小さなことばたちの辞書 Pip Williams 2023.5.30.
2023.5.30. 小さなことばたちの辞書
The
Dictionary of Lost Words 2020
著者 Pip Williams ロンドン生まれ。シドニー育ち。オーストラリア・アデレード在住の作家。旅行記事や書評を手がけ、本書が初の長編小説
訳者 最所篤子 英国リーズ大大学院卒。翻訳家
発行日 2022.10.2. 初版第1刷発行
発行所 小学館
『21-03 博士と狂人』参照
オックスフォード大辞典は、男性社会の中で、男目線・基準で語彙が収集され、篩い分けられてきたが、仕事を手伝った女性の目線で、篩い落とされた言葉の中から女性が使うことばと女性について語ることばを集めて独自の辞典を作成する物語。それに女性参政権運動を絡める。エズメという架空の主人公を作って、男性社会への抵抗を描く
文学界からも絶賛続々!
ことばそのもの、ことばによる冒険、ことばのもつ世界を定義する力、さらには世界に挑戦する力を描いた驚異の小説――作家 トマス・キニーリー(『シンドラーズ・リスト』)
きわめて独創的な視点。みごとな人物造形、引き込まれる時代設定。堪能できる語りの魅力。優れた歴史小説の定石を全て踏まえている。女性参政権運動と世界大戦にも触れながらピップ・ウィリアムズが丹念に紡いだ小説によって、一人の忘れがたい女性の肖像が立ち現れる――作家 メリッサ・アシュリー(『The Birdman’s Wife』)
辞書の歴史において、これほど想像力に富み、楽しく、魅力的かつ知的な本はない。この素晴らしい物語が、私の考えをすっかり変えてくれたのだ――作家 サイモン・ウィンチェスター(『博士と狂人 世界最高の辞書 OEDの誕生秘話』)
女性の声を聞いてほしいとかつてないほど切望された時代を舞台に、権力者たちによって歴史がいかに歪められてきたか、このような小説によってそのバランスを取り戻すことがいかに重要かを思い、大きな感動を覚えた――作家 エリザベス・マクニール(『The Doll Factory』)
プロローグ 1886年2月
ことばには重要なものとそれよりも重要でないものとがある。その理由を理解するまでには長い時間がかかった
第1部
1887~1896年 Batten(小割板)―Distrustful(疑い深い)
l 1887年5月
母がいないので5歳のころから辞書編纂に携わる父に連れられて写字室に出入りしていた
l 1888年4月
l 1891年4月
l 1893年8月
l 1896年9月
第2部
1897~1901年 Distrustfully(疑い深く)―Kyx(干し草)
l 1897年8月
l 1898年4月
l 1898年9月
ようやく写字室に机を与えられ、下級助手として仕事に就く
l 1901年8月
「ボンドメイド」=奴隷娘、契約に縛られた召使、はしため
第3部
1902~1907年 Lap(垂下物)―Nywe(新しい)
l 1902年5月
l 1906年5月
市場で言葉を集めている間に女優と知り合いなり、その芝居を見に行って女優の弟を紹介される
「サフレッジ」=参政権
l 1906年6月
「サフラジスト、サフラジェット(女性)、サフラジェンツ(男性)」=婦人参政権論者
女優の弟に女の体のことを教わり、妊娠する
l 1906年12月
エズメは、妊娠など思いもよらなかったが、メイドから悪阻を指摘されて驚く
l 1907年3月
エズメは父の同僚の行かず後家の家で無事女児出産。後家の友人夫婦に女児を里子に出し、友人夫婦はすぐオーストラリアに移住
第4部
1907~1913年 Polygenous(多種の形成物から成る)―Sorrow(悲しみ)
l 1907年9月
ライ・チャイルドLie⊸child=嫡出でない子、庶子
Bastard=婚姻外にもうけられ、生まれた子。非嫡出の、庶出の、未認知の。本物でない、偽物の、まがいの、卑しい、不純な、堕落した
女優の弟を愛していたわけではなく、ただ寝ただけだったが、女児のことは愛していたし、恋しかった。自分が見つけたどんなことばも、「女児」を定義することはできなかった
l 1907年11月
l 1908年11月
女性は物事を誇張する傾向があるので正確さを要求される場には雇用されるべきではない
“Hear, hear”―英国議会庶民院における標準賛意表明の形式。拍手が禁じられているため「人の発言を聞け」という命令法が転じたもの。原型は”hear him, hear him!”
