「本当のこと」を伝えない日本の新聞  Martin Fackler  2013.5.20.


2013.5.20. 「本当のこと」を伝えない日本の新聞 
Credibility Lost: The Crisis in Japanese Newspaper Journalism after Fukushima

著者 Martin Fackler 66年アイオワ生まれ。ニューヨーク・タイムズ東京支局長。イリノイ大でジャーナリズムの修士号、カリフォルニア大バークレー校でも修士号取得。96年ブルームバーグ東京支局、AP通信の本社、東京、北京、上海で記者として活躍。05年ニューヨーク・タイムズ東京支局、09.2.より現職。3.11にまつわる一連報道に関わった東京支局スタッフは2012年ピュリッツァー賞国際報道部門のファイナリストに選出

発行日           2012.7.8. 第1刷発行        9.4. 第4刷発行
発行所           双葉社(双葉新書)  語り起こし

3.11という歴史的苦難に際して新聞はなぜ無力だったのか。その裏側には、ジャーナリズムの欠落という、日本の新聞が抱える根源的な問題があった
ニューヨーク・タイムズ東京支局長が明らかにする「新聞不信」の真実!

はじめに
3.11で新聞は国民のために何を報じたか。当局の記者発表やプレスリリースを横流しする報道に終始、当局の隠蔽工作に荷担。それは同時に、記者クラブ制度が抱える矛盾を国民の前に一気に表出
日本とこの国に住む人々への愛情を持っているからこそ本音で、日本のメディアの良いところと悪いところを明らかにしたい

第1章        青い目の3.11取材記
当日有楽町で被災、すぐ自宅に戻ってイリジウム衛星携帯電話で本社に通報。翌早朝車でスタッフとともに大洗に入り、被災地からの第1報。翌13日宇都宮・猪苗代経由で仙台へ。14日早朝仙台南の名取市閖上(ゆりあげ)地区に入り惨状を目の当たりにする
遺体の写真を報道することに大きな意味があると考え踏み切ったが、日本人からネット上で亡くなった人々の死を軽々しく扱ったとの批判が上がる
南相馬市では、記者クラブから記者が全員避難、市長はユーチューブでSOSを訴える
日本の大手メディアは、一度クローズアップされた場所に集中して報じる傾向が強い
日本の記者の入らないところを集中的に探して報道 ⇒ 大槌町もその1つ、井上ひさしの『吉里吉里人』で知られるが、古くから中央政府を疑う精神があり、震災でも政府が動き始める前に自発的に遺体収集や瓦礫の片付けを始めていた
どの記者も聞いていない被災者の生の声を探して歩き、2か月後から福島第1原発関連の調査報道へと切り替え、日本の記者クラブメディアが全くと言っていいほど触れていない重大な事実が隠されていたのに驚く

