市民のつくった守谷史  作部屋義彦  2017.1.7.

2017.1.7. 市民のつくった守谷史 
あなたの知恵と努力が美しいもりやを守り、引っ張ってゆく

編著 守谷市観光協会
文 守谷市観光協会「市民のつくった守谷史」編纂委員会

発行日           2016.10.15. 初版              11.15. 第2
発行者           守谷市観光協会

守谷市観光協会会長 作部屋義彦
09年発行の地域情報冊子『発見のまち 守谷』、それに関連して開催された「発見のまち市民講座」13回シリーズの発展形として本書発刊
守谷市の市街化区域の大部分は「つくられたまち」で、市全体の環境や魅力は、長い時間を掛けて自力で創られ磨き上げられたもの。永遠に魅力づくりを続けねばならない宿命にあり、時代に合った特性を生み出してゆかねばならない
「市民主役」により、行政とともに汗をかいて成果を刈り取る
「住みたいまち」にするために「念じ、努めて、叶えられるものでなければならない
歴史を知って、地域に対する愛情と、より良き未来を実現しようとする夢と意欲、それを続ける私たちの努力の積み重ねが必要
「知識」が溜まって「知恵」となり、それが使いこなされて「知性」になり、それが「品性」や「風格」につながる

第1章        守谷の地理・地質
北相馬台地上にある
3河川(利根川、鬼怒川、小貝川)に囲まれながら洪水から守られてきた豊かな自然環境が地域の優位性となって、守谷市の地理的価値の高さが注目されている

第2章        往古の自然環境と地名の由来
神の降臨する場所が「モリ」であり、「ヤ」は小さな谷
1651年「守谷町」の呼称が初見される

第3章        守谷の村々の形成
旧石器時代以降の数々の遺跡が発見されている
坂上田村麻呂の征討事業中、坂東は兵站基地とされた。その先のみちのく奥州は辺境

第4章        平将門と武士の誕生
桓武平氏が上総介となって坂東に下向し土着
10世紀前半、平将門が実力で坂東8か国を領国としたが、藤原秀郷によって打ち殺される

第5章        守谷の将門伝説と史跡
将門の反逆精神が全国に1500か所以上の将門伝説を遺す ⇒ 守谷もメッカの1

第6章        相馬氏の台頭と守谷
頼朝の配下にあった千葉介常胤の息子が相馬郡を分与され、相馬を号し、守谷城を築く

第7章        室町時代の守谷
相馬氏が続く

第8章        戦国時代から江戸時代へ
関東管領職となった長尾景虎(のちの謙信)の関東進出に対し、相馬氏は態度を保留、最終的に北条氏についたが、秀吉によって北条氏が滅ぼされた際、下総相馬氏も滅亡
徳川になって旗本として復活

第9章        江戸時代の守谷の支配者
初代守谷藩主は土岐氏 ⇒ 旗本伊丹氏が支配 ⇒ 松本藩主堀田正盛 ⇒ 堀田正俊(後の大老) ⇒ 酒井忠挙 ⇒ 旗本一色氏 ⇒ 田安徳川家

第10章     江戸時代の街道と渡し
台地地形の守谷の周辺は、湖沼、水沢の連続で、関東南北往来の中間地帯という戦略的ロケーション
奈良時代にはすでに下総国国府(市川国府台)から常陸国国府(石岡)に至る公用道路が完成、その他にほぼ現在の常磐道に沿って石岡に至る古道が通っていた
江戸時代に街道が整備され、守谷城下も以下の2街道が通る
銚子街道(下館→水海道→守谷→取手→佐原→銚子)
笠間街道(豊体→青木の渡し→守谷→七里ケ渡し→柏・布施弁天→水戸街道)

第11章     江戸時代のくらしと文化
城下町経済圏の成立 ⇒ 1681年廃藩となったのちは、半農半商の宿場町として地方社会経済の中心となる
毎月5日、10日に市が立っていた
江戸末期の守谷町の戸数は203戸 ⇒ 4割以上が兼業農家
河川水路の発達で、守谷にも多くの河岸ができる ⇒ 港町のようなもの

第12章     川の果たした役割~利根川水系の利水と治水の歴史
江戸初期に河道分離、付け替えの結果、現在の主要3河川に囲まれながら市街地には洪水の危険性がないという極めて恵まれた立地となり、鬼怒川経済圏と関東中心経済圏の接点となり、川によって繁栄がもたらされた
現在は川が人々の生活圏と離れていることもあって、川の役割に無関心
江戸時代以前、利根川、渡良瀬川、鬼怒川は独立した河川。利根川は乱流を極め、荒川と合流後、先にいって隅田川と呼ばれ江戸湾に注いでいたため、江戸の都市づくりにあたって、銚子に流すことにした ⇒ 利根川東遷事業(15941654)

第13章     明治維新後の守谷
守谷の名を初めて歴史に出した資料は1395年 ⇒ 守屋という領主がいた
守谷町の呼称が文書等で最初に裏付けられた実例は、1651年の「年貢割付状」
江戸初期は守谷藩として城下町、1683年関宿藩領組み入れ後は大庄屋、陣屋がおかれた地方在郷町、明治維新の時点では茨城県西南で4つしかない町の1
1868年、守谷町は下総県に ⇒ 葛飾県 ⇒ 印旛県 ⇒ 1873年千葉県 ⇒ 1875年茨城県北相馬郡に
幕末の関宿藩最後の大庄屋斎藤氏の長男斐(あきら)3男隆三が地域の振興に大きく貢献

第14章     大正・昭和前期の守谷(守谷の現代史が始まる1955年まで)
1913年常総鉄道(現関東鉄道常総線)が取手・下館間で開通
1923年関東大震災 ⇒ 建物人畜への被害はなかったが、流言飛語で人心が動揺
1930年世界恐慌の余波で、守谷の農村部も大打撃、34年大旱魃、35年大洪水
1954年守谷町+3村による合併合意 ⇒ 新守谷町の発足

第15章     昭和後期に始まる守谷の都市づくり
守谷の町づくりは、地元から立ち上がった、質量両面の展開を図る壮大な社会構造改革
l  195564年 食糧自給の粗放農業から、金銭収入獲得目的の野菜生産へ移行
l  196584年 首都圏整備法により守谷も近郊整備地帯に指定され、住宅公団常総ニュータウンの一部に編入され、全12千戸、計画人口49千を見込む。79年には三井不動産による低湿地帯での大規模住宅開発事業が始まり、全1971戸、5000人強のパークシティみずき野地区大団地となる
l  19761990年 守谷町振興計画策定 ⇒ 「農工商住の調和のある町」を目指す
l  19852005年 期首人口23千⇒期末54千。1960年に始まった企業誘致が進み、93年にはアサヒビールを中心とする工業団地竣工
l  1990年バイエルン州マインブルク市と、93年にはコロラド州グリーリー市と姉妹都市に
l  2005~現在 現人口66千。つくばエキスプレス開通で首都圏から30分以内に。市域の28%が市街化区域。その66%が7地区の計画住宅地。東洋経済の住みよさランキング11(08年には1位、1位印西、12位つくば、16位成田)

第16章     全国地方自治体の抱える最大の問題~少子高齢化
16.2. 「守谷市まち・ひと・しごと創生人口ビジョン総合戦略」策定
    「まち」で子育てを支える基礎を創る
    住まう場としての魅力を高め、UIJターンを創る
    安定した生活を支える就労環境を創る
    将来にわたって持続可能な新しい「まち」を創る

第17章     自然環境と景観まちづくり
市域の42.8%が施設緑地または地域制緑地(一部重複)64.4%が緑被地
02年 「守谷町 緑の基本計画(目標年次2020)
07年 「守谷市景観計画」

第18章     高速交通網の発達
16年開通の圏央道の経済波及効果は多大
05年 つくばエキスプレス開通 ⇒ JRが撤退し、沿線15の都県区市町が89%を出資。直近の輸送量は340千人/日。将来の都心への延伸も視野に

第19章     まちづくりの仕組みと市民の役割
まちづくり=働く機会と場の創出につながる様々な社会活動であり、経済的満足感に加えて人々の精神面の充足が必要
市民ボランティアによるまちづくりの一例が、4㎞に及ぶ「守谷野鳥の森散歩路と鳥のみち」
地域に不足しているものをつくり、大きく育てる ⇒ 市民の当事者能力の向上、自主・自助・自立の精神で、社会的責任を意識した行動が求められる

第20章     これからのまちづくり
1221年 守谷市第2次総合計画 ⇒ 大切な財産である「緑、人、絆」を次世代に繋ぐ
16年 人口減少と高齢化の進行への対策(総合戦略)
「競争力のある」魅力づくり ⇒ 都市のアドバンテージは時代とともに変化
身近な住環境の向上、歴史を活かす、一過性でない、文化財産のある、企業にとっても居心地の良いまちづくり


