世界を騙しつづける科学者たち  Naomi Oreskes  2021.11.26.

 

2021.11.26.  世界を騙しつづける科学者たち

Merchants of Doubt            2010

 

著者

Naomi Oreskes カリフォルニア大サンディエゴ校教授。専門は科学史。『サイエンス』誌に掲載された『Beyond the Ivory Tower』は地球温暖化否定論に対する戦いの里程標となった

Erik M. Conway NASAジェット推進研究所JPLの研究員

 

訳者 福岡洋一 1955年生まれ。阪大文卒(英語学)。翻訳者

 

発行日           2011.12.15. 第1          2012.4.12. 第2

発行所           楽工社

 

 

²  登場人物

l  Frederick Seitz 19112008。物理学者。原爆開発で頭角。米国でもっとも傑出した科学者の1人。50年代にはNATOの科学顧問。60年代には全米科学アカデミー総裁。68年ロックフェラー大学学長。反共、反規制、私企業と自由市場の擁護という自らの信条に基づき政治的かつ反科学的な活動に従事

l  Siegfried Fred Singer 1924~。物理学者。ロケット科学の専門家として人工衛星とその軍事利用の研究に携わる。50年代米国気象衛星センターNWSCの初代所長。ニクソン政権で内務省副次官補、レーガン政権で運輸相のチーフ・サイエンティストとして科学と政治を繋ぐ。60年代編んで環境保護主義者だったが、70年代に変節、環境問題は自由市場に支えられた技術革新によって解決されるという立場をとる

l  William A. Nierenberg 19192000。物理学者。原爆開発に協力。53年コロンビア大ハドソンラボの所長。サイツの後任としてNATOの科学顧問。スクリップス海洋学研究所所長。80年代レーガン政権の「酸性雨審査委員会」委員長を歴任、それらの職務を通じて反科学的活動を展開

l  Robert Jastrow 19252008。宇宙物理学者。ゴダード宇宙科学研究所(NASAの理論部門の中核の1)を設立し、所長として米国の月探査、太陽系探査計画を推進。1984年レーガン政権のSDI構想を擁護・推進するためにニーレンバーグと協力してジョージ・C・マーシャル研究所設立

 

²  キーワード

l  シンクタンク ⇒ 政策の研究と提案を行う非営利団体。米国において重要な役割を果たし、影響力も大きい。比較的中立なのがブルッキングス研究所。保守的なのがヘリテージ財団、ケイトー研究所、アメリカン・エンタープライズ研究所、ジョージ・C・マーシャル研究所など

l  リバタリアニズム ⇒ 個人の自由を最大限尊重すべきとする考え方・思想

 

 

序章 

ベン・サンターは、世界で最も卓越した科学者の1人。米エネルギー省勤務の大気科学者、ローレンス・リバーモア国立研究所の「モデル診断相互比較プロジェクト」に所属。世界中の気候モデルから得られた結果を集積して研究者たちに配布し、モデルどうしを比較したり、現実世界のデータと突き合わせたりする巨大な国際プロジェクトで、地球の気候がどのように働くか、人間活動が地球の気候を変えつつあると確実に言えるかどうかを研究し、イエスとの結論を示したばかりか、温暖化の仕方が、温室効果ガス(CO2,メタン、フロン等)が原因の場合に予想されるパターンと一致していることを明らかにした

サンタ―の調査は、「フィンガープリンティング(指紋識別)」と呼ばれる

自然の気候変動が示すパターンや痕跡は、温室効果ガスによる温暖化の場合と異なる

温暖化の原因が太陽にあるなら、成層圏も対流圏も暖かくなるはずだが、サンターは対流圏だけが温かくなることを証明。人間の活動が原因だとするメッセージに抵抗する人々がいて、サンターたちは不当な攻撃の標的とされた

世界気象機関WMOと国連環境計画UNEPによって1988年設立された気候変動に関する政府間パネルIPCCは、気候の問題について世界的な権威を持ち、1980年代に科学者たちが懸念した地球温暖化への警鐘を鳴らし対処する

95年に『気候変動の科学』と題する評価報告書で、サンターは温暖化の原因が温室効果ガスであることの証拠をあげているが、ある有力物理学者グループから誹謗中傷を受ける

同様の例が煙草と癌の関係で、因果関係に疑問が残っている限り、煙草業界は訴訟や規制を免れることができるため、論争を絶やさないことが必要。そのため煙草業界は因果関係の科学的証拠の評判を落とすためのプログラムを組織、一部科学者が参加しているという

気候変動にも煙草にも中傷に参加した科学者は同じ2人で、フレッド・サイツとフレッド・シンガー。サイツは固体物理学者、シンガーはロケット科学者。2人とも極端なタカ派で、SDI構想のために設立された保守系のジョージ・C・マーシャル研究所と関わりがあり、かつて煙草産業のために働き、喫煙と死を結び付ける科学的根拠に疑念を投げかけるのに手を貸していた。同じ論理が温暖化の中傷にも使われている

2人の他にもニーレンバーグやジャストロウなどの物理学者も含め、有力な科学者が権力の中枢にいながら、多くの科学者の間で意見が一致していることを頑なに否定してきた

彼等の主張を真に受けたのはブッシュ政権だけではなく、マスメディアも同じで、科学論争ではなく偽情報で、煙草の事例で始まった大きな図式の一部だということを、ジャーナリストも大衆も全く理解していなかった

本書は「タバコ戦略」についての物語。科学と科学者を攻撃し、我々の生活と我々が暮らすこの惑星に影響を及ぼす、大きく重要な問題について我々を混乱させるために、「タバコ戦略」がどのように用いられたかを語る

4人の科学者は、科学における名声を利用して権威者として振舞い、自分たちの気に入らない科学研究を貶めるためにその権威を用いた。彼等が論争に加わったどの問題についても、独自の科学研究をほとんど行っていなかった

自然界の真実を明らかにすることに身を捧げた科学者がなぜ、仲間の科学者の研究について間違ったことを故意に伝えたりするのか。何の根拠もない非難をなぜ広めようとするのか。マスコミはなぜ何年経っても彼等の言葉を引用し続けるのか

 

第1章        疑念の売り込み

1979年、R.J.レイノルズの提唱する全米の主要大学、研究機関などの生体医療研究に総額45百万ドルの研究助成金を提供するプログラムに、フレッド・サイツを招聘。サイツは70年代に米国の生体医療研究で指導的な地位にあるロックフェラー大の学長を退任したところで、助成対象の基準作りを担当

計画の焦点は、米国人の死因の大きな割合を占める変性疾患――がん、心疾患、肺気腫、糖尿病――にあった

助成プログラムの対象は、煙草を守るための強力な科学的データや意見を生み出すための研究。中でも重要なのは証人の養成

19531215日、数カ月前ニューヨーク市のスローン・ケタリング研究所がマウスの皮膚にタバコのタールを塗るとガンが発生して死に至ることを実証したのを受け、全米の6つのタバコ会社とヒル&ノウルトンが、業界の製品を擁護する広告で協力することに合意。「タバコへの非難に科学的妥当性がなく、助成金目当てのセンセーショナルな非難でしかない」と大衆に信じ込ませようとした。業界として研究委員会を設け、タバコの害を示す科学的証拠に挑戦、タバコとガンの繋がりに疑問を投げかける研究を助成。論争を作り出し、マスメディアにも両側の主張を提示する義務があると信じ込ませた

その時点では、誰もタバコとガンの関係についてすべてがわかったとする主張は出来ず、業界はこうした通常の科学的誠実さを利用して不合理な疑念を掻き立てた

報道のバランスを求める訴えかけも一見合理的に聞こえるがまやかしで、「ヒトラーとチャーチルの間でバランスをとる」必要性などどこにもない

50年代後半には米公衆衛生局をはじめ先進国の機関が紙巻きタバコとガンの繋がりを示す証拠は議論の余地ないものと断言、さらにニコチンに中毒性があるとの結論を下し、一部タバコメーカーもそれを認めて、「安全な」紙巻きたばこの開発に乗り出している

64年の米公衆衛生局長官の報告書『喫煙と健康』では、肺がんの原因が喫煙にあると断定

業界は直ちに反論、研究助成も増額

タバコが有害であるとの専門家の意見が大多数を占め、業界内部でもそのことを知っていてもなお、業界保全のためには、疑念を供給し続けることしかなく、これまで以上に傑出した科学者を引き入れてその名声を利用する

79年、サイツがタバコ業界に紹介されたのは、そのような時代背景があった

2次大戦中、米政府は原爆開発のため数百人の物理学者を招集。それまで日の当たらない学問だったが、突如脚光を浴び、戦後も名の通った大学に迎えられ、兵器だけでなくあらゆる種類の問題について政府に助言する機会も多くなる

サイツは、アインシュタインにルーズヴェルト宛に原爆開発を勧める手紙を書かせたプリンストン大のユージン・ウィグナーの最も優秀な弟子。自ら学長だったロックフェラー大へのタバコ業界からの多大な助成に恩義を感じ、タバコ業界からの誘いを受ける

ベトナム戦争を支持したり、タカ派的言動があったりして次第に孤立感を深め、知的孤立を、他者を非難することによって正当化しようとした

サイツは遺伝子決定論者でテクノロジー至上主義者、環境保護論者は進歩を逆転させようとするラッダイト(産業革命の時機械化に反対して暴動を起こした人々)だと見做していた

タバコ業界は組織的犯罪取締法の下で有罪と判断される。業界が53年に喫煙の危険性を認識していながら、共謀して覆い隠し、事実と戦い疑念を売り込むことを企てた

疑念が晴れるまでには長い時間がかかり、米国民は長年にわたって喫煙の危険性について合理的な疑いがあると考え続け、警告ラベルは強化されたが、裁判で業界が負けるようになったのは90年代に入ってからだし、FDA90年代初頭にタバコを嗜癖性毒物として規制しようとしたが、実現したのは2009

業界のキャンペーンが功を奏した理由の1つは、すべての喫煙者がガンに罹るわけではないということ。喫煙を特定の病気と結びつけられない人が30%はいる

科学は、健全な懐疑によって前進するが、懐疑によって虚偽の主張に傷つけられやすくもなる。不確実な部分を取り出して、すべてが「未解決」だという印象を作り出すのは容易

タバコを守る業界のキャンペーンが終わりに近づき、喫煙の害は証明されていないと真顔で主張するのが困難になると、ジョージ・C・マーシャル研究所を設立して、同じやり方を踏襲。スター・ウォーズ(SDI構想)、核の冬、酸性雨、オゾンホールを経て地球温暖化へと続き、常に事実と戦い、疑念を売り込み続けた

 

