東京の生活史  岸政彦  2023.4.6.

 2023.4.6. 東京の生活史

 

編者 岸政彦 1967年生まれ。社会学者・作家。立命館大学教授。主な著作に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(2013)、『断片的なものの社会学』(2015年紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)ほか。本書で76回毎日出版文化賞、2022年紀伊國屋じんぶん大賞受賞

 

発行日           2021.9.22. 初版第1刷発行

発行所           筑摩書房

 

 

1.     ただ……ピアノは弾くんだと思ってましたから。どう言えばいいんでしょうね、よくわかんないけど。ピアノのない生活なんか考えないですよ 語り手:手島儀子、聞き手:青山薫

戦前父が豊田紡織の上海にいた関係で戦後も24年まで現地の国民学校に通い、ピアノを習っていた。14歳で引き揚げ、1人東京の井口基成に指示。桐朋音短大入学。テレビ出演。親の紹介でJAL職員と結婚しすぐにパリ開設に。帰国後世田谷の主人の親の家の隣に新築して住む。主人は3年間の闘病の後去年死去

2.     「私は神様より悪魔のほうが好き」とか言っちゃって母を悲しませたよなぁ 

聞き手:秋山きらら

宗教2世。母が熱心に活動。母の宗教に反発して仙台から1人上京、美大入学。男女雇用機会均等法世代、デザインスタジオに入社して、社内結婚。出産を機に専業主婦に。母との確執が融解したのは、老人ホームに入ってから

3.     あそこの店やって、みんないろんな人が来て、で、どこ住んでるんですか?って言うと、世田谷から来ましたとか下北から来ましたって、勝ったなって 聞き手:浅海卓也

原宿の裏通りに出来たレコード屋と飲食折半の店がポップで気に入り、レコード店を開く夢を田舎の人気のない所で実現させる。下北や世田谷から来る人を見て勝ったと思う

4.     で、前の工場っていうのは、そうだ、火事になって焼けた 聞き手:足立大樹

5まで糀谷、当時大鳥居の向こうは米軍居住地。戦時中は青森に1人で疎開。田町に移って東京湾で泳ぐ。田町と三田側では住む人種が違った。親の勤務先の工場が火事で田町から二子新地に引っ越し。25で結婚して横浜に家を建てる。田町はバブルで地価が急上昇、皆金をもらって遠くに家を建てた。中学の同窓会が今でも続く。今78

5.     サーフィンじゃないけど、来た波に乗った感じ。やっぱりみんな何者かに最初からなろうとして目指すものだって言われた 聞き手:足立大育

東京寄りの埼玉で生まれ3世代同居、両親は教育関係。運動漬けの中学からバドミントンで強豪校に入り寮生活。高3のインターハイで団体戦3位となり大学に推薦入学。高校教師になってバドミントン部を率いてインターハイに出場、母校とあたる。今まで自分はサーフィンのように目の前に来たものを受け止めそれに乗っていったけど、いま田舎に住んでいると、東京での人に囲まれた暮らしが懐かしい

6.     目が合っちゃったの。ほかのこととか記憶ないけど(笑)。で、記憶もないんだけど、朝、自分の荷物もないの 聞き手:雨澤

38、自分は歓楽欲で、そのために生きている。地元に帰る雰囲気もあったけど、野田とか柏あたりを転々。同棲しながら仕事も転々。若ぶって、推しもいるし、40,50に差し掛かって自分の親のことも出てくる、その時にアイドルどうこうって言ってる場合じゃないし、本当に現実に直面した時に自分のパートナーが欲しくなるんじゃないかなって思う

7.     鴨川に呼び出されてさ。ふたりでさ、けっこう言いあって。でもまあ、ふたりのことが心配だって。刹那的、絶望に、破滅に向かってるみたいな

語り手:谷ぐち順、聞き手:飯田沙織

北海道の苫小牧工専に入るが退学になり札幌で始めたバンドの縁で上京、ライブハウスのバンドに誘われ活動しているうちに、他のバンドをやっていた女性と結婚するが、バンドは破綻。介助の仕事をやったりしているうちに逮捕され刑務所に行き、子供が生まれてガラっと変わる。今では事業所に登録、派遣介助を天職と思って充実している

8.     で、結局地域の子で「友だち」になった子っていなかったですね、ずっと。うん。それはもう、大人になるまで 聞き手:飯山由貴

1960年筑豊生まれ。2歳で小児麻痺になり車椅子の障碍者。在日で祖父母の代に日本へ。山が閉鎖となり父は家出、祖父の死の時に戻る。小5まで医療的な施設に入り、次いで養護学校に入る。在日がばれたらという恐怖感はずっと持っていた。障碍者運動で知り合った人と結婚、子どもも出来るが、妻とは意思疎通がうまくいかず、娘とも数年絶交中。国籍・民族・障碍などの与えられた属性はその人の一部分だけど、誠実さや思い遣りなどの人間性には関係がないとつくづく思う

9.     お母様が信頼してる占い師のところに連れて行かれて。そしたら、「子どもはできるし、この方が濱口家の金庫番になりますよ」って 聞き手:碇雪恵

アナウンサーの娘に生まれ、全国を父の転勤について歩く。出版社の息子と結婚するが、ご主人が次々に事業に手を出しているうちに出版社が傾いて主人が継ぐが8年前に急逝、会社を継がざるを得なくなる。結婚して6年子供ができなかったので、義母に占い師に連れていかれる。最初女の子が生まれた途端、次は男の子と言われショックだったが、無事次は男の子が誕生。占い通りになり、家業を継いで金庫番にもなる

10. 気休めで飲みに行くとかそういう感覚じゃないっていうかさ、そこで生きるみたいな() 語り手:吉田和史 聞き手:石川ひろみ

クラシックギターをやり、東京をたたんで北海道に移住。就職氷河期で一旦眼鏡屋に入るが、早稲田の映像学科に入り直し、映像制作の現場に入ってドキュメンタリーを撮る。新宿のバーに入り浸りでギターのライブではうつむき系シンガーソングライターで人気者になるが、東京での生活から足を洗い、映像現場で縁のあった生活困窮者の自立支援相談員に転職し釧路に来る。その場その場でどっぷり身を投じる生き方をしてみたい

11. やっぱり一番根底にあるのは、普通の社会、一般社会の中で、「普通に働けるよ」っていう姿を見せたいっていうのはあります 聞き手:石田賀奈子

八王子に生まれ、両親が離婚して児童養護施設で小1から18まで過ごす。印刷会社に入って15年務めるが、社会のことを全く知らずに育ったので何もできず。業界の海外視察旅行で同行した女性と知り合って結婚。キャリアコンサルタントの資格を取って、ボランティアで施設の子の面倒をみている。プランド・ハップンスタンス(予期せぬ出来事も利用する)によるキャリアを積み上げることの大切さを施設の子らに教えたい

東京にいたからこそ、周りにリソースがあり、できたこともあった。東京のお陰

12. またその、時代が戻っちゃったけど、だから子供のとき、それで、都電が走ってたっつったじゃん。それと、ジーパンというのを初めて見たわけ 聞き手:石田瑞穂

1948年月島生まれ。佃の無料の渡し舟があり、勝鬨橋は開閉していた。そのうち晴海ではテントを張って見本市が始まり、自動車ショーも開催。坂本九がジーパンはいているのを見て青山まで買いに行く。高校時代から賭け麻雀に嵌り、家業の牛乳屋を手伝っていたが、ス-パーに押されて築地の配達の運送屋に代わり、今は蕎麦屋

13. ふかひれ、ふかひれだ。だから子供のときはずっと食べていた。自分でやるから安い。レストランとか高いでしょ。サメを捕らえて、普通に料理にできるところまで加工する 聞き手:石鍋啓介

1989年台湾生まれ。勉強が嫌で高校から軍の学校に入り、海外に行きたかった。親がふかひれ製造工場をやって儲けてリタイア。7年空軍に努め貯めたお金で’19年日本に語学留学。1年の予定だったが覚えられずにそのまま日本でインテリアの専門学校に通う。台湾に帰りたいが、まともな仕事に就ける自信がなく、帰れないし結婚もできない

14. 私、面倒くさい人で、三倍働くのはイヤなんですよ。だけど、差別されるのもイヤなんです 聞き手:石原喜美子

旭出身。高校が安保時代。寺山修司に憧れ、田舎暮らしが嫌で大学は上智に入り、女子だけの下宿に暮らす。未だに独身。出版社希望だったが、憧れの筑摩が倒産、新聞業界団体に就職、順調に局次長まで昇進したが、男女差別の激しい業界で、上司から3倍頑張ればといわれたが、同じ給料でどうして余計働くのかって反発。年とともに差別も改善