 Wikipedia
守谷市は、茨城県南部に位置する。旧下総国相馬郡北相馬郡)。旧千葉県東京都市圏
概要[編集]
旧市街地はかつて城下町、その周辺は田園地帯となっていた。長らく純農村であったが、1966昭和41年)6首都圏近郊整備地帯の指定を受けて以後、民間デベロッパーによる小規模な乱開発を経て、日本住宅公団(現:都市再生機構)や三井不動産による大規模宅地開発により東京都心部へ通勤するベッドタウンとして市街化が進行、国道294とそれに並行する常総ふれあい道路沿いを中心に産業活動が活発化している。2005平成17年)824に開業した首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業に伴い、宅地開発を中心にさらなる開発が行われている。
地理[編集]
東京都心から約35kmに位置する。市の南西から北東にかけて首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス、市の南東から北にかけて関東鉄道常総線が通り、市の中央部にある守谷駅でその2つの路線が交差している。道路は、市の南東から北にかけて、国道294常総ふれあい道路が並行して通っている。また、常磐自動車道が市の南から北に通っており、つくばエクスプレスに並行して整備が進められている都市軸道路が市内の大部分で開通している。東は取手市、西は千葉県野田市、南は千葉県柏市、北はつくばみらい市に接している。
地勢[編集]
市の面積は35.63 km²で、県内では最も面積の小さい市である。東西7.5 km、南北7.2kmと円を描くような形になっており、市域の大半が常総台地に属し、海抜平均20mの台地が広がる。市内全域で宅地開発が進められているが、台地上を中心に鉱石土の畑、利根川沿岸を中心に沖積土質の田が見られる[1]など自然も多く残る。
市の位置(世界測地系)
  • 東端:東経1400121秒(本町)
  • 西端:東経1395554秒(大木)
  • 南端:北緯 355435秒(高野)
  • 北端:北緯 355844秒(板戸井)
河川[編集]
市域の北東に小貝川、西に鬼怒川、南に利根川が流れ、古くは入り江となっていた。市街地及び市域の大部分は台地上にあったものの、三方を河に囲まれた地形であるだけに低地部では水害がしばしば見られた。だが、明治時代から堤防の整備や調節池の設置が進められ、あるいは調節池内にあった家屋を移転させるなどしたことで次第に危険は減少し、大規模な水害は1982年頃まで、浸水自体は1985年までに収まっている。現在では冠水、浸水地域の改善等から、浸水可能性が考えられるのはごく僅かな地域である。浸水想定区域図 を参照。 また、河川に囲まれた場所であったことから江戸時代から発達した河川交通の恩恵を受け、銚子などの利根川下流から関宿江戸川方面への中継拠点、鬼怒川を通じた関東北部の産品の集積地となっていた。
隣接している自治体[編集]
茨城県
千葉県
地域[編集]
町・大字[編集]
守谷市には現在27の町(予定町名1含む)・大字がある。守谷市では住居表示は行っていないが、土地区画整理事業に合わせて地番整理を行っている。また、市内の町名にある「〜ケ丘(がおか)」の「ケ」は、全て大文字である。
地区[編集]
市内は守谷、大井沢、大野、高野、北守谷、南守谷、みずき野、美園の8地区に分けられる。元は合併前の13村の名称と区分にちなんで、市の中央部から北東部にかけてを守谷地区、南東部を高野地区、北西部を大井沢地区、南西部を大野地区と分けていた。その後、住宅開発により守谷地区のうちパークシティ守谷をみずき野地区、大井沢地区のうち常総ニュータウン北守谷を北守谷地区、高野地区、守谷地区のうち常総ニュータウン南守谷を南守谷地区、高野地区のうちヒルズ美園を美園地区として分離した。このように市は8地区に分けているが、旧大井沢地区は大部分が北守谷地区に変わり、学区等も一体的に整備されるなど大井沢地区は実質北守谷地区の一部と化している。また、守谷地区も西部の百合ケ丘と東部の本町、ひがし野とでは同一地域としての繋がりは薄く、守谷市の地域区分は行政上の地域区分としてのみ機能している状態である。
条例・地区計画[編集]
守谷市では、環境の保全や健全な都市育成などのため、様々な条例や地区計画を設けている。
景観条例[編集]
守谷市では2005年(平成17年)824日より景観行政団体となっている。守谷市全域を景観計画の区域と定め、景観形成のための基本となる計画「守谷市景観計画」を立てており、良好な景観形成や個性的で魅力あふれる景観形成を推進している。
ポイ捨て等防止に関する条例[編集]
守谷市では、清潔で快適な生活環境を保持することを目的として、2008年(平成18年)530日より「守谷市ポイ捨て等防止に関する条例」を設けている。これは市内でのポイ捨て、路上等喫煙、飼い犬等のふんの放置に関して、勧告や罰金を行うための条例で、強化区域(守谷駅周辺)でこれらの行為を行った場合、20,000円以下(当面は2,000円)の過料が課せられる。また、その他の場所でも、違反者は勧告を受ける[2]。しかし、実際には条例施行後も歩行喫煙、路上喫煙が目立つ状況が続いている[3]
守谷市ふるさとづくり寄附条例[編集]
守谷市では、協働による個性的で誰からも愛されるふるさとづくりを進めていくため、守谷市ふるさとづくり寄附条例を制定し、2008年(平成20年)41日より施行している。また、寄付金は以下の用途のいずれかに使われる。
  • 自然環境の保全及び緑化の推進に関する事業(緑化基金)
  • 福祉施策の充実に関する事業(地域福祉基金)
  • 教育、文化活動及びスポーツ振興に関する事業(教育文化振興基金)
地区計画[編集]
守谷市は市街化区域の75.8%が計画的に整備された大規模宅地開発地域となっている。また、良好な住環境を保つため、市街化区域の50%以上を建蔽率40%の第一種低層住居専用地域としている。これは一般的な第一種低層住居専用地域よりも規制の厳しいもので、これによりゆとりある街並を実現している。
  • 緑地区計画 -
  • 美園地区計画 - 美園
  • ひがし野地区計画 - ひがし野
  • 上裏地区計画 - 本町の一部
  • 守谷駅周辺地区計画 - 中央
  • けやき台ユーシティ地区計画 - けやき台四丁目の一部
  • みずき野地区計画 - みずき野
  • 久保ケ丘ユーシティ地区計画 - 久保ケ丘四丁目の一部
  • 薬師台ひかる野地区計画 - 薬師台二丁目の一部
  • けやき台3-1地区計画 - けやき台三丁目の一部
緑の街づくり協定[編集]
守谷市では、市内の環境の維持の為、市の大部分で建築規制、緑化協定を設けている。その結果、街並や緑化が評価され、みずき野地区にて「人間道路会議賞」、薬師台二丁目のオーナーズコート守谷地区にて「住まいのまちなみ賞」、松ケ丘西地区において「第19回みどりの愛護功労者国土交通大臣賞」を受賞している。これらの甲斐があり、市内の緑被率は63%前後を維持している[4]
  • 北守谷・緑の街づくり協定 - 久保ケ丘、御所ケ丘、松前台、薬師台
  • 南守谷・緑の街づくり協定 - けやき台、松ケ丘
  • 大新東守谷住宅地・緑の街づくり協定 - 本町の一部
  • 岩住宅地緑の街づくり協定 - 百合ケ丘二丁目の一部
  • ウィンドミル守谷住宅地・緑の街づくり協定 - 本町の一部
  • エコライフアベニュー百合ケ丘緑の街づくり協定 - 百合ケ丘三丁目の一部
市街化調整区域[編集]
併用住宅を含む、一戸建住宅の建築を目的とする開発行為の最低敷地面積は、守谷市の属する近郊整備地帯は165m²となっているが、守谷市では300m²と定めている。これは県条例等により概ね200m²と定められているものよりも広い敷地を必要とするものである[5]
生産緑地[編集]
守谷市では、生産緑地法に基づいて設置された35生産緑地を設置している[6]
分譲マンション規制[編集]
守谷市では、良好な住宅環境の形成を図ることを目的とし、家族向け分譲マンションの建築に対し、一戸当たり専用床面積平均82m²以上、一戸当たり専用床面積最低67m²以上とする基準を設けている[7]
歴史[編集]
名称の由来[編集]
守谷という名称の由来には3つの説があるが、正確には分かっていない。
  • 日本武尊が東征の際にこの地を訪れ、鬱蒼と茂る森を見た際に驚嘆して発した「森なる哉」(もりなるかな)という言葉から「森哉」(もりや)となったという説がある。しかし、日本武尊が守谷を訪れたという確証はない。
  • 平将門が城を築いた際に入り江(現在は消失)に守られたこの土地を「守るに易き谷」と評したことに由来するという説がある。しかし、守谷城を築城したのは将門ではなく後世の相馬氏と推測される。なお、市内には平将門にまつわる伝説・言い伝えが数多く残されている。