第2章        戦略防衛、「事実」の構築、ジョージ・C・マーシャル研究所の設立

2次大戦中原爆製造計画に関わった科学者たちは、科学が安全保障国家の構築を助けたと誇りに思っていたが、50年代に軍拡競争が始まると、学問をしていた多くの科学者は軍備管理を支持、60年代のベトナム戦争では公然とハト派に転じたが、サイツは全く逆で、デタントも道徳的に許しがたいと考えた

サイツの執拗な反共主義は外交問題に関する有力なシンクタンクも共有。フーバー研究所、ハドソン研究所、ヘリテージ財団などで、議会内のタカ派と組んでデタントを攻撃

レーガン政権の軍備増強を正当化するため、CIAの公式報告書に疑念を投げかけ、実際に核兵器が使われたら世界全体が崩壊するという天文学者セーガンを攻撃する

 

l  「チームB」の誕生

70年代後半、大統領対外情報諮問委員会のタカ派の委員が、CIAのソ連の脅威の分析が甘いと異を唱え、「チームB」と呼ばれる検討会を作って、証拠がほとんどないにもかかわらず、自らの見方の確実さを主張することによって相手方の言い分を掘り崩した

チームBの何人かはレーガンの大統領選挙チームに入り、大統領就任と同時に「Aチーム」になって、レーガンのスター・ウォーズ計画策定の判断の基礎となる

 

l  スター・ウォーズ計画――戦略防衛構想SDI

1983年、SDI構想発表するが、多くの助言者は反対だった

86年、反対する物理学者が計画阻止のため組織的に動き、6500名の科学者がミサイル防衛研究プログラムからの研究助成金受け入れ拒否の誓約書に署名

サイツの仲間だったジャストロウは激怒。何の根拠もないままにソ連の能力を過大評価し、対抗するための装備充実を主張。十分確信をもって警告を発すれば、たとえ事実が自分の側になくても、目的を達成しうるという証拠にもなった

 

l  戦略防衛から核の冬へ

1983年、NASAのエイムズ研究センターは、核戦争のコンピュータ・モデルを使って、核兵器の使用が地球の温度にどう影響するのかを調査。結果は、わずかな核兵器の使用でも、地球が極端に冷え込んでしまう可能性があることを示唆、「核の冬」仮説として広まった

すぐに科学者たちの関心を呼び起こし、科学者仲間のピアレビューを経て雑誌にも発表

種々の論争を経て、核戦争が重大な二次的影響を気候に及ぼすという点については合意

 

l  ジョージ・C・マーシャル研究所

1984年、SDIを無益なものとして反対するMITなどの科学者に対し、SDIに関する諮問委員会の委員長のサイツは、ジャストロウに加えて同じタカ派仲間で最近スクリップス海洋研究所長を退任したニーレンバーグも招聘して第2次大戦後の復興を指導した米軍人に因んで名付けたジョージ・C・マーシャル研究所を設立

「タバコ戦略」と同様、反対派の主張が戦略防衛の事実を歪曲したとして激しく非難

ジャストロウの行動を裏打ちしていたのは強烈な反共主義

タバコの場合との大きな違いは、戦略防衛や「核の冬」は仮説であって何の事実の裏付けもないことで、あくまで推定による虚構に過ぎなかった

 

l  科学に対する全面攻撃

「核の冬」を主張する科学者に対し、科学のコミュニティが左翼思想によって堕落していると主張。60年代の反戦運動と70年代の環境保護運動の結果、左翼活動家たちが米国の科学の主流を乗っ取ったと示唆

70年代以降、たいていの科学者は軍備制限や縮小という目標を支持していたが、サイツやジャストロウらの陣営は拒否。彼等は米国が兵器開発によって恒久的な軍事的優位を達成できると信じていた

20世紀末の米国で、右派にとって最大のヒーローの1人は、新自由主義の経済学者ミルトン・フリードマン。その著作『資本主義と自由』の中で、両者は手に手を取って進むと論じ、両者を共に守ることを主張したが、科学者たちは、すべての生命が究極的に依存している自然環境を資本主義が守れなくなっている証拠を次々に挙げていた

自由市場は意図しない結果を引き起こしており、政府は規制という役に立つかもしれない解決法を手にしていたが、それは資本主義の理念に反するものだった

「自由を守るための急進主義は悪ではない」といったゴールドウォーターの言葉は有名だが、本書ではそれが悪であることを明らかにしていく

 

第3章        疑念の種をまく――酸性雨

同じころ問題になったのが「酸性雨」で、両者は全く別のものだが、同じような人々が論争に関わり、タバコの論争と同様、酸性雨を引き起こす汚染の規制に反対する人たちは、確実なこととして科学で解明されていないから規制を正当化できないと主張

1955年、米農務省がニューハンプシャーでハバード・ブルック実験林を作って生態系の観察を始め、63年に酸性雨を発見。元々、火山活動などの自然現象による酸性雨の存在はルネサンスの頃から知られており、人間活動による酸性雨も19世紀から英独など産業によって汚染された地帯で認められてはいたが、この人里離れた実験林で、pH4以下の強酸性の雨が観測されたのは初めての現象ゆえに気がかりだった

20世紀前半、セオドア・ルーズヴェルト、ジョン・ロックフェラーといった自然保護論者たちは、通常の土地利用と開発から切り離された特別な地域を作ることで、米国の美しい手つかずの自然を保全しようとした。ヨセミテ、イエローストーン、グランド・ティトンなどが対象で、「保全主義」の環境保護は幅広い人気があり、超党派的で、保全主義を推進しているのは美意識と倫理的価値、健康的なレクリエーションへの願望であり、そこに科学への依存はなかった。地質学や動植物学などの自然史的な分野には興味を持っていたが、自らの主張を展開するために科学を必要としてはいなかった

環境保護主義者のイメージからは遠く見えるニクソンの下で環境保護庁が創設され、水質清浄法など環境に関するいくつもの法律に署名しているが、レーガンになって共和党を環境保全と環境規制の両方から引き離し始め、科学と衝突する方向に向かわせた

レイチェル・カーソンが、殺虫剤DDTの影響について発した警告は米国人に、地域の汚染が全地球的な影響を生じさせるかもしれないとの認識をもたらす

公害とは、悪徳企業の意図的な行為よりも、善意の人間であっても意図せずに害を及ぼすことの方が深刻な問題で、そのような経済活動を政府の役割によって変えていかなければならない

酸性雨の被害は巻き添えとしか言いようのないもので、74年には実験林での研究結果から、米国北東部のほとんどの地域で酸性雨が降っているが、その原因は中西部で高い煙突が使われるようになったことと関連があるとし、政府による規制の必要性を示唆

化学分析から、酸性雨の原因の大部分は溶解した硫酸塩や硝酸塩で、石油や石炭を燃やしてできる副産物と判明したが、最近なって問題化した背景は、煙に含まれる粒子を除去して近隣の大気汚染を減少させる装置が使われるようになったことの意図しない結果だった

酸性雨の影響がどれだけ大きいか、正確なところは分からないが、酸性雨が存在し、重大な問題であることは明らかで、徐々にではあっても酸性雨の影響は重大で、不可逆的に起こる可能性があった。全体として排出量を減らすことが必要と分かっていた

酸性雨を研究する科学者たちが論文を発表し始めるが、確実なのは人間活動に由来するイオウが関係している点で専門家の見方も一致したが、作用機序は未解明であり、いくつもの不確実な原因が考えられるものの、完全に明らかになるということはあり得ない

既に知られているイオウの3大供給源である汚染、火山、波飛沫(しぶき)のうち、北ヨーロッパに活発に活動している火山はなく、波飛沫はそれほど遠くまで到達しないから、北ヨーロッパの酸性雨の大部分は大気汚染に由来するに違いないと推論

同じ元素でも質量の異なる原子である同位体を使ってイオウの出所を明らかにすると、オンタリオでは地元で採掘するニッケル鉱石に含まれるイオウと同一であることがわかり、ハバード・ブルックの実験林では、酸性雨が土壌の中の鉱物と反応して酸性を弱めたために酸性雨が降りながら川の水の酸性は低いことがわかる。ということは土壌に含まれるカルシウムなどの栄養素を奪うために土壌がダメージ受けていたことが明らかになる

1979年には実証結果が論文として報告され、酸性雨の原因が化石燃料を燃やすことで生じたイオウや窒素の放出であると断定され、米国人はこの年初めて酸性雨の脅威に気づき、最初の全地球的な問題となり、地球全体が課題に直面することになる

 

l  政治的行動、米国とカナダの不一致

1979年、国連欧州経済委員会は、「長距離越境大気汚染条約」を決議。越境して他地域の環境に被害を及ぼすことがないようにする責任を負うとした。自然環境にとって有害な大気中へのあらゆる排出物を制限するよう義務付ける

産業界の指導者たちは、高層煙突を使えば地上に落ちてきたときには無害なほど微量になるので、雇用や経済を犠牲にしてまで厳格な排出基準を設ける必要はないと主張したが、カナダに降る酸性雨の半分以上はアメリカに発生源があるとカナダ環境省が結論したため、カーター大統領は酸性降下物法に署名し、大気汚染の監視を強化したが、その後政治の風向きが変わる

 

l  レーガンのホワイトハウスにおける懐疑論

1980年、レーガンは規制緩和を旗印に政権に就き、当初こそ科学的に不確実なところを減らすことに理解を示したが、汚染軽減にかかる費用が大きいとなおさら、科学コミュニティと離れ強く対立するようになる

科学者の間では、さらなる真実を求めて探求を深めるために、決着がついた知識よりも、不確実な部分が強調されるが、公的な政策を作る場合は、不確実な部分は極力回避する

米加2国間の交渉でも、イオウの排出によって引き起こされた酸性雨が深刻な被害を引き起こすと認めながら、2国は同じ報告書から異なる結論を引き出す

国の経済の70%を観光事業に依存するカナダは、汚染源の存在からいっても浄化する責任の大部分は米国と主張したが、米国は個別の因果関係に関わる証拠の受け入れに抵抗

 

l  第三の意見を求めて

1982年、全米科学アカデミーがカナダと共同で議論している一方で、レーガン政権は独自の審査委員会を設置。専門家が結論を出し、環境保護庁も深刻な状況と認め、排出基準を50%程と予測した報告書をまとめていながら、政権はその結論を露骨に拒絶。その委員会を仕切ったのが大統領の科学技術に関する人材登用顧問団の一員に招かれていたニーレンバーグ

2次大戦開戦直前のパリに留学し、ファシズムへの脅威が見に染みついたニーレンバーグは、原爆の製造に加わり、戦後は科学と政治を結び付ける様々な地位を歴任、環境保護主義者をラッダイトと見做して嫌う。委員長に就任した時に招聘したのが70年代初めにある種の化学物質がオゾン層に損傷を与えていることを知り、後にオゾンホールの発見に関しノーベル化学賞を受賞することになるシャーウッド・ローランド