15. 息子が産まれたときに「男と和解しなきゃ」って思った 聞き手:泉谷由梨子

大卒でベンチャーに就職。女子高出の学歴厨。すぐに鬱になって会社を辞めカウンセリングを受ける。外資系で派遣の仕事に就き、外国人と付き合って妊娠、相手から産んでほしいが結婚はしないと言われ、親から堕胎の圧力がかかったので、とにかく健康な子を産むことを第一に家を出る。相手も自分の父親も男自体身勝手な存在であることを知り、男子が生まれて、「男」というものと和解しなきゃと思った。息子を養子に出し、派遣に戻る

16. 俺たちがやるものは、ナマで、その場で、そのとき限りに起こる、かけがえのない時間を起こさないと、来てくれって言っちゃいけないんだよ 語り手:木場勝己、聞き手:市川安紀

父が深川の材木屋の若い衆で、満洲からの引揚者。深川に戻って製材業。自分は映画界にスタッフで入りたいと俳優学校に入学。蜷川とも木場勝己の芸名で芝居やりながら、新宿のショーパブのNo1歌手、落語もやった。お客にかけがえのない時間に遭遇したって喜びを感じさせるような時間を起こさないと来てもらってはいけない

木場 勝己(本名・西村 克己19491230 - )は、日本俳優血液型O型。ホリプロのグループ会社のホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。

東京都江東区木場出身(芸名の由来でもある)。実家は材木屋を営んでいた。

中学時代から噺家を志し、高校時代は柳家小さんに憧れて弟子入り志願するも「高校を卒業しても同じ考えなら来るように」と返答されたという。

明治大学中退後、演劇センター附属青山杉作記念俳優養成所に第一期生として入所(同期生に山海塾天児牛大がいた)。

養成所卒業後、蜷川幸雄らの櫻社を経て、1975に劇作家・演出家の竹内純一郎(現:銃一郎)、俳優の沢田情児、演出家の和田史朗らと斜光社を旗揚げ。1979に解散、1980に竹内と共に秘法零番館を旗揚げし、1989の解散までの全作品に出演。

活動の中心は舞台であったが、『3B組金八先生』第67シリーズでの千田喜朗校長役で強烈なインパクトを残し、名前が知られた。第5シリーズでは桜田友子 の父・勝男役を演じていたが、千田と正反対の性格で、金八の支持者という設定だった。

17. 「長くできてすごいね」じゃなくて、優しさと、惰性と妥協と、で、続いてしまったってだけの話ですね。自らの意思で進んだ10年じゃない 聞き手:いつか床子

祐天寺生まれの蘇生児。政治家の隠し子で母は銀座のクラブのママ。4年前友だちと自宅で飲んでたら母親がばらした。父親は認知を拒否。自分の存在証明のためにせめて死ぬ前には父親に会いに行こうと思っている。ここでも父の実名を載せてほしい。荒れた中高から無試験の北海道の短大。2年留年して、友人の紹介でエレベーターボーイをやっている

18. だから、モチベーションが違うんだよ、俺はもう、他の人とは、競馬に。ただ好きとかあれじゃない。俺は敵討ちだから 聞き手:伊藤宏子

父が音楽事務所をやってS.H.で成功したが、競馬ですって家庭内離婚状態。自身の学校生活も荒れ放題。今は伯母の不動産管理の手伝いで白樺高原にいる。父の仇を取るために競馬に入れ込む

19. 自分のなかの乙女な部分が。繰り返し見れる。こわっ!そういう恋愛ってないだろうけど、男とか女とかどうでもいいな 聞き手:井上由香

51歳。ゲイ同士で同居して21年。高校出て漸く仲のいい友達ができた時、男友達いいなって意識し始める。パソコンのはしりに頃に出会い系に登録、気の合った奴と2丁目にも通い出す。どん底の時に出会ったのが楽屋花。花屋で1年修業して独立。世の中多様性とかいうけど、本人が多様性というものをちゃんと受け入れていないと無理

20. そのときにいつもね、その言葉が頭にくるんですね。「ああそうだ、わたし務まるはずがないって言われたの振り切って出てきたんだから」と 聞き手:伊野尾宏之

88歳、女、宮城県生まれ。小4で大東亜戦争。戦後東北大医学部の看護学校に入り、卒業後上京、慈恵医大などで勤務。48で後妻に。すべて前妻の長男の嫁が仕切っていたし、その嫁から「縁故者」と言われた時は抵抗もあったが、もともと自分の家族から反対されながら押し切って結婚したのだと思い直した

21. 大使館の払い下げの物ってさ、厚木基地の中に倉庫があって、そんなかに入れてあるんだよ。で、銃持ってる連中だから。中は治外法権だから 聞き手:今岡拓幹

墨田区生まれ。母親の実家が神田の和菓子屋。貸家がダメになって、銀座で喫茶店らむぷをやっている親戚を頼って喫茶店を始める。餓鬼の頃から銀座や新宿を遊びまわり、米軍キャンプやアメリカ大使館の払い下げを買って原宿あたりで売るとぼろ儲け。小岩でカフェバーをやって当たったが、15年前に閉めた

22. もっとすごい色があって、いろんな繊細な色があって、それぞれが違うけど、それが見えないのが嫌だなと思ってて 語り手:青野棗、聞き手:上間陽子

50歳、女。同志社国際で高3のときアメリカ留学、90年代に帰国して上京、大学出て出版社勤務。若い頃からお惣菜に興味。過労で鬱になり退職。団地に入って岐阜から義母を呼び寄せ同居。義母の余りの自分の意見のなさに腹をたてながらも妥協していく

1970年生まれ。京都府出身。大学卒業後、出版社に就職。長いブランクを経て、ライターの仕事をはじめました。「外国ルーツの人にきく〜食べたら元気になるごはん」の企画を定期的に発表できる場を探していて、noteにたどりつきました。 natsume.aono@yahoo.ne.jp

23. 誰も助けてくれなかった 聞き手:打越正行

沖縄のやくざ抗争の終わりの直前、組のために傷害で2年近い実刑。沖縄で大城組の社長に拾われるが、借金漬けになるのが怖くて十数年前に上京、上京前に30頃に再婚、どん底の生活だったが、子どもも出来て、大工をしながらなんとか身を立てた

24. 朝ごはんはクロワッソーンとキャフェオレだよ。それがいきなり「おー」って挨拶したら、小指がねえんだから。そんなやつばっかりだから 聞き手:内田竜世

1962年生まれ、男。家業は豊洲市場の卸売。S(聖路加?)病院生まれのお坊ちゃん、高校までG(学習院?)。母親の実家は日本橋の鰻屋で伯父が7代目。18で親父が肝臓で持たないといわれ仕方なく後を継ぎ河岸に入るが、チンピラとかやくざみたいな奴ばっかりで怖かった。バブルの時銀行に唆されて株に手を出し5億の借金を背負い込み、ようやく一昨年返済。同じ東京生まれでも、日本橋と月島とはレベルが違う。江戸は千代田、中央、港と江東の一部、墨田区くらいまで、門仲は江戸所払いの地。子どもの頃から東京で一番変わったのは地下鉄。東京を変えてくれたのは地方出身者で、東京の人間はバカだから何も考えていない。秋刀魚の刺身を食べるようになったのは2000年過ぎてから。東京は一番いい所だし好き、全世界の一番が集まってくる

水産資源枯渇の問題に危機感を感じてYouTubeで訴えかけている

25. マジでほんまに友だちがM1で優勝するみたいな感覚ですよ。ほんまに噓みたいなことがけっこうな頻度で起こるので、噓みたいなことが 聞き手:大河原さくら

男。大阪生まれ、信州大卒、YCCに入って漫才劇場で働き、ライブ制作に携わる。外の世界が見たくて上京、独立したがコロナで映像の仕事がなくなり、お笑い一本に。いろんな芸人と知り合って、M-1などで優勝するのを見ると友だちが優勝るすみたいな感覚になる

26. もう何百人目かの俺なわけですよ 聞き手:大北栄人

3で大学諦めて公務員試験を受け税務署に合格したが、公務員のイメージが湧かずに青森を飛び出して上京。寺山修司の天井座敷に行って寺山の面接を受けラーメン屋に就職。'69年新宿西口のフォークゲリラに参加。ラーメン屋が暇になるとゴーズトライターをやりながら新宿ゴールデン街を徘徊し、映画関係者の暴力の洗礼を受ける。推理小説協会の幹事もするが仲間と合わず決別。スマホを持って文章を書き始める