  • 郡司の官衛、屯倉があった処から「まもりびと」「もりや」になったという説がある。
守谷の鎮守神として奉られている牛頭(ごず)大王(八坂神社)に納められている神鏡に「下総国守谷郷牛頭大王守護所、大同元年丙戌、神主吉信」と書かれていることから、806大同元年)には守谷郷の名称がみられ、それ以前より守谷の名称が用いられていたと考えられる[8]。また、1614元和7年)の神社奉納品には「森屋之郷」と記されており、異字である「森屋」も用いられていたと考えられる。
また、守谷町、大井沢村、高野村、大野村が合併した際に、新町名を守谷町とした理由は、景行天皇以降徳川時代より(旧)守谷町を中心に付近数里の間を「守谷郷」と称していたことによる[1]。審査方針は5つあり、「郷土民情にふさわしき町名」、「住民の納得する町名」、「子孫に悔いなき町名」、「一般社会に知れやすい町名」、「郷土のふうしょうを現される町名」であった[1]。また、新町名選定の際には守谷町の「守谷」と大野村、高野村の「野」を合わせて「守谷野」とする案もあったが、「守谷」となったことには大井沢村住人が守谷を支持したことも後押しとなった[9]
合併と旧町村[編集]
守谷市の前身である守谷町は、1955年(昭和30年)31日に北相馬郡西部13村が合併したことにより誕生した。合併時の人口は12,001[10]
合併は1953年(昭和28年)91日に交付され、同年101日から施行された町村合併促進法に基づき懇談会・座談会等を経て審議されたものであったが、当初予定では(旧)守谷町を中心として、大井沢村、大野村、高野村(以上、現・守谷市)、小絹村(現・つくばみらい市)、高井村(同地現・守谷市・それ以外現・取手市)・稲戸井村(現・取手市)で合併を行う予定であった[1]。この場合の予定人口は19,612人、世帯数3,432戸、面積58.218km2[1] 1954年(昭和29年)57日には16ヶ村による代表者会議を開催し、同月26日には関係町村を含めた各町村10名ずつの代表者による合計70名で構成された「町村合併促進協議会」が発足。総務部、財務部、教育民生部、産業経済部、土木部の5つの専門部を設け、守谷町長を会長・他6ヶ村の村長を副会長、各部代表者の互選による代表者を部長として合併促進が進められたが、小絹、高井、稲戸井の3村が16ヶ村の合併に慎重な態度を取った。そのため、組合立中学校等を共同経営し、守谷町市場や法務局守谷出張所等の共同利用、同管轄である守谷町、大井沢村、大野村、高野村での合併を進めることとなった。その後も小絹、高井、稲戸井の3村に合併の促進を促したが、意見が一致せず、同年86日に新町建設計画の骨格である協定事項25項目を決定した。また、同月29日には新町名を「守谷町」に決定。同年1112日に議会で合併決議が行われ、同年1213日に県知事に申請。翌1955年(昭和30年)113日付で認可された[1]。これに先立つ1954年(昭和29年)122日には、13村合併に先立ち、高井村大字同地(人口187人、28戸宅地33,517.354m210,319坪)、耕地469,091.14m2473反))が守谷町に編入されることが決定。翌1955年(昭和30年)215日に編入された。その翌月31日に守谷町、大井沢村、大野村、高野村で合併が行われ、現在の守谷市域が確定した[1]
  • (旧)守谷町
現在の赤法花、小山、中央、ひがし野、本町、松並、みずき野、百合ケ丘の全域及び松ケ丘、けやき台の一部、同地(1955215日〜31日まで)に相当する。町の中央は海抜20mの台地で、その周辺が谷津田となっていた[1]。常総鉄道(現:関東鉄道常総線)が南北に通り、守谷駅から銚子街道沿いを南に2,000mほど商店街を形成。町内にある守谷駅は常総鉄道内で2位の乗降客数であった[1]
明治以前より守谷町とされていた区域は、現在の中央、ひがし野、松並、百合ケ丘の全域と本町の大部分であり、1881年(明治14年)に辰新田村、1883年(明治16年)に西奥山新田を編入(現在の本町字辰新田、本町字奥山新田で、これらを含む1889年以前の旧守谷町が後の大字守谷である)。1889年(明治22年)に守谷町・小山村・赤法花村が合併し、(旧)守谷町が誕生、旧町村はそれぞれ大字守谷、大字小山、大字赤法花となった。大井沢村、高野村、大野村との合併直前である1954(昭和29年)7時点の旧守谷町の人口は4,817人、面積は8.55km²である。翌215日には高井村大字同地を編入し、31日の31村合併まで同地は(旧)守谷町の大字となっていた。合併直前の町役場所在地は守谷町大字守谷甲19番地1[10]
現在の板戸井、大木、大山新田、久保ケ丘、御所ケ丘、立沢、松前台、薬師台及び、緑の一部に相当する。大字板戸井、大字大木、大字大山新田、大字立沢の4大字があった。合併直前である1954年(昭和29年)7月時点の旧大井沢村の人口は2,696人、面積は11.25km²である。
大井沢村」を参照
現在の乙子、高野、鈴塚、美園及びけやき台、松ケ丘の一部に相当する。大字乙子、大字高野、大字鈴塚の3大字があった。合併直前である1954年(昭和29年)7月時点の旧高野村の人口は1,724人、面積は6.29km²である。
高野村 (茨城県)」を参照
現在の大柏、野木崎、及び松ケ丘、緑の一部に相当する。大字大柏と大字野木崎の2大字があった。合併直前である1954年(昭和29年)7月時点の旧大野村の人口は2,577人、面積は8.22km²である。
合併時の新町建設方針[編集]
1955年(昭和30年)の新町発足時の守谷町(現:守谷市)の方針は、産業都市を目指したものであった[1]。そのため、道路整備及び軽工業工場の誘致を行うことを計画し、工場の誘致を行った。
年表[編集]
  • 先土器時代 市内にある遺跡(郷州原・乙子・大日・北守谷)から発掘された遺跡により、守谷に人が住み始めた時代であると推測されている[11]
  • 鎌倉時代前期 相馬師常により守谷城が築城。以降、相馬氏(下総相馬氏)の本城となる。
  • 1538 相馬氏が北条氏政古河公方足利晴氏と和睦し、北条氏への服従を示すため守谷城を北条氏へ明け渡す。
  • 1566 芳春院周興(ほうしゅんいんしゅうこう、足利義氏の母)が守谷城へ入城。
  • 1590天正18年) 豊臣秀吉による小田原征伐の際、相馬氏は北条方についたが、秀吉の臣である浅野長政らの勧告を受け降伏し、守谷城を開城した。徳川家康の命により、相馬氏に代わって土岐(菅沼)山城守定政(とき(すがぬま)やましろのかみさだまさ)が守谷一万石としてこれを治め、守谷(現在の本町)は城下町として発展する。
  • 1616元和2年) 菅沼定義が高槻に転封となる。
  • 1619(元和5年) 菅沼頼行(定義の子)が守谷城主となる。
  • 1628寛永5年) 頼行が出羽上山に転封となり、守谷城は事実上の廃城。
  • 1642(寛永19年) 守谷の一部が佐倉藩堀田氏の所領となり、堀田正盛の子、堀田正俊が領主となる。
  • 1668寛文元年) 酒井忠孝が領主となる。
  • 1681天和元年) 守谷最後の城主・酒井忠挙厩橋へ転封。
  • 1688元禄元年) 関宿藩領へ編入。もはや城下町ではなくなり、にわかに衰退。
  • この頃から江戸時代末期まで、現在の守谷市は関宿藩領、天領田安領、その他旗本領に分割されていた。
  • 1777安永6年) 大山村が大山新田に改称。
  • 1869明治2年)223(旧暦113日) 下総知事県に代わり、本格的な行政組織として葛飾県を設置。現在の守谷市内にあった町村のうち、守谷町、辰新田村が関宿藩、その他が葛飾県所属となる。
  • 1871(明治4年)1225(旧暦1114日) 廃藩置県後の県の統合により、葛飾県が生実県古河県佐倉県宿県曾我野県結城県と合併し、印旛県を設置。全域が印旛県となる。
  • 1873(明治6年)
    • 5 大区小区制により、現在の守谷市を構成する旧町村の全域が第十四大区六小区となる。また、すぐに再編成で第五大区七小区となる。
    • 615 印旛県が木更津県と合併し、千葉県を設置。千葉県所属となる。
  • 1875(明治8年)57 茨城県所属となる。第九大区二小区となる。
  • 1878(明治11年) 大木新田と大木村が合併し、大木村となる。守谷町に巡査交番所交番を設置。斉藤斐が守谷町に郵便局を設置。
    • 722 郡区町村制施行。同時に相馬郡が、利根川を境に南相馬郡と北相馬郡に分離し、北相馬郡所属となる。
  • 1879(明治12年)
    • 2 守谷町外2ケ村戸長役場を(旧)守谷町に設置。
    • 相馬郡奥山新田が西奥山新田に改称。
  • 1881(明治14年) 相馬郡辰新田村を守谷町に編入。
  • 1883(明治16年) 相馬郡西奥山新田を守谷町に編入。
  • 1884(明治17年)6 守谷町外5ケ村戸長役場を設置。
