サザビーズで朝食を  Philip Hook  2017.5.25.

2017.5.25.  サザビーズで朝食を 競売人(オークショニア)が明かす美とお金の物語
Breakfast at Sotheby’s An A~Z of the Art World       2014

著者 Philip Hook オークション会社サザビーズのディレクター。絵画部門のシニア・スペシャリスト。35年に亘り美術界の仕事に従事し、クリスティーズのディレクターを務め、画商としても国際的に活躍(8793)。著書には、美術史上に精通した立場から美術史を論じた書籍のほか、推理小説など5冊の小説がある。英国BBCの人気テレビ番組「アンティーク・ロードショー」では、7803年レギュラーで鑑定人役を務めた

訳者 中山ゆかり 翻訳家。慶應大法卒。英国イースト・アングリア大にて美術・建築史学科大学院ディプロマ取得

発行日           2016.12.22. 初版発行
発行所           フィルムアート

シャガール、ミロは、ブルーが多いほど高額に?
ゴッホは自殺したからこそ、価値が高まった?
アーティストの狂気は、市場に影響を及ぼす?
サザビーズのディレクターが、長年の経験をもとに作品の様式からオークションの裏側まで、様々なトピックを解説
『ガーディアン』『フィナンシャル・タイムズ』『サンデー・タイムズ』『スペクテーター』各紙誌のBook of the Year


はじめに
本書は、美術品の資産的な価値が、どのようなプロセスでもたらされるのかを紹介する手引書であり、アートとお金を巡る後ろめたい、だがなおも魅惑的な関係について、扇情的なディテールにまで立ち入って探索する本
5つのパートに分けて、美術品に対して買い手が最終的に支払う金額を決める際の決め手となる要因を、異なる視点から分析
美術品に資産的な価値を付与することは、全く議論の余地のない行為というわけではない、美術品取引は概して、必要とされている役割を果たしているものだし、他のかなりの数の上品ぶった商業機関と比べれば、悪くない働きをしていると思う

