発信力の育て方 外岡秀俊 2022.1.12.
2022.1.12. 発信力の育て方 ジャーナリストが教える「伝える」レッスン
著者 外岡秀俊 1953年札幌市生まれ。2021.12.23.逝去。76年東大在学中に書いた『北帰行』で文藝賞を受賞し、小説家としてデビュー。村上龍とともに大きな注目を集めた。77年小説活動を休止し、朝日新聞社入社。社会部、外報部、ヨーロッパ総局長、東京本社編集局長、編集委員などを歴任。退職後、2011年中原清一郎の名で小説『カノン』を発表。現在、中原清一郎名で小説家として、外岡秀俊名でジャーナリストとして活躍。訳書にジョン・W・ダワー著『忘却のしかた、記憶のしかた――日本・アメリカ・戦争』など
発行日 2015.9.20. 初版印刷 9.30. 初版発行
発行所 河出書房新社 「14歳の世渡り術」
「人に伝えるって、どういうこと?
うまく伝えるコツは?
誰もが発信者になれる時代に、一緒に考えてみませんか」
はじめに
21世紀になって、デジタル技術の急速な進化と、インターネットや、SNSの普及によって、誰もが「いつでも、どこでも」ネットに接続し、発信することができるようになった
「活字離れ」とは裏腹に、発信の機会は爆発的に増えている
「不特定多数」の人を相手に、どのように文章を書くのかについて、学ぶ機会はない
どうしたら読み手に正確に、分りやすく伝えるか
人間関係の基本はコミュニケーション力。コミュニケーション力の定義は、「受け取る心、伝える心」の総和であり、情報を受け取るには曇りのない目、素直な心があれば十分だが、「伝える」ためには技術と訓練が必要
「伝えるべき中身」を豊かなものにするための「情報収集」や「取材」、その素材を取捨選択する「編集」、より分かりやすく伝えるための「レイアウト」なども考える必要がある。それを他の人と共有する全てのプロセスが「発信力」
第1章
情報収集術――自分が伝えたいものを見つける
l 小さな驚きが出発点
「ビッグデータ」からある目的のために取捨選択された一群のデータが「情報」
情報収集の第1歩は、何のためのデータかを決めるところから始まる
「テーマ」を見つけるためには「自分の井戸を掘る」――自分の心の変化や気づきを掘り下げていく
驚きや意外性を発端に、事情や背景を示して読者に納得や共感をもたらすのが新聞記事の基本
l 偶然に目を向ける
世の中の事象を「当たり前」と思わずに、偶々そうなっているという偶然性に驚きの目を向けることが「気づき」となり、テーマに発展することもある
l 「問題意識」がエンジン
「情報収集のエンジンは問題意識」――喜怒哀楽や驚き、好奇心から出発してそれを深め、「問題意識」にまで高めるところから情報収集が始まる
「プッシュ型」は「受け身の情報収集」であり、「プル型」は「能動的な情報収集」
プル型でない限り、情報は身につかない
l 知識より知恵が大切
「さあ跳べ、ここがロドス島だ」(『イソップ寓話集』)」――ロドス島ではうまく跳んだと自慢するスポーツ選手に、聴衆が言った言葉
2つの意味があり、1つはここで実力を証明しろという反問であり、もう1つは実力を見せろという挑戦の言葉
情報収集の技こそ、豊かな「知恵」をもたらす助けになる
l 「なぜ?」「どうして?」が道しるべ
テーマには階層があり、学校で教えるのは大テーマから小テーマに降りていく道筋だが、情報を身につけるには、逆に小さなテーマを大きなテーマにしていく道筋を自ら探すことが重要であり、それこそが実地に役立つ「知恵」
l 小さなテーマから大きなテーマへ
「パスファインダー」=情報収集の支援ガイドのこと、自分なりの「パスファインダー」を見つける