第2章        情報寡占組織・記者クラブ
当局からの情報を独り占めにする記者クラブの存在
初めて記者クラブが作られたのは1890年、取材拒否の姿勢を示す帝国議会に対抗して貴社の寄合所帯として組成 ⇒ 現在は、省庁や国会、政党に始まり、警察、裁判所など全国津々浦々の官公庁や役場、業界団体内に存在し、当局から配られるプレスリリースを独占するばかりか、記者クラブ主催の会見から部外者を締め出す
韓国にも存在したが、インターネット・メディアの拡大により03年制度が廃止された
アメリカでは、歴史的に中央政府に対する不信感が根強く、ジャーナリズムはwatch dogとしての強い共通認識がある
福島原発報道では、時間と共に当局への不信感が世界的に拡散
震災の翌日、メルトダウンの可能性に言及した原子力安全・保安院の審議官は直ぐに更迭され、日本の新聞・テレビ報道も東電や原子力安全・保安院の記者会見以上のことは言っていない ⇒ このスタンスは、過去の原発報道に関しても同様。電力会社と当局が一体となって、原発の立地地元の経済的依存構造を作ってきたために、地元の反対の声が封殺されている現状を全く伝えていない
SPEEDI(System for Predication of Environmental Emergency Dose Information緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム) ⇒ スリーマイルの教訓から、文部科学省が100億を投じて80年代から開発が始まったが、システムを運用する原子力安全技術センターは、当初今回は回線の損傷から必要な現地のデータが取れないとしたが、1号建屋の爆発から10日も経って被曝予測を公表。実際にはシステムが機能、福島にも伝えられていながら、現場でもパニックになるのを恐れて隠され、霞が関に常駐していた記者クラブもその存在を知りながら、当局の公開拒否にあってそれ以上斬り込んでいなかったのは、記者クラブが当局と近過ぎて追及の手が緩んだからか、ジャーナリストとしての批判精神を持てないほど思考停止していたのか
記者クラブメディアによる報道のおかしさの例 ⇒ 09年西松建設事件。政権交代直前の民主党のリーダーだった小澤一郎を、検察による公開情報に沿って、何の主体性もないままに極悪人に仕立て上げた。「官僚制度の番犬」としてニューヨーク・タイムズに掲載
11年のオリンパス事件報道 ⇒ 日本のメディアの報道は当初、会社の発表に沿ってその言い分を代弁するかのように社長の個人的資質を解任の理由としたが、イギリスのメディアは会社による巨額の隠し損を暴露
記者クラブ主催の記者会見 ⇒ 部外者は、幹事会社の許可がないと参加できないうえ、参加しても質問が出来ないオブザーバー扱い
1997.11. 山一の破綻を予測した記事を書いたときも、会社から猛烈な抗議を受けたのみならず、同僚の日本人の証券担当記者からも山一との良好な関係をぶち壊したと非難

第3章        かくもおかしい新聞
日本経済新聞は、当局や企業が発信する経済情報を事実上独占し、ほとんど彼等のプレスリリースによって紙面を作っているように見える
企業のインナーサークルに入り込めば、それだけ批判的な記事は書きにくくなるのは当然
オンレコとオフレコ ⇒ アメリカでは記事に記者の署名を入れるのが当たり前。記事中に出てくる人物の発言は実名が基本であり、匿名の場合はなぜ匿名なのか記事の中で明確に書く。読者が本当に知りたいのは記者の肉声
日本の新聞では、「客観報道」が主で、匿名のコメント率があまりにも高いし、主語のない文章が当たり前(「・・・だということがわかった」) ⇒ 特にほかのメディアの後追い報道をするときに多用
アメリカでは、Feature記事(特集記事)という記者の主観に基づいて構成される記事を書くことに喜びを感じるし、その実績をどれくらい持っているかが履歴書より重要
ニューヨーク・タイムズで記事を書くときのルールは、匿名を使わないことと、誤報を出した場合は必ず訂正報道をする ⇒ 2003年イラク戦争関連記事が他社からの盗用であることが発覚、その調査の過程で、当該記者が盗用や捏造の常習者だったことが判明、1851年創業以来初の不祥事で、厳正な処分をすると同時に社内にオンブズマン(パブリック・エディター)を置くことになった
新聞社にとって最も大事な財産は信頼性 ⇒ 読者の信頼がなければ成り立たない
9.11でも、ニューヨーク・タイムズはペンタゴンのリークに載ってイラクの核開発疑惑を報道、大量破壊兵器の存在を仄めかしたことが政府に開戦への口実を与える結果となった失敗を犯している
Access Journalism ⇒ 権力に近づき過ぎたジャーナリズムを、自戒を込めてこう呼んでいるが、日本の記者クラブが生み出す一連の報道もまさにAccess Journalismそのもの
日本新聞協会賞のことを、「日本のピュリッツァー賞」と評する人がいるが、大きな勘違い ⇒ メガバンク誕生のようなスクープが主の対象とされるが、本場のピュリッツァー賞は速報性を求めるニュースよりも誰も気づかない社会問題を描いた調査記事やルポルタージュが評価される
ピュリッツァー賞の中で最も権威があるのは、Investigative ReportingExplanatory Reporting
03.11.北海道警察の裏金問題の調査報道を行った北海道新聞の場合 ⇒ 道警に事実を認めさせ、道と国に返還させたが、その後の取材は完全に行き詰まり、道警の元総務部長が北海道新聞と記者を名誉棄損で告訴、裁判所も損害賠償を認め、新聞社側も関係者を処分する事態に。使命感を持って調査報道を進めた記者を守るどころか、閑職に追いやって、当局よりに組織を再構築する結果となり唖然