  • 1889(明治22年) 市制及町村制施行により各町村が合併し、(旧)守谷町(守谷町・小山村・赤法花村)、大井沢村(大木村・大山新田・板戸井村・立沢村)、大野村(大柏村・野木崎村)、高野村(高野村・鈴塚村・乙子村)が成立。
  • 1890(明治23年) 鬼怒川を通る蒸気船「通運丸」が運行開始。
  • 1893(明治26年) 竜ケ崎区裁判所守谷出張所設置。
  • 1913大正2 常総鉄道(関東鉄道常総線)開通。
  • 1917(大正6年) 鬼怒川の河川改修、右岸築堤工事完了。
  • 1920(大正9年)頃 鉄道の台頭により、蒸気船「通運丸」運行終了。
  • 1955(昭和30年)
  • 1956(昭和31年)
    • 127 板戸井の鬼怒川に滝下橋が開通。板戸井、大木の渡船場を廃止。
    • 2 合併後の第1回町議会選挙が行われる。
    • 6 首都圏近郊整備地帯の指定を受け、大規模な宅地開発が計画される。
  • 1959(昭和34年)
    • 1 守谷広報(現:広報もりや)第一号発行。
    • 2 2回町長選挙が行われる。
    • 3 役場が大字守谷字仲町(現:本町字仲町)に移転。高野支所を高野出張所に改組。
  • 1960(昭和35年)
    • 2 2回町議会議員選挙が行われる。
    • 3 大柏、立沢、野木崎の台畑116haの農地集団化(交換分合)事業が完了。
    • 4 9回国政調査。人口11,449人。
    • 1115 南守谷駅開設。
  • 1961(昭和36年)
    • 1 町内に株式会社呉砥石所(現:株式会社クレトイシ)の誘致が決定。
    • 4 守谷町立守谷中学校と同大井沢中学校が統合される。
  • 1962(昭和37年)
    • 4 守谷町内に株式会社呉砥石所東京製造所が開設され、操業を開始。
    • 6 明星電気株式会社の誘致を決定。
    • 8 利根川架橋促進協議会を設置。
    • 12 町東南部の発展を図るため、守谷町が進めていた郷州(現:みずき野付近)の開発計画を一部買収が困難なことから断念し、立沢大久保団地の開発を行う[12]。株式会社前川製作所誘致決定。
  • 1963(昭和38年)
    • 3 利根川架橋促進委員会により、県へ陳情を実施する。
    • 4 北相馬郡取手町と境界を変更。35.51km2から35.47km2になる。また、企業誘致促進奨励措置条例を廃止する。
    • 7 町立土塔保育所が開所。
  • 1964(昭和39年)
    • 2 3回町議会議員選挙が行われる。
    • 4 大字守谷字向原(現:百合ケ丘三丁目字向原、イオンタウン守谷の位置)に、明星電気株式会社守谷工場が開設。操業開始。
    • 12 4回町長選挙が行われる。
  • 1965(昭和40年)
    • 1 10回国勢調査。人口11,475人。
    • 3 株式会社前川製作所立沢工場が開設。操業開始。
    • 12 守谷字城内(現:本町字城内)に第一町営住宅が完成。
  • 1966(昭和41年)
    • 4 公募により、町章を制定する。
    • 6 首都圏近郊整備法に基づき、首都圏近郊整備地帯に指定される。
    • 7 国土開発幹線自動車道建設法に基づき、新高速道路の予定路線(常磐自動車道)が定められる。
    • 12 守谷字仲町(現:本町字仲町)に第二町営住宅が完成。
  • 1968(昭和43年)
    • 2 4回町議会議員選挙が行われる。また、それに伴い定数を22名に削減。
    • 3 守谷沼圃場整備事業が完成。88.7haが整備される。
    • 4 守谷字土塔に第三町営住宅が完成。また、農林省から葱の指定産地に指定される。
    • 12 5回町長選挙が行われる。
  • 1969(昭和44年)
    • 7 株式会社前川製作所守谷工場の第一次起工式が行われる。
    • 8 守谷町都市開発対策協議会が発足。第1回協議会が行われる。
    • 9 大規模宅地造成事業推進座談会開催。
    • 11 利根川左岸回月及び上下水道対策特別委員会を設置。
  • 1970(昭和45年)
    • 2 守谷町都市計画審議会を設置。
    • 5 株式会社前川製作所守谷工場が操業開始。
    • 7 守谷町都市計画区域の区分が決定。市街化区域と市街化調整区域が定められる。
    • 10 11回国勢調査。人口12,300
  • 1971(昭和46年)
    • 1 北守谷特定土地区画整理事業(常総ニュータウン北守谷)施工区域計画決定。
    • 4 守谷町社会福祉協議会設立。
    • 5 守谷字城山(現:本町字城山)に第四町営住宅が完成。
  • 1972(昭和47年)
    • 2 5回町議会議員選挙が行われる。
    • 3 常総地方広域市町村圏事務組合が設立。
    • 4 野木崎保育所が開所。
    • 5 守谷町文化財調査委員会が発足
    • 6 常磐自動車道の守谷町内区間のルート公表。
    • 12 6回町長選挙。南守谷土地区画整理事業区域を市街化区域に編入を決定。
  • 1973(昭和48年)
    • 2 取手市と境界を変更。35.47km2から35.46km2になる。また、南守谷特定土地区画整理事業(常総ニュータウン南守谷)施工区域計画・常総広域環境センター計画が決定。
    • 6 都市計画用途地域が決定。面積717ha
    • 12 常総広域老人福祉センターが着工。
  • 1974(昭和49年)
    • 3 高野地区圃場整備事業計画が決定。面積70ha
    • 10 常総広域環境センターが操業を開始。
    • 12 町の木、町の花、町の鳥を選定。
  • 1975(昭和50年)
    • 3 白寿荘開設。
    • 7 12回国勢調査。人口14,505
  • 1976(昭和51年)
    • 2 6回町議会議員選挙が行われる。
    • 5 日本住宅公団(現:都市機構)による北守谷特定土地区画整理事業(常総ニュータウン北守谷)が認可。
    • 11 7回町長選挙が行われる。
  • 1977(昭和52年)
    • 4 北園保育所が開所。
    • 9 常総広域運動公園野球グラウンド・自由広場が竣工。
    • 10 常総広域消防守谷出張所庁舎が竣工。
    • 12 三井不動産により、郷州地区埋蔵文化財包蔵地の予備調査が実施される。
  • 1978(昭和53年)
    • 4 公営事業守谷町上水道事業が発足。滝下橋の歩道橋が竣工。
    • 9 8回町長選挙が行われる。
    • 11 公共下水道工事が開始。
    • 12 日本住宅公団と県が常総線沿線地域宅地開発(計画)を締結。また、常総ニュータウン北守谷地区の使用収益が開始。
  • 1979(昭和54年)
    • 1 日本住宅公団による南守谷特定土地区画整理事業(常総ニュータウン南守谷)が認可。
    • 3 三井不動産によるパークシティ守谷(現:みずき野地区)開発行為を許可。
    • 41 黒内小学校開校。
    • 8 パークシティ守谷区域を市街化区域に編入。
  • 1980(昭和55年)
    • 2 7回町議会議員選挙が行われる。
    • 4 守谷町水道事務所・新大利根橋有料道路(現:新大利根橋)が完成。
    • 7 県立高校の誘致のため、町陳情団を結成し県に陳情。
    • 9 守谷町観光協会発会式が行われる。
    • 10 守谷町外1ケ村土地改良区事務所が竣工。第3回国勢調査。人口17,585人。
    • 11 県立高校の建設が大字大木地先に決定。
  • 1981(昭和56年)
    • 大字守谷、大字小山のうちパークシティ守谷部分から大字東守谷を新設。
    • 4 土塔中央保育所が開所。守谷町公共下水道の一部供用が開始。下水道事務所・中央公民館が開館。常磐自動車道の町内部分全通。三井不動産による乙子高野地区(現:美園)開発の地元説明会が開催。
    • 9 仮称・北守谷第一小学校(現:御所ケ丘小学校)起工式。
  • 1982(昭和57年)
    • 東守谷がみずき野一丁目〜八丁目に町名変更。
    • 1 守谷東地区(現:ひがし野)の土地区画整理事業組合のための発起人会を発足。常総ニュータウン南守谷地区の使用収益を開始。パークシティ守谷オープニングセレモニーが開催。
    • 3 町が工業団地造成について住宅・都市整備公団(現:都市機構)へ依頼する。
    • 327 新守谷駅開設。
    • 41 常総ニュータウン北守谷地区、三井パークシティ守谷(みずき野地区)入居開始。御所ケ丘小学校が開校。大山公園・立沢公園・もものき公園・ざくろ公園・自転車歩行者専用道路及び歩道橋の供用開始。