l 1909年5月
ことばは我々が定義するよりも速く変化していくので、辞典が刊行された暁には、またAに戻って変化したことばを集め、穴を埋め始める
市場では当たり前に使われていると教えられた”Cunt”ということばが辞典には入っていない。単語のカードを見ると、マレー博士の字で、「除外。猥語」とだけ書かれていたが、いくつか書かれた意見の中に、「単にそれが俗悪な用いられ方をしているという事実をもって、英語からそれを排除してはならぬ」ともあった。女性器を表わす俗語であり、女性器は卑猥であるという前提に基づいた侮蔑語
除外されたことばのなかから、女性が使うことばと女性について語ることばを集めて「女たちのことばの辞典」を作ろうとする
「ゴシッピアニア(噂の種)」ということばも、最終稿で削除
l 1912年12月
l 1913年1月
l 1913年5月
第5部
1914~1915年 Speech(話す行為)―Sullen(不機嫌な)
l 1914年8月
開戦間近で、写字室からも植字工も軍に志願、辞書編纂の遅れは必至
マレー博士も体調を崩し、作業時間が短縮される
戦争が始まるとともに、Lossを含む用例で「辞典」の1巻を丸ごと埋め尽くせるほどに
“Sorry for your loss”というが、「失くしたってどれのことか聞きたい」 失くしたのは息子だけではなく、母親であることも、孫を持つ希望も失くしたし、家族とのんびり暮らす老後も失くした。毎朝起きるたびにそれまで気付かなかった新しい失くしものを思いつく
エズメに好意を持った植字工が、指輪の代わりに、1年かけてエズメが収集したことばを集めて『女性のことばとその意味』という本を作ってくれた
l 1915年5月
植字工は士官訓練課程に志願し、戻ってきたところでエズメと結婚するが、そのまま兵役に就き、エズメは時間と気を紛らわすために病院で傷病兵の看護の仕事に就く
すべてに意味を与えるのは文脈
l 1915年7月
補遺の出版前の編集作業のなか、Tが終わりかけたところでマレー博士が死去
エスペラント語療法が、精神を病んだ戦傷者に一定の効果をもたらす――トラウマにうなされたとき、「セクラ(大丈夫)」と耳元で囁きながら抱きしめると落ち着きを取り戻す
戦争に行くには年寄すぎる男が戦争の悲哀を配達する役目を負わされ、植字工の戦死を伝える
植字工の上司が、植字工が残していった『女性のことばとその意味』の版を探し出して2部増刷してくれる。紙不足のため2部で打ち切りとなるが、3部目はオックスフォード大学出版局図書室に収蔵
エズメは、これまで女性が入ることを拒んできた図書館に行って、『女性のことばとその意味』を収蔵するよう頼むが、「学術的重要性がない」として拒絶される
第6部
1928年 Wise(やり方、~風)―Wyzen(気管)
l 1928年11月
この年の7月、エズメは交通事故死。エズメのメンターだったいかず後家が、エズメの死を養女に伝え、養女になった経緯やエズメの生涯について知らせるとともに、エズメが密かにため込んでいた葬られた言葉のカードが詰まったトランクを養女に送り届ける。トランクの裏側には、エズメが幼いころ書いた「迷子のことば辞典」の文字が躍る
養女は、辞典の権威に初めて疑問を抱く。これまで”マザー”という語を調べる理由がなかった。たった今まで私は、英語を話す全ての人は、教育の程度に関わらず、そのことばの意味を、使い方を、そのことばを誰に当てはめるべきかを知っているものと思い込んでいた。でも今、私は迷っている。意味は、関係性によって変化するものになってしまった
この年、『オックスフォード大辞典』の完成を記念する晩餐会がゴールドスミス・ホールで開催され、マレー博士の令嬢たちや関係者がバルコニーでボールドウィン首相の祝辞を聞いたが、配られた式次第には晩餐会のメニューまで載っていたが、出席したのは男性のみ
1857年 サミュエル・ジョンソンの『英語辞典』の後継の辞典として新しい英語辞典の編纂開始1888年 当初『歴史的原理に基づく新英語辞典』と名付けられた12巻のうちの第1巻『A AND B』刊行。1928年 第12巻『V-Z』刊行
エピローグ 1989年 アデレード
養女は長じて辞書編纂者となり、アデレード大学名誉教授で、オーストラリア勲章を受章。OEDの第2版画、初版及びその補遺のすべてを合わせ、さらに5000語とその語釈が追加され発行されたのを記念して辞書学会で講演。タイトルは「迷子のことば辞典」で、エズメが使っていた紙のカードを取り出す。「ボンドメイド」と書かれ、「一時、この美しく不穏なことばの持ち主は、私の母でした」
著者あとがき
この作品は、2つの素朴な疑問をきっかけに生まれた。男性と女性では、ことばの意味に違いがあるのだろうか? もしあるとしたら、ことばを定義する過程で、何かが失われることはないのだろうか?