あるテーマの情報を集める手段として、①キーワード、②参考図書、③多分類の図書、④新聞記事、⑤雑誌・パンフレット、⑥CD-ROM、⑦インターネットのサイト、⑧関連施設紹介、などをあげる
l 最初に本にあたる
本には、①ある分野についての基本的なデータが盛り込まれている、②そのデータは客観的で偏りのないものが使われている、③考える枠組みが示されている
著者は、ある問題意識を持ってデータを集め、いくつかの解釈を述べ、これが最適と思う道筋を明らかにする
通読するだけでいいが、最後まで読み通すことが大切
最初の情報革命は、グーテンベルクの活版印刷によって市民に読書の習慣をもたらす
次いで、19~20世紀の「アナログ革命」で、写真と映像によってイメージを、レコードによって音を複製
第3が20世紀末からの「デジタル革命」
ただ、「便利さ」は必ずしも「豊かさ」を、「量」は必ずしも「質」を保証しない
l キーワードを百科事典で調べる
基本書を何冊か読んだ後で、キーワードのいくつかを百科事典で引いてコピーする
「いつ」「どこで」起きたのか、歴史的背景も含め「座標軸」を調べる
l 検索エンジンに頼らない
パソコン1つで何でも手に入れられる時代になったが、「便利さ」の代償として犠牲になったものに注目――偶然の「出会い」やひらめき、関心の幅を広げるには不向き
l 新聞・雑誌は包装紙?
新聞・雑誌のつくりは、最初と最後に最新のニュースを置き、特集や読み物などの「アンコ」の記事をくるむように編集される
l 日本人は新聞好き
日本の新聞は発行部数が極端に多い――特定の読者層を前提とした欧米の新聞との成り立ちの違いや、教育の違いが大きい
l デジタル社会での新聞の役割
新聞の役割は、①ニュース・バリューの判断、②多様な価値観、③記録性、の3点でデジタル社会でも存在意義を維持する
l ネットとリアルワールド
ネットをめぐる誤解の1つは、ネット上の仮想空間をリアルワールドと思い込むこと
ジャーナリストの役割は、情報を発信しない、できない人々に代わって、その人々が言いたいことを伝えることであり、リアルワールドでしかできないもの
l ネット使用上の4つの注意
① 必ず原書か、他の資料にあたる
② コピペをしない
③ 出典を明確にする――原典が公的機関のサイトに行き着くまで繰り返す
④ 多様性に目配りを――反対意見や少数意見にも配慮
l 情報通になろう
「情報通=情報に通じた人」とは、「どこに行けば情報があるのかを知っている人」
「情報通」になるには、「人に聞く手間を惜しまない」
情報を集めるときに、最強の力を発揮してくれるのは、書物やネットではなく人間
第2章
取材術――客観力を育てる実践的レッスン
l 取材する前に「仮説」を立てる
情報収集した後で、現場に行くか体験した人に会うことが重要。その前提として、あらかじめ「仮説を立てる」
「仮説」が裏切られたら、それがニュース
l メモは取材の基本
メモを取る段階で、何が重要かを無意識のうちに選択している
メモには、文章だけでなく、見取り図や地形などの手書きの絵も残す
l 人には直接、会いに行く
取材は対面が基本
人と人とのコミュニケーションは、言葉だけでなく、非言語の表情や仕草、身振りなどで成り立っている
l 取材力をみがくトレーニング
想像力を働かせ、細かな点にも目配りをすることが取材力を磨く技
l インタビューのための6つのヒント
① まず、相手を知る――事前知識をできるだけ多く集める
② 質問事項を準備する――大項目、小項目に分ける
③ 相手が話しやすいことから聞く
④ 録音して言葉遣いをチェックする
⑤ 写真撮影はインタビューの後で
⑥ 取材の後で、その日のうちにお礼状を出す
l 聞き上手になる
自分のおしゃべりは最小限にとどめ、相手の話を引き出すきっかけを作ったらあとは完全な聞き役に徹する
