日本語が亡びるとき  水村美苗  2021.12.12.

 

2021.10.14. 日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で

 

著者 水村美苗 東京生まれ。12歳の時、父親の仕事の都合で家族とともにニューヨークに移り住む。アメリカに馴染めず、改造社版『現代日本文学全集』を呼んで少女時代を過ごす。以来20年在米。フランス文学専攻

 

発行日           2008.10.31. 初版第1刷発行         2008.12.5. 初版第3刷発行

発行所           筑摩書房

 

「西洋の衝撃」を全身に浴び、豊かな近代文学を生み出した日本語が、今「英語の世紀」の中で「亡びる」とはどういうことか?

日本語と英語を巡る認識を深く揺り動かし、遥かな時空の眺望のもとに鍛え直そうとする書き下ろし問題作が出現した!

 

 

夏目漱石『三四郎』:「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った

 

1章       アイオワの青い空の下で〈自分たちの言葉〉で書く人々

9月、アイオワ大学主催のIWP-International Writing Programの長期プログラムには世界各国から多くの作家たちが参加

アイオワ大は、1936年全米で初めて創立された創作学科の存在で有名で、アイオワを単なる田舎の文学町とは違う文学的な町にしている

参加して実感したのは、地球のありとあらゆるところで人は書いている。様々な作家が、様々な条件の下で、それぞれの人生を生きながら、熱心に、小説や詩を書いている

モンゴルでも書いている

金持の国でも貧乏な国でも書いている。外国に1週間旅するだけでも、自分の国の経済力というものは、露骨すぎるほどに見えてくる

さまざまな政治状況のもとで書いている。国が全く機能していなければ、作家という職業も成り立たない。言論の自由を抑圧された所でも書いている

さまざまな言葉で書いている。さまざまな作家が〈自分たちの言葉〉で書いている

さらには、〈自分たちの言葉〉で書くという行為が、〈自分たちの国〉を思う心といかに深く繋がっていたか

ヘブライ語は、〈自分たちの国〉を思う心でもって蘇った言葉。紀元前13世紀には書き言葉を持っていたが、その後続いたディアスポラのせいで聖典の「書き言葉」としてだけ残り、実際の話し言葉としては2000年近く死に絶えていた。復興運動が起きたのは19世紀末のシオニズム以来で、イスラエルの建国を境に、〈自分たちの言葉〉となり〈母語〉となる

今、イスラエルはヘブライ語とアラビア語双方を「公用語」とするが、象徴的にはヘブライ語が〈国語〉

ノルウェー語も、400年以上にわたるデンマークの支配下から解放された1814年以降、デンマーク語に代わって自分たちの書き言葉を作ろうという気運が高まりできた言葉だが、1人の言語学者が各地の民族言語を集めてきて作り上げた言葉は、公用語ではあっても人口の10%程度にしか使われないが、それでも〈自分たちの言葉〉として書く作家がいる

英語が〈普遍語〉となりつつあることの意味を考えざるを得ない

言葉には力の序列がある。一番下に小さな部族でしか流通しない言葉がある。その上に民族で通じる言葉が、さらに上には国家の中で流通する言葉があり、一番上には広い地域やまたがった民族・国家の間で流通する言葉がある

人間の交流の隆盛により、言葉には有史以来の異変が2つ起こっている――1つは、下の方の名も知れぬ言葉が急激に絶滅しつつあることで、今ある6000ぐらいの言葉のうち8割が今世紀末までに絶滅すると予測されている。もう1つは、最上階に世界全域で流通する言葉が生まれたことで、〈普遍語〉となりつつある英語のこと

英語自体、決して学びやすくなく、文法も単純ではないし、単語の数が多過ぎるし、慣用句も多く、スペルと発音の関係がしばしば不規則、発音そのものが難しい

英語が普遍語となるとはどういうことか――母語と英語の2つの言葉を必要とする機会が増えると、英語以外の言葉が影響を受けざるを得ないし、あるものは亡びかねない

作家にとっては、〈自分たちの言葉〉が「亡びる」ということは、自分たちがその担い手である〈国民文学〉が「亡びる」ことに他ならない

日本に近代文学があったということが奇跡のように感じられるほど、日本文学が、そして日本語が「亡び」つつあるかもしれないと感じる

在米中から、日本に帰り、日本語で小説を書きたいと思っていたが、その頃、日本に帰れば、近代文学を担った錚々たる偉そうな男の人達が頭に思い浮かんだが、いざ書き始めてみると、それが幻想だったことに気づき、すべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景しか目に入って来なかった

本書は、この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている。そして、究極的には、日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい、少なくとも日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息交じりに思っている人たちに向けて書かれている

 

2章       パリでの話

世界で最も尊敬されていた〈国語〉はフランス語

『小公女』は、イギリス人女性が書いたイギリスの少女を主人公とするが、フランス語を流暢に操るがゆえに周囲の尊敬を集める

フランス語は、1066年ノルマンディ公がイギリスを征服してから300年にわたりイギリス宮廷で使われるようになった言葉。17世紀ルイ14世の宮廷の栄光を背に、洗練され、理性的な言葉として、ヨーロッパ全土で広く流通。1635年ルイ13世のもとリシュリュー枢機卿によって作られた「アカデミー・フランセーズ」は、フランス語が巧みに「芸術と学問を扱うことが出来る」言葉であり続けるのを見張る目的を持っていた

世界のスノビズムがわかってくるにつれ、辺境ほどスノッブになるという法則に従って、明治維新の日本でも、英語は実学のための言葉、フランス語こそ西洋文明の神髄を象徴する言葉と見做す風潮が広がり、西洋の文芸を通じて西洋文明の息吹をおのがものにしようとしていた作家たちにとって、フランス語は特権的な地位を占めるようになる

