有次と庖丁  江弘毅  2017.6.13.

2017.6.13.  有次(ありつぐ)と庖丁

著者 江 弘毅(ごうひろき) 1958年岸和田市生まれ。神戸大農卒。『ミーツ・リージョナル』の創刊に携わり12年間編集長。現在は編集集団「140B」取締役編集責任者。「街」を起点に多彩な活動を広げている

発行日           2014.3.15. 発行
発行所           新潮社


第1章        京都・錦市場の「有次」
錦市場 ⇒ 寺町通りから6筋先の高倉通まで長さ約400m、幅3mの狭い通りに約150の店舗がひしめき合う。内、京都錦市場商店街振興組合に属しているのは126店舗
庖丁・料理道具をただ一軒扱う「有次」は異彩を放つ
きつねうどんの発祥は、1893年創業の大阪・南船場「松葉屋本舗(現うさみ亭マツバヤ)」で、そこから全国に広がる。たぬきと言えば、きつねうどんの「そば」バージョン
京都では、大阪の「たぬき(そば)」が「きつねそば」のこと。「たぬき」とは、刻んだ揚げを具にして「あんかけ仕立て」にしたもので、「たぬきうどん」も「たぬきそば」もある
京都・大阪では夏に水を撒くが、撒き方がまちまち ⇒ 京都では、隣や向かいとの境界線を越えないよう配慮する。越えると次の日は相手が越えてきてややこしい
四条烏丸、烏丸御池のように、通りの縦横のどちらを先に言うかもややこしい
大阪人から見ると、京都はまるで小五月蠅い親戚の叔母宅のようなところ
「有次」は、鍛冶屋町で創業1560年の「禁裏御用鍛冶」に遡る。現在の当主が18代目の寺久保進一朗。日本鍛冶宗匠三品(みしな)家門人・藤原有次
錦市場は、平安遷都の頃からで、当時は甲冑鎧兜を扱う店が多く「具足小路」と呼ばれたが、訛って「屎(くそ)小路」となり、村上天皇があまりに汚いので、南の「綾小路」と並べて綾錦から「錦小路」に改めさせた
新しいアーケードは1993年完成
清冽な湧き水に恵まれ、御所への生鮮食品の納入に便利
江戸幕府より、「魚問屋」の鑑札を得て「店(たな)」となり、「錦ノ店」は、「上ノ店」(椹木町通り)、「下ノ店」(六条通)と合わせて「京ノ三店」と呼ばれた。青果物はずっと後
錦といえば魚で、鮮魚店が一番多く30数店舗、次いでかしわ屋、たまご屋が6店舗、精肉店は1店舗のみ
あらゆる業態の店で悉く「有次」印の道具が使われている
京都という町は、人間にしても料理店にしても、大/小、強/弱、優/劣といった一元的な物差しで測ることをしない。京料理のスタイルも料理方法も道具も多様なまま在る。使い道は一緒の薄刃庖丁でも鎌形と四角い江戸型が並行してずっと使われているし、出刃庖丁にしても店によってまるで異なる。有次が深く関わる京料理の特徴の1つは、各店の個性が際立っていることで、様々な個性の根源は、平安時代の貴族の料理にルーツを持つ「有職(ゆうそく)料理」、鎌倉時代に禅宗の流れで確立した「精進料理」、茶の湯から来た「懐石料理」、洛中の町民が食べる惣菜がベースとなる「町方料理」。これらが融合して今の京料理がある
社会性――人と人との関係という観点からは、京都人特有の「うちはうち、よそはよそ」という意識と、「親方と弟子」という縦のラインを守り続けていることもそのスタイルの違いを固定している
フランス料理は、いろいろな一流の店を回って修行するが、京料理は、一旦一つの店に入ったらよそに行くことは許されない
有次の扱う道具は、このように多種多様な京料理の料理人を支えるこれまた多種多様な庖丁の他に、刃物だけでもハサミ、小刀、肥後守。。。。がある。ハサミも花バサミなら流派によって形や大きさ、刃の研ぎ方まで異なる
京料理に関連して必ず出る話題に庖丁や道具を扱う「有次」との関係性があるが、その代表が「回り」と呼ばれる京都の伝統的なご用聞きのシステム ⇒ 道具が使われている現場である料理店を毎日のように見て回り、その厨房その料理人に合ったメンテナンスを日常的に行っている

第2章        親戚の家の3
洋庖丁は押す、和庖丁は引く
中京、下京の家の人はほとんど有次を使っている。おろし金も切れる
庖丁は、日々のお世話と定期的な研ぎが重要 ⇒ 必ずまな板の上に置いて、刃の方向に向かって汚れを落とし、水を拭って、自然乾燥。キレが悪くなったらこまめに研ぐ

