戦争とデータ  五十嵐元道  2023.10.16.

 2023.10.16.  戦争とデータ 死者はいかに数値となったか

 

著者 五十嵐元道 1984年北海道生まれ。14年英サセックス大国際関係学部博士課程修了(D.Phil)。北大大学院法学研究科高等法政教育研究センター助教、日本学術振興会特別研究員(PD)、関大政策創造学部准教授を経て、23年より教授。専攻は国際関係論、国際関係史。著書に『支配する人道主義―植民地統治から平和構築まで』他

 

発行日           2023.7.10. 初版発行

発行所           中央公論新社 (中公選書)

 

カバー裏

戦場での死者数は、第2次大戦後、内戦やゲリラ戦が主流となり、国家による把握が難しくなった。異なる数字が発表され、国連が機能不全に陥る中、法医学や統計学を取り入れた国際的な人道ネットワークが台頭してきている。本書は、特にベトナム戦争からウクライナ戦争までの死者数、とりわけ文民死者数の算出に注目。国家や武装勢力の軋轢や戦乱の中、実態把握のために「ファクト」が如何に求められるのか、苦闘の軌跡を描く

 

 

はじめに

国際政治上の現象の多くは、直接目にすることができない。規模があまりにも大きく、個人の体験以上の巨視的な説明が必要になる

人類は、戦争を始めとする様々な国際政治上の現象をデータで変換し、それによって全体を把握しようとしてきた。戦死者数、難民数、乳児死亡率、妊産婦死亡率、貧困ラインを下回って生活する人口など、国際政治に関しては多種多様なデータが存在する

こうしたデータ収集の要請は2000年代以降ますます高まる。SDGs(持続可能な開発目標)には2030年までに国際社会が取り組むべき目標が数多く盛り込まれているが、そこには232種類もの指標が含まれ進捗状況を数値で把握できるようになっている

2020年代を一言で言い表すなら、「ファクトの時代」と呼べるだろう。あらゆる政策がファクト、すなわち具体的なデータに基づいて立案、評価されるべきと多くの人が考える

真偽不明の情報に対応するためには市民11人のリテラシー(必要最低限の知識)が必要だが、国際政治上のデータについてのリテラシーはどうすれば高められるのか

本書は、多種多様な国際政治上のデータの中でも、戦争のデータについて考える

戦争全体を把握するためにデータの収集が必要だが、戦争のデータは誰がどのような目的で、どのような方法で作っているのか、データに変換される事象と変換されない事象はどのように選択されているのか、データから本当に戦争の実像を知ることはできるのか。これらの問いに答えるために本書を記した。全体像は捉えにくいので世界の見方を示すだけ

本書の分析視角は、科学技術社会論の分野に類する。科学技術社会論とは、社会と科学的知ならびに技術がどのような関係にあるのか分析する研究分野。科学は価値中立的で、より優れた科学的知こそ最適な実践や政策を導くと考えられたが、1970年代以降、しばしば仮説や理論が競合したまま解決を見ないために科学的知や技術が不確定なものとなっていて、時に政治、社会、経済から少なからぬ影響を受けてきたことが明らかになった

本書は、戦争データの多くが不確定であることを指摘するが、その上で科学的耐久性を備えた戦争データを生成しようとしてきた人々の苦闘にも光を当て、この領域での専門知の社会的意義が十分に存在することも明らかにしようとする

メディアが流す戦争データはどこまで実際の戦争を反映しているのか。それらはどのように作られているのか。本書が明らかにする見取り図を理解すれば、国際政治のリテラシーを高めることができるだろう。自分たちが見ている「戦争」のイメージが一体何をどこまで反映し、どこまで信頼できるのか。それを冷静に観察する力が多少なりとも身につくはず

 

序章 専門家の発言はすべて正しいのか

国際政治のデータの「揺れ」について考える

1. データの不確実性――政治的影響、生成方法の違い

データに関する議論が活発なのは保健衛生の領域――乳児死亡率や感染症の罹患率など

WHOのデータが政治的な影響を受けやすく、科学的な査読を十分受けていないという批判に応えてビル・ゲイツ財団の支援を受けて設立されたのがワシントン大学の保健指標評価研究所IHMEで、両者のデータには時に大きな差異がある

