遥かなるケンブリッジ  藤原正彦  2023.4.20.

 2023.4.20. 遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス

 

著者 藤原正彦

 

発行日          1991.10. 単行本  1994.7.1. 文庫発行  2006.5.15. 13

発行所           新潮社 (新潮文庫)

 

 

第1章        ケンブリッジ到着

1987年文部省の長期在外研究員として1年間ケンブリッジ大学へ、家族帯同で赴任

ケンブリッジは、数論において世界の一大中心地

アメリカ英語はバカにされるだけでなく、イギリス英語の半分も理解できない

アメリカ人は英文学を読むが、イギリス人は米文学を読まない

 

第2章        ミルフォード通り17番地

間口5m、奥行き20m、延床50坪のタウンハウス

イギリス人のフェアーぶりは年季が入っている。元々中世の騎士道から発達した紳士道の見本は、イタリアやフランスだった。特にフランス貴族の、優雅な作法や洗練された物腰、ギリシャ、ラテンの古典語教養などが、紳士の規範となっていたが、18世紀になって、イギリスの国力がフランスに並び、凌ぐようになると、紳士養成機関となっていたパブリック・スクールを中心に、イギリス独自のものを作ろうという機運が盛り上がり、田舎紳士のスノバリーから脱却し、イギリス紳士のあるべき姿を求めようとした。そこでは、古典語や数学で代表される伝統的教養を教えるだけでなく、スポーツを振興し、スポーツマンシップや忍耐、フェアー精神を鼓吹した。フェアー精神がイギリスにおいて破格の重要性を持つに至った源は、ここに遡る

フェアーとは感情移入のある言葉で、フェアーであることを、イギリス人は絶対的なことと考え、アメリカ人は重要なことと考え、ヨーロッパ人は重要なことの1つと考え、日本人は好ましいことと考える

 

第3章        研究開始

1419世紀まで、イギリスには最上層の貴族(爵位保持者)と中間層ヨーマンの間にジェントリーと呼ばれる準貴族ともいうべき社会集団があり、ジェントリーはさらに4分され、バロネット、ナイト、エスクワイア、ジェントルマンで、上位2つにはサーの尊称が付され、下位2つにはミスターが付けられる。ジェントリーがのちにジェントルマンを形成するが、主たる生活基盤を土地所有に置き、貴族とともに地主階級を構成

 

第4章        ケンブリッジの11

ロイヤルインスティテューション(王立研究所)1799設立、ファラデーの始めた青少年のためのクリスマス講義や一般向けの金曜講義は有名。ファラデー著の『ローソクの科学』はこのクリスマス講義の1つを本にしたもの。ノーベル賞受賞者が21人もいる

 

第5章        オックスフォードとケンブリッジ

ケンブリッジは約30のカレッジの総称。全教官と全学生はいずれかのカレッジに所属。大学が研究や講義、学年末試験などを総括し、カレッジが大学生活に関わるその他全てを請け負うという相補的な関係。大学は国立だがカレッジは私立

カレッジの教官はフェローと呼ばれ、1882年までは独身と決まっていて、特別のコネがないと簡単にはフェローになれない

 

第6章        次男が学校でなぐられる

第7章        レイシズム

多民族国家のアメリカでは、レイシズムの野放しは国家の瓦解を意味するから、子どもの頃から徹底して教育が施され、誰しも人種偏見を心の奥底に持ちながら、自分の最も恥ずべき部分として絶対に露出してはならないものと思っているが、イギリスではマナー違反ほどのものと捉えられている

 

第8章        学校に乗り込む

第9章        家族

第10章     クイーンズ・カレッジと学生達

クイーンズ・カレッジで7人の数学専攻のスーパーヴィジョンを頼まれる

Page-three-girlとは、タブロイド紙の3ページを飾る女性ヌードのこと。1面では紳士が買いにくいし、裏表紙では人前でかざして読みにくい。表紙をめくって2ページ目に目を向けながら横目で覗くことから出た表現で、紳士の奥床しさととるか、偽善ととるか

 

第11章     数学教室の紳士達

アメリカの学界を支配する「publish or perish」で代表される競争原理は、世界中から俊秀を集め、アメリカを学会のリーダーに押し上げ、戦後の学問発展のために最も効率的であったのは否めないが、イギリス的な紳士の業としての数学研究がアメリカ的な競争社会に変貌するかどうかは興味深い

 