Part 1: アーティストと彼らの秘密
(著者概説)
アーティストとその背景にある物語を考察 ⇒ 作者は誰か
作者が誰であるかということ、そしてそのアーティストの重要性が美術史の体系においてどう認められているかという点は、買い手の決断と、その人が1枚の絵画に支払う価格に対して当然の影響を与える要因だが、そこには「アーティストの生涯」という背後にある物語も存在しており、その物語がアーティストに対する、そして彼らが生み出した作品に対する私たちの評価に影響を及ぼしている。つまり、芸術的な創造に関わる魅惑的な神話から成るロマンティックな物語が存在するが、その物語は、美術史的な重要性からは全く離れたところにある
例えば、ゴッホ本人と表現主義の創始者としての彼の重要性とはまったく別の次元に、彼の人生の悲劇的な物語が存在しており、それがコレクターにとっては感情的にも資産的にも、ゴッホの価値を高めている
Ø  ボヘミアニズム(=自由奔放主義) Bohemianism
アーティストというものは、とかく普通の人々とは違った生活を送る
ボヘミアニズムとは、アーティストが異質な存在であることを表す言葉
1843年、『ボヘミアンの生活の情景』を書いた小説家ミュルジェールが「ボヘミア」という世界を生み出した功績者。ボヘミアはカルチェラタンを中心とする一帯にしか存在しない
アーティストのボヘミアニズムは、彼らが特別に聖別された存在であることの印であり、芸術が特別であることを思い出させてくれるものであり、資産的・経済的な面でも役立っている
Ø  ブランディング Branding
画商などの専門家がよく使う言葉で「象徴的」と言った意味を持つ「アイコニック」は、ある作品が典型的であるとか、見分けがつきやすいといった限りにおいて、良い作品であると認めようとする考え方をするときに使われる
販売する作品の持つ「見分けのつきやすさ」という質に高い評価を与える美術市場は、本質的にブランドを提供するもの
19世紀後半、印象派が全く新しい商品を売る手段として「個展」の仕組みを普及
ルチオ・フォンタナ ⇒ カンバスに入れたナイフによる切り裂きは、容易に見分けがつきやすく、反復可能なモチーフ
Ø  ブリューゲル Brueghel
16世紀のフランドルのこの画家()ほど多様なモチーフを描き込んで圧倒するアーティストはいない
18世紀以前に活躍した画家たちを「オールドマスター」と呼び、現代美術を買う人に比べると、対象としては見劣りがする
ブリューゲルは例外で、現代の鑑賞者がより簡単に反応できる巨匠画家の1人。その本質的な人間性は今もなお生き続けている ⇒ 描かれている人々は、何世紀もの時を超えて、今も我々とコミュニケーションをとっている。このコミュニケーションこそが、コレクターたちを過去の芸術へと引き寄せるために鍵となる不可欠なものなのだ
Ø  生みの苦しみ Creative Block
大衆は、芸術家の苦悩の物語を聞くことを好む。それはその苦悩が、最終的に生み出される美術品の価値を裏付けるから
Ø  ドガ Dogas
芸術におけるフランスの真髄を体現 ⇒ 19世紀の最も偉大なデッサン家、構図に対する卓越した眼を持った、技巧的にも最高の革新者
2009年、ロンドンのサザビーズが、ドガの高名な作品で、19世紀の最も偉大な彫刻の1つでもある〈14歳の小さな踊り子〉(1880)のブロンズ鋳造を売った(19百万ドル≒17億円)際、セール前の宣伝のため、ロイヤル・バレエ学校から14歳のバレリーナを借り出し、同じポーズをとって並べたのがプロモーション・イベントとしては大成功となったが、バレリーナの清々しい健康的な香りに対し、ドガのモデルはどこかコケティッシュな気配を漂わせており、ドガが決して英国人ではありえなかったのかを身をもって効果的に物語っていた
Ø  日記の著者としてのアーティスト Diarists(Artists as)
日記をつける画家に興味をそそられる ⇒ 画家の日記は、心情を率直に吐露する
日記の特性は、その直截性と同時に、自身の不完全さや愚かさについて考察し、またそれと共に生きようとしていた気持ちが見て取れること、さらには、日記はしばしば魂の苦痛に満ちた内面の動きを外面化して治癒させる役割を果たす
日記の記述によって、その制作の様子を明らかにする光が投じられるとすれば、価値が高まることがあり得る。我々の鑑賞を豊かにし、作品に対する評価も高めてくれる
Ø  女性アーティスト Female Artists
数年前、ロンドンのナショナル・ギャラリー内に作品が展示されている2300名のアーティストのうち女性はわずか4名。重点が置かれたのは1900年以前に活動していた画家であり、当時は女性が男性の偏見の犠牲者だったのは間違いない
作家より成功の度合いは少なかったが、音楽家よりは目立っていた
Ø  フィクションの世界のアーティストたち Fictional Artists
小説家の描いた「登場人物」が生み出した架空の美術作品で記憶に残るもの
バルザックの『人間喜劇』に登場するロマン主義の画家ジョゼフ・ブリドー
実在のモデルがいる場合もある
Ø  テオドール・ジェリコー Gericault
究極のフランス・ロマン主義のアーティストであり、極端を好む危険な生き方をした
代表作は《メデューズ号の筏》(181819)で、2階屋ほどの高さのカンヴァスに2年前の船の難破の顛末を描く
32歳という短い人生は過度の情熱と早世というロマン主義が好む雛形に合致、作品数が限られた稀少価値も手伝って、作品価格はさらに高められた
Ø  有名なイメージ Images(Famous)
あまりに有名で馴染み深い作品であるがゆえに、そのイメージが芸術作品としての本来の役割を超えてしまったものが存在する
トップ10の筆頭が《モナ・リザ》(150319)で、ルーヴルを留守にしたときはセンセーションを巻き起こした。1回目は1911年の盗難事件(2年後に発見)2回目と3回目は展覧会のためでニューヨークと東京で熱狂した群衆が会場に殺到
次いでムンクの《叫び》(1893)。人類の大多数にとって共通な視覚的イメージとして、馴染み深い安心感を持った存在となった。オスロ国立美術館とオスロのムンク美術館のヴァージョン(ほかにも2つある)があり、それぞれ1回盗難に遭っている
3番目がミケランジェロの《アダムの創造》(150812)
次いで、ロダンの《接吻》(188287)と《考える人》(188182)。人間の心と頭脳の象徴であり、情熱と知性の間の、あるいは感情と理性の間の、絶え間ない相互作用を表している
6,7番目が、ミケランジェロの《ダヴィデ像》(150104)で、男性の完璧な肉体の古典的な理想像であり、ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》(148285)は女性の美の象徴
8番目が、ゴッホの《ひまわり》(188889)。美術史的な意味でよく知られる。楽天主義の性格を持つ花ヒマワリを、世界で最も苦悩したアーティストが描くという皮肉を、1つの「概念」として捉えることができる
9番目が、ドラクロワの《民衆を導く自由の女神》(1830)。フランス革命と民主主義のための闘いにおける英雄主義を象徴する究極の作品
最後が、ウォーホルの《キャンベルのスープ缶》(1960)。有名な日常的イメージを取り上げて、それを美術作品として提示することによってさらに有名にした
その他にも、レンブラントの《夜景》(1642)、ラファエロの《システィーナの聖母》(通称「ドレスデンのマドンナ」、151213)と《子椅子の聖母》(1514)、グイド・レーニの《ベアトリーチェ・チェンチの肖像》(1600)
2012年、個人蔵のムンク《叫び》がサザビーズに持ち込まれる。08年に油彩画《ヴァンパイア》(1894)37百万ドルで落札されたので、それを参考に価格が推測されたが、4つのヴァージョンともパステルであることを考慮するとそれほどいかないのではとの声も。ニューヨークでのオークションは史上最大のセンセーションを巻き起こし、内覧だけで7千人が群がり、最終的にその時点で美術品の価格としては最高値の119.9百万ドルで落札。
ブックメーカーの賭け率は30200百万と幅が広がったのは、美術界で最も優れた専門家の間でも予測が不可能だったことの反映で、ちなみに最も低いオッズだった本命価格は125百万で、ブックメーカーはほぼ正確に結果を予想していた
Ø  イズム -Isms
美術史は今や、「○○主義」、つまり「イズム」によって定義される ⇒ 19世紀以来、その時々の現代美術運動を説明する言葉として登場。当初は美術批評家や美術史家が使い、20世紀初頭からはアーティスト自身によって生み出されてきた
英国の画家で批評家のロジャー・フライが後に展覧会を開催するにあたり、現代美術に疑いを抱く自国の大衆に向けて「印象派後の画家たち」を意味する名をつけて紹介したのが「ポスト印象主義」の発端
ジョルジュ・スーラは、自らを「新印象主義者」と名乗る
ピカソに代表される「キュビスト(立体派)」たちは、自らをそう呼んでいた
マティスらの「フォーヴィスト(野獣派)」も、当初批評家から「野獣(フォーヴ)のようだ」と言われた画家たちが面白がって名乗った
パリで活動を始めた「シュルレアリスト(超現実主義者)」たちは、彼らの「イズム」を自らのために発明
画商も、自分たちが商っている新作品を正当化する手段として「イズム」を発明 ⇒ 1837年の「古典主義(クラシシズム)」が最初、次いで1844年「ロマン主義(ロマンティシズム)」、1850年「自然主義(ナチュラリズム)」、1856年「写実主義(リアリズム)
英国で使われた最初は1848年の「プレ・ラファエリティズム(ラファエル前派)」、次いで1914年の「ヴォーティシズム(渦巻き派)
大衆の理解を得るためには、アーティストたちを「イズム」の中にはめ込む必要があり、「イズム」の中に置くことは、ブランド化のプロセスのもう1つの側面
Ø  投獄されたアーティストたち Jail(Artists in)
アーティストとは、社会と闘う個人であり、投獄される理由は、借金、政治的な破壊活動、猥褻の3つ ⇒ クールベはパリ・コミューンの熱烈な支持者で逮捕され、エゴン・シーレは猥褻容疑で収監
投獄の経験は、大胆さと迫害のヒロイズムといったオーラによって、画家としてのイメージに輝きを加え、今日の市場では、これらアーティストをより魅力的な存在としている
Ø  狂気 Madness
画家、詩人、音楽家が気まぐれだという言い方は、彼らの狂気を言い表すために礼儀正しく和らげた言葉に過ぎない。創造力は、狂気から遠く離れることは決してない
多くの画家の狂気が、名画を生み出している
ゴッホは、「躁状態」の後に必ず「鬱状態」が待っていると言い、「呪われた病なしに仕事が出来たらどんなにいい仕事ができただろう…..」と告白している
専門家による治療を求めるものもいるが、狂気を治癒することが画家としての自身にダメージをもたらすのではないかという恐れを心の底に抱いている ⇒ ムンクは1909年に精神科医の手に身を委ねたが、それ以後の作品は優劣は別として別人の観がある
アーティストの狂気はそのアーティストの神話の一部であり、創造力というロマンスであり、またミステリーでもある。狂気と闘い、苦悩の中から作品を生み出したことは、アーティストのブランドを強化する
画家の身体的苦痛は、その絵の価値を減じ兼ねないが、対照的に精神的な苦悶のうちに生み出されることは肯定的に判断される
Ø  そこそこのアーティスト Middlebrow Artists
誰もが国際的な美術市場で高値を付け、ファンに大きな喜びを与えているアーティスト
ビュフェ(192899) ⇒ 第2次大戦後の「自己憐憫主義」のキーマンとして影響力を持つ。50年にはピカソと並んで世界で最も重要な画家と名指しされたが、それ以上に進むことはなく定型化に陥り、ピカソはひどく嫌い見下していた。日本人が買い支え1800千ドルにまで上がり、若干下がったものの人気を失うことはなかった
カシニョール(1935) ⇒ 可愛らしい女性像で人気。1350千ドル
カトラン(191904)  典型的な作品タイトルは「禅庭」
トーマス・キンケード(195812) ⇒ あまりにキッチュで甘ったるいため主要なオークションハウスは熱心ではなかったが、54歳で亡くなったときには、アメリカで最も好んで収集されるアーティストになっていた。ショッピングモール内にフランチャイズ方式で出店された小売店のネットワークを通じて普及、様々な価格帯の複製を量産し、年商250百万ドルを誇った。神の創造物の美を思い起こさせることを使命としたが、奇行も目立った
Ø  モデルとミューズ Models and Muses
ピカソは、モデルたちに対して男根崇拝的な好色漢の如く振舞っていた
ドラクロワですらも同様、モデルと戯れるためには若くなければならないと書いている
モデルにとっても進むべき道が開かれている ⇒ 画家のミューズに昇進し、画家にインスピレーションを与える存在となる
精神的な不安定さと芸術的な創造活動、そして性的なエネルギーの間には、密接な関係がある ⇒ ミューズとの関係が美術史の伝説に取り込まれる場合、そのミューズを描いた作品は人々の興味を割り増しさせ、資産的な価値にも反映されることに疑いはない
レンブラントとストッフェルス ⇒ 男やもめだったレンブラントが、かねてからの家政婦を追い出して後任としたストッフェルスは、彼の最もよく知られる絵に登場、《バテシバの水浴》(1654)が名高い
ムンクとダグニー・ユール ⇒ ムンクの人生は女性たちから逃れるための闘いだったが、ユールは特別な存在。ノルウェーの首相の姪だった彼女は、ベルリンのムンクのアトリエを訪れ、ムンクは彼女をモデルにいくつかの作品を残す。この時期彼女はムンクにとって官能的な女神であり、同時に母のように聖なる存在だったが、数年後には別の男と駆落ち
ボナールとマルト ⇒ 妻がミューズとなった例
モディリアーニとジャンヌ・エビュテルヌ ⇒ モデルにした後同棲したのは、彼の飲酒や薬物の濫用を考えると1つの挑戦だったが、第2子を妊娠中にモディリアーニが亡くなると、彼女も身籠ったまま投身自殺をした
ピカソとさまざまな女たち ⇒ 5年か10年おきに新しい女性が刺激を与え、ピカソの人生に異なる芸術様式の時代を呼び起こしている。逆もあり得るがピカソの場合は?
ダリとガラ ⇒ ガラはダリにとって妻であり愛人、モデルでアミューズ
Ø  居住区――アーティストと街とコロニー Quarters and Colonies
アーティストがどこに住み、どこで仕事をするかは、その神話の重要な部分で、彼らを評価する背景となる ⇒ 典型はモンマルトル、ロンドンのチェルシー、ニューヨークのソーホー、各地でコロニーが誕生、有名なのはブルターニュのボン=タヴァン、英国のコーンウォールのニューリン、デンマークのスケーエン、カンディンスキーが主導したバイエルン地方のムルナウ、第1次大戦前の南西フランスのコリウールなど
これらは芸術神話に殿堂入りした場所で、こうした場所で描かれた絵は、ブランド力を強め、市場における付加価値をもたらす
Ø  パロディ Spoofs
ユーモアあふれる模倣やパロディといった形で作品に込められたちょっとした風刺的な嘲笑が、アートに活気をもたらしてくれるので、アーティスト自身にとっても良いこと
奇妙なことに、時折パロディがそれ自体で芸術的な価値を、そして商業的な価値を獲得する ⇒ パロディを超えて、それ自体が反芸術のダダイストや超現実主義のシュルレアリストの手による、れっきとした美術作品となる
l  アンコエラン(支離滅裂)(1880年代に活動) ⇒ 前衛的な芸術の展開、特にダダとシュルレアリスムの運動を40年も前に先取りした活動をパリで展開。喫煙パイプを口に加えた《モナ・リザ》の複製画は、後にマルセル・デュシャンが模倣して、鉛筆とグワッシュを使ってモナ・リザのイメージに口髭を加えることで、反芸術のダダイストとして重要な声明を行った。自らをアーティストとは言わず、後に登場する世代の持つ深刻な反抗心を特徴づけた生真面目な教条主義といったものとは異なる
l  ブルーノ・ハット(1929年に活動) ⇒ ロンドンの好事家の詩人が作り上げた架空の画家による作品の展覧会を企画するという実話に基づく悪ふざけの一種だが、オリジナル作品が09年にサザビーズのオークションにかかり2万ポンド近い値が付いた
l  ナット・テート(192860) ⇒ 98年のエイプリル・フールにマンハッタンのアトリエで、デヴィッド・ボウイ主催のパーティが開かれた。英国人作家が、忘れられたアメリカ人画家ナット・テートの伝記を書くという発表のためで、集まった人が画家の思い出を語ったが、テートはロンドンの主要な公立美術館2つ、ナショナル・ギャラリーとテート・ギャラリーを併せた名前で、作家の創造の産物だった。フィクションでも、現代美術市場の「終わりなき空騒ぎ」のなかではプロモーションに耐え得るということが証明された
Ø  自殺 Suicides
仕事の孤独な性質と、その結果として起こりうる過剰な自信喪失が、毒性のある連係作用を為す
ムンクは自殺未遂で指を何本か失ったし、ジェリコーもホテルで自殺未遂を起こす
ゴッホの死は、自身がその詳細を根気よく時系列に綴っている ⇒ 苦悩に満ちた彼の絵のこれまで認められてきた価値を有効に留めているので、流れ弾に当たった事故死だという説はその価値を損なうもので認められない
老齢まで生きていたとしたら、恐らくはより劣った作品を生み出していたかもしれない。そうした良くない作品を供給することを差し止めるという意味でも、自殺や早逝は市場にとって有利