 

l  ニーレンバーグの酸性雨ピアレビュー・パネル

2国間の調査報告書を審査したニーレンバーグの委員会は、すぐに行動に移すよう推奨したが、唯一反論したのが政権の推薦で委員となった科学技術政策局のフレッド・シンガー

シンガーも冷戦のお陰でキャリアを築いた物理学者で、サイツらと同じように、科学、政府、軍を結ぶ行政上の要職を歴任したが、60年代には環境保護主義者だった

ホワイトハウスの意向は、汚染の一部が既にコントロールされていることを強調し、科学知識が不十分でこれ以上の排出抑制を正当化できないとする。科学的には酸の沈着の原因がすべて確定したわけではないこと、抑制策は今なおコストが高く、信頼性に欠けると主張、何れも電力業界の主張に近く、科学者たちのピアレビューの結果を無視した

シンガーが委員会の報告書に反論することは、科学の中に重大な不一致が実際にあるかのように見せる効果をもたらしたばかりか、報告書の付録として添付された結論部分を任されたシンガーは、委員会の結論を無視して、「排出を削減すれば被害はそれに比例して減るのだろうか?」という疑問文で終わらせた

 

l  操作されたピアレビュー

1984年、報告書が出るのを待たずに、下院小委員会は酸性雨を抑制するための法案を僅差で否決し、この問題に関する議会の動きを事実上葬り去る

その後公表されたピアレビュー・パネルの報告書は、完成後に変更が加えられ、パネル全体の同意を得ていなかったことが判明。重要な追加や削除はないが、トーンが変わりメッセージが弱められていた

ピアレビューは科学の重要な一部であり、それを勝手に変更することは科学のプロセスに介入すること

 

l  操作に関わっていたニーレンバーグ

報告書の変更にニーレンバーグが関わっていたことは明白であり、委員の多数からの事情説明の要求にもまともに答えていないが、共和党員は総じて彼の仕事に満足

「何が原因か分からない」というのが、レーガン政権の公式な立場となり、21年間の科学研究を無視。この政権中に酸性雨に対処する法律はできそうになかった

タバコのケースと全く同じ構図だが、誰もこの類似には気付かなかった

さらなる科学の成果が公表されるのは専門誌ばかりで、一般のメディアは科学と状況を誤った形で伝え、酸性雨対策を取ろうとしたEPAを「活動家」呼ばわりまでした

1990年ブッシュ政権誕生によってようやく大気浄化法を改正、酸性雨抑制のために排出権取引――キャップ・アンド・トレード――方式が確立。この施策により19902007年の間二酸化イオウのレベルは54%減少したが、電気料金はなんとインフレ調整後で下がっていることが判明。EPAは過去10年の関連支出が8090億ドルで、便益が10101190億ドルだと議会に報告。環境を保護しても経済の荒廃は起きなかった

酸性雨対策に市場原理を活用したのはたぶん正しかったのだろう(科学的証明は未済)

だが、酸性雨はなおも存在し、森林はバイオマス(生物の総量)を蓄積しておらず、生長がとまったとされる。原因は他にもいろいろ考えられるが、酸性雨が大きな問題であることは変わらず、大気浄化法で許容した上限が高すぎるとともに、市場原理やコマンド・アンド・コントロール(法律で義務付け強制的に実行させること)による対策だけでは不十分であることは間違いない

ジョージ・C・マーシャル研究所は07年になってもなお、酸性雨と結びつけられている被害は「ほぼ仮説」であり、研究が進めが実は起きていなかったことが明らかになると主張し続けている

強力な規制が技術革新を引き出す効果的な手段だということも科学的に明らかにされているが、確実にわかっているのは、酸性雨についての疑念を売りつけることが、タバコの場合と同様に、遅延を引き起こしたことで、多くの人はこの教訓を思い知らされたばかりか、同じ人々が関わって同じ戦略が繰り返し用いられたことに気づく。それがエスカレートすると、問題の存在そのものの否定となり、さらにピアレビューのプロセスをいじり、科学そのものを排除しようとすることになる

 

第4章        対抗のための物語――オゾンホールをめぐる戦い

酸性雨と同じころ発生した問題がオゾンホール

1970年、超音速旅客機SSTの開発を契機に、地球を守るオゾン層を人間の活動が破壊しているかもしれないという考えが初めて一般に伝えられ、フロンCFCの存在が浮上

l  オゾン戦争

年間10億ドルのスプレー産業を擁するエアロゾル業界は直ちに反応

フォード政権も75年に部局間合同タスクフォースを設置、新たな証拠がない以上大気中への放出を完全に禁止すべきとの結論に達する

1976年、全米科学アカデミーNASの報告書は、オゾンの減少が放出されるCFCの量に比例するとの結果を公表。連邦の各部局も規制へと向かう

 

l  オゾン層の穴

1985年、英国南極調査所が、南極上空に著しくオゾンの減少している場所があることを発表し、オゾンを巡る騒ぎは新しい局面に入る

衛星でも南極大陸と同規模のオゾンホールが観測され、CFCの排出に関する国際交渉が始まる

 

l  柔軟性のある規制

1985年、国連環境計画UNEPが中心となってCFC製造に対する規制への動きが始まる

1988年、米国上院はCFC製造50%削減を定めたモントリオール議定書を批准。デュポンも10年以内にCFCの生産中止を決定したが、その後もっと厳しい規制が必要との証拠が増えていった

 

l  北極にもオゾンホール?

全体像は明らかになっていたが、細部についてはまだ未知の部分があり、科学研究は続く

1989年の調査では、北極でも同様の高い濃度の一酸化塩素のレベルが記録され、モントリオール議定書は改定され、CFCの製造は2000年に、その他の化学物質は200540年にかけて製造を中止することに決定。科学に基づいて規制が実施された

 

l  対抗するための物語

オゾンの問題は、科学に基づく規制強化の成功例だが、政権内部にはオゾン層破壊を否定した勢力もいた。レーガン政権の内務長官ドナルド・ホーデルはその代表

1980年代初め、反環境保護主義者はワシントンの保守的、リバタリアン的なシンクタンクのネットワークに根付き、経営者、企業、保守系の財団などが彼等を支えていた

ヘリテージ財団もその1つで、1971年のSSTを巡る議論に負けた陣営が、保守的で企業寄りの政策目的を支えるために立ち上げ。対抗力のある物語を構築して、科学的議論の間隙を突こうとしたが、そのような議論を始めたのが当時運輸省のチーフ・サイエンティストになっていたフレッド・シンガー

1992年、改正モントリオール議定書を米上院が批准し、デュポンさえも受け入れたことで、オゾン層破壊に関する論争は実質的には終わったが、シンガーは諦めず、オゾン層破壊の科学をあまりにも不確実だとして攻撃。同調する科学者の応援もあってさらにエスカレート、環境保護主義者による有毒化学物質に関する「脅し」を非難し、科学の専門家の知見を巧妙に無視して批判のプロや懐疑論者の主張に置き換えた物語を構築

 

l  いったいどうなっているのか?

シンガーのような科学者が、証拠の重みを一貫して拒絶し、同僚の科学者によって完全に退けられた議論を繰り返しているというのは、いったいどうなっているのか?

しかも、彼の主宰する政策プロジェクトは巨額の資産を積み上げている

シンガーの真の狙いは、環境保護主義者たちが資本主義を破壊し、共産主義で世界を覆うことを阻止することにあり、反共主義を編集方針とする『ワシントン・タイムズ』などが呼応、そこまでいかなくても『ウォール・ストリート・ジャーナル』や『フォーチュン』などですら明らかに企業よりでマーケット志向故に同調しやすい。ローランドがオゾンホールでノーベル化学賞を受賞した際には「ノーベル政治的化学賞」という記事もあった

 

第5章        「悪い科学」とは? 誰が決めるのか?――二次喫煙をめぐる戦い

1986年、タバコ業界は新たなパニックに襲われる。新たな公衆衛生局長官が、健康な非喫煙者でも二次喫煙によってガンになる恐れがあると結論付けた

フレッド・シンガーは、EPAのやっていることを「悪い科学」だと主張、EPA全体の信用を落とす中傷キャンペーンを始め、業界が気に入らない科学の研究結果を全てを「がらくた/ジャンク」と呼んで貶めた

 

l  二次喫煙の歴史

タバコ業界は、1970年代には既に副流煙には主流煙よりも多くの有害物質が含まれていることを発見し、副流煙を比較的害の少ないものにしようと改良を加えた

1979年には、ケンタッキーとネバダ州以外で喫煙に反対する何等かの法案を成立させるか継続審議としていたし、ニュージャージーでは74年以来公共の場における喫煙制限が議論されていた

80年になると、二次喫煙の害に関する論文が出始める。ひどく批判されたが、後に批判した側はほぼ全員がタバコ業界と関わりあることが判明

81年、東京の国立がんセンター研究所の疫学部長の平山雄は、喫煙者と非喫煙者を夫に持つ女性の肺がん死亡率を14年にわたって追跡調査し明確な用量反応曲線を示したが、業界は高名な生物統計学者を雇って平山の発見を厳しく批判し評判を落とそうと画策

業界の顧問たちは、平山の発見が正しいと認知しながらも攻撃したが、一方で劇的な効果も発揮し、84年には37の州とワシントンDCで公共の場での喫煙制限の法律が成立

業界がとった新たな対策は、シルベスター・スタローンに50万ドル払って、喫煙を病気や死ではなく力や強靭さと結びつけたCM映画を作成したり、「シックビルディング症候群」のせいにしたり、対抗力のある科学的証拠を見つけて科学界で形成されつつある合意に反対するキャンペーンを企画するなど、一般の人達の間でも、科学者の議論の場でも、タバコの煙についての論争を維持することを第一目標とした

業界は二次喫煙という言葉の代わりに脅威を感じさせないつもりで「環境タバコ煙ETS」という言葉を使ったために、環境保護庁が連邦ベースの規制に乗り出す

92年のEPAの報告書は、様々な科学的知見に基づく調査結果をまとめたもので、証拠の重みは決定的と呼んだが、サイツとシンガーはそれに戦いを挑む

彼等のやり方は、「証拠の重みづけ」アプローチに挑戦し、自分にとって好都合となる「最良の証拠」に注目。自分たちの気に入る科学だけを「まっとうな科学」として支援、気に入らないすべての科学を「がらくた」として貶める

 

l  悪い知らせをもたらすものへの非難――EPAに対する業界の攻撃

受動喫煙に関するEPAの報告書は、EPAの科学諮問委員会が委任したパネル全体によって審査された。パネルは9人の専門家と9人の助言者で構成され、諮問委員会のスタッフが作業を補助。二度も査読を行い、EPAETSAクラスの発がん物質に分類する判断に同意した

二次喫煙を巡る議論は、自分で選び取るリスクでなく、自然のリスクでもないがゆえに重大であり、人間が作り出したリスクであるとともに、同意なしに他人に押しつけるリスクでもあるタバコ業界は空前の高利益を上げ、株価も平均値を大きく上回って上昇

