史上最大の決断――「ノルマンディー上陸作戦」を成功に導いた賢慮のリーダーシップ  野中郁次郎/荻野進介  2014.10.8.

2014.10.8.  史上最大の決断――「ノルマンディー上陸作戦」を成功に導いた賢慮のリーダーシップ The Essence of Great Judgements

著者 
野中郁次郎 1935年東京生まれ。一橋大名誉教授、早大特命教授。58年早大政経学部卒。富士電機勤務を経て、UC Berkeley経営大学院博士課程修了(Ph.D)。南山大、防衛大、一橋大、北陸先端科学技術大学院大学、一橋大大学院国際企業戦略研究科で教鞭。紫綬褒章・瑞宝中受賞受章。知識創造理論の提唱者であり、ナレッジ・マネジメントの世界的権威として、米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」でアジアから唯一選出。2013年には最も影響力のある経営思想家50人を選ぶThinkers 50Lifetime Achievement Award(生涯業績賞、功労賞)受賞。近年は企業経営に留まらず、地域コミュニティから国家にいたるリーダーシップや経営のあり方にも研究の場を広げる
荻野進介 1966年埼玉生まれ。文筆家。89年一橋大法卒。PR会社、リクルートワークス研究所を経て、04年独立。人事・雇用・経営分野で活動

発行日           2014.5.29. 第1刷発行
発行所           ダイヤモンド社

判断(ジャッジメント)は選択肢自体を考える際に必要な知恵であり叡智なのである
フロネシスは人間が持つ究極の知であり、コンピュータには決して代替できない。フロネシスを備えた実践知リーダーになるにはどのような能力が必要なのか。言葉を変えれば、よき判断力、よき決断力はどのような能力によって構成されているのだろうか

徒弟制で培われたその高い性格スキルと幅広い教養が、置かれた場所で精一杯努力する無限追求の職人道と相俟って、凡人を非凡人に変えた。士官学校時代はフットボールとポーカーに明け暮れ、入隊後も戦場とは長らく無縁で大佐で退役し、後は悠々自適の人生を送りたい、と思っていた平凡な男に、我こそは人類共通の敵を倒す十字軍の頭領たらん、という共通善を志向する志を与えたのである

序章 史上最大の作戦と実践知リーダー
人類の歴史上、無数の人々の協働によって成し遂げられた巨大プロジェクトの1つが、ノルマンディー上陸作戦 ⇒ 計画から実行まで22か月、延べ3百万名の将兵が従事
限られた情報の中でも、最善の決断を下せる人物 ⇒ アリストテレスが提唱する「フロネシス」(「賢慮」、「実践的知恵」、「実践理性」、「実践知」)、社会が奉じる「共通善」の実現に向かって、物事の複雑な関係性に目を配りながら、適時かつ絶妙な「判断」を行う力を持つ人
フロネシスを備えたリーダーの典型は、古代ギリシャの将軍でアテナイの最盛期を築いたペリクレス
決断力に必要な能力
1.    「善い」目的を作る能力
2.    ありのままの現実を直観する能力
3.    場をタイムリーに作る能力
4.    直観の本質を物語る能力
5.    物語を実現する能力(政治力)
6.    実践知を組織する能力
実践知リーダーの典型がチャーチルであり、アイゼンハワー

敗戦の教訓
第1章        ヒトラーの挑戦とチャーチルの英断――「電撃戦」で始まった第2次世界大戦
「まやかし戦争」の背景
1.    ヒトラーが、特にイギリスとの和解を望んでいた
2.    ドイツ陸軍の反対と天候不順
3.    メレヘン事件で、ドイツの作戦計画の全貌を携行していた連絡将校が、ベルギーに不時着、計画がベルギー政府に接収された
40.5.10. ヒトラーの電撃的な西部攻撃開始 ⇒ 同日チャーチル首相就任、国防相を兼任した戦時内閣を組織し国民にナチスへの徹底抗戦呼びかけ
幕僚長会議を仕切ったのが陸軍参謀総長のアラン・ブルック
ダンケルクにおける「史上最大の撤退戦」 ⇒ 作戦指揮官はドーバー港司令官で後のノルマンディー上陸作戦における海軍総司令官のラムゼー中将。9日間で英仏軍合算338千の将兵をドーバーに撤退させる。イギリス国民に「ダンケルクの精神」と呼ばれる不撓不屈の精神を植え付ける
ダンケルク成功の要因
1.    海岸線が砂浜で、砂が衝撃を吸収したので空爆の威力が半減
2.    好天に恵まれ、いつもは荒れるドーバー海峡が9日間にわたって静か。曇りや雨が多く視界不良
3.    イギリス空軍の奮戦により、多くのドイツ爆撃機を撃墜
4.    海軍軍人やその他勇気あるジョン・ブルたちの獅子奮迅の働き
5.    殲滅寸前でヒトラーが下した進撃停止命令。その真意は未だ謎

