「させていただく」大研究  椎名美智・滝浦真人編  2023.10.25.

 2023.10.25. 「させていただく」大研究

                              「させていただく」がなかったら敬語は崩壊する?

 

編者 

椎名美智 宮崎県生まれ。お茶の水女子大大学院博士課程満期退学。ランカスター大大学院博士課程修了(Ph.D)。放送大大学院博士課程修了(博士(学術))。専門は言語学、特に歴史語用論、コミュニケーション論、文体論。現在は法政大文学部教授

滝浦真人 東大大学院文化学研究科博士課程中退、博士(文学)(北大)。現在、放送大学教授。専門は言語学、語用論、イン/ポライトネス論

 

発行日           2022.12.24. 初版第1

発行所           くろしお出版

 

23-04 「させていただく」の使い方』参照

 

表紙カバー裏

なぜ皆、こんなにも「させていただいて」いるのか?

さまざまな分野の言語学者が

各々の視点から語る、

「させていただく」研究のフルコース!

 

 

はじめに――「させていただく」を多角的に眺めてわかったこと――            椎名美智

授受動詞には「やる・あげる・さしあげる」「もらう・いただく」「くれる・くださる」の3系列7動詞があり、本動詞にも補助動詞にも使われる

本書は、補助動詞として使われている授受動詞、特に「させていただく」に焦点を当てて、様々な分野の言語学者が各自の専門の視点から分析した論考を集めた論文集

同時代の同事象でも、アプローチが異なれば全く異なる結論に至るし、時代が変わっても、同様の結論に至っている論文に出合う事もある

本書の特徴は、異なる専門領域の言語学者たちが集結し、もっぱらモラウ系ベネファクティブ「させていただく」について論じた点にある

重要な主張の1つは、「させていただく」が使われるようになった大きな原因が敬意漸減にあるということ

I

飯間氏は、詳細な事例考察によって「敬語体系の欠陥を補う」を検証。「させていただく」は東京では昭和初期から一般に使用され、当初から批判されてきたが、今猶使用も批判もなくならないという「興味深い状況」にある。使用の理由は、汎用性が高く便利だからに他ならないが、その便利さとは、謙譲語に出来ない動詞があるという日本語の敬語体系の欠陥を補う役目を果たしていることであり、動詞の後ろに付けさえすれば謙譲語が作れるという運用規則の単純さも使用拡大の一因

井上氏は、「させていただく」の使用増大が「敬意低減」の影響を受けていることを最初に指摘した研究者。「聞き手敬語」「敬語の丁寧語化」などの概念を提唱。方言学、社会言語学、敬語史の視点から「ていただく」を論考。日本語史や敬語史の議論に「地域差」という地理的視点を導入した点がユニーク

 

II

1章は、「敬意漸減」そのものに照準を合わせ。包括的に解説。著者は、語用論・ポライトネス研究者。長く敬語研究に携わり、最近の日本語研究に「敬意漸減」の概念が欠けているという意識を持つ

2章は、『「ていただく」出現の謎』とでもいう謎解き論文

3章は、漫才談話の終結部分に「やめさしてもらうわ」が使われることから、様々な漫才コンビの結末句に注目し、方言学的アプローチで「サセテイタダク」に迫った論考

4章は、違和感に着目し、語用論的な見解で始まる。最大の特徴は、「させていただく」文への違和感についての議論に、「迷惑性」と「地域差」が関連している可能性があるという考え方を導入したこと

5章は、授受動詞の補助動詞用法を「特別な文法的機能」として「ベネファクティブ」と命名したのが著者。ベネファクティブは、基本的に一人称の話し手の視点から恩恵性を捉えようとする表現

6章は、「させていただく」使用拡大の理由を、他のベネファクティブや敬意表現との勢力関係や通時的変化から探ろうとした論考

 

第I部       

l  特別寄稿 「させていただく」は敬語体系の欠陥を補う      飯間浩明

1.     目の敵にされる表現

()せていただく」は、「()れる」と同じく動詞の後ろにつけて敬意を表す。以前は連語と捉えていたが、2022年には1つの助動詞と認定。「()れる」が尊敬語として使われるのに対し、「()せていただく」は謙譲語として使われる。尊敬語の方は「敬意が軽い」などいわれるものの強い批判の対象にはならないのに対し、謙譲語の方は「感心しない」など厳しく論難される

永井歌風の1934年の日記にも現出し、批判的な意見があった

2002年、宮沢りえが貴花田との婚約会見で「結婚させていただきます」と言ったのが広まるきっかけで、敬語体系の欠陥を補うという便利さが一般に受けた

2.     敬語体系には欠陥がある

敬語体系には、尊敬語・謙譲語・丁寧語の3種あり、相手を敬う、自分がへり下る、話の聞き手に対して丁寧に言うことの3つが基本だが、「着る」「寝る」「死ぬ」などのように尊敬語があって謙譲語がない場合には、基本形だけでは物足りなく、「させていただく」が便利