業界を助けたサイツやシンガーなどの科学者を突き動かしたものは、規制に対する抑えがたい敵意であり、それは大きな「自由市場」という政治イデオロギーの一部であり、自由市場の原理主義だった

 

l  自由企業体制を守るためのタバコをめぐる戦い

英国でも業界団体が喫煙者の権利を守るための草の根組織FORESTが、二次喫煙は危険だという科学的証拠に疑問を投げかけるキャンペーンを開始。受動喫煙に関する展示を「ジャンク・サイエンス」と攻撃、禁煙措置を取ったBOACのボイコットを呼びかける

自由市場のイデオローグを自任する政権に近い大物学者を動員して、「規制における政府の役割を注意深く規定しておかないと、政府が我々の生活をどこまでもコントロールしてしまう」と警告

反共でキャリアを築いたサイツ、シンガー、ニーレンバーグたちにとって、反共主義は彼等の政治の底流にあり、彼等にとって自由の防衛は米国をソ連の共産主義の脅威から防衛することだったが、いつの間にかタバコ業界をEPAから守ることに化けた。自由の名の下に科学を攻撃した

 

第6章        地球温暖化の否定

地球温暖化が現実だという合意が科学者の間に生まれたのは2004年だといい、『ナショナル・ジオグラフィック』誌も04年を地球温暖化に「関心が向いた」年としたが、気候変動に関する政府間パネルIPCCは、1995年に人間の活動が地球の気候に影響を与えていると結論し、07年の報告書では地球温暖化に「疑問の余地はない」と記した

現在では気候科学者のほぼ全員が確信しているが、56%の米国人は懐疑的で、温暖化は認めても、科学的には決着がついていないと考えていた

二酸化炭素に温室効果(熱を閉じ込めて宇宙に逃がさない性質)があることは19世紀半ばにアイルランドで初めて確認され、20世紀になると化石燃料の燃焼で大気中に放出された二酸化炭素が地球の気候を変える可能性が認識された

1960年代には米国の科学者たちが政治指導者たちに、これが現実の問題になるかもしれないと警告を発し、ジョンソンなどは耳を傾けたが、具体的な行動には出ず

 

l  1979年――気候にとっての転換の年

1965年、ジョンソン大統領の科学諮問委員会はスクリプス海洋学研究所のロジャー・レヴェルに二酸化炭素による温暖化の潜在的影響の要約を求め、特別教書演説にその問題を取り上げたが、ベトナム戦争の泥沼化でそれどころではなかった

1970年代、アジア、アフリカの旱魃や飢饉、ソ連の穀物不作などから気象問題に注目が集まる

1960年代初めに設立されたJasonは、エリート科学者(多くは物理学者)で構成され、米国政府に国家安全保障問題について助言する機関で、77年エネルギー省から二酸化炭素に関係する研究プログラムの検討を依頼され、二酸化炭素と気候について調べる

気候モデルを開発し、二酸化炭素の濃度と地表の温度変化の関連を指摘したが、気候科学者がいなかったために、カーター政権は全米科学アカデミーに検証を依頼。米気象局研究所の真鍋淑郎らが招かれ、二酸化炭素の温室効果ガスで地球の平均気温が影響されるメカニズムが解明されたが、海洋に膨大な「熱慣性」がある(温まるまでに長い時間がかかる)ため、大気への影響が人々の目に見え感じられるほど明らかになった時は手遅れになることが予想された

 

l  組織的な遅延――全米科学アカデミーNASによる第二、第三の評価

政策決定者は、具体的にどのような変化がいつ起きるのかを知りたがる

二酸化炭素の問題を巡る不確実さゆえに、NASの報告も時間をかけて研究を進めるべきというもの

議会でも1978年米国気候変動法によって気候研究計画が決まり、80年にはニーレンバーグを委員長とする委員会が設置されたが、総合評価がわかれ2種類の報告書が出る。1つは自然科学者が出したもので従来指摘されたことと整合性があり、警鐘を鳴らすものだったが、経済学者が書いた報告書は、将来の見通しに大きな不確実性があること、長い時間軸で起こる変化であれば、将来の被害は割り引いて考えなければならないと主張

最終的に報告書は、経済学者の主張に沿ってまとめられ、自然科学者たちの示した科学的事実は否定しないが、そうした事実が問題だという解釈を拒否。深刻な海水面の上昇によって住めない場所ができる可能性はあるが、過去にも移住によって問題を解決してきたように、人間の持つ適応能力は大変なものだと主張。主要な主張が証拠によって支えられていないにも拘らず正式報告書としてホワイトハウスが取り上げ、EPAの報告書に対抗するために持ち出す

社会学者と自然科学者の間にある本当の意見の違いを明らかにすることなく、統一されているように見せかけ、今は何も行動する必要がないと主張し、今後どんな問題が生じてもテクノロジーが解決してくれるだろうと結論付けた報告書で、政府は研究を助成する以外、何もする必要がなかった

 

l  「温室Green House効果」に「ホワイトハウス効果」で対応

1988年、気候科学の今後を決定的に左右する重大な出来事があった。1つは2007年ノーベル平和賞を受賞するIPCCの創設であり、もう1つはゴダード宇宙科学研究所の所長で気候モデルの研究者ジェイムズ・ハンセンが、人間活動に由来する地球温暖化はもう始まっていると発表したこと。88年は米国史上もっとも暑く乾燥した年で全国の40%が影響を受け、穀物の不作で家畜が死に食料価格が上がったため、地球温暖化や気候への関心が急速に高まる

80年代初めには南極でオゾンホールが発見され、地球温暖化についても同じような研究パネルが必要とされたところから誕生したのがIPCCで、25か国300人以上の科学者が参加。89年就任したブッシュ大統領も「ホワイトハウス効果」で問題に取り組むと約束

 

l  原因は太陽に

84年、ニーレンバーグはスクリプス研究所を退任、ジョージ・C・マーシャル研究所へ

SDI構想を守るために設立されたジョージ・C・マーシャル研究所は、標的としたワルシャワ機構の崩壊で存在意義を失ったが、新たな敵として環境問題で危機を煽る「扇動家」に狙いを定め、気候科学を攻撃する最初の報告書を出し、気候科学者たちを攻撃し始める

報告書の中心的主張は、温暖化の大きな部分は1940年以前、二酸化炭素の大部分が排出される前にあり、それから75年にかけて寒冷化の傾向が見られ、その後は温暖化に戻っているから、温暖化が二酸化炭素の増加と並行していないので、原因は太陽にあるに違いないというもの。気候変動を引き起こす原因は、温室効果ガス、火山、太陽が考えられるが、太陽の影響が大きく出ているデータのみしか示さず、全体を俯瞰していない

1990年、IPCCは気候科学の知見に関する第1次評価報告書を発表、改めて従来の研究結果を裏付け、マーシャル研究所の主張を明確に否定したが、ニーレンバーグはホワイトハウスに対する絶大な影響力を武器に逆襲に出る

 

l  ロジャー・レヴェルへの攻撃

ハーバード大でアル・ゴアの師として影響を与えたロジャー・レヴェルは79年当時スクリプス研究所所長として温暖化の影響を最初に明らかにしたことで著名だが、90年の講演で温暖化阻止のための対策を種々列挙したが、「次の世紀に世界の平均的な気候が著しく温暖化する確率はかなりあるが、決して確実というわけではない」という曖昧な表現で話を始めたのを聞いたシンガーは、論文の共同執筆を持ちかける。レヴェルは直後に心臓発作で倒れ、シンガーの草稿を放置している間にシンガーは1人で論文を発表。酸性雨の時と同じ論法で、「温室効果による温暖化の科学的基盤はあまりにも不確実なので、現時点で思い切った行動をとることは正当化できない」と結論付ける

シンガーは、レヴェルが訂正した共同草案を都合よく直し、レヴェルの名前を2番目に書いて発表。その前後にレヴェルは急逝しているので、最終稿に同意したかどうかは不明だが、この論文のせいで、ゴアが大統領選で師の主張を参照していないと批判され、レヴェルの同僚も同意なしに最終稿が出たとして訴訟まで起こしたが、金が続かずに和解に持ち込まれ、口を封じられる

1992年、リオで世界108か国とNGOによる国連地球サミット開催、人間活動に由来する気候変動に対処するための気候変動枠組条約に調印、1994192か国に増え、条約機構が動き出すが、基本的な方針の合意のみで、排出量に拘束力のある上限値を設定していなかったために実効性はなく、本当の制限は後の京都まで持ち越されるが、シンガーらの反対派は一層活発に動き始める

 

l  さらに積み重ねられた否定

科学者は、温暖化が人間の活動によって引き起こされたと証明することに集中。様々な原因をどう整理するのかという問題だった

シンガーたちは、レヴェルの次にローレンス・リバーモア国立研究所「気候モデル診断相互比較プログラム」のベンジャミン・サンターに目をつける

サンターは1994年、IPCCの第2次評価報告書の中で「気候変動の検出と原因特定」の項目の執筆代表者となり、世界のトップ気候科学者36人の主張を取りまとめる

シンガーやサイツらは、『ウォール・ストリート・ジャーナル』などを使ってサンターのやり方を非難、特に温暖化傾向の証拠がないのに、未発表の研究に基づく結論だとして、非難を繰り返す

組織化され、意思が強固で、権力に近づくことが可能なら、少数の人間でも大きな否定的影響を及ぼすことがあり得る

冷戦の時代を通じて、多くの科学者は安全保障上の理由から自分が携わる仕事の本性を隠してきた。兵器開発は全て秘密にされていたが、ロケット工学、ミサイルの発射と目標決定、ナビゲーション、水中音響学、海洋地質学、気象調節など、他の多くのプロジェクトも同様だった。こうした秘密プロジェクトには「裏話」がつきもので、全く事実と異なることもある。冷戦が終わって多くの科学者は、秘密を守り、偽の情報を流す重荷から解放されたが、サイツ、シンガー、ニーレンバーグはまるで冷戦が終わっていないかのような振る舞いを続けた。さらには、マスメディアまでがどうして彼らと共謀するようになり、こうした問題を科学論争として取り上げる必要性を感じたのか不可解。科学上の控え目な態度を科学の不確実さと見做し、反対意見が報告書に盛り込まれないと怒りを編集者にぶつける専門家たちに追い回されるようになってしまった。活発な科学の議論においてはいくつもの立場が存在し得るので、すべてに公平ということはあり得ないし、科学の問題は一旦決着が付けば立場は1つしかなく、それに反する論文を科学雑誌が掲載することはないが、一般のジャーナリストは繰り返しそういうことをやった

科学の現状と主要なマスコミの科学の提示の仕方がこのように食い違っていることは、政府が地球温暖化に対して何もしないでいることの助けになった。97年京都議定書が採択される3か月前に、米国の上院は議定書の採択を阻止する決議を970で可決。科学的には地球温暖化は確定した事実だったが、政治的には葬られてしまった