データの揺れが問題になってきたのは、「戦争での文民(=民間人)死者数の割合」――「新戦争論」では戦死者のおよそ80%が一般市民だとする。80%というのは過去の調査結果を基に算出した結果だというが、どのデータをどのように参照したのかは明らかにされてない

そもそも科学的に信頼性の高い戦争のデータは必ずしも多くない――生成自体が困難というだけでなく、国家の安全保障と密接にかかわるため、当事者が正確なデータを公開するとは限らないため

戦争データの不確実性に対する向き合い方――①ニヒリズム(あらゆるデータは政治的影響があり現実を十分に反映していないとする)、②楽観主義(とりあえずすべてのデータを信じて次に進む)、③批判的機能主義(正しいデータと誤ったデータの二分法をできるだけ相対化して何らかのデータを受け入れるー本書の立場)

データの科学的耐久性――あらゆる情報を科学的に分析し、相対的に高い情報を抽出

データの社会的信頼性――社会が受け入れるか否かの判断

データの機能性――データ生成の際に期待された機能を類推し政治的な意味を読み取ることによって、機能上、より実効的なデータに修正する

 

2. 戦争データとは何か――用語の定義と分析の枠組み

「戦争」とは、複数のアクターがそれぞれの目的を実現するために、組織的かつ継続的に暴力を用いることで衝突し、死者を発生させる社会的な現象。武力紛争も含まれる

「戦争のデータ」とは、ある特定の戦争の性質を説明するのに必要な情報の束。特に冷戦終結後、武力紛争の研究や報道において最も重要な論点の1つとされた「文民(民間人)の死」に関係するデータの生成に焦点を絞る。死者数、死者の属性や身元、死因など

1次データ」とは、聞き取り調査や法医学的な調査などによって、戦争に関する情報を直接収集した結果得られるデータ

2次データ」とは、1次データを加工、編集した情報。様々な「推定値」もここに含まれる

分析の枠組み①国際規範――国際社会は、基本的に国際人道法という形で戦争に関する規範を共有。国際人道法は、戦争犠牲者の保護(ジュネーブ法)と害敵手段の規制(ハーグ法)を主な内容とし、国連やNGOが生成するデータは、国際人道法に則っている

国際人道法は19世紀に誕生、西洋諸国が、兵士がどのように死亡したのか、社会に対して説明責任を負うようになったため戦争法として作られたもの(国際人道法になったのは1960年以降)で、戦争法には兵士たちの戦死情報の散逸を防ぐためのルールが定められた。第2次大戦後に明文化。文民の死者に関するデータが収集されるのはそのさらに後のこと

人道法との関係性の深さは、データの規範的な重要性と比例するところから、国際規範との関係に基づき、何をデータ化するかが決まる

分析の枠組み②科学的な分析――積み上げ方式に加え、法医学的記録に基づく推定値などを活用することで、客観的な批判にも耐えうるデータが生成される

以上の2つの枠組みを通してデータを生成するのは誰か――歴史的には主権国家が独占的に管轄したが、現在では国際組織やNGOなども関与

19世紀には、赤十字が誕生、戦争での保健衛生制度とともに、国際人道法が大きく発展し、兵士の福祉という発想がヨーロッパに根付くが、赤十字は基本的に主権国家の軍隊を補完する形で誕生・発展したため、国家に対抗するような情報発信は出来ず、国際組織やNGOが国家に対抗するように戦争データ生成に関与し始めたのは20世紀後半のこと

本書は主に国際組織やNGOによる戦争データの生成に着目し、それが国家や武装勢力とどのように対立してきたのか明らかにする

マスメディアの比重――「歴史上最初のメディア戦争」と呼ばれる1853年のクリミア戦争で戦場ジャーナリズムが発達、マスメディアが詳細に戦場の情報を拡散

国際組織やNGOによるデータ生成を分析する上で重要なのが「ネットワークの概念――科学的な専門知識を持った人材の「人道ネットワーク」の活用が必須

 

1章では、戦死者情報の収集に不可欠な戦死者の保護が、どのように国際的な規範となったのかを分析し、その規範がどのように実践されたかについて検討

2章では、文民保護が具体的にどのような内容で、どのような歴史的過程を経て国際規範として明文化したのかを分析

3章では、国際組織とNGOが戦争データを収集し、公表するに至る歴史的過程を分析

4章では、戦死者数、特に文民死者数全体を推算に使う統計的な分析手法について検討

5章では、戦死者と死因をミクロに分析する法医学的調査について検討

6章では、戦争で使用される武器の中で化学兵器に着目し、その使用調査について検討

 