    • 5 県南広域水道用水供給事業(県企業局利根川浄水場)から浄水受入を開始。
    • 6 人口が2万人に達する。
    • 9 9回町長選挙が行われる。守谷東地区土地区画整理事業組合準備委員会が発足。
  • 1983(昭和58年)
    • 4 都市計画道路北守谷板戸井線(現:新守谷駅前通り)・立沢公園テニスコート・みずき野中央公園・郷州文化財公園・どんぐり公園・かきのき公園及び都市計画道路郷州沼崎線の一部が供用開始。
    • 41 郷州小学校・愛宕中学校・守谷高等学校開校。また、町営(現:市営)新守谷駅第一自転車駐輪場が供用開始。
    • 5 関東鉄道常総線の守谷町内区間(南守谷駅〜新守谷駅間)の複線化が完了。
    • 7 北守谷地区で緑の街づくり協定が締結される。
    • 9 守谷町議会議員定数条例の一部改正が可決。議員数が22人から20人に削減。
    • 10 北守谷地区自転車歩行者専用道路の名称を「北守谷遊歩道」に決定。
  • 1984(昭和59年)
    • 2 8回町議会議員選挙が行われる。
    • 4 北守谷遊歩道道びらき。第1回町民健康マラソン大会が行われる。学校給食センターが竣工。工業団地造成事業の地元説明会が野木崎・大木地区の地権者対象に行われる。
    • 7 住宅・都市整備公団による工業団地造成事業が決定。守谷消防署が竣工。
    • 9 仮称・守谷第三中学校(現:御所ケ丘中学校)起工式。
    • 10 県南広域工業用水道事業建設促進協議会が設立され、守谷町が加入。
  • 1985(昭和60年)
    • 4 都市計画道路取手西口北守谷線(現:常総ふれあい道路)の天神(大柏字天神)〜本宿(守谷字本宿。市制施行後は高野字本宿)まで開通。
    • 41 御所ケ丘中学校開校。また、文化会館が開館する。
    • 524 大字立沢より御所ケ丘、大字立沢・大字大山新田より久保ケ丘、大字立沢・大字大山新田・大字板戸井より松前台、大字板戸井・大字立沢より薬師台を新設。
    • 6 みずき野地区コミュニティ道路道びらき。南守谷土地区画整理事業(常総ニュータウン南守谷)の一部使用収益開始。字区域及び名称が決定し、新町名はけやき台・松ケ丘とすることが決定。
    • 8 みずき野パークスクエア〜北柏駅間の路線バスが運行開始される。
    • 10 14回国勢調査。人口23,856人。
    • 11 北守谷土地区画整理事業の竣工式が行われる。また、稲戸井調整池総合開発事業計画について町議会が条件付きで決議する。常磐新線守谷ターミナルとまちづくり懇談会を設立。
    • 12 守谷町庁舎建設実行委員会発足。
  • 1986(昭和61年)
    • 1 南守谷土地区画整理事業施行区域・促進区域を変更。南守谷・緑の街づくり協定を締結。常磐新線整備検討会発足。町営薬師台住宅建設起工式が行われる。
    • 2 常磐新線建設促進都市連絡協議会発足。
    • 4 松ケ丘公園テニスコート供用開始。都市計画道路取手西口北守谷線(現:常総ふれあい道路)の本宿〜乙子まで開通。
    • 6 守谷町水道事業竣工式が行われ、全町給水が完了。稲戸井調整池総合開発事業促進連絡協議会設立準備会開催。
    • 9 守谷町市街地整備基本計画策定委員会が開催。第10回町長選挙が行われる。
    • 12 三井不動産が乙子高野地区計画区域の土地取得を開始。
  • 1987(昭和62年)
    • 2 野木崎・大木地区工業団地整備が区画整理方式に決定。
    • 4 南守谷駅が現在地に移転。
    • 41 北守谷ショッピングセンター(サンテラス守谷)開業。守谷児童館開館。
    • 10 常総ニュータウン南守谷の宅地分譲が開始。
  • 1988(昭和63年)
    • 4 取手西口北守谷線の愛称が「常総ふれあい道路」に決定。
    • 8 守谷東特定土地区画整理事業(ひがし野)、守谷町工業団地土地区画整理事業(緑)の都市計画決定。
  • 1988年(昭和63年)
    • 531 松ケ丘、けやき台を新設。
    • 9 人口が3万人に達する。また、守谷久保ケ丘郵便局が開局。
  • 1989平成元年)
    • 41 松前台小学校開校。
    • 11 面積を35.46 km²から35.63 km²に訂正。
  • 1990(平成2年)
    • 10 役場庁舎(現:守谷市役所)を大柏に移転。また、跡地に仲町行政サービスセンター竣工。
    • 11 西ドイツ(当時)マインブルク市との姉妹都市提携調印。国際交流センター開設。
  • 1991(平成3年) けやき台中学校開校。
  • 1992(平成4年)
    • 1 工業団地の名称が「もりや工業団地」に決定。
    • 327 人口が4万人に達する。
    • 4 守谷消防署南守谷出張所竣工
    • 425 郷州公民館開館。
    • 7 保健センター開設。
    • 817 みずき野郵便局開局。
  • 1993(平成5年)
    • 41 四季の里公園開園。
    • 6 心身障害者福祉センター「ひこうせん」開設。
    • 8 アメリカ、グリーリー市との姉妹都市提携調印。
    • 10 乙子高野土地区画整理事業(美園)起工。
    • 1029 緑を新設。
  • 1994(平成6年)
    • 41 松ケ丘小学校開校。
    • 7 統一指定ごみ袋による分別収集完全実施。
    • 11 常総ふれあいスポーツセンター開館。
  • 1995(平成7年)
    • 41 久保ケ丘交番開所。大井沢小学校開校。
    • 513 守谷中央図書館開館。
    • 6 もりやまなびの里供用開始。
    • 9 守谷駅周辺一体型土地区画整理事業(中央)起工。
    • 1016 守谷松ケ丘郵便局開局。
  • 1996(平成8年)
    • 426 高野公民館開館。
    • 95 福祉循環バス「やまゆり号」運行開始。
  • 1997(平成9年)
    • 2 過去12回に渡って行われていた守谷ロードレースが、守谷ハーフマラソンに発展。ハーフマラソンとしては初の第13回守谷ハーフマラソンが行われる。
    • 9 北園保育所開設。
  • 1998(平成10年)岩井成昭により、守谷・小平姉妹都市計画が浮上[13][14]
    • 317 守谷町(当時)のホームページを開設。
  • 1999(平成11年)
    • 2 高速バス(東京駅行)開通。
    • 422 北守谷公民館開館。
    • 925 美園を新設。
  • 2000(平成12年)9 人口が5万人に達する。
  • 2000年(平成12年)10 げんきサロン・みずき野開設。
  • 2001年(平成13年)
    • 7 もりやファミリーサポートセンター開設。
    • 9 げんきサロン・北守谷開設。
    • 10 コミュニティバス「やまゆり号」運行開始。
  • 2002(平成14年)22 市制施行。本町、松並、百合ケ丘を新設。
  • 2004(平成16年)1225 ひがし野を新設。
  • 2005(平成17年)824 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業。
  • 2008(平成20年)
    • 420 南守谷児童センター「ミナーデ」開設。
    • 426 市民交流プラザ(北守谷児童センター「キターレ」)開設。
  • 2009(平成21年)48 人口が6万人に達する。
  • 2010(平成22年)
  • 2013 (平成25年)1012 松並より、ひがし野四丁目を新設。
  • 2016 (平成28年)1022 松並より、松並青葉を新設。
人口[編集]
守谷市と全国の年齢別人口分布(2005年)
守谷市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色守谷市
緑色日本全国
青色男性
赤色女性
守谷市(に相当する地域)の人口の推移
12,300
14,505
17,585
23,856
36,427
45,821
50,362
53,700
62,434
国政・県政[編集]
国政[編集]
衆議院小選挙区では、市内全域が茨城県第3に属する。かつての中選挙区制の下では「茨城県第1区」に属した。
県政[編集]
本市で守谷市選挙区を構成する。定数は1である。
県議会議員(守谷市選挙区)選挙(201012月)
  • 総投票数19,521票、有効投票数19,110票、無効投票数411票。
国の機関[編集]
  • 国土交通省利根川上流河川事務所守谷出張所 - 大柏355番地の7
市政[編集]
市長[編集]