 

第7章        否定ふたたび――レイチェル・カーソンへの修正主義者の攻撃

1960年代初め、レイチェル・カーソンは『沈黙の春』で、殺虫剤による自然環境破壊を指摘。大統領科学諮問委員会に認められ、72EPAによってDDTが禁止されたが、例外規定もあって、WHOがマラリアの流行国で使用する場合などは容認している

2007年、ネットなどでナチス以上の人殺しとしてカーソンに非難が集中

保守的なリバタリアンのシンクタンクも同じようなDDT擁護の主張をしている

科学一般が信頼出来ないと人々に信じ込ませれば、特定の論点のメリットを論じる必要がなくなることに気づき、カーソンをヒステリーだとして、政府による規制がうまくいった事例が実は成功ではなく失敗だったと人々に思い込ませることが出来たら、規制一般に反対する議論の強化になるというのが自由市場主義者たちの認識

 

l  『沈黙の春』と大統領科学諮問委員会

DDTが発明されたのは1873年、1940年に再合成されてから注目を浴び、即効性や効果、さらには簡単な使い方、安価とあって奇跡の化学物質とされたが、そのうち合衆国魚類野生生物局の生物学者たちがDDT散布後の鳥や魚への被害に気づき始める

カーソンは、62年著書刊行に当たり、DDTなど殺虫剤の大きな被害事例証拠や系統だった科学的証拠を大量に記録。特にDDTに焦点を合わせたのは、他の殺虫剤と違って自然環境の中でなかなか分解されず、食物連鎖を通じて蓄積されていくからで、DDTに晒された小齧歯類を捕食するワシやタカの生殖機能までが害されていた

直ちに殺虫剤業界は反応を示し、著者をヒステリー呼ばわりし、事例が科学的に証明されていないと反論したが、フェミニスト意識の高まりの中で裏目に出る

1962年ケネディ大統領も、著作に敬意を表しつつ、大統領科学諮問委員会に評価を求める。当時はまだDDTの環境に対する累積的効果について体系的な研究はなく、軍事技術として利用されていたり、再合成した化学者がノーベル賞を受賞したりしたこともあって安全性の問題が顧みられることはなかった

委員会が直面した最大の難点は、病気の抑制や食料生産という明白ですぐ効果が現れる殺虫剤使用の利点と、微妙で長期間かかって生じる人と自然に対するあまりよく理解されていないリスクを比較考量しなければならないこと

にも拘らず、委員会は明確に殺虫剤の規制に直ちに動くべきと答申。議会も超党派で大気浄化法や水質清浄法を成立させ、研究機関などを作り、やがて3代後の70年のEPA創設に結晶。ニクソンによってDDTの使用が禁止された。科学的事実が政治的意思を支えた

委員会が依拠したのは、「合理的な疑い」という法律用語で、製品が安全だと証明する責任を製造業者に負わせ、安全が証明されない限り合理的な人々はそれを疑う理由があるという論法。ニクソンがEPAを創設したのは先見的な環境保護主義者だったからではなく、72年の大統領選で環境が重要な問題になることを知っていたから先手を打っただけ

問題はこれで終わらずカーソンへの攻撃に発展。デンマークの経済学者は、カーソンの議論は合理性よりも感情に傾いているという非難を繰り返し、その著作はベストセラーになり、著者は04年の最も影響力のあった100人の1人に選ばれている

主導的メディアがこれを取り上げ、「世界は今DDTを求めている」とか「『沈黙の春』は科学とジャンク・サイエンスのごたまぜ」として非難

一方、米国と世界保健会合が実施した「地球規模マラリア撲滅計画」は、ヨーロッパと豪州で流行が消滅、南米やインドでも激減したが、サハラ以南ではうまくいかずに、ニクソンがDDTを禁止する3年前に一時休止となった。低開発国でうまくいかなかったのは、薬剤散布以外の要因である栄養状態の改善や教育・健康管理などが不十分だったため

昆虫やバクテリアのDDT耐性が進行するため、DDT単独ではマラリア撲滅に十分ではないことも証明されているし、19世紀にはアメリカで流行している地域があったが、DDTがなくても沈静化している

 

l  政治的戦略としての否定

カーソンに対する攻撃は、規制の阻止とは無関係。既に効果がないことが明白にされたDDTを問題にして、半世紀も前に亡くなった女性を攻撃する目的とは、もしカーソンが間違っていたのなら、環境保護の方向転換も間違ったことになり、現代の環境保護運動が過誤に基づいたとなると、政府が市場に介入する必要性も論破されることになるというロジック

カーソン非難が特に激しいのは、「社会的、経済的問題に対する自由市場による解決法」を提唱するグループ、ハートランド研究所。執拗に気候科学に疑問を投げかけるが、彼等の活動はフィリップモリスと手を組んでいた90年代から始まっていた

 

l  オーウェル的な問題

右派の財団、そこに資金を提供する企業、彼等の主張を繰り返すジャーナリスとのネットワークは、米国の科学にとって巨大な問題となっている。「環境問題に対して懐疑的な」本が90年代に56点出版されているが、うち92%はこうした右派の財団と繋がりがある

科学的証拠と霊史的事実をねじまで、でたらめな「事実」に基づいて科学者を公共の敵と呼ぶ現在も進行している動きに、科学者たちは直面している

反共主義の政治的右派にとって最大のヒーローがジョージ・オーウェルというのは皮肉

冷戦時代、ソ連が日常的に歴史の浄化に勤しみ、実際にあった出来事や人物を抹消しているが、「アメリカの自由」の右派擁護者たちは同じことをやっている

米国の環境保護運動が審美的な環境保護から規制による保護へと移行したのは、単なる政治戦略の変化ではなく、何の制限もない商業活動が被害を生み出しているという重要な認識の表明。DDTによる自然生態系の破壊、酸性雨とオゾンホールの広域被害、二酸化炭素による地球温暖化の危機などによってこの移行が頂点に達した

これを認めることは自由市場資本主義の弱点を認めることで、自由な企業活動は自由市場に反映されない本当のかつ重大なコストをもたらす可能性がある。「近隣効果」「負の外部性」と呼ばれるもので、これを受け入れがたいと感じた人々が、科学を攻撃している

我々は、利益が得られると期待する商品やサービスの適切なコストに対して代金を払うが、それを作り出す経済活動から便益を得ていない人々にコストがかかってくるのだ。これこそ「市場の失敗」で、深刻な被害を自由市場が償えないとすれば政府の介入が必要

反共の戦いに命を捧げた「冷戦の戦士」たち、サイツ、シンガー、ニーレンバーグ、ジャストロウは自由市場の擁護者を自任しつつ、悪い知らせをもたらす科学の基盤を掘り崩し、事実を否定し、疑念を売り歩く勢力に加わった。事実を発見することを職業にしていた人々が、事実と戦うようになってしまった

科学者がなぜこのような欺瞞に参加するのか。1950年代にタバコ業界が自分たちの目標を達成する助けとして科学者たちを登用したことに始まり、70年代にタバコの問題でサイツが加わり、SDI擁護でニーレンバーグとジャストロウが加わる。80年代にはシンガーが酸性雨は心配無用とし、ニーレンバーグがレーガン政権と協力して酸性雨ピアレビュー・パネルのサマリーを改変。90年代マーシャル研究所はシンガーらの力を借りてオゾン層破壊と地球温暖化の根拠を疑い、攻撃は科学者個人にまで及ぶ

彼等が目的としたのは「自由のもたらす恵沢を確保」することで、それを妨害するような科学の用いられ方に立ち向かった

 

結論――自由な言論と自由な市場

憲法修正第1条に報道の自由を入れたのは、民主主義にはそれが必要だから

一部の「陣営」では、潤沢な資金を持つ組織化された受益者集団が意図的に偽情報を提示したり、イデオロギーに基づいて事実を否定したりしている

報道の公正さ、「同等の時間」配分といっても、すべての意見に同等の時間、同等の重みを与えたからといって、必ず我々にとって良い結果が得られるとは限らない

インターネットの普及によって、どんな主張でも際限なく増殖し、偽情報が消えることもない。制御不能に陥った多元主義

07年になっても米国人の40%は、地球温暖化が現実に起きているのかどうか専門の科学者たちがまだ議論していると考えている

科学界で信用のある少数の人達と深く政治的につながっている一派が、40年にわたって公共の議論を故意に歪め、効果的なキャンペーンによって人々を間違った方向に誘導し、既に確立した科学的知識を否定するのを見てきたし、懐疑的な主張のいかに多くが証拠を無視することに基づいているのかを見た

人々は、酔いが覚めてしまうような事実より、むしろ安心できる嘘を好む

メディアまでがそうした風潮に同調したのでは、真実はますます歪められる

 

l  科学のポチョムキン村

疑念を売り込むキャンペーンのカギになる戦略は、提示する主張が科学的なものであるかのように扱うこと

タバコ業界が表向き独立した研究所を設立して研究を奨励したのも、自らの目的に役立つ専門家グループを育てることが狙いで、本当の科学かどうかは二の次

マーシャル研究所の報告書も、科学的論証の装いを凝らして作成され、ホワイトハウスの注目を集めたが、独立したピアレビューを経ていなかった

科学の装いを施すことによって「疑念の商人たち」は、科学論争に関するもっともらしい話を売り込んだ。彼等が構築したのはポチョムキン村(見せかけだけの村)だが、ごく稀に実際に科学者が住んでいたこともあって、専門のジャーナリストまでが見せかけに騙された

 

l  言論の自由と自由市場

本書では、イデオロギーに動機づけられたシンクタンクがメッセージを打ち出し流布させることによって、疑念の売り込みを支援し、煽り立てた様子を見てきた

関連企業がそれを支援するのは不健全ではあるが、それ以上にこうした行為が如何に幅広く組織され、互いに結び付き、いかに長く続いていたかということには驚くほかない

 

l  市場原理主義と冷戦の遺産

20世紀後半、米国の外交政策は冷戦に、国内政策は反共主義に支配されていた

サイツやシンガーたちは、経歴を築く初期の段階で、米国の核防衛において重要な役割を担う。後年、彼等は専門知識と権威を備えた立場を利用して核保有国としての地位の維持と拡大を擁護し、自分たちの「科学的」信用に基づいてデタントに反対し、継続的な再武装への賛成論を唱えた

冷戦が終わると、彼等は新たな大きな脅威を探し求め、環境保護主義にそれを見出す彼等の主張は自由市場原理主義と呼ばれ、自由市場こそ経済システムを機能させる最も優れた方法であるだけでなく、それ以外の自由を究極的に破壊しない唯一の方法であるという信念を持つが、経験による検証を経ていない1つの信仰にすぎない

 

l  テクノロジーはわれわれを救えないのか?

