰もが一獲千金を狙えるゴールドラッシュが始まる

 

第9章     オイルダラーと泥棒政治家

中国経済の好況で一変した石油市場でもコモディティー商社が暗躍、価格上昇とともに石油を握った者たちの金庫に現金が流れ込み、新世代の石油王や泥棒政治家たちが誕生

グレンコアは、国連が禁輸措置を継続するイラク原油に目をつけ、1995年に国連が石油・食料交換プログラムを導入すると、原油輸出の仲介に乗り出し、原油価格の高騰と相俟って不正なサーチャージのバラマキに手を染める。国連調査団が入った時には、不正資金の規模は判明しただけでも数億ドルにのぼり、大きなスキャンダルとなった

価格の上昇によって、何年も前に結んでいた長期契約が、いきなり莫大な利益を生むケースも出現。市場価格通りに合意したコモディティー取引でさえ、現物取引にはつきものの「オプション性」(大規模な物流ビジネスでは合意されたトン数に数%の±が許される)と呼ばれる取引の多少の許容量が大変な価値を生む

ロシア産石油で大当たりをとったマーキュリアとグンパー・エナジーの2社も、突然のように業界に現れ、中国向けの重要な販路を開拓し、クレムリンの国庫に莫大な資金の流れ込むのを助け、若き日のプーチンに自信をもたらし、世界の舞台でより独断的に振舞う契機となった。2つの商社も2018年には世界第4位と5位の独立系石油商社としての地位を確立したが、その利益の大半はわずか6人の創業者たちにもたらされた

 

第10章        目的地はアフリカ

コモディティーブームが加速するにつれ、旧ソ連の豊かな資源も、市場の飽くなき欲求を満たすのに十分ではなくなり、コモディティー商社が次に目を付けたのがアフリカ

今後のムタンダ鉱床は世界的な銅鉱石の産地、所有者はグレンコア。2000年代の資源業界を席巻したアフリカブームの象徴的存在

アフリカのコモディティーと中国の工場を、人気のない権威主義的なアフリカの独裁者とロンドンやスイスの銀行口座を繋ぐ新たな道筋を作ったのがコモディティー商社

アフリカ諸国が植民地支配から独立するのと、ヨーロッパやアジア諸国が戦後の復興のためにコモディティーを必要とするのとが時を同じくして出来したが、アフリカ側に生産や出荷の体制が整わないまま、産地や農場は荒廃、腐敗と独裁が外国の投融資を遠ざけるという悪循環で、アフリカは多くの外国人投資家の目に「絶望の大陸」と映っていた

中国に主導された好景気がコモディティー市場を活性化し、不足する現物を求めてアフリカに殺到、アフリカの命運は大きく変化――コモディティー商社による鉱山や油田、農産物加工への投資が始まり、サハラ以南の経済規模は2000年代の10年で4倍に膨張

コモディティーの売却によって流れ込むドルは、アフリカの指導者を一世代にわたって豊かにし、不人気だった政治エリートの足元を固める

コモディティー商社にとって、アフリカのビジネスは、往々にして残忍な独裁者や腐敗した政治家、強欲な地元の顔役などと顔を突き合わせなければならないというリスクがあったが、彼らがつけた道を今では輸出先となっていた中国が直接乗り込んできて、北京がアフリカ大陸の大半で最も重要な存在の1つになっていった

コンゴは、現代生活に欠かせない鉱物資源の豊富な国だが、1965年以来独裁を続けるモブツは鉱業を国有化し、鉱物資源を売却して利益を懐に入れたが、そのあとの大統領の黒幕となったカトゥンバに取り入ったイスラエルの若いダイヤモンド商は、2000年代に入って鉱物資源の不足が始まると、コンゴのコモディティーに投資を始め、ムタンダの純度の高い鉱石をグレンコアに持ち込み、グレンコアは大きな利益を上げる