Part 2: 主題と様式
(著者概説)
どのような「主題と様式」に需要があるかを考える。需要は、個人的な好みに影響されると同時に、その嗜好は常に変遷を遂げているが、その変遷の中にあっても、ある特定の主題や様式を持った作品は、他に比べると売りやすいことが分かっているし、そこにはまた理にかなった一貫性も存在す何が売れるか売れないかを決めるのは、時として微妙な問題ではあるが、それでも概して驚くほど単純であることの方が多い
Ø  抽象美術(アブストラクト・アート) Abstract Art
美術の発展は、何世紀もの間、画家が自ら見た世界をいかに再現したか、そして「自然を忠実に描く」という錯覚であるところの理想像にどれほど近づけたか、その巧みさによって評価されてきたが、1900年の直前に革命を起こしたのが抽象美術 ⇒ 自然を歪めて表すことが美術に於ける表現の1手段として認められた
1895年、カンディンスキーがモネの《積みわら》の絵を見て、啓示的なヴィジョンを得、その20年近く後に抽象美術を発明
抽象概念の出現に拍車をかけたのは、写真の大衆化と、すべての芸術は究極の非表象的な芸術に憧れるというロマン主義的な概念
抽象美術は、アーティストの創造の神秘の奥深いところに通じている。何か理解しがたい、無限に解釈可能なものとなるならば、その神秘は一層価値を持つ
Ø  怒りと不安 Anger and Angst
人々は絵に幸福感が表されていることを好むので、対立よりも平穏が、苦痛よりも喜びが仄めかされていることを好む ⇒ 印象派の絵画が持つ魅力の基礎
絵の中の主要人物の口元のラインが絵の価格にどれほど大きな違いをもたらし得るかは驚異的 ⇒ マティスの室内画に書かれた優美な女性の口のラインがしかめっ面を示すように下がっていたが、真っ直ぐにするだけで絵の値段を2倍にすることは間違いないし、笑みを浮かべていれば4倍にもなったはず
不安や恐怖を伴う怒りは、実質的にはモダニストの、とりわけ表現主義者の発明で、商業的には良いもの ⇒ 20世紀の人間に特有な感情である実存主義者的な苦悩であり、アーティストたちの関心の中心が外的世界から自己の感情の内部へと向けられるにつれ、ますます魅力的なテーマとなった
葛藤と挫折感は、中でも選り抜きの感情であり、それがアーティストの真摯さを認めるものとなった ⇒ そのスローガンとなる声はムンクから発せられている
Ø  動物 Animals
伝統的な美術でもモダンアートでも、主題としての動物は常に変わらず人気がある
英国のヴィクトリア朝時代には、動物が「擬人化」され、今日でも商業面で魅力を振るう
Ø  陳腐 Banality
現代美術という文脈では、陳腐なものは売れる ⇒ 陳腐な考えとは、アートに対して真剣であることを是認するものであり、ごくありふれたものとの関わりを、したがって人間の生活の本質にあるものとの関わりを、改めて築こうとすることだから
l  排泄物 ⇒ 最初はイタリアのマンゾーニで自らの排泄物を缶詰にしてラベルを貼り付けたその容器を展示。ウォーホルには《ピス・ペインティング(小便絵画)》という作品群がある
l  ファウンド・ワードとジョーク ⇒ デュシャンは男性用便器に《泉》(1917)と名付けて出展したのも既存の造形物を芸術品と見做す「ファウンド・アート(見出された芸術)」の最初のオブジェで、アカデミズムに対する反抗の身振りとして行っていたが、同様に絵画として提示される慣用句や広告スローガンやジョークといった一連の言葉も「ファウンド・アート」としての「見出された言葉Found Word」であり、もともとの平凡で陳腐な意味からは切り離され、美術作品として提示されている
アメリカのポップ・アーティストのロバート・インディアナは、LOVE4文字で彫刻を制作。6番街の55丁目や西新宿に作品があるが、Loveとも読めるし、自転車(仏語でVÉLO)とも読める
l  キッチュ ⇒ ドイツ語の「安っぽくつくる=verkitschen」に由来。キッチュな品とは大量生産品=大衆文化の産物であり、美術用語としてのキッチュは感傷的なアート(ヴィクトリア朝時代の風俗画)や観る者にとってはあまりに簡単に物事を読み取れるようなアートであり、同時に「悪趣味」を表す言葉だが、20世紀後半にポップ・アーティストたちがキッチュなオブジェを取り上げ、新しい見方で注目、皮肉な光を当てることによって、新しいメッセージを発するようになる
l  ゴミ ⇒ 「自己破壊芸術」運動の産物。1960年ドイツの現代美術家メッツガーが最初の公開デモを行う。間違えて清掃作業員が片付けてしまったという落ちが付く
Ø  カラヴァッジョ Caravaggio
1617世紀に活躍したイタリア・バロックの巨匠で、最もセクシーなオールドマスター。光と影のドラマティックな効果、明快な色調、緊張感に満ちたリアリズムがあわさった画風は、カラヴァッジェスキという一派を生み、彼の様式を模倣した17世紀の画家はそれが誰であっても市場にとっては魅力がある。オールドマスター市場において、モダンアート市場におけるフォーヴ(野獣派)と同じ評価を獲得
Ø  枢機卿 Cardinals
19世紀後半、枢機卿のプライヴァシーを描くことが1つの定義を持った絵画ジャンルとなり、人気画家に強力な魅力を提供するとともに、人々が進んで高い金を払っていた
悪い芸術の世界であり、率直に言えば商業的な「大衆」芸術の世界
覗き見趣味を満足させる一方、これらを描いたときのアーティストには宗教上の権威・権力を否定するある種の反教権主義的な動機もあった ⇒ アーティストはローマ・カトリック教会の国々や地域の出身者が多く、自由主義政府と保守的な教会や不正に蓄財している修道会との間の政治的対立にも影響されている
ギュスターヴ・クールベの《会合の帰り道》(1863)は、下品なまでに聖職者の堕落を描く
Ø  コンセプチュアル・アート(概念芸術) Conceptual Art
1つの作品のアイディアやコンセプト(概念)が、作品そのものの制作よりも重要であるという原則が暗に含まれている
代表作は、キューバ出身のアメリカの現代美術家ゴンザレス=トレスの大量のキャンディを集めた作品。ロンドンのテート・ギャラリーに展示。どこでも同じものが、またなくなってもいくらでも補充できるので無限に反復可能なものとして提示される
着想自体の所有権を、商取引上で主張できる形に成長させ、売買され得るようにした
Ø  エロティシズム Eroticism
エロティックな芸術の良し悪しを決める基準は、主観的な領域にある
ロダンは、「不道徳は存在しない。芸術は常に神聖。観察ということを真摯に心に留めて制作したものである以上、それ自体が卑しくなることはあり得ない」と言う
ポルノグラフィーとは峻別。差別化は道徳のためであるのと同じ程に市場の為でもある
エゴン・シーレはポルノ作家ではない。過酷なまでに写実主義者だっただけ
女性の生殖器をクローズアップでとらえた《世界の起源》(1866)のクールベも同様
エロティックなアートをうまく売るためには、セックスよりも「アートである」ことを強調すること
Ø  エキゾティシズム(異国趣味) Exoticism
①ドラクロワが1832年の最初のアフリカ旅行で描いた作品、②ゴッホが日本風にプロヴァンス地方を葦ペンで描いたインクによるデッサン、③ゴ-ギャンのタヒチで描いた作品は、今日の美術市場で最も需要が高い3人の画家による、中でも極めて望ましい作品
エキゾティシズムは売れるのは、画家の生むイメージが人に衝撃や楽しみを与え、新境地を開き、刺激をもたらし、驚きと畏怖を引き起こすから
16世紀以来イタリアはアーティストの巡礼の地
19世紀初頭になると、冒険を追い求めるロマン主義者を中心に、北アフリカとアラブ世界、東方世界が開拓され、特に日本の独特な美術の発見がヨーロッパのモダニズムに永続的な影響を及ぼした
19世紀末にはゴーギャンがタヒチに向かい、原始主義の無垢な活力を以って、老いて疲弊したヨーロッパを鼓舞しようという復活の試みを期してのことだった
Ø  風俗画 Genre
19世紀に登場した新しい得意客は、新しいタイプの絵を要求。それに対応した作品を扱うための大衆的な市場が国際的な規模で生み出されている ⇒ 新しいタイプのブルジョワ的な絵画が象徴している現象は、風俗画の勝利
風俗画とは、可能な限り親密で、しばしばとるに足らないレベルの日常的な家庭内の光景を描写した絵 ⇒ 「感傷的で親しみやすいもの」という大衆の趣味に合致
「プライヴァシーの侵害」により絵画的な喜びを得るという楽しみが発見されたが、伝統的な歴史画家たちが社会的に大きな事件を格調高く扱った主題からは程遠い
オークションハウスは、大衆の芸術とエリートの芸術という分化をもたらしたカテゴリーに従って、絵画のセールを行い、一緒くたにはしない
Ø  歴史と聖書 Historical and Biblical
歴史書は売りにくい ⇒ わかりにくく、図像も複雑
聖書の物語を描いたオースドマスターの作品に対する需要も下向きなのも、主題に死がテーマとして扱われる傾向が影響
ただ、真の巨匠によって描かれた絵画は超越される ⇒ ルーベンスの《幼児虐殺》(160911)は、09年のサザビーズのオークションで46百万ポンドまで競り上げた
Ø  印象主義 Impressionism
主題を見れば、絵画の形をとった抗鬱剤であり、人々の不安感に対する木漏れ日による療法 ⇒ 浜辺、花、橋、カフェ、コンサート・ホール、陽気な活動、庭、日傘、ピクニック
Ø  美術市場で人気の高いアーティストたち Individual Artists
最も高価で人気のあるモダニスト50傑 ⇒ 同じアーティストの作品でも、ある特定の主題や時代の作品が特に望まれることもある
ジャコモ・バッラ(18711958) ⇒ イタリア未来派の指導者。20年以降の作品は弱弱しくなっていて要注意
マックス・ベックマン(18841950) ⇒ ドイツ表現主義者。残酷なまでに悲観的な自画像が特に評価
ウンベルト・ボッチョーニ(18821916) ⇒ イタリア未来派。彫刻に傑作がある
ピエール・ボナール(18671947) ⇒ 初期のナビ派の絵画、すなわち日本美術の影響を必要最小限に取り入れた様式の90年代の作品が極めて高い評価
ウジェーヌ・ブータン(182498) ⇒ 上流社会崇拝の主題が大衆に受ける。モネもブータンから多くのことを学んだという
コンスタンティン・ブランクーシ(18761957) ⇒ 彫刻作品の抽象化が求められ、より具象的な初期の作品の評価は低い
ジョルジュ・ブラック(18821963) ⇒ 19056年のフォーヴの時代、190914年のキュビストの時代、1950年初頭のアトリエ室内を描いた時代の3つが特に望まれる。2030年代の退屈な静物画は、商業的には致命的なアースカラーが用いられている
ギュスターヴ・カイユボット(184894) ⇒ 仏印象派初期の偉大なパトロン。バルコニーや奇妙に願望のいい場所からパリの通りを見下ろした光景の主題が望まれる
ポール・セザンヌ(18391906) ⇒ 望ましい主題は果物、特にリンゴのある静物画、次いで水浴図、次が人物の描かれていない風景画。ゴーギャンやゴッホと同様、年齢を重ねるごとに良くなったと判定される。印象派の時期はごく平凡だったが、後年極めて先進的となり、ほとんどキュビスムを発明したと言ってもいい
マルク・シャガール(18871985) ⇒ 早い時期のものほど作品が良い。ロシアにいた時分や、パリに最初に来た頃の青春期の作品が望まれ、2030年代のは劣る。青色の量に比例して価値が高くなる。宗教的ニュアンスによって左右され、磔刑の図は悪い兆し
ジョルジュ・デ・キリコ(18881978) ⇒ 1017年の形而上絵画の時代がピーク
サルバドール・ダリ(190489) ⇒ 30年代のもの以上に良い作品はない。質の高いテクニックと狂気、そして興奮に満ちたシュルレアリスムを結合。晩年は怠惰
エドガー・ドガ(18341917) ⇒ バレエダンサーが最高、次いで水浴する女性像、競馬の光景、洗濯女と続く。デッサン力とその革新性からパステル画のほうが油彩画よりもしばしば価値が高いという並外れたアーティスト
ポール・デルヴォー(18971994) ⇒ ベルギーのシュルレアリスト。40年代初めが最高。エロティックな要素を持っていることが重要。サイズが大きいほど、モチーフの組み合わせが奇妙(骸骨の抱擁)なほどより良い
アンドレ・ドラン(18801954) ⇒ 0507年のフォーヴの時代に限定され、良いのは極めて強烈に明るく輝く色彩で暗いのは不可
オットー・ディックス(18911969) ⇒ 20年代が最高。シニカルなリアリズムや、初期のダダの時期の作品もよいが、後期の作品はナチズムとの関りがあり要注意(不可)
マックス・エルンスト(18911976) ⇒ 3040年代初頭の典型的シュルレアリストの作品、次いで20年代初期、次いで5060年代。よりコントラストの強いものが良い
ライオネル・ファイニンガー(18711956) ⇒ 0814年が人気があり、後期のキュビスト風のものは価格が下がる
ポール・ゴーギャン(18481903) ⇒ 画業の展開はセザンヌに似ている。ポン・タヴァン時代(80年代後期)の絵画は高価だが、タヒチ出奔後(91)には太刀打ちできない
アルベルト・ジャコメッティ(190166) ⇒ やせ衰えたごつごつした身体が実存主義者の不安を漠然と表現するものが高価。生前に鋳造されたか死後かで大きな価格差がある
ホワン・グリス(18871927) ⇒ スペインのキュビスト。ピカソとブラックの仲間。1316年の作品が最良でキュビストにない「色彩」を加えているが、20年代以降は様式化
アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー(18641941) ⇒ 第1次大戦前数年間の表現主義的な肖像画が高価で、輪郭線の周りに点火されたコンロの青い炎のギザギザのあるもの
ヴァシリー・カンディンスキー(18661944) ⇒ 1316年抽象美術を発明した時代が最も高価、次いで0812年表現主義の絵画、第1次大戦後バウハウスの影響を受けた幾何学的な抽象作品、黒を背景とした後期の作品と続く
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(18801938) ⇒ ドイツ表現主義の第1人者。第1次大戦後は情熱を失う。最初期の表現主義の作品を1,2年早い制作年に書き直しているのと、20年代に戦前のいくつかの作品に手を入れたのは、自身のブランドを損ねている
パウル・クレー(18791940) ⇒ ファンタジーを扱う「視覚の詩人」。後年衰えたとはいえ、全キャリアを通じて傑作がある。14年のチュニジア旅行時の作品は稀少
グスタフ・クリムト(18621918) ⇒ ウィーンのベル・エポックの美しい女性像が最高の評価、続いて湖畔の風景画、1900年頃の暗鬱な象徴主義的作品群。初期は不人気
フェルナン・レジェ(18811955) ⇒ 第1次大戦前のキュビズムの作品が高い評価。戦後の作品は出来にムラがあり、しばしば退屈
アウグスト・マッケ(18871914) ⇒ ドイツ表現主義の画家。14年のクレーと一緒のチュニジア旅行時の作品は色彩豊かで人気
ルネ・マルグリット(18981967) ⇒ シュルレアリスムの寵児。ベルギー人。山高帽、パイプ、夜と昼が奇妙に入り混じった「光の帝国」シリーズが特に望まれる。40年以降は不人気
カジミール・マレーヴィチ(18781935) ⇒ シュプレマティズム(絶対主義)を創始した時期(1915)の可能な限り直後に描かれたものが理想的。十字の入ったものは稀少
エッドゥアール・マネ(183283) ⇒ 印象主義の父。滅多に市場に現われないが、明るく強い色彩と印象派にお馴染みのテーマを持つ作品を望む。どちらが欠けても需要は低い
フランツ・マルク(18801916) ⇒ 第1次大戦で早世したため稀少で需要も高い。ドイツの芸術家集団「青騎士」による表現主義運動の傑出した存在。馬の絵は理想的
アンリ・マティス(18691954) ⇒ 最も偉大だったのはフォーヴの時期。以降の色味が失せた風景画などは評価が低い。たった1つの微笑が大きな差になる(Part 2参照)
ジョアン・ミロ(18931983) ⇒ 40年代の「星座」の水彩画の連作は高価。青色が使われていればより高価だが、後年の作品はピカソ同様昔の繰り返しで初心者向き
アメデオ・モディリアーニ(18841920) ⇒ 主題のトップは裸婦像。着衣は縦位置が好ましく、首が長いほうが良い。走り描きっぽい初期の肖像画は需要が低い
ピエト・モンドリアン(18721944) ⇒ 垂直線と水平線の格子による抽象的な作品に限る。赤・青・黄色の3原色の組み合わせが必要だが、赤を全く欠くことはあり得ない
クロード・モネ(18401926) ⇒ 印象派の典型的な画家として不朽の人気を誇る。後年の連作絵画はますます高値。一般的な順位は、①水蓮シリーズ、②ルーアン大聖堂(日が照ってるほど良い)、③ポプラ並木、④積みわら。人物像は評価されていないが日傘を持った場合は別
ヘンリー・ムーア(18981986) ⇒ モダニストでは数少ない英国人。人物像の記念碑的は不朽性や、横たわる形態、無言の表現力の豊かさ、彫刻の2つの面を結び付ける穴、2030年代に用いられた「ダイレクト・カーヴィング」の手法が高く評価
エドヴァルド・ムンク(18631944) ⇒ 不安感に支配されていた90年代の作品群に高い評価、特に女性たちとの苦悩に満ちた関係に焦点を当てたもの。20世紀以降は落ちる
エミール・ノルデ(18671956) ⇒ 原始主義者のテクニックを用い、絵の具を厚く盛り上げて塗る手法で得られた強い色彩が望まれる。50年代でも同じ価値を持つ稀有な存在
パブロ・ピカソ(18811973) ⇒ 画業は絶えず変化していたがそのランクは、①マリー・テレーズの時代(3035)、②青の時代とバラ色の時代(0208)、③ドラ・マールの時代(30年代後期と40年代初頭)、④新古典主義の時代(20年代初頭)、⑤キュビズムの時代(0814)、⑥老いて盛んな好色漢時代(6073)、⑦40年代後期と50年代は面白味に欠けるが重要な連作の傑作《アルジェの女たち》は例外、⑧シュルレアリスムの時代(20年代後期)比較的無気力。5年後はどう認知するかの議論の行方はわからない
カミーユ・ピサロ(18301903) ⇒ 最後の数年の作品が最も高価。完全な点描画法による風景画、農民の収穫を描いた田園の景色も高く評価。不適切な水浴画は低い
ピエール・オーギュスト・ルノワール(18411919) ⇒ 6000点のうち、関節炎で苦しんだ後年の作品は劣る。7080年代の典型的な印象派時代の作品群が人気。初期の作品が最も望まれるとともに、、人物を主題としたほうが風景画より評価が高い(モネと逆)
オーギュスト・ロダン(18401917) ⇒ 主題に明確な序列がある。①《考える人》《接吻》、②《エヴァ》と《青銅時代》、③神話を題材とした女性像全てと寓意的な裸婦像、④《カレーの市民》や《バルザック》《地獄の門》のような記念碑的作品
エゴン・シーレ(18901918) ⇒ 18年致命傷となるスペイン風邪を患う。シーレ度の高い「シーレ=ストロング」と低い「シーレ=ライト」があり、ストロングは激しく挑戦的で性的な表現があからさまだが、ライトは愛らしい。最良の風景画が人気があるのは両方の要素を併せ持っているから
ジョルジュ・スーラ(185991) ⇒ 新印象主義・点描主義の指導者。後年のより純粋な点描主義の手法がより良い。デッサン家としても高い評価
ジーノ・セヴェリーニ(18831966) ⇒ 0915年の作品が真に価値ある作品で、その後は装飾的な作品へと後退
ポール・シニャック(18631935) ⇒ スーラの流れに乗る新印象主義者。8890年の純粋な点描主義の作品が高く評価。描かれた場所ゆえに購入対象となっている
アルフレッド・シスレー(183999) ⇒ 風景画で次の特徴を持つ作品、①青い空、②空の映る水辺、③木漏れ日を映す木々の葉、④サイズが60x73㎝以上
シャイム・スーティン(18931943) ⇒ 絵の具の厚塗り、屠殺場の大きな厚切り肉といった挑戦的な主題が大胆な筆のタッチで描かれる
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック(18641901) ⇒ 90年以降開花、ヴィジュアル・ブランド、即ち当世風でいかがわしいイ「ベル・エポックのパリ」というイメージの創始者
キース・ヴァン・ドンゲン(18771968) ⇒ フォーヴの一員。0614年の作品が望ましい。感動的な色彩で魅力的な女性像を描くのが専門。後年は劣る
フィンセント・ファン・ゴッホ(185390) ⇒ 最初がオランダ時代(8085)でアースカラーと闘う、パリ時代(8587)モダンアートに目覚め色彩が幾分明るくなった、南仏プロヴァンス時代(8890)芸術が完全な開花を見た時期で表現主義が生み出され耳たぶが傷つけられ精神病院が登場。最後はすべての価格記録が塗り替えられた
モーリス・ド・ヴラマンク(18761958) ⇒ 初期は素晴らしかったが後年は破滅的に衰えた。ゴッホの影響を受け、05年頃の風景画は優れているが、後に暗く反復的になった
エドゥアール・ヴュイヤール(18681940) ⇒ ボナール同様初期のナビ派時代の作品は高い評価。身近な題材を温かく描くアンティミスト(親密派)
Ø  革新 Innovation
1910年と12年の2度にわたってロンドンの美術界は、グラフトン・ギャラリーで開催されたポスト印象派の画家たちの展覧会で衝撃を受ける ⇒ フォーヴとキュビストによる作品が初めて英国の大衆に示され驚きと憤慨をもたらすとともに、展示作のどれもが買い手を見つけられなかった
今日、新し物は売れる ⇒ 過去1世紀の間に美術界で起こった最も大きな変化
現代の美術市場では、アートは新しくない限り、何かが欠けているように感じられる
オークションハウスでも、取引高はオールドマスター部門より現代美術部門が多い
カタログにも、現代作品に類似する過去の時代の絵画や彫刻を参考作品として引き合いに出し、その関連付けによって、西洋美術の偉大な伝統の最後を飾る作家なのだという安心感を与えることになる
Ø  室内画 Interiors
現在、室内画は流行となっていて人気がある ⇒ 主題としては、大きな客間、ボナールにおける浴室、マティスによるニースのホテルの部屋などで、教会内部は需要が低い
Ø  風景画 Landscapes
風景画の描かれた場所を特定することは、大きな価格差を生む
海景画では、穏やかな海が望ましく、荒れた海は不安感を反映して価値が下がる
特に、ヴェネツィアを描いた作品の価値は高い。次いでローマ、フィレンツェ、パリ
Ø  ナラティヴ・アート Narrative Art
ヴィクトリア朝時代に人気のあった物語形式をとった絵は、今では時代遅れ
絵画によって物語を語り、道徳を示したいという英国人の強迫観念を、フランス人は理解せず、道徳的な印象を与える絵画は、一般則としてすべて悪い絵とされた
Ø  ヌード Nudes
19世紀のアーティストたちは何ら非難されずにヌードを描くようになったが、一定のルールに則って古代や中東といった遠方の舞台設定に限定されていた
舞台設定が同時代のものとなると、クールベによる妥協のない、理想化もされていない《浴女たち》(1853)の裸婦像に直面したナポレオン3世は、持っていた鞭でカンバスを打ちつけたという
セントラル・ヒーティングの発明が、モデルの衣服を脱がせたという面もある
モダニズムのヌードも、理想的なものとエロティックなものとに分けられる ⇒ セザンヌの水浴者たちを特徴づける形態に対する理性的な探求と、モディリアーニの「オダリスク」的な裸婦の官能的魅力と比較すればいいだけだが、中東の買い手だけはかつてのヴィクトリア朝時代と同じ道徳観念を再び主張しているので、特にイスラム国の新興の美術館の場合はまだ受け入れが難しい
Ø  肖像画 Portraits
商業上の好みによる順位は、美しい女性の肖像、有名な人物、心理学的に洞察力に富んでいる肖像
食事の席でそのモデルの隣に座りたいと思うかどうかが基準
モデルの名前を特定することは作品の価値を増すが、中途半端な名前は例外
モデルが若く美しい場合は、立っているより横になっている方がしばしばプレミアムが付く
肖像画の黄金時代は、英国では1800年を境として前後50年、ゲインズバラなどが肖像画家として名高く、もう1つは1900年前後の西ヨーロッパの「ベル・エポック時代」でこのとき肖像画の国際的なスタイルが生まれた。財力を示す等身大の「威厳ある」スタイル
Ø  鉄道 Railways
機械の進歩の記録として、汽車は人々の気持ちに応えてくれる
都会の鉄道線は、能率的な都市生活のシンボルだし、田舎の線路は自然の中へと入り込み、幾何学的に十分な正確性を保って風景のなかへと突き進む
Ø  雨 Rain
天候は、風景画の商品性にとって重要な要因 ⇒ 晴れは雨や嵐よりも望ましい
印象派の雪景色は営利性がある
19世紀後期、雨の風景画を描く流行が起こった
Ø  スポーツ Sport
英国人の魂の最も深い奥底には、唯一尊敬すべき美術品はスポーツを描いたものという信念が潜んでいる ⇒ 人間の心情や情熱といった危険な領域に迷い込む絵画よりも安全
同様に好まれ続けている絵には、雄鹿、イノシシ、キツネ、冬羽の白い雷鳥、キジなどを描いたものがある ⇒ 「戦利品(トロフィー)」としての美術品の初期の形
Ø  静物画 Still Life
モチーフに価格の序列あり  花、②果物、③楽器、本
ヴァニスタ(人生の虚しさや虚栄を表す寓意画)は、死を想起させるので避けるのが最善
Ø  シュルレアリスム(超現実主義) Surrealism
最も基本的なレベルでは、ルネ・マグリットの「これはパイプではない」という説明の言葉の付いた喫煙パイプの単純なイメージへと行き着く
20世紀は、夢の世紀で、精神分析のフロイトによる潜在意識の研究方始まり、6070年代のLSDにインスパイアされた幻想の中で開花
Ø  戦争(1次大戦) War
戦争画家は軍事画家よりも魅力的 ⇒ ヴィクトリア朝時代の人々によって描かれた戦争は英雄的な勝者と勇気ある敗者を伴う、賑やかな「クロスカントリー競馬」といった視点に立つもので1つのスペクタクルとして扱っていたが、第1次大戦の始まりとともに終わりをつげ、代わりに最前線で制作する従軍の戦争画家が登場、自らの経験を直截的な痛ましい衝撃をもって絵画へと変えた
1次大戦は、他のいかなる戦闘から生まれた作品よりも遥かに高く評価されるイメージを生み出す
戦争の終わりとともに、ピカソとマティスを除き、誰一人として戦前の作に相当する質を持った作品を作り続けることはできなかった ⇒ 戦死した画家の作品に稀少価値が出た
キリコの最高値を付けた絵の制作年は1918年、ドンゲンのは191011年、ヴラマンクは05年というように、大戦後に描かれた作品で最高値の記録を持つ画家は1人もいない