1980年代にレーガン政権は全米科学アカデミーNASに対し、「テクノロジーは、エネルギーを提供し環境を守るという問題に対する究極の答えになる」という見解を明らかにした。エネルギーを生むテクノロジーが変わらなければ地球温暖化問題は解決しない、ということにリベラル派と学術関係者の多くは同意したが、問題はテクノロジーに助けを求めるかどうかで、放っておいても自由市場がそうしたテクノロジーを自ら生み出すと想定できるかどうかであり、それが間に合うかという問題もある

社会の抱える問題はテクノロジーによって解決できるというのはコルヌコピアニズムとして知られる思想の中心的な考えで、市場を自由に保ち、革新者が技術革新を進め、自分の発明の恩恵を獲得できるようにすれば、常に前進できると主張

 

 最近になってコルヌコピアンの議論に新たな命を吹き込んだのが、デンマーク政治学ビョルン・ロンボルグだ。ロンボルグの本は、『ウォールストリート・ジャーナル』、『ニューヨーク・タイムズ』、『エコノミスト』、『ロサンゼルス・タイム』、『ボストン・グローブ』のほか、世界中の主要な新聞に取り上げられた。ロンボルグ本人も米国とヨーロッパで、『60ミニッツ』、『ラリー・キング・ライプ』、『2020』やBBCの番組など、テレビに何度も登場した。ロンボルグの最もよく知られた本、『環境危機をあおってはいけない―――地球環境のホントの実態』(The Skeptical Environmentalist: Measuring the Real State of the World)は、世界は着実に良くなっているし、環境保護論者の主張は完全な歪曲と虚偽でないとしても誇張されているという、コルヌコピアンの主張にぴったり寄り添った内容だ。実際、『環境危機をあおってはいけない』の冒頭には、ジュリアン・サイモンの引用が掲げられている。

 私の長期的な予測はこうだ。生活の物質的条件は、たいていの人にとって、たいていの国で、たいていの期間、なおも向上していくだろう。一世紀か二世紀の間に、すべての国と人類の大部分が、今日の西洋の生活水準と同等か、それ以上の暮らしをするようになるはずだ。しかし、私はこうも思う――多くの人は相変わらず、生活の条件がますます悪化していると考え、そう言い続けるだろうと。

 『環境危機をあおってはいけない』の中でロンボルグは、いまではもうおなじみの主張を繰り返している――レイチェル・カーソンはDDTについて間違っていた、地球温暖化は深刻な問題ではない、森林がうまく対処してくれる、と。一般に、生活はほぼすべての人にとってずっと良くなっており、「将来について思い煩う必要はない」という。それなら、環境保護論者たちは何のために騒いでいるのだろうか?
 ロンボルグの本は、統計の誤用の典型的な例だと批判されている*1。二〇〇二年に『サイエンティフィック・アメリカン』で四人の指導的な科学者が、ロンボルグの計算は四つの点で「誤解を招く」ものだと述べた。デンマークではこの本をめぐって論争が起き、ロンボルグは科学的に不誠実だと攻撃された*2。ついにはデンマークの科学・技術・革新省が裁定に乗り出し、ロンボルグを科学的に不誠実だとは言えないとした。なぜなら、『環境危機をあおってはいけない』が科学的著作だと証明されていないからだという!
 『環境危機をあおってはいけない』がどういう性格の著作であるにせよ、その議論には致命的な問題点が二つある。ロンボルグは地球温暖化に直ちに対応することに反対し、世界的な飢餓など、もっと切迫した問題がほかにあると主張している。これは「誤った二分法」の典型的な例で、人類が両方の問題に対処できない本質的な理由はない。歯止めなく気候変動が進めば、貧困国は厳しさを増した環境に必死で対応しなければならなくなり、まず間違いなく飢餓がひどくなるだろう。さらに、ほかのところでも指摘したように世界の飢餓が続く理由はいくつもあるが、西洋の世界が気候温暖化への対処に忙殺されているせいではない。ロンボルグの推論のもう一つの問題点は、そこで扱われている統計がほぼすべて人間への影響に限られていることだ(平均余命、摂取カロリーなど)。ロンボルグは人間にとっての必要性や欠乏という観点から書いていると率直に認めている。そこに取り上げられた統計は、人間が何年生きたかという数字と、さまざまな革新や改善によって救われた人の数が大部分だ(ロンボルグはまた、DDTの禁止によって命を奪われたとされる人数も挙げている)。ヒト以外の種に対する人間活動の影響や、われわれの子供たちが受け継ぐ世界の状態については何も述べていない。現在のわれわれがもっといい暮らしができるようになっても、子孫に残す世界が貧しいものになる可能性は十分ある。ロンボルグの議論はわれわれの生活の質についても何も言っていない。しかし、それこそが環境保全の伝統的な議論においては重要なものだったし、現在も多くの環境に関する懸念の中心的な要素になっている。
 レイチェル・カーソンは人間に無関心ではなかった。『沈黙の春』のかなりの部分が生物濃縮とそれが人間に与えるかもしれない長期的な影響を扱っていた。しかし、たとえDDTが人間に無害だと証明されていたとしても、DDTが自然に対して深刻な影響を及ぼしているというカーソンの議論は成立したはずだ。現代の環境保護論者の多くが共有するカーソンの懸念は、種を(われわれにとって有益な種であろうとなかろうと)まるごと根絶し、生態学的にも審美的にも貧困化した世界を子供たちに残すことの倫理性に関わるものだ。たとえ大気中の酸素に対して無視できるくらいの寄与しかしていなくても、希少な花は美しいかもしれない。マラリアを媒介する蚊を撲滅するのにほとんど役立っていなくても、ハエジゴクはわれわれを楽しませてくれるだろう。ほかのところでも書いたように、ロンボルグとその追随者たちは、数に入らないものは重要でないと考える哲学上の過誤を犯している。
 『フィナンシャル・タイムズ』、『ウォールストリート・ジャーナル』、『エコノミスト』はロンボルグを擁護し、自由企業防衛センター(Center for the Defense of Free Enterprise)のような自由放任主義経済を提唱する団体からもロンボルグは多くの支持を得た。またロンボルグは、企業競争研究所(CEI)、フーバー研究所、ハートランド研究所など、本書ですでに取り上げた、イデオロギーによって動機づけられたシンクタンクの多くともつながっている。これは驚くようなことではない。コルヌコピアンの哲学は、国家が問題の解決になるのではなく国家自体が問題だという確信において、自由市場原理主義と結びついているからだ。(シンガーの『熱い議論、冷徹な科学』を発行した)インディペンデント研究所はさまざな活動を行なっているが、大学生と初任教員を対象とした『サー・ジョン・M・テンプルトン・エッセイコンテスト』もその一つだ。二〇一〇年の課題は次のようなものだった。

 誰もが国家の金で生きようとする。国家がすべての国民の金で生きようとすることを、彼らは忘れている。

――フレデリックバスティア(一八〇一 - 一八五〇)

 バスティアが正しいとすれば、政府が国民の金で生きようとすることを人々にもっとよく理解させるために、どんなアイデアや改革が考えられるか。

 

 もちろん、コルヌコピアンのすべてが間違っているというのではない。中には国民の犠牲によって成長する政府もあるし、現代生活の多くの側面は(少なくとも多くの人々にとって)過去の世紀よりも良くなっている。問題は、彼らの見解が二面的であることだ。
 最初の問題は、こうした進歩が必然的に続いていくと彼らが推定していることだ。多くの科学者が恐れているように、れわれが本当に転換点に達したのだとしたら、過去は未来へのガイドにならないかもしれない。過去の環境の変化は、たいてい局地的で復元可能だった。しかし現在、人間の活動は地球的な規模に達している。われわれはこの惑星を急激に変えつつあり、行く手に待ち受けている困難に対処するのに必要な手段を持ち合わせていないかもしれない。少なくとも、相当な不便や移動を強いられることになるだろう。さらに、海水面の上昇や北極の氷の融解など、一部の変化はほぼ間違いなく不可逆的だ。
 コルヌコピアンの抱えるもう一つの問題は、過去の進歩が自由市場体制のもたらした結果であり、自由市場がなければそういう進歩はありえなかったと主張していることだ。この主張は明らかに間違っている。

 

l  テクノフィデイズム

テクノロジーの歴史は、技術革新と自由市場の関係に関するコルヌコピアンの見解を支持していない

コルヌコピアンのように歴史によって証明されていないにも拘らず、技術を盲目的に信仰しているのを「テクノフィデイズム」と呼ぶ

 

l  なぜ科学者たちは抵抗しなかったのか?

科学者たちが関わりを持とうとしなかった理由の中で最もよく理解できるのは、彼等が科学を愛しており、最後には真実が勝つと信じているというもの

彼等の仕事は事実を発見することで、一般大衆にそれを広める仕事は他に適任者がいる

我々は皆、真の科学がどういうものかをもっとよく理解しなければならない。どうすれば真の科学を見抜き、ゴミと区別する眼力を養えるかを知らねばならない

 

エピローグ――科学の新しい見方

今問題にしている酸性雨、オゾンホール、温暖化などは、産業革命以来、裕福な先進国の市民が続けてきた生き方に対する環境コストなのだ。今や我々も、そのコストを払うかビジネスのやり方を変えるか、あるいはその両方を迫られている

対応が遅れたのは、疑念の売り込みが有効だったという何よりも明らかな証拠

合理的な意思決定の理論から導かれるのは、不確実な知識しかない場合、最高の選択肢は一般に何もしないということ

不確実さは現状の維持を好む

我々は科学が確実性を提供すると考えている。確実性が不足していると、学説が間違っているか、知識が不十分なのに違いないと思うが、科学が確実性を提供しないことを歴史は明らかに示している。科学は証明を提供するのではなく、証拠を組織的に蓄積し、精査することによって、専門家の合意を提供するだけ

科学は1600年以来、指数関数的成長を続けてきたが、基本的な考えは変わっていない。科学的な着想には証拠の裏付けが必要で、それによって受容されるか、拒絶されるかが決まる。その証拠は、科学者の同僚たちによって審査されなければならない。科学の知識に組み入れられるのは専門家の仲間(フェロー)に受け容れられた考えであり、拒絶された場合、誠実な科学者はその判断を受け入れ、別の研究対象に移るべきものとされている

本書で取り上げた「疑惑の商人たち」は、ピアレビューを通過できなかった人たちで、ある意味惨めな敗残者である。彼等は自らの主張をするための科学研究をやめてしまっていた

ブリティッシュ・アメリカン・タバコのリサーチ・ディレクターは、最終的にタバコ業界が倫理面だけでなく知的な意味でも間違っていたことを認め、「科学的証明を要求するというのは、常に何もせず対策を遅らせるための方便であり、たいていの場合、罪悪感からくる最初の反応でもある。こうした判断をするための正しい基盤は、その状況に於て合理的なものかどうかということだ」と述懐している

