戦略の世界史  Lawrence Freedman  2019.11.22.


2019.11.22.  戦略の世界史 上・下
Strategy: A History 2013

著者 Lawrence Freedman ロンドン大キングス・カレッジ戦争研究学部名誉教授。国際政治委研究者。核戦略、冷戦、安全保障問題について幅広く著作・執筆を行う。マンチェスター大、ヨーク大、オックスフォード大で学ぶ。オックスフォード大ナッツフィールド・カレッジ、英国際戦略研究所、王立国際関係研究所を経て、1982年キングス・カレッジ戦争研究学部教授に就任

訳者 貫井佳子 翻訳家。青山学院大国際政治経済学部卒。証券系シンクタンク、外資系証券会社に勤務後、フリーランスで翻訳業に従事

発行日           2018.9.25. 11
発行所           日本経済新聞出版社

Ø  大国や大企業の命運をかけた決断から、個人の日常生活における様々な行動に関わる意思決定まで。強者か弱者か、職業、社会的地位を問わず、誰もが、あらゆる組織が必要としている戦略。それは、いつから人間の世界に登場し、どのように用いられ、変容してきたのか?
Ø  聖書の世界から、ペロポネソス戦争、ナポレオン戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などの戦争や軍事戦略、そして革命運動、公民権運動、大統領選挙戦など政治との関わり、さらにアメリカ巨大企業の経営者、経営戦略家によるビジネス革命まで、広大な視野の下に戦略の変遷を論じる。また、神話、歴史書、文学、哲学、経済学、社会学、心理学、政治学など多様な分野にわたり、人間と戦略の関わりを解き明かし、戦略とは何か、を追究する
Ø  上官では、戦略の起源を、聖書、古代ギリシャ、損し、マキャベリ、ミルトンに探り、ナポレオン、除身に、クラウゼヴィッツ、モルトケ、マハン、リデルハート、マクナマラ、カーン、シェリング、ロレンス、毛沢東などの軍事戦略、トルストイの思想を取り上げ、そして弱者の戦略として政治的な戦略の軌跡を、マルクス、エンゲルス、バクーニン、レーニンなどの革命家、ウェーバーら社会学者の思想に探る
Ø  戦略とは、「パワーを創り出すアートである」
Ø  戦略には、脅威と圧力だけでなく交渉と説得、物理的な効果だけでなく心理的な効果、行動や言葉も含まれる。戦略が最も重要な政治的アート(技芸)であるのはこのためだ。戦略は、人間の合理性、心理、行動、組織と個人、コミュニケーション、倫理、脳の動き、人間関係、社会関係など、社会の様々な領域と結びつき、多様な科学の理論と密接に関わって発展してきた
Ø  下巻では、「下からの戦略」として、ガンジーらの非暴力運動、キング牧師らの公民権運動、クーンの科学革命論、フーコーの哲学、アメリカ大統領選挙戦など、多様な話題を通じて戦略思想の変容を捉える。また「上からの戦略」として、テイラー、スローン、フォードら経営者、ドラッカーなどの経営理論家の思想、ゲーム理論などの経済学の隆盛、社会学的な取り組みを明らかにし、合理的選択理論の限界、ナラティブ、ストーリーとスクリプトの有効性を問い、今日における戦略理論の妥当性を追究する

まえがき
まともな組織なら戦略を持ち、依然として戦略的なアプローチは、戦術的なアプローチよりも望ましいと考えられる
戦略とは、目先の瑣末事に拘らずに長期的で本質的なことを見通し、症状ではなく原因に対処し、木よりも森を見る能力を意味する
自らの目標や能力を踏まえた上で、前以って先の行動について考える試みを表現するのに「戦略」は最適な言葉
現代の一般的な定義は、「目的と方法と手段のバランスの維持、目標の特定、その目標を実現するうえで利用可能な資源と手法に関わるもの」とされる
「戦略」という言葉の起源は古代ギリシャだが、中世から近代にかけて、関連する言葉として用いられていたのは「戦争の技法art of war」だった。戦略という言葉が使われ始めたのは18世紀後半の英独仏に於いてで、背景には理性を適用することが人間社会に関わる他のあらゆる領域と同じく戦争にも役立ちうるという啓蒙思想の楽観論があった
1970年代からはビジネス戦略という言葉が使われ始め、2000年には軍事戦略よりも頻繁に登場
戦略はうぬぼれであり、大衆の動きをエリートが上層から操作できると見せかける幻想だとの批判がある
本書では、多種多様なアプローチの発展について記した。厳格な中央集権的計画プロセスから、無数の個人の意思決定の集合体に至るまで、その範囲は極めて幅広い ⇒ 軍事、政治、ビジネスという別々の領域において、1つの考え方に向けて、見解の収束がある程度まで進んでいることを示す。それは、今や最善の戦略的慣行となり得るのは現状を望ましい結果に変える方法について説得力ある物語を構築することだ、という考え方。196070年代、ある種の特殊なナラティブとして戦略を考えるという慣行が台頭し始め、大企業や戦争さえもが1つの中核的なプランという手段によってコントロールできるという思想が広がるに至って幻滅が生じた。その後、認知心理学と現代哲学の発掘が相俟って、出来事に関わる構成概念の重要性が重視されるようになった
本書は歴史的見地から、戦略理論においてとりわけ目を引く(戦争、政治、ビジネスに影響を及ぼしてきた)諸テーマの変遷についてあまねく論じることを目的とする。理論と実践の関係、実践の1形態としての理論に関する本であり、実用的な助言へとつながる道を提示
終盤では、未来形で語られるストーリーとしての戦略を考察するうえで、戦略的スクリプトという概念を打ち出す
戦略は、選択に関わる。選択は重要な意味を持ち得るため、その背景にある思考には、入念に研究する価値がある
本書では主として戦略に関する西洋思想に重点を置き、現代についてはアメリカにおけるアプローチを考察の対象とする
戦略の「前史」として、西洋文化の伝統の2つの大きな源(旧約聖書と古代ギリシャの偉大な古典)と、今なお影響力の衰えない著述家(トゥキュディデス、孫子、マキャベリ)から始め、本論の第II部では軍事戦略を、第III部では政治的な戦略、とりわけ弱者のための取り組みについて論じる。第IV部では大規模組織、特に大企業の運営管理者の戦略の変遷に触れる。第V部では近年の社会科学の貢献について考察し、各主要テーマを1つに結び付けることを目指す