予定時間よりも少し先に打ち切り、残りを「雑談」に充てる。相手を緊張から解きほぐすことで本音が引き出せる
l 引いてもいいが、足してはダメ
報道やノンフィクション、ルポルタージュなどは、「事実」に基づいて構成する文章
「事実に基づく」文章の鉄則は、「引いてもいいが、足してはならない」
虚偽をどう見破るかが問題――①第3者証言、②第3者の著作、③新聞記事や映像の記録、などによる裏付けがなければ書いてはいけない
「引いてもいい」が、自分の解釈や見方に不利な事実や証言は斬り捨ててはならない
それは、あらゆる人に対し「公正(フェア)である」という原則があるから
l 情報源は必ず守る
情報源秘匿の原則――情報源が匿名で告発をし、ジャーナリストがそれに代わって調査し、社会的な問題を提起する場合の原則
l 客観性とは何だろう
特定の立場に偏らず、客観的に事実を報道するという姿勢を「客観報道」という
立場の違いで対立が起こった時には、少しでも弱いものの立場に立つのがジャーナリズムの役割
事実に対してのみ誠実な報道姿勢こそが「客観報道」であり、不偏不党は当然
l 「クロスロード」ゲームをやってみよう
ある問題に対しYESかNOで答える。多数になった人たちには賞品が与えられるが、1人だけ反対の場合は高価な賞品が与えられる
人によって違った見方があり、違った選択にはそれぞれ理由があることを学ぶゲームで、1人だけ反対の人を特別視するのは、「少数意見」を大事にするという原則を示すため
l 取材のジレンマ
ジレンマとは、どちらを選んでも問題が残る「板挟み」の状態を指す
l 読者に代わって、読者のために
ジャーナリストの本分であり、「誰も会いたくない人」に会い、「誰も行きたくない場所」に行くことを義務付けられている
l メディアは第4権力?
メディアは第4権力と呼ばれるが、権力を監視するだけでなく、「世論の暴走」を監視する役割もある
第3章
編集術――誰もが理解できるために
l 設計図を描いてみる
まず大まかな設計図を描く――写真や図、グラフなどプレゼンの要素の全てを一体のものとして考える
「仮見出し」を考える――自分が最も強く訴えたいテーマを、短い言葉にまとめる
文章全体の構成を考え、段落ごとに書いていく
どのデータや情報をどこに入れるのか仕分けする
設計図を描く時に大切なのは、「欠けている点」をチェックすること――論理の飛躍を埋める、偏った見方には反対意見を紹介
l 前分(リード)は必要か
リードとは、記事を読ませるための導入部分のこと。どんなに短くなっても全体像をコンパクトに残すように編み出した知恵
新聞記事の基本は「逆ピラミッド型」――出来事の結果を先に書き、重要な要素から、少しづつ周辺の情報に広げていく手法だが、その典型がリード
最近のリードは、記事全体の要約ではなく、重要な「最小単位」を持ってくればいいということになっている――「看板型」や「勧誘型」のリードが主流だが、「短く」が基本は不変
l お手本になる文章
新聞の文章は、名詞などで言い切りにする「体言止め」など、不自然な日本語が多い
l 図表やグラフはシンプルに
多くの要素を集めたうえで、大事だと思うことを選んで残し、ほかを消去することが大切
l データや数字は本文の外に
数字を並べた文章は、人に読んでもらうには負荷がかかり過ぎる
文章もできるだけシンプルにするのが基本
l 「わかりやすさ」「正確さ」「美しさ」
文章は3つの要素から成り立つ――①わかりやすさ、②正確さ、③美しさ
何かを誰かに伝えたい場合は、「わかりやすさ」が第一
l だれかに読んでもらってチェックする
表現力を磨く一番のコツは、発表する前に身近な人に見てもらうこと