 

 

 

「世界を騙しつづける科学者たち」書評 「懐疑の売人」はなぜ消えない

評者: 福岡伸一 新聞掲載:20120304

酸性雨、二次喫煙、オゾンホール、地球温暖化、核戦略。これらの情報は「市場の失敗」と結びついている! 40年間にわたって全人類的課題についてニセ情報を流し、対策を遅らせて

 殺虫剤DDTは当初、奇跡の化学物質に見えた。即効性があって、効果も長持ちする。なのにヒトには害がない。しかし、効き目があるからこそ、生態系の平衡を崩していた。分解されにくいDDTは昆虫の細胞内に残留し、次の捕食者に移行して、生殖組織まで害するのだ。食物連鎖による生物濃縮。それは最後には鳥がさえずることのない季節をもたらす。

1960年代初め、『沈黙の春』を刊行し、環境問題に大きな警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソン。その彼女が今、ネット上で徹底的に非難されているのをご存じだろうか。彼女は間違っており、ナチス、スターリンよりも多くの人を殺したと。

 主張はこうだ。カーソンの警告によってDDT40年前に禁止されたせいでその後何百万人ものアフリカ人がマラリアで死んだというのだ。ひるがえって、DDTで直接、死んだ人はほとんどいない。人間の生命より環境の方が大事だという考え方は誤りだと。

 本書は、今更展開されているこのような批判の隠された意図を暴露している。政府による規制が、成功ではなく実は失敗だったと人々に思い込ませることができるなら、他の規制に対しても懐疑論を醸成、強化できるという意図を。

 世の中には規制を受けたくない人々が存在する。酸性雨、オゾンホール、二次喫煙、地球温暖化。いずれの問題も、科学者の中には反規制陣営に味方するものがいる。その裏にはカネやイデオロギーが潜んでいる。本書ではこれらの問題を順に検討し、そんな科学者たちを名指しで糾弾する(原題は「懐疑の売人」)。

 科学的な問題のほとんどは、科学の問題ではなく、実は科学の限界の問題である。本当に危険があるのかどうか、今すぐにはリスクを立証できない問題。その時私たちはもっと研究が必要だとして立ち止まるべきか。それとも行動を起こすべきか。そこに懐疑の売人がつけいる隙ができる。

 DDTに関する米大統領科学諮問委員会は行動を要求した。リスクの立証責任は、規制側ではなく、安全だと主張している側にあると。DDTは、直ちに人を殺さなかったが、自然界に取り返しがつかない変化をもたらした。DDTは禁止前から使用量が減っていた。効かなくなりつつあったからだ。カーソンは生物の耐性の問題にも言及していた。一方で、生態系をゆっくり浸潤していった。

 私たちも、科学をめぐる議論の真っただ中にいる。今こそ、真偽、善悪そして美醜の基準を確かめなければならない。カーソンをために非難することは、科学的に間違っているばかりでなく、悪意に満ち、醜い行為なのである。

 福岡洋一訳、楽工社・上下共に1995円/Naomi Oreskes カリフォルニア大サンディエゴ校教授、専門は科学史 Erik M.Conway 米航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所研究員。

福岡伸一(フクオカシンイチ)青山学院大学教授=生物学

1959年生まれ。著書に「プリオン説はほんとうか?タンパク質病原体説をめぐるミステリー」(講談社出版文化賞)、「生物と無生物のあいだ」(サントリー学芸賞)、「動的平衡」など。

 

 

「トランプの科学」の象徴、2つの巨大な箱舟

シリコンバレー支局 兼松雄一郎

コラム(国際・アジア)

201747 2:00 [有料会員限定] 朝日

科学者共同体の多数意見である気候変動を否定する米トランプ政権。主要な科学者やメディアの発する情報は嘘なのではないか、との疑いを繰り返しばらまいている。だが決して科学に対して無知なのではない。科学者の主張を理解した上で、あえて疑いをばらまくのが「トランプの科学」。エリートである科学者たちを否定する階級闘争の「物語」によって大衆を魅了し、意識的に人気取りに利用する。たばこやエネルギー業界のロビイストが使ってきた手法を大衆の娯楽にする政治手法へと昇華させたのが「トランプの科学」の神髄だ。そうした手法を象徴する2つの巨大な箱舟が現代米国にある。

 

アリゾナ大がある米アリゾナ州トゥーソンから車で30分ほど北東に走ると、荒野の中に異星の基地のような巨大建築群が見えてくる。ネギ坊主のような突起がついたガラス張りの建物がひときわ目立つ。同大の研究施設「バイオスフィア2」だ。約12700平方メートルの敷地の上にガラスパネルに囲まれた20万立方メートルもの大温室が建っている。地球の小型模型として気候変動の影響などが研究されている。

もともとは将来人類が宇宙で暮らす技術を確立するため、完全に独立した閉鎖空間で長期間生活する実験施設として1991年にベンチャーが15千万ドル(約160億円)以上をかけて完成させた。中は海岸、熱帯雨林、サバンナ、砂漠といった気候別に空間が分割されている。かつてこの閉鎖空間で2年にわたり一歩も外に出ずに集団で暮らす実験がくり広げられた。それは一定数の動植物、細菌、水、土などの種を巨大建造物の中に詰め込んだまさに現代の「方舟」だった。

バノン氏、かつて温暖化研究の拠点に関わり

アリゾナ大職員で実験に初期から携わってきたクラウディオ・ジラルディーニさんは「実験参加者はこの自立環境の中で動物を育てて食べ、耕作し、無事に生還した。微生物の酸素吸収による酸欠という想定外の事態を除けば順調だった」と語る。だが、あまりにもコストがかかりすぎた。「当時は観察データを集約・管理するシステムもなかったので自分で作った」と実験を計画し、自ら参加したジェーン・ポインター氏は回想する。建物以外にも様々なコストが膨らんだ。結果、運営は立ち行かなくなった。

90年代半ばにコストカッターとしてここに呼ばれたのがスティーブン・バノン氏。トランプ政権の首席戦略官で、陰の権力者とされる人物だ。職員をリストラし、温暖化など地球環境をシミュレーションする研究施設として延命する道筋をつけた。

「科学者たちの多くはここで観測できる現象が地球でも起きると考えている」と同氏が語る当時のインタビュー動画が残っている。少なくともバノン氏は当時から科学者の多くが温暖化を認めていることを認識していた。

それがその後、同氏は温暖化を否定する米保守系メディア、ブライトバート・ニュースの会長を務めることになり、今や政権の温暖化否定政策に大きな影響をふるっている。バノン氏は無知なのではない。科学的な確からしさよりも大衆に受けるメッセージを政治的にあえて選んでいるのだ。

恣意的に科学知識をもてあそぶ態度を象徴する建造物が米ケンタッキー州ウィリアムスタウンにある。こちらは本物の箱舟だ。キリスト教原理主義の団体アンサーズ・イン・ジェネシスが昨年、高さ15メートル、幅26メートル、長さ155メートルの巨大な木の塊を現代によみがえらせた。中には恐竜と人間が共存していたという資料イラストや、おりに入って箱舟に乗っていたということで恐竜の模型が展示されている。聖書に記述のない恐竜の化石がどうして出るのかという疑問に答えたものだ。

箱舟の中の説明板は化石が出土する時期の違いは無視し、洪水によって化石が埋もれた層がたまたま分かれたと説明する。地質学の都合のいい部分だけを取り込んでいる面は否定できない。箱舟には巨大な排水装置、水のろ過装置がついていたと説明する動画が流れるが、特にその証拠があるわけではない。この箱舟の中では進化論は、もともと別の種だったものが自然淘汰された現象を誤解した説として糾弾される。

箱舟の建築資金は著名な科学啓蒙家ビル・ナイ氏を招いた討論会などのイベントを盛り上げて集めたものだ。同団体は現代科学と同じ土俵に立っているとの演出に余念がない。「物語」が先にあり、そこにあるのは科学の知識やイメージを部品のように都合良く寄せ集めて使う態度だ。

これこそが「トランプの科学」が人気を集めるために使う手法そのものだ。宗教保守派はトランプ政権の支持者と重なる。昨年の大統領選ではトランプ氏は同州など宗教保守派が強い州の多くを制した。ただ、それがどこの社会にもいる単なる一部の原理主義者の言説として済ませられないのが、いまの米国政治だ。「トランプの科学」は共和党の支持基盤である特定産業と深くつながっているからだ。

科学的合意に疑義、たばこ業界に源流

「トランプの科学」の源流をつくったのはたばこ業界であり、それを引き継ぎ資金面で支えてきたエネルギー業界だ。かつて大半の科学者の間でたばこが人体に有害であるという合意ができた後も、たばこ業界の支援を受けた一部の科学者が疑いをばらまき、規制導入を遅らせていた。「同じ科学者を今はエネルギー業界が支援し、温暖化への疑いをばらまいている」と反たばこ運動を主導してきたカリフォルニア大学サンフランシスコ校のスタントン・グランツ教授は指摘する。

科学者の非営利団体「コンサーンド・サイエンティスト組合」のケネス・キンメル会長は「エネルギー業界が息のかかった科学者を組織し、政治献金することで世論や政治家を温暖化対策をさせない方向へ誘導してきた証拠がある」と激しく批判する。

こうしたエネルギー業界の動きに警戒感を強めていたのが、科学の信奉者でありながらあえてトランプ政権に接近し批判を浴びるテスラ最高経営責任者(CEO)のイーロン・マスク氏だ。

「補助金を減らすのは結構だが、各産業に公平にやってもらいたい」。トランプ政権幹部との会議でマスク氏はこう注文をつけ、エネルギー業界の我田引水の動きをけん制している。

同氏は推薦図書として「世界を騙しつづける科学者たち」という本を挙げている。科学史家のハーバード大教授ナオミ・オレスケス氏による、「トランプの科学」の台頭を予言するかのような書物だ。たばこや温暖化の問題で、権威のある科学者が自分の専門外の分野で疑いをばらまく。少しでも疑う科学者がいれば、主要メディアが両論併記するため、科学的に結論が出ていないということになる。疑いをばらまくことをなりわいとする科学者を業界が支援し、それによって規制を遅らせる。それによって業界が既存の利益構造をできるだけ延命させる、というからくりをあばいている。

もちろんかつて天動説がそうだったように、科学者の大多数が間違うこともある。だからこそ疑いの拡散はビジネスになる。「トランプの科学」は既存のエネルギー業界による再生エネルギー業界に対する大衆へのマーケティングの勝利という側面がある。

トランプ政権の態度は「科学の否定」ではない。むしろ前提を疑うという一見科学的な態度を取り、畑違いの科学者の権威に頼り、科学的知見を部分的に引用して主張の中に取り込んでいる。