第12章     イギリスとイギリス人

イギリス人は冷たくない、と感ずるには時間が少々かかる。「結局は同じ人間」という事実の確認に手間がかかる

イギリス文化は、土着のケルト文化を包含したアングロサクソン文化と、ノルマン・コンクェストの頃から入り始め、ルネサンス期に頂点に達したラテン文化との結合

アングロサクソンはゲルマン民族であり、その特徴は長く暗い冬を体現した文化で、ドイツ人気質を最も完全に表すと言われる『ニーベルンゲンの歌』に見られるような過酷な宿命間の文化であり、辛い運命の重みにじっと耐える文化

一方のラテンは、地中海地方の明るい陽光を体現した、陽気で楽観的な文化

この2つの潮流がぶつかって成立したのが英語で、ゲルマン語の一種だった古英語に、仏伊などのロマンス語が大量に混入したもの。ゲルマン系の単語は庶民の用いる口語に多く、ラテン系の単語は中上流階級の使う文語に多い。この2種類の語彙の使い分けの名人がシェークスピアで、これらを結合させるものがユーモア

ユーモアの複雑多岐な形を貫いて1つ共通することは、「いったん自らを状況の外へ置く」という姿勢で、「対象にのめり込まず距離を置く」という余裕がユーモアの源

真のユーモアは単なる滑稽感覚とは異なる。人生の不条理や悲哀を鋭く嗅ぎ取りながらも、それを「淀みに浮かぶ泡沫」と突き放し、笑い飛ばすことで、陰気な悲観主義に沈むのを斥けようというもので、究極的には無常観に通ずる

この距離感覚、あるいはその誇張された表現としてのユーモアこそ、イギリス人を特徴づけるもの。イギリス人の大部分は、一応キリスト教徒だが、無宗教に近いのも宗教に対する距離感覚の表れだし、イギリス政治の一貫した特色である現実主義も、理念とかイデオロギーに対する距離感覚といえる。イギリス人は競争のことをラットレースといって、競争に距離を置く。自ら築いた財産は金銭への執着の証拠であり見下されるし、皆で目的に向かって一致協力するというのも不得手で、個人の創造的努力こそ最もよく全体に貢献すると考えるので、ノーベル賞の大量受賞にも繋がる

 

 

(解説) 永遠の相の下に  南木佳士(1994年春、作家・内科医)

南木 佳士(なぎ けいし、本名:霜田 哲夫、1951昭和26年)1013 - )は、日本小説家医師。既婚。群馬県吾妻郡嬬恋村出身。都立国立高秋田大学医学部医学科を卒業後、佐久総合病院。勤務代表作は芥川賞受賞作『ダイヤモンドダスト』(1988)、『阿弥陀堂だより(1995)。自身のうつ病の経験から、生と死をテーマにした作品が多い。

藤原の本を最初に読んだのは『若き数学者のアメリカ』。それから14年経って本書を読む

海外に出た経験のある人なら誰でも抱いたことがあるはずの複雑な愛国感情が明確に表現されている。超エリートの生活がこれほどまでに身近に感じられるのは、著者の視線がすべての事象を永遠の相の下に見る、あるいは悠久の時の流れを背景として捉える視線だからで、少なくとも優れた文章を書く人には不可欠な物の見方を自然に実行している

今日の日本における第一級の文章家であることは確か

 

 

 

 

 

 

文藝春秋 20235月号

「運命の一冊に出会うために」(一部抜粋)

 対談 藤原 正彦 作家・数学者、  真理子 作家

ケンブリッジで唱えた島崎藤村

 藤原 私みたいに自信過剰な人間でも、ノーベル賞やフィールズ賞受賞者が闊歩するケンブリッジにいたときは、西欧の知性というものに圧倒されそうになることもありました。そういう時は心の中で島崎藤村の「千曲川旅情の歌」を唱えるんです。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず」って。「歌哀し佐久の草笛」とおしまいの方までくると、「俺はこの佐久の草笛を聞きながら美しい信州の自然の中で育ったんだ。お前たちにはそんな情緒はあるまい」とつぶやき、胸を張れるんです。

 30歳手前でアメリカに留学したときには、みかん箱いっぱいの数学書に加え、詩集を3冊だけ持って行きました。萩原朔太郎に室生犀星、中原中也。この3人の詩集を読むと、翌日からまた阿修羅のごとく研究に取り組む自信が湧いてくるのです。