売店でその日毎に別の新聞を買うことが多い英米の新聞は、初めて読む読者にもわかりやすいように、全体の流れや背景を書くことが多いが、定期購読の読者が多い日本の新聞は、それに比べ、「最新」のニュースを追うあまり、断片的で、一部分を拡大する傾向がある
既に知られていることを、どの程度書けばわかりやすくなるか――さっと読んでニュースの価値を判断してもらうには、7割が「既知」で3割が「ニュース」くらいがちょうどいい
読んでもらって「わかりにくい」と言われたら、「なぜ、ここで、つまづくのか」を読者の目線で考えてみる
第4章
発信術――ネット社会は1人1人がジャーナリスト
l どのメディアを使うべきか
メディアとは、情報を伝達する「媒体」、伝達手段のこと
情報を発信する場合の留意点――①グループにいる人すべてに届くこと、②デジタルデバイドなど情報受け取り格差が生まれないようにする、③障碍者など受け取りが難しい人には代わりの手段を考える
複数のメディアを並列して使うよう心掛ける
メディアは年々更新され便利になっていくが、最新メディアが使えなくなった時でも機能する旧メディアに慣れ、使い方を知っておくことは危機管理の一環としても必要
l メディアはメッセージである
カナダの文明史家、メディア研究科のマーシャル・マクルーハンの言葉で、どんなメディアを使うかも1つのメッセージであり、その特殊性に影響されたり、制約されたりすることに注目――緊急性や重要度に応じてメディアを使い分けてきた
それがネット社会の普及によって、どの情報もフラットになり、情報の無限大の拡散が却って真偽を見極め、自分にとって必要な情報を探し出すことを難しくしている
多様なメディアの違いに気を付け、自分でも使い分けを心掛けることが必要
l 取材源、出典を明記する
情報の根拠となる取材源や出典を明記するのは、あとで受手が検証できるようにするため
不正の告発以外で匿名にする場合は、その理由を書くことがルール
l 伝聞情報はそのままでは書かない
伝聞情報は、根拠や事実関係を確かめない限りは書かない
l 人を傷つける言葉を使っていないか
人は、他人の何気ない言葉で救われたり傷ついたりする
無意識のうちに他人を傷つける言葉を避けるためのテスト
① その言葉が自分に対して使われた時のことを考える
② その言葉がものごとや性質を断定していないか
③ 自分よりも「上」の立場にいる人に言われて不快に思う表現を、決して「下」の人には使わない――「~くせに」は禁句
④ ひとくくりにしない――ある集団を主語とする文章には気を付ける。ヘイトスピーチ
l いきなり本題に入らない
ものごとを伝えるときに大切なのは「導入部/入口」――広く低いほど読者は入りやすい
l 「正論」を疑う
誰も否定できない「正論」が、常に人々の共感を得ているとは限らない
「正論」には、「異論を許さない」という死角が生じやすい
l 「正論」でチェックする
1つの結論が正しいのかどうかを判定する基準の1つが「正論」で、「正論」や「常識」は1つの「考え」の歪みや間違いをチェックするのに役立つ
l 発信する前に最終確認を
情報発信における「指差し確認」のポイント
① 固有名詞と数字
② 誤記、表現の誤りチェック
③ データの確認
④ 書かれた人はどう思うか
l 受け手の反応は貴重なアドバイス
自分が発信した情報がどう受け取られたのかを知ることは、次の機会に「情報発信力」を高める上で貴重な材料――自分から進んで反応を調べる「情報収集」が大切
l コミュニケーションの力をみがく
「聞き上手」と「話し下手」は同じではない
l まず発信してみる
話し下手解消のコツの第1は、まず発信すること。結論を先にいうのも効果的
l なぜ、あがるのか
「あがる」のは「恥ずかしい」という気持ちの結果であり、「恥ずかしい」と思うのは、自分を「よく見せたい」という望みが高すぎるからで、自然体でありのままを見てもらう