第I部         戦略の起源
第1章        戦略の起源 1.進化
時間と空間を超えて共通する人間の戦略の基本的特徴について論じる
戦略の誕生において重要な役割を果たした複雑な要因の1つとして、社会的な繋がりを持たない他の集団と争う必要性、ダーウィンが「生存競争」と呼ぶものが挙げられる
最も効果的な戦略は、暴力だけに頼るのではなく、同盟関係を組む能力を活かすこと
戦略的行動の要素に変化はなく、それを実践しなければならない状況の複雑さだけが変わってきた

第2章        戦略の起源 2.旧約聖書
旧約聖書からも戦略の起源を紐解くことができる
戦略の多くは紛争を中心に展開、そこでは策略と欺きが横行
聖書の中で最も優れた戦略に関するアドバイスは、常に神を信じ、その掟に従うこと

第3章        戦略の起源 3.古代ギリシャ
初期においては、旧約聖書と同じく神の介入を伴う権力と戦争に関する話が中心で、神々に忠実に従うことこそ最良の戦略と物語るが、BC5世紀ごろになると、ギリシャで知の開放と徹底的な政治討論が融合した思想運動が起き、影響力のある豊かな哲学的、歴史的文学が誕生 ⇒ ホメーロスの叙事詩

第4章        孫氏とマキャベリ
孫氏の影響力の源は、その戦略に対する基本的なアプローチにある
マキャベリは、策略や欺瞞が戦争に限らず、あらゆる国政行為の核心においても容認されると説き、その反道徳性が批判の対象となる。彼が示そうとしたのは新たな道徳規範ではなく、むしろ当時の人々を縛っていた道徳規範に関する考察で、政治生命を維持するには現実味のない理想を追求するより、感情を排した現実主義に徹することが大事

第5章        サタンの戦略
ミルトンの叙事詩『失楽園』(1667年刊)のサタンはマキャベリズムの権化 ⇒ イングランド内戦中熱烈な共和派として活動していたミルトンが、王政復古期に弾圧の中で書いたものであり、神の全能と人間の自由意思をいかに調和させるかについて論じたもの
17世紀、神は何者にもその意思を曲げることのできない強大な存在だと説く厳格なカルヴァン主義によって、神の恵みが向かう先はあらかじめ定められており、全てのことはその定められた壮大な計画に従って起きるとされる中、人間は自由意志の行使によって自ら歴史を作ることができ、神の力は人間による服従と罪への後悔を受けて示す愛の行為の表れだと反論し、神は絶対的な命令を下さず、人間に自由に行動する能力を残したと主張

第II部       力の戦略
近代の戦略概念の概要を示し、アントワーヌ・アンリ・ジョミニとクラウゼヴィッツという2人の重要な主唱者の思想について論じる
2人は個別の戦闘によってヨーロッパの勢力図が塗り替えられた時代に独自の思想を確立
第6章        新たな戦略の科学
戦略の焦点は、戦闘そのものと、敵を打ち負かし、政治的に絶望的な状態へと追い込む可能性に絞られ、殲滅戦の概念が軍事思想に定着
ナポレオンは、自身のアプローチの背景にある極めて重要な要素は説明できるものではなく、戦争術とは単純かつ常識的なもので、すべては実行の可否にかかっており、理論に則っているかどうかは関係ないとした
ナポレオンの貢献は、国民軍の潜在能力の実現性を把握した点にあり。啓蒙主義における軍事的英知を吸収し、徴兵制を導入して国民皆兵軍を創設、ヨーロッパ全体のパワーバランスをも覆すような形で巧みに利用

第7章        クラウゼヴィッツ(1780)
クラウゼヴィッツが軍事技術を学んだのは、所属していたプロイセン軍がナポレオンへの抵抗に失敗した際のこと。ナポレオンに魅了されるが、1812年対ロ戦で犯した過ちから、ナポレオンの限界を知り、自らの軍事面での評価は控えめだったが、戦争の転換期にあった特異な時代について自らの思想をまとめ、名著『戦争論』に結実させる ⇒ 敵を完全に打倒するまで戦う絶対戦争へと向かう流れの中で、結論を得ないまま他界
ジョミニ(1779)は、直接ナポレオンの配下にあって薫陶を受け、その手法の解説において第1人者であり、「近代戦略の始祖という怪しげな称号」を得た。ジョミニにとって戦略とは、誰が戦うかという点に関する決断を下す政治と、実際の戦闘の領域に関わる戦術との間に位置する活動の範囲を意味し、戦略とは地図上で戦争を計画する術であると説いた
クラウゼヴィッツの功績は、戦争の本質を捉え、後世の者たちがその時代における紛争に意味づけをしようとする際に拠所となるような概念的枠組みを構築したことにある
戦略は、戦争の高い不確実性を克服するために必要とされ、また人間の弱さと偶然の気まぐれな影響を免れない、持続的な意志の行為になっていた