27. 読本に書肆って。書肆、と言ったら、それ本屋のことだぞって、あたしそれで覚えて、それはもういまだに覚えてる 聞き手:大久保真由

女。戦争始まってから面白いことなんかない。小4で戦争が始まる。炭屋をやっていたが戦争で閉鎖

28. 自分の歌を好んで聴いてくれるひとがまだ世の中におったんやっていう気持ちになって、すごいうれしくて 聞き手:大久保理子

中学でオペラ歌手の歌を聞いて青葉高校音楽科進学を希望したが親に言えず、3者面談で担任から言ってもらったが親子喧嘩に、藝大受験を条件に許しが出て高校から歌習い始め、高2で全国大会で1位、コンクールで3回優勝、藝大に入るが直後にスランプ、声帯結節になりかける。ようやく家族も認めてくれて応援してくれるようになった

29. どうしようもなくなるとね、花をね、がっさり買ってきた()。それで、入り口にばさっと花を飾って、それで、ちょっとこう気持ちを落ち着かせた 聞き手:大里瑞夏

女。独身時代は家で兵隊から帰ってきて体調を崩した父親の面倒を見ていた。昭和24年栃木から上京して書店勤めの夫と結婚。自分の本屋を持って商売を拡大。高校からやっていた生け花を家業の合間にアルバイトでやっていたので、家の中で義父母や夫と行き違いがあってむしゃくしゃしているときにはいい逃げ道になった。配本のシステムが変わった時に店をやめたのが正解で、今は不動産の賃貸で悠々自適

30. お坊さんの基本の仕事って話すことだと思うよ。お経を読むとか祈るとかってあるけど、それは話をすることが大前提にあるものだから 語り手:早島英観、聞手:太田典歩

生まれはいわき市。立正大卒後大田区の日蓮宗総本山に就職、上司だった今の奥さんと結婚して彼女の実家の寺を継ぐ。自分の実家の寺は姉が継ぐ。大学は全寮制で坊主の卵だけの共同生活で勉強と修行が一緒。今は南房総の寺で、過疎で衰退していくのにどう対応するか対策を考えるのが楽しい。これからはオフラインの集まりの場をどう提供するかが鍵

南房総妙福寺住職。寺子屋ブッダ理事。 well-being企業研修講師。 木曜21時マインドフルネス瞑想@オンライン配信中。 「健康」「瞑想」「仏教」のトピックを主に届ける。

LINE公式:https://lin.ee/MGeJto3C

31. ストローでバーッと飲ませるんだよね。それでポンっておいて、またケンカして。また「Kさん、お茶!」って言って、またストローで飲ませて、っていう。それがすごい衝撃で 聞き手:大槻美和

幼稚園までは横浜、父の転勤で海外に行って小学校の途中で帰国。文章が書きたくて東京の文学部のある大学へ。エネルギッシュな男に惹かれて大学を中退、実家からも家出。大病して女であること自体に悩む。相手の男と2人だけの生活に行き詰まって、辿り着いたのが介助の仕事。仕事を教えてくれたKさんと被介助者とのやり取りが衝撃的で、ようやく独立して1人暮らしを始める

32. 五、六人ぐらいの子どもで、ぞろぞろぞろぞろ、その銭湯へ行くわけ。大体三時とか午後早い時間に行って、ばしゃばしゃ泳いだり大騒ぎして 聞き手:大西未希

東京から移住して28年目。畑仕事の手伝い。昭和18年京橋の生まれ。父は海軍。世田谷で育つ。銭湯のできた記憶が鮮明。父が新宿で筆耕の店を持ち、その手伝いをしながら大学を出る。保育士の仕事に興味を持つが男では資格が取れず、男だけ集まって資格を認めさせる運動を始めた

33. 故郷っていうものに対する考えが芽生えたっていうか、自分の故郷はそこなんだなあと(笑)、故郷感みたいな 聞き手:大八木宏武

1981年北上生まれ、親は栗原市のパチンコ屋、3人妹弟の長女。仙台の朝鮮学校出。ジュニアオーケストラに入ってチェロを弾く。先輩に教えられて東京の音大へ行って初めて在日を肌で感じる。チェロを仕事にして生活。震災で家族は無事、震災を経て改めて自分の故郷がそこなんだと、故郷感みたいな気持ちが芽生えた。東京は戦場の前線で、嫌いではないがずっと居たいとも思わない。今は一人暮らしを楽しんでいる

34. このままじゃしょうがねぇから、「若い連中誰かやるべぇよ」っちゅう俺が言って。それで農業の先駆者として、リーダー格でやったの 聞き手:小笠原綾

終戦のとき14歳。男。八王子生まれ。戦時中は学童疎開を受け入れ。家業の農業を継ぎ、米麦作と根菜類から、酪農や果樹に。議員も2期やり、農事組合法人を作ったりして、農林大臣賞をもらう。一番変化したのは交通道路網

35. 中国は触れないほうがいい、在日は触れないほうがいい、そうやって自分の中で内在化して悪者にしちゃうんですね、自分が悪くないとわかっているのに 語り手:チョーヒカル、聞き手:岡本尚之

両親が中国から日本に留学、その間に文革が勃発して日本に定住することになり、私は西東京で生まれた。現在ニューヨークの大学院在学中。友だちの接してくる態度に度々違和感を感じていたが、「被害者妄想」で片づけられた。テレビに出るようになって初めて在日として国籍のことなどマイノリティについてもいろいろ考えるようになる。アメリカに行って中国人に違和感を感じ、改めて国籍について考える

チョーヒカル/趙・燁(1993329 - )は、日本アーティストクリエーター東京都出身。両親が日本在住の中国人で、日本生まれで日本育ちの在日中国人。国籍は、中華人民共和国だが、中国語は話せない。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン科卒。UNUSUAL(非日常)ARTをテーマに掲げ、ボディペイントや衣服のデザイン、イラスト、立体、映像作品などを制作。衣服ブランドやタイツブランドとのコラボレーション、ポスター、スマートフォン向けアプリのイラストやキャラクターグッズのデザインも行っている。体にリアルな目や物を描くボディペイントが国際的に注目を浴び、国内外の多数のメディアで取り上げられた。美大入学後に描いたものをTwitterで公開し注目された

36. ギーゼキングがドビュッシーの「月の光」弾いて、なんってきれいな世界だ、って。でそれからもう、あんまり感度がよくないラジオ、毎日聴いて 語り手:大友聿子、聞き手:岡本史浩

1941年生まれ。満洲から4歳で引き揚げ、千歳船橋育ち。小学校は和光学園。中高は成城学園。安川加壽子の弟子の瓜生幸子ピアノを習い武蔵野音大を出てピアノ教室をやる

37. ……「帰って来て?」それで、帰って来て、何をする? 聞き手:荻堂志野

男。ナイジェリアから2000年に来日、飲食系で働き3年半で正社員になり、新宿3丁目で独立して18年目。オカマのど真ん中で暗かったが、副都心線が出来て明るくなった。アフリカに興味持つ客が増えた。2年前にNPO作って自分の成功を生かして両国の架け橋になることをしたい

38. ちょっと複雑な思いを抱く故郷ができちゃったわけです 聞き手:掛川直之

世田谷生まれだが亀有育ち。横田基地の近くに引っ越した時は、ベトナム戦争中で、基地に入って一緒に遊んでいて、差別を原体験。SEになって田舎が欲しくて転勤になった先に本籍を移していまだにそのまま。バブル期に本籍地で代行業をやって大儲けしたが、金の貸し借りで躓き、会社の金を流用して逮捕、1年半刑務所に。10年前出所してから介護の仕事に。NPOを立ち上げて、出所後の社会にソフトランディングするサポートをしている

39. うちはちゃんと四角いから好きなんですよね。正方形か長方形の部屋だけで構成されている家っていうのはレアだったりするので 聞き手:笠井賢紀

女。1985年横浜市生まれ。川崎に住んで、大学から東京で生活、喘息がひどくなって1年で中退、通信制に切り替え。フリーランスで仕事をしながら結婚して8年。ビルの隙間のちっちゃなマンション住まいだが気に入っている。発達障碍ADHDの手帳を持ち就労移行支援を受けたが、結局フルタイムでは働かず仕舞い

40. 自分みたいな人間もいるよ、っていうのを、認めてくれる大人になりたいな、って思ったんですね 聞き手:柏倉功

女。独身。父は韓国からの引揚者で府中に家を建てる。厳しい父の躾で育ち、反発して短大で保育の道へ。こんな子もいていいよ、って言ってあげられる大人になりたかった

41. そんときにたまたま見た本に、なんかその、自分の、なんっていうんやろうな、なんかこう、魂が赴くままに行け、みたいな本があったんやね 聞き手:梶原亮一

大分で演劇とバンド、声楽を目指す男3人が、同じ緑丘高校出、同じバイト先で出会い芸術を語り上京を決断。親戚に寄宿して電話線工事の手伝い、金を貯めて独立。つかこうへい劇団に嵌り、養成所で知り合った仲間と劇団を作って一旗揚げたが1回きりの公演で終わり、借金生活が始まる。親とは30までに成功しなければ帰ると約束して親に借金の始末をしてもらう。5年東京にいて大分に戻り教師、10年して結婚と採用が決まる