l 伝える気持ち
熱意と誠意が重要――みんなに分かってもらいたいという気持ちと、相手への真心
l ネット社会を生きるために
① 「繋がらない時間」を大切に――オンとオフがあってこその人との繋がり
② 匿名を避ける
③ 明るみに出ても構わない言葉を使う
④ 返事は出来るだけ早く
⑤ 時間を置く
おわりに
人に何かを伝えようとすると、飛躍的に理解は高まり、よく「わかる」ようになる
(天声人語)記者として作家として
2022年1月9日
この欄に私的な感懐はなじまないと心得ているつもりだが、節を曲げても追悼の一文を捧げたい先輩記者がひとりある。外岡秀俊さん。68歳で急逝との報に、わが身を打たれるような痛みを覚えた▼初めてその文章に接したのは小説『北帰行』。東大在学中、石川啄木の足跡を追う旅を描き、新鋭作家に贈られる文芸賞を受ける。彼が文学の道に進まず、新聞社の門をたたいたことで、文芸誌の編集者たちは大いに嘆いたという▼新潟、東京、ニューヨーク、香港などで縦横に筆をふるった。力を注いだのは災害と国際紛争の報道。最前線に身を置きながらも特ダネ競争には走らず、常に問題の本質を論じ当てようとした▼ロンドン駐在中は文芸誌に「傍観者からの手紙」を連載。日々のニュースを、欧州の歴史や文学という「濾過(ろか)器」にかけて描くことで、時代論に昇華させた。記者の枠を超え、報道と評論の境を自在に行き来した▼編集幹部に就くと、戦時下における新聞の責任を論じた。一介のデスクだった当方にとって忘れがたい指摘がある。「近ごろ『国』を主語や目的語にした記事が多い。国とは官邸か省庁か、省庁なら何省か。明確にすべきだ」。惰性に潜む危うさを見逃さなかった▼『カノン』『ドラゴン・オプション』『人の昏(く)れ方』。2011年に退社後は、中原清一郎名でSFやミステリーを相次ぎ刊行した。豊富な取材経験を今度は小説にいかした。記者としても作家としても早すぎる旅立ちが無念でならない。
朝日新聞社の元編集委員・外岡秀俊さん死去 著書に「北帰行」など
2022年1月7日
ジャーナリスト・作家で、朝日新聞社の編集委員や編集局長・ゼネラルエディター(GE)を務めた外岡秀俊(そとおか・ひでとし)さんが12月23日、心不全のため死去した。68歳だった。葬儀は近親者で行った。
東大法学部在学中、石川啄木の足跡を追う青年を描いた「北帰行」で文芸賞を受賞。1977年に朝日新聞社に入社し、新潟支局、学芸部、ニューヨーク特派員、論説委員、ヨーロッパ総局長を歴任。2006年に東京本社編集局長・GEに就任し、戦時下の報道責任を検証する連載「新聞と戦争」を企画した。その後、編集委員を務めた。
11年に退社後は、東日本大震災や沖縄問題、国際問題を中心に幅広く取材するジャーナリストとして活動。北海道大学公共政策大学院上席研究員も務め、朝日新聞北海道版でコラム「道しるべ」を執筆していた。著書に「地震と社会」などのほか、小説では中原清一郎名義で「カノン」などがある。
問い合わせは朝日新聞社広報部(03・5540・7617)。
◇ ◇
外岡秀俊さんには小説家としての顔もあった。東京大在学中の1976年、「北帰行」で文芸賞を受けてデビュー。同じ年には武蔵野美術大在学中の村上龍さんが芥川賞に決まっており、相次ぐ学生作家の受賞が話題になった。
朝日新聞社入社後は小説執筆を休止していたが、退職後に中原清一郎の筆名で本格的に執筆活動を再開。「カノン」(2014年)、「人の昏(く)れ方」(17年)を発表した。