市議会[編集]
  • 議長:又耒成人
  • 副議長:倉持洋
  • 議席(会派):守谷市政クラブ(5)民主新政会(2)民主維新会(2)、協働のまちづくり(2)公明党(2)日本共産党(2)、守谷クラブ(1)、未来21(1)無所属市民の会(1)
市組織[編集]
財政[編集]
  • 地方交付税は、近年の三位一体の改革の影響を受けて、2005年度(平成17年度)より普通交付税の不交付団体となっている。
  • 市民の課税対象所得は全国18位(県内1位)である。
  • 関西社会経済研究所発表の財政健全性では全国3位(県内1位)である。
  • 2008年度(平成20年度)の一般会計の予算額は1626,5151,000円である。(繰越明許分等含む)また、歳入の約65%が市税で、そのうち約半分が個人市民税による。支出は民生費、教育費、公債費の順に多い。
  • 2008年度(平成20年度)の特別会計予算額の合計は772,0795,000円である。
  • 2008年度(平成20年度)の市の特別会計予算の長期借入金の現在高(元金)は、前期(平成19年度末)に対し、一般会計は36875,000円の減(-1.5%)、特別会計は5,1098,000円の減(-1.8%)となっている。
  • ニュータウン開発による学校や都市施設への先行投資とつくばエクスプレス関連開発のために、財源の多くを地方債に頼っている。2006年度(平成18年度)末時点の地方債現在高比率は199.5%である。
  • 平成204月に一部施行された「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」の指標によると、平成19年度の守谷市は「実質赤字比率」、「連結実質赤字比率」、「実質公債費比率」、「将来負担比率」の全項目において財政再生基準、早期健全化基準を大幅に下回っており、財政状況及び公営企業の経営状況は健全な状態にある[15]
市役所[編集]
守谷市には、市役所及び、一部業務を行う行政サービスセンターがある。詳しくは各項目を参照。
上下水道[編集]
守谷市では上水道普及率が99.4%、下水道普及率が99.92%である[16]
管轄広域事務組合[編集]
第三セクター等[編集]
  • 守谷市土地開発公社
行政改革[編集]
守谷市では、人事費の抑制の為に人事評価制導入による職員定数削減を行っている。その結果、2000年(平成12年)には約410名ほどであった市職員数が2008年(平成20年)現在では約355名となっている。
市民参加[編集]
守谷市では各種審議会の一部委員の公募制度、市民アイデアモニター制度、街区公園美化の里親制度など行政と市民の協働活動が積極的に進められている。また、市民による街の環境美化意識が強く、松ケ丘西地区の環境美化、シンボルロードでの緑化推進による地区のまちづくりを企図する市民有志が中心となり結成された「松ケ丘花の輪ボランティアグループ」が第19回みどりの愛護功労者国土交通大臣賞を受賞している。
市町村合併[編集]
一時は隣接する谷和原村、伊奈町、水海道市との合併も取りざたされたが、市民を対象にしたアンケートで現段階での合併反対が多数を占めていたこと、守谷市単独でも十分な発展が見込めるとの判断から、平成の大合併の際には、積極的な合併協議は行われなかった。
会田市長の考えでは、県南地域(県南総合事務所の管轄地域)の全市町村による政令指定都市「大つくば市構想」を打ち上げている。多くの事務権限が移譲されることで各地域の実情に応じた施設配置が可能となるメリットを挙げ、さまざまな財政制度の特例が設けられ財政力の強化につながると説明。道州制が議論される中で単位自治体の規模が必要だとし、実現に向け県の積極的な関与を求めている。一方、つくばエクスプレス沿線のブランド化、連携に着眼点を置くつくば市は、つくばエクスプレス沿線の3市(つくば市、つくばみらい市、守谷市)での合併に関心を示している[17]
公共機関[編集]
消防[編集]
  • 常総広域消防(上記の広域事務組合に属する広域消防で、常総市[旧水海道市地区]・つくばみらい市・守谷市が管轄地域である。)
1955年(昭和30年)の町村合併時は、それまで旧町村ごとであった消防団を統合した守谷町消防団が守谷町(現:守谷市)内を管轄しており、旧守谷町を守谷町消防団東支団、旧大井沢村を北支団、旧大野村を西支団、旧高野村を南支団が管轄していた[1]
警察[編集]
  • 取手警察署(隣の取手市にある警察署。管轄は取手市、利根町、守谷市。)
    • 守谷地区交番 - 中央一丁目19番地8(守谷駅中央西口の国道294号線沿い)
    • 久保ケ丘交番 - 久保ケ丘一丁目19番地5(常総ニュータウン北守谷・新守谷駅前通りの久保ケ丘の文化会館隣)
    • 南守谷交番 - けやき台二丁目19番地(常総ふれあい道路、けやき台公園入口交差点前)
文化施設[編集]
守谷中央図書館
文化会館[編集]
公民館[編集]
  • 中央公民館 - 百合ケ丘二丁目2540番地の1
  • 郷州公民館 - みずき野五丁目3番地3
  • 高野公民館 - 高野935番地
  • 北守谷公民館 - 板戸井1977番地の2
図書館[編集]
守谷市では、守谷中央図書館と4つの公民館図書室を設置している。
  • 守谷中央図書館 - 大柏937番地2
    • 守谷中央図書館中央公民館図書室(中央公民館内)
    • 守谷中央図書館郷州公民館図書室(郷州公民館内)
    • 守谷中央図書館高野公民館図書室(高野公民館内)
    • 守谷中央図書館北守谷公民館図書室(北守谷公民館内)
その他文化施設[編集]
守谷市では、もりや学びの里を拠点とし、世界各国の現代芸術分野の若手アーティストを招き、滞在期間中の創作活動を支援する芸術文化を通じた地域振興のためのアートプロジェクト「アーカスプロジェクト」が行われている。
体育施設[編集]
市立施設[編集]
学校体育施設[編集]
守谷市では、市内の全ての市立小・中学校を一般開放しており、有料で使用することができる。
経済[編集]
産業人口[編集]
守谷市は県内で最も生産年齢人口比率が高い。ベッドタウンとして開発されたことから、東京都心を中心とする県外への通勤比率が高いが、ベッドタウンとしての入居が始まる約20年前の1965(昭和40年)の時点で就業者の70%が県外(57%が東京都内)を通勤地としており[18]、ベッドタウンとして開発される以前より東京都を中心とした県外への就業が多く見られる。
  1. サービス業
  2. 製造業
  3. 卸売・小売業
  4. 建設業
  5. 運輸・通信業
  6. 金融・保険・不動産業
  7. 公務
  8. 農業
産業[編集]
古来より災害の少ない豊穣な土地であったことから「作れば何でも採れる土地」と言われ、江戸時代から昭和・平成初期に至るまで稲作及び畑作農業が盛んであった[19]。宅地開発が進むとともに農業が衰退し、現在は幹線道路沿線でのサービス業(飲食店など)や卸売・小売業が増加し、工業団地の整備による企業誘致などによって製造業も多く見られる。またかつては利根川を挟んだ対岸にある野田市同様、醤油の生産も盛んだったが、昭和50年頃までには消滅している。同じく以前は酒造も営まれていたが、醤油とほぼ同時期に消滅している。
商業[編集]
常総ふれあい道路沿いを中心に小売業・サービス業(飲食店)が盛んである。 松ケ丘にある複合型商業施設のアクロスモール守谷ジョイフル本田守谷店、けやき台にある西友楽市守谷店(2003424日開店[20])、百合ケ丘にあるイオンタウン守谷など、大規模な店舗が点在する。
農業[編集]
主に台地で畑作、低地で稲作を中心に農業が行われ、江戸時代の古城沼(守谷沼)付近は、北総における蓮根の主産地でもあった[21]。現在では市街地の拡大によって農地が減り、農業従事者人口の減少もあり、産出額も減少傾向にある。特に米の産出額が減少している。しかし近年、野菜や果実(ビニールハウス栽培)の産出額が増加している。
漁業[編集]
現在では行われていないが、利根川鬼怒川小貝川に挟まれていることから、かつては川での漁業も行われていた。特に江戸時代の小貝川はなどさまざまな魚が採ることができた。また、魚が豊富といえる地域に生息する守谷沼に生息し、現在の守谷沼近くにある小高い丘(当時は島)が「獺弁天」と呼ばれる元にもなっている[21]
企業[編集]
高速道路のICが近いことから、「もりや工業団地」(緑一・二丁目)が設けられている。また、市街地の拡大によって古い工業地域では工場の市外への移転が進み、明星電気守谷工場跡地はイオンタウン守谷、クレトイシ守谷工場(開設時は「東京工場」[22][18])跡地は新町名を松並青葉とする住宅地となった。
商業施設[編集]
  • アクロスモール守谷 - 松ケ丘六丁目1番地1
  • イオンタウン守谷 - 百合ケ丘三丁目294番地の1
  • 西友楽市守谷店 - けやき台四丁目1番地5
  • ジョイフル本田守谷店 - 松ケ丘三丁目8番地
  • Ours MORIYA - 中央二丁目16番地1
  • KASUMI
    • FOOD OFFストッカー守谷店 - 本町631番地
    • FOOD SQUAREロックシティ守谷店 - 百合ケ丘三丁目294番地の1
    • 松ケ丘店 - 松ケ丘六丁目6番地1
  • フレッズ生鮮館守谷店 - 松前台一丁目2番地1
  • Right-on
    • 西友楽市守谷店 - けやき台四丁目1番地5
    • 守谷松ケ丘店 - 松ケ丘六丁目6番地4
  • WonderGOO
    • 守谷店 - 松ケ丘六丁目6番地4 (定期的にミニライブ、FM公開録音、トークショーが行われるイベントスペース「GooST」が併設されている)
郵便局[編集]
  • 守谷郵便局 - 本町701番地の2
  • 守谷久保ケ丘郵便局 - 久保ケ丘一丁目19番地
  • 野木崎郵便局 - 野木崎383番地
  • 守谷松ケ丘郵便局 - 松ケ丘一丁目12番地3
  • 守谷みずき野郵便局 - みずき野七丁目2番地8
銀行[編集]
  • みずほ銀行
    • 守谷支店 - 中央四丁目23番地4
  • 三井住友銀行
    • 守谷支店 - 中央四丁目9番地(TX AVENUE守谷1F
    • 守谷出張所 - みずき野五丁目3番地1
  • 千葉銀行
    • 守谷支店 - 中央一丁目23番地9
  • 筑波銀行
    • 守谷支店 - 百合ケ丘二丁目2552番地の4
    • 守谷南支店 - 本町153番地の1
    • 守谷けやき台支店 - けやき台一丁目25番地1
  • 常陽銀行
    • 守谷支店 - 中央一丁目22番地10
    • 北守谷支店 - 久保ケ丘二丁目1番地1
    • 南守谷出張所 - けやき台一丁目31番地1
また、店舗ではないが、東京都民銀行守谷システム研究所が御所ケ丘四丁目にある。
教育[編集]
守谷市では1980年代以降、計画的に学校予定地を確保しており、地域内の人口増加に応じて幼稚園、小学校、中学校等の新設が行われている。また、学区制度が敷かれているが、学区内の人口のバランス、通学事情を考慮し、一部地域では学区を選択制にするなどの見直しが行われている。なお、小・中・高等学校の耐震化率は100%である[23]
幼稚園[編集]
保育園[編集]
小学校[編集]
中学校[編集]
高等学校[編集]
健康・福祉・保険[編集]
守谷市は老齢人口の割合が11.12%と県内では最も少なく、全国で6番目に少ない[16]。また、県内で最も平均寿命が高い[24]
病院[編集]
  • 総合守谷第一病院 - 松前台一丁目17番地(救急告示病院)
  • 守谷慶友病院 - 立沢980番地の1(救急告示病院)
  • 会田記念リハビリテーション病院 - 同地360番地
  • ひがしクリニック慶友 - 松並1630番地の1
健康・福祉関連施設[編集]
  • 保健センター - 本町631番地の1
  • こども療育教室 - 板戸井1977番地の2
  • シルバー人材センター - 本町622番地の2
  • 守谷市社会福祉協議会 - 大柏954番地の3
  • 老人福祉センター白寿荘 - 大木1477番地
交通[編集]
鉄道[編集]

