むらさきのスカートの女  今村夏子  2019.11.19.


2019.11.19.  むらさきのスカートの女

著者 今村夏子 1980年広島県生まれ。2009年に執筆活動を開始。10年デビュー作の『あたらしい娘』(『こちらあみ子』に改題)で太宰治賞。11年『こちらあみ子』で三島由紀夫賞、17年『星の子』で野間文芸新人賞。今回の受賞で純文学の新人賞3冠を達成

2019/7/18 第161回芥川賞受賞作

ホテル清掃請負業者の指導員が、ニートの「むらさきのスカートをはいた女」を自分の仕事場に誘導。頼りなさそうなか細い女が、仕事場で鍛えられて変身。現場を監督する所長といい仲になる。ホテルの備品が大量に紛失する事件の容疑者として所長と「むらさきのスカートをはいた女」が浮かび上がるが、所長が「むらさきのスカートをはいた女」に自首を勧めたことから激高し、もつれあいのはずみで所長はアパートの2階の手すりが壊れて下に落ち気絶。それを目撃していた指導員は、所長が死んだものとして「むらさきのスカートをはいた女」に逃げるよう手伝うが、指定した逃げ場所に追いかけて行ってみたが行方不明。所長は一命をとりとめ、入院先に指導員仲間で見舞いに行き、皆のいない隙を狙って指導員が所長に給料値上げと借金を頼む。断られると、密かにあとをつけて掴んだ所長のホテルの部屋での窃盗行為をネタに脅かし、応諾させる


(書評)『むらさきのスカートの女』 今村夏子〈著〉
20198310500分 朝日
 孤独を映し出す乾いた可笑しさ
 芥川賞受賞作である。わくわくして読んだが、期待にたがわなかった。
 徹底して一人称で語られている。一人称の語り手はふつう、自分についてとうとうと説明したりしない。この小説でも、語られる内容はもっぱら、他者である「むらさきのスカートの女」(以下、「女」)のふるまいである。語り手である「わたし」は、ストーカーじみた異様に執拗(しつよう)な視線で、「女」の一挙一動を詳細に語る。それは「わたし」が「女」を見下しながらも、彼女と友だちになりたいからだ。そのために「わたし」は「女」の行動を密(ひそ)かに誘導しさえする。
 もっぱら「女」について語っているのに、語っている側の「わたし」の状況が文章の隅々から透けて見えてくる。「わたし」も「女」も、孤独で生活は厳しい。双子のように似ている。
 物語が展開するにつれて、「女」を見下していた「わたし」が、実は「女」よりもいっそう孤独で、いっそう悲惨な生を送っていることが徐々に明らかになる。最後に「女」は消え、「女」がいた場所にはいつの間にか「わたし」がすっぽりとはまっている。
 淡々と乾いた文章からは、不思議な可笑(おか)しさも立ち上る。でもその乾き方が、かえって彼女たちの孤独を映し出す。
 著者の「今日までのこと」という受賞エッセイも読んだ。1980年生まれの著者は就職氷河期世代であり、大学卒業後はアルバイトを転々としたという。その中でもっとも長く続けた職場が、この小説の主な舞台となっている。社会から見捨てられたような境遇に置かれた女性たちのうら哀(かな)しさは、自身の経験に裏付けられている。
 賞の選評の中には、「わたし」と「女」が同一人物ではないかと思わせるという指摘が複数みられた。そうではないはずだ。別人でありながら、「わたし」は「女」に重なり、そしてあなたと私にも重なるのである。
     *
 『むらさきのスカートの女』 今村夏子〈著〉 朝日新聞出版 1404円
     *
 いまむら・なつこ 80年生まれ。太宰賞受賞作収録の『こちらあみ子』で三島賞。『星の子』で野間文芸新人賞