Part 3: ウォール・パワー
(著者概説)
なぜその壁に懸けられた1枚の絵を気に入るのかについて、より詳細に探るもの。人に所有したいと思わせるようなインパクトを与えるものは何なのか
芸術作品としての質は、明確にするのが難しいという点では悪名高い。その判断に寄与するいくつかの要因を考察する
Ø  真筆 Authenticity
真筆性の立証 ⇒ サイン、カタログ・レゾネ(アーティストの全ての作品の一覧書)、裏面にも種々の参考になることが書かれている、専門家による検分
作者不明の絵画は、どんなに良質でもより安価 ⇒ アーティストの個性という決定的な特質を欠いているから
Ø  色彩 Colour
色彩は売れる。印象派が売れるのも、改革が色彩に関わるものだったからで、その改革は補色に関するルールを形成することに繋がる ⇒ 3原色のそれぞれは他の2色を混合することでその補色が得られる。その結果前例のない高揚した色調を持つ絵が誕生
20世紀初頭のモダニストの芸術運動は、色彩の取り方をさらに前進させ、大まかで強烈、物の固有の色には捉われない自律的な色を用いて色彩の幅を拡張
特に、赤と青は、モダニストの芸術において最も重要な色。赤という色の力は驚異的
一般則として、英国の画家は色彩画家ではない ⇒ 英国を訪れたフランス人が困惑したほどで、英国人の色彩感覚を悩ませているのは、ぬかるみを好む生まれつきの本能
Ø  エモーショナル・インパクト Emotional Impact
絵画の質を図る基準の1つは、観る者の内に何かしらの感情を生み出すか否か
音楽や文学、芝居と違って、絵画が涙を誘うことはまずない
スタンダール症候群 ⇒ 美術品に対する極端な感情的反応を説明