2次大戦後に志賀直哉の、フランス語を母語とする、信じ難くも興味深い発言に繋がる

戦後もフランス文化は、世界でも日本でも最後の花を咲かせ続ける――50年代の実存主義や70年代に入ると構造主義が世界で流行る

ただ、英語が何かを学ぶための手段に過ぎなかったのに対し、フランス語は言葉自体が学ぶ目的であり、究極のスノビズムだった

フランス国内でフランス語が「亡び」ないようにするのが問題になっている――1994年に「トゥーボン法」が制定され、フランス語の使用が様々な場所で強制される。テレビ局は放映時間の最低40%をフランス語で放映しなくてはならないなど

それでも、〈普遍語〉としての英語の台頭によって、フランス語は日本語と同じところまで凋落

1998年、パリで開かれたシンポジウムで小説家として講演をすることになり、初めてフランス語で、人のフランス語との関わりを話す。シンポジウム全体の主題は「時間」であり、自分の演題は「近代日本文学――その2つの時間」

日本人は明治維新を境に2つの時間を生きるようになった。1つはヨーロッパで流れる時間と同じで、ヨーロッパ人が「人類」と呼ぶものに参加するためであり、もう1つは日本古来の時間。それは西洋の時間と独立したものではありえなくなったが、それでいて同じものになることもなかった。普遍と特殊の非対称的な関係

小説家の世界でも、英語を母語として書く人は圧倒的に有利だが、少数言語を操る者こそが、「言葉」に関して常に思考を強いられ、その結果「真実」が1つではないこと、英語で理解できる「真実」以外にも「真実」があり得ることを知ることができる

世界を解釈するにあたって、英語という言葉でもって理解できる「真実」のみが、唯一の「真実」となってしまっている。この世界の解釈方がノーベル文学賞を可能にし、それをさらに強化している。ノーベル文学賞とは「翻訳」に内在するすべての問題を、必然的に抑圧してしまっている

何年も経ってから気付いたことは、日本語が「亡びる」のを嘆くことができるだけの近代文学を持っていたという事実であり、しかもその事実が、世界の読書人の間で一応知られているという事実

日本近代文学の存在が世界に知られたのは、真珠湾攻撃で慌てたアメリカ軍が日本語のできる人材を短期間で養成する必要に駆られたのが一番大きな要因。1968年川端康成がノーベル賞を受賞したのも英訳があったから。ノーベル文学賞を非西洋人が最初に受賞したのは1913年のタゴールだが、彼はベンガル語で書いた詩を自分で英訳。非西洋語の最初の受賞者は1966年で、オーストリア生まれのイスラエル人でヘブライ語で書いた。その2年後が川端で、以後20年間非西洋語の受賞はなかったことからも、英訳の存在が日本文学にとって重要だったかがわかる。ノーベル賞の闇の部分は政治性を別にしても、翻訳という、文学にとって最も根本的な問題を真剣に考えていないということにある

『ブリタニカ』でも「日本文学」をひくと、「主要な文学」の1つとして英文学にも匹敵するものと定義された、ドナルド・キーンの書いた異例の長さの紹介文がある

日本のように早々とあれだけの規模の近代文学を持っていた国は、非西洋の中では見当たらないし、その存在自体奇跡だと言える

 

3章       地球のあちこちで〈外の言葉〉で書いていた人々

日本語の成り立ちを見るとき、誤った認識を前提にしている――〈書き言葉〉とは〈話し言葉〉を書き表したものだという前提

人類が文学を発見してから約6000年。その間人類はほとんどの場合、古くからある偉大な文明の言葉である〈外の言葉〉――いわゆる〈普遍語〉で読み書きしてきた

   普遍語universal language――二重言語者が使う言葉であり、〈書き言葉〉として用いられる。〈書き言葉〉とは〈読まれるべき言葉〉から派生的に生まれてきたもの。そもそも学問とは、多くの人に向かって自分が書いたことが「真理」かどうか、〈読まれるべき言葉〉であるかどうかを問うことによって人類の叡智を蓄積するものなので、最も適した言葉は〈普遍語〉である

   現地語local language――〈普遍語〉と対になりつつ対立する概念。〈普遍語〉が存在する社会において、人々が巷で使う言葉であり、多くの場合それらの人々の〈母語〉

   国語national language――「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉」だが、日本の場合は日本人の血と国籍、日本語を〈母語〉とすることがすべて混然一体として日本人の心に刻まれ、「国語=日本語」を指すようになった悪名高い過去がある

本来の意味は、元は〈現地語〉でしかなかった言葉が、翻訳という行為を通じ、〈普遍語〉と同じレベルで機能するようになったもの

翻訳は、人類の〈書き言葉〉の歴史で最も根源的なものでありながら、不当に蔑ろにされてきた。言語間に明確なヒエラルキーがあるのを前提とした行為で、上位のレベルにある〈普遍語〉に蓄積された叡智を下位レベルの〈現地語〉の〈書き言葉〉に移す行為

「二重言語者」とは、自分の〈話し言葉〉とは違う外国語を読める人であり、彼等が〈普遍語〉と〈現地語〉の両方で書いたことにより、〈現地語〉でしかなかった言葉を〈普遍語〉と同じレベルで機能する〈書き言葉〉にまで押し上げていった

ダンテが『神曲』で使った〈現地語〉はその後イタリア語の規範となり、ルターがギリシャ語の『聖書』をドイツ語