 林 そういうものですか。

 藤原 そうですよ。子どもの頃に名文に触れ、理解する前に暗唱してしまうくらい読み込んでいると、のちにものすごい力になりますから。

 林 私、高校の放送部で名作の朗読もしたのですが、井伏鱒二の『山椒魚』は今も暗唱できるくらいしっかり覚えています。そういうリズムを身体に沁み込ませることが大事なのですね。いま『平家物語』の超訳をしていますが、原文を声に出して読むと、意味のわからない部分もありつつ、やはり美しいと感じる。

 藤原 そうでしょう。吉川英治の『新・平家物語』(講談社吉川英治歴史時代文庫)16巻をうちの女房はコロナ禍に完読してしまいました。

 林 面白すぎるくらい面白いですもの。天才です。天才といえば、私、三島由紀夫は大好きだけどあまり読みません。

 藤原 なぜですか?

 林 『春の雪』(新潮文庫)は子供の時にも読みましたが、作家になって読むと、比喩の美しさと計算し尽くされた文章にやられてしまって。劣等感に駆られるからもう読まないことにしているんです。と言いつつ、今日は全集のその巻を持ってきたのですが(笑)。

 藤原 まったく、三島の才能には気圧されますね。私も同じです。

 最近、大学生の2人に1人は月に1冊も本を読まないと問題になりましたが、昨年の7月に日本大学の理事長になられてから、学生に読書を促したりなさっているのですか?

 林 そんなこと言っても「ウザい」って嫌われるだけです(笑)。これまでいくつの「読書推進なんとか」に入っていたことか。でも、たとえば幼い頃から本に囲まれていると自然と手を伸ばす子になる、というのが間違いだということはわが家の娘で実証されましたし……(小声)。

犬の散歩で出会った少女

 藤原 私は、通信簿の国語の欄に「読書」という項目を増やしてほしいとずっと言っています。もちろん子どもが自発的に本を読むのが一番ですけど、それが難しい以上、もはや学校や親がプレッシャーをかけるしかない。

 林 そういえば以前、こんなことがありました。私、毎朝犬の散歩をしていたのですが、毎日黄色い帽子をかぶってランドセルを背負ったかわいい女の子とすれ違っていました。どうして覚えていたかというと、その子はいつも本を読みながら歩いていたんです。それで感心、感心と思って、私も『秘密のスイーツ』という児童書を書いていますから、それと一緒に「おばさんは実は本を書いている人なんだよ。この本読んでみてね」と手紙を書いて。びっくりした顔をしていたけど受け取ってくれました。

 藤原 へえ、そんなことが。

 林 しかも後日、お母様がお返事をくださった。「いつもかわいい犬を連れた人とすれ違うとは聞いていたのですが、林真理子さんだったのですね。娘に本を贈ってくださりありがとうございました」って。ここまではいい話ですよね。

 藤原 そうですね。

 林 そうしたら、いつの間にか中学生になったその子はスマホを見ながら歩くようになりました。おまけに明らかに私のことを避けるんですよ(笑)。

 藤原 あらら。

 林 悲しかったなあ。

 藤原 小中学生からはスマホを取り上げるくらいの荒療治をしてもいいのではないかと常々思っているのですけどね。スマホによって読書の機会が奪われるとしたら人生の一大損失ですよ。

 林 若くてまだ咀嚼力のあるうちに挑戦する本ってありますからね。私が思い出すのは、『戦争と平和』(トルストイ、新潮文庫ほか)、『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー、同)、『チボー家の人々』(マルタン・デュ・ガール、白水Uブックス)。全巻買っては挫折して、また暇ができたら読もうと思ってはまた挫折しての繰り返しです。

本は次の世代に、本棚は財産に

 藤原 私も、大学で「チボー家のジャックが……」とか言い始めたやつがいたから急いで13冊まとめて買ったのだけど……

 林 もしかして。

 藤原 そう、まだ読んでないの。もう五十何年も前ですよ。今でも本棚に飾ってあって、読もう読もうと何度も決心するのだけどそのまんま。本棚の前を通るたびに劣等感に襲われますね。

 林 わかります(笑)。老後は、晴耕はしないまでも雨読の生活が待っているだろうといろいろ本を揃えているのですが……。理想の老後がやってくるのはまだ先になりそうです。

 藤原 昔、イギリスの作家が言っていましたよ。「著者は図書館に行って半分の本をひっくり返す。ところが、読者はソファに寝転がってそれを満喫できる。作家ほど大変な性分はない。読者ほど得な性分はない」と。ものを書くようになると読まなくてはいけない本ばかりで、読みたい本は読めないですよね。本当に悔しいけれども。