42. ここはもう、まるっきり変わっちゃったわね。だって、普通の住宅が多くなっちゃったもんね。お店がなくなって 聞き手:勝浦研斗

所沢生まれ。24で上京して今は80。大妻女子高出。母が教員にしたかった。父は戦死。母は洋服屋で手広くやっていたので戦時中も裕福に暮らす。雑貨屋の1人息子と結婚したので家に入って地獄の苦労を味わう。商店街で便利だったが、15年前にスーパーができたら次々に店がやめ、普通の家に変わってしまった

43. もしかしたらみんなが集まれる場所を作ったら、喜んでもらえるかなっていう 聞き手:葛宮亘

1967,8年生まれ。立川出身。高校から杉並の私立に行って「東京都下」というヒエラルヒーの下の方の人間だってことを気付かされた。新宿がドキドキの場所。小学校で友達といってカツアゲに遭う怖い町。高校からベースを始めて、レコード会社に就職。転勤で仙台に2年暮らして東京を客観的に見ることができるようになる。バブル期にメンタルやられて早期退職に応募し、渋谷にミュージックバー45を開く

44. 日本の雑誌とかすごい見てたんで、しかもけっこうミーハーなので、当時V6とか好きだったんですよ()。まさかのジャニーズ、ふふふふふ 聞き手:加藤里織

女。両親が沖縄・福岡からの移民で花の農園、兄弟はサンパウロの山間で生まれる。日本語で育ち、高校から日本へ。終わったら帰って父の仕事を継ぐ予定だったが、日本がよくなってホテルの専門学校に行き、以後レストランなで接客業を転々、ドイツのすし屋でも働く。4年前普通の日本人とネットのお見合いサイトで結婚して育児。ブラジルがあるのでほっとすることもある

45. 手話で話すので、死角がなくなるように鏡を置いて、鏡越しに会話ができるようにするとか 聞き手:加藤夏海

女。父は聾学校出身の歯科技工士で長野市の職員。母も聾学校出。大学のときから東京で母と暮らす。最初に覚えたのは日本手話。幼稚園から日本語も習得。今は手話通訳の仕事。聾の世界は国ごとに密なコミュニティがあって、父のところにも多勢外国の人が泊まりに来る。段々国際手話も覚える。今の長野の家は10年かけて親子3人で手作り。大学に入ってたまたま聾教育をやる先生がいたのでその道に進んだ。CODA(Children of Deaf Adult/s)だが、聾者の世界でも聴者の世界だけでも生きていけない、別の方法を探る

46. 普通だよ。だから酒飲んでる。わかるでしょ。嫌だから。これ今の今まで、忘れなさい。って言われてる。「忘れなさい」。子供産んで、忘れなさいはできないんだよな 聞き手:加藤雄太

女。施設から養子縁組で引き取られるが、中学まで養子だとは知らず、小学校から不良グループと関わり始める。養母は養育家庭制度で国から補助をもらい、父親からも月200万養育費を受け取っていた。無理やり結婚させられ子供もできたが施設に引き取られ死亡

47. 隊列なんかせんとバラバラやな。そしたらな、おばあさんが、「兵隊さん、ご苦労様です」言うて、わしに、こう、手に持てるだけの胡桃をくれたんや 語り手:金井塚修、聞き手:金井塚悠生

ひいおじいちゃんがノモンハン事件の連隊大隊長。おじいちゃんは陸軍士官学校で、座間から終戦間際には松本に疎開、終戦で解散。18歳で終戦。小さい頃は母親が肺結核だったのでは博多の祖父母に育てられ、三ノ輪の伯父さんや蛎殻町の叔母さんの所でよく遊んだ。復員した親父から大学に行けと言われて司法試験の勉強をして検事に任官

48. 車を運転しながら花火がバンバンあがってて。ファンファーレみたい。今から死ぬぞ!じゃないけど 聞き手:兼子春菜

女。福岡出身。家がエリートサラリーマンでお嬢様幼稚園へ。父親がギャンブルで周期的に大きな借金を作って、希望の大学も諦める。そんな父親ががんの末期で入院、見舞いに行った帰りに花火が上がる。20年前53で死んで、やっと借金から解放され、27で上京を果たし生まれも育ちも日本橋と結婚するが、母親の面倒を見ているうちに相手が浮気して離婚。都会で便利な所に住んで会報

49. あるがままって、ご縁なんだよね 聞き手:加福文

去年主人が84で死去。'47年札幌生まれ。バスケットで札幌大谷高卒、国体にも出場。小学校の先生に。27歳で上京。38歳で仕事で知り合った土木の専門職だった主人と結婚。2人で交互にがんになり、主人が60で仕事を辞め、自然食品による治療を求めて全国をキャンピングカーで旅行。川越で帯津良一先生に会って、西洋医学だけでは治らない、患者のケアは体だけじゃなくて心と命も見なければならないと考え、ホリスティック医学を追究、その考え方に共感して川越に転居。患者の会で知り合った人に誘われて亀有のお寺の住職の法話を聞いて感激、合同墓を買って寺の近くに移り住む

50. 山口百恵みたいにきれいに消えたい。あとは自分の消え方がほんとに、かっこよく、悔いのないようにしたい。たとえ自分が退屈だったとしても 聞き手:上久保直紀

歳とってからの一人っ子。小5で埼玉に引っ越すが男子の進学校に受かったが母親に反発、浪人して東武野田線の田舎の大学へ入って下宿、中国地方の大学院を出てから都内でシステム関係の教育の仕事に就く。忙しい中二丁目のイベントに行って店子(みせこ)と付き合い始める。セックスはスポーツ感覚でタチとウケの両方やる

51. 私のあずかり知る東京はだいたいこのへんがすべてなんですけど。中央線がすべてなんですよね 聞き手:唐澤和

女。秋田出身、生後すぐ八王子へ、以後変わらず。ド田舎で小学校の統一学力テストも都内最下位だったが、親の勧めでたまたま四谷の雙葉に合格。遠距離通学ベスト4で引っかかる。経済格差も痛感、遠距離通学にも疲れ、高3で不登校。やる気がないと中野を越えられず、帰って来たなぁっていうラインが国分寺。東京は全部都会で均一みたいな意識はなく、中央線は寺のつく駅ごとに気温が1度下がるし、お茶の水から先は壁で、ちゃんとした社会人ゾーン、一番ステータスを感じる。今は均質の街に移って生活

52. もう、ちょっと、出世してからじゃないと帰れないみたいな。気持ち的にはそういうのは、あったのかな、と 聞き手:川野英二

大分出身、母子家庭に育ち、東京に10年、写真の専門学校に入ったが1年で辞めてバイト暮らし。以後名古屋、浜松、滋賀、大阪と転々と住む場所を変え、バイトを探しながら、ふらふらと彷徨う。自立支援センターなどにも行ったが、いまだに風来坊

53. すべて金出すから、そこに住めってね。要は、この子のためだよね。だって、彼氏がね、こんなテントに住んでいるわけにはいかないじゃん 聞き手:川端豊子

中卒で調理の専門学校に行き、調理師会からの派遣に出ていたが、待ち時間のあった時に嫌になって辞め、以後は職を転々としながらホームレスになり辿り着いたのが渋谷。今ではほかのホームレスの炊き出しに参加

54. 口では田舎暮らしとは言いますけど、実際、本当にそう思っているかと言われたら、こういう「東京」あるよな、泉川みたいな東京もあるよなって 聞き手:川邉絢一郎

町田の生まれ。保育士。神奈川の湘南と県央の保育園で働きながら、地域おこし協力隊に興味もって山形の泉川市の女性の視点で地域おこしするという募集を見て移り住み、そのあと移住コーディネーターをやる。結婚してそのまま泉川に。町田よりよほど都会

55. はー、陸続きで荻窪駅着いちゃった。白杖ひとつで隣の島まで歩いてしまった 聞き手:河村愛

佐賀で育ち、病気の進行で視力も落ち、東京へ行けば何とかなるって母に言われ、視覚障碍者の事前協議をして東京の女子大の英米文学科に入る。西荻に1人暮らし、ほとんど見えなかったので白杖に頼って盲学校にも通う。ソーシャルワーカーに興味。大学院にも行ってペンシルバニアに留学。米州開発銀行で障碍関係の仕事をやり、タイのNGOで働く。今は東京で障碍者の自立支援などをしている

56. 息巻いてやってきていたことっていうのは、すべてただ単に自己満足だったんじゃないのっていうふうに思ったときがあって。なんかもう寒気がしたんだよね 聞き手:神原貴大