第3章        「有次」のルーツをさぐる
1560年、刀鍛冶「藤原有次」として創業。下京区堺町通松原(元五条通)下ル鍛冶屋町
御所出入りの鑑札 ⇒ 表に「日本鍛冶宗匠家門人 藤原有次 御用鍛冶壱人」、裏に「三品近江守記下」、日付は「慶應三丁卯正月改」。「三品」は京都の日本鍛冶宗匠家のこと。土方歳三の愛刀「和泉守兼定」の鍛冶も同時期三品家でともに腕を磨いていた
当時は小刀が専門で、宮中で文字を書く際、木簡が使われ、そこに彫るために使う道具
「たたら」製鉄で造られた鋼で最も刀に適した素材が「玉鋼」 ⇒ たたらの技術は1972年島根県奥出雲町に復活、日本刀造りの伝統と文化が守られている
島根は古代より良質な砂鉄が豊富、高級刃物用鋼の代名詞「安来鋼」も日立金属の安来工場が生産。有次の庖丁も多くが「安来鋼」を使ったもの

第4章        庖丁屋としての「有次」へ
和庖丁は、魚を捌く出刃、刺身を引く柳刃、野菜を切る薄刃と用途別に分かれる
洋庖丁は、「牛刀」と呼ばれる万能ナイフ
和洋の違いは刃の付き方 ⇒ 和は片刃、洋は両刃
家庭に普及した「三徳庖丁」は、牛刀から派生した両刃
昭和30年代以降ステンレス製の庖丁が普及

第5章        「有次」と堺
「ものの始まりみな堺」と言われる ⇒ ずば抜けた腕を持つ職人集団がある
有次も、メイドイン堺 ⇒ 和庖丁はすべて、堺の伝統工芸である打ち刃物職人の工房で造られる。「堺打刃物(うちはもの)」の伝統と技術で、プレス機で鋼を型抜きする「抜刃物」とは区別。堺の沖芝刃物製作所などで鍛造された庖丁に柄を取り付けて製品にする仕事は有次で行う。鍛造は鍛冶屋が、刃付けは「研屋(とぎや)」が、柄は「柄屋(えいや)」の仕事
堺以外の打刃物の庖丁産地としては、三木(兵庫)、土佐、越前、関(岐阜)、越後がある
打刃物の分業体制は、火縄銃時代からのもので、16世紀後半に日本で生産された鉄砲の数は、ヨーロッパの全鉄砲数に匹敵すると言われた
出刃庖丁 ⇒ 堺の名産だった桜鯛を捌くために出来た庖丁。硬くて大きな鯛の骨を断ち落とすための重みと厚みを備える
与謝野晶子の実家は、大阪から暖簾分けした老舗和菓子屋「駿河屋」で、大阪より新鮮でうまい魚が入る堺に移り住んだ食道楽の家系で、晶子にも「鍛冶の音きく菜の花の路」という歌がある
堺の職人気質を象徴する逸話として、2013年橋下維新の会の下、大阪都構想で大阪市が堺市を取り込もうとした際の市長選挙で、「堺のことは堺が決める」として、維新の推す候補が現職に惨敗した
京都独特の繊細な中華料理を作るためには、素材を薄く細かく切るために分厚い中国の本国仕様の庖丁と違って、刃を極限まで薄くしているが、刃自体の面積が飛び切り広い中華庖丁を薄刃にするには相当の技量が必要
フグ料理も同様で、身が固いフグの身を薄く切るためのフグ引庖丁は、刃の持ちが長く、それでいて引き切る際に庖丁を押し付けるので弾力がないと庖丁自体が持たない
こうした京都のプロの現場のニーズを把握するのが「回り」の目的であり仕事

第6章        錦市場、祇園の味。庖丁づかいの現場
錦市場の4軒向こうにある「まる伊」 ⇒ 夏はハモ、冬はフグの鮮魚専門店
同じく錦に3軒ある鰻の専門店「大國屋(おおくにや)」 ⇒ 瀬戸内海の天然鰻専門
懐石料理旅館「近又(きんまた)」 ⇒ 200年続く近江からの薬業商人の常宿
京都の中華料理はユニーク ⇒ 「飛雲・鳳舞(ほうまい)系」と呼ばれる店名に「鳳」「飛」「雲」の入った店。広東料理をベースにした「祇園の味」と形容される

第7章        大阪の「有次」
ミナミの名門「福喜鮨」 ⇒ ガラス製のネタケースや店内に生簀を取り入れた先駆だが、創業者は東京の柳橋から大阪日本橋に移ってきたので、今なお刺身をひくために東京流の蛸引庖丁を使う

