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擔雪填井―小さな小さな自分史  草野忠義  2012.5.15.

2012.5.15.  擔雪填井―小さな小さな自分史 著者  草野忠義 1943.10.17.  福岡市生まれ。日田市立北部中→尾山台中、戸山高、東大経卒 ( 国際関係論 - 川田侃ゼミ ) 。剣道 4 段、居合道 5 段。 5 人兄弟の長男 ( 次男が家を継ぐ ) 。妻・和子、二女、孫 4 人 父・義人 ( 忠右衛門 ) は慶應経卒、日立、結核療養後、岩尾昭和学園理事長。 98 年歿 ( 享年 84) 母・覚は津田塾大卒、岩尾学園創業者の姪。枡屋雛祭りを始め町興しの起爆剤に。 2011.4. 没 ( 享年 92) 父の実家のあった大分県日田市で育つ 1966.4.         日産自動車入社 ( 後記朝倉氏との縁 ) 。座間工場配属 1972.5.7.       結婚 (73 年長女、 81 年次女誕生 )  ⇒ 相手は、祖父の尊敬する朝倉毎人氏 ( 富士紡から日本自動車配給の社長、日産役員。朝倉文夫と親戚 ) の孫 1973.3.         労組専従 1979.9.         全日産労組 書記長 1986.9.         自動車総連 事務局長 1994.9.         日産労連 会長 1998.9.         自動車総連 会長 1998.10.        連合 副会長 2000.9.         IMF-JC( 国際金属労連日本協議会 )  議長 2001.10.        連合 事務局長 2005...

パスタでたどるイタリア史  2012.5.13.  池上俊一

2012.5.13.  パスタでたどるイタリア史 著者  池上俊一  1956 年愛知県生まれ。東大大学院総合文化研究科教授。専門は西洋中世・ルネサンス史 発行日            2011.11.18.  第 1 刷発行               2012.4.5.  第 2 刷発行 発行所            岩波ジュニア新書 「パスタを食べることでイタリア人はイタリア人であることを自覚する」 地域色の強いイタリアで、人々の心を結ぶ強い力を持つパスタ。この国民食が、いつ、どのように成立したのでしょう。古代ローマのパスタの原型から、アラブ人が伝えた乾燥パスタ、大航海時代の舶来種トマト、国家統一に一役買った料理書まで、パスタを辿ると、イタリアの歴史が見えてくる はじめに 日本のパスタ事情 日本で最初にパスタが食べられたのは、幕末の横浜外人居留地 日本で生産が始まったのは 1883 年頃、フランス人宣教師マリク・マリ・ド・ロ神父が、長崎市にマカロニ工場を建設して開始 日本人では、明治 40 年代新潟県の製麺業者が、外国大使館の依頼に応えてマカロニ製造機を開発したのが最初 1920 ~ 30 年ごろ、明治屋がパスタの輸入を開始したのが公的輸入の最初 戦後アメリカの進駐軍が食べているのを日本人コックが真似して爆発的に広がる 1955 年 富士製糖と日本精糖が共同出資して日本マカロニを設立、日本製粉と共に本格的なパスタ生産を始める ⇒ パスタ元年と言われる 主食として庶民に広まるのは 1970 年代以降、外食チェーンの拡がりが大きく寄与 90 年代には「イタめし」ブーム到来 ⇒ パスタ輸入が急増、自由化された 71 年に比べると 98 年には 208 倍に 第1章         麺が水と出会...

東京スカイツリー  平塚桂  2012.5.13.

2012.5.13.  東京スカイツリー 著者  平塚桂  1998 年京大工学部建築学科卒。 2001 年同大大学院研究科環境地球工学専攻修了。建築ライター イラスト たかぎみ江  1998 年京大工学部建築学科卒。 2001 年同大大学院研究科居住環境工学専攻修了。ライター・イラストレーター 写真 小野寺宏友  1982 年武蔵野美術短大商業デザイン科卒。同年『ホビージャパン』誌で特撮デビュー。 86 年フリー。ジオラマ、パノラマ、深夜撮影を得意とする。 2007 年より「 100 年後に伝える記録」として東京スカイツリーの定点観測開始 発行日            2011.8.25.  初版第 1 刷発行 発行所            ソフトバンク クリエイティブ 自立式電波塔 ( 総合電波塔 ) として世界一高いタワー 重要なのは、 21 世紀というタイミングで、墨田区という場所に立つということ 難条件のそろった敷地で「世界一」を実現するために注ぎこまれた技術と工夫をまとめて紹介 63 年までは高さ約 31m までしか建てられない、通称「百尺規制」の法律があり、 58 年築の東京タワーは図抜けて高い建物。 68 年霞が関ビルが出来て以来、超高層が次々出現 東京スカイツリーに使われた技術の大半は、それまでに「普通のビル」で蓄積された技術の粋を集めたものだが、その特殊さを成り立たせている技術の多くは、特殊とは見られていなかったモノを応用して生まれている。その技術はマイナーチェンジされ、これからの普通のビルに使われていくのだろう 第1章         東京スカイツリーってなんだ ? 名称              08 年公募。 110,419 票中 32,699 票を得て決定 建設地  ...

ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか  Charles A. Beard  2012.5.4.

2012.5.4.  ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか  上下 President Roosevelt and the Coming of the War, 1941 : Appearances and Realities 1948 著者  Charles A. Beard   1874 年インディアナ州生まれ。オックスフォード大留学。コロンビア大などで歴史学、政治学を修め、 1915 年同大教授。第 1 次大戦参戦で、総長の偏狭な米国主義に抗議して解雇された教授に同調して辞職。 1917 年ニューヨーク市政調査会理事。 22 年後藤新平東京市長の招きで来日、調査研究の成果を『東京市政論』にまとめ、日本の市政研究の先駆けとなる。 23 年関東大震災の折にも来日して東京復興に関する意見書を提出、「帝都復興の恩人」として活躍、第 2 次大戦後の日本の都市計画にも示唆を与えた。米国政治学会会長、米国歴史協会会長等歴任。 48 年逝去 監訳者 開米潤  1957 年福島県いわき市生まれ。東外大卒。共同通信記者。メディアグリッド社を設立しジャーナリスト活動へ。明治大大学院都市ガバナンス研究所研究員 訳者  阿部直哉  1960 年東京生まれ。慶應大文卒。明治大大学院都市ガバナンス研究所研究員 丸茂恭子 東京都生まれ。慶應大法卒。明治大大学院都市ガバナンス研究所研究員 発行日            2011.12.30.  初版第 1 刷発行 発行所            藤原書店 1941.12.8.  日本海軍によるハワイ真珠湾での奇襲攻撃で火蓋が切られた日米戦争――この時、アメリカ合衆国にとっての大惨事を冷徹な眼差しで見据えていた 1 人の学者がいた。ビーアド博士である。博士は戦争が偶発的に発生したのではなく、その勃発を 100 年以上にわたり米国が実践してきたアジア極東外交の結末と捉え、それが米国にとり新たな危険な時代の幕開けであると見做したのだった。 第 1 次世界大戦以降、次々と開示された膨大な外...