男。大学時代バイトに明け暮れて、1998年人材派遣会社に入る。10年ぐらいで留学の事業を任されていたが事業を閉鎖するのを機会に退職。今は結婚して長男が20

57. この土地は、江戸時代の初めにうちが住みついていま十数代目だから。昔はこの辺を武蔵国って言って茅の野原だったの 語りて:村木、聞き手:菊池謙太郎

昔から地主。1950年生まれ。元は医者。銀行員の親父が死んで30年、代々の土地を維持しなければならず、医者をやめ農業をやり30人分くらいの畑の面倒を見ている、不動産関係の仕事も。江戸時代初めから茅葺の屋根の茅を生産して江戸で売って生活。関東大震災の被災者に土地を貸したのが不動産業の始め

58. 顔を見合わせた。なんか違う、これすごいと。レガートが、シンバルレガートが。これやっぱり東京行こう。また東京行こうと 語り手:大森秀斗史、聞き手:岸政彦

豊中高校でジャズに嵌ってドラムを叩き加古隆らとバンドを組み、先に藝大に入っていた加古から藝際での共演を頼まれ上京、銀座のジャズクラブで聴いた'60年代に隆盛となったフリージャズに圧倒され、浪人2年目は東京に決め新田裏にアパートを借りて勉強せずにドラムを本式に習い始める。大阪でバンドマンをやり、万博の太鼓ショーで東京会場を任され、そのまま東京に居ついて六本木のサパークラブのレギュラー(ハコ)に。1983年親父が死んでお袋と一緒に住むために大阪に戻ったのが39のとき。大阪でもドラムをやる

大阪府豊中市生まれ。70年代に中冨雅之(p)林栄一(as)らとジャズドラマーとして活動を始める.木村純子トリオを経て菅野邦彦(p)トリオに参加。後ドナルド.ベイリー(dr.&harmonoca)とカルテットを結成.レッドミッチェ(b)と共演する。'84年頃から活動を関西に移し藤井貞泰(p)とグループを組み.京都国際会議場にてカサンドラ.ウイルソンと共演。'87年故アン.ヤング(vo)のアルバム「SPARKLE」を製作。その後も関西を中心に演奏活動を続けているが近年は高橋知己(TS)大口純一郎(P)中村真(p)等と活動を供にしている。

59. 皇居を見ながら、おっぱいをこう……搾ってる自分がなんかねえ……すごい哀れっていうのか 語り手:清水千恵子、聞き手:金直子

女。父は王子製紙。サハリンで生まれ学齢期に引き揚げ。北海道の原生林に12世帯で入植

高卒で札幌に出て印刷会社に就職。196626歳で失恋して上京、東映に入って編集一筋

助監督だった呉徳洙と結婚、子どもができて仕事を辞める。韓国人で創氏改名して清水。日本人との結婚に反対。「おんな大学」を聞きに行って、国籍問題をやっていた土井たか子に出会い、国籍法改正を機に夫と喧嘩しながらも説得して子供の日本国籍を取得。編集の仕事も減ってきて、介護の資格も取ったがこの歳ではもう無理だし、東京暮らしは自分の資力ではできないので、呉の遺品片付けの目途がついたら北海道に帰る

60. いつだって顔出してるのはあたしでさ、いつだってリスクが半端じゃないのはあたしのほうなのに、俺の気持ちって何?って感じじゃない? 聞き手:木村映里

中学1年から付き合ってた彼氏が遊ぶ金を貸すためにAVやったが、彼氏にばらすと脅され、1人で生活を変えようと20で上京。彼氏と別れ話をしたら、2ちゃんに実名で晒されたが、何とか逃げてAVで入っていた事務所の仲間と25で結婚してAVを引退。看護師の国家試験を通って精神病棟へ。これから仕事を続けながら大学院へ進む

61. あー、もう、なんでも性格的に受け入れてしまうのかね。もう、そのまんま営業で、ずっと売るために頑張ってた 聞き手:具志堅大樹

男。生まれたときから両親は別居で、母方の実家の沖縄の造り酒屋で育つが、時々父親とは会っていた。発酵関係を勉強するために東京の大学へ。東京の酒屋に就職してから沖縄に帰って実家の酒屋の営業をやる。15年経って2000年に上京、沖縄サミットを機に県外展開が目的。沖縄にいずれは帰ろうとずーっと思っている

62. 自分が面白いって思うものをやるっていう意味で「誰の言うことも聞くな」っていうのが、一番印象に残ってるっていうか、そういうことが一番大事なのかもしれないなって 聞き手:久世英之

1979年生まれ、男。愛知県出身で名古屋の大学の建築科卒。一旦ゼネコンに勤めて東京で働くが、映画への未練断ちがたく、専門学校に入り直して、さらに大学院に合格、映画の演出部の現場に7,8年いて、結婚を機に2016年広告会社に就職

63. 立志伝中の人物みたいに出世してやろう、大金持ちになろうはさらさらなかった。ただ、とにかく仕事をやんなきゃ。それだけだったね 聞き手:熊本博之

父は人に好かれるが女癖が悪く、今は3人目。群馬で育ち、オリンピックの直前、中3で就職のため上京、祖母の家から国鉄指定の時計眼鏡屋に就職。21で独立して時計の修理斡旋で設け、40から眼鏡店開店し30年経つ。地域に特化したのが成功の秘訣。今の眼鏡学校出たのはすべきことをするだけの自覚がないからダメ

64. 逃げていく車を津波が飲み込んでいくシーンとか。あれジッと見てたんですよ。そしたら俺何やってんだろうって 聞き手:倉数茂

東大卒で西武百貨店に10年半勤務、’95年早期退職に応募。近代大学院に行ったが、40代は暗黒、会社作って潰し、鬱病みたいになって離婚。熊谷の実家に籠っていた時に東北大震災の津波のシーンをテレビで見て、仕事する気になって50過ぎて福祉の資格を取る。大学時代知り合った彼女と再会して再婚、危機から救われる

65. 自分の欲に何万もかけて来る人がこんなに世の中いるのに、なんでお金のない人とわざわざ付き合ってるんだろうって思って 聞き手:小池エリナ

28歳、女。町田の生まれ。絵が好きで夜間の美大へ。学生時代から同棲。金がなくなって風俗へ行って4年、仕事として割り切って楽しんでいる

66. ポンってもう軌道に乗っちゃったからね、俺の場合。軌道に乗っちゃったんだよ 聞き手:小泉真由子

下町の八百屋。中学からブラスバンドに嵌り、バンドを組んでプレスリーを歌う。高卒後も2年バンドやって中央大に入り、ヤマハの先生のオーディションを受けて合格、以来先生とギターの弾き語りで良い稼ぎ。今73歳。聞き手は姪っ子

67. まあそんなにがむしゃらに働かなくてもいいかぁみたいな感じで。そこからもう余生に入ってしまったんですね、いきなり 聞き手:小枝冬実

1959年生まれ、女。気分はバックパッカーで、アメリカ旅行のついでに寄ったメキシコに惹かれ、中米を1年半ほどかけて回る。'88年帰国して契約社員で働き、通訳もやる

68. 成人式のときに、お母さんがどうしても着物着てって言われて、お母さんの願いを叶えようと思って、そのときに着物着て 聞き手:小城萌笑

12歳で日本に来て母が再婚、父は日本人。LGBTで、男性ホルモンを打って髭を生やす

69. 神戸のおうちで目が覚めて、「このままこの家に住んでたら大変なことになるわよ」って声が聞こえたの 聞き手:小林真紀子

女。卒業後地元大阪の出版社に勤めたが、会社をやっていた祖父がなくなり、3歳で母が死んでいたので唯一の相続人として継いだが、すぐに辞めて本屋に勤務。今は福祉施設で働く。母方の祖父が船場の商売人、父もその会社に入って役員。阪神大震災の直前に30で上京して難を逃れる。10歳年下とパソコン通信で知り合って結婚