第1章        兵士はどこへ行った――戦死者保護の軌跡

2022年のウクライナ戦争で、戦争の行方不明者について情報を収集し、家族からの問い合わせに答えるのが赤十字国際委員会ICRC。中立的立場。戦死者保護という規範が重要

1906年、「戦地軍隊における傷者及病者の状態改善に関する条約」(ジュネーブ条約)で初めて戦死者保護の国際規範が明文化――重要な転換点は1866年の普墺戦争

1. 戦死・戦死者保護とは何か

生物学的な戦死が発生した場合、遺体や遺留品が適切に保護され、身元の調査がなされなければ社会的な死に到達することはできず、残された家族の「曖昧な喪失」という苦悩から解放されない。国家が必要情報を収集して遺族に説明する責任に対処するところから生まれたのが戦死者保護の規範であり、遺体の保護と身元情報の収集を柱とする

2. 国際規範化――イタリア統一戦争後

戦死者保護は国際人道法の一部として提唱され、国際人道法の発展を支えたのは赤十字

1859年の第2次イタリア独立戦争で戦傷者の救護に遭遇したアンリ・デュナンは、負傷兵を救護する団体についての国際協定を提案、2年後の最初のジュネーブ協定となる

条約の成立とその後の発展を支えたのが「5人委員会」、後のICRCというNGO。各国の赤十字はそれぞれの国で承認され、戦争では自国の軍隊を補完する機能を持つ別組織

1867年、第1回赤十字国際会議に各国の赤十字社が集まり、戦死者保護の明文化を議論、兵士に認識票を携行させることを義務付ける

3. 実践から明文化へ―独仏戦争から日露戦争へ

1906年ジュネーブ条約で戦死者保護規範の明文化――40年間の実践の積み重ねを反映

日本軍に浸透させたのは、国際法学者の有賀長雄。日露戦争に法律顧問として従軍し徹底

4. 1次大戦――国家による管理へ

新しいジュネーブ条約が実戦で試されたのが第1次大戦で、膨大な死者数を前に、制度の抜本的作り直しの必要に迫られる

 

第2章        殺してはならない人間――文民保護の道程

1949年締結のジュネーブ協定では、戦争において文民を攻撃対象にしてはいけないという国際規範が確立したが、「文民」という存在自体が曖昧

1. 文民とは誰なのか

対概念は戦闘員。もともと中世ヨーロッパには、「無辜の人間は戦争の攻撃対象から外されるべき」との「免責」の概念が存在したが、植民地などの文明/非文明の二分法適用地域にあっては免責は存在せず、さらには武力紛争の範囲すら不明確

2. 2次大戦前の文民のイメージ

戦争を国家間の関係に限定しようとする動きと、国民全体を戦争に動員する動きがあり、軍隊と市民社会が分離するにつれ戦争の中でも攻撃対象を兵士に限定する動きが生まれたが、総力戦の時代になって文民も銃後での生産活動の主体として軍事的脅威となる

3. 1949年のジュネーブ諸条約の成立

2次大戦後、ICRCが再度文民保護規範の明文化を含むジュネーブ条約改訂に動く

新条約では、戦死者保護の規定が改訂されるとともに、文民保護条約が新設

具体的なイメージを持った3つのカテゴリーを提示し、保護の対象とした――占領下の文民や空爆に晒される文民など。抵抗運動をする文民は戦闘員として第1条約の保護対象

 

第3章        戦争の証言者の登場――NGOと国連

誰が文民保護規定の履行を監視するのか――国連の人権関連組織や人権NGOなど、人道ネットワークの登場

1. 赤十字国際委員会の沈黙――ビアフラ戦争

ICRCは、国際的に承認された中立的な政治空間の中にいて、主権国家と直接対立することはなく、第2次大戦などでも虐殺の実態を告発することはなかったが、1948年の国連でのジェノサイド条約採択により、平時でもジェノサイドが犯罪とされた

NGOが戦争データを巡って国家と対立する契機となったのが、196770年のビアフラ戦争。内戦では政治的中立の維持は困難

2. エルサルバドル紛争での証言

1977年、追加議定書が採択され、内戦での文民保護を規定

1980年代のエルサルバドル紛争では、政府軍による人道法違反を巡り、NGOのネットワークと主権国家が本格的に闘争――国内の反政府組織によるNGOや、アメリカズ・ウォッチなど国外のNGOが、違反事実を調査し公開、世論に訴える