米系ファンドがコンゴとの取引で米規制当局から訴追されるなか、グレンコアも腐敗とマネーロンダリングに関して米司法当局から召喚され、株価が急落

米中西部の古色蒼然とした穀物商社のカーギルでさえ、他社に乗り遅れまいとアフリカに目を向け、2003年金融・経済危機の渦中にあったジンバブエで、従来からやっていた綿花の買い付けの支払いに、枯渇した現地通貨の代わりに自社で保証した紙幣を刷らせて支払いに使うと、その紙幣は地元の店舗で現地公式通貨と一緒に受け入れられるようになり、実質的にカーギルがジンバブエの製版印刷局と中央銀行の役割を果たすことに。さらには、カーギルの紙幣が換金に回ってきたときには、ハイパーインフレのお陰で発行したときより価値が下がっているため、本業よりもぼろ儲けをしたという

最初のうちはアフリカのコモディティーを買い付け、世界に輸出するのがコモディティー商社の仕事だったが、大陸での経済活動が盛んになるにつれ、アフリカの各国がコモディティーを求め始め、新たな需要がサプライチェーンを再構築することになる。特に最初の頃は品質規制が先進世界に比べて遥かに緩く、欧米では基準以下の製品でも供給することが可能だったのが商社にとっては魅力となった

トラフィギュラのトレーダーは、ペメックスとの取引で、原油の硫黄分を除去する際発生した毒性の高い残留物質をアフリカに持って行って地元業者に廃棄させたが、適正な廃棄をしなかったために住民に健康被害が出て、そのリカバリーの多大な出費を強いられた

 

第11章        飢えを儲けの種に

2006年以降、天候不順が世界の主要な穀倉地を相次いで襲い、中国でも主食となる食品の価格が新興国市場の需要に後押しされて急騰。最大の懸念材料は大豆で、中国は以前から農産物の自給自足を目指してきたが、食肉需要の増大で飼料となる大豆の輸入に踏み切り、商社に頼る――石油と金属の商社がビトル、グレンコア、トラフィギュラの3社に対し、農産物取引は”ABCD”と呼ばれるアーチャー・ダニエルズ・ミッドランドADM、ブンゲ、カーギル、ルイ・ドレフュスの4大商社で独占

2008/9年のリーマンショックでは、世界が景気後退へ向かうことが明らかになり、コモディティー価格は暴落、原油は147ドルから一気に36.2ドルへ、大豆も半分以下に下落

グローバル市場の混乱をよそに、農産物商社は先物価格の下落に賭けるショート・ポジションを活用して、混乱を利益に変えていた

石油や金属では、重要な供給元の数は限られていて、産油国の政府機関や大手の石油会社、鉱業会社との大規模で有利な契約をとることが鍵になり、商社であること自体は、それほど大きな情報的優位をもたらさないが、農産物商社は、何千もの農家から買い付けをしているので、それらのルートからもたらされる情報をビッグデータとして集約して活用することにより、市場状況についての知見をリアルタイムで得ることができたため、その情報優位を使って自己売買(プロップ・トレーダー)で儲けを稼いでいた

スーパーサイクルの原動力だった中国は、政府による大規模な景気刺激策により速やかに回復、コモディティー価格は再び上昇に転じ、2010年には新たな高値の領域に入る

2011年までの10年間で、ビトル、グレンコア、カーギルの3社は合計763億ドルの純利益を上げ、その前の10年間の10倍に達した

'90年代半ば、住商の銅トレーダーが巨額損失を出したのを機に各国の規制当局がコモディティー商社の活動の規制に動き出す

2008年と10年に食料価格が高騰した背景には、ADMの働きかけにより米政府がエタノールをガソリンに混ぜて使うことに税制優遇措置を導入し、外国のエタノールの供給元に関税をかけ、エタノール工場の建設に融資保証を提供することとなり、トウモロコシを原料とするアメリカのエタノール生産の80%を占めるADMは、それまで中堅の穀物加工会社だったのに、一気に「世界のスーパーマーケット」と自称するまでの巨大コモディティー企業へと発展。そのせいで世界の食料供給に多大の悪影響を及ぼす