70. 商売やめるかて人間やめられへんから 聞き手:小林玲

71. 20年前の物が……やっぱり、シールのついたテーブルはつらかったね、居間に置く背の低いテーブル。あれはちょっともうつらかったな。うん 聞き手:小松順子

72. そう、だから、次は東京に。東京、うん。東京だったらわたし一人ぐらい生きてく場所があるんじゃないかなと思って 聞き手:小松原花子

73. よく「左利きなんだ」って言われるんですよ。「実は右が使えないんで」って言えばいいんですけど、とっさにそこまでの会話ができなくて 聞き手:米谷瑞恵

74. もうね、ターン、ターン……と焼夷弾が落ちるんです。そのたびに人がね、燃えちゃうんですよ。それを間近に見てた 語り手:濱田嘉一、聞き手:近藤夏紀

75. まず上海で二週間隔離を受けた。そのあと武漢に行った。お母さんとお父さんは、僕を迎えに来てくれた。武漢の駅から出たとき、僕は涙を流した 聞き手:齋藤あおい

76. 「お姉さん、もしかして東京生まれ、東京育ち?」とか言って、「うん」って言ったら、「むかつく」って言われて(笑) 語り手:高岩智江、聞き手:齋藤直子

77. ひとくち目はあんまり味わからなくって。どっちかというと、ひとくち目でちょっと上見たんですよ。雷が落ちるかなーっと 聞き手:酒井摂

78. 一回ミスらないとわからないじゃん。うちらってたぶんそういうタイプ。あのときの自分死ねって思わないとわからない() 聞き手:榊栞理

79. 全部お店やめてからね、ヤクルト始めた。ヤクルト始めたらね、自分の給料として入ってくるでしょ、それからね、それからもう私の時代よ() 聞き手:坂本絵美子

80. 英語のアイデンティティーがそれこそ大きすぎて 聞き手:坂本光代

81. 「オリバーはオリバーでええやん」の言葉で、どっかで吹っ切れたんですよね。ええふうに持っていこうと思って、これを機に変えようと思って動いただけです、東京は 聞き手:坂本唯

82. 寒い日に児相行くのに、私のポケットにその子の手をこうやって入れたときに、「ん、つながった」って感じがして 聞き手:櫻井勇輔

83. 下の子は、あのよく私に言っていたのが「僕はいつもお兄ちゃんの用事にくっついてるだけだね」って言われたりもして 聞き手:里芋はじめ

84. 毎日毎日、色が変わってた。「今日はピンクだー」「今日は緑だー」「今日は何色かな」「あ、今日は紫だー」「あ、今日、きれい!青だぜ!」 聞き手:佐藤いぬこ

85. 私は本当、東京は自分のエリアですから、いっくらでもいるじゃないと。ふふふ。だから気に入る気に入らないは一か八かで、人の出会いでしょ? 聞き手:實川真規

86. 本当の意味でのルーツは沖縄。東京は、住む場所というより、成長できる場、憧れの地という感覚があったんだよね 聞き手:篠田里香

87. 本来なら届くところにまだ届いてないよな、ていう。届く人は初めからいるんだけど、そこに届けるだけの力がまだ僕にはないんじゃないかって 語り手:古明地洋哉、聞き手:芝夏子

88. なにか、二重の構造があるんですよね 聞き手:清水唯一朗

89. 福生の街ってやっぱ、特有だからね。なんとも面白い 聞き手:下地ローレンス吉孝

90. 私の人生には、たくさんの麒麟がいる 語り手:イヴァンカ・ギヨーム、聞き手:末松史

91. ひとり夜歩きながらフリースタイルとかしますね。なんだろう、セルフボーストするための道具とかではなくて、身についてるというか 聞き手:菅谷雪乃

92. 果たし状を出すの、中学生に。グループがあるの。うちらのグループ、そっちのグループ、果たし状出して、行って、喧嘩するの。髪の毛引っ張ったりね 聞き手:鈴木恵理

93. 改札こうやって入ろうか入ろうかって何回かやって、そのたびに私が一歩踏み出すから、もう笑い出して、向こうから来てくれて 語り手:黒田樹梨、聞き手:鈴木紗耶香

94. 運命じゃないけど、江戸っ子がグイーンって来たっていうか 聞き手:スズキナオ

95. うぉわ!って()。こんなにお金がある!みたいになって。あはははは。だからもう、ほんとにもう、全然なんか、とにかくもらえるだけでうれしかったんで 聞き手:鈴木裕美

96. やっぱり、止まり木なんですよ。鳥が飛んで、休む場所なんですよ 聞き手:関駿平

97. たぶん富山ずっと住んでると、少なくとも岡山のデニムは欲しがらないと思うんですよ 語り手:松澤くれは、聞き手:髙橋かおり

98. 混ぜご飯みたいだよ。ぐちゃぐちゃだよ 聞き手:髙見之陽

99. 真里さんはまぁいいって言ってたけど、私はなんかしっぶって感じだったのね。いやぁ斎藤真里ここで死ぬのみたいな。なんか渋いなって 聞き手:武田千愛

100.    天気のいい日に自転車で坂を下りて仕事に行くときはすっごい快適だし。なんか知らないけど突然歌ってるんだよね 聞き手:武田梨華

101.    やっぱり人が死んでいる、亡くなっているっていう事実を、こう、肌で感じながらやらないと絶対いけないんじゃないかなって 聞き手:竹谷美佐子

102.    これが自分の幸せなんだなって思う、イメージができたし。自分のセクシュアリティを受け容れつつも、幸せにやっていけるのかもしれないって 聞き手:太齋慧

103.    もう三六五日毎日ですもん!友だち来ちゃったとかさおすそ分けとかって持って来てくれたら行かれないでしょ?ちょっと帰って、みたいに言えないから 聞き手:田中創

104.    うえーって吐いて、ぷっと顔上げたら、僕が作ったコピーが目に入ったんですよ。「ウイニングパットはまだまだ続く」って 聞き手:田中雅大

105.    だから、ツイッターもフェイスブックも更新が三日とかないと、生存確認が父から入る 聞き手:辻拓也

106.    で、聞いたら、「木更津です」って言うから。「横須賀の向こう側じゃーん!」って話して。「やっぱあの辺の東京湾にはなんかあんのかねぇー!」って 語り手:河原田仁志、聞き手:続木順平

107.    クワズイモの葉っぱっておっきな葉っぱがあるのよ。雨の日はそれをかぶるの、途中で、拾ってから 聞き手:渡真利彩

108.    部外者なんだよ、フォトグラファーっていうのは。外から中をのぞきこむ人で、僕の人生自体ずっとそんな感じ 語り手:Jimi Franklin、聞き手:冨手公嘉

109.    隣の人だね。うん。コテハンが「チャーハン」だった時期ですね 聞き手:中井澪

110.    自分の足、自分で立って、自分の羽、自分で飛んで。お金もらった、私の汗と涙のお金だった。わかる? 語り手:アムー・ハサン、聞き手:永井藍子

111.    やっぱり自分のお店はいいと思うね。だからここの店大事にしますよ。死ぬまでいるよ 聞き手:中植きさら

112.    「なんか見つかるんだよね」「そうね、ほんとそう。必ず見つかるんだよね」 聞き手:長倉崇宣

113.    炭鉱で育って、ふるさと感がまったく他の人と違うってところが、僕がなんか発想の原点が違う、そもそもの理由なんじゃないかと最近思ってるんです 語り手:今野勉、聞き手:中島みゆき

114.    介護するようになって、母に触るようになって。それであたしも「甘えた」という形になったのかな 聞き手:なかのゆか

115.    あーほんと。うれしいなあ。自分がここで生まれたんだっていう思いっていいよねえ。ルーツっていうかね 聞き手:仲藤里美

116.    男児郷関を出ずれば焉んぞというわけで、立派な人間になってというお祖父さんとお祖母さんのお見送りを受けながら、汽車に乗って行きました 聞き手:中山早織

117.    やっぱり東京の都会のもやしっ子にだけは絶対に、なったら私が嫌いになっちゃうかもしれない 聞き手:成瀬郁

118.    電車に、ペットボトルのごみ落ちてて……私これを拾わなかったら明日に残るなと思って 聞き手:南里百花

119.    掛け算というか、スパイラルにならないと、みんなハッピーじゃないから 聞き手:新山大河

120.    小学校二年生のときに私、「ノリコ・non-no」って作って。『non-no』編集者になるのが夢だったな、いまだに夢は、叶ってないんですけど 聞き手:西岡日花李

121.    聞かれてもほんとにね、そうとしか言いようがない。自分の中では選択肢って、あったことがない感じがする。なんかそっちしかないみたいな 聞き手:外立勝也

122.    俺、いまね、恋してんだ 語り手:西村勝男、聞き手:長谷川実

123.    一つのところに絞って一生懸命やればそっちがいい。人があんなに成長してるから、自分もそれをできると思うと限りないから。自分に合うことをやらなきゃいけない 聞き手:はっとりたくま

124.    「の」。それから「は」「に」「る」。いちばん出ないようなやつは「ゐ」。あんなのめったに出ない。なにせ一番出るのは「の」 聞き手:林雄司

125.    だから私と地球の戦いはまだ続くねん 聞き手:東万里江

126.    東京と被災地でこんなに違うんだって思っていて。なんか久しぶりに温かい味噌汁飲んで、幸せ感半端なかったんです 聞き手:藤代将人

127.    用事があって、病院に行ったり、買い物に行かなきゃいけないとき以外は、いますよ。昼間から。土曜日も日曜も祝日も、正月も。ここ数年ずーっといますから 聞き手:藤原理子

128.    虫がいるのは当たり前なわけなんですよ。僕らがやりたい農業って、そういうことなので。自然の中で作りたい。そこにはいろんな生き物がいる 聞き手:古屋敬洋