3. 国連の事実調査――第3次中東戦争、ソ連のアフガニスタン侵攻

国連には、国際人道法の履行監視を主要業務とする常設の組織は存在しないが、特定の紛争や人権問題について、事務総長が事実調査を行うことができる。また、国連人権法を司る組織として国連人権委員会などの人権関連組織が人道法の履行監視を一部担っている

人権委員会による戦争の事実調査は、1967年の第3次中東戦争によって生じた被占領地問題を契機として始まり、エルサルバドルの内戦やソ連のチェチェン侵攻でも調査

人権委員会とともに、戦争での人道法違反の監視をしてきたのが国連人権高等弁務官事務所OHCHR1993年の国連総会決議で創設、人権侵害国に対し公に抗議することも

人権委員会は06年理事会に昇格、国際刑事裁判所も調査・監視のネットワークに加わる

 

第4章        死者を数える――戦争の中の統計

統計によって初めて理解できる戦争の性質が存在する

1. ベトナム戦争の経験――不明確な数字

本書でいう「統計」とは、「数字によって国家や社会の性質を捉える手法」

戦争被害の統計データの収集が実践として大きく発展したのは第1次大戦。欧州各国がすべての兵士の死のデータの収集に努め、国家が戦死者数を統計的に把握する時代が到来

文民については1970年代以降になって、NGOや国際組織などの人道ネットワークが収集・公表し始めた

2. グアテマラ内戦の画期――死者の推算

アメリカがベトナムで行った対反乱活動でのボディカウント(殺害した人数を数えて反乱側の勢力縮減を推定する)は軍事支援を通じて中南米の内戦に輸出される

1960年頃始まったグアテマラの内戦では、軍事政権の誕生と左翼ゲリラ組織の結成により紛争が激化。96年まで続き、20万人が犠牲となったが、政府軍による対反乱活動をアメリカが大規模な軍事支援を通じて諜報機関を強化、将校らを訓練するなど技術的に支援

本格的に戦争被害に統計学が応用されたのがグアテマラの内戦――生存者への丁寧な聞き取りを行い事実を整理しながら、証言の無かったり隠蔽されたりした虐殺を多重システム推算法を適用し、いくつかの独立した調査結果から全体像を類推

3. 旧ユーゴスラビア紛争――統計調査と言説の乖離

1990年代の旧ユーゴ紛争でも統計分析が行われ、スレプレニツァ虐殺の死者数が推算されたが、既報の半分以下の結果に批判が殺到、社会的信頼を得るのは難しかった

4. 複数データとAIによる推算へ

2011年のシリアでのアサド政権への抗議活動に起因する武力衝突でも、犠牲者数についてOHCHRなど複数の調査が行われたが何れも不十分で、AI技術によって総数を割り出す

 

第5章        遺体を掘り起こす――1990年代の戦争と法医学

戦争被害を統計的に把握できたとしても、11人がどのように命を失ったか説明できないと、その死についての法的責任を裁判で問うことはできない――法医学の登場

1993年国連安保理によって設立された国際刑事裁判所は、旧ユーゴの戦争犯罪を裁くために開廷され、17年すべての裁判を終えて閉廷

1. 法医学的調査の役割

法医人類学の分野では、性別や年齢などの特徴を人骨の分析によって科学的に導き出す知識体系が生成されていった

NGOや国際組織が法医学データを収集するために、調査チームを作って虐殺や内戦の地域に派遣することがある。調査はまず、遺体が埋まっている大量埋却地の発見から始まる。遺体の属性と死因を明らかにしてデータ生成に関与するのが法医学の専門家だが、法的な判断と法医学的な事実の確定は峻別され、問題となる犯罪の帰責性については論じない

2. 旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所ICTYの設立

ICTYでの裁判における法医学の役割――大量埋却地を見つけ出し、個体の死因を特定

3. スレプレニツァ事件の調査――裁判用のデータ

スレプレニツァの虐殺の調査は199601年まで続き、40カ所の埋却地を発掘し、個体の身体的特徴の解析、属性や死因を検証、身元の判別を行う

DNA検査は1980年代末~90年代初頭にかけ、法医学的調査における有効性が争われたが、90年代後半には論争が終結するとともに、DNAの検査技術が急速に発展し、犯罪捜査の現場で頻繁に利用されるようになる。紛争地での失踪者の捜索でも大きな力を発揮