2000年にはアメリカでトウモロコシから抽出されるエタノールの生産量は20億ガロンになり、2006年には新法により1年間40億ガロンの消費が義務化された。アラブの春が中東を呑み込んだ2011年までに、アメリカのエタノール産業は全地球のトウモロコシ生産の1/6を消費する。ADMは現在ではエタノール燃料と縁を切っているが、1商社によって推し進められた政策が世界市場に混乱を引き起こし、コモディティー商社は世界の食料供給のさらに中心を占め、トレーダーたちに途方もない富をもたらした

 

第12章        十億長者(ビリオネア)の製造工場

20年前にマーク・リッチからバイアウトして以来、グレンコア内部には、自分の持株のことを喋ってはならないという暗黙の掟があった

IPOのための目論見書が発表されると、持株のトップはCEOのグラゼンバーグで18.1%、公開時の株価で93億ドルの資産家となり、地球上で最も裕福な100人の1人になる

他にも6人のビリオネアが誕生。上位13人で56.6%を所有、評価額合計は290億ドル

グレンコアのIPOは、コモディティーブームがもたらす富の結実であると同時に、コモディティー商社の存在や活動を世間に知らしめる契機となり、巨大な資金力と影響力を世界中に及ぼすコモディティー商社の存在は、見過ごされずにはすまくなった

IPOは業界の形が変化していることの表れでもあった――情報がより早く、安く、広く入手できるようになり、商社の優位性や強味が失われようとしていた。代わりに商社はグレンコアやカーギルが先駆けとなった道を辿る。資産に投資し、その利益を用いて鉱山やタンカー、倉庫、製粉所などからなる独自のサプライチェーンを作り上げようとした。特に新興国でのインフラ提供に注力、ビトルはアフリカのガソリンスタンド網にも投資

長期資金の調達に使われたのが、自社株の売却や債券発行、大手機関投資家やファンドからの資金も導入したが、その見返りとして自分たちの情報を公開せざるを得ず、それが自らの手足を縛る結果に。グレンコアのIPOも、元々は資産への投資のための長期資金の調達が目的だったのと同時に、直前期間の儲け過ぎが原因で、トップトレーダーたちの退職による彼らの持株買取による資金流出を防ぐ狙いがあった

リーマンショックの時期グレンコアは、商社にとって生命線の信用に疑念が持たれ、さらには、自らの将来に疑いを持ち始めたトレーダーたちが大量に辞めた場合の会社の危機的状況を考え、急速にIPOへの道を進み始める。2009年ファンドから私募転換社債で22億ドルを調達した際の同社の評価額は350億ドル

2011年のIPO時点の評価額は600億ドルとなり、市場からの調達は100億ドルに達した。エクストラータの評価額は670億ドル。IPOを機にグラゼンバーグは両社を合併、評価額ではBHPビリトン、リオティントに次ぐ世界第3位の鉱山会社となり、世界最大のコモディティー商社であり、世界最大級の天然資源生産会社でもあった

IPOは、グレンコアにとって諸刃の剣で、6か月ごとの事業内容開示は世間の詮索の目と規制当局の監視を招く。1997年にOECD諸国が採択した「国際取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約」や2003年の「腐敗の防止に関する国際連合条約」などにより透明性が要求されるようになり、トレーディング業界全体の収益性も暴露された

2015年、中国の成長の鈍化を受けてコモディティー価格が急落した際には、投資家がグレンコア株の下落に賭けたため株価が1日で29%も急落、資産売却や新株発行など手当てせざるを得なくなったのも、上場企業ならではのデメリット

大手の中ではカーギルが最も熱心に上場企業化を回避、カーギル家とマクミラン家による所有を続けていたが、2006年カーギル家の創業者の孫娘が他界すると17.5%の持株の現金化の動きが表面化、傘下の会社の株式と交換することで乗り切るが、カーギルの評価額が535億であることは暴露

 

第13章        権力の商人

ペンシルバニア州の公立学校の教職員の年金基金の規模は500億ドル超で、そのごく一部がグレンコアの投資ビークルの1つに出資していたが、出資金の使い道はイラクのクルド人の独立運動の財政的支援――コモディティー商社が政治に影響を及ぼす手段を持った例