第8章        欺瞞の科学
ナポレオン戦争がもたらした惨禍と窮乏は、国際的な平和運動の発展に繋がる ⇒ 19世紀を通じて「平和協会」の設立と人道会議の開催を後押し
トルストイは、クリミア戦争の従軍経験がその人生に極めて大きな影響を及ぼす。クラウゼヴィッツはトルストイが批判するものの多くを象徴する存在であり、戦略という「新しい科学」に対する軽蔑の念は、「出来事に先立って下された命令をその事件の原因と見做す誤った考え」への警告
戦闘とは本質的に混沌としたものであり、命令と行動の間に明確な因果関係があるとは考えにくいが、それでも戦略には戦闘によって達成できることと出来ないことを把握するという役割があった

第9章        殲滅戦略か、消耗戦略か
戦略における理論と実践の複雑な関係は、アメリカの南北戦争で明らかになる ⇒ 戦闘以外のあらゆることを行う戦争の形態を戦略と称した。最後勝負を決定づけたのは容赦ない武力攻撃であり、敵を殲滅するには攻撃に出る必要があることは共通の認識

第10章     頭脳と腕力
1914年のドイツの攻撃計画ほど、軍事計画の限界が露になった例はない ⇒ ドイツ参謀本部は主導権を握ったものの、特に兵站線と後方連絡線が長くなる中で、フランスが阻止に動く点に注意を向けていなかったため、数週間でドイツの攻撃は阻止された

第11章     間接的アプローチ
1次大戦における大量殺戮のような事態を今後の戦争では避けなければならないという決意から、総力戦の時代に制限戦争を追求 ⇒ 敵の抵抗の可能性を低下させる手法としての間接的アプローチで、敵の物理面ではなく心理面に決定的な衝撃を与える
チャーチルの戦略 ⇒ 第2次大戦を終結させた要因には、戦場での武勇だけでなく、同盟の論理もあり、同盟を組んで行う戦争に関する心得を自然と身につけていたし、同盟は常にイギリスの戦略の核となる要素だった。チャーチルは戦略を勝利への青写真と考えてはいなかった。戦略はアート(技芸)であって、科学ではなかった

第12章     核のゲーム
戦争は通常、新しい平和と正義の時代を求める声とともに終わり、第2次大戦も例外ではなかったが、米ソのイデオロギー対立が緊張を高め、解放されたドイツ占領地の命運を巡って敵意が表面化。47年リップマンの著書の題名通り「冷戦」が広まる
フォード勤務時代定量分析導入の先駆となった国防長官マクナマラが、「すべての軍事問題は、資源の効率的な配分と利用という経済学的な問題だ」とし、選択の対象となる計画の費用と便益を評価する最良の方法は定量分析だと主張して軍部を押し切り、合理的に行動する戦略的な人間そのものだったが、ベトナム戦争のような複雑な政治的背景を持つ戦争を戦うのに不適合であることがすぐに明白となり失墜
代わって新しい戦略を象徴する手法と考えられたのがゲーム理論で、第2次大戦中にヨーロッパから移住しプリンストン高等研究所で働いた2人の学者の共同研究から生まれ、本質的に不確かな状況で行う頭脳戦略に関わる理論としてまとめる
ゲームにおける選択対象の結果に伴う価値を利得といい、ゲームの目的は利得を最大化することにある。ゲーム理論が大きく飛躍を遂げたのは、非ゼロサム・ゲームの探求においてで、全員が勝ったり負けたりすることもあり得るゲームが大本

第13章     非合理の合理性
最初の核兵器は「絶対」的なものではなく、破壊力も他の兵器の範囲を超えず、原爆が大きな変化をもたらしたのは、破壊力の規模よりも、効率面においてであった
49年ソ連が核実験を成功させたことにより、アメリカの核独占が崩れ、これ以降報復の可能性という制約を考慮せずに核戦争の開戦を考えることはできなくなった
アメリカが核融合反応の原理に基づいた熱核爆弾を開発したことにより、破壊力に明確な上限がない兵器を持つことが可能となり、更にアイゼンハワーは核優位性が続く間はそれをうまく利用し、通常戦力の再軍備による財政負担を減らすことを望んだ。大量の破壊兵器の備蓄を背景にして生まれた戦略は、54年ダレス国務長官が公表した「大量報復」戦略として知られ、アメリカが攻撃を受けた場合には、「我々が自ら選んだ場所と手段で」報復すると宣言したため、核の脅威に依存し過ぎていると広く批判された
敵も同じ脅しの手段を持つ状況で核の脅威に依存するという事態は、知的創造力の開花を促し、後に戦略研究の「黄金期」と呼ばれる時代をもたらしたが、その中核にあったのは抑止deterrenceという重要な概念であり、核時代ならではの課題に対処するために考案された様々な手法によりその探求が行われた
抑止と核戦略という難問を深く追究した理論家は、50年代にランド研究所に関わったトーマス・シェリング ⇒ 「ゲーム理論の分析を通じて対立と協力に対する理解を深めた」として05年ノーベル経済学賞。戦略はまさに相互依存的で、他者の行動を自分の行動を左右する条件として考えることから始まって、対立と協調の組み合わせがゲーム理論の中核であるとし、戦略を征服と抵抗について考察するものから、抑止と威嚇、脅迫、脅しについて考察するものへと変える。強制こそ理論の核心で、強制とは敵の行動をコントロールすることよりも、脅しによって影響力を及ぼすことに関わるもの。交渉と強制という観点から核戦略を考えることができると説く

