胡椒 暴虐の世界史  Marjorie Shaffer  2015.4.26.

2015.4.26.  胡椒 暴虐の世界史
Pepper  A History of the World’s Most Influential Spice 2013

著者 Marjorie Shaffer ブラウン大卒後、イリノイ大でM.A.(生物学)を取得。ロイター通信記者、MITナイト科学ジャーナリズム・フェローを経て、現在ニューヨーク大医学部専属サイエンスライター兼編集者。各誌に寄稿

訳者 栗原泉 翻訳家

発行日           2015.1.10. 第1刷発行                3.15. 第2刷発行
発行所           白水社

はじめに
黒胡椒はつる植物で熱帯にしか自生しない ⇒ その事実こそ、故障が世界史にこれほど大きな影響を与えた理由の1
何千年もの昔、胡椒は万能薬として知られ、香辛料として使われるのは後代になってから

第1章        コショウ属
原産地はインドの南西海岸沿いにある西ガーツ山脈の季節風林
胡椒を料理に不可欠なものとしたのは古代ローマ人。同時に万能薬としても珍重されたが、万能薬として使ったのは、ローマより遙か以前から、ギリシアや中国、東南アジアでは胡椒を混ぜた飲み物が様々な病気の治療薬として使われていた
特権階級のもので、1439年当時イングランドでは、胡椒1ポンドが2日分の賃金を上回っていた
15世紀のヨーロッパ人がインドへの航路を執拗に探し求めたのは胡椒を手に入れるため
植物学の世界では、胡椒はコショウ属Piperに分類される ⇒ リンネによって1753年に考案。黒胡椒と白胡椒があり、その違いは収穫後の漿果を干す時期による。漿果が青いうちに採れば黒胡椒で、赤くなってから採れば白胡椒
ヨーロッパ人が東洋とそこで採れるスパイスに夢中になった背景には、エデンの園への憧れがあった ⇒ 黒胡椒以前にも、アフリカ原産のメレグエタ唐辛子(別名「パラダイスの粒」)、西半球で採れたトウガラシ属のチリ・ペッパーなどの香辛料がある
東洋には食欲をそそるスパイスが種々限りなくあった。胡椒が見つかる熱帯アジアは、シナモン、クローブ、ジンジャー、カルダモン、ターメリック、ナツメグなど主要なスパイスの産地でもある ⇒ シナモンはスリランカ、ジンジャーとターメリックは東南アジア原産。ナツメグとメースは同じ木から採れるスパイスで、メースはナツメグの種子を包むレース状の赤い皮を乾燥させたもので、原産地はバンダ諸島。クローブはモルッカ諸島(現マルク諸島)が、胡椒とカルダモンはインドが、それぞれ原産地。スパイスは主に樹木や草木の皮(シナモン)や根(ジンジャーやターメリック)、果実(ナツメグ、カルダモン)や漿果(胡椒)を原材料とする。一方で香草は温帯地域の植物の茎や葉を利用することが多い