『遥かなるケンブリッジ』を書く時には、イギリスの歴史から始まって、中上流階級の暮らしや向こうのユーモアを知ろうとデイヴィッド・ロッジやイーヴリン・ウォーを原書で読んだりもしました。100冊くらい読んだかな。そうこうしているうちに『チボー家』なんてどんどん遠くなってしまった……(笑)。

 林 でも、きっとお孫さんが読まれますよ。

 藤原 そうですね。当時は買えなかった『少年少女世界文学全集』も、ある時散歩中にガレージセールで全巻揃いで3000円で売っているのを見つけ、思わず買ってしまいました。これもしっかり本棚に収めています。

 林 やはり本は次の世代、またその次の世代へと伝わっていきます。本棚というのは、その家の財産ですから。

 藤原 僕の本棚が次の世代に行く前に“50年分の劣等感を吹き飛ばすことができますように。

 

 

Wikipedia

藤原 正彦(ふじわら まさひこ、昭和18年(194379 - )は、日本数学者お茶の水女子大学名誉教授。専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストしても知られる。

妻は、お茶の水女子大学発達心理学を専攻し、ウンセラー、心理学講師そして翻訳家として活動する藤原美子気象学者藤原咲平は大伯父(父方祖父の兄)、美容家メイ牛山は遠縁(父方祖父の姉の子の妻)に当たる。

略歴[編集]

戦後いずれも作家となった新田次郎藤原てい夫妻の次男として、満州国の首都新京に生まれる。ソ連軍の満州国侵攻に伴い汽車で新京を脱出したが、朝鮮半島北部で汽車が停車したため、日本への帰還の北朝鮮から福岡市までの残り区間は母と子3人(兄、本人、妹)による1年以上のソ連軍からの苦難の逃避行となった。母・藤原ていのベストセラー『流れる星は生きている』の中でも活写されたこの経験は、本人のエッセイの中でも様々な形で繰り返し言及されており、老いた母を伴っての満州再訪記が『祖国とは国語』(2003年)に収録されている。

小学生の一時期、長野県諏訪市にある祖母宅に1人移り住む。このときの自然体験は、後に自身の美意識の土台となっている。このころ図工の先生であった安野光雅から絵と、数学の面白さも教わる。

アメリカ留学記『若き数学者のアメリカ』(1977年)が話題となり、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。以後エッセイストとして活動。身辺雑記からイギリス滞在記や科学エッセイ、数学者の評伝に至るまで対象は広い。『父の旅 私の旅』(1987年)は、亡父・新田次郎の絶筆となった未完の小説『孤愁 サウダーデ』の主人公モラエスの故郷であるポルトガルを、一人レンタカーを駆って一周する紀行文である。これは、先年亡くなった亡父が、その取材旅行で訪れた時に残した詳細なメモ等を元に、同じコースを辿り、同じ人に会おうとしたものである。その中で、ポルトガル人にとっての「サウダーデ」の意味を問い続け、自らにとっての「サウダーデ(郷愁)」を求めようとするものでもある。2012年には正彦が執筆した『孤愁 サウダーデ』の続編を併せた小説が出版された。

エッセイではしばしば「武士道」や「祖国愛(ナショナリズムではなくパトリオティズム)」、「情緒」の大切さを諧謔を交えて説いてきたが、口述を編集者がまとめた『国家の品格』(200511月、新潮新書)は200万部を超えるベストセラーとなり、翌2006年の新語・流行語大賞に「品格」が選ばれるなど大きな話題となった。同書では数学者の立場から、「論理より情緒」・「英語より国語」・「民主主義より武士道」と説いている。

2009に上映された映画「劔岳 点の記」は父・新田次郎の原作である。著作権を持っていた正彦と実兄の正広は木村大作監督の山岳映画に対するこだわりから二つ返事で了承したという[1]

2009年(平成21年)3月をもってお茶の水女子大学教授を定年退職。講演活動を行いつつ数本の連載を抱える。『週刊新潮』に「管見妄語」を連載、2010年(平成22年)9月に『大いなる暗愚』(新潮社)として出版した。

人物[編集]

小学校からの英語教育必修化に批判的で「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」であると述べ、国語教育の充実を推奨。「読書をもっと強制的にでもさせなければならない」「教育の目的は自ら本に手を伸ばす子を育てること」と主張している。教育学者齋藤孝明治大学教授は『祖国とは国語』の解説で「ああ、この人(藤原)に文部科学大臣になってもらいたい」と記している。なお、この齋藤の言葉は『祖国とは国語』の帯の惹句にもなっている。