3.     謙譲語になりにくい動詞

動詞は、「お/ご~になる」「()れる」で尊敬語に、「お/ご~する」「お/ご~申し上げる」で謙譲語になるが、特に「運転する」の様なサ変動詞など、当てはまらないものがある

4.     敬語体系の欠陥を補う

この穴を埋めるのが助動詞「させていただく」にほかならない

5.     『新潮現代文学』に見る「「させていただく」の用法

「「させていただく」使用の70%以上は「お/ご~する」に言い換えられない

6.     「使用上の注意」を設けたとしても

必要な状況で抑制的に使うなら批判の対象にはならないのは、「ら」抜き言葉と同様

使用上の注意として考えられるのは、①謙譲形がある動詞はそれを使う、②へりくだる必要のないところでは使わない、③繰り返しを避ける、など

 

l  幻の講演を再現 敬語の歴史社会言語学――関西起源のテイタダク       井上史雄

テイタダクを中心におき、方言学・社会言語学を出発点に、具体から抽象へ進む

1. テイタダクの日本語歴史・地理の中での位置付け

2. 地域差――ヤル・クレル・モラウの関西起源

3. 敬語全体の丁寧語化・美化語化などの傾向と関係づける

サセテイタダクが急速に普及したのは昭和20年代頃から。本来の謙譲語が拡大用法として話者自身のことを低めるために用いられるようになり、丁重語から丁寧語へと変化

 

第II部     

第1章     敬意漸減――すり減って止まない敬意が引き起こすこと――        滝浦真人

日本語の呼称や敬語などの敬意が次第にすり減って使えなくなっていく「敬意漸減」の現象を概観。敬語や授受動詞の全体に作用している現象

1. なぜ「敬意漸減」を?

日本語に顕著な新陳代謝の現象で、丁寧な上向きの言葉が次第に使いにくくなり、別の語がさらに丁寧な言葉として登場する代替わりが生じ、前の言葉はついには対象人物を軽んじるところまで価値が降下しさえするということが起こる

2. 敬意漸減とはそんな現象? なぜ起こる?

漸減が起こるのは呼称と敬語が典型。「こなた」(室町)→「おまえ」(江戸)→「あなた」

敬意をはじめ”+αの気持ち”(恩恵など)のようなニュアンスを帯びた表現は、出始めはよくても皆が同じ言いかたをするようになると”+αが単なる指示表現と化していき、しまいには特別感がなくなるに至る。これが敬意漸減の基本

3. 謙譲語の丁重語化なども敬意漸減と関係する?

謙譲語「いただく」は、敬意の対象者を明示して自分が受けた恩恵を「いただく」で表現するのが標準的(先生に教えていただく)だが、対象者が意識されなくなって話者がへりくだる場合は丁重語(日々生かしていただいていることに感謝)、ただ上品に言うだけなら美化語(自分で出来なければ人にやっていただく)。他者を立てることが敬語の本旨だとすれば敬語漸減過程の一断面といえる

4. 敬意がすり減って下向きの言葉が丁寧になる?

「あげる/差し上げる」は江戸では上向きの丁寧な言葉として使われていたが、明治になると帯刀ないし下向きの用法に変わる

5. 敬意漸減はいつから知られている? 注目されている?

1940年代の文献で大きく取り上げられているが、戦後はあまり取り上げられていない

6. 敬意漸減は日本語だけの現象?

日本語の敬意漸減は、非敬語型のヨーロッパなどの言語よりも明瞭で強い傾向を持つと考えてよいが、例外もある。ドイツ語などの二人称代名詞に区別があるのは、親密意識の方が強いので敬意がすり減りにくい

7. 敬語的な語の変化はすべて敬意漸減のせい?

社会的変化によって敬語が変化することもあるだろうが、敬意漸減のスピードが変わることの方が大きい

8. 敬意漸減の速さはいつも同じ?

身分社会において進行が遅く、脱身分社会において進行が速いと言える

9. 敬意のインフレは何時の時代が一番激しかった?

「させていただく」の一人勝ちの背景には、現在の敬語状況における、他者思考の敬語から自己呈示的な敬語への選好の変化がある⇒「敬語のインフレ」で、今後も進行し続ける

話者の意図と聞き手の解釈の間にはしばしば齟齬があり、その意味で話者/聞き手の立場には根源的な非対称性がある。とはいえ、現在の敬語状況はそれに輪をかけた「敬語のナルシシズム現象」と言うべきもので、話者は自己をへりくだることの出来る「ちゃんとした人間」として見せる自己愛的な傾向が際立つ一方、取り残されるような格好となる聞き手には、自分に向けられる敬意不足にいつも苛立たされ続けるといった不均衡が生じやすくなる

 

コラム 心優しい日本人?