Ø  贋作 Fakes
贋作が機能するのは、それを受け入れる観衆がいて、詐欺の被害者となる側にそれが本物であって欲しいと思う何らかの抗しがたい理由があるとき
ゲーリングの持っていたフェルメールが、今では同国の贋作者メーヘレンの描いたものだとわかっている
贋作は古臭くなる ⇒ それが作られたときの同時代の人々は騙せるかもしれないが、本物と違って、時代を経るとどうしてこんな模倣作品が当時の専門家たちの目をどのようにして騙したのか理解しがたい
偽物にも等級がある ⇒ ゴッホのある贋作は、科学分析法を使った顔料の検査を通じて生前はなかったものだということが判明している
サインは重要な要素 ⇒ 故意に付け加えられれば犯罪的な詐欺行為だが、サインの頭に、”n”(ドイツ語でnach)”d’ap”(フランス語で「~にならって」)がある場合は、師匠の作品の模写であることを作者自身が認めていることを示すので、贋作には当たらない
最も成功を収めやすい贋作はモダンアート ⇒ オールドマスターの作品の質は、事物のリアリティを正確に説得力を持って表すことを目指しており、世界を正確に表すという基準を持って見ることができたが、モダンアートでは、その作品が本当にそのアーティストの描いたものだと言えるほど、十分な質の良さを備えているかを見抜くのはより難しくなった
ヴァリアント ⇒ 通常は作者が若干の変更を加えて作った異作だが、オークションで買った真作に似せた偽造レプリカを制作し、時期をずらして両方とも処分してしまうと、重複が明るみに出るまでしばしば数年かかる
Ø  仕上げ Finishing a Painting
19世紀の画家は同時代の観衆が望むような仕上げのために、画家の自発性を幾分犠牲にしているが、近年のモダニストは絵の仕上げに対する必要性には束縛されない
完成か未完成かは、商業的な観点からは大惨事となり得る
Ø  額装 Framing
額をどう変えるかは、絵画の価値によって決まる
オールドマスターの絵画については伝統的に、その絵自体の様式や時代、国籍と同じ額縁を使うという厳しい規律が守られてきた
モダンアートについても同じ理論が当てはまるが、モダニズムの到来によって、様式的な柔軟性が大きくなる傾向も生じ、特に印象派の絵画を18世紀フランス製の装飾的な美麗額縁に入れるというアメリカで非常にありがたがられた流行が生まれた ⇒ ドガのバレエダンサーのパステル画の額装を変えて売り、ドガの世界記録となる価格を獲得したが、後に元の額装に戻すよう申し入れ
Ø  天才 Genius
並外れて優れた質が一目瞭然のことがある。何がその特別の質を成り立たせているのかは表現のしようがない
目にすれば、確かにそれとわかる。そして市場にも、それがわかる
Ø  自然への忠誠 Nature(Truth to)
芸術は自然に絶対に忠実でなければならないという錯覚であるところの理想は、美術史を通じて画家を魅了し続けてきた
ラファエル前派の真言(マントラ)にもなった
過度の写実主義は、絵画にとっては永遠不滅の特徴の1
人々は、ハードワークのために金を払うことを好む
自然に忠実であることを達成するために、印象派は光学的アプローチ方法を考え出したが、英国人の本能的な好みは、印象派が自然を大雑把に扱い全般的な表現に専念することを軽蔑して、現実を厳格に描くという、より創造力にかけるテクニックのほうへと向けられた
Ø  調子の悪い日 Off-Days
生前は作品の質によって外に出すか出さないか管理できるが、没後は管理不在となるケースが多々ある ⇒ サインのスタンプを作らせるという慣行が認められ、アトリエで見つかった未サインの作品の全てにスタンプが押されるので、没後にアトリエスタンプの押された未サインで出てくる作品にはある曖昧さが生じる
09年、モネがニューヨークの展覧会用に描いた一連の水蓮の絵に対して、再点検後にアトリエから出すことを拒否。展覧会をキャンセルすることで、逆に画家の妥協のない高い規範の遵守が証明され、観る人にも受け入れられた
後期のピカソのようにインスピレーションが豊かなあまり、あるいは自身の持つ神話を信じるあまり、作品を多く描き過ぎたため、駄作が多くなったのは事実で、悲劇は彼がそれを破壊しなかったこと。相続人も、あまりに高価だったために破棄できなかった
Ø  修復 Restoration
見たところ無傷な表面の下に、コンディションの問題が偽装されて潜んでいることもあり得る ⇒ 修復や、加筆されていたりすると価値が落ちる
修復にもさまざまな種類があり、カンヴァスの破れや絵の具の剥離といった損傷を修理するのから、単に表面のクリーニングだけのまであるが、いずれにしてもリスクが高い
アーティストが筆のタッチによって画面上に盛り上げる絵の具の厚みを変えることを「インパスト」というが、カンヴァスに補修のために裏打ちをするとインパストをを平坦化してしまう ⇒ 20世紀にアメリカの修復家が将来の耐久性担保のためにすべてのカンバスを裏打ちしたため、今日それを除去するために多くの費用と時間をかけている
英国のロイヤル・アカデミーの展覧会の前日は「ヴァ―ニシング・デイ」と呼ばれ、かつて画家たちが会場内で画面にニスや最後のリタッチを施せる特別な日とされ、重要な儀式となっていた
紫外線ライトを絵の表面に当てることによって表面の塗装の年代が分かるので、修復がなされたか否か判別できるが、現代では紫外線の遮蔽効果を持つニスが現れた
Ø  サイズ Size
より大きいサイズの価値が高いが、通常の大きさの正面玄関の扉を通り抜けるまでが限度
真逆のケースとして、デューラーの頭部の肖像画のように小さいほどいいというのもある

