藤井治芳伝  日経ビジネス  2023.11.8.

 2023.11.8. 藤井治芳伝 道路膨張の戦後史

 

著者 日経ビジネス

 

発行日           2003.12.12. 初版1

発行所           日経BP出版センター

 

第1部        藤井治芳伝

 

序章 震撼

l  「私が喋れば、死人が出る」

2001年、小泉内閣による「道路4公団民営化」方針に対し、前年道路公団トップになった藤井は反対論を展開。0311月衆議院選挙目前、公団内のスキャンダルなどを理由に石原国交相から辞任を求められたが、「私が喋れば、死人が出る」といって辞表提出を拒否、政界に大きな波紋を投げかけ、解任劇へと進む

藤井は、解任に先立つ聴聞では具体名を挙げず、1週間後に解任の辞令が交付されるが、藤井は解任処分無効を求める行政訴訟を提訴

l  懐柔と揺さぶり

辞令交付直後、藤井は日経ビジネスと3時間に及ぶインタビューに応じる

公団の改革派を自認する藤井は、既得権者から身を守るために護身用のブザーをポケットに入れている

民営化推進委員会では、公団の現状を把握しようにも情報開示に非協力的な藤井の更迭を求める声が相次ぐが、藤井は回答を留保。マスコミの追及からも逃げ回る

l  解任劇と徹底抗戦

035月、藤井が存在を否定していた道路公団の財務諸表が内部告発で明るみに出、しかも債務超過に陥っていたことが判明。さらに「裏顧問」を置いて経営顧問会議のメンバーをコントロールしていた事実も露呈、国会答弁も二転三転。小泉首相も、当初は民営化を約約束していた藤井擁護の姿勢を崩さなかったが、内閣改造で石原を国交相に据えると、藤井更迭劇を演じさせ、与党のイメージを上げるはずだったが、辞任拒否で逆作用する

外界との接触を断ち、地下深く潜行していた藤井の半生に光を当て、日本の道路行政を源流から解き明かすことによって、徐々に時代との亀裂を深め、後戻りできなくなった男の系譜が浮き彫りになる

 

第1章        暗流

l  沖縄に散った兄

大分県宇佐市は、特攻隊の後方基地として用いられた宇佐航空他の跡地で、「飛行予備学生出身士官戦死者氏名」の碑があり、74名が祀られている。その冒頭に藤井の兄真治(まはる)27歳の名がある。特攻隊の教官で、教え子達が出撃することに堪えられずともに出撃

藤井に影響を与えた人物の1人がこの兄、8人兄弟の上と下で18歳の差があった。先達の犠牲と努力の上に今日の平和があることを常に意識。もう1人が父親の真透(ますき)で、内務省土木試験所長などを歴任した道路工学の第一人者。明治神宮外苑道路の工事の監督を務め、戦後も建設省の専門委員など歴任。日本の道路整備や道路行政に影響力を持った

藤井が戦中・戦後の4年間を過ごした都城は島津藩の城下町

l  都城の原風景

50年当時、一般国道と都道府県道の実延長は133千㎞、内舗装道路は6千㎞のみ

49年都城市長になった瀬戸山(後の建設相)は道路整備の遅れを痛感し、後に国政に転じて道路族の有力者となり道路整備に注力。藤井の原体験も共通する所あり、2人によって現在の都城市は市道の総延長2000㎞を誇る

l  道路を志す必然

2で東京に戻り東大工学部へ進むが、道路工学の専門家である父の謦咳に触れ、国土開発を論じる政治家などの話に耳を傾けた藤井にとって道路の領域に踏み込むのは必然

朝鮮特需で復興の足掛かりをつかんだものの、戦争終結の反動で供給過剰状態に陥っていたため、財政政策で需要を創出する必要が生じ、道路整備に白羽の矢が立つ。財源に揮発油(ガソリン)税を当てる奇策を思いついたのは田中角栄であり、さらに特別会計を作って大蔵省資金運用部から借金して有料道路建設に充当したのも田中

l  道路版「55年体制」

55年、国土開発縦貫自動車道建設法が超党派の議員立法で成立、道路公団が誕生し、名神・東名・中央各高速道路の施行命令が発出

研究者として大学に残る積りだった藤井は、真透の教え子だった元道路局長の誘いもあって、62年建設省に入省。翌年父逝去

 