『博士と狂人』を読んで、辞典が実に男性中心の事業だったことに驚きを覚えた。編集主幹から協力者、そしてことばの用法の根拠として使用された文献、手引書、新聞記事なども、多くが男性によって書かれたもの
マレー博士夫人は11人の子どもたちを育て、家庭を切り盛りし、同時に編集主幹である夫を支えた。いかず後家のトンプソン姉妹は、「A&B」だけに限っても2人で15000もの用例を提供し、最後のことばが出版されるまで用例を送り続け、編纂を補佐。マレー博士の3人の娘たちも写字室で働き、父を助けた。女性を代表する存在がないことは、OEDの初版には、男性の経験や感性を優先した偏りがある。それも初老の、白人の、ヴィクトリア朝の男性である
この小説は、言語を定義する手法が、私たちをどう定義する可能性があるのかを理解しようとした、私なりの試み。私たちが自分のことばの理解を問い直したくなるような情景を描き、感情を表現しようと努めた。エズメをことばの中に置くことによって、ことばが彼女にもたらした、そして彼女がことばにもたらしたかもしれない影響を想像することが可能になった。OED編纂の歴史がイングランドにおける女性参政権運動と第1次世界大戦をも内包していることにも気づく
OEDの初版が、ジェンダーによる偏見に基づいた欠陥のあるテクストであることを強く意識したが、手がけたのがマレーであったからこそ、その欠陥とジェンダーバイアスは多分に軽減されたと言えるかもしれない。辞典がヴィクトリア朝時代の事業でありながら、1884年の『A-Ant(蟻)』以来、巻を追うごとに英語を話すすべての人々を表象する方向へと僅かづつ向かっていたという認識を持つ。現在時点は大々的な改訂作業が進めら、最新の語釈と追加に留まらず、歴史や史料の理解を深め、過去のことばの用法の見直しも行われることになっている。辞典は、英語という言語と同じく、進化の途上にある
謝辞
l Acknowledgement=承認、告白、認容、事実と認める行為、自白、公言
物語は著者の創作だが、多くの真実が詰まっている
l Edit=(初期の著作家による文芸作品で、かつて手稿で存在していたものを)出版し、世に出す
l Mentor=経験豊かで、信頼のおける相談相手
l Encourage=何らかの企てに必要な勇気を鼓舞すること。勇気づける。自信を与える
l Support=補助、承認または遵守によって、(人や共同体の)立場を強化する。味方する。支援する
l Fellowship=友情によって連帯する。他者と、または他者に繋がる、あるいは結びつく。仲間になる
l Accommodate=適応させる。合わせる。融通する。調整する
l Aid=ある動作を行う際に与えられる補助。役に立つもの。援助の手段や物資
2019年オーストラリアの助成金を受ける
l Love=(魅力的な性質の認知、自然的な関係性による本能ないし同情に起因して)対象の幸福に対する配慮、および通常は彼の存在に対する喜びおよび彼の承認に対する希求という形でも表出する、感情の傾向ないし状態。温かい思慕の情。慕わしさ
l Respect=敬意、尊重、尊敬をもって扱う、または見る。尊敬を感じる、または示す
訳者あとがき
「英語のすべてを記録する」という壮大な目標を掲げたOEDの編纂事業の過程で、辞典に採録されなかったことばを拾い集め、記録したエズメという架空の女性の人生を描いた物語。本国オーストラリアでベストセラーになっただけでなく、歴史小説を対象とした英国の権威あるウォルター・スコット賞の最終候補に選ばれる
OEDは、極めて男性中心の事業。編纂チームが男性ばかりだった上、編集方針により収録語を文字に書かれたことばに限ったため。出典となった文献の書き手は、9割方が男性と考えられ、結果OEDの初版は男性によることばの理解に偏向していると著者は想像
著者は、その仮説を歴史フィクションという形に表す
「ボンドメイド」がOEDの初版から抜け落ちていることを知り、当初の「契約に縛られ死ぬまで主人に仕える召使」という語義が、新たな意味を獲得していく様子を追う。「社会の制約に縛られる女性」と読み替えると、進化のあるべき理想を示唆しているようにも思える
「カント」も女性の性器を指す俗語で、卑猥という理由ではじかれるが、男性の視点から性行為の同義語として扱われてきた結果であり、こうした女性を巡ることばについて、本作は改めて考えるきっかけを与えてくれる