第2章        スパイスの王
408年 ゴート人がローマを侵略したときも、獲物はスパイス地区に建てられた専用倉庫にあった胡椒などの大量のスパイス。ゴート人もその価値をよく知っており、金銀、絹や毛皮に加えて大量の胡椒を受け取って引き揚げている
ローマ人はすでに1世紀にはインドの西岸沿いの港々で胡椒を取引していた ⇒ 当時のローマの金貨が今日でもインドで発見されている
5世紀にローマが蛮族の手に堕ちると、胡椒貿易も途絶え、復活するのは十字軍の後
中世の人々は鳥をよく食べた。空を飛ぶ鳥は神に近いと考える一方、野菜は土に育つのでそれだけ神から遠い卑しいものとされた
胡椒が肉の腐臭を隠すためというのは間違いで、裕福な人たちはいつでも新鮮な肉を手に入れることが出来た
中世ヨーロッパで胡椒貿易を支配していたのは「アドリア海の女王」ヴェネツィアで、東方貿易=胡椒の8割の支配権を握って栄える
胡椒が中世と近代の仲介者としての役目を果たしたが、17世紀になってオランダとイギリスの東インド会社によって膨大な量がヨーロッパに輸入されるようになると、この種の仲介者の役目は終焉し、単なる1商品となり、人々の味覚の変化につれて需要も減っていき、18世紀になると東方からの輸入品としては茶や珈琲が圧倒的に好まれるようになる
10世紀以降、ヨーロッパでは一定の間隔で度々飢饉に見舞われ悲惨な生活が繰り返されていたことも、新世界を求めて東洋を一種の楽園として思い描き、より穏やかな暮らしへの願望の象徴が胡椒だった
胡椒は現代の地球規模貿易の始まりに繋がる ⇒ 1447年 胡椒商人ギルドが結成した組合が国公認となり、スパイス交易を支配する
スパイスという語はそれ自体で価値を反映 ⇒ 特別な価値のあるものという意味のラテン語speciesを語源とする
スペインの無敵艦隊が敗れた後、銀を使い果たしたスペインのフィリペ2世は、借金の返済のために胡椒の蓄えに手をつけて埋め合わせた
1697年 イングランド王ウィリアム3世はニューヨークのトリニティ教区教会に認証状を与えたが、その際教区が王室に支払う年間賃料は胡椒1粒と定められた ⇒ 後々、土地の真の所有者を示す比喩となり、今日でもイギリスではこうした言い回しが使われる
胡椒貿易のため、海上交易路を初めて切り開いたのはポルトガル人 ⇒ インドで需要の高かった銅と交換で胡椒を入手、260%の利益を上げた
17世紀初頭にはオランダとイギリスが参入
中国が初めてインドから黒胡椒を持ち込んだのは2世紀で、主として医療目的だったが、北宋時代(9601127)に胡椒交易は拡大、明朝時代鄭和の大航海成功でさらに拡大

第3章        スパイスと魂
1498年初頭 ヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰発見。そのままインド南西部沿岸にあって胡椒貿易で栄えるカリカットに入り、大量の胡椒を持ち帰る
ガマは、今なおポルトガルの国民的英雄 ⇒ プレスター・ジョンというキリスト教徒の王が東洋に住むという伝説が300年も前からあって、マルコ・ポーロ始め冒険家たちが探そうとしたが、成功した者はいない。ガマもジョン王宛のマヌエル1世の書簡を携えて出発した。インドには45世紀に渡った宣教師たちによってキリスト教が流布していたのは事実
1494年 トルデシリャス条約 ⇒ スペインとポルトガルとの間で、未開と見做す地をどう分けるか取り決めたもので、南米のブラジルから東回りにフィリピンまでがポルトガル、南北米大陸がスペインのものとなるが、カトリック以外の国は当然無視
1510年 ポルトガルがインド西海岸のゴアを占領(解放したのは1961)、そこを拠点にさらに東方へ進出、翌11年には海上交易の要衝だったマラッカを占拠、壮大な要塞を築く

第4章        黄金の象
スマトラ島北端のスルタン国アチェの都バンダ・アチェは世界最大級の胡椒貿易港、イスラーム学問の中心であり、1617世紀初頭は繁栄の極み
17世紀初頭、オランダとイギリスが胡椒取引に参入すると、両国はスマトラで胡椒農園の開発を急速に進め、全島に胡椒栽培が広がる
1601年 オランダによる胡椒貿易の独占を恐れたイギリス東インド会社が女王の特許状を得て最初の船団をアチェに送り出す ⇒ 取引ルートを確立し、1609年には英国内市場の独占を国王から得て、オランダに対抗して大陸への再輸出事業に乗り出す
17世紀後半になると、オランダがアジア全域でスパイス貿易を独占しようと突き進む中、貿易と利益と支配をめぐる武力闘争が激化