129.    よく東京は目標が多いとかさ、言うけどさ、競合が多い。そのぶん、ぶっちゃけ沖縄って競合がそこまでなくて、決定的な差ってないと思う 聞き手:星野光一郎

130.    「ピナ・バウシュ見たか?」みたいなことになって、「ああもう。これ大学行かなあかん」て。試しに大芸受けたら受かって。高校行かん言うてた人が 聞き手:細貝由衣

131.    10カ月しかないんですよ、払うのに。前回、ずいぶん勉強させてもらいましたよ。種、蒔いている場合じゃないな、って 聞き手:堀部篤

132.    東京に来た当初、学校のオモニたちがしゃべっているのを聞いていたら、めっちゃ話の展開が速くてついていけないと感じたことがあってん 語り手:金詠実、聞き手:松岡理絵

133.    アイスコーヒーっていうのはものすごい手間がかかるんだ。それで、その人は「できました」って持っていくと「はい、ありがとね」って言って、10秒だからね、飲むの 聞き手:三浦一馬

134.    でも、やりたいことは全部犠牲にするけど、医学部に行ったってことでひとつ大きなコンプレックスが消えたほうが僕の人生の中ではそれのほうが得じゃないかと思ったんです 聞き手:三品拓人

135.    だからなんて言えばいいんだ。植える野菜も根っこが生えるが、俺にまで根っこが生えちまった、っていうこった 聞き手:水野萌

136.    そんなもん知らんがな、じいさんなんか。それであくる日一番に実家帰ろうって思って、東京駅まで出ちゃったわけやんか 語り手:三浦紀子、聞き手:宮田桃子

137.    二月のすんごい寒くて、風の強いときって嫌でしょ?けど、あのおいしい切り干し大根ができるんだったらと思って、ちょっと嬉しくなる 聞き手:宮本由貴子

138.    暗黒の四日間を耐えて、で、そのまま過ごしてたら、友だちと話してても当たり障りのないことしか言えなくなっちゃって 聞き手:村上ももこ

139.    ガスがもう、20年以上かかってやってるから。だからガスしかないのよ。要するに身体の、頭の中がさ 聞き手:村松賢

140.    高校卒業して外出たことないお母さんが電車に乗って行くっていうのがすごい大変で、銀座線に乗るときに、電車に2回落っこちてるんだよね 聞き手:村本洋介

141.    「あんな山が本当にあるのかしら、この目で見たい」という。本当にそう、それだけ。憧れよねぇ 聞き手:毛利マナ

142.    寝てるときにもガタンガタンガタンてね。聞こえた。それも毎晩じゃない?貨物電車だと思う。うるさくはないの。寝心地のいい音で 聞き手:森山晴香

143.    雑誌を買ってページをめくってると、新島の海の色って独特だから、すぐにわかるんですよね。あ、これ新島だって 語り手:梅田久美、聞き手:薮下佳代

144.    現実逃避だよね。金なかったもう。人から金借りて、家賃払いながら、自分は日銭でパチンコ向かう。最悪ですよはっきりいって(笑) 聞き手:山口聖二

145.    もういずれはやるんだからじゃあ時期を早まらせて親世代である残留孤児たちのために介護をやろうと思って、その場で決めちゃった 聞き手:山崎哲

146.    レコード屋はほんとに夢の公民館で 聞き手:山田哲也

147.    身軽っちゃ身軽。地面に根をおろすくらいじゃない。鉢植えくらい、まだ 聞き手:山本ぽてと

148.    ドラマチェックはずっと続いてるわね。でも、出てくる人の顔がわからないから、出てくる人のストックがなくなってきてるっていうかさ 聞き手:湯田美明

149.    どうかなあ。まあ、レスだからね。なにレス……言わないよ! 聞き手:ルイス

150.    自分からアイヌのことをなくしてしまったら、想像できないですけど、その、店もそうだし、伝承活動もそうですけど、もうかなり軸となってるので 聞き手:渡邊直紀

あとがき ── 偶然と必然のあいだで

岸政彦

一般から公募した「聞き手」によって集められた
「東京出身のひと」「東京在住のひと」 「東京にやってきたひと」
などの膨大な生活史を、ただ並べるだけの本です。
解説も、説明もありません。
ただそこには、人びとの人生の語りがあるだけの本になります。

 

編者

岸政彦(きし・まさひこ)

1967年生まれ。社会学者・作家。立命館大学教授。主な著作に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013)、『街の人生』(勁草書房、2014)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社、2015年、紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)、『質的社会調査の方法──他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇・丸山里美と共著、有斐閣、2016)、『ビニール傘』(新潮社、2017年、第156回芥川賞候補、第30回三島賞候補)、『マンゴーと手榴弾──生活史の理論』(勁草書房、2018年)、『図書室』(新潮社、2019年、第32回三島賞候補)、『地元を生きる──沖縄的共同性の社会学』(打越正行・上原健太郎・上間陽子と共著、ナカニシヤ出版、2020年)、『大阪』(柴崎友香と共著、河出書房新社、2021年)、『リリアン』(新潮社、2021年、第34回三島賞候補)など。

 

 

 

東京の生活史 書評

1200ページ、無名150人の個人史が売れた 等身大に共感

202269 11:00 [有料会員限定] 日本経済新聞 「ヒットのクスリ

「東京の生活史」は150人の聞き手が150人の人生を描いた

芸能人に「スター」という称号を使うケースを最近は見かけない。1980年代まではスターの豪邸、生活をのぞき見る番組も目立ったが、今は「ポツンと一軒家」(テレビ朝日系)、「家、ついて行ってイイですか?」(テレビ東京)など一般人の等身大の人生を紹介するパターンが多い。

成長を夢見た時代に対し、停滞感が常態化した今。手の届かない憧れより、隣の人生の喜び、切なさに関心が高まっているのかもしれない。

こうした時代の気分を反映しているのか、意外な本が売れている。約1200ページという分厚さで4620円もする「東京の生活史」(岸政彦編、筑摩書房)だ。内容はサブタイトルにあるように「150人が語り、150人が聞いた東京の人生」で構成し、20219月に発売した。

まさに無名の老若男女の歴史が詰まっている。登場人物も70代のそば屋の店主、政治家の隠し子、シングルマザー、新聞業界団体で働く女性、花のアレンジメント業者など、実に幅が広い。

発行部数はなんと17千部。これだけのボリュームを備えた高額本としては異例の売れ行きだろう。きっかけは編者で立命館大学教授・作家の岸氏のツイートだ。

「東京で暮らしてるひと、いろんな階層と年齢と職業とジェンダー一生懸命暮らしてるひとの人生を聞きたい」。これが大きな反響を呼び、岸氏が旧知の筑摩書房の編集者、柴山浩紀氏に企画を持ちかけて出版が決まった。

筑摩のサイトで20年夏に150人のインタビュアーを募集すると、予想を大きく上回る480人弱の応募があった。出版社のプロの編集者もいるが「面白そう」と募集したアマチュアも多く、聞き手は多様になった。

内容は11万字以内。柴山氏は「仮に差別的表現にあたる可能性があるとしても、機械的に削るようなことはしなかった」と話す。生々しい人生の記録にこだわったからだろう。

課題の一つは本の厚みだった。製本は7センチに近づくと難しくなる。「東京の生活史」は約6センチで高度な製本技術が欠かせない。そこで広辞苑を手掛ける牧製本印刷に依頼し、1200ページ本が生まれた。

最近では「自慢話でも武勇伝でもない『一般男性』の話から見えた生きづらさと男らしさのこと」(扶桑社)という無名人物の評伝も話題になった。成長と量産の時代は人をパターン化するが、成熟時代は「人はそれぞれ特殊で個性的」という事実を大事にする。マーケティングでも「ビッグデータやロングデータに加え、個人の定性的な状況をインタビューすることは不可欠」(博報堂生活総合研究所)だ。

デジタル化、グローバル化が進むほど、人の存在は相対化され、居場所や行き先に迷う。岸氏があとがきに記すとおり、人は偶然生まれ、後に意味を生み出していくものだ。巨大な情報とデータとともに、等身大で厚みのある人生への関心も高まっていくだろう。

(編集委員 中村直文)

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中村直文(なかむら・なおふみ)1989年日本経済新聞社入社。産業部、流通経済部で百貨店・スーパー・食品メーカーなどを担当。日経MJ編集長などを経て、現在は総合解説センター

 

 

好書好日 2022.2.15.