第2章        「フランス敗れたり」の衝撃とチャーチルの東奔西走――バトル・オブ・ブリテンから連合国の成立まで
40.6.5. ドイツ軍による「赤色作戦(ケース・レッド)」発動 ⇒ 9日後にはパリ入城
40.7.10.10.31. バトル・オブ・ブリテン ⇒ ドイツ空軍によるイギリス爆撃
チャーチルは、全精力を注いでルーズベルトを引きずり込もうとした ⇒ アメリカ政府の回答は、旧式の駆逐艦50隻の引き渡しと交換に、西インド諸島とバミューダ諸島にあるイギリス軍基地の譲渡であり、99年の租借として実現
米大統領3選が決まり、ルーズベルトは「兵器廠宣言」と言われる炉辺談話での国民への呼びかけを通じてイギリス支援の姿勢を明確にする
41年米大統領の年頭教書で武器貸与法案を公表、併せて「言論の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由」を基本的自由として言及、アメリカの戦争目的とする
41.8. 大西洋憲章により、英米両国の国策に関する共通原則を公表、戦後の国際関係の基本原則となる ⇒ 領土不拡大・不変更、統治形態選択の自由(民族自決)、通商と天然資源獲得の機会均等、軍縮と恒久的な国際安全保障体制の確立等8項目
41.12. 真珠湾攻撃により、42.1.26ヵ国による連合国共同宣言発布(のちに国連憲章として知られる)、単独講和をしないことを約束

リーダーの選定
第3章        偉大なる平凡人アイゼンハワーの成長――連合軍3度の上陸作戦
東でドイツと戦うスターリンの要請によって、第2戦線をどこに開くか、検討の中心となったのはアメリカ陸軍参謀本部内に設置された作戦部で、初代部長がアイゼンハワー少将(51)。当初案は地中海から北アフリカへ侵攻するものだったが、より直接的にドイツを叩くべく英仏海峡を横断してフランス北部に侵攻する作戦に決定
アイゼンハワーは、ドイツから宗教的迫害を逃れてアメリカに渡った両親のもと、男ばかり7人兄弟の3番目としてテキサスに生まれる。父親は事業に失敗、貧乏家庭に育ち、苦学して陸軍士官学校をトップで合格、フットボールの花形選手として活躍、歩兵少尉として任官、第1次大戦の従軍は叶わず、戦車学校で先輩のパットンと出会い親交を深める
凡庸な経歴のアイゼンハワーが認められたのは2人の上官との出会い ⇒ 1人目は30歳の少佐時代パナマ運河地帯で仕えたフォックス・コナー少将で、第1次大戦の作戦幕僚として活躍した少将から作戦研究を徹底的に仕込まれたお蔭で指揮参謀大学校を首席で卒業、議会によって創設されたアメリカ戦闘記念施設委員会の仕事で第1次大戦の欧州戦跡を詳しく見て回ったことが後日上陸作戦立案上非常に役立つ。32年陸軍参謀総長マッカーサーとの出会いが2人目で、彼の活躍を見てそのスタッフに迎え入れられた
2次大戦勃発当時は中佐、サンアントニオの第3軍の参謀長に抜擢、42年陸軍参謀総長マーシャルのもとで初代作戦部長に就任、少将に昇進
42.5.アメリカ陸軍欧州戦域司令官就任。早々に北フランス侵攻作戦の具体化に取り組むが、イギリス軍の装備の大幅な遅れから先延ばしとなり、代わって浮上したのがチャーチルが主張したトーチ作戦と呼ばれる北アフリカ侵攻計画で、チャーチルはアメリカ側の譲歩に敬意を表して総司令官にはアメリカ人が就くよう要請、マーシャルが抜擢したのがアイゼンハワー
3度の上陸作戦の成功 ⇒ 最初が北アフリカ、次いでシチリア島、最後がノルマンディー
42.11. トーチ作戦発動、ジブラルタル経由カサブランカに上陸
43.7. ハスキー(エスキモー)作戦発動、シチリア経由イタリア上陸。アイゼンハワーが総司令官。作戦の成功がムッソリーニの独裁政治を終わらせる