第14章     ゲリラ戦
核兵器が軍事戦略を通常戦争からある方向に引き離したのだとすれば、ゲリラ戦はそれとは別の方向へ動かしたと言える ⇒ 不当な軍事力に激怒した社会による報復に関わるものであり、後に急進的な政治運動と密接に結びついたが、弱い陣営の存続を手助けする手法としての根本的な魅力があった
名前の由来は、19世紀初頭のフランス占領軍に対するスペイン人の「小戦争(guerrilla)」で用いられた待ち伏せ、攪乱戦術にあり、民衆の支援とその土地の知識という強味を生かし、自国領土内で行う防禦的な戦い

第15章     監視と情勢判断
核戦略に関する議論がほぼ出尽くし、ベトナム問題が辛酸極まる事態へと発展した結果、文民戦略家は現場から身を引く
新たな関心を呼ぶきっかけとなったのは、現代戦争の中でとりわけ基本的かつ象徴的な性質を持つ戦闘で、狩りの感覚と先端技術が融合した空中戦 ⇒ 米空軍のボイド大佐による「OODAループ」という理論。監視Observation、情勢判断Orientation、意思決定Decision、行動Actionの頭文字を並べたもので、情勢に関するデータを収集する監視に始まり、情勢判断でこのデータを分析して意思決定へとつなげ、そこから行動に移す。行動によって情勢が変化し、同じプロセスを繰り返す必要が生じるため、この流れがループとなり、情勢判断とその結果としての行動が徐々に改善し、より現実に即した結果をもたらすことが理想とされる

第16章     軍事における革命
戦争に対する作戦的アプローチが、想定していたような状況において試されたことはなく、80年代末には冷戦構造が終わったものの、このアプローチは一段と確立され、軍事における革命と呼ばれるようになる ⇒ 敵に対処するために優れたインテリジェンスと通信技術を利用することが可能となり、91年初頭の「砂漠の嵐」作戦で新たな能力を見せつけた
長距離精密誘導兵器による攻撃が「主たる作戦アプローチ」となったことと、「情報戦争とも呼ぶべきもの」が出現した点において、技術的な変化だけでなく、作戦上、組織上の変化の重要性をも強調して、「軍事における革命Revolution in Military Affairs」と呼ぶ

第17章     戦略の達人という神話
クラウゼヴィッツの分析の枠組みが持つ不朽の力は、政治と暴力と偶然の動的相互作用にあり、軍事戦略の著作家たちがこの偉大な達人への忠誠を主張し続けている理由もここにあった
戦略的志向とは、徹底的なものであり、包括的な思考。各要素とそれらの間の関係、過去、現在、そして予測される未来に於いてお互いにどのような影響を及ぼし合うかに目を向けることにより、各要素の相互作用が如何に全体を構成するのかを理解しようとする思考
軍事的戦略特有の概念の起源は、支配Controlを求める衝動にあり、それは政治戦略とビジネス戦略の起源にも影響を及ぼした要因
殲滅戦における軍事目標は、征服という政治目標を伴ったが、必ずしも達成可能なわけではなかったことから、軍事の領域の戦略の達人は神話に過ぎず、政治の領域で活動するには、複雑で動的な状況の全体を把握するという不可能な全知や、幸運や敵の無能さに頼らずに遠くの目標に向けて信頼性と持続性のある道のりを築く能力が必要とされる

第III部     下からの戦略
望ましい結果と利用可能な手段の間の大きな隔たりに直面した弱者、あるいは弱者でなくてもその代理として行動することを自任していた者の立場から、戦略を見つめる
工業化社会における権力と変化という大問題に取り組む理論が大きな位置を占める
急進派は、より良い世界とそれを実現しうる歴史的な力について説明する理論を生み出す一方、保守派の理論は、変化に対する思い込みと、新たなエリート層が生まれ、従来のエリート層と同じ特性を示す可能性について警告しつつ、新しい世界が実現しないかもしれない理由と、実現したとしても何も良くならない恐れがあることを説く 

第18章     マルクスと労働者階級のための戦略
フランス革命の結果、ナポレオン戦争とともに革命の専門家が生まれる
革命の理論家は、戦争理論家を引き合いに出し、苦闘、攻撃、戦闘といった戦争の言葉を例えとして使う
1800年代に誕生した職業革命家の代表がマルクス。自分と相容れない同時代の急進的な考えを悉く退ける。戦略は階級闘争に根差したものでなければならなかった
マルクスが最初に政治的な連携を行ったのは、正義者同盟として知られる秘密結社の体裁を取った伝統的な左翼グループで、1847年に共産主義者同盟というより開かれた組織に改変し、独仏などの支部を開設、スローガンも「人間はみな兄弟」から「万国のプロレタリアよ団結せよ」に変える。48年『共産党宣言』完成。シチリアに始まった革命は疫病のようにヨーロッパ各国に拡散。主導的役割を果たしたのはフランス

第19章     ゲルツェンとバクーニン
アレクサンドル・ゲルツェン(18121870) ⇒ 帝政ロシア哲学者、作家。19世紀後半のロシアで、61年の農奴解放令実現に影響を与え、「社会主義の父」として有名
バクーニン(18141876) ⇒ ロシアの思想家哲学者無政府主義者革命家。元正教徒無神論者。ゲルツェンの影響を受け、マルクスとも交流。理論に対する苛立ちの強まりと混乱した大衆のおぼろげな良心に入り込むことができるのは劇的な行動だけという信念を反映した「行動によるプロパガンダ」という概念を打ち立て、急進派テロの知的な父と見做されるようになる

第20章     修正主義者と前衛
1895年死去直前に刊行されたエンゲルスの最後の著作は、エンゲルス版「聖書」とも呼ばれ、労働者階級運動の趨勢変化について解説 ⇒ 当初革命はプロレタリアートの最終的な勝利まで続くと見做されていたが、市街戦で反乱者が正規軍に勝利することは異例の事態としてしか想定されないことが明らかとなり、エンゲルスの思考に影響を及ぼす