岸政彦「東京の生活史」 ばらばらながら必要不可欠、150人の声

 どの頁(ページ)からでもよい。この厚い本を開いてみれば、名前や年格好もはっきりとしない誰かの声が、藪から棒に聞こえてくる。しかしその声に耳を傾けてみると、「全部お店やめてからね、ヤクルト始めた」「もう何百人目かの俺なわけですよ」など、その語り手にしか存在しなかったライフヒストリーが、生きた時代や環境とともに、ざらざらとした手触りで立ち現れる――

 『東京の生活史』はまず聞き手を募集、その後150人の聞き手それぞれが、自ら選んだ語り手の話を聞きとり、合計150の生活史を集めるというプロジェクト。2段組み1200頁という大著だが、よくこれで収めたものだ(とてもキリがない)というのが、読んでの偽らざる感想だ。

 この本は制作時から話題になっており、当初その話を聞いたとき、はたして東京という捉えどころのない都市の姿が、一冊の本としてまとまることがあるのだろうかと疑念をもった。

 しかしそれは杞憂であった。

 ある街を俯瞰ではなくそこにいる人の存在により語らしめること。そのようなことが可能だとは思いもよらなかったが、長年聞きとり調査を行ってきた社会学者の編者にとって、それは自明のことだったのだろう。本書には、そこにいる一人一人はばらばらながら、どのピースもすべて必要不可欠な、わたしたちがよく知る「東京」の姿が見事に再現されていた。

 この本には150の人生が収録されているが、どの話も本当に面白く、知らず知らずのうちに引き込まれるものばかりであった。それは何も聞き手や語り手が特別だからというわけではなく、本来、人の人生がそういうものだとしか言えないのだろう。ただ通りすぎただけでは聞こえてこないけど、耳を傾ければはっきりと聞こえてくる声。「語るに足らぬ人生」などないのである。東京という無縁の都市で、見知らぬ他者にひと時心を寄せる本であった。=朝日新聞2022212日掲載

    

 筑摩書房・4620円=5刷1万7千部。219月刊。3040代男性によく読まれている。読者の投票を元に人文書ベスト30を選ぶ「紀伊國屋じんぶん大賞2022」で1位に選ばれた。

 

 

毎日出版文化賞決まる

2022113 500分 朝日

 第76回毎日出版文化賞(毎日新聞社主催)が決まった。各部門の受賞作は次の通り。(敬称略)

 文学・芸術=岡崎乾二郎「感覚のエデン」(亜紀書房)人文・社会=瀧井一博「大久保利通 『知』を結ぶ指導者」(新潮社自然科学=古川安「津田梅子 科学への道、大学の夢」(東京大学出版会企画=岸政彦編「東京の生活史」(筑摩書房)

 

 

筑摩書房 ホームページ

1216頁に織り込まれた150万字の生活史の海。
いまを生きる人びとの膨大な語りを一冊に収録した、
かつてないスケールで編まれたインタビュー集。

……人生とは、あるいは生活史とは、要するにそれはそのつどの行為選択の連鎖である。そのつどその場所で私たちは、なんとかしてより良く生きようと、懸命になって選択を続ける。ひとつの行為は次の行為を生み、ひとつの選択は次の選択に結びついていく。こうしてひとつの、必然としか言いようのない、「人生」というものが連なっていくのだ。(……

 そしてまた、都市というもの自体も、偶然と必然のあいだで存在している。たったいまちょうどここで出会い、すれ違い、行き交う人びとは、おたがい何の関係もない。その出会いには必然性もなく、意味もない。私たちはこの街に、ただの偶然で、一時的に集まっているにすぎない。しかしその一人ひとりが居ることには意味があり、必然性がある。ひとつの電車の車両の、ひとつのシートに隣り合うということには何の意味もないが、しかしその一人ひとりは、どこから来てどこへ行くのか、すべてに理由があり、動機があり、そして目的がある。いまこの瞬間のこの場所に居合わせるということの、無意味な偶然と、固有の必然。確率と秩序。

 本書もまた、このようにして完成した。たまたま集まった聞き手の方が、たまたまひとりの知り合いに声をかけ、その生活史を聞く。それを持ち寄って、一冊の本にする。ここに並んでいるのは、ただの偶然で集められた、それぞれに必然的な語りだ。

 だからこの本は、都市を、あるいは東京を、遂行的に再現する作品である。本書の成り立ち自体が、東京の成り立ちを再現しているのである。それは東京の「代表」でもなければ「縮図」でもない。それは、東京のあらゆる人びとの交わりと集まりを縮小コピーした模型ではないのだ。ただ本書は、偶然と必然によって集められた語りが並んでいる。そして、その、偶然と必然によって人びとが隣り合っている、ということそのものが、「東京」を再現しているのである。

(岸政彦「偶然と必然のあいだで」より抜粋)

 

 

そんな生き方があるのかという素直な驚きを正味150回味わえる

 山本 貴光

 自分はこれまで誰かの人生をこんなふうに聞きとったことがあっただろうか。『東京の生活史』を読み終えて、かつて感じたことのない気分に圧倒されているとそんな疑問が浮かんでくる。考えてみたら肉親や友人でも、生まれてこの方どんな生活を送ってきたのかをよく知らない。それがどうだろう、この本ときたら! なにしろ東京にゆかりのある150人の人びとの、文字通り唯一無二の細部に満ちた人生が1200ページにわたって畳み込まれているのだ。
 書名にある「生活史」とは、社会学や人類学で用いられる調査の手法のこと。「ライフヒストリー」ともいう。詳しくは本書の編者で、自身も社会学者として生活史を実践してきた岸政彦の『マンゴーと手榴弾――生活史の理論』(勁草書房)などをお読みいただくとして、ここでは個人の人生を語りやその他の資料によって捉えようとする試みと大まかに理解しておこう。
 ところでこの本は、岸政彦の思いつきとツイートから始まった。2018年のことだ。私もそのツイートと展開を目にして、人びとの反応の大きさに驚き、成り行きから目を離せなかった一人である。参加者の抽選、説明会と研修、語り手への聞き取り、文字起こしから編集の工程を経て、2021年の夏、ついに完成した。辞書や事典を編むような一大プロジェクトだ。
 それにしてもどう評したものか。ここではありすぎる見所となさすぎる紙幅を考慮して、いくつかの点を紹介したい。まず、この本がなによりいいのは、そんな生き方があるのかという素直な驚きを正味150回味わえるところ。二つとして同じ人生はなく、この本なくして知るはずもなかった人の生き様に触れられる。もうこれだけで「今すぐ手に入れましょう」と言いたい。文字とはいえ、これだけの他人の経験に接すると、「私と似た境遇の人がいた」とか「そんなふうに生きてもいいのか」とか、自分の生き方を見る目にも変化が起きるに違いない。
 また、書き起こされた語り手の言葉が、整理されすぎていないのもいい。唐突に始まったかと思えば、(当人以外には)脈絡不明の連想が働いたり、それは誰ですかという人が出てきたり、話がどこへ転じていくかまったく予断を許さない。ああ、ここに生きている人間がいる、と感じる。小説やドラマのセリフとちがって過度に整えられていない、これぞ天然の語りだ。
 同様に、語り手のプロフィールや注釈などが一切ないのも素晴らしい。タイトルにしても文中からの引用で、「もう何百人目かの俺なわけですよ」「私のあずかり知る東京はだいたいこのへんがすべてなんですけど。中央線がすべてなんですよね」とか、狙ってもなかなか書けないフレーズに満ちている。ほぼ語りだけがそのまま提示されているわけである。
 加えて言えば、聞き手と語り手の関係の妙がある。どんな関係かは必ずしも明示されないものの、語り手から「なあ、もういいか。おしまい」とか「あなたの好きな風間杜夫」だなんて言葉が出るのを見て、家族や友人に話を聞いているんだなと分かるケースもある。どんな関係だとこういう会話になるのだろうと推測しながら読むのも楽しい。
 最後に、これだけの語りをかたちにした聞き手のみなさんにも拍手を送りたい。人は、よく聞いてもらえると感じるからこそ安心して話せるものだ。また、同じ語り手でも聞き手が変われば違う語りになるはずで、この組み合わせでなければこのようには語られなかったかと思うとそれがまた愛おしくもある。
 東京はどこへ行ったのか。ここに登場する語り手たちは、生まれた時代も場所も経歴もまちまちで、「これぞ東京」という分かりやすいイメージは見当たらない。読者は、むしろこの多様な人びとを受け入れる器として、かれらの語りの断片から、ちぐはぐなコラージュのように浮かび上がる都市を目にすることになるだろう。
 読めば読むほど人生も東京も分からなくなる。ということは、思い込みから解放してくれる本なのである。座右に置こう。

2021921日更新

山本 貴光(やまもと たかみつ)

1971年生まれ。慶應大学環境情報学部卒業。コーエーでゲーム開発に従事の後、文筆家に。単著に『「百学連環」を読む』(三省堂)などがある。吉川浩満との共著に『脳がわかれば心がわかるか』(太田出版)、『問題がモンダイなのだ』(ちくまプリマ新書)がある。

 

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