写字室における粛々とした編纂作業と、ヴィクトリア朝に生きる女性のリアルという、一見かけ離れたテーマをエズメによって見事にまとめ上げる。エズメが初潮を迎え、月経について聞いても明確な答えをもらえず、辞典のカードを調べても学術的、あるいは女性差別的な語義しか見つからないという場面は白眉。この時代、英国女性は十分な教育が受けられず、自らの体の機能を知らず、避妊の知識もなく、婚外で妊娠すれば危険を冒して非合法の堕胎手術を受けるか生まれた子を養子に出すしかなかった。この状況は今も変わっていないことに気が付いてほしい
社会の周縁にいる人々のことばを集めるというエズメの包摂的な姿勢の背景には、作家が文字の認識が難しい失読症を抱えていることが影響しているかもしれないが、一方で失読症の人は物語を作る能力に長けているとも言われ、アガサ・クリスティもその傾向がある
(追記) 「サフラジェット」は、「参政権」の意の「サフレッジ」に、「小さい、取るに足らない」という意の「-ette」という接尾辞をつけ、侮蔑語として生まれた。それを女性活動家たちが誇りをもって自ら名乗った経緯がある。邦題『小さなことばたちの辞書』と呼応している
(書評)『小さなことばたちの辞書』 ピップ・ウィリアムズ〈著〉
2022年12月17日 5時00分 朝日
■「余計者」にこそ宿る人生の機微
OED(オックスフォード英語辞典)は、イギリスを歴史的に調査する研究者には不可欠の商売道具だ。単に語義が分かるだけではない。この辞典は、収録語の語義ごとに、初出例にまで遡って用例を収録し、言葉の歴史的変遷を伝える。
その編纂は、『博士と狂人』にも描かれたように、巨大事業だった。初版分冊の公刊は1884年に始まり1928年まで続いた。
この小説は、こうした史実や実在の人物をもとに、架空の人物である編纂助手のエズメを主人公にして、物語を紡いでいく。同時代の第1波フェミニズムや第1次世界大戦も、この歴史小説の重要な舞台となる。
なにより問うのは、男女間の不平等や性差別だ。
OED編纂には女性も関わったが、正規編纂者は男性に限られた。どの語や意味を収録するかを選び、言葉を定義したのも男性だ。「学術的重要性」を理由に、書籍に用例が残る語だけが収録対象とされ、話し言葉や猥雑語は除外された。
編纂者の父に連れられて幼少期から作業室に通ったエズメは、「余計」とされたそうした言葉を慈しむ。彼女自身も、自分が「余計者」ではないかと不安や孤独感に苛まれている。彼女は、「余計」かどうかを裁くのではなく、忘れずに後世に伝えるため、庶民や女性が使う言葉を集めていく。
いくつもの喪失によって心に傷を負いながらも、成長して人生を切り開いていく主人公。彼女の歩みを物語るなかで、社会の歪みや矛盾を浮きぼりにする手法が巧みだ。ともすれば、頭でっかちな小説になりがちなテーマだが、ときに過ちも犯す等身大の主人公の設定が、テンポよいストーリーテリングとともに、物語に大きな魅力を与えている。
辞書と現実のずれに敏感なこの作者は、言葉では語り尽くせない感情の機微もうまく掬いあげている。優しさが溢れる本だ。原著がベストセラーとなったのも分かる。年末年始の一冊としてお薦めしたい。
評・犬塚元(法政大学教授・政治思想史)
*
『小さなことばたちの辞書』 ピップ・ウィリアムズ〈著〉 最所篤子訳 小学館 3300円 電子版あり
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Pip
Williams オーストラリア・アデレード在住の作家。旅行記事や書評を手がけ、本書が初の長編小説。
Wikipedia
『オックスフォード英語辞典』(オックスフォードえいごじてん、英: Oxford English Dictionary) は、オックスフォード大学出版局が刊行する記述的英語辞典である[2]。略称はOED。『オックスフォード英語大辞典』とも呼ばれる。世界中の多様な英語の用法を記述するだけでなく、英語の歴史的発展をも辿っており、学者や学術研究者に対して包括的な情報源を提供している[3][4]。
概要[編集]
2015年現在の最新版である第2版 (1989年刊行) は本体20巻 (累計21,730頁) と補遺3巻 (累計1,022頁) から構成され、主要な見出し語数は291,500、定義または図説のある小見出し語やその他の項目を含めると615,100。そのうち発音を記載した項目は139,900、語源を記載した項目は219,800、用例の引用を記載した項目は2,436,600である[5]。ボランティア方式により、多くの用法、意味などの収集に成功した。