河出書房新社の雑誌「文芸」元編集長で、「カノン」の担当編集者だった高木れい子さんは、「人間とは何かといった大きなテーマを、決して観念的ではなく、日常と地続きのところから書き起こしていく。新聞記者らしく膨大な取材力に基づいた知識を決してひけらかすわけでなく、物語へ昇華していく。ますます成熟した作品を読めると楽しみにしていたのに、残念でなりません」と突然の死を惜しんだ。
外岡秀俊さん、編集者がみた作家としての顔 膨大な知識を物語に昇華
2022年1月7日
朝日新聞社の編集委員や編集局長・ゼネラルエディター(GE)を務め、12月23日に68歳で死去した外岡秀俊(そとおか・ひでとし)さんには、小説家としての顔もあった。
東京大在学中の1976年、「北帰行」で文芸賞を受けてデビュー。同じ年には武蔵野美術大在学中の村上龍さんが芥川賞に決まっており、相次ぐ学生作家の受賞が話題になった。
朝日新聞社入社後は小説執筆を休止していたが、退職後に中原清一郎の筆名で本格的に執筆活動を再開。「カノン」(14年)、「人の昏(く)れ方」(17年)を発表した。
「すばらしい才能なのに、新聞記者の間は書かないのは残念でならない」
そんな嘆き節を、河出書房新社の雑誌「文芸」元編集長の高木れい子さんは、外岡さんのデビュー時を知る先輩たちからしばしば聞いていた。新聞社退職を知り、執筆依頼をしたところ、すでに書き上げた小説を渡された。それが「カノン」だった。
がん宣告された男と記憶を失う病に侵された女が「脳間海馬移植」により、互いの肉体を入れ替える物語。「意識とは、身体とは、人間とは何かを問う大きなテーマを扱った作品ですが、決して観念的ではなく、日常と地続きのところから書き起こしていく。常々『小説は読む楽しさもないといけない』とおっしゃっていた通り、エンターテインメント性もある。文体もすばらしく、ハッとする表現が随所に出てきます。私の頭の中でモヤモヤとしていた概念が、すっと言葉になっている」
新聞記者らしい膨大な取材力にも驚かされた。「『カノン』は男と女が入れ替わる話ですが、女性になったときの戸惑いを、専門的な文献だけでなく、女性誌などにも目を通して書かれていた。膨大な知識を決してひけらかすわけでなく、物語へ昇華していく」
高木さんは「カノン」の後、「人の昏れ方」、中学生に向けて本名で書いた「発信力の育てかた」を担当した。
「そろそろ小説はいかがでしょうと、連絡しようと思っていた矢先でした。ますます成熟した作品を読めると楽しみにしていたのに残念でなりません」(野波健祐)
外岡秀俊さん死去 元朝日新聞社編集委員・作家
2022年1月8日
ジャーナリスト・作家で、朝日新聞社の編集委員や編集局長・ゼネラルエディター(GE)を務めた外岡秀俊(そとおか・ひでとし)さんが12月23日、心不全のため死去した。68歳だった。葬儀は近親者で行った。
東大法学部在学中、石川啄木の足跡を追う青年を描いた「北帰行」で文芸賞を受賞。1977年に朝日新聞社に入社し、新潟支局、学芸部、ニューヨーク特派員、論説委員、ヨーロッパ総局長を歴任。2006年に東京本社編集局長・GEに就任し、戦時下の報道責任を検証する連載「新聞と戦争」を企画した。その後、編集委員を務めた。
11年に退社後は、東日本大震災や沖縄問題、国際問題を中心に幅広く取材するジャーナリストとして活動。北海道大学公共政策大学院上席研究員も務め、朝日新聞北海道版でコラム「道しるべ」を執筆していた。著書に「地震と社会」などのほか、小説では中原清一郎名義で「カノン」などがある。
フェイクをうんだ大本営とメディア いま向き合うべき「報道責任」
2021年12月2日
軍部に批判的だった朝日新聞はなぜ、戦争礼賛に傾いていったのか――。
戦時下の「報道責任」を検証するため、朝日新聞は2007年から08年にかけて「新聞と戦争」と題した連載を夕刊に掲載し、当時の社論の変遷や社会の姿を伝えました。(別掲)