むらさきのスカートの女 今村夏子著 軽んじられる側へいざなう
2019/8/31付 日本経済新聞
小説はいわゆる「主人公」と呼ばれる特定の人物の言動を、語り手が読者に伝える。だがこの「語り手」が何者かということは、通常あまり顧みられない。正体が明示される場合も、たいてい友人や身近な存在であり、それによって語り手の存在は自然に受け入れられる。しかし本書の場合、語られる人物と語り手の関係がとても奇妙なのだ。不気味といってもいい。
(朝日新聞出版・1300円)
いまむら・なつこ 80年広島県生まれ。本作で芥川賞受賞。著書に『こちらあみ子』『あひる』『星の子』など。
※書籍の価格は税抜きで表記しています
(朝日新聞出版・1300円)
いまむら・なつこ 80年広島県生まれ。本作で芥川賞受賞。著書に『こちらあみ子』『あひる』『星の子』など。
「むらさきのスカートの女」と周りで呼ばれている1人の女のことが語られる。ボロアパートに住みボサボサ頭で、週に1度、クリームパン1個を買い、公園のベンチの決まった席で食べる。子どもたちが肝試しにタッチしたりする。さて問題は、彼女について何でも知っていて、その行動を逐一観察している語り手「わたし」である。自分を「黄色いカーディガンの女」と名乗りはするが、何者なのか、なぜ執拗に観察しているのか、不明のままだ。
やがて「わたし」は「むらさきのスカートの女」に工作をしかける。求人広告に印をつけてベンチに置いておく。そうして彼女をある職場へ就職させるのに成功する。ホテルの清掃を受け持つ会社だが、何とそれは「わたし」と同じ職場なのだ。すると「わたし」と直接知り合う機会も出てくるはずなのに、やはり不可解な距離がある。同じ室内にいるとしか思えない場面でも、「わたし」とは、直(じか)に言葉を交わすことはない。
我々読者も、まるで透明人間のような「わたし」の背後にくっついて、ホテル清掃業の裏側を眺めることになる。その立ち位置がどうにも居心地悪い。さて「むらさきのスカートの女」は職場に着々と溶け込み、所長に気に入られる。それが高じて2人の関係が怪しくなっていく。そこから「わたし」の観察ののめり方が常軌を逸してくる。読者の常識はどんどん引き剥がされていく。
しかし、本書をストーカーの小説といってしまうと、大事な点を見失う。世の片隅の脱落した存在であった「むらさきのスカートの女」。そんな彼女に執着する「わたし」とは、彼女以上に存在感の薄い、いてもいないように扱われる人だった。差別と格差が蔓延した社会の、軽んじられる側の視線へ読者をいざない、最後に突き放す。恐るべき小説だ。
《評》文芸評論家 清水 良典


芥川賞の今村夏子 浮かび上がる観察者の狂気
2019/7/18 11:46 日本経済新聞
161回芥川賞は今村夏子の「むらさきのスカートの女」に決まった。表題の呼び名で周囲から気味悪そうに噂される女性を、そばで見守る「わたし」の視点を通して描いた。
「むらさきのスカートの女」は、無口で謎めいた人物だ。しかし「わたし」の誘導によってホテルの清掃員として働き始めると、人が変わったように社交的な様子を見せるようになる。今村は「当初は彼女を一人称にして書いていたが、物語が進まなくなった」と執筆過程を振り返る。そこで語り手に「わたし」を据え、陰で観察するように彼女を捉えた。
なかなか存在が浮かび上がらない「わたし」は、ストーカーのように彼女を追い続け執着する。その姿はどこか狂気じみている。選考会では「『むらさきのスカートの女』という鏡を通して『わたし』の本性に迫っている」という見方が少なくなかったという。選考委員の小川洋子は「狂気を突き抜けた先にある哀れさを描ける人だと再認識した」と評した。
本作は自身のホテル清掃員としての体験を生かした。「清掃の仕事は天職だと思った」(今村)ほど、働くことに楽しさを感じていたという。「知っている以上のことを書こうとしていない感じが自分らしいところ。自分の中にあるものを絞り出す感覚」と話す。
不穏な空気が漂う作風と見られることが多いが、17日の記者会見では「いつも明るい人を描きたいと思っている」と口にした。今村は2009年に執筆活動を開始。デビュー作の「こちらあみ子」で三島賞を、「星の子」で野間文芸新人賞を受賞した。今回の受賞で純文学の新人賞3冠を達成したことになる。執筆を中断していた時期があったが、いまは「本当に書きたいと思うものがなくなるまで、書き続けたい」と意欲を見せる。
(村上由樹)

芥川賞に今村夏子氏、 直木賞は大島真寿美氏
2019/7/18付 日本経済新聞
芥川賞に決まった今村氏()と直木賞に決まった大島氏(17日、東京都千代田区)
161回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞は今村夏子氏(39)の「むらさきのスカートの女」(「小説トリッパー」春号)に、直木賞は大島真寿美氏(56)の「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」(文芸春秋)に決まった。
贈呈式は8月下旬に都内で開かれ、受賞者には正賞の時計と、副賞100万円が贈られる。
今村氏は広島市生まれ。受賞作は、紫のスカートをはいた不思議な雰囲気の女性の日常をユーモアを交えた筆致で描く。
今村氏は記者会見で「一生取れないと思っていたので、本当に驚いた。(受賞作は)自分らしい、身の丈にあったものが書けた気がする」と喜びを語った。選考委員の小川洋子氏は「奇妙なピント外れの世界を上手に描けている」と評価した。
大島氏は愛知県生まれ。受賞作は、江戸中期の大坂の浄瑠璃作者、近松半二の生涯を追った。芝居小屋の立ち並ぶ道頓堀を舞台に一見華やかな世界にある虚実の渦を、創作論を交えつつ描く。
大島氏は「びっくりして実感がない。(人形浄瑠璃には)語りの美しさがある。書いていて気持ちがよかった」と振り返った。選考委員の桐野夏生氏は「柔らかな大阪弁の語り口がすばらしく、読者も渦に引き込まれるのではないか」と述べた。
直木賞候補は初めて全員が女性だった。桐野氏は「女性作家の実力がそれだけ高かった。この状況が珍しいと思われないようになってほしい」と語った。