第5章        イギリスの進出
インドの胡椒を独占するために各地を占拠していったオランダに対し、カリカット地域ではイギリスが着々と拠点を拡大
1671年 イギリスは、より生産量の多いインドネシア進出を企図、オランダの手の入っていなかったジャワ島の西端バンテンに最大の拠点を確保するが、スルタンの内紛に乗じてオランダがバンテンを制圧、イギリスの胡椒供給は危機に瀕する
1818年 スマトラ南西部の砦に元ジャワ総督のラッフルズが来て、さらなる努力を重ねるも、赤字続きが祟って事務所は閉鎖
1824年 オランダとイギリスの間に、南アジアでの植民政策に関する協定締結 ⇒ 両国の東インド会社に代わって政府が表に出、胡椒貿易を進めるにあたってのそれぞれの領域を定めた。スマトラ他のインドネシア群島はオランダが、マラッカはイギリスが支配、シンガポールはイギリス支配の自由貿易港に
オランダは、アチェの制圧に30年を要するが、その後も激しい抵抗が続き、第2次大戦で日本がこの島を制圧すると、これを歓迎した

第6章        オランダの脅威
オランダ東インド会社の設立は1602年、以後200年に亘って東洋の胡椒をヨーロッパに大量にもたらす
胡椒貿易で先行したのは、組織に優れ資金にも恵まれたオランダで、1605年にはポルトガルやスペインを東南アジアから追い出し、次いでやって来たイギリスをも撃退して独占を図る ⇒ 胡椒の産地と各港を力で制圧し砦を築く。バタヴィア(現ジャカルタ)を最大の港に仕立てる
オランダの同業者の中で最大の成功を誇ったのがオランダ東インド会社で、ヨーロッパへの輸出のみならず、「カントリー・トレード」と呼ばれたアジア域内の貿易にも広範囲に加わった例は他にない
オランダの国力の源泉は、世界の海に精通していたこと ⇒ 精緻な地図を持つ
カントリー・トレードにおいて胡椒貿易の対価に使われたのはインドの多種多様な綿織物で、まずはそれを抑えることが成功の鍵。日本から手に入れた銀も仲介物件としてそれぞれの地域で需要のある物との交換に活用された
インドの織物の需要が後退すると、代わって登場したのがインド産のアヘン
イギリスがオランダにとって代わるのは18世紀後半 ⇒ 胡椒に代わって茶とコーヒーがアジアからヨーロッパへの主要輸出品となる
オランダ東インド会社衰退の原因は、会社自らの内部力学 ⇒ 社員の処遇が劣悪で、個人のもぐりのサイドビジネスが横行、密輸、横流し等詐欺的取引が常態化、1780年代の第4次英蘭戦争の損害がとどめを刺す。1799年倒産
イギリス東インド会社も、社員の処遇は劣悪だったが、アジアで合法的に取引できる域内交易人(カントリー・トレーダー)になる道が開かれていたことが、両者の違いを分ける決め手となった ⇒ 1833年に貿易から手をひき、1874年解散

第7章        アメリカの胡椒王
19世紀初め、スマトラ島の北西部に新たな胡椒農園を開拓したのが新興勢力のアメリカ
ニューイングランドのセーラム港から胡椒貿易に乗り出し、アメリカで初めてガードナーやピーボディといった大富豪を生み出す ⇒ アメリカ国内の需要を満たすよりヨーロッパ貿易で巨利を博す
現地住民や海賊に襲われたのを契機に、アメリカ政府が武力介入に乗り出す ⇒ 1831年ケープタウン経由で軍艦を派遣、スマトラ北西部海岸に上陸、現地を制圧したが、議会の承認なしの宣戦布告や、戦闘中の蛮行など、180年後の現在でも論争の種となっている
セーラムが胡椒貿易で栄えたのは1846年まで。以降はボストンにとって代われれるとともに、胡椒は1867年を最後としてコーヒーなどが主流に
1873年 オランダ植民地政府がアチェ王国に宣戦布告、北西部沿岸の胡椒農園は荒廃し、81年に最後の胡椒港が屈したときには、何年も放置されたこのつる植物は二度と実をつけなかった

第8章        無敵のアザラシ
大航海時代、探検家にとって最も深刻な問題は真水と食料調達 ⇒ 途上の島々であらゆる動物が彼等の餌食になったが、特に役立ったのがゾウガメ、ペンギン、アザラシ
中には乱獲が祟って、現在では絶滅しているものも多い