第21章     官僚、民主主義者、エリート
19世紀の終盤、少なくともヨーロッパでは、社会分野を学ぶあらゆる学生がマルクスと否応なしに関わりを持つ。社会学はマルクスに対する反応から発展した学問領域
マックス・ウェーバー(18641920) 穏健派の自由主義者とされているが、強力なドイツ人国家のために尽力する帝国主義者でもあった。価値自由の社会科学を確立。生活のあらゆる側面に科学の合理主義を浸透させ、官僚制化を予言。政治を絶え間なく続くドラマの一部と見做す政治観を示し、そこから理想を追い求めるだけでなく、結果に目を向けることをも必要とする戦略的選択を説く術を導き出す

第22章     定式、神話、プロパガンダ
ウェーバーやジョン・デューイは自由主義の立場から独特なマルクス主義批判を行ったが、もっと保守的な批判がネオ・マキャベリ主義のイタリア学派によって展開
共産主義とナチズムの全体主義的イデオロギーは、特権階級のエリートが考え出した政治教義に対して大衆が暗示にかけられたように従うことを実証しようとしたが、ひとたび威圧的な呪縛が解けると、抑圧された思想は自らの力で生き残ろうともがく

第23章     非暴力の力
世論を動かす方法への理解が深まったことで、新たな政治戦略の機会が生まれる
女性参政権運動 ⇒ 西側の資本主義国家における民主主義の発展は、合法的に不満を解消する手段を生み出したことで、労働運動の革命熱を鈍らせる一方、民主的権利を否定する者たちに不公平感をもたらす。中枢でリベラルなイデオロギーを掲げながら、周辺地域に対する抑圧が慣行化していた大英帝国は政治的平等を求める声に最も大きく揺さぶられた国で、反植民地運動やアイルランド統治法の成立を求める運動を含む一連の流れの中で、とりわけ強固な意志の下で行われ、最終的に成功を収めたのが女性選挙権を要求する運動
この運動の特徴は、政治システムだけでなく、伝統的なジェンダー観と人間関係の最も基本的な部分に関しても問題を提起した点にあった
平和主義の絶頂期は第1次大戦後で、主に西部戦線での大量殺戮により、人々の間で戦争は無駄で無益だという考えが形づくられたからであり、ガンジーがイギリスによるインド統治に抵抗し、平和主義者が根本的な変化を求める運動を巧みに指導できることを実証したためでもある
1942年シカゴでアメリカ史上初の公民権を求める組織的な座り込み実行、同情は得られなかったが、試み自体は成功し、礼儀正しい行動が人種差別主義者を混乱させた
61年にはジョージア州で初めてコミュニティ全域に及ぶ抗議行動が始まり、人種隔離が行われている地域のあらゆる分野に一斉攻撃が行われ、その後の劇的なキャンペーンへと繋がり、63年のケネディによる公民権法案提出へと至る

第24章     実存主義的戦略
後期の公民権運動を支えていたのは若者たち ⇒ アメリカ社会に対する批判においても、新しい政治に対する要求においても急進的で、若者による運動の組織化が進む

第25章     ブラック・パワーと白人の怒り
若者の非暴力組織は、成果が現れないまま、幻滅と無関心、あるいは怒りとより過激な方針が生じ、白人リベラル層からの支持を保つため慎重な振る舞いを指示され、さらに疑念を生む
獄中でイスラム教に改宗し、黒人のイスラム運動組織の最も有名でカリスマ的な人物となったマルコムXは、黒人分離主義を唱え、白人を悪魔だと非難、暴力の排除を拒絶、自己防衛のために力を行使するのは、暴力ではなく「知性」だと主張。公民権運動の指導者たちが強く非難したこともあって、マルコムXは心を入れ替え64年には組織を脱退し発言も穏健化したが、65年暗殺

第26章     フレーム、パラダイム、ディスクール(言説)、ナラティブ
教育水準の高い中流階級によって押し進められた反体制文化Counter cultureの思想は、社会的選択だけでなく、政治上、ビジネス上の行為や一般人の知的生活にも多大な影響を及ぼした
ニューレフトが投げかけたのは、西側の自由民主主義に存在するとみられている多元性と多様性は幻想なのではないかという疑問
とりわけテレビが政治事情の主要な情報源として新聞やラジオに取って代わってから、メディアは一般のコンセンサスを作り出し、維持するうえで、必然的に中心的な役割を果たすものとなっていた
思想を巡る戦いに不可欠な手段を表す言葉となったのは、「ディスクール」ではなく「ナラティブ」 ⇒ 政治運動や政党が真剣に考えるに値するものである理由を説明し、その中心的なメッセージを伝えるナラティブは、1990年代にあらゆる政治的プロジェクトの必要条件となる

第27章     人種、宗教、選挙
言葉の政治的利用という問題は、1960年代の「新しい政治New Politics」から生まれた
1968年公民権運動家が記者会見場に予定より40分も遅れて到着した時、「黒人とその権利にうんざりしている、という非常に不愉快な感情」に見舞われ、アメリカ全体で「反動」が起こり始め、矛先は黒人のみならず、非愛国的なラディカルや薬物愛好のヒッピー、抗議活動をする学生たちにも向けられ、その風潮を利用して大統領選に勝利したのが共和党のニクソン
ありのままの大衆感情の発露を利用して、投票率を最大化する方法として、より専門的な政治形態を構築する新しい政治が生まれつつあった。選挙政治に絶望感を抱くニューレフトの姿勢が、ニューライトに攻め込む余地を与えていた。大衆のムードを読み取る力を持った選挙参謀の役割は遥かに専門的になりつつあり、世論調査や宣伝手法、戦術分析の様々な進歩も同時に起きていた
1930年にギャラップが開拓した人口サンプル抽出式の洗練された世論調査手法は、世論の流れを捉え、顕著性が高い争点を特定することを可能にした
1968年以降、大統領候補指名プロセスの一環として大多数の州で取り入れられた予備選挙の重要性が増すと、党幹部の勢力は弱まり、選挙活動実績を持つコンサルティング会社の役割が高まる