コロナ禍で、公共サービスの縮減などでのへりくだった持って回った言い方と、国や自治体からの要請で終電繰り上げをするときの告知の表現と、あまりにも大きな彼我の差は一体どこにあるのか――悩める事業者の時は自分が責任主体であるのに対して、有無を言わさぬ言い切りの時は、「お上からの通達」を伝えるだけのただの管理者、という立場の違いにある。「させていただく」現象の根源にある敬語漸減のエネルギーは、もともと敬語や呼称の「敬意」が”+αとして表されるものであることから、すり減る宿命にあることに加え、明治以降百数十年かけて進んできた人間関係の水平化の中で、各自の判断において敬語や恩恵関係による待遇を決めなければならないという圧力によって加速化してきた面がある。そうした力の作用を受けないのが、どこかで決まった「規範」や上からの「通達」などで、人々は余り悩まず従うべきものとして受容してきた。この切り替えの速さと強さを垣間見ると、「心優しい日本人」という観念が揺らぐ

 

第2章     テモラウの依頼用法――テイタダク成立への契機――                荻野千砂子

現代語の授受動詞は、補助動詞(+授受動詞=テ形)と共に体系をなすが、テモラウの用法が近世から現代にかけて変化し、テイタダクが新たに必要となった要因について考察する

近世前期、二人称へ働き掛ける依頼の用法はテクレが担っていた。テモラウには二人称へ直接働きかける用法がなかった。近世後期(18世紀後半)、テモラウに二人称への軽度命令や依頼の用法が発生するが、その背景には聞き手への配慮が必要になったことがあるが、さらに一人称を低める必要性が生じた結果、新しくテイタダクが出現したもの

 

第3章     漫才談話の結末句の機能と変遷――「やめさしてもらうわ」をめぐって     日高水穂

漫才の定型的な締めのフレーズ(結末句)には、「もうええわ」「ええかげんにせい」などと並んで「やめさしてもらうわ」があるが、古くはボケの一言(オチ)だけで結末句がない場合もあり、結末句の漫才談話における機能について考察

「やめさしてもらうわ」は「使役形+受納動詞(もらう・いただく)」の形(サセテモラウ形)で、話し手自身の行為の意思表明にサセテモラウ形式を用いるのは、関西の言語運用の特徴

「持ちましょう」の方言で、「モタセテモラウ類」が最も顕著なのは近畿一円

関西の漫才の起源は、門付け芸の「万歳」ではなく、「俄(にわか)」と呼ばれる即興的な寸劇で、東京に進出した際には、「落語」の影響を色濃く受け、強烈な個性を持ったボケ役が一方的に話を進める談話展開が多く見られた

「やめさしてもらうわ」は、近畿地方の日常会話の延長で使用されるようになったが、舞台での使用の起源は、初期の漫才で開始時や終了時にサセテモラウ形式の表現を使ったところにある。定着させたのが西川きよしで、その機能は漫才談話を定型的なツッコミフレーズで終えた後の、対聴衆向けの挨拶に相当するもの。現代漫才では「ありがとございました」を使用するため、必要性が薄まり、漫才の結末句は「もういい類」に収斂する方向にある

 

コラム 「これをあなたにもらってもらいましょう」―「あげましょう」に当たる申し出表現

「これをあなたにあげましょう」の表現で、全国的には授与動詞(与え手がガ格、受け手がニ格となる動詞)を使った表現が優勢だが、受納動詞(受け手がガ格、与え手がニ格となる動詞)を使った表現が多くはないが近畿地方にまとまって分布

授与動詞を用いた直接的な申し出表現には「恩着せがましさ」が伴うため、「あげる」と同様、敬意の度合いは下がっていく傾向がある。「恩着せがましさ」を避ける婉曲的な表現として、「あげる」の意味で「もらってもらう」、「する」の意味で「させてもらう」が発達

 

第4章     「させていただく」の地域差は、どういう地域差なのか――世論調査と「食べログ」調査に見る――                                                                 塩田雄大

「させていただく」の発生・使用の地域差を観察・分析する

関西から東京に取り入れられた表現であるのは事実だが、東京でも地域差があり、山の手が早く、違和感を主張していたのは東京下町や地方出身者

原題の隆盛がすべて関西の影響というわけではなく、きっかけは関西だが、東京で独自のチューニングが施され、大きく育って全国に拡散したといえる

 

第5章     参与者追跡の観点から見た「させてもらう」の機能                      山田敏弘

日本語では、他者と話をするとき、様々な名詞句を代名詞化せずに省略して話を進めることが多くあり、文脈から理解しているが、一方で、省略された名詞句を適切に回復させるための装置も多様に用いられている⇒参与者追跡。その観点から「てやる」「てくれる」「てもらう」といったベネファクティブの補助動詞群を考察

