絶対音感神話 科学で解き明かすほんとうの姿  宮崎謙一  2014.8.22.

2014.8.22. 絶対音感神話 科学で解き明かすほんとうの姿

著者  宮崎謙一 1950年、新潟県生まれ。79年、東北大学大学院文学研究科博士課程(心理学専攻)で単位を取得後、山形女子短期大学幼児教育科講師、新潟大学教養部講師、同助教授、新潟大学人文学部助教授を経て、新潟大学人文学部教授。専門は認知心理学、聴覚心理学、音楽心理学。主な研究テーマは、音楽の知覚と認知、特に絶対音感。絶対音感がどのようにして成立するのか、絶対音感の音楽的意味と問題点を明らかにする実験研究を行っている

発行日           2014.7.10. 第1 1
発行所           化学同人社(DOJIN選書)

優れた音楽家に不可欠な能力と思われがちな絶対音感。しかし、科学的な実験が示す事実は、そんな一般的なイメージに反するものだった。絶対音感研究の第一人者が、巷に溢れる神話の本当の姿を。データに基づきながら解き明かす

はじめに
「題名のない音楽会」で4,5歳の女の子が、ウェーベルンの音列技法の音楽のような、とてつもなく難しいメロディを聴いただけで、何の苦もなくすらすらと楽譜に書いて見せ、聴衆を驚かせたばかりか、司会の黛も、この子の能力が音楽、とりわけ現代音楽をやるうえで威力を発揮するようなことを言って、絶対音感がすばらしい能力であることを語っていた
1998年、最相葉月の『絶対音感』がベストセラーになって、ポピュラーとなるが、以降真偽取り混ぜた多くの発言が広く流布、絶対音感をめぐる世間の混乱に対して、絶対音感の研究者として正しい情報を広く伝える義務がある
心理科学では、信頼できる根拠に基づいた議論と、根拠のない怪しい議論とをはっきり区別することが大切
この本の目的は、絶対音感についての真実を分かってもらうこと ⇒ この本で最も述べたいことは、絶対音感があまり音楽的とは言えない能力だということである。それどころか、それは下手をすると音楽にとって好ましくないように働くことさえあるというのが私の考えだ


第1章        絶対音感とは何か絶対音感の概念をめぐる神話
英語ではabsolute pitch 絶対的な音高感という意で、アカデミックな世界で使われる
一般的にはperfect pitch
英語は、本来は他と比較することなしにという操作的な意味を表しているだけで、「特別に素晴らしい」とか「完全な」という価値的な意味はない
「音感」という言葉も意味不明。漠然と音楽に対する感受性の程度を指すものとして通常使われるが、明確な基準がない
絶対音感は、音楽における音の高さ(ピッチ)を知覚する能力であり、「絶対音高」という方が学術用語としては適切
オクターブにある12のピッチを、他と比較することなしに、音高名を即座に答えることができる能力(受動的絶対音感)。指定された音高のピッチを発生(演奏)する能力を能動的絶対音感という。オクターブを超える範囲は含まない(オクターブ・エラー)が、実際のテストでは5オクターブの範囲で、近い音が出ないよう調整しながらランダムに音を出す
真性と仮性 ⇒ 1つのピッチだけを記憶して、それとの比較で他の音高を答えるのは「仮性」であり、反応の速さや正確性で凡その区別ができる
絶対音感の下限 ⇒ 正答率が5060%以下の場合は絶対音感ありと見做さない
絶対音感を持つ人は「耳がよい」という神話 ⇒ 検出能力と弁別(識別)能力があるが、聞こえたり、音の違いが分かるのと絶対音感とは無関係
音楽を聴く時には、聞こえてきた相対音高(音程)によって曲を認知するが、その時絶対音高の情報は時間とともに記憶から消える
音楽は絶対音高で作られているわけではないので、11つの音の絶対音高が分かることが音楽的に意味があると言えるのかを、以降の章で検討する