第IV部      上からの戦略
権威ある決定を行う立場にあるという意味ですでに権力を持っているが、その権力をもって何をすべきかを考えなければならない者の戦略について述べる ⇒ 主として実業界が論考の対象だが、公的機関を含むあらゆる大規模組織の上層部にいる者たち(管理者: Managerと呼ぶ)にも当てはまる

第28章     マネジメント階級の台頭
管理者の台頭は、官僚化の理論と合理主義だけでなく、社会科学の興隆も具現化した。社会科学は、数々の激変と対立を伴う現代工業化社会を省察し、研究する学問として発達したのち、その社会が抱える諸問題への対応策を提示するようになる

第29章     ビジネスのビジネス
1920世紀資本主義はそれ自体が変容し、資本家は成長と不況の循環を生み出す資本主義体制の不安定性に対処する手段を見出した。とりわけ重要な対処メカニズムは規模だと考えられ、非常に規模の大きい企業には、経済状況の突然の変化をも乗り切る能力があり、生き残る努力の中で、企業は次第に管理者層に支えられるようになっていった
スタンダードオイルとロックフェラー ⇒ 乱立する石油精製業界にあって、供給と流通の両方の支配を目論み、無駄で破滅的な競争に代わる賢明な道として協調を求め、競争相手を次々と蹴落とし、1870年代末には精油能力の90%を支配
フォードは、大衆の欲求とまだ存在していない生産手段の両方を見越して、大衆向けの手頃な価格の自動車を開発。債権者や株主に依存せず、競争を恐れ、業界団体の圧力に立ち向かって、長期に及ぶ法廷闘争の末、1909年に勝訴を勝ち取り大衆から喝采を浴びる
ビジネス戦略家と呼ぶに相応しい存在となったのはアルフレッド・スローン ⇒ 36年間GMの指揮をとり続けた。1908年創設のGMはデュラントが小さな自動車会社の買収を重ね拡大路線を取った結果、巨額の負債を抱えて投資銀行団の傘下に入って経営権を失ったところでスローンが経営を任され、当初から同社の組織構造と製品の変革に着手、その手法はアメリカの実業界で広く模倣された。基本となる2本柱の1つは、会社を事業部門ごとに分けそれぞれの事業について全面的な責任を負わせる一方で、もう1本の柱として中央組織としての機能は絶対に欠かせないとした。戦略上の最重要課題は、60%のシェアを握るフォードにどう対抗するかで、市場の現状を全く考慮せず大量生産の利点を生かした価格設定を行い、外部環境を一新しようとした

第30章     経営戦略
ガルブレイスの『新しい産業国家』(1967年刊)は、株主の影響力低下と、開発、製造、経営面での専門家の影響力増大を論じ、後者を「テクノストラクチャー」と呼び、社会における権力は今やマネジメント階級にあるとの考え方のもととなる
計画Planningが需要と供給の法則を克服するための手段であり、決定的な役割を果たす
現代企業を管理することの意味を探求した草分け的な学識者の1人がドラッカー
ドラッカーは、ナチスから逃れるため37年アメリカに亡命、著書がGM幹部の目に留まり、同社の「政治的監査」を任され、『会社という概念』として上梓、企業を1つの組織として、マネジメントを「特殊な仕事を行い固有の責任を負う特別な機関」として扱った最初の本となる。後にドラッカーは、マネジメントを1つの学問領域・研究分野として、組織を1つの特異な主体としてその研究を1つの学問領域として確立したとして評価される

第31章     戦争としてのビジネス
195060年代にかけての事業計画モデルに対する反応は、実践面での戦略の本質を再発見する試みに繋がる
競争優位の源泉としての時間の重要性に重点 ⇒ 競争状態においては、戦略上の選択肢は3つ。1つは競争相手と平和裏に共存することだが安定的に持続する見込みは薄い。2つ目が撤退で、市場から手を引いたり統合や集約によって事業の比重を低下させる。3つ目が攻撃で、成長をもたらす唯一の選択肢。ただ、値下げと生産力増強の組み合わせによる直接攻撃には高いリスクが伴うため、最良の道は奇襲、つまり急激な攻撃や相手が反応できないほどの意表を突く攻撃によって相手を出し抜く「間接攻撃」。新製品開発の最初の段階から顧客に届くまでの「計画ループ」を短縮することで成功したのが日本企業
「戦争としてのビジネス」という考え方の根本には、はたして軍事戦略がビジネスの世界で通用するほどに、戦争とビジネスが似たものであるのかという重大な疑問がある
軍事戦略は不変不動の主体である国家とは言えなくなり、一方ビジネスの世界では主体である企業は分裂したり、買収されたり、消滅したり、日常茶飯事的に変化が起こるところから、内部組織と外部環境の相互作用を一段と複雑化させたにもかかわらず、戦略論においてはこうした相互作用への関心は薄かった
企業と市場の関係に関する問題に取り組んだのは概して経済学で、その流れから経済学は組織構造の領域へと進出したものの、組織を理解する上では社会学の方が遥かに有用