また、飛び級制度にも批判的であり、「自然科学で最も重要なのは美しいものに感動する「情緒力」で、数学的なテクニックじゃない。幼いころの砂場遊び、野山を走り回る、小説に涙する、失恋するなど、あらゆる経験がそれを培う。国は効率的に育てようというが、スキップして数学だけ学んでもうまくいかない。」、「もし東京大、京都大など主要大学が飛び入学を導入すると、逆に新たな競争を生み、情緒力を養成する初等中等教育がズタズタになる。」、「高校三年の受験勉強は確かに情緒力養成には役に立たないが、だから摩耗しないよう飛び入学で救うというのは論理のすり替えだ。重要なのは高校三年の教育の改善。必要性のある受験勉強をする学入試改革が必要で、責任は大学にある。才能ある一部を救って、多くが犠牲では済まない。」などと述べている[2]

若き数学者のアメリカ』には、当時のストリーキングの熱に煽られ、一人でアパートの陰から全裸で路上に飛び出したこと、『遥かなるケンブリッジ』には大学で数学の研究に没頭して家庭を顧みないでいる間、次男が学校でいじめを受けたことを知り「Stand up and fight」・「武士道精神で闘え」と、殴られたら殴り返すよう次男を叱責したが、夫人から「非現実的な解決手段だ」とたしなめられ、最終的には藤原自身が学校に乗り込み、校長に直談判したこと、などのエピソードが綴られている。

NHK教育テレビジョン2001年(平成13年)8-9月期に放送されたNHK人間講座の「天才の栄光と挫折」という講座に出演した。その中で、8回にわたって、8人の数学者アイザック・ニュートン関孝和エヴァリスト・ガロアウィリアム・ローワン・ハミルトンソフィア・コワレフスカヤシュリニヴァーサ・ラマヌジャンアラン・チューリングアンドリュー・ワイルズの伝記を解説した。この番組用のテキストはヘルマン・ワイルの伝記を追加し大幅に加筆して、2002年(平成14年)に新潮選書に収録され、2008年(平成20年)に文春文庫に収録された。

歌手の奈良光枝、またなでしこジャパン(サッカー日本女子代表)主将の宮間あや田中陽子の熱烈なファンであり、特に宮間あやに関しては、「卓越した技術、なでしこサッカー主将としての理論的および精神的支柱ばかりでなく、日本の良き文化の伝道者でもある」 と称賛している。

年表[編集]

1959年(昭和34年)東京学芸大学附属小金井中学校卒業。

1962年(昭和37年)東京都立西高等学校卒業。

1966年(昭和41年)東京大学理学部数学科卒業。

1968年(昭和43年)同大学院理学系研究科修士課程数学専攻修了。

東京都立大学 (1949-2011)理学部助手。

1972年(昭和47年)ミシガン大学研究員。

1973年(昭和48年)東大に学位請求論文を提出して理学博士号取得。博士論文:「不定方程式における局所大局原理及解の有限性」。

コロラド大学ボルダー校助教授。

1976年(昭和51年) - お茶の水女子大学理学部数学科助教授。

1988年(昭和63年) - 同教授。

2000年(平成12年) - 同付属図書館館長兼任。

2009年(平成21年) - 同退任、名誉教授。

著書[編集]

単著[編集]