Part 4: 来歴
(著者概説)
美術品自体がこれまで辿ってきた物語にも影響力がある。誰のコレクションにあったか、何処で展示されてきたか、どんな画商が扱ってきたか等の来歴も重要な要素であり、作品の質の高さのお墨付きとなったりする
2次大戦中に略奪された美術品を取引していたと特定されている画商たちの名前が出てきたり、かつての所有者にナチスの名前があれば、よい兆しになることはない
Ø  退廃芸術 Degenerate Art
ナチスは、表現主義者の作品を退廃的と断言したが、「退廃」という言葉自体は皮肉にもユダヤ人が1892年に同名の本を出版した時に遡り、そこではすべてのモダンアートを病理学的に神経症の表れであるとした
ナチスが押収した大量の「退廃芸術」は、まずは個人取引で売却、39年にはルツェルンで大規模な公開オークションで126点を売りたて残りは焼却された
ナチスから買うことは、道徳的に疑念があったが、今日ではナチスによる「退廃芸術」との宣告が作品の価値を高めている
Ø  失われた絵 Missing Pictures
絵が行方不明になる理由は様々 ⇒ 火災や戦争で失われた作品には最後の様子が記録されているものもある。売却や相続を重ねるうちに不明となったものもある
ルーベンスの《幼児虐待》(160911)のように一旦市場から姿を消したものが真筆と認められて21世紀に舞い戻り、46百万ポンドの値をつけたような例もある
Ø  返還 Restitution
略奪美術品は戦争と同じ程古くから存在
ナポレオンがその筆頭で、ルーヴルはナポレオン美術館と名を変えたが、ワーテルローで敗北した後、元の国に返還された
2次大戦中の略奪は多くの問題を残した ⇒ ナチスによる窃盗と、東西冷戦によって東側に保管されていた重要な記録類へのアクセスが禁じられたこと。現在積極的に返還の作業が行われている
返還問題は、19世紀にエルギン卿がギリシャから持ち帰り、大英博物館の重要な所蔵作品となっているパルテノン神殿の古代彫刻群「エルギン・マーブル」にも及んでいる
Ø  窃盗 Theft
ビンチェンツォ・ペルージャは、近代史における最も成功した美術品泥棒 ⇒ 1911年《モナ・リザ》を盗んだ男。2年後に画商に売却しようとして逮捕、7か月の刑期
来歴の明確な絵は、盗んでも売れないので無価値だが、自らの趣味の為や、身代金のためや、麻薬や違法な武器取引の担保としても使われる

Part 5: 市場模様
(著者概説)
美術界内の嵐や好天といった空模様に影響を及ぼす様々な要因を検討
Ø  アンティーク・ロードショー Antiques Roadshow
1978年から続く英国の人気テレビ番組のタイトル ⇒ 元々クリスティーズの営利源として、地方に出張して地元の美術品の売り立てと査定をしていたのが起源
Ø  美術品を買う Buying Art
特定の絵画や彫刻を買いたいと決めるプロセスは、恋に落ちる時と似ているが、美術品の方が人間の恋人よりも優れている。触ることもできるし、口答えもしない
Ø  絵のカタログを作る Cataloguing Pictures