第32章     経済学の隆盛
経済学は戦略的マネジメントの分野で、主導的と言える立場を築く ⇒ 意思決定に関わる新しい科学が生まれ、永遠の真理を提示する新たな学問領域が誕生
意思決定の手法としての「マネジメント科学」が学生たちに伝授され、ハーバード・ビジネス・スクールの基本だった判断力に頼ることを教わるのではなく、定量的手法と意思決定理論を叩きこまれ、より分析的な能力を培えるようになっていく
意思決定に関する経済理論への関心を生み出した要因は、供給側の働きかけだけでなく、ビジネスを取り巻く環境がもたらした需要側の変化にもあった。計画プロセス重視の風潮は、経済が右肩上がりで成長する中で多種多様な製品を提供し、資金力と政治力の面で多大な影響力を持つ一握りの超巨大企業の利害を反映していた

第33章     赤の女王と青い海
競争圧力が激しくなるなか、経営者が果たすべき役割は次第に明白に浮上 ⇒ 短期的な収益性が最も重要な評価対象になり、将来に向けた投資は魅力に欠けると見做された
経営者の役割にかかわる課題は、経済学の取引コスト理論から派生したエージェンシー理論によって突き付けられた ⇒ エージェンシー理論は、それぞれ独自の利害を持ちながら協力関係にある主体がもたらす問題に真っ向から取り組む理論で、具体的にはプリンシパル(依頼人)という主体がエージェント(代理人)という別の主体に仕事を委任する状況について考察する。ビジネスと政治の世界でプリンシパルと想定される主体(取締役に対する株主、政治家に対する有権者)は固定的で専門家的なエリートに比べて流動的でアマチュア的な存在。所有と経営が次第に分離していくことは既に明確だったが、プリンシパルがエージェントから支配権を取り戻すことができるかが問題となってきた
80年代の日本の企業の成功に対抗した欧米企業の成果として現れたのがTotal Quality Controlであり、次いでBusiness Process Re-engineeringの手法 ⇒ 特にBPRは影響力と含蓄の面でより重要で、その根底にある考え方は、コスト削減と製品改良の両立を可能にして企業の競争力を高めるための一連のテクニックを結合するというもの。実現する方法として、組織が事業を始める方法を根本から考え直し、階層をなくしてネットワークを構築するための情報技術の活用が提示された
全ての企業が同じ手法で改善を試みている状況で、競争優位を維持しようとする企業が直面する問題は「赤の女王効果」と呼ばれた ⇒ 『鏡の国のアリス』の赤の女王の言葉が由来。捕食者と被食者の間で繰り広げられるどちらも勝者となり得ない、種間でのゼロサムゲームとなる軍拡競争を説明するために進化生物学者が用いた仮設
『ブルーオーシャン戦略』によれば、成算のない企業とは、「競争のない新しい市場領域を創造」し得る「Blue Ocean」へと漕ぎ出さずに、血みどろの競争が果てしなく繰り広げられる「Red Ocean」に留まろうとする企業だと言える

第34章     社会学的な取り組み
社会学を基盤としたマネジメント研究における取組 ⇒ 当初から人間を社会的な行動主体、組織を社会的関係の束と見做す傾向があるのは、60年代のCounter Cultureの影響による
経営者は組織のよりソフトな側面を重視すべき、という考え方を生み出したのはマッキンゼーで、ボストン・コンサルティングへの対抗心から出たもの

第35章     計画的戦略か、創発的戦略か
経営幹部が実際にビジネス戦略の方向性を示せるかどうかという疑問に答えたのが、計画的戦略か、創発的戦略かという2分法 ⇒ 意図した通りに実現した戦略を「計画的deliberate」、意図を欠いた行動の中に一貫性が見られるものを「創発的emergent」と表現
知識重視の姿勢、刷新のためのメカニズム、外部世界を受け入れる態勢のある組織は、より効率的に機能するはずだという考え方を「学習する組織」として称賛
次から次へと続く戦略の流行に伴う誇大宣伝は、見識ある経営者の重要性を誇張し、成功の要因としての偶然性と環境の重大さを軽視していた

第V部        戦略の理論
現代社会科学の見識に基づく戦略理論の可能性について論じる
意思決定に関わる新しい科学を開拓したり、新しい科学の導入をビジネス・スクールに促すために財団が行った寄附、ディスクールと権力の関係に影響を及ぼした60年代のラディカルの思想など、一見繫がりのなさそうな知的な活動が、広範囲に及ぶ社会的諸勢力の産物だったことが判明
第36章     合理的選択の限界
とりわけ強い影響力を発揮したのは、あらゆる選択を合理的であるかのように扱う便益を強調した理論(合理的選択理論)で、個人が自分の効用を最大化するために自ら決断を下すという考え方から始まる