第4章        ジャーナリストがいない国
日本では、権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚を持ち、似た価値観を共有していて、国民より官僚側に立って「この国を良い方向に導いている」という気持ちがどこかにあるように思えてならない
エリートで、横並びのサラリーマンでは、ジャーナリストは務まらない
正社員記者ばかりが記事を書いていて、フリーランスや契約記者が取材や記事執筆に参加することはほとんどない
日本の新聞を読んでいても、記者の情熱を感じることは少ない
当局が動いてから、慌てて記者発表やプレスリリースを記事にするのがもっぱらで、世の中に埋もれている社会問題を積極的に採り上げることが少な過ぎる

第5章        日本の新聞 生き残りの道
既存メディアへの不信感はいまだかつてないほどに高まっている
他方、ネットメディアの信頼性が高いとはとても言えない
地方紙に大きなチャンス
ニューヨーク・タイムズやWSJのような、信頼とブランド力のある新聞社のウェブサイトがまだ存在しないし、ブログやソーシャル・メディアも発展の過渡期で、先行き不透明な今だからこそ、地方紙にとって大きなチャンスが生まれている
2007年 アメリカで「プロパブリカ」というオンラインメディアが設立。WSJの元編集長ポール・スタイガーが初代編集長、モットーは”Journalism in the Public Interest(公益性あるジャーナリズム)”で、既存メディアから完全に独立してNPOが運営、インターネット上で記事を公開、運営資金はフォード財団、ビル・ゲイツなどからの寄附金による
設立後間もないにもかかわらず、ピュリッツァー賞を次々に獲得
         http://www.propublica.org/
PBS-Public Broadcasting Serviceという非営利のネットワークもある
日本の新聞が今後進むべき道について、既存メディアの中にヒントが隠されている ⇒ 経済分野では『週刊東洋経済』、テーマ選びがタイムリーで、踏み込んだ取材をしている
ジャーナリズムの目的=社会正義と、企業が目指す目的=営利は、本来相反するもの
新聞の変革に、日本の民主主義が試されている ⇒ 自ら民主主義を勝ち取った国では、民主主義の大切さや価値を皮膚感覚で分かっているだけに市民社会が強い、メディアによる権力チェックも厳しく、民主主義が脅かされるような事態が到来すれば、市民もメディアも一丸となって立ち上がる
良い社会を作る上でジャーナリズムの果たす役割はとてつもなく大きい、ジャーナリズムが置き去りにされてきた日本で、それを求める声がかつてないほど高まっている。新聞が、新聞本来を役割と力を発揮するために、このチャンスを逃してはならない

おわりに
なぜ日本の記者クラブメディアは原発事故を巡る報道で、真実を暴き出せなかったのか
A good journalist needs sense of moral outrage. 正義感(=悪に対する人間的な怒り、義侠心)が必要