12月8日で太平洋戦争開戦から80年を迎えるにあたって、朝日新聞デジタルで改めて「新聞と戦争」の一部を配信します。朝日新聞の元東京本社編集局長で、ジャーナリスト・作家の外岡秀俊さんに、当時、この企画を発案した狙いや、いまの時代に再読することの意義について寄稿してもらいました。
◇
■「報道責任」を問う 外岡秀俊さん《寄稿》
毎年8月15日前後になると、メディアは一斉に戦争特集を組む。それに比べ、太平洋戦争の「開戦の日」は、あまり注目されない。
軍人・軍属230万人、民間人80万人が亡くなり、敗戦の日が誰にも身近な共通体験だったせいだろうか。それに比べ、開戦では極秘とされた真珠湾攻撃が、誰にも事前に知らされなかったためだろうか。
だが戦争を振り返り、「敗戦責任」を問うなら、無謀な企てに突き進んだ「開戦責任」を問うのが筋ではないだろうか。ところが「敗戦」には責任を問うべき軍部という「顔」があるのに、誰が「開戦」責任を負うべきかは、はっきりしない。
戦時中、透徹した目で国内外の出来事を「暗黒日記」に記した清沢洌は、1944年4月末にこう書いた。
「日本はこの興亡の大戦争を始むるのに幾人が知り、指導し、考え、交渉に当ったのだろう。おそらく数十人を出でまい」
「我国における弱味は、将来、この戦争が国民の明白な協力を得ずして、始められたという点に現れよう。もっともこの国民は、事実戦争を欲したのであるが」
「この時代の特徴は精神主義の魔力だ。米国の物質力について知らぬ者はなかった。しかしこの国は『自由主義』『個人主義』で直ちに内部から崩壊すべく、その反対に日本は日本精神があって、数字では現わし得ない奇跡をなし得ると考えた。それが戦争の大きな動機だ」
清沢は別の箇所で、その正体を「空気」であり、「勢い」だと表現する。では、その「空気」を醸成し、「勢い」を加速させた者は誰だろう。政治家。軍部。知識人。さまざまな顔が思い浮かぶが、忘れてならないのは、彼らの声を伝えたメディアだろうと私は思う。
朝日新聞デジタルは開戦80年の今年、かつて夕刊に連載した「新聞と戦争」の一部をアーカイブ配信するという。
この連載を始めたきっかけは、私が東京本社編集局長だった2006年に受け取った読者からの一通の投書だった。
「私が小さな頃、祖父が口癖のように言っていたのを思い出します。朝日の論調が変わったら気をつけろ、と」
祖父の警告が、今回真っ先に配信される「社論の転換」、つまり1931年の満州事変を境に、軍部批判から戦争の翼賛に転じた朝日新聞の変貌を指すことは明らかだった。
私は開戦前夜の「空気」を醸成した「報道責任」を問うべく取材班を編成し、徹底的に検証するようお願いした。その際にお願いしたのは、たった二つだった。一つは一切のタブーを恐れない。二つ目は、「もし自分がその場にいたら、どうしていたのか」を常に考えてほしいということだ。この二つは表裏の関係にある。
朝日新聞をはじめ多くのメディアは、自らの戦争責任を問うことなく戦後を歩み始めた。「墨塗り教科書」のように、戦時に呼号した「鬼畜米英」「一億一心」を隠し、「民主主義」の看板を掲げた。戦後、何度か機会はあったはずなのに、報道責任を徹底究明することはなかった。先輩や上司に累が及び、ひいては自らに跳ね返るのを恐れたためだろう。それが社内の「タブー」となっていた。
だが、この検証は当事者個人の責任を追及するために行うのではない。穏やかな川が奔流の「勢い」になって、誰もが激流にのまれるメディア状況の全体像を示してほしい。それが、「もし自分がその場にいたら」と自問を促す意味だった。
20人余の取材班は2007年4月から1年間にわたって243回の連載を続けた。おそらく当時が、関係者から話を聞ける最後のタイミングだったろう。取材は記者やカメラマンだけでなく、広告、販売、航空、旧植民地の関係者にまで及んだ。