この辞典は古今東西の英語の文献に現れたすべての語彙について、語形とその変化・語源・文献初出年代・文献上の用例の列挙・厳密な語義区分とその変化に関する最も包括的な記述を行うことをその特長とする。ギネス・ワールド・レコーズによれば、約600,000語を収録するオックスフォード英語辞典は世界で最も包括的な単一の言語による辞書刊行物である[6]。
Open
Directory Projectは、World Wide Web上のウェブディレクトリの分野で、この方法を踏襲している。
編纂・発行史[編集]
1857年、言語学協会によって編纂が開始される[7](pp103–4,112)。
1884年、未製本の分冊版が発行され始める。それ以降も A New English Dictionary on Historical
Principles; Founded Mainly on the Materials Collected by The Philological
Society (NED) の名の下に編纂事業は継続された[8](p169)。
1895年、The Oxford English Dictionary (OED) の表題が最初に使用された合冊版が非公式に発行される[9]。
1928年、全10巻に製本された完全版が再発行される。
1933年、12冊の分冊と1冊の補遺版として増刷された際、辞典の表題がすべてThe Oxford English Dictionary (OED) に置き換えられる[9]。以後も第2版刊行まで補遺を重ねた[9]。
1989年、全20巻から成る第2版が刊行される。
2000年、オンライン版が利用可能となる。2014年4月時点で、一か月に200万件を超えるアクセス数があった。
同年、第3版の編纂が開始される。2014年現在までに全工程のおよそ3分の1が完了している。第3版はおそらく電子媒体でのみ発行されるとみられている。オックスフォード大学出版局の最高経営責任者であるナイジェル・ポートウッドは、書籍印刷版について「たぶん出版されないだろう」と述べている[10][11]。
歴史的性格[編集]
歴史的な辞書としてOEDは、単に単語の現在の用法を示すのではなく、むしろそれらの歴史的発展を示すことにより、単語を説明している[12]。それゆえに、すでに使われなくなった単語の意味も含めて、単語の意味の使われ始めた順に定義を示している。各定義は多くの短い用例や引用とともに示されている。個別にみると、最初の引用は、編集者らが知っている中で、その単語に関する最初に記録された例を示している。現在の用法にはない単語や意味の実例においては、最後の引用が、最後に知られ記録された用法であることを示している。これにより、読者は現在使われている特定の単語のおおよその時代的感覚を知ることができる。そして、追加的な引用により、辞書編集者が提供できるどんな説明よりも、その単語が文脈の中でどのように使われているかについての情報を読者が確かめることを助けている。
OEDの項目の形式は、他の多くの辞書編集事業に影響を与えた。グリム兄弟の『Deutsches Wörterbuch(英語版)』の初期の巻のようなOEDに対する先駆者は、当初限られた数の情報源からしか引用を提供していなかった。OEDの編集者らが、広範な作家や出版物などの選集からのかなり短い引用のより大きなグループを好んで選んだことは、『Deutsches Wörterbuch』の後の巻や他の辞書編集法に影響を与えた[13]。
項目数と相対的大きさ[編集]
出版者らによれば、OED第2版の解説本文を含めた5900万に及ぶ単語を一人の人間がすべてキー入力するのには120年、さらに校正するのに60年かかるという。また、電子データ化して保存しようとすると540メガバイトの容量が必要になる[14]。2005年11月30日時点で、オックスフォード英語辞典には、約301,100の主項目が収録されている。これらを補う形で、さらに157,000の太字で示された複合語や派生語[注 1]、169,000の斜字体で示された句や複合語[16]、 全部で616,500の語形、137,000の発音、249,300の語源、577,000の相互参照(クロスリファレンス)、および2,412,400の語法・引用が記されている。OEDの最新かつ完全な印刷版である第2版(1989年発行)は、全20巻で印刷され、21,730ページに291,500の項目から構成されている。OED第2版で最も記述部の長い項目は、動詞としてのsetで、430の意味を記述するのに60,000語を要している。OED第3版に向けて、各項目はMから順に改訂され始めたことで、最も多くの紙面を要する項目(単語)は変遷しており、2000年にはmakeに、2007年にはputに、そして2011年にはrunになった[17][18][19]