同時に近代科学を近代科学たらしめている事実検証の手続きに対しては、驚くほど不誠実だ。再現可能な形で証拠を示し、相互に検証し合い、共同体として同意した事実を積み上げていく。近代の科学者の共同体が作り上げて来た体系に敬意を払わない。

そうした知的に不誠実な振る舞いをしてもトランプ政権が一定の支持を集めるのは、米国において科学者共同体と教育水準が相対的に低い大衆との間に絶望的な知識の断絶があるからだ。

米航空宇宙局(NASA)や米国立衛生研究所(NIH)の依頼を受けてマーケティングを支援するジェイド・ラベル氏はこう語る。「科学者の共同体は大衆に支持される『科学の物語』を語れていない。大衆にとっては温暖化論は科学者の陰謀だとする『トランプの科学』の物語の方がはるかに魅力的だ」

 

 

Wikipedia

『世界を騙しつづける科学者たち』(原題: Merchants of Doubt[† 1])とは、アメリカの科学史家ナオミ・オレスケスとエリック・M・コンウェイによる2010年のノンフィクション本である。日本語版は2011年に楽工社から出された。本書では地球温暖化に関する論争と、それ以前の喫煙酸性雨DDTオゾンホールなどに関する科学的論争に共通点があるという指摘がなされている。著者らによると、これらすべての論争において、規制に反対する側は、科学的なコンセンサスが成立した後になっても疑念を喚起して混乱を作り出すことで「論争を終わらせずにおく」という基本戦術を取った。特に、フレッド・サイツフレッド・シンガーをはじめとする反主流論者の科学者が保守系シンクタンクや民間企業と結託して多くの現代的問題に関する科学的コンセンサスを攻撃してきたとされた。

本書は題材となった人物から批判を受けているが、ほとんどのレビュアーには好意的に受け止められた。あるレビュアーは、本書は徹底的な調査によって裏付けられており、2010年の最も重要な書籍に数えられると評した。別のレビュアーは本書を科学関連書籍の年間ベストに選んだ。2014年にはロバート・ケナー監督により『世界を欺く商人たち(原題Merchants of Doubt )』のタイトルで映画化された。

テーマ[編集]

フレッド・シンガー(2011年)。温室効果ガス規制反対派の代表格だった。

オレスケスとコンウェイは、保守的な政治傾向を持つ一握りの科学者が特定の産業界と強く結びついて「論争中の問題に関する議論で不適正な役割を果たした」と書いた。またそれにより引き起こされた「意図的な混乱」が世論や政策決定に影響したといっている。

本書の原題 Merchants of Doubt(疑念の商人たち)は、ウィリアム・ニーレンバーグフレデリック・サイツフレッド・シンガーを筆頭とする、アメリカを中心とする科学界のキーパーソンたちを批判して呼んだものである。この3人はいずれも物理学者であり、シンガーは宇宙と人工衛星の研究に、ニーレンバーグとサイツは原子爆弾の開発に携わっていたが、それぞれ専門の第一線から退いた後に酸性雨喫煙地球温暖化農薬などの分野で活動を行い始めた。本書はこれらの科学者が、喫煙の有害性、酸性雨の影響、オゾンホールの存在、人間活動に由来する気候変動の存在など各分野の科学的コンセンサスに異論を唱えてその影響力を削いだと主張している。サイツとシンガーは米国のヘリテージ財団企業競争研究所ジョージ・C・マーシャル研究所のような諸団体に関与している。これらの団体は企業や保守系財団から資金提供を受けて米国市民に対する様々な国家干や規制に対抗してきた。本書はそれらのケースで共通して取られた戦術を「科学の信用を傷つけ、虚偽の情報をまき散らし、混乱を広げ、疑念を喚起させる」と総括した。

本書によれば、サイツ、シンガー、ニーレンバーグ、ロバート・ジャストロウらはいずれも激烈な反共主義者であり、政府による規制を社会主義共産主義への第一歩とみなしていた。ソビエト連崩壊すると、彼らは自由市場資本主義を脅かす新たな脅威を探し求め、環境保護主義にそれを見出したのだという。サイツらは環境問題への過剰な反応が政府による強引な市場介入や生活の侵害を呼び込むことを恐れていた。オレスケスとコンウェイは、議論が長引くほどこれらの問題は悪化し、保守派や市場原理主義者が最も恐れる厳しい措置の必要性が高まると述べている。すなわちサイツらは科学的証拠を否認し、引き伸ばし戦略に加担し、それによって彼ら自身が恐れていた状況を招くことになった。

著者らは偽りの真実と本物の科学をメディアが区別できるかについて強い懸念を示している(科学の名において検閲を行うべきだとまでは主張していないが)。一方に偏らず両者の主張を伝えるというジャーナリズムの原則は、著者らによると反主流論者のミスリードを助長することになった。オレスケスとコンウェイはこう述べている。「少数の人々でも大きな負の影響を作り出すことができる。とりわけ彼らが組織され、強い意図を持ち、権力に近い場合には」。

本書の最も重要な結論は、反主流論者の「専門家」たちがイデオロギー的な動機によって規制論を支える科学の信用を失墜させようとしなかったなら、政策決定はもっと早く進んだはずだということである。同様の結論はオーストラリアの学者クライブ・ハミルトンによる先行書 Requiem for a Species2010年)ですでに、特にサイツとニーレンバーグについて引き出されていた。

反響[編集]

ほとんどの批評家は本書を「熱烈に」評価した。

フィリップ・キッチャーは『サイエンス』誌で著者オレスケスとコンウェイを「傑出した歴史家」と呼び、本書を「心が動かされる重要な研究」と評した。本書の論調はニーレンバーグ、サイツ、シンガーに対して厳しすぎるようにも見えるが、キッチャーはそれが「ロジャー・レヴェルベン・サンターのような卓越した気候学者がマスコミによって利用され、不当な攻撃を受けた経緯を詳らかにしたことで正当化される」と述べている。

ウィル・ブキャナンは『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙への寄稿で、本書が徹底的な調査の下で綿密に書かれており、2010年の最重要書籍に数えられるだろうと述べた。ブキャナンの見るところでは、「疑念の商人たち」が一般に理解されている意味での「客観的な科学者」ではなく、企業に雇われて製品の安全性・有用性を示すために数字を加工する「科学の言葉を使う傭兵」だということは本書によって明らかになった。ブキャナンは彼らがセールスマンであって科学者ではないと書いている。

バド・ワードは The Yale Forum on Climate and the Media で本書のレビューを公刊した。ワードによると、オレスケスとコンウェイは学者としての徹底的な調査と最上の調査報道を思わせる筆致の組み合わせによって「環境問題と公衆衛生に関する過去の論争が深いところでつながっていたことを解き明かした」という。気候科学に関しては、「著者らによると気候科学の専門性に乏しい科学者の小集団による、著者らがいうところの科学の乱用・悪用に対する蔑み」が包み隠さず表明されていると書いた。

フィル・イングランドは『エコロジスト』誌で、綿密な調査と、重要な事件に関する詳細な記述が本書の強みだと書いた。しかし同時に、気候変動についての章が50ページしかないことを指摘し、より広い観点から情勢を見渡したい読者のために関連書としてジム・ホガン Climate Cover-Upジョージ・モンビオ Heat: How to Stop the Planet Burningロス・ゲルブスパン The Heat is On および Boiling Point を推薦している。イングランドはまた、地球温暖化に対する否認と疑念喚起を活発に行っているいくつかの団体がエクソンモービルから数百万ドルの資金供与を受けていることがほとんど書かれていないと述べた。

エコノミスト』誌のレビューは本書を「力強い本」と呼び、環境問題に関する政治的駆け引きや、科学者が疑念を捏造ないし誇張してきたことを明るみに出した点を評価した。しかし一方で、このような対抗要因があったにもかかわらず、環境問題に対する措置が講じられてきた理由が説明されていないとした。その例として、科学的証拠が乏しかったにもかかわらず米国議会で規制が可決された酸性雨問題が挙げられた。

文化的に作られた無知や疑念の研究に「アグノトロジー」という名を与えたロバート・N・プロクターは、『アメリカン・サイエンティスト』誌で本書が詳細であり巧みに書かれていると評した。プロクターは本書を「作り上げられた無知の歴史」を扱った書籍の系譜に載せた。そこで挙げられた本には、デイヴィッド・マイケルズ Doubt Is Their Product2008年)、クリス・ムーニー The Republican War on Science2009年)、ディヴィッド・ロスネルとジェラルド・マルコウィッツの Deceit and Denial2002年)、およびプロクター自身の Cancer Wars1995年)がある。

ロビン・マッキーは『ガーディアン』紙で、冷戦イデオロギー論者の小集団が持っていた影響力を暴いたオレスケスとコンウェイは称賛に値すると書いた。それらの集団は、地球温暖化のような一連の重要な問題について、科学者たちが信頼できる知見を積み上げている間にも、疑念を広めるという戦術によって一般大衆を惑わせたという。マッキーはまた、本書ではすべての参考資料に詳細な注が付けられ、議論は慎重に展開されているとも述べており、「年間ベスト科学書籍の最右翼」とした。

社会学者ライナー・グルントマン BioSocieties 誌に寄せたレビューで、本書がよく調査されており事実に基づいていることを認める一方で、善悪二分論に拠っていることを批判し、歴史家はより陰影に富んだ記述を行うべきだとした。本書では科学的コンセンサスに対する反主流論者たちや特別利益団体が公衆をミスリードしたことが政策の施行を遅らせた主要因だとされている。グルントマンによれば、そこには公共政策が科学の理解に基づいて作られるという前提があり、したがって著書らには政治過程と知識政策 (knowledge policy) のメカニズムについての基本的な理解が欠けている。本書は科学の(形式的な)特徴を完全に備えているが、グルントマンの見るところでは学術的な著作というより感情的な非難であり、全体として問題が多い書籍である。

サイツが設立したジョージ・C・マーシャル研究所のウィリアム・オキーフとジェフ・キューターは、本書は学術的な著作のように見えるが、生涯にわたってアメリカ国民に多大な貢献をしてきた人々の名声を毀損するものだと述べている。彼らによると本書はそのために、批判対象の誠実さに疑いをかけ、人格を非難し、識見に疑いをかけたという。

著者[編集]

著者の一人ナオミ・オレスケスはハーバード大学に在籍する歴史学と科学論の教授であり、地質学の学位と、地質学研究および科学史の博士号を持っている。オレスケスは2004年に『サイエンス』誌に掲載された論文 The Science Consensus on Climate Change(気候変動に関する科学的コンセンサス)で人間活動に由来する地球温暖化が事実だということに科学界から大きな異論はないと書き、注目を集めるようになった。もう一人の著者エリック・M・コンウェイは、パサデナカリフォルニア工科大学にあるNASAジェット推進研究所に所属する歴史家である。

 

 

 

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