守谷駅中央西口
  • 中心となる駅:守谷駅
路線バス[編集]
守谷市には一般の路線バスと市のコミュニティバスがある。一般路線バス、コミュニティバス共に守谷駅を中心に市内を四方に運行している。路線バスを守谷市内でのみ利用する場合、どの路線もバス運賃は160200円で、市内上限200円となっている。 また、2009年(平成21年)111日〜2010年(平成22年)331日までの毎週水・金曜日の9時〜17時は、守谷市内で乗降する場合に限り、運賃が大人100円、小人50円となる。
市内各駅発のルートは新守谷駅守谷駅南守谷駅、市内各地のルートは各町名記事を参照。
  • モコバス - 市が運営し、関東鉄道に委託して運行するコミュニティバス。Aルート、Bルートの2路線があり、それぞれ右回りと左回りの運行経路がある。料金は一律で大人200円、小人100円。一日券は大人400円、小人200円。詳しくは「モコバス」を参照。
守谷市では路線バスが住宅密集地を中心に通っていたことから空白地帯が存在したこと、旧コミュニティバスのやまゆり号は空白地帯を解消するように通っていたが本数が少なかったことなどの問題点を挙げ、北守谷地区から守谷駅西口までの急行バス(路線バス)、新コミュニティバスへの切り替え及び増便、運賃変更(路線バスとの均衡)を2009年(平成21年)81日より2012年(平成24年)331まで実証実験として行っており、2011年(平成23年)より、守谷駅を中心に環状に走る地域間交流バス(路線バス)の設定も検討されている[25]。また、モコバスの名称は180の応募の中から選ばれた。
道路[編集]
かつては、守谷の旧市街地を南北に貫く銚子街道(守谷街道とも[21])が最も主要な通りであった。「守谷街道」と称した通りは多く、守谷(守谷市本町)より、並木道が整備されていた立沢、大山(守谷市大山新田・松前台近辺)を経て鬼怒川を渡り下香(常総市菅生町)に至った道、銚子街道沿いの新宿(つくばみらい市小絹)より鬼怒川(玉台渡)を経て坂東市方面へ至った道もかつては「守谷街道」と称した[21]。その他に、現在でも流山市より柏市西部・北部を経て市内乙子に至る通りを「守谷街道」と称する。現在の主な道路は国道294号と、これに並行して走る常総ふれあい道路であり、市内や近隣への移動には自家用車の利用が多く見られる。千葉・都内方面へは新大利根橋及び、常磐自動車道谷和原IC)等を利用する。また、守谷市の大部分で開通している都市軸道路が、北はつくばみらい市を経てつくば市へ、南は千葉県柏市流山市を経て埼玉県三郷市まで繋がる予定である。
市内の主要道路は計画的に街路樹が植えられ、ゆったりとした歩道、広幅の側帯のある高規格な造りのものが多い。景観を重視した横断橋の排除、円滑な交通処理を目指し、幹線道路の歩道切り込みを極力少なくするなどの工夫も行っている[19]。遊歩道が市内に多いのも特徴である。
高速道路[編集]
一般国道[編集]
市を南東から北へ横断する4車線の通りである。かつての市街地を避け、常総線の西側に作られた通りである。最もスムーズに市内各地区を移動できる通りであるが、踏切に近接する乙子交差点は渋滞の名所となっていた。そのことより、乙子交差点は2009年(平成21年)に立体交差化された。また、かつては市内の一部で4車線化が完了していない部分が存在したが現在は解消された。
県道[編集]
市の中央部を東西に通る通りである。「野田牛久線」の名称であるが、野田市までは一本で繋がっておらず、市内大木が利根川以東区間の西端となっている。常総線との交差部は踏切となっているが、将来は高架橋で立体交差する予定である。また、沿道には守谷市役所、守谷中央図書館がある。その他に、現在建設中の都市軸道路が守谷市内においては野田牛久線として整備されており、こちらは常総線との交差部を地下トンネルで立体交差している。
市内乙子にある乙子交差点を起点とし、新大利根橋を越えて柏市北部、西部を経由して流山市へ至る通りである。市内の区間は乙子交差点より乙戸橋までの500m程度と短いが、流山より守谷へ至る通りであることから通称「守谷街道」となっている。
市の西部を通る通りである。美園付近では常総ふれあい道路と重複しており、石神神社西交差点より西に分岐して市の西部を抜ける通りとなっている。大規模改良が行われる計画がある。
みずき野を通る通りである。守谷市内はさくらの杜公園前交差点の東、守谷市東端より、みずき野十字路(終点)までとなっている。前述の谷井田稲戸井停車場線や、後述の新道みずき野線は守谷市内では当道路と重複する。また、市内部分は「けやき通り」となっており、けやき並木が続いている。
みずき野を通る通りである。守谷市内はみずき野十字路より市の北端、東端までが当道路となっている。後述の守谷藤代線や、新道みずき野線は一部が当道路と重複する。東西部分が「けやき通り」の一部となっているほか、みずき野地区内の南北の部分は「いちょう通り」となっており、銀杏並木が続いている。
その他[編集]
国道294号に並行して市の南東から北へ横断する通りである。ヒルズ美園、常総ニュータウン南守谷・北守谷を通過する現在の市のメインの通りとなっており、大小様々な商業施設が点在する。沿道は並木道となっている。
市の北東から南西へ横断する4車線の通りである。つくば市より三郷市へ至る大動脈となる予定だが、2009年現在、守谷市内は松並の野田牛久線接続点より、大柏の常総ふれあい道路接続点(天神南交差点)までの部分開通となっている。守谷駅周辺では地下トンネルで常総線や国道294号と立体交差している。
市の東部を南東から北へ横断する通りである。みずき野地内を境に新道みずき野線と郷州沼崎線に分かれるが、一体化している。現在は全線開通している。みずき野では市内を代表する並木道の1つ(けやき通り)となっている。
市の北部、新守谷駅前から常総ニュータウン北守谷を東西に貫く4車線の通りである。常総ふれあい道路と並び、北守谷地区の主要幹線となっており、並木道となっている。
  • 銚子街道
明治以前より存在する、旧市街地の南北の街路である。かつては鎌倉へ抜ける街道として、銚子へ抜ける街道として機能していた。江戸時代に植えられた松並木が並ぶ区間が存在し、「松並」の地名の元にもなっている。守谷の旧市街地では八間から九間にも及ぶ通りであったが、1889年(明治22年)に県道に編入されてからは道幅五間の通りとなっている。これはかつて旧市街地が城下町であったが、農村へと変わった経緯があり、道路改修で縮小された稀有な例である。昭和末期までは名実共に中心市街地で守谷を代表する道路であったが、現在はこの通りに変わって国道294号や常総ふれあい道路が守谷のメインの通りと変わっている。守谷駅前の再開発以降は、中央東口ロータリーに直結する道路を当街路ではなく、みずき野方面へ至る新しい通りと接続するように整備しており、旧市街地の街路の位置付けはさらに低くなっている。
空港[編集]
  • 守谷飛行場(スポーツ・レクリエーション目的)
都内主要部への連絡[編集]
所要時間は平均的な乗車時間(乗り換えに要する時間は含まない)。
筑波研究学園都市への連絡[編集]
  • つくばエクスプレスつくば駅下車。所要時間は快速で約12分。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
守谷城址石碑(右奥は守谷小学校)
名所・旧跡・観光スポット[編集]
  • 守谷城趾
  • 成田不動明王石碑(お化け石)
寺社[編集]
  • 雲天寺 - 本町358番地
  • 永泉寺 - 松並1800番地
  • 海禅寺 - 高野1337番地
  • 西光寺 - 大柏441番地
  • 西林寺 - 本町726番地
  • 常安院 - 乙子536番地
  • 正安寺 - 野木崎1301番地
  • 清瀧寺 - 板戸井1910番地
  • 浄国寺 - 薬師台三丁目11番地2
  • 大円寺 - 大木675番地
  • 大解寺 - 百合ケ丘三丁目2609番地
  • 龍沢寺 - 立沢661番地
  • 長龍寺 - 百合ケ丘二丁目2555番地
神社[編集]
  • 明治神宮 - 中央二丁目
  • 愛宕神社 - 本町
  • 石神神社(高野) - 高野
  • 石神神社(本町) - 本町
  • 稲荷神社 - 本町
  • 香取神社(大柏) - 大柏
  • 香取神社(大山新田) - 大山新田
  • 香取神社(立沢) - 立沢
  • 香取神社(本町) - 本町
  • 香取神社(野木崎) - 野木崎
  • 熊野神社 - 同地
  • 権現神社 - 立沢
  • 駒形神社 - 乙子
  • 清瀧香取神社 - 板戸井
  • 山王神社 - 板戸井
  • 浅間神社 - 高野
  • 天満宮(大柏) - 大柏
  • 天満宮(高野) - 高野
  • 天満宮(赤法花) - 赤法花
  • 白山神社 - 百合ケ丘
  • 羽黒神社 - みずき野
  • 日枝神社 - 鈴塚
  • 保食神社 - 大木
  • 八坂神社 - 本町
  • 六十六所神社 - 大木
祭事・催事[編集]
  • アヤメ祭(6月)
  • 八坂神社例大祭(7月)