その印象的なサイズにもかかわらず、OEDは世界最大の辞典でも世界で最も早くに網羅的に作られた言語の辞典でもない。OEDと似たような目的をもつオランダの『Woordenboek der Nederlandsche
Taal(英語版)』が世界最大で、完成するのにOEDの2倍以上の時間がかかっている。このほかの初期の大型辞典は、グリム兄弟の『Deutsches Wörterbuch』で、1838年に編纂が始まり、1961年に完成した。近代のヨーロッパ言語に捧げられた最初の大辞典である『Vocabolario della Crusca(イタリア語版)』の初版は、1612年に発行された。『Dictionnaire de l'Académie
française』の初版は1694年にまで遡る。スペイン語の公式辞典『Diccionario de la lengua
española(英語版)』(レアル・アカデミア・エスパニョーラにより企画・編集・出版された)の初版は、1780年に出版されている。中国語の康熙字典は1716年に刊行されている[20]。
他のオックスフォード英語辞書との関係[編集]
OEDの実用性と歴史的辞書としての名声は、その全てがOED自体と直接の関係にある訳ではないにせよ、多くの成果となる事業や他の「オックスフォード」と冠する辞書の数々を生み出した。
元々は1902年に始まり、1933年に完成した[21]『The Shorter
Oxford English Dictionary』は、OEDの完成品の簡約版であり、歴史的視点を保っているが、シェイクスピア、ミルトン、スペンサー、欽定訳聖書により用いられた単語を除いては、1700年以前に廃れた単語は全く含まれていない[22]。完全な新版はOED第2版から作られ、1993年に出版された[23]ほか、さらなる改訂版がこれを追うように2002年と2007年に刊行された。
『The Concise
Oxford Dictionary』は、これとは異なる作品で、その目的は現代英語のみをカバーすることにあり、歴史的視点は取り入れていない。そのほとんどがOED第1版を基に編まれた初版は、フランシス・ジョージ・ファウラー(英語版)とヘンリー・ワトソン・ファウラー(英語版)により編集され、主な作品が完成する前の1911年に出版された[24]。いくつかの改訂版は、20世紀を通して発行され、英語の語法の変化に応じて、更新され続けている。
1998年、『新オックスフォード英英辞典』 (NODE) が出版された。NODEは現代英語をカバーする目的なのだが、OEDに基づかない編集作業が行われた。その代りに、コーパス言語学の助けを借りた全く新しい英語辞典として生み出された[25]。NODEが出版されると、これに似た全く新しい『Concise Oxford Dictionary』が追従し、今度はOEDよりもむしろNODEの簡略版に基づいた辞典となった。NODEは(Oxford Dictionary of English; ODEという新しい表題の下)、『New Oxford American Dictionary』を含めて、現在は学問的な歴史的辞書の基礎としてのみ供されるOEDとともに、オックスフォードの現代英語辞書の生産ラインにとって主要な源泉であり続けている。
綴り[編集]
詳細は「オクスフォード式綴り」を参照
OEDは、見出し語を(labor, centerなどの)異なる綴りとともに、英国式綴りで表記している(例: labour, centre)。接尾辞については、イギリス英語では、より一般的に-iseと綴られるが、オックスフォード大学出版局の方針では、-izeと綴るよう、指示されている。例えば、realizeとrealise、globalizationとglobalisationなどである。その理論的根拠は、語源学的にこの英語の接尾辞は主にギリシャ語の接尾辞である-ιζειν, (-izein)、またはラテン語の-izāreから派生している点にある[26]。-zeも時折アメリカニズムとして扱われるが、-zeの接尾辞がその単語の本来属していなかったところへ紛れ込んだ限りで、イギリス英語ではanalyse、そしてアメリカ英語ではanalyzeと、それぞれ綴られる[27][28]。
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