今連載を再読して思うのは、メディアが自らの報道責任を問うことの大切さだ。「大本営発表」は、軍部だけが作り上げたのではない。軍部と一体化し、それを報じるメディアがあってこそ成り立つ「フェイク」だった。
もし「フィルターバブル」と呼ばれる「情報分断」の時代にメディアが生き残ろうとすれば、自らの報道の誤りや見通しの甘さをそのつど検証し、読者や視聴者に説明することは欠かせない。その説明責任なしに、メディアへの信頼を得ることはできない。
80年前の開戦は、けっして昔の話ではない。コロナ禍のさなか、メディア報道は「大本営発表」になってはいなかったろうか。あるいは、今は「戦後」ではなく、「開戦前夜」になってはいないだろうか。この連載を、そうした「空気」に対する「頂門の一針」としてお読みいただければ、と思う。
Wikipedia
外岡 秀俊(そとおか ひでとし、1953年 - 2021年12月23日)は、日本の小説家、ジャーナリスト、元朝日新聞社東京本社編集局長。別名に中原清一郎。
来歴[編集]
北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、東京大学法学部卒業。作家の久間十義は高校の同級生。
1976年、東大在学中に石川啄木をテーマとした小説『北帰行』により文藝賞を受賞するが、その後小説を書くことはなく、1977年に卒業後、朝日新聞社へ入社。学芸部、社会部記者、ニューヨーク、ロンドン特派員、論説委員、ヨーロッパ総局長を経て東京本社編集局長。2011年3月、両親の面倒を看たいと考え、早期退職制度を用いて朝日新聞社を早期退職[1]。東京から故郷の札幌に戻る。
その後、2014年1月に雑誌「文藝」2014年春号に、中原名義で新作長編小説『カノン』を発表した[2]。
人物[編集]
ただし、1986年に中原清一郎名義で発表された『未だ王化に染はず』が、小田光雄の調査で、外岡の著書と判明している[4]。中原名義では「生命の一閃」が『新潮』1986年6月号に発表されている。
著書[編集]
単著[編集]
『未だ王化に染はず』(1986年、福武書店)中原清一郎名義 小学館文庫、2015
『国連新時代 オリーブと牙』(1994年、ちくま新書)
『傍観者からの手紙 from London 2003-2005』(2005年、みすず書房)
『情報のさばき方 新聞記者の実戦ヒント』(2006年、朝日新書)
『アジアへ 傍観者からの手紙 2』(2010年、みすず書房)
『震災と原発 国家の過ち 文学で読み解く「3・11」』(2012年、朝日新書)
『3・11 複合被災』(2012年、岩波新書)
『「伝わる文章」が書ける 作文の技術 名文記者が教える65のコツ』(2012年、朝日新聞出版)
『カノン』(2014年、河出書房新社)- 中原清一郎名義
『ドラゴン・オプション』中原清一郎 小学館、2015
『人の昏れ方』中原清一郎 河出書房新社、2017
共著[編集]
『日米同盟半世紀―安保と密約』(2001年、朝日新聞社)共著:三浦俊章、本田優
『9月11日・メディアが試された日 TV・新聞・インターネット』(2001年、大日本印刷ICC本部)共著:室謙二、枝川公一
『新聞記者 疋田桂一郎とその仕事』(2007年、朝日選書)共編:柴田鉄治
『民主政治のはじまり 政権交代を起点に世界を視る』(2010年、七つ森書館)共著:山口二郎、寺島実郎、西山太吉、寺脇研
翻訳[編集]
ジョン・ダワー『忘却のしかた、記憶のしかた 日本・アメリカ・戦争』岩波書店、2013年
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