クルド人はイラクからキルクークの油田を奪い、経済的に自立した国を建設するチャンスを得たが、それを手助けしたのがコモディティー商社の経験。フィクサーの中にはトランプの選対委員長になって後に金融詐欺で投獄されたポール・マナフォートの名もある

トラフィギュラは、1000㎞のパイプラインで地中海に運ばれたクルディスタンの石油をイスラエルのパイプラインで紅海に運ぶと、もう跡を辿るのは不可能

2017年、イラク政府はこの石油の差し押さえに走り、ビトルに対しても損害賠償を求めて提訴したが、タンカーは途中で無線を切って幽霊船となり、再度無線が復活した時には積み荷は空。クルド政府は石油を担保に商社に資金援助も要請、多くの商社が同意したが、グレンコアはその資金調達に投資ビークルを活用しリスク分散を図る。その後クルド地域ではISISの撤退で欧米もクルド人と共同する意味がなくなり支援を控えると、イラクが油田を奪回、投資ビークルは破綻しペンシルバニアの教職員の年金支払いに支障をきたす

コモディティー・トレーダーの中には、アメリカのコーク兄弟のように個人の財力を使って政治的な企図を推し進めようとするタイプもいるが、コモディティー取引に関わる動機としては小さく、冷徹なまでに金銭的なものが圧倒的に大きい

大規模金融業者としてのコモディティー商社の役割が増してきた点も、コモディティー取引のビジネス、特に石油取引が変化しつつあることの反映で、製油所や貯蔵タンクなどインフラへの投資を加速させ、その資産の「システム」の中に大量の石油を送り込むことにより、11つは儲けの小さな石油を、膨大な量で補おうとした。金属や穀物でも同様

グレンコアのチャドでの経済支配ほど、商社が国を支配する顕著な例はない。石油資源を担保に巨額の資金を導入したが、原油価格下落とともに債務返済で首が回らなくなり、リスケを続けて商社の軛から逃れられなくなった。ビトルとカザフスタンの関係も同様

プーチンの権力基盤を支えたのもコモディティー商社によってもたらされた資金で、石油資源を国営会社のロスネフチに集約する際、買収資金を頼ったのがグレンコアのグラゼンバーグとビトルのイアン・テイラーで、直ちに100億ドルを用意し、史上最大の石油担保取引を成立させる。2014年のクリミア併合では西側は経済制裁を実施したが、グレンコアはカタール政府と組んでロスネフチ株の一部を110億ドルで買い取り、原油価格低迷で資金繰りが逼迫するロシアを支援、プーチンは窮地を脱する

先物市場の規制の動きはあるが、現物のコモディティー市場はおおむね手つかず。規制当局には法的権限も、政治的支援も、リソースもない。唯一、コモディティー商社のビジネスの中で積極的な規制に対して脆さを見せかねない部分は、比較的少数の銀行に頼って巨額の信用を提供され、そうした現金を米ドルで使えるということに依存していること

 

終 章  不都合な秘密はいくらでも

トラフィギュラの成功は、BNPパリバの提供する資金のお陰。BNP1970年代に石油のスポット取引が始まって以降、コモディティー取引を支える資金調達のトップとして業界全体の活力源となってきたが、2014年米政府によるキューバ、ス-ダン、イランに対する制裁措置に違反したとして窮地に立たされる。BNPは違反を認め90億ドルの支払いに同意、原因となった違法取引に関与していたトラフィギュラとの取引打ち切りを宣言

衝撃だったのは、BNPが米ドルシステムへのアクセスを1年間禁じられたこと。米外交政策に反する行為に対し積極的に訴追していくという米政府の姿勢が明確に打ち出される

その結果、トレーダーたちが世界を飛び回り、腐敗した国や制裁を受けたパーリア国家を相手に取引していた時代の幕引きが告げられた

パーリア国家(Pariah state)とは、国際社会から疎外されている国家。数世紀前までは、疎外された国家の線引きは、宗教的視点などから比較的明確であった。例えば1648年のヴェストファーレン条約以降19世紀まで、オスマン帝国は宗教的な理由で「ヨーロッパ諸国」から除外。