オールドマスターの絵画群では、絵の主題が変わることのない独自の言語を与えられているので、伝統的な用語から逸脱する時は危険を覚悟せねばならない
英国の風景画の点景の人々を「農民」と言ってはいけない ⇒ 1381年の農民反乱以来、英国には「農民」が存在しない
カタログ制作には、知性が試される ⇒ 美術史の言語に身をやつして書かれた販売術の賜物で、美術館の説明書きとは全く異なる、時には正反対となる
Ø  クリスティーズ(1766年設立)とサザビーズ(1744) Christie’s and Sotheby’s
美術品の価値は、固有ないし客観的なものではない ⇒ オークションこそ売却のための理想的な手段
2次大戦まではクリスティーズの独占。サザビーズは書籍中心で、美術品に入ったのは50年代からで、伝統に固執するクリスティーズに代わって、58年には社交界のイベントに昇華させ、今日の隆盛の基礎を築く
80年代初頭、サザビーズがアメリカ人実業家アルフレッド・トーブマンに買収され、98年にはクリスティーズもフランス人に買収されている
単純に傑作を扱うという楽しみのために、極めて薄い利益で素晴らしいセールを取りまとめている ⇒ 彼らの専門知識の集積こそが、単なる美術品取引の卸売り会社から、売買の連鎖のエンド・ユーザーと直接に取引する強力な販売力を持つ存在として市場の信頼を勝ち取り独占を裏付ける根拠となる
Ø  コレクター Collectors
主としてあるオブジェを愛するがゆえに、そして自身が既にコレクションしている他の品々との関係や文脈からそのオブジェを鑑賞するために購入する人をコレクターといい、コレクションは収集する個人の知性の産物に他ならず、それ自体が1つの美術品で、個々の作品の総計よりも高く評価される
Ø  画商 Dealers
近代的な美術品取引の手法は、画商デュラン=リュエルによってパリで考案された
19世紀の中頃まで、フランスのアーティストたちは会員用のサロン展で展示をし、そこで評判を築き上げることで作品を売っていたが、印象派の画家たちにはその道が閉ざされていたところから、デュラン=リュエルが印象派の個々の画家たちのプロモーターとして登場、個展形式の展覧会というアイディアで、個性的な気質を持つアーティストたちのご用商人となった
20世紀を代表するアーティストのマルセル・デュシャンは、画商を描写して「アーティストの背中についたシラミ」と言ったが、画家たちと、彼らのために作品を売る人との間の新しい関係について物語っている ⇒ モダンアートがエリート主義でますますわけのわからないものになるにつれ、画商の姿を装った解説者が、美術品を売るプロセスにおいてますます重要な要素になっていった
Ø  新興市場 Emerging Markets
86年、デュラン=リュエルがフランス印象派の絵を初めてニューヨークに紹介した時に「新興市場」が開発された
新しい金が生まれる時には常に、向上心のある美術コレクターが見つかる ⇒ ニューヨークの次は、1900年前後のドイツ、80年代後半の日本、現代の中国と東南アジア、インド、中東、ロシアとブラジル
80年代後期、西洋の美術品取引で培われた理論の多くはどれも、東京でビジネスを遂行するために絶対確実な原則と一致するものではなかった ⇒ 「崖の絵は不可」「背の高い男はそれだけ神に近いと考え尊ぶので、背筋を伸ばして立て」「カラスの絵は不可」「面目を失わせたらいけない」「必ず値切らせてやる」「値切るのを許してはダメ」などなど。日本人コレクターの家に行ってもどこにも絵がかかっておらず、代わりに小さな額に入れられた書類の一群があるだけ。作品を実際に飾るのは俗悪と考える伝統があり、絵はすべて銀行の金庫に保管されている。手元にあるのは鑑定書のみ
過去25年に亘る国際的な美術市場の特徴は、新興国の経済成長が西洋の美術品に対する需要を形作り、増大させてきた ⇒ 欧米以外の投資家として最初に出てきたのが日本
8587年の間に100%上昇、多くの印象派の作品が日本のコレクションに流れ込んだ
クライマックスは90年、大昭和の斎藤が《ギャレットの舞踏会》(78百万ドル)と《ガシェ医師の肖像》(82百万ドル)を購入。直後にバブルが崩壊、突如として日本の投機家は美術市場に興味をなくしたが、斎藤は動じず、墓に持って入ると宣言、西洋の美術評論家たちは恐慌を来した
日本人の市場からの撤退で印象派絵画は暴落したが、日本人に買われた絵画の購入目的が明らかとなる ⇒ 「財テク」と呼ぶ金融工学の手段として利用され、資金洗浄や脱税のための道具となり、政治家への賄賂(高額での買戻し)として使われた
Ø  展覧会 Exhibitions
アーティストにとって展覧会とは、職業的に不可欠なものであると同時に潜在的な拷問でもある。精神的なプレッシャーや感情が語源にも暗示されている
輸送の問題も重要で、96年フェルメールの絵23点がワシントンのナショナル・ギャラリーで展示された後、ハーグのマウリッツハイスに巡回した際には、5回に分けて空輸された
Ø  専門家 Experts
美術史家、美術館の学芸員、画商、、批評家、「目利き」と呼ばれる鑑定家専門を持ったスペシャリスト、アーティスト自身であることも
ただ、アーティストたちは一般的に、美術品を判断することについては自らが最も優れた人間だと思っているので、「解説的な」画商という存在は苛立たしい
Ø  フェア Fairs
アートフェアは、オークションハウスが市場で占めている恐ろしい勢力に対する、画商たちによる反撃
バーゼルやマイアミ、近現代美術のためにロンドンで開かれる「フリーズ」、より古い作品群のためにオランダ・マーストリヒトのフェアなど、大きな国際的フェアでは、世界中の主要な商業ギャラリーが一堂に会し、国際化された美術品購入層の公衆に向けて商品を提供する
Ø  サッカー Football
過去40年を通じて、オークションでの世界記録の価格と、サッカー選手に払われる移籍料の最高額との間には、興味深い平行関係がある
68年の移籍料が500千ポンドに対し、70年のベラスケスが2.3百万
01年ジダンの移籍料が53百万で初めてゴッホを抜く、04年ピカソ《パイプを持つ少年》が60百万
09C.ロナウドが80百万、12年のムンク《叫び》が74百万
13G.バイルが86百万、ベーコンの作品が89百万
Ø  用語集 Glossary
l  先取りするAnticipate ⇒ 「ターナーの色彩効果は、印象派の色彩効果を先取りする」と言う具合に使うが、ターナー自身にその認識があったかのように聞こえる
l  カノン(正典、真作)Canon ⇒ 批評的に認められた事物の規範や秩序や、アーティストの業績の範囲にあるもののこと
l  挑戦的Challenging ⇒ 曖昧、不可解、不愉快といった意味
l  魅力的Charming ⇒ ある絵から感じられる唯一の前向きな特徴が、人を楽しませたいという願望だけであるときに、その絵を描写するために使われる。濫用されている
l  色相、色収差Chromatism ⇒ 「彩色Coloring」をもったいぶって言う言葉
l  コーダCoda ⇒ 音楽的イメージを伴う言葉。作品展開において自然な完成を見たのちに、さらに加えられた終結部の一節を意味する
l  集成Corpus ⇒ アーティストの全作品を意味するもったいぶった言葉
l  最先端Cutting Edge ⇒ 新しい地平を切り開くに充分な鋭さを持った美術作品のこと
l  装飾的Decorative ⇒ 理知的な実質に欠けていること
l  難解なDifficult ⇒ 「挑戦的な」を超えた状態。非常に曖昧か、非常に不可解か、胸が悪くなるが、受け入れるしか他にしょうがない作品に使われる
l  象徴的Emblematic ⇒ 「典型的」と言う意味のもったいぶった言葉
l  ギャラリストGallerist ⇒ ギャラリー(スぺース)を持つ画商に対する流行りの言葉
l  珠玉Gem、宝石Jewel ⇒ 「小さい」「小型の」と言った意味
l  直観的認識Gnosis ⇒ 「何かを認識したこと」を表す高級そうな言葉
l  誠実な、偽りのないHonest ⇒ 「不器用な」という意味
l  アイコニックIconic ⇒ この上なく典型的で、見分けがつくこと アイコン=象徴
l  重要なImportant ⇒ 美術史的には意味があるが、売るのは難しいこと
l  独特のInimitable ⇒ 特徴的で、馴染みがあるもののこと
l  興味深いInteresting ⇒ 鑑賞者がその絵の核心を理解できない時、それを偽るために使う万能の言葉
l  イタリック化Italicization ⇒ よく知られている考えやイメージに皮肉を加える方法で、文字をイタリックにして強調することによって陳腐なものを芸術作品へと変容させること
l  円熟したMature ⇒ 高齢になって衰えること
l  記念碑的Monumental ⇒ 「特大の」の意味
l  原始的Primitive ⇒ 1890年以前に使われていれば「不器用な」の意味だが、それ以後であれば「力強い」の意味
l  将来性のある、影響力の大きいSeminal ⇒ 美術史を後から見た場合、後のアーティストたちの多くに影響を与えたように見える作品を描写するために使われる
l  典型作Signature Work ⇒ 「簡単にそれとわかる」の意味
l  類像Simulacrum ⇒ ラテン語で、「模倣品」「複製」を意味
l  出所を見つける、確保するSource ⇒ 美術品を獲得すること。見つけて収めるまで
l  スペースSpace  ⇒ ギャラリーのこと
l  自発的なSpontaneous ⇒ 規律がなく、とりとめのないこと
l  テネブリストTenebrist ⇒ 「闇」を語源とし、「暗い」ことを高級そうに言う言葉
l  軌跡Trajectory ⇒ アーティストの経歴・道程のこと
l  理屈抜きのVisceral ⇒ 強い感情的な反応を描写する時に役立つ。とりわけ美術品に対する本能的な反応で、知的な反応と対比して語るときに有益
Ø  文化遺産 Heritage
国家的文化遺産は保護される ⇒ 何が対象となるかは議論
アメリカは、文化的遺産に対する国家の保護がほとんどない
スペインやイタリアでは、制作後50年を超え、特定の価格以上の作品はすべて、輸出許可が必要 ⇒ 一旦許可が拒否されると、国内の市場でしか取引されなくなるので価格は下がる
ドイツでは当局が国家遺産とされる美術品のリストを持ち輸出不可 ⇒ 国外退避を促す
英国では、約100千ポンド以上の油彩画は輸出許可必要 ⇒ 審査機関が審査中に発送を停止することができ、その間に国内の美術館がその価格で購入できる。海外のオークションで国外のコレクターに落札された場合でも審査が必要で、95年のゴッホのデッサンは8百万ポンドだったが輸出許可が下りたのは、国内の公的機関はとても手が出なかったから
Ø  投資 Investment
美術品が投資対象となったのは、英国の貴族のシンジケートによるものが最初で、フランス革命がフランス王室に財産の売り立てを強いた際、オルレアン公の素晴らしい絵画コレクションを購入
19世紀後期、新興の商業界の中流階級が金儲けの手段として美術品に目をつけたが、美術品自体、投資対象としては問題を含む。それぞれの作品は唯一無比のもので、全体で均質性を欠くことは、投資家にとっては厄介な問題
モディリアーニの《ラ・ベル・ロメーヌ(美しきローマの娘)(1917)が最初にオークションに出たのは86年で4.1百万ドルで落札。99年には17百万。10年には69百万
美術品投資ファンドもあるが、成功の度合いはまちまち ⇒ 存続期間に左右される
美術品投資の典型的な例は英国国鉄年金基金 ⇒ 70年代後期、資産の2.940百万ポンドを美術品に投資、80年代末に売却を開始、168百万を回収したが、収集品のうち最も成功を収めたのは3.1百万を投じた印象派絵画で、33百万を回収。内ルノワールが14倍、モネが30倍近くに高騰
Ø  運 Luck
ある日本のコレクターが印象派絵画とモダンアートのコレクションを国際的なオークションに委託することを決め、クリスティーズとサザビーズに相談したが、殆ど同じプレゼント価格で、迷ったコレクターは両者によるじゃんけんでクリスティーズに決めたという
ジヴェルニーの自邸の庭にある日本の太鼓橋を描いたモネの絵を2人の金持ちが意地になって競り上げた結果19百万ポンドで落札となったが、どちらかが参加していなければ競りを開始した価格8百万で落ちたはず
Ø  お金 Money
美術品と金融市場 ⇒ 09年のリーマン・ショックの時は美術品の価値が上がったが、問題は金利で、一旦上がり出すと美術品の価格は倒壊する
保証 ⇒ あらかじめオークションハウスが売主に一定の価格を保証し、最低落札価格である「リザーブ価格」に達しない場合にはその価格で作品を引き取る。落札価格が超えれば、売主とオークションハウスで分ける。第3者が保証するケースもある
美術品と不動産 ⇒ 20百万ポンド以上の価値のある住まいに住む人々は、恐らくそれより価値の高い美術品を所有している可能性が極めて高い。逆のケースはスイス
相対的な価値 ⇒ 素晴らしいアートを提供することは、身体より精神を健康に保つものとしてもたらすことで、文明化された社会における財源を正当に支出することに繋がる
消費力 ⇒ 人が絵に費やすために準備している金額は、概ねその人の総資産における%で算出しうると考える。およそ1%が目安で、高額で高尚なレベルの取引でも同じ
評価 ⇒ 並外れた資産価値の評価を依頼されることがある。決して売りに出されることはないがゆえに、ある種空想の世界での作業
Ø  美術館 Museums
美術市場と美術館は互いに不安定な関係 ⇒ 相互の疑惑と称賛と嫉妬が混在
美術市場のプロたちは、キュレーターの学識を称賛し、扱う美術品の質を羨むが、絵画の位置付けの判断に関して言葉を濁す傾向を軽蔑。キュレーターは、美術市場の人々が商業的な責務に隷属していることを軽蔑するが、金儲けに関しては羨む
現代の美術館が持つ文化の神殿としてのイメージは、人を畏怖させるような影響力を持つ
一方で、一部の純粋主義者たちは、美術館が様々に異なる種類の作品を混在させて所蔵していることが、美術品の正しい評価を傷つけると考える
美術館同士も競争的。有名な美術館はブランドと化し、美術品に対してより高い位置づけを与え、より多くの人々にそれを見たいと思わせる
Ø  芸術を模倣する自然 Nature(Imitating Art)
美術品と親密に過ごしていると、現実の方が美術品によって影響されるようになり始め、何を見ても記憶にある特定の美術品になぞらえてしまう
Ø  ステータス・シンボルとしての美術品 Status Symbols (Art as)
莫大な富がフィレンツェのような商業の中心地に蓄積され始めたルネサンス以来、金銭は美術品を買うために費やされ、またその美術品を取得し、飾ることは、富と権力に加えて文化的な洗練を主張することだと受け止められてきた
時とともに、、美術品がステータスの3つ目の様相のシンボルとなる ⇒ 新し金が、古い美術品に費やされることによって洗浄され、古い金に換わる
アンディ・ウォーホルは、ステータス・シンボルとしての美術品、富を主張するものとしての美術品の在り方をよく理解していた ⇒ ドルをテーマとした人気の高い作品のヴァリエーションや$マークそのものを主題とするシリーズ等の魅惑的な作品群を生む
人は4つの動機の組み合わせで美術品を買うのは真実 ⇒ ①投資、②ステータス、③精神的な恩恵、④知的・美的な喜び
Ø  税制 Taxation
政府は美術品に対し、税制面で相反する態度をとる ⇒ 英国では19世紀初頭カンヴァスに課税。20世紀には重要な美術品の相続税を免除するとともに、売却時にも公的機関相手の場合は、特別価格が設定され課税も撤回される
アメリカでは、美術品の所有者に有利なように整えられてきた ⇒ 美術館に寄贈した者は、その価格の30%相当分の税額控除を受けられ、生存中は手許に所持し続けることができた。評価額は美術館が決めるので、評価額を高く出せばより寄贈しやすくなり、この優遇税制によってアメリカの美術館の収蔵品が豊かになった
EUでは、輸入品に付加価値税VAT(最大20)を賦課、制作時から特定の年月を経た美術品には56%の軽減税率を適用、彫刻の場合はエディションが12点までは「美術品」扱いで軽減税率適用
フランス起源の「追求権」という制度 ⇒ 死後70年経過していないアーティストの作品の販売価格に最大4%の税率を適用し、徴収額を遺族に配布する。歴史の誤りを正したいという感傷的な願望から生まれ、「ゴッホに対する自責の念症候群」を和らげるための措置だが、制度が意味するのはピカソとマティスの家族に相当額の金銭的恩恵を追加で与えること。アメリカは対象外
美術品に対する課税の結果として、課税逃れのために「自由港」への作品の避難という現象が起こる ⇒ 生きるために必要とされる美術品から、その力を奪ってしまう