江戸時代、酒井氏によって創建された「守谷総地鎮八坂神社」の祭礼で、夜店が神社前の旧道に広がり山車が出るなど守谷で最も規模の大きな祭である。
  • 芸術祭(10月〜11月)- 守谷市文化協会・中央公民館共催
  • 美術展(10月〜11月)- 守谷市文化協会・中央公民館共催
  • 菊花展(10月〜11月)- 守谷市文化協会・中央公民館共催
  • 明治神宮祭(11月)
1916年(大正5年)に創建された明治神宮の祭礼。最も盛んだったのは昭和初期で、現在も祭礼が続いている。
  • 守谷ハーフマラソン(2月開催)
放送[編集]
テレビ放送[編集]
守谷市は民放キー局NHK東京EテレNHK水戸総合放送大学の放送対象地域である。また、放送対象地域外であるがほとんどの地域でチバテレ/TOKYO MXが視聴できる。
  • ケーブルテレビ
    • 常総ケーブルメディア(けやき台・久保ケ丘・御所ケ丘・松ケ丘・[一部を除く]・松前台・薬師台)
    • J:COM茨城(大柏・けやき台・久保ケ丘・御所ケ丘・立沢・ひがし野・本町・松ケ丘・松並・松前台・みずき野・美園・薬師台・百合ケ丘)
    • 東芝テクノネットワーク(みずき野、美園)
ラジオ放送[編集]
守谷市では在京AMFM局、神奈川県のラジオ日本FMヨコハマ、千葉県のbayfm、埼玉県のNACK5、山梨県のFM-FUJI、県内の茨城放送が聴取エリアである。
災害発生時[編集]
災害発生時には下記の場所が避難場所、避難所、救急告示病院となる。
避難場所[編集]
  • 立沢公園 - 久保ケ丘一丁目21番地
  • 大山公園 - 松前台一丁目19番地
  • 板戸井公園 - 薬師台四丁目3番地
  • 松ケ丘公園 - 松ケ丘四丁目4番地
  • けやき台公園 - けやき台四丁目4番地
  • さくらの杜公園 - みずき野四丁目14番地
  • 乙子公園 - 美園二丁目4番地
  • 梅作公園 - 美園三丁目13番地
避難所[編集]
  • 北園保育所 - 松並1577番地の1
  • 田園都市センター - 板戸井1599番地の1
  • 北守谷公民館 - 板戸井1977番地の2
その他、市内の全小・中・高等学校が避難所となる。
救急告示病院[編集]
  • 総合守谷第一病院 - 松前台一丁目17番地
  • 守谷慶友病院 - 立沢980番地の1
守谷市は災害時にいち早く救助、復旧を行うことを目的に、120kmほど離れた神奈川県南足柄市と「災害時相互応援に関する協定」を締結している。これにより、南足柄市と守谷市のどちらかが被災した場合、食料、生活必需品、応急復旧用資機材の提供、職員の派遣などを行うこととなっている。
姉妹都市・提携都市[編集]
199011友好都市提携
19938姉妹都市提携
このことから、市の公式サイトには英語版とドイツ語版が用意されている。また、1990年(平成2年)から青少年海外派遣事業を開始したり、両姉妹・提携都市の市民が守谷市内へ訪問するなど、姉妹・提携都市同士の国際交流が進められている。
また、国内では1998年(平成10年)にアーカスプロジェクトのアーティストである岩井成昭により、新旧ベッドタウンの諸問題を顕在化させることを目的とした守谷・小平姉妹都市計画が浮上したが[13][14]、セミナー、プロモーション等が両市で行われつつも、締結には至らなかった。
守谷を舞台にした作品[編集]
  • GOSHOGAOKA - アーカスプロジェクトにより、シャロン・ロックハートが監修した映画。フランクフルトバレエ団のスティーブン・ギャロウェイに振付けを依頼し、25名の御所ケ丘中学校女子バスケットボール部員が出演。世界各地のフィルムフェスティバルで上映され、国内では横浜美術館で上映された[26][27]
  • ママはバレリーナ - TBS系列で放送されていたテレビドラマ。水海道を主舞台としており、登場人物の三浦武彦が当市にある守谷駅から都内へ通勤する設定となっていた。
その他[編集]
市外局番[編集]
市内全域が0297である。0297は水海道MAと竜ケ崎MAに分かれているが、当市は全域が水海道MA(0297-2059)に属する。その為、同じ0297であっても龍ケ崎MA(0297-6099029-71[将来の拡張用]) には市外局番をつけないとかけることができない。市内局番は初期から使われていた48、ニュータウン開発後に使われ始めた45をはじめとして、現在は2021243437384144464751なども使用している。
電話帳[編集]
タウンページは「茨城県南部版」、ハローページは「常総・つくばみらい・守谷市版」に属する。
ナンバープレート[編集]
守谷市は、つくばナンバーを割り当てられている。隣接市はそれぞれ、つくばみらい市が守谷市と同じくつくばナンバー、取手市が土浦ナンバー、柏市が柏ナンバー、野田市が野田ナンバーと複数のナンバープレートの地域が隣接する。
住みよさランキング[編集]
守谷市は、東洋経済新報社の住みよさランキングで毎年上位に入っている[28]
  • 2004 - 総合11 住み良さ格付けAA
  • 2005 - 総合12 住み良さ格付けAA
  • 2006 - 総合11 住み良さ格付けAA
  • 2007 - 総合7
  • 2008 - 総合1
  • 2008 - 総合4
  • 2010 - 総合6
  • 2012 - 総合5
  • 2013 - 総合3[29]
  • 2014 - 総合5[30]
その他ランキング[編集]
東洋経済新報社が毎年算出する「都市成長力ランキング」で、2004(平成16年)総合1[31]、「全都市住みよさランキング」で、2008 総合1[32]、関西社会経済研究所発表の財政健全性で3位となった[33]
出身・在住著名人[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
1.   ^ a b c d e f g h i j k 守谷町合併し
3.   ^歩行喫煙はやめましょう”. 守谷市. 201691日閲覧。
4.   ^ 守谷市総合基本計画 後期計画(平成19年度〜23年度)
8.   ^ 広報もりや 昭和51210日発行(第135号)
9.   ^ 守谷現代史
10.               ^ a b 市町村合併史
11.               ^ 守谷21世紀の鼓動(守谷市役所発行)
12.               ^ 広報もりや 31号(昭和371225日発行)
13.               ^ a b守谷・小平 姉妹都市計画”. iwai shigeaki. 20091120日閲覧。
14.               ^ a b岩井 成昭/Shigeaki Iwai”. ARCUS. 20091120日閲覧。
15.               ^ 広報もりや200810月号
16.               ^ a b 生活ガイド.com
18.               ^ a b 郷土学習の資料 1967(北相馬郡守谷町教育研究会 社会化資料班 編)
19.               ^ a b 守谷情報・観光マップ(守谷市観光協会発行)
20.               ^西友、「西友守谷店」オープン、初の直営ドラッグ売場、個性派商品も充実”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003521)
21.               ^ a b c d 北下総地方史(崙書房)
22.               ^ 各駅停車 筑波線常総線 町内物語(常陽新聞社)
23.               ^公立高757%につり天井 小中学校の耐震化率全国43”. msn産経ニュース. 2010818日閲覧。
24.               ^ 厚生労働省 市区町村別平均寿命
25.               ^ 守谷市地域公共交通総合連携計画
26.               ^ アーカスプロジェクト
28.               ^住みよさランキング(東洋経済新報社)”. 守谷市役所. 2010622日閲覧。
29.               ^「住みよさランキング2013」トップ50”. 東洋経済オンライン. 2013622日閲覧。
30.               ^「住みよさランキング2014」トップ50”. 東洋経済オンライン. 2014618日閲覧。
31.               ^ 夢つなぐ街 守谷(守谷市勢要覧2008
33.               ^財政健全性首位は岐阜県飛騨市 全国775市の評価”. 47NEWS. 2009730日閲覧。
34.               ^水や空”. 長崎新聞. 20091217日閲覧。
35.               ^ 東京圏の田園文化都市へ
36.               ^新着情報”. 平潟港物語. 20091227日閲覧。








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