パーリアという言葉はアウトカースト、「疎外された者」を意味するものとして広まった

ドーファンのトラフィギュラは他の取引銀行の出現で生き残ったが、コモディティー商社もアメリカ政府の照準に捉えられ、1つの業界としてのコモディティー先物にも暗雲が

真にグローバルな形で制裁が科されることは滅多になく、贈賄もビジネス上の避けられないコストと見做されていたが、1977年にアメリカで海外取引腐敗行為防止法が可決されると、多くの国で贈収賄に関する法律が強化

アメリカも力による世界制覇に代わって、世界的な金融システムにおける米ドルの力を武器に利用することを思いつく――制裁プログラムはアメリカの外交政策のツールとして盛んに使用される。それが可能なのは米ドルの圧倒的な優位性があったからこそ

さらに「セカンダリーサンクション(二次的制裁)」として、米ドル建てでない取引までも規制の対象とし、アメリカの金融システムへのアクセスを禁じた

コモディティー商社にとってはこれが業界への威嚇射撃となって、次々に商社の親しい取引相手が制裁リストに加えられ、商社そのものも目を付けられる

BNPの一件がグローバルな銀行業界の行動を一変させたように、米当局は国際的なコモディティー商社の行動がどこまで許容できるかの新しい基準を定めようと決めたようだ

2010年代に入ってコモディティー業界の収益性は横ばい。その原因は;

l  中国経済の減速

l  情報の民主化――商社による情報支配の終焉と、情報優位の後退

l  グローバル取引における自由化の逆転――GATT(’47)から中国のWTO加盟(2001)まで、グローバリゼーションが世界の趨勢だったが、反自由貿易を掲げたトランプの出現により市場の分断化が始まり、消費者の生産・流通プロセスへの関心が高まる

l  気候変動――化石燃料への批判の高まりなどだが、新たなビジネスチャンスでもある

l  これまでの成功体験が自らの仇になる――業界の透明性の浸透で、莫大な利益が衆目を集め、生産者が自前のトレーディング体制を築き始める

2020年、新型コロナウィルスに世界中に蔓延するなか、世界経済が大恐慌以来の危機に陥ると、コモディティー・トレーダーたちは素早く行動に移り、市場の買い手として介入

グレンコアは、石油が溢れ出す世界への準備を始める。協調減産は実現しないし、ロシアは減産に絶対反対だと知って、大型タンカーを抑える。石油需要は30%もの減少となり、価格は半分から1/3に暴落するなか、商社は買いまくった。この取引により'20年の最初の6か月でグレンコアは13億ドルを荒稼ぎ、過去最高の利益を出す

各商社のリーダーたちも世代交代が起こり、社会全体から、持続可能性や気候変動、ビジネスを倫理的に行うといった方向に、より強い圧力がかかっている。ジェンダー多様性の問題も状況が変わりつつある

トレーディングの利益は着実に縮小に向かい、商社はインフラ投資などほかの収益源を模索している。逆風は強いが、コモディティー商社は依然として利益を上げている。市場が完全に効率的に動くようにならない限り、その非効率性を利用し、市場から届く価格のシグナルに応じてコモディティーを世界中で動かせば、まだまだ稼ぐことは可能

 

 

 

 

 

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内容紹介

世界のマネー、政治を動かすごく一握りの存在。
秘められた実態を描き切った話題作!
石油、金属、穀物――。世界の資源ビジネスを牛耳り、
政治、権力、マネーをも左右する、謎に包まれたコモディティー商社。
彼らを知らずに、世界の政治・経済の本当の姿を語ることはできない。フィナンシャル・タイムズ紙2021年ベスト・ビジネス書、エコノミスト誌2021年ベストブックスの1冊ウクライナ危機の唯一の勝者ともいわれるエネルギー企業。その最たる存在が世界最大級の資源会社、グレンコアに代表されるコモディティー商社だ。グレンコア、ビトル、トラフィギュラ、カーギル。彼らコモディティー商社の存在なくしては世界の資源・穀物・金融取引、そして、国家運営さえもが成り立たない。そして彼らは、日本経済の生命線を握る石油、石炭、鉄鋼、銅、アルミ、その他金属、穀物など、天然資源、農産物取引を牛耳るグローバル資本主義の最後の冒険者でもある。