第37章     合理的選択を超えて

第38章     ストーリーとスクリプト
成算的な戦略アプローチをとるには、戦略の限界を認識しなければならない。限界というのは、戦略の利点だけでなく、その領域に関しても当てはまる。戦略には境界が必要
戦略が実際に動き始めるのは、対立の要素が存在する場合だけ
認知心理学の発展により、人間が不透明な状況にどう対処するかという点に関する理解は以前よりも深まった。戦略的思考は、意識的な思考の形をとる前に潜在意識の中で始まる可能性があり、実際に始まる場合も多い、という見方を認知心理学は後押し
戦略的思考は、いまではシステム1思考と呼ぶことのできる、直観的と思われる判断の形で生じ得る。システム1の戦略家は、状況を読み、参謀が気付かない可能性を見出す能力を頼みとし、古代から「メーティス」として称賛 ⇒ 代表格はオデュッセウス。ナポレオン・ボナパルトは、地形を一瞥しただけで勝機を読み取れる才能を「ク・ドゥイユ」と表現したが、クラウゼヴィッツは軍事的才能を「高度な精神力」と見做し、その核にク・ドゥイユがあるとし、優れた司令官はこの才能により、攻撃すべき時と場所を決めることができる
人間が示すある根強い傾向として、個人や、教会や国などの集合体、階級や地域などの抽象的な概念に関わるストーリーについて、説明を求めようとする。ストーリーに対する需要は、行為者が明確化された選択肢の中から意図的に選択を行う、という分析を後押しする
経営史家は、アルフレッド・スローンの『GMとともに』のように、難しい決断が純粋に合理的な選択の産物だったと示唆するナラティブを、額面通りに受け止めるべきではないと警告するようになる。経営幹部の役割を誇張しているか否かに拘わらず、こうしたナラティブは実際に下された決断が必要だったという印象を与え、違う決断が別の結果をもたらした可能性を軽視している
力強いメッセージを発する馴染み深いストーリーを詳細に調べてみると、捏造されたり、別の教訓を示すほかの解釈の余地があったりするとわかる。ダビデとゴリアテのエピソードは、弱者が達成し得ることについて語っていると今では理解されているが、元々は神への信仰の重要性を示す話であり、オデュッセウスは抜け目なく巧妙な知性を称えるべき存在として語られたが、ローマ人がユリシーズの名で描いた人物は、裏切りと欺瞞を象徴する者に変わっていた。失敗に終わったナポレオンの対ロシア戦について、クラウゼヴィッツは戦略上の欠陥があったと考えたが、トルストイは戦略などというものが存在しえないことの証左と捉えた
日常的な人間の交流において、とりわけ似たような背景や利害を持つ者を相手にした場合、ストーリーを用いた説得は重要なスキルとなり得るが、そうでない相手に対してはあまり役に立たないかもしれない
望ましい効果を上げるために意図的に作ったナラティブは、不自然で強制的な印象を与える危険性があり、現在熱狂される「戦略的ナラティブ」も肯定的にプロパガンダと呼ばれていたものにその起源があることへの理解が進めば薄れていく可能性がある
曖昧さという要素は、ナラティブを戦略の道具とするうえで制約になるが、ナラティブの価値を高めるには、人数が極めて少なく、元々文化や目的の面で多くを共有している受け手を相手とする場合により大きな効果を生む
スクリプトは、適切な行動を想起させる型通りの状況に関して用いられる概念であり、蓄積した知識に基づいてほぼ自動的な反応を導き出す働きに関わる概念で、個人がどのようにして新たな状況に直面し、そこに意味を見出し、振る舞い方を決めるのかという問題に取り組む方法を提示するとともに、行動とナラティブを自然に結びつける効果がある
戦略をナラティブとして捉えると、演劇と密接に関係する。戦略は通常、予測を重視しているため、未来に目を向けた空想小説と同調しやすいので、劇作家が構想を練り、脚本を書く際の手法に、戦略家にとって手引きとなるものがありそう。ただ、脚本家がプロットをすべてコントロールしているのに対し、戦略家は、現実に降りかかってくるという点が最も重要な差異で、どのようなプロットかわからないままに他者が行う選択に対処しなければならない
喜劇を目指すものの、悲劇に終わる危険性を抱えているのが戦略家




戦略の世界史(上・下) ローレンス・フリードマン著
戦争とビジネスの共通点は
日本経済新聞 朝刊 20181215 2:00 [有料会員限定]
戦略とは、パワーを創り出すアートである――。本書は、戦略研究の大家が、人類の歴史において「戦略的思考」がどのように展開、発展してきたかを俯瞰(ふかん)したものである。旧約聖書から現代に至るまで、およそ「戦略」に関係する全ての分野について、鋭い分析と評価が加えられる。

古代ギリシャ、ナポレオン、第1次、2次世界大戦、ベトナム、イラク戦争など主要な戦争に加え、共産主義革命、大統領選挙などの政治分野、企業のビジネス戦略など縦横無尽の分析を通じて戦略的思考の全体像をとらえ、「優れた戦略とは何か」の核心に迫る。
著者によると、戦略とは知性を生かして相手より優位に立ち勝利するための計画で、欺きや脅し、交渉や説得、暴力や心理的効果、他者との連携や離反など様々な要素を含む。戦略は、社会集団における利害対立の解決手段として生まれたが、それは暴力の行使と密接に関連してきた。『孫子』の兵法も、敵を欺き最小のコストで目的を達成する間接的アプローチとして欧州の思想に影響を与えた。
戦略思想は、19世紀のナポレオン戦争を経て「戦争の科学」として体系化され、「戦争は他の手段をもってする政策の継続にすぎない」で有名なクラウゼヴィッツの『戦争論』は、後世の戦略家たちがよりどころとする概念的枠組みを提供した。殲滅(せんめつ)戦と消耗戦という対立概念も、20世紀の世界大戦に影響を与えた。一方、共産主義の潮流では、マルクス、レーニン、毛沢東らが、独自の戦略思想に基づいて革命戦争を主導した。
2次大戦後の米国では選挙や公民権運動でも「戦略」は重要性を増し、ビジネス界でもビジネススクールやコンサルタント業界で新たな「ビジネス戦略」が次々と生まれては消えていった。
本書全体を貫くテーマは、戦争計画としての戦略と、政治やビジネスにおける戦略的思考に共通するエッセンスとは何か、という問いである。著者自身の考えは、最新の社会科学、意思決定理論、心理学などの研究成果を踏まえつつ、我々読者にとって身近なテーマとして提起される。不透明で予測不能な状況に対応する戦略的思考とは何か。読み応えのある、優れたガイドである。
《評》帝京平成大学教授小関 広洋
原題=Strategy:A History
(貫井佳子訳、日本経済新聞出版社・各3500円)
著者は英ロンドン大キングス・カレッジ戦争研究学部名誉教授。核戦略、冷戦、安全保障問題など幅広く執筆。


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