『若き数学者のアメリカ』新潮社197711月。

『若き数学者のアメリカ』新潮社〈新潮文庫〉、1981625日。

『若き数学者のアメリカ』(改版)新潮社〈新潮文庫〉、20036月。

『数学者の言葉では』新潮社、19815月。

『数学者の言葉では』新潮社〈新潮文庫〉、1984627日。

『父の旅 私の旅』新潮社、19877月。

『数学者の休憩時間』新潮社〈新潮文庫〉、199332日。 - 藤原 1987の改題改訂

『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』新潮社、199110月。

『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』新潮社〈新潮文庫〉、199471日。

『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』埼玉福祉会〈大活字本シリーズ〉、20011月。

『父の威厳』講談社、19946月。

『父の威厳 数学者の意地』新潮社〈新潮文庫〉、1997630日。

『父の威厳 数学者の意地』日本障害者リハビリテーション協会、19999月。

『心は孤独な数学者』新潮社、199710月。

『心は孤独な数学者』新潮社〈新潮文庫〉、200111日。

『古風堂々数学者』講談社、2000615日。

『古風堂々数学者』新潮社〈新潮文庫〉、200351日。

『天才の栄光と挫折』NHK出版〈NHK人間講座 20018月~9月期〉、20017月。

『天才の栄光と挫折 数学者列伝』新潮社〈新潮選書〉、2002517日。

『天才の栄光と挫折 数学者列伝』文藝春秋〈文春文庫〉、200893日。 

『祖国とは国語』講談社、2003425日。

『祖国とは国語』新潮社〈新潮文庫〉、200611日。

『国家の品格』新潮社〈新潮新書〉、20051120日。

『この国のけじめ』文藝春秋、2006414日。

『この国のけじめ』(決定版)文藝春秋文春文庫〉、2008410日。

『藤原正彦の人生案内』中央公論新社200611月。

読売新聞東京本社生活情報部 編『人生に関する72章』新潮社〈新潮文庫〉、200921日。- 藤原正彦の人生案内』を改題。

『心に太陽を唇に歌を 未来に生きる君たちへ』世界文化社20074月。

『名著講義』文藝春秋、20091210日。

『名著講義』文藝春秋〈文春文庫 26-3〉、2012510日。

『ヒコベエ』講談社、2010729日。

『管見妄語 大いなる暗愚』新潮社、2010917日。

『管見妄語 大いなる暗愚』新潮社〈新潮文庫〉、201261日。

『日本人の誇り』文藝春秋〈文春新書〉、2011410日。

『管見妄語 始末に困る人』新潮社、20111018日。

『管見妄語 始末に困る人』新潮社〈新潮文庫〉、2013111日。

『管見妄語 卑怯を映す鏡』新潮社、20121116日。

『管見妄語 グローバル化の憂鬱』新潮社、20131118日。

『国家と教養』新潮社〈新潮新書〉、20181220日。

『本屋を守れ 読書は国力』PHP研究所PHP新書〉、2020313日。

共著[編集]

日本数学会 編『岩波 数学辞典』(第3版)岩波書店19851210日。

日本数学会 編『岩波 数学辞典』(第4版)岩波書店、2007315日。

小川洋子『世にも美しい数学入門』筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、200546日。

安野光雅『世にも美しい日本語入門』筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、200616日。

『国家の品格 対訳ニッポン/The Dignity of the Nationジャイルズ・マリー 訳、

『日本人の矜持 九人との対話』新潮社、20077月。

『日本人の矜持 九人との対話』新潮社〈新潮文庫〉、201011日。

半藤一利中西輝政柳田邦男福田和也保阪正康 ほか『父が子に教える昭和史 あの戦争36のなぜ?』文藝春秋〈文春新書〉、2009820日。

新田次郎『孤愁 SAUDADE サウダーデ』文藝春秋、20121129日。

編著[編集]

山本夏彦『「夏彦の写真コラム」傑作選』 1(1979-1991)、新潮社〈新潮文庫〉、20043月。

訳書[編集]

アーノルド・L・リーバー『月の魔力 バイオタイドと人間の感情』藤原美子 共訳、東京書籍、19847月。 - 原題How The Moon Affects You

アーノルド・L・リーバー『月の魔力』藤原美子 共訳(増補)、東京書籍199610月。

ョン・L・キャスティ『ケンブリッジ・クインテット』藤原美子 共訳、新潮社〈Crest books〉、19989月。ISBN 4-10-590005-6 - 原題The Cambridge Quintet

オイゲン・ヘリゲル『無我と無私 禅の考え方に学ぶ』藤原美子 訳、藤原正彦 監訳、ランダムハウス講談社200611月。- 原題Zen in the art of archery

監修[編集]

ドゥニ・ゲージ『数の歴史』南條郁子 訳、創元社「知の再発見」双書 74〉、1998410日。

受賞歴[編集]

1978年(昭和53年) - 26日本エッセイスト・クラブ賞(『若き数学者のアメリカ』)。

2004年(平成16年) - 4正論新風賞(全言論活動)。

2006年(平成18年) - 23新語・流行語大賞(『品格』)。

脚注[編集]

1. ^ 戸津井康之 (200976). 息子から見た「劔岳 点の記」 命がけの下見、感じた気迫産経新聞 (産経新聞社). オリジナル2009728日時点におけるアーカイブ。 2013119日閲覧。

2. ^ 飛び入学導入広がらず 大学に負担重く、学生は支持するが日本経済新聞夕刊 (日本経済新聞社). (2004521) 2013119日閲覧。

3. ^ 「管見妄語」『週刊新潮』(104日号)

 

 

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