第9章        胡椒の薬効
400年前、胡椒は肺(の炎症)を抑え、熱を下げ、痛みを和らげ、腫瘍を小さくする特性を持つと言われた ⇒ 今日改めて、消炎、抗菌の効能に対する注目が集まっている
中国の民間療法は、昔から胡椒を癲癇の治療に用いてきた
最も注目を浴びているのは、薬剤の一種の効能促進剤としての働き ⇒ 1980年代半ばには、黒胡椒に多く含まれるピペリンが、肝臓や腸内での薬効を妨げる代謝酵素のような物質が生成されるのを抑える働きをすることがインドのチームによって発見された
古くからアーユルヴェーダ医学で活用されてきた特性を持っていることが明らかになってきた ⇒ イギリスは、アーユルヴェーダという治療法をインドから一掃しようとしたが、アーユルヴェーダで用いられる植物166(シナモン、ナツメグ、タンポポ、ビャクダン等)に関する研究をみれば、西欧で臨床試験が行われる場合に求められる「至適基準」に照らせば厳密さに欠けることが多いものの、どの種の植物が臨床試験に適しているかのヒントを与えてくれることは間違いない
各種スパイスの中で、西欧の科学者が最も注目するのはターメリック(インドではハルディ、中国では姜黄) ⇒ アルツハイマーやガン等の治療への活用の可能性

エピローグ
胡椒は熱帯の植物で、ある特定の土壌や気候を好み、移植が難しいとされる
ブラジルに導入したのは戦前の日本人
産出国の首位はヴェトナム ⇒ 全世界のシェア30%、次いでインド、ブラジル、中国、インドネシア、マレーシアなど
西洋をアジアへと引き寄せたスパイスは、現代という地球規模貿易の時代とそれに伴うすべての悲惨さを生み出した


胡椒 暴虐の世界史 マージョリー・シェファー著 植民地支配もたらした世界商品 
日本経済新聞朝刊2015年2月22日付
 一七世紀末、イギリス王ウィリアム三世は、マンハッタンの一角を「胡椒(こしょう)一粒の地代」でトリニティ教会に売り渡した。このような表現が用いられるほど、胡椒は古代ローマ時代以来、ヨーロッパ人にとってなじみの嗜好品のひとつであった。
(栗原泉訳、白水社・2400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(栗原泉訳、白水社・2400円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 ヴァスコ・ダ・ガマを先頭にヨーロッパ人がアジアに直接航海する、いわゆる大航海時代になると、ヨーロッパ諸国は、競ってこの貴重品を求めた。中国人も、もっと早くから、鄭和の宝船隊などを派遣して、インドや東南アジア各地で胡椒を渉猟した。
 しかし、胡椒が歴史を動かす重要な原動力のひとつとなったのは、ほかでもないヨーロッパ人のあいだにおいてであった。というのは、胡椒を含む香辛料こそは、ヨーロッパ人が、それを求めて相争い、アジアを植民地化して帝国主義的な支配を及ぼす最大のきっかけとなったからである。それは、どこでも売れる世界商品として、カリブ海やヴァージニアの砂糖や煙草にも似た世界史的意味をもっていたのである。
 ヨーロッパとアジアの関係を規定するきっかけとなったこの動きは、ポルトガルによって開始されたが、結局、その成果を摘み取ったのはオランダとイギリスの東インド会社であった。
 オランダは、一七世紀初頭にアンボイナでの戦闘によって、インドネシアの支配権を確立し、クーン総督のもと、本格的な植民地経営にのりだした。敗れたイギリスはやむなくインドに拠点をおくことになる。イギリスが東南アジアに本格的に進出するのは、一九世紀のラッフルズの時代をまたなければならなかった。この頃には、新生国家アメリカも登場する。
 二〇世紀ともなると、さすがの胡椒も、人びとの生活のなかで近世ほどの意味はもたなくなった。とはいえ、いまもそれが重要な嗜好品であることに変わりはないし、かつて肺炎の特効薬ともされていただけに、健康食品としての薬効も再び注目されている。
 本書は、近世以後、現代にいたるまでの世界史に胡椒が果たした役割を、さまざまなエピソードを交えつつ、主にヨーロッパ側から通観していて、モノを通してみる歴史のひとつとして、楽しい読み物となっている。説明がいささか平凡に感じられるところもあるが、それだけスタンダードな知識も得られる。
 とくに、オランダ東インド会社によるインドネシア経営の実態がかなり詳しく描かれていて読み応えがある。
(仏教大学特任教授 川北 稔)