内戦下のリビア、コンゴ、クルディスタン、イラク、キューバ、カザフスタン、中国、そしてプーチンのロシア。コモディティー商社のトレーダーたちは現金の詰まったブリーフケースを手に世界を飛び回り、新興国・資源国の権力者に食い込む。脱法行為、賄賂も辞さず、時には紙幣も発行、資源国経済を支配し、西側の制裁・禁輸措置もかいくぐる。こうして、ごくごくひと握りの企業群がグローバル化とスーパー・コモディティー・サイクルの波に乗って巨万の富と巨大なビジネス王朝を築き上げたのだ。

だが、その歴史と実像はほとんど知られてこなかった。石油ショックから、ソ連崩壊と冷戦の終焉、中国台頭、新興国・資源ブーム、デリバティブ取引の拡大、世界金融危機に至る世界の大きな変化に、コモディティー商社はどう商機を見出してきたのか。コモディティー業界を長年徹底取材してきたジャーナリストが、その成功・失敗、驚くべき興亡の物語を、規制強化、グローバル化の減速という逆風の強まり、新型コロナ・パンデミックでの本領発揮、新世代トレーダーの登場も交え、スリラーさながらに描き出した話題の書。

 

 

 

THE WORLD FOR SALE ハビアー・ブラス、ジャック・ファーキー著

巨大資源商社の暗躍と世界

2023114  日本経済新聞

世界で取引される資源の大半は、ほんの数社で取り扱われている。非上場を貫くため身内だけの経営か、もしくは自社株を社員に分配するパートナーシップ構造で運営されており、意外にもその全貌を明らかにした本はこれまでなかった。

「政治は無視し、倫理もおおむねさて措いて、どこへでも行け」「他人の法ではなく自分たちの法でビジネスをする」。彼らはアパルトヘイト下にあった南アフリカや、米国と対立するイランや、戦争中のリビアやチャドでも戦略的に重要な資源があるところにはどこでも顔を出した。そこに勝機があるからだ。冷戦中のソ連も例外ではなかった。

コモディティー商社の基本ビジネスは拍子抜けするほど単純だ。ある時期ある場所で資源を買い、別の時期に別の場所で売り、その過程で利益を得ようとする。そうした役割がなぜ存在するかというと需要と供給が常に一致しないためだ。最大手の石油商社5社は全世界の4分の1にあたる日量2400万バレルの原油とガソリンなど精製品を扱い、最大手の農業商社カーギルほか7社は全世界の穀物と油糧種子の半分弱を商う。金属商社最大手グレンコアは電気自動車の重要な原料となるコバルトの世界供給の3分の1を占めている。これらの創業者一族は、地球上で最も裕福になった。

だが、奪い取って保管するだけが彼らの仕事ではない。相手にされない独裁国に(時には他人の金で)融資をして「銀行」にも「中央銀行」にもなった。破綻を免れたその国は恩義を感じ独占契約を結んだ。今世界を敵に回すプーチン大統領が、コモディティーを扱う新興財閥を「制御」し自らの権力基盤強化に利用した様も描かれる。

コモディティー商社が監視の目から逃れてきた理由や、国連機関や人権団体の多くが集まるスイスが税制上ゆるく贈収賄に関する法律なども近年まで整備されてこなかったこと等も明らかにされている。フィナンシャル・タイムズ紙の「ベスト・ビジネス書」、エコノミスト誌の「ブックオブイヤー」に選ばれたのもうなずける。欲を言えば、中国の中糧集団(COFCO)など台頭する国営商社の動きももっと詳しく知りたかった。とはいえ、コモディティー取引の実態を20年にわたって明らかにした労作であることは疑いない。世界経済の裏側を見せてくれる貴重な一冊である。