第2章        音楽的ピッチ音楽を構成する基本要素
空気の振動で鳴り響く音と、聞こえる音の区別をする ⇒ 前者は測定可能だが、後者は音を聴く人の耳から脳に至るまでの聴覚系で分析・処理されることによって作り出される主観的経験であり、音を聴く人が感じる感覚的性質なので、心理学的研究によって解明
中央Aの周波数を440Hzとすると、半音の違いは約6(弁別閾=違いを認めることができる周波数差の最小値は0.3)
コンピュータが音楽を扱う時は、MIDIノート番号という規格で決められた絶対音高を表す記号の連なりで表現 ⇒ C460として12音階にそれぞれの連番を当て、コンピュータからその番号(コード)MIDI楽器に送るとそれに対応したピッチの音が出て音楽が奏でられる仕組み
コンピュータのように音楽を絶対音高で表すやり方は、音楽が人間に知覚されて初めて音楽として経験されるという事実を見逃している。人間が知覚する音楽は絶対音高の集まりではなく、ここの絶対音高の間の音も知覚されているので、絶対音高を捉える能力である絶対音感は、それだけではあまり音楽的とは言えない能力である
相対音感 ⇒ 人間はピッチを絶対音高として捉えることは出来ないが、ピッチ関係を知覚するやり方を発達させてきた。そうして捉えられるピッチが相対音高=ピッチの関係であり、それを捉えられる能力が相対音感
絶対音感は、音楽をどの周波数レベルで演奏するかを決めているだけで、それが決まれば音楽は全て相対音高によって形作られる
音楽を聴く(する)うえで、絶対音感はなくてもよい(ときにはない方が良い)が、相対音感は無くてはならないもの
調性とは、特定のピッチを中心にして音楽で用いられるピッチが組織される在り方を言う
音階は、どのピッチにでもスライドさせることが出来る相対音高の枠組みで、半音階を構成する1オクターブあたり12のピッチから、7つの音が選ばれて様々な調の音階が作られ、音階の始まりの音(主音)の違いによって区別される
主音の絶対音高が何かはわからなくても構わない。重要なのは、主音を中心にして音階の各音が様々な関係にあることがわかることで、その基礎となるのが相対音感
同じメロディを別の調整で歌う時、移動ドで歌うことが自然に感じられて、固定ドで歌うことが不自然に感じられるならば、調整を意識してこのメロディを音楽的に捉えていることになるが、逆の場合は絶対音感があって、このメロディを絶対音高の連なりとして聴いているので、音楽的に捉えられていない可能性がある
絶対音感があると、聴いている曲が何調かがわかるという理由から、転調する曲を聴いたり演奏したりするのに絶対音感が役に立つという話を聞くが、話はむしろ逆で、相対音高の側面の方が音楽では重要 ⇒ 絶対音高の側面より、ある調からどのような関係の調に転調したかという変化を捉えることが高いレベルの相対音感に支えられた調性感、和声感となる
処理の複雑さの点では低いレベルの単純な能力である絶対音感が、特別の訓練を受けた少数の人しか持っていないのに、高いレベルの複雑な能力である相対音感が、音楽経験によってほとんどの人に見られるのは、相対音感の方が大切だから

第3章        絶対音感の事実実験から明らかになったこと
欧米では絶対音感を持つ人が少ないが、日本や中国では多い
絶対音感を持つ人が知覚するピッチの違い ⇒ 0.2半音(5Hz)程度までをカテゴリーとして捉えている。それ以下の違いを知覚するのはほとんど不可能
ホロヴィッツの専属調律師フランツ・モアは、著書『ピアノの巨匠たちとともに』の中で、音叉と照合することなしに440438Hzを聞き分けるのは誰にもできないと述べる。パーフェクト・ピッチがあると自ら言うホロヴィッツや指揮者のユージン・オーマンディが、実は2Hzや4Hzの調律の違いが分からなかったという話を語っている

第4章        絶対音感を持つ人はどのくらいいるのか
1955年の論文で1/10,000という数字があるが、根拠不明
新潟大学の音楽専攻(音楽教員養成が主)の学生では、絶対音感のテストの正答率90%以上が約40%、京都市立芸術大学では約60%にもなる
北京中央音楽学院では、正答率85%として約56%が絶対音感の保有者。上海では西洋音楽専攻に限定すれば43%(正答率90%)、ピアノと作曲クラスでは70%超、弦楽器専攻クラスでは20%未満、中国伝統楽器専攻では1人だけ
国際比較では、ショパン音楽大学で正答率90%以上は8.8%、正答率50%以下(絶対音感なし)80%超と全く逆
絶対音感は、子供の頃からの音楽的経験を通じて獲得されるので、早期の音楽教育が広く行われているかによって、正答率は変わる