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胡椒の歴史は血で染まっている『胡椒 暴虐の世界史』
 世界史をコショウで斬ったら血みどろだった。
 歴史を学ぶほどイギリス嫌いになるが、本書はそいつを加速させる。さらにはオランダやスペイン、米国の悪行が暴かれる。割り引かれて記録されたのでこうなのだから、ホントはいかに非道だったか、推して知るべし。正当化された強奪システムの仕掛けが、胡椒という断面から鮮やかに見て取れる。
 食卓に欠かせない胡椒は、かつて非常に貴重な品で、薬として珍重されたり、同量の黄金と取引されたというのは本当だ。だが、腐りかけた臭いを隠すため、あるいは防腐剤としての胡椒は嘘らしい。そもそも高価な胡椒を使えるくらいの金持ちであれば、いつでも新鮮な肉を手に入れることができたはず。胡椒は、金持ちのステータスシンボルだったというのだ。
 そして、熱帯以外ではどうしても育たなかったという事実こそが、胡椒をより貴重なものとあらしめ、ひいては植民地主義と帝国主義という邪悪な歴史を生んだという指摘は鋭い。仮に胡椒が存在しなかったとしても、ヨーロッパの連中は、別の甘い汁を啜るため、暴虐と搾取を繰返しただろう。だが、胡椒というキーワードで観ると、暴力的な人種主義者や、自己正当化にまみれた不正の経緯が焦点となる。確かに、一航海で純利700%を叩き出すようなビジネスなら、国営の軍事略奪ダミー会社を作ってでもやろうとするだろう。
 昔話をしているのに、現代のデジャヴとなっているのが面白い。わずかな給料でこき使う東インド会社は、ブラック企業そのものだし、商売ルートの支配権を争っていたのが、どこかで宗教戦争とすり替わる構図は、キーワードを石油に置き換えればそのまま今に通用する。搾取を互恵にすり替えて、豊かになったのは我々のおかげだから感謝せよという英国式父権主義には反吐が出るが、そうでもしないと補償問題で首が回らなくなるだろう。
 オランダ支配から逃れるための抵抗運動が1890年代にアチェであったが、抵抗側が不
利になるにつれ、支配者が死後の栄光を歌い上げるようになったという。そして、今日のイスラーム過激派は、自爆テロの実行者を募るときと同じような言葉を使っていると指摘する。歴史は繰り返すというより、コピーしているね。
 笑ったのは、米国史上初の軍事介入の件。今じゃ民主主義と石油が建前と口実だが、アメリカ合衆国が最初に軍事介入したのは胡椒船の略奪への報復がきっかけだったそうな。フリゲート艦に大量の兵器を積み込んで、一方的に破壊と殺戮を行った点のみならず、後になって議会の承認なしで戦争を始めたとして騒ぎになる点なんて、これっぽっちも変わっていない。
 結局、この殺戮に携わった者が裁かれることもなくウヤムヤになるところもそっくり。著者はヴェトナム戦争との類似点を指摘するが、わたしはそこに未来を見る。ドローンでの殺戮行為が後になって問題となり(ウヤムヤとなる)未来がここに書いてある。
 ヴォルテールが喝破したとおり、胡椒の歴史は血で真っ赤に染まっている。だが、それは人の血ばかりではない。胡椒航路に沿って大量の野生動物が理不尽に殺戮された様子が描かれているが、信じがたい・信じたくない気持ちになる(ドードーは象徴にすぎず、殺され捨てられたゾウガメの甲羅でできた島や、三万頭のアザラシに大砲を撃ち込む話は壮絶なり)。さらに環境破壊が凄まじい。美しく清潔なバダヴィア市をマラリア蚊の繁殖地にし、最終的には地獄にした経緯は、何度も掘り起こし、忘れないようにしないと。
 胡椒の歴史は、そんな血に染まっている。


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