第2章        怒張

l  作る論理、欲しがる理屈

1987年の第4次全国総合開発計画(四全総)で新設6千㎞を含む14千㎞の高速道路網の整備が決定、採算不明の地方路線建設が90年代に進み、関係4公団の40兆円の負債に

l  国土を創造した男

四全総に深く関与した官僚が当時道路局企画課長の藤井。古い試験制度で、甲乙の区別ない資格で入省した藤井は、当初10年は土木研究所を振り出しに下積み

66年、全国7.6千㎞の高速道路網の整備が決定、道路需要が鋭角的に増え、ガソリン税の増収でマナーが流れ込み、産業界も高速道路網整備を熱望。道路の膨張は時間の問題で、その象徴が69年決定の本四架橋。徳島の三木武夫が首相、香川の大平が蔵相、広島の宮沢が外相、建設相は高知の仮谷忠男と揃い、「1ルート3橋」の方針を決定、巨大な負債に

l  醸成される癒着構造

72年、藤井は道路局有料道路課長補佐として復帰、以降道路畑の主流を歩く。時同じくして、高速道路が自己増殖する契機であり元凶ともなった「全国料金プール制」が導入

政治家と建設業者の歪んだ関係の始まりとなったのが「官公需法」(66年施行)で、中小業者の受注確保を定めた法律で、工事区画を細かく分けて多数の業者に仕事を配分

建設省では技官が計画の立案から「個所付け」(予算配分と着工順の決定)の権限を握る

l  アクアラインの功罪

官僚が特定の政治家のためにその権限を行使する見返りは予算の獲得にあり、藤井のその能力はアクアラインの建設で最大限に発揮される。総延長15.1㎞、事業費14,409億円で87年事業許可が下り、97年全面開通となったが、過大な需要予測で巨額の赤字

85年有料道路課長となった藤井は、「上下分離」の仕組みを考えて建設を民間に発注したため、建設費の高騰を招き、建設推進派の政治家をうまく利用してゴーサインを出す

87年には企画課長となり、四全総の策定に奔走。道路官僚としての絶頂期を迎える

 

第3章        臨界

l  世界最大、かつ芸術品

89年着工の川崎人工島(通称「風の塔」)は、平山郁夫のデザインで海面から70mも掘り下げて作った史上最大の穴。建築技術と芸術の最高峰を目指した結果は膨大な債務残高

l  ゴネ得の連鎖

道路は膨張すること自体が目的となり、本来の交通網としての価値を厳密に議論する声はかき消される⇒「道路はアスファルトのポスター」、道を引くことが選挙民へのアピール

建設に伴う漁業補償なども、建設費を雪だるま式に膨れ上がらせる原因

l  ニーズなき高規格化

道路舗装業者も潤う――アスファルトかコンクリートかの白黒論争や、両者を上下に分けたコンポジット舗装も使われる

l  行き詰まった差配システム

道路をめぐってカネが渦巻く構図は、90年代に入って経済が下降線を描くとともに様相が変わり、道路膨張のメカニズムは内部から崩壊が始まる

「通行料金別納制度」は、事業協同組合を対象にした料金後納・事後割引の仕組みで、月の利用額に応じて最大30%割引されるが、事業組合ごとに組合員への還元率は自由に設定できるため、新規の組合員を紹介するごとにバックマージンを得る利権が横行しているが、公団は事業組合内部のことだとして、何等の対策も講じようとはしない

 

終章 夢幻

l  学者と政治家、2つの顔

普段は政治家の性格が前面に出るが、一時は学者の道に進むことも考えた

l  官僚至上主義

相手が泣きつくように寄ってきたところで、救いの手を差し伸べる。陳情第一主義によって建設省には多くの道路プロジェクトが舞い込む。道を作る権限をうまく利用することで、藤井は政治家との力関係すら逆転させていった。政治家の上に立つ気概から、「行政の中立性を守らなければいけない」と繰り返す

l  深まる時代との溝

官僚主導からの脱却――藤井が思い描く改革とは、さらに高規格の高速ネットワークを整備していく姿だが、新しく動き出した時代の歯車を止めることはできない

 

第2部        答弁集――藤井語録の裏側を読む

20026月、道路関係4公団民営化推進委員会がスタート。その中で様々な物議を醸した「藤井答弁」の裏側を読む

 

第3部        単独インタビュー ――藤井治芳、3時間の独白       2003.11.9.

これまでの日経の記事は本質を外れて書いている

公務員はあまり表に出るのは良くない、チームで仕事をしているから

この1年間、道路4公団について国は何をしたのか。総裁を辞めさせることに終始

戦後日本の道路は決定的に悪かったのを、昭和30年に道路公団が発足し、高速道路を作ろうと国が決めそれまでの道路の総投資額の7倍もの投資で高速道路を作ろうとした。それまで道路を作っていた地方建設局は使わずに、新たに公団を作る。民営化より凄い。財源にしても利用者から料金を徴収する制度を作るが、それが落とし穴で、いくら料金を上げても利用者が増える間は良かったが、バブル崩壊後高い料金が重荷となる。料金を下げようにも国の金が入ってこないので下げられない

財務諸表については、公会計しか知らないから民間並みの財務諸表は作れない。去年の夏まで財務諸表なんて知らなかったのが事実。資産台帳はあるが、その価格評価がない。減価償却も決まっていない

一般競争入札については、業界が猛反対する中を1993年に導入

 

 

 

 