日本の新聞記者批判を批評する
[]尾関章「小説が好きだから科学記者になった」という尾関章による月曜更新の書評コラムです。文系、理系の壁を越えて本の世界の魅力を伝えます。
  [掲載]朝日『文理悠々』 20121022
福島第一原発事故から数日後の東京電力の記者会見=2011年3月15日、東京都内で上田潤撮影 拡大画像を見る
福島第一原発事故から数日後の東京電力の記者会見=2011年3月15日、東京都内で上田潤撮影
 この30年でがらっと変わってしまった職業イメージの一つが、新聞記者だろう。昔は、とてもカッコよかった。テレビや映画に出てくる記者と言えば、ちょっと無頼で言葉づかいは荒いが、だからと言って粗野ではない、という感じだっただろうか。髪を手ぐしでかきあげ、たばこをくわえながら原稿に鉛筆を走らせる。そんな場面が思い浮かぶ。あのころは、たばこも今と違って知的な小道具だった。
 70年代後半には「大統領の陰謀」という米国映画が公開された。実話をもとにした作品で、ウォーターゲート事件報道で最後はニクソン大統領を辞任にまで追い込んだワシントン・ポストの記者2人が主人公。演じたのはダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードだった。だだっ広い編集局で記者たちが胸元のネクタイを緩めて働いていた。緩めたネクタイが権力に立ち向かう「自由」の象徴のように見えた。
 ちょうどそのころ、僕は新聞社に入社が決まった。このとき感じた不安は、死体を見てもビビらないだろうか、酒に強くないが大丈夫だろうか、といったことだったが、それだけではなく、そんなカッコよい仕事が自分に務まるだろうか、というためらいもあった。だが入ってみれば、カッコよさとは無縁の職種だった。かけ出し時代は、ただただ眠る時間がほしい、というよれよれの日々だったのである。
 そして最近では、批判の的となることのほうが多い。メディアそのものが厳しい目にさらされる時代になったからだ。今回の「世界初のiPS治療」誤報などは、まさにその一例だろう。他紙のこととはいえ、科学報道であるがゆえに胸が痛む。
 ということで、今週は『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(マーティン・ファクラー著、双葉新書)。著者は、2009年からニューヨーク・タイムズ東京支局長。AP通信や米経済紙ウォールストリート・ジャーナルなどの東京支局でも働いた経験がある。去年の3.11以後は被災地取材や原発報道の一線に立った。それがたたえられて、今年のピュリツァー賞国際報道部門ではニューヨーク・タイムズ紙が最終選考に残った。
 海外記者の目に日本の新聞ジャーナリズムがどのように映って見えるのか、というのがこの本の主題。書名が際物っぽいので、ふだんなら手が伸びないのだが、出張で新幹線に乗る直前、キオスクで思わず買ってしまった。最初はだらっとした格好で読んでいたのだが、ページを繰るうちに、そうだなとうなずいたり、それは違うなと反発したり。いつのまにか車中の座席で姿勢を正していた。
 批判の中心に置かれているのは、3.11後の原発事故報道だ。このことでは、政府発表に頼った「大本営発表」ではなかったか、とする声がすでに聞かれる。著者が目を向けるのも、この点だ。僕自身は、同僚記者たちが政府・東電の発表にもとづく記事と併せ、専門家に取材して発表に疑問を投げる解説を書いていたのを間近で見ている。だから、大本営発表しか報じなかった戦時下の紙面とは違う、と思っている。
 ただ、胸に刺さるのは、事故直後、放射性物質の拡散予測システムSPEEDIが生かされなかったことにかかわるメディア批判だ。著者は、この予測が最初の水素爆発から11日たって公表される直前、朝日新聞などが非公開を問題視する記事を載せたことには触れている。だが、それは遅すぎなかったか。「速やかに公表するよう、紙面を使って強く訴えることが新聞の役目だったはずだ」という指摘には耳を傾け、自省しなければなるまい。