日本語学で、一般に「やりもらい」や「授受動詞」などの3系列7形式の動詞の持つ補助動詞用法を「ベネファクティブ」という。その特別な文法的機能とは、①方向性明示という文法的特徴を用いた参与者追跡機能、②出来事の「恩恵的な捉え方の表示」機能

ベネファクティブ形式は、参与者を広い意味での出来事にinvolveする形式であり、involveは日本語の多用な参与者追跡に一役買っている

 

第6章     「させていただく」はなぜ一人勝ちしたか?――ベネファクティブの変遷に見る敬意漸減プロセス――                                                  滝浦真人・椎名美智

日本語の特徴でもあるベネファクティブの3系列体系の歴史から、敬意漸減の痕跡を辿る

自分の行為について、相手を意識しつつ丁寧に言うための表現が使いづらくなり、「~させていただく」へと流れ込み、「~させてくださる」からの交代もさることながら、特にヤル系動詞の凋落ぶりは凄まじく、「させていただく」の一人勝ちになっている

「させていただく」は、東京では明治・大正期から使われ、1990年代から急増。相対的には敬意漸減を起こしにくい条件のモラウ系とはいえ、兆しは見えている。話し手主語で相手に触れないので近接化は免れるが、逆に「させていただきます」との言い切り形に収斂して来ているところから、自己尊大化を起こす方向に敬意漸減が進むかもしれない

 

コラム 「させていただく」のこれから――「美化語」を目指す敬語たち

(サウナで)しっかり整わせていただいた」の表現では、相手を必要としなくなった

「させていただく」を違和感なく共起するのは、あなたの存在や役割を必要とする「あなた認知」の動詞だが、その傾向は若年層から弱まってきていて、「あなた認知」のない動詞でも広く使われるようになり、自分の行為を示す動詞全般につけて丁寧さを醸し出す便利な敬語になりつつある

ベネファクティブを分析すればするほど、相手への敬意を表していた敬語は、自分が丁寧に話すための敬語である「美化語」へと向かっているように感じる

 

 

 

 

【さ】「させていただく」を研究し尽くした本が出た

日本語探偵  飯間 浩明 国語辞典編纂者

2023/01/09 文藝春秋 2月号

国語辞典編纂者の飯間浩明さんが日本語のフシギを解き明かしていくコラムです

 言語学などを専門とする「くろしお出版」から、椎名美智(しいなみち)・滝浦真人(たきうらまさと)編『「させていただく」大研究』という本が出ました。しばしば目の敵にされる「させていただく」という表現について、日本語学の研究者たちが、さまざまな視点から論じ尽くした本です。

 研究書なのですが、漫才用語の「やめさしてもらうわ」の分析あり、「食べログ」の投稿に出てくる「させていただきました」の調査ありで、内容は贅沢(ぜいたく)、バラエティーに富みます。ところどころ難しい用語もあるけれど、それはネットを検索すれば分かります。日本語に関心の深い読者に、ぜひ生きのいい言語研究の成果を味わっていただきたい。

 と、本書を推薦しながら気が引けるのですが、実は私も論考を載せてもらっています。「させていただく」の研究の経験もないのに僭越(せんえつ)なことです。以前(20191月号)、本欄で「させていただく」を取り上げたのが編者の目に留まったことがきっかけでした。

 私の論は、「させていただく」は日本語の敬語体系の欠陥を補っている、というものです。たとえば、「会場に案内する」をへりくだって(謙譲語で)言うと「会場にご案内する」となります。一方、「会場を変更する」をへりくだって「会場をご変更する」と言うとおかしい。そこで、「会場を変更させていただく」と「させていただく」を使うと、うまく謙譲の意味が表せるのです。

 これだけでは簡単すぎるので、戦後文学で「させていただく」が使われた例を調べたりして、客観的なデータを示すことに努めました。私が述べたかったことは、どうにか形にしたつもりです。

 ところが、本書に掲載された他の論文を読めば読むほど、自分自身の勉強不足を痛感することになりました。

 たとえば、私は「させていただく」の古い例として、昭和初期の東京の例があることしか述べていませんでした。でも、本書の他の箇所で何度も引用されている松本修さんの論文によれば、明治時代から三遊亭円朝や幸田露伴、夏目漱石など多くの文章に「させていただく」の実例があるのです。それらを踏まえていなかったのは何とも迂濶(うかつ)でした。

 このように、本書は、各執筆者のユニークな論が楽しめるだけでなく、「させていただく」の基礎が一から分かるようになっています。私も本書を読んでから自分の論考をまとめればよかった。なんて、それは不可能ですが。

 

 

 

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