(惜別)藤井治芳さん 元日本道路公団総裁・元建設事務次官

20231021 1630

 政治に翻弄「ミスター道路」

 318日死去(心筋梗塞) 86

 あの騒動から20年になる。200310月、小泉政権による民営化を控えた日本道路公団の総裁を解任された。国土交通相から辞表提出を求められたが拒否し、聴聞が開かれるという異例の展開をたどった。

 解任理由は、朝日新聞が報じた「幻の財務諸表」をめぐる対応で信頼を損ねた――。だが私が記事を書いてから5カ月、民主、自由両党の合併大会当日まで辞任要求は引き延ばされた。総選挙をにらみ更迭をぶつけたのだ。藤井さんが「政治利用」と反発したのも無理はない。

 自他共に認める「ミスター道路」。東大大学院から技官として旧建設省に入った。自民党道路族と関係を築き、東京湾アクアライン建設や高規格幹線道路14千キロの計画策定に奔走。道路局長、事務次官、公団総裁とのぼりつめた。しかし、高速道路を張りめぐらせる計画はバブル崩壊後、「過大」と批判を浴びた。

 その後の民主党政権、安倍政権で政治・官邸主導が進み、官僚は力をそがれた。「官僚支配」を体現した存在が、政治に追い落とされたのは皮肉としかいいようがない。時代に翻弄された公務員人生だった。

 解任後の藤井さんをたどるなかで、18年にまとめられた回顧録の存在を知った。10回インタビューした計量計画研究所理事の毛利雄一さん(63)は「信念に基づいて行動した、公務員としての役割を全うした、と熱く語っていた」と振り返る。

 「遺産」は少なくない。物流の「2024年問題」対策として、政府は新東名高速道路に自動運転用車線を設ける方針だ。元道路局長の宮田年耕さん(73)は「急カーブをなくしてトラック専用車線を構想していた藤井さんの先見の明」と語る。

 あのとき何度も直接取材を申し込んだが、実現しなかった。いまの「政と官」の関係も聞いてみたかった。(星野眞三雄)

 

 

藤井治芳さん死去

2023331 500分 朝日

 藤井治芳さん(ふじい・はるほ=元建設事務次官、元日本道路公団総裁)18日、死去、86歳。葬儀は近親者で営んだ。

 62年、旧建設省に入省、00年に日本道路公団総裁に就任。公団の民営化をめぐり小泉政権と対立し、03年に解任された。

藤井治芳氏が死去 元建設次官、元日本道路公団総裁

 

2023330 16:07 日本経済新聞

元建設事務次官で元日本道路公団総裁の藤井治芳(ふじい・はるほ)氏が318日、死去した。86歳だった。葬儀は近親者で行った。

藤井氏は1962年、旧建設省入省。9596年に建設次官、2000年〜03年には日本道路公団の総裁を務めた。東京湾アクアラインの造成などをけん引し「ミスター高速道路」と呼ばれた。公団の債務超過に関する公表を巡って混乱を招いたとして、当時の石原伸晃国土交通相に解任された。

 

 

Wikipedia

藤井 治芳(ふじい はるほ、1936101 - 2023318)は、日本の官僚日本道路公団総裁建設事務次官駐車場整備推進機構理事長を歴任。 宮崎県都城市出身(生まれは東京都)。

人物[編集]

東京都立戸山高等学校東京大学工学部土木工学科卒、東京大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了。 建設省入省後は技官として道路畑一筋に歩み、「道路のドン」「ミスター道路」「ミスター高速道路」などと呼ばれた。

道路公団総裁時には道路公団の民営化に抵抗し、さらに総務部調査役の片桐幸雄の内部告発により債務超過である財務諸表の存在が明らかになったが、藤井は一貫してその存在を否定した上に片桐を左遷したことで批判が高まった。直後の小泉再改造内閣で就任した国土交通大臣石原伸晃から促された辞表提出を拒否し続けた結果、20031024に日本道路公団法の規定によって解任された。解任取消を求めて東京地方裁判所に提訴したが、200696に解任処分は相当であると、藤井敗訴の判決が下された。

家系[編集]

藤井家は藤原鎌足の末裔とされ江戸時代島津家の家臣として幕末期には藩校を主宰した。

父・藤井真透明治神宮外苑などを手がけた土木技官。

兄・藤井真治は、学徒出陣した海軍大尉で、194546日、神風特別攻撃隊第一八幡護皇隊の一員(九七式艦上攻撃機偵察員)として沖縄周辺の米艦隊への攻撃に参加し、戦死(阿川弘之の小説雲の墓標に登場する藤井大尉は、彼がモデルといわれる)。

経歴[編集]

1962 - 建設省入省

1978 - 関東地方建設局東京国道工事事務所長

1983 - 道路局道路経済調査室長

1985 - 道路局有料道路課長

1987 - 道路局企画課長

1989 - 中部地方建設局長

1990 - 道路局長

1993 - 技監

1995 - 建設事務次官

1996 - 退官

1998 - 駐車場整備推進機構理事長

1998 - 日本道路公団副総裁

2000 - 日本道路公団総裁

2003 - 解任

 

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