芥川賞選評
l  小川洋子 ~ 滑稽な生きもの
奇妙にピントの外れた人間を、本人を語り手にして描くのは困難だが、目の前にむらさきのスカートの女を存在させることで、わたしの陰影は一気に奥行きを増した。2人は鏡に映った者同士のように密着し、境界線を失ってゆく。片方の女がコインロッカーの中身をもって消えたあたりから、むらさきと黄色は入れ替わったとも、一色に混ざり合ったともいえる。ラスト、クリームパンを食べようとしたわたしが、子供に肩を叩かれる場面に辿り着いたとき、狂気を吹き抜けた哀しさが胸に迫ってきた。悪ふざけが過ぎると見せかけながら、そうしたやり方でしか周囲と関わりを持てず、求めれば求めるほど多くを失ってしまう彼女の切実さが、炙り出される。滑稽な生きものであるからこそ、人は愛おしい。常軌を逸した人間の魅力を、これほど生き生きと描けるのは、間違いなく今村さんの才能
l  高樹のぶ子 ~ 最後の選評
『むらさきのスカートの女』は、新進作家らしからぬトリッキーな小説で、語り手と語られる女が、重なったり離れたりしながら、最後には語られる女が消えて、その席に語り手が座っている。語られる女は妄想の産物か。女は羨望や恨みや韜晦の情動から、ときにこのような別人物を創造する。2人を別人物とすれば状況的に無理があり、同一人物だとしても矛盾がある。どちらも良い、と思うことが出来れば、この作品を認めることができる。不確かさを不確かなまま書き置くことができるのが女性の強みだが、裏に必死な切実さが感じられなければ、ただの無責任な奔流になる。さてこの先、いくらかでも理路を通すか、さらなる大奔流で、実存を薙ぎ倒すか
l  奥泉光 ~ 選評
『むらさきのスカートの女』は、語り手である「わたし」の『むらさきのスカートの女』への異常なまでの執着ぶりが、余剰の少ない、淡々とした語りで以て描かれるところに面白さがあって、これは作者の狙いであり、そうした企みを実現するだけの技術力には賞賛に値するものがあった。しかし一方で「わたし」の異様な行動の奥から浮かび上がる何か――直接には書かれるそれを、小説が端正であるだけに、自分はうまく捉えられず、むしろ「わたし」の奇矯な振る舞いを描く場面を増やしてもっと笑わせて欲しかった、などと、ないものねだり的に考えたりもしたのだけれど、作者の力量に対する評価は変わらなかった
l  山田詠美 ~ 選評
読みながら、「むらさきのスカートの女」を追っているうちに補色の「黄色いカーディガンの女」がページを横切っていく。その2人の女に惑わされる小説の楽しみ。少しも大仰でない独特の言葉で、そこはかとない恐怖、そしておかしみの点在する世界に読み手を引き摺り込む手管は見事だと舌を巻いた
l  島田雅彦 ~ 物足りない理由
商品としては実にウェルメイドで、平易な文章に、寓話的なストーリー選びの巧みさ、キャラクター設定の明快さ、批評のしやすさなど、ビギナーから批評家迄幅広い層に受け入れられるだろう。だが、エンターテインメント・スキルだけでは「物足りない」のも事実である。タイトル・ロールの女性と対をなす黄色いカーディガンの女が観察者、語り手となって、ストーリーは進行するのだが、最後には両者が入れ替わったような印象を与えるので、もしかするとこの2人は同一人物の上半身と下半身ではないかと思わせる。そうした解釈に向けて開かれているところが今村夏子の売りである
l  川上弘美 ~ 声
小説を読むと、作者の声が聞こえてきます。どんな声の質で語るのか。どんな抑揚で。どんなリズムで。どんなピッチで。作品の要請する声を、作者の持つ本来の声とどう練り合わせて作り上げてゆくかと、ということに、小説家は精魂を込めます。今回受賞した『むらさきのスカートの女』の中には、作者今村さんの声が本当によく響いていました。今村さんが作り上げた、今村さんの声を、惜しむことなく美しく聞かせてくれました。一番に推しました
l  宮本輝 ~ 人間の迷宮
帯に短し襷に長し、の候補作の中で今村さんの『むらさきのスカートの女』だけが人間というミステリアスな存在へと筆を向けていたと思う。わたしたちの周りには、少々風変わりな人たちがいるのだが、実害が自分に及ばない限りは、その狂気とすれすれの異常性に気付かないでいられる。しかし、いったんことが起これば、あんなこともあった、こんなこともあったと思い至って、異常性では済まない恐ろしさと日常的に接していたのだと知る。『むらさきのスカートの女』の語り部である女が、この小説では最も異常性が顕著だが、読み手はむらさきのスカートの女を変わりものとして感じてしまう。この2人が実は同一人物ではないかと疑い出すと、正常と異常の垣根の曖昧さは、そのまま人間の迷宮へと繋がっていく。今村さんは、以前候補作となった『あるひ』でも特異な才能を感じさせたが、今回の『むらさきのスカートの女』で本領を発揮して、私は受賞作として推した

コメント

このブログの人気の投稿

近代数寄者の茶会記  谷晃  2021.5.1.

自由学園物語  羽仁進  2021.5.21.

新 東京いい店やれる店  ホイチョイ・プロダクションズ  2013.5.26.