第8章        「有次」の蕎麦切庖丁
北新地の「喜庵」は、「福喜鮨」直系の息子が主。主が使うのが有次の蕎麦切庖丁(麺切庖丁)。切刃が柄の下まで長く延びる。飛び切り大型で重い
京都・先斗町三条の蕎麦屋の老舗「有喜(うき)屋」 ⇒ 上野の「藪」で修行したが京都で本格的な手打ち蕎麦を出すのであれば京都の道具でやりたいとして有次を使う

第9章        板前割烹の誕生
有次と最も関係の深い板前割烹の店が「たん熊北店」 ⇒ 1928年開店。創業者は栗栖(くりす)熊三郎。丹波出身で「たん栄」で修行、独立。昭和初期から現在にかけて、カウンタースタイルの板前割烹を広く世に知らしめ、京料理と和食店の歴史の1つの大きな流れを作った
上方割烹の嚆矢は「浜作」 ⇒ 1924年、大阪新町廓に塩見安三が創業。コンビを組んだ森川栄が27年昭和天皇の即位の大典が御所で行われる際、賓客に出す料理のため腕を請われて呼ばれ、そのまま祇園に開いた上方割烹が祇園「浜作」。森川が「割る(切る)」の「庖丁方」で、塩見が「烹()(煮炊きする)」という火を使う「煮方」
料亭では、大阪北浜の「つる家」が、上記同様28年京都・岡崎に開店し現在に至る
板前割烹では、客の前で庖丁捌きを見せるのがハイライトであり、「庖丁一本」の板前料理の交流に寄り添うように、「庖丁屋」としての有次もこの時代に確立

第10章     海外へ
京都のイタリア料理といえば八坂の塔の横の「イル・ギオットーネ」 ⇒ 箕面の「ラトゥール」のシェフだった笹島保弘が02年に独立して開店。和食と違うのは味噌・醬油を使わないだけ。魚を扱うときは和庖丁。刺身包丁で「引き切った」魚のカルパッチョは、ヨーロッパのグルメや料理人たちにとってそれまで経験したことのない新感覚
西洋では、道具はあくまで道具で、切れなければどんどん新しいものに買い替える。フランス人に自動車をピカピカに磨き上げてという感覚がないのと同じで、日本人の和庖丁のようにナイフを研いだり磨いたりして扱うことはない
大阪・福島の「ミチノ・ル・トゥールビヨン」の道野正も、和庖丁を使いこなす

第11章     ものをつくる、ということ。
赤坂のレストラン「燻(くん)」 ⇒ 95年、歯科技工士だった輿水治比古が、趣味が高じて料理屋を開いたもの。クリントン大統領やロブションが絶賛
輿水と有次の職人同士のコミュニケーションが始まり、コラボレーションの結果生まれたのが新しい形状(刃渡り36㎝で細長い平棒のようなものに両刃がつけてある)の生ハム切り庖丁や、世界に類を見ないシガー切り庖丁
日本人が元々持っている志の高さとか、明確な道具づくりの姿勢があって、最初に金勘定ではない、薄っぺらなビジネスを追っかけている人たちに出来る技じゃない
道具は、ただ便利だからということでもなく、自分たち料理人の技量と情熱によって役に立つもの。ただ便利というのにはクオリティーがない
有次の強さの原点は「ノー」と言わない脳みそ。1200年の都京都で培ったモノづくりの情報と技量が、「うちで出来ないことはない」という意識を支え、そのような責務感が京都の老舗の誇りと言い換えてよい。店が扱う400種以上の商品がそれを表す
一をたくさん売る人のことを拍手し過ぎ。みんなが阿り過ぎ、面白くない。何もないところから一をつくれる人の方がすごい。それこそがものづくりの原点
金儲けや便利だけを追いかけている今の時代は危うい。その結果としてつくられているシステムや生み出しているものは決して文化ではない。ビジネスという枠で括られたものには、何か温かさも愛情もないような気がする
脳みそはハートのためにある




朝日 2017.5.14.
折々のことば:753 鷲田清一
 いま、一をたくさん売る人のことを拍手し過ぎ。……面白くないですよね。何もないところから一をつくれる人の方がすごいですよ
 輿水治比古(こしみずはるひこ)
    ◇
 東京・赤坂のレストラン「燻」のシェフ輿水治比古は、1560年創業の老舗、京都・錦市場の「有次」に包丁作りを頼んでいる。何を頼んでも絶対“ノー”と言わない社長の意地と、それを使いこなすシェフの技量のバトルは、「金もうけや便利」ではなく、次の世代のハートにずしんと伝わるものを追い求める。江弘毅著「有次と庖丁(ほうちょう)」から。


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