4. 国際行方不明者委員会ICMPの拡大

2001年以降、ICTYから法医学調査を引継いだのがICMPで、本格的にDNA鑑定を実施したが、03年には世界中の失踪者の問題に取り組む。自然災害の事例も含まれた

2014年にはヨーロッパ5か国間で協定が結ばれ、正式な国際組織として法的地位を獲得

 

第6章        化学兵器を追う――いかに実戦投入を確認するか

化学兵器の使用は現在の国際社会において一種のタブー。いくつかの国際法でも禁止されているが、核兵器とは異なり、しばしば一線を越えてきた

1. 化学兵器禁止の歴史――17世紀から20世紀半ばまで

化学兵器禁止の国際法は1675年の仏と神聖ローマ帝国間のストラスブール協定が嚆矢

1899年、オランダでの第1回万国平和会議においてハーグ陸戦条約採択、一層明確化

最初に破られたのが第1次大戦。1868年ドイツの化学者フリッツ・ハーバーが空気中の窒素からアンモニアの合成に成功、農業用肥料に革命を起こし、ノーベル賞を受賞したが、ドイツ軍のために有毒兵器の開発も牽引、塹壕戦に有効だった塩素ガスやマスタードガスを開発するが、ユダヤ系のためにナチス政権からは公職追放されイギリスに亡命

1925年、ジュネーブ議定書で化学兵器の戦時使用が禁止されたが、内戦や植民地などでは多く使用され、サリンやVXガスなどの神経ガスを使った兵器の開発も進む

2. イラン・イラク戦争での事実調査

国連中心の人道ネットワークが本格的に化学兵器の戦時使用に関する調査を行ったのが198088年のイラン・イラク戦争――イランの訴えを受けて1984年国連事務総長の下に調査団組成。以後、事務総長の調査権限が公認される

97年、国連総会での化学兵器禁止条約発効

3. シリア紛争の混迷――調査方法・データをめぐる論争

化学兵器使用に関するデータは極めて政治的なもので、しばしば大きな論争を引き起こす

2011年のシリア紛争では、アサド政権が化学兵器の保有を認め、オバマ政権が化学兵器使用はレッドラインを超えると発言したことから、「使用」の有無が重要な争点となる

国連の調査は化学兵器使用を確認したが、アサド政権は使用を否定、ロシアがシリアの兵器廃棄を提案しアメリカが受け入れて一旦軍事介入は回避されたものの、18年にはふたたび使用があったとして米欧による空爆が実施されるが、使用の真相は藪の中

 

終章 戦争の実像を知りえないとしても

戦争データの不確定性に対し、本書は批判的機能主義というアプローチを提示し、データに科学的耐久性や社会的信頼性がどの程度あるのか、どういう機能を担っているのか、構造を分析すること、見取り図を描くことを試みた

戦争のデータが2つの認識フィルターを通じて生成されているというモデルを提示し、それに沿ってデータの生成構造を説明――国際規範と、科学的過程という2つのフィルター

また、戦争データの生成構造の分析において2種類のファクターに着目――1つは主権国家であり、もう1つは人道ネットワーク

こうした構造を通じて生成された戦争データとして、本書は、戦争での死者数(特に文民死者数)、犠牲者の属性及び身元、死因、使用された兵器(特に化学兵器)を取り上げた

何より重要なのが、関係者の証言や報告で、それにより名簿が作成され、多重システム推算法の適用や法医学調査データとの照合が可能になった

現場での地道な情報収集活動を補完するのがグローバルな人道ネットワークで、現地ネットワークと繋がることで、科学的耐久性を備え、人権や人道法に則した戦争データが作成され、メディアを通じて世界中に発信されてきた

さらに、巷間流布する戦争データの特徴を捉えるための指標として、科学的耐久性、社会的信頼性、データの機能という3つを提示――特に社会的信頼性に関しては、現地の政治社会的利害の対立の中で様々な軋轢を生む。結局戦争データの存在意義はその機能性にあり、裁判上の証拠のためのデータ、政治的な物語を支えるためのデータ、遺族の心を癒すためのデータなど、目的ごとに要求される内容が異なる。普遍的なデータは期待できない