第5章        絶対音感は音楽をするうえで役に立つか―“絶対音感=音楽的才能という神話
聴音、読譜、初見視唱()は、まとめて「ソルフェージュ能力」と呼ばれ、音楽をやるうえで最も基本的なものだが、絶対音感があると有利だという確たる証拠はない
聴いた曲を楽譜に書くことが難しいのは、1つには音楽的ピッチが楽譜に書くことができるくらいに十分に認知されていないからで、音符を正しい位置に書くためには、絶対音高に加えて、メロディや和音を作っている音の相対音高を正確に捉える必要がある
聞こえてきた音楽の相対音高を、時間と労力を費やして聴き取ることこそが、音楽を音楽として聴く(音楽的意味を捉える)ことなのだが、絶対音感があるとそれをしないでも曲を楽譜に書き取ることができるので、音を音楽として聴く働きは含まれない
聴音テストでは、絶対音感があると有利というが、テストの本来の目的は、相対音高、つまり、調性の枠組みの中でメロディや和声の音の動きを聴き取り、鳴り響く音の調性的な意味を他の音との関係の中で捉える能力を見るもの
初見視唱()=楽譜を見てすぐにメロディを正しく歌う ⇒ 調性のはっきりしない複雑なメロディを歌う時などには絶対音感が威力を発揮するが、あくまで音を拾っているにすぎず、楽譜から音楽を読み取る過程を素通りしていることには変わりない。もちろん、優れた演奏家は初見視奏でも楽譜から音楽を認知して演奏すべき音楽のイメージを頭の中に作り上げて演奏している
シュヴァウrツコプフやフィッシャー=ディースカウの名伴奏者ジェラルド・ムーアは絶対音感を持っていた。あるとき1音低く移調して弾くよう歌手に求められたが、途中の複雑に転調する部分で、耳から聴こえるピッチと記憶している曲のピッチが一致しないために混乱して、1音高く移調して伴奏してしまった結果、歌手は当てにしていたG♭音どころか高いB♭を必死の形相で歌うことになった
幻のピアニスト、リヒテルは、絶対音感と優れた記憶力を持ち何でも暗譜で弾いたが、50半ばを過ぎた頃からピッチが実際よりも高く聴こえるようになり、記憶している調性に聞こえるように我知らず移調して弾いてしまう。そのためあるときから楽譜を見て演奏するようになったという
五嶋みどりも、A4=440Hzの絶対音感を身につけたあとアメリカに渡ったので、オーケストラの基準ピッチである442Hzに耳を適応させるのに苦労したという
世界のオーケストラの基準ピッチは440446Hzの間でまちまちなので、絶対音感が不都合を引き起こすし、古楽演奏でも、作品の作曲当時の基準ピッチに合わせるのが普通なので、絶対音感がより大きな妨げになると考えられる。バロック時代の音楽はA4=415Hzが多いので、半音も低い
絶対音感が無ければこのような問題は起きないし、素晴らしい演奏が絶対音感とは関係ないことも間違いない

第6章        絶対音感を持つ音楽家モーツァルトの絶対音感の神話
絶対音感を持つとされた大作曲家や名演奏家 ⇒ 大バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、トスカニーニ、ハイフェッツ等々
ただし、その逸話には根拠の薄いものが多い
モーツァルトの死後に、幼い頃の神童ぶりを語ったもの ⇒ 7歳でヴァイオリンの音程が1/8音下がっているのを聴き分けたというのも、調律されたヴァイオリンのピッチが全体として違うことに気付いただけの話。基準ピッチの違いが分かったからといって絶対音感があることにはならないどころか、音楽家の中には基準ピッチを記憶していて1,2Hzずれるだけで違いが分かる人もいるくらいだ
モーツァルトの時代には、調律の基準となるオルガンやハープシコードの標準ピッチは適当に決められ、上下全音くらいの幅で様々だったので、そもそも絶対音感という概念は存在しなかった
ヴァチカンのシスティナ礼拝堂で、グレゴリオ・アレグリ作の《ミゼレーレ》を14歳のモーツァルトが聴いて、門外不出とされていた楽譜を書き取ったという話 ⇒ 《ミゼレーレ》は毎年復活祭前の聖週間の水曜日と金曜日に2回だけ演奏され、5声部と4声部に別れた合唱団が交互に歌い交わす二重合唱で書かれ、最上声部が高音域で美しく装飾的な動きをする宗教的感動に満ちた12分の曲。ルネサンス期の典型的なポリフォニー様式に基づき、基本的な和声的な形をとっていることから、記憶しやすい曲であるとともに、そもそも楽譜は外部に流出していたという事実も確認されており、モーツァルトが事前に聴いたり楽譜を見ていたりした可能性もあって、1度聴いてすぐ楽譜に書いたというのもどこまで真実か疑わしい
モーツァルトにとって絶対音感とは、屁みたいなものさ