第4章        宰相たちの戦略とリーダーシップ――欧州本土上陸「オーバーロード(大君主)作戦」
42.8. ジュビリー作戦 ⇒ ダンケルクの南西150㎞にあるノルマン・コンクエストの出発地ディエップにマウントバッテン伯爵率いる英加軍が上陸、ドイツ軍を急襲したが、事前に情報が漏れたこともあって大失敗に終わったが、ノルマンディー作戦の詳細を詰める上で大いに役立つ教訓となる
43.11. 米英ソによるテヘラン会談で、スターリンがオーバーロード作戦優先を主張、併せてドイツ敗戦後の対日参戦を約束したため、アジア地域でのビルマの戦略的重要性が減殺。オーバーロード作戦の実行日を44.5.1.とするとともに、ルーズベルトはワシントンから動かせないマーシャルに代わってアイゼンハワーを総司令官とした
44.1. 連合国派遣軍最高司令部SHAEF(シーフ)創設
巨大な人工港「マルベリー」の建設 ⇒ 鋼鉄とコンクリートで作られた巨大な潜函を組み合わせて砂浜から沖合に向けた荷揚げ用の人工埠頭を築くとともに、沖合には砂浜に並行して70隻余りの老朽艦船を数珠繋ぎにして沈め、防波堤とした
アイゼンハワーの流儀 ⇒ イギリス人とうまくやれ、無理なら帰れ、でもアメリカ魂を忘れるな

戦いの現場
第5章        現場指揮官の決断と覚悟――Dデイ 194466
オーバーロード作戦の概要 ⇒ ノルマンディー海岸100㎞に亘る5カ所に英米加3か国に自由フランス軍とポーランド亡命政府軍も加わった5個師団で奇襲をかける
Dデイは、仮に64日と決められるが、当日は早朝から海上が荒れ、2日間延期
最も激しい戦闘が繰り広げられたのはアメリカ第5軍団が上陸したオマハ海岸

第6章        「戦後」を見据えたリーダーたちの思惑――パリ解放、そして最後の戦いへ
Dデイ当日に上陸した兵力は13万超、9千名が犠牲に
アイゼンハワーは、こまめに前線を廻り、兵士たちの本当の気持ちを掴もうとした
「人の気持ちがよくわかる」指揮官だった
上陸2か月後のノルマンディーの後背地であるファレーズ包囲戦をもってオーバーロード作戦は終了。ドイツ軍を追って東征することが優先で、パリの早期解放までは含まれておらず、実行するとしても危険な市街戦によるパリ破壊を回避するため、上陸後3か月以降となっていたが、パリ一番乗りを死活的に重要事項として迫るドゴールと、パリ市街でのレジスタンスとドイツ軍との間の銃撃戦勃発、さらにはドイツ軍によるパリ破壊工作の進捗を聞かされたアイゼンハワーがパリ解放を決断
上陸後96日目にしてドイツ領に初めて連合軍が侵攻したが、兵站が追い付かず、進撃速度を緩めたことがドイツ軍に戦線立て直しの時間的余裕を与え、戦争終結を遅らせた
首都ベルリンを前にアイゼンハワーは、兵力の分散を避けて「ベルリン占領はソ連に譲る」という決断をする ⇒ ソ連軍の方が圧倒的に近かったことと、各地に分散するドイツ軍兵力制圧を優先したことによる

決断の本質
第7章        ノルマンディー上陸作戦の戦略論――複雑系戦史の視点
歴史的出来事の意味は、歴史家がどういう未来を作りたいのかのビジョンによって決まる
ノルマンディー作戦が1年前に行われていたとしたら ⇒ 米軍の戦力も十分整っていたし、ドイツもソ連の反攻に会って2正面に敵を迎えることになり、1年前倒しでの勝利が可能だったが、ワニの腹と言われたバルカンからの侵攻優先に拘ったチャーチルの判断ミス
ヒトラーが、ソ連への正面攻撃に代わって北アフリカに侵攻していたら ⇒ 英軍のエジプト・スエズの防備は手薄であり、簡単に地中海を制圧し、東及び南ヨーロッパを支配できたはず
日本が、アメリカではなくソ連を攻撃していたら ⇒ 日独によるソ連挟撃が成功していた可能性は高い
連合軍の勝利を決定付けた分岐点
1.    イギリスの間接戦略に対し、アメリカが取ったのは直接戦略、それをスターリンが協力に支持
2.    上陸地点の決定
3.    Dデイ、Hアワーの決定 ⇒ 陸軍の夜間上陸案に対し、海軍の昼間上陸案が優先
4.    事前破壊活動、欺瞞計画の駆使
5.    上陸前の爆撃目標の決定 ⇒ ドイツ本土爆撃より、ドイツ軍の増援ルート遮断のための仏国内の輸送機関破壊を優先
最も高い功績を上げたのはパットン ⇒ 彼の指揮する第3軍が、後背地カーンの陥落にしても、ファレーズ包囲網の口を閉める際にも、決定的な役割を担う
アイゼンハワーの最大の功績は、消耗戦と機動戦を合体させ、陸海空に亘る史上最大の多国籍作戦を実行し、連合軍の勝利を決定付けたこと
アイゼンハワーの作戦成功の影には、5歳年長で抜きんでた軍才を備えたフォート・ミードの歩兵戦車学校以来の同志、パットンの力が不可欠