《評》一橋大学教授 福富 満久

原題=THE WORLD FOR SALE(松本剛史訳、日本経済新聞出版・3080円)

ブラス氏、ファーキー氏はともに英紙フィナンシャル・タイムズを経て米ブルームバーグのジャーナリスト。

 

 

 

戦争や天災も利用してきた商社の光と闇を映し出す大著 評者・藤好陽太郎

週刊エコノミスト2023124日号掲載

THE WORLD FOR SALE 世界を動かすコモディティー・ビジネスの興亡』

著者 ハビアー・ブラス(ブルームバーグ、オピニオン・コラムニスト) ジャック・ファーキー(ブルームバーグ・ニュース、エネルギー・コモディティー担当シニア記者) 訳者 松本剛史

日経BP 3080

 原油や金属、穀物などを売買する欧米のコモディティー(商品先物取引)商社は、徹底した秘密主義で、長くベールに覆われてきた。商社は、戦争による荒廃や干ばつさえ利用し、利益を極大化してきた。本書は黎明期から現代に至る、商社の光と闇を映し出した名著である。

 評者が新聞社のロンドン勤務時代、日本の最大手商社の欧州代表は「日本の商社は、世界の商社や銀行の情報網の末端にいる」と語った。真の情報は容易に手に入らないという意味だ。対照的に欧米商社のトレーダー(取引仲介者)は分厚い取引先名簿を武器に旧ソ連や中東、アフリカなどを飛び回り、情報の真贋と需給のトレンドを見極め、買いや売りを仕掛けてきた。1981年に世界銀行のエコノミストが「『新興市場(エマージング・マーケット)』という言葉を造語したが、コモディティー商社は(中略)誰よりも先に発見していた」のである。

 例えば、後のスイス石油商社ビトルを創業したイアン・テイラーは、キューバのフィデル・カストロや中東オマーンのスルタンらと親密な関係を構築。石油取引と国家運営を成り立たせた。テイラーは英首相の晩餐会にも出席している。

 中東諸国が油田の国有化などを行うと、欧米の国際石油資本は次第に支配力を失う。代わりに主役に躍り出たのが商社とトレーダーである。

 トレーダーは、旧ソ連に食い込み、崩壊後の無法地帯にも進出した。巨利は危険な場所に潜む。アルミニウム取引で、現スイス資源大手グレンコアのトレーダーが会う予定だった人物は「ホテルの部屋で首吊り死体となって発見」される。金属取引だけで死者は数十人に上り、ロシアの報道機関は「『大祖国アルミニウム戦争』と称した」ほどだ。

 商社は独裁者らと親密になり、賄賂や脱税にも手を染めた。利益が巨大化すると上場を迫られ、ベールははがされつつある。グレンコアは2011年に上場し、10人余のパートナーが保有する株式の評価額が約4兆円に上ることが明かされた。米当局の捜査を受け、225月に贈賄や価格操作で罰金支払いに同意した。

 取引には透明性が求められ、従来のゲームは通用しづらくなったが、それでも商社は世界の原油の3分の1、穀物の半分の取引を担っている。22年上期も穀物価格などの上昇で、多くの商社が過去最高益を記録した。世界の危機は、商社にとってはチャンスと言える。世界は再びガバナンス(統治)の利かない闇に沈みかねない瀬戸際にある。物語は終わらない。

(藤好陽太郎・追手門学院大学教授)

 Javier Blas 『フィナンシャル・タイムズ』紙コモディティーズ・エディターを経て現職。

 Jack Farchy 『フィナンシャル・タイムズ』紙コモディティー担当記者を経て現職。

THE WORLD FOR SALE 世界を動かすコモディティー・ビジネスの興亡』 評者・藤好陽太郎

戦争や干ばつも利用する商社 光と闇を映し出した大著

 

 

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