第7章        絶対音感を持つ人の相対音感
音程=2音間の音楽的ピッチの距離、即ち音階上の2音間の隔たりであり、基準の音を1番目と数えて隣の音を2度という
我々が知覚するのは音程ではなく、鳴り響く音が調性の枠組み(音階)の中でどの位置にあるかを知覚する
相対音感テスト ⇒ 異なる調性で、主音()を聞かせた後に別の音を聞かせて音程名(3度など)か階名(ミ、ソなど)を答える
絶対音感の持ち主は、相対音感テストでも絶対音感を使って2つの音の差を計算する人がかなりいる ⇒ 基準音がC以外の場合は計算が面倒なので、テストの結果が悪い
メロディもそれを構成している音の間のピッチ関係によって決まるので、聴き分ける能力に絶対音感は必要としない ⇒ 同じメロディの1音だけをずらして2曲続けて聴かせると、非移調条件では95%以上が違いを聴き分けるが、移調して演奏すると絶対音感保有者の正答率が60%前後まで極端に落ち(非絶対音感群では70)、個別に分析すると、絶対音感の正確な人ほど正答率が低く、メロディ識別が不正確になる傾向が認められる
絶対音感の保有者の比率の低い欧米では、相対音感テストの結果は高い
日本で検証した結果の原因は、①絶対音感が相対音感の発達を妨害するのか、②日本の音楽教育に問題がある。いずれの可能性もありそう

第8章        絶対音感はどのように生じるのか遺伝と経験をめぐる神話
大人に対する絶対音感の訓練効果 ⇒ 真性絶対音感のレベルまで行った例はない
絶対音感と音楽訓練開始年齢の間には明らかな相関がある ⇒ 8歳でプラトー・レベルに達し、それ以上は正答率が上昇しない
白鍵音に対する正答率は4歳から7歳までの間に一貫して上昇し、100%が相当数いるが、黒鍵音に対する正答率は2年ほど遅れて上昇
白鍵音のみ正確な部分的絶対音感というのも絶対音感獲得過程に由来
新潟大の受講生から子供の頃6年以上ヤマハ音楽教室に通った218人に対し絶対音感テストをした結果、90%以上の正答率が41人、60%以上だと半分近くに上る
臨界期=ある行動や能力の発達において、特定の経験が最も顕著な効果を生じる年齢窓(発達上の期間) ⇒ 窓が23歳で開き、56歳で閉じられるので、それ以降はいくら訓練しても効果がない、というが証明が難しい
絶対音感の初期の研究では、遺伝説が有力だったが、環境要因も多く、証明は難しい
同様に、双生児についても研究が進むが、特定は難しい
ウィリアムズ症候群や自閉症、先天的に目が見えない人たちの中に絶対音感が多くみられることが報告されている

おわりに
要約すると、絶対音感は音楽のいろいろな面でツールとして役に立つことはあるが、それらの利点は音楽的な観点から見ると皮相なものに過ぎないので、絶対音感は音楽の本質とは関係のない能力である
さらには、絶対音感は音楽的に望ましくない方向に働く可能性さえある
特に、絶対音感を持つ人の多い日本では、相対音感を習得するための適切な指導が必要




フォームの始まり
フォームの終わり
内容説明
優れた音楽家に不可欠な能力と思われがちな絶対音感。しかし、科学的な実験が示す事実は、そんな一般的なイメージに反するものだった。絶対音感研究の第一人者が、巷にあふれる神話のほんとうの姿を、データに基づきながら解き明かす。
著者紹介
宮崎謙一[ミヤザキケンイチ]

出版社内容情報
私がこの本でもっとも述べたいことは,絶対音感があまり音楽的とはいえない能力だということである.それどころか,それはへたをすると音楽にとって好ましくないように働くことさえもあるというのが私の考えだ.(はじめにより)
優れた音楽家には不可欠の能力と思われがちな絶対音感.しかし,科学的な実験が示す事実は,そんなイメージとは反対のものだった.本書では絶対音感研究の第一人者が,データに基づき,現在までにわかっていることとそうでないことを明らかにする.さまざまな逸話や誤解,俗説を超え,絶対音感の真実をめぐる冒険.


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