2017.3.5. 朝日
(書評)『サザビーズで朝食を 競売人が明かす美とお金の物語』 フィリップ・フック〈著〉
 巨大化する美術市場の内幕描く
 世界の美術市場の取引高は、2005年の359億ドルから15年に638億ドルへと膨張した(Arts Economics調べ)。同期間に競売会社のクリスティーズとサザビーズの販売額も急拡大を見せた。
 主要国中央銀行の超低金利政策による過剰流動性や新興国需要によって、美術市場は驚異的な成長を遂げた。コレクターだけでなく、多数の金融ファンドが投資する巨大市場となったのに、2大競売会社の実情はあまり知られていない。本書は両社で長く働いてきた花形競売人が市場の内幕を描いたもの。何といっても興味深いのは、美術の歴史、芸術家、作品の解説が、徹底的に競売人の視点から書かれている点である。
 著者は芸術を金銭で評価する市場の現実を、英国人らしい皮肉とユーモアを用いて語っている。例えば、「アーティストの作品価格にとって、自殺や早世が有利に働くことにはほとんど疑いがない」。近年、ゴッホは自殺ではなく、散歩中にウサギ猟の若者に過失で撃たれたという説が現れている。しかし、「苦悩に満ちた彼の絵のこれまで認められてきた価値」を維持するには、市場としては自殺が望ましいという。
 1980年代後半の日本人の美術品購入絶頂期は著者に強烈な印象を与えた。日本のバブル破裂後、競売会社は、ロシア、中東、中国、ブラジルなどの富裕層を狙う。「ひとたび国の経済が著しく成長し始めると、その国の裕福な住人たちが西洋美術を買い始めるのは必然的なようだ」
 本書を読むと美術市場急拡大の背景には、富豪の増加、つまり富の不均衡の拡大があるように感じられる。最近は資金洗浄(マネーロンダリング)規制や、取引の透明性向上議論も活発化しており、美術市場は大きな課題に直面している。それはさておき、競売に参加する資力などない我々にも、この世界を楽しく疑似体験させてくれる、著者の軽妙な語り口に感心した。
 評・加藤出(東短リサーチチーフエコノミスト)
     *
 『サザビーズで朝食を 競売人(オークショニア)が明かす美とお金の物語』 フィリップ・フック〈著〉 中山ゆかり訳 フィルムアート社 3240円
     *
 Philip Hook オークション会社サザビーズのディレクター。著書に『印象派はこうして世界を征服した』など。


Wikipedia
サザビーズ(英語名:Sotheby'sNYSE:BID)は、現在も操業する世界最古の国際競売会社。インターネット上でオークションを開催した世界初の美術品オークションハウスでもある。
沿革[編集]
1744311、サミュエル・ベイカーがジョン・スタンリー卿の図書館に所蔵されていた「数百の価値ある」本を売却する際、イギリスの首都ロンドンに設立された。当時の貴族は知的好奇心と虚栄心を満たすために、彼らにとって『価値が有る書籍』をどんなに高価でも入手しようとしていた。
サザビーズの名称は、サミュエル・ベイカーの甥であるジョン・サザビーに由来するものであり、彼はベイカーの死に伴い会社の半分の権限を相続した。
1983に、アメリカの富豪A・アルフレッド・トーブマン(A. Alfred Taubman)によって買収され、1998公開会社となった。またサザビーズは、世界における卓越した美術品競売会社の地位をめぐって、クリスティーズ社との間に熾烈な競争関係を築いている。
今日、同社はアメリカドルにしておよそ20億ドルもの年間売り上げを誇り、オフィスをロンドンのニュー・ボンド・ストリートと、アメリカ合衆国ニューヨークマンハッタンヨーク・アベニューに構える。サザビーズの市場における支配的な位置は、自然な成長と企業買収(1964、アメリカの美術品競売最大手、パーク・バーネット社の買収が最も有名)、そして前世紀の周期的な「芸術景気後退」期間における賢明な経営を通して獲得したものである。 出品者の個人情報の保護には厳格で、たとえ盗難品の出品者の個人情報でも警察に開示することはない[1]
競売にかけられた芸術品[編集]
200653、サザビーズがパブロ・ピカソ作のポートレート作品「ドラ・マールと猫(Dora Maar au Chat)」を競売にかけると95百万ドルで落札された。これはオークションで落札された品目中、世界で2番目に高額な芸術作品となった。しかし2006618グスタフ・クリムト作の「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像I(Portrait of Adele Bloch-Bauer I )」が非公式売買にて135百万ドルで売却されると、その時点での絵画の最高落札額を記録した。こうして、ピカソの「ドラ・マールと猫」は、その当時で史上3番目に高額な絵画に位置づけられた。
オークションで落札された最も高額な芸術作品の位置に最初に就いていたのはピカソの作品であり、この2004時にサザビーズで競売にかけられた作品「パイプを持つ少年(Garçon à la pipe)」は、14百万ドルの値がついた。インフレーションを考慮して調整された価格から見ると、その当時ではクリスティーで落札された2番目に高額なゴッホの作品と、サザビーズで落札された3番目に高額なルノワールの作品に次いで、同じくサザビーズにて落札されたこれらピカソの作品がそれぞれ4番目と5番目に高額な絵画として位置づけられた。
201253、芸術作品の史上最高額を更新する約11992万ドル(約961200万円)でムンクの「叫び」が落札された。
スキャンダル[編集]
20002、サザビーズ社のCEOであったA・アルフレッド・トーブマンとダイアナ・ブルックスは、スキャンダルの真っ只中に足を踏み入れることとなった。これは、アメリカ連邦捜査局が競売を調査し、クリスティーズ社とサザビーズ社間でコミッション価格の操作を含めた共謀の事実があったことが明るみに出たためだった。同年10、ブルックスは罪を認め、A・アルフレッド・トーブマンが原因だと指摘した。
200112、ニューヨーク市裁判所の陪審員は、A・アルフレッド・トーブマンに共謀罪の評決を下した。彼は禁固1年と1日の判決が下り、ブルックスは3ヶ月の自宅謹慎と35万ドルの罰金の判決を受けた。
サザビーズが登場する作品[編集]
1983のイギリス映画『007 オクトパシー』で、ジェームズ・ボンドは任務でサザビーズの競売に参加する[2]1999のイギリス映画『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』の最後で、映画の登場人物の一人が「バザビーズ」とよばれる競売会社のオークション・カタログを見ているシーンがあり、これはサザビーズをもじったものと思われる。またアメリカ合衆国のアニメ『ファミリー・ガイ』のエピソード「ブラインド・アンビション」では、キャラクターのクリーブランド・ブラウンが、サザビーズの熟達した競売人であると言われている。


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