データから戦争の実像を知ることはできるのか――部分的にしか知ることはできないが、死の記録が抹殺されることが究極の暴力だとすれば、たとえ断片的であれ、戦争で命を落としたと記録されることはその人を最悪の暴力から救う方途になる

戦争データには、女性への暴力のデータや難民に関するデータ、環境への影響に関するデータなど、いくつも重要なものが存在し、何れも戦争を知るために必要なデータ

 

 

 

 

(書評)『戦争とデータ 死者はいかに数値となったか』 五十嵐元道〈著〉 

2023812 500分 朝日

『戦争とデータ 死者はいかに数値となったか』

 正義を諦めぬ人々の長い道のり

 7月、国連のウクライナ人権監視団はウクライナ戦争の開始から500日間で9千人以上の文民が殺害されたと発表し、実際の犠牲者ははるかに多いだろうと付け加えた。文民被害の正確な把握は容易でない。危険な戦場で正確なデータを収集することはそもそも困難だが、加えて戦争当事国は、都合が悪いデータを改竄したり、文民を戦闘員だと偽ったりする。それでも、数々の制約を乗り越え、文民被害の正確な把握への試みは着実に発展してきた。本書がその推進力として注目するのが、人権NGOや国際組織、専門家が形成するグローバルな人道ネットワークだ。

 文民被害が記録され、告発されるようになったのはここ数十年のことだ。19世紀まで文民は潜在的な脅威とすらみなされた。第2次世界大戦後のジュネーブ諸条約(1949)でようやく戦時の文民保護が明文化されたが、その履行を監視する制度は設けられなかった。人道法違反を調査・告発するNGOが登場し、グローバルな人権監視のネットワークを形成していったのは、70年代以降のことだ。その後、統計学や法医学の手法も採り入れられ、戦争データの科学的耐久性が高められていった。

 「一人の人間がかつてこの世に生きていたことがなかったかのように生者の世界から抹殺されたとき、はじめて彼は本当に殺されたのである」。本書で引用されるハンナ・アレントの言葉だ。戦死者についての事実を解明しても命は戻らない。それでも、記録からも記憶からも抹消されるという最悪の暴力からその人を救える。今も続くウクライナ戦争では、国連の諸機関や人権NGOが文民被害のデータを定期的に調査・公表し、一人ひとりの市民もロシア軍の戦争犯罪をスマホに収めている。凄惨な戦争の中でも、正義の回復への努力が積み重ねられている。本書は、正義を決して諦めなかった無数の人々の戦いの記録でもある。

 評・三牧聖子(同志社大学准教授・国際政治)

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 『戦争とデータ 死者はいかに数値となったか』 五十嵐元道〈著〉 中公選書 1925円 電子版あり

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 いがらし・もとみち 84年生まれ。関西大教授(国際関係論、国際関係史)。著書に『支配する人道主義』。

 

朝日賞など4賞受賞スピーチ

2024127日 朝日

 2023年度朝日賞と第50回大佛(おさらぎ)次郎賞、第23回大佛次郎論壇賞、23年度朝日スポーツ賞の合同贈呈式が26日、東京都千代田区の帝国ホテルで開かれた。朝日賞の戒能民江さんや倉谷滋さん、大佛次郎賞の平山周吉さん、スポーツ賞の野球WBC日本代表の監督を務めた栗山英樹さんらが受賞の感慨を語った。

 

 戦争データ、「科学的」以外の視点も 関西大学教授・五十嵐元道さん(大佛次郎論壇賞)

 初めて国際情勢の授業を担当することになった時、戦争の何を知れば、戦争を理解することになるかという問いに直面しました。戦死者数が重要と考え、ボスニア戦争を調べると25万人と10万人というデータがありました。データがどのように生成されるかを研究することにし、いつの間にか9年が経っていました。

 拙著はデータが信用できないと主張するものではありません。データがどれほど科学的に耐久性があるのかという視点が重要ですが、それだけで市民が納得するわけではないこと、そして真実と虚偽の二分法でデータを見るべきではないことなどを指摘しています。

 今後は生成AIによる画像など虚実入り交じったデジタルデータの問題に取り組みながら、戦争データの研究を続けていければと考えています。

     

 いがらし・もとみち 受賞作は「戦争とデータ 死者はいかに数値となったか」

 

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