 そこには、官庁ごとに置かれた記者クラブの弊害がある、というのが著者の見方だ。「記者クラブを通じてあまりにも当局との距離が近くなりすぎていたために、追及の手が緩んでしまったのか。それとも、ジャーナリストとしてもつべき批判精神をもてないほど思考停止していたのか」。そんなベッタリ感はないはずだが、記者と官僚の間が同じ視点に立ってしまう、ということはあるかもしれない。
 著者の推論はこうだ。日本ではキャリア官僚も、大手メディアの記者も、「有名国立大学」や「難関私立大学」の出身者が多い。「大学で机を並べていた者たち」が官庁とメディアで同期組として「出世していく」。その結果、両者に「似たような価値観」が芽生える。だから、記者たちの心を覗いてみれば「『この国をよい方向に導いている』という気持ちがどこかにあるのではないか」。
 幸か不幸か、僕自身は中央官庁の記者クラブ詰めの経験がまったくない。だから実情はわからない。ただ、だからこそ、だろうか。著者の見立てに通じる思いを抱くことはある。たとえば2003年、文部科学省科学技術政策研究所が科学コミュニケーションについて報告書を出したとき、養成すべき「科学コミュニケーター」という職種の定義に「広報担当者」と並んで「科学ジャーナリスト」が含まれていたのには愕然とした。
 発表する側とそれを批判的に受けとめて伝える側が同列視されるという不思議。だがこのとき、科学ジャーナリズム界から大きな反発は起こらなかった。僕は去年、「原発災害後の科学ジャーナリズム――『脱啓蒙』への進化をめざして」(Journalism20115月号、朝日新聞社)でこのことをとりあげ、そこに科学ジャーナリズムの未成熟がある、という持論を述べた。「この国をよい方向に」という啓蒙目線から脱していないのである。
 著者は、日本の新聞記者の取材のしかたそのものにも観察眼を発揮している。それは、なかなか痛いところを突いているように思われる。
 たとえば、宮城県の被災地で見たという取材風景。報道陣は町職員を相手に、その日の遺体発見数を「数字は××7人で正しいですか」「××8人ですか」と聞いていたという。「それが自らの使命であるかのように1ケタの数字に神経質にこだわり、彼らは非常に細かいやり取りをずっと続けていた」。この流儀は、僕たちが入社直後の1年生時代から、とことんたたき込まれたことである。
 だが、それは決して世界標準ではない。かつてスウェーデンでフェリーの大事故を取材したとき、現地の報道は、死者・不明者数を「約1000人」としているものが多いのに驚いた記憶がある。関心事は、人数よりも事故の本質にあるらしかった。
 著者は津波被災地の報道で、「非常事態が起きているのだから、死者数を1ケタ単位まで細かく確認するより先に、伝えるべきストーリーがある」と確信して、「敢えて細かい数字にはこだわらず」「被災者の個人的体験を記事にまとめた」という。
 この本で僕があえて異論を呈したいのは、署名記事至上論ともいえる論調だ。日本の新聞には、記者の肉声がにじみ出た署名記事が少ない、という批判である。同様のことは近年、国内でも言われるようになり、朝日新聞も署名記事を大幅にふやした。だが、記事は1人、2人の記者だけでできるものばかりではない。「デスク」という指揮者のもとで、中心となる執筆者以外にも多くの記者がかかわって組み立てるものも少なくない。その実相が、ぼやけてしまった。
 米国のジャーナリズムで署名が重んじられる理由の一つが、この本では明かされている。「転職を希望するアメリカ人の記者にとって、自分が手掛けたフィーチャー記事を1ダース(12本)ほどまとめた『クリップス(clips)』が重要」で、それは「記者としての履歴書」だというのだ。小さな町の新聞から大都市の有力紙へという人材の流れがふつうで、流動度が高い職能集団にあっては、なくてはならないものなのだろう。
 僕の異論はここにある。記者の履歴書づくりのために、チームワークがものを言う無署名の記事を追い払ってはいけない、ということだ。もし、チームワーク型の記事に署名をつけるなら、責任者であるデスクの名をこそ冠するべきだろう。
 とはいえ、会社を渡り歩くのがふつうの米国ジャーナリズムの背景にある「ジャーナリストは専門職」という思想には、著者同様、僕も共感する。その独立精神は見習いたいと思う。

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