第8章        アイゼンハワーのリーダーシップ――フロネシスの視点
アイゼンハワーが示した「実践知リーダーシップ」の6命題
1.    「善い」目的を作る能力 ⇒ 歴史的構想力に裏打ちされた「人類に幸福実現のための戦い」であり、自身のメッセージにも「大いなる聖戦」と表現
2.    ありのままの現実を直観する能力 ⇒ 観念論を排し、リアリズムと直接経験を重視する実践派の軍人。現実直視の力
3.    場をタイムリーに作る能力 ⇒ 人の話をよく聞き、底抜けの笑顔でチームをうまくまとめた。人事への徹底的な拘り
4.    直観の本質を物語る能力 ⇒ ノルマンディー作戦の原型となったのは、陸空兵力を一体として地上作戦に集中するという、当時としては空前絶後の斬新な戦略発想
5.    物語を実現する能力(政治力) ⇒ 「人たらし」は、構想した物語を実現するための大きな推進力となった。人々に影響を及ぼすプロセス
6.    実践知を組織する能力 ⇒ 各組織にいる優れた人材をうまく使う
大統領に就任した後も実践知リーダーの持つ6つの能力を発揮、第3次大戦を未然に防いだ男として評価されている
最も普通ではない状況に置かれた最も普通の人
カリスマ性のない軍人、優れた指揮官でも知将でもない、脇の甘いところもあるごく普通の人間だったが、以下のプロセスを通じて非凡化し、「普通の人」という概念を超えた複雑な人間に成長
1.    職人道を真摯に追及し、実践した
2.    複数の優れたメンターに恵まれた ⇒ コナー、マッカーサー、マーシャル
3.    類稀な文脈力を身につけた ⇒ 歴史的構想力と文脈力のミックス。冷戦の最中、訪米したフルシチョフを自らの息子一家に会わせ、家族愛で緊張を緩和させた話は有名
4.    アメリカ陸軍という伸び盛りの組織に属していた
このプロセスを推進する最も大きな鍵は、徒弟制




史上最大の決断 野中郁次郎・荻野進介著 「賢慮」あるリーダーの教訓 
日本経済新聞夕刊2014年7月2日付
フォームの終わり
(ダイヤモンド社・2200円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
(ダイヤモンド社・2200円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 「戦争」という壮大なプロジェクトを遂行する上での、人々の意思や、偶然を含めた関係性の織りなす、多面的な起承転結をもつ物語は、汲(く)めども尽きぬ教訓を読者にもたらす。例えば、戦争にとって気象予報がどれほど大切なものか、といったことを含めてである。
 大冊としての本書を貫くテーマは、「(民主主義という)共通善」とその実現に向かって必要とされる「実践知」だが、それは「賢慮」によって支えられる。
 ビジネスの場でも同様だが、状況は常に動いている。「大局を押さえつつ、現実の只中(ただなか)で適時適切な判断」ができるかどうかがリーダーには求められる。
 リーダーに問われることの一つは、現実から将来を洞察する「歴史から学ぶ」知恵である。そして「賢慮」は、学ぶ姿勢と出会いによって形成される。
 「置かれた場所で腐らず、驕(おご)らず、日々努力して高みを目指す人がいる。それを見て頼もしく思い、新たな知識を授けてくれたり、引き上げてくれたりする上司がいる」と、本書にあるが、奇跡のリーダー、アイゼンハワーはそのように育った。
★★★★★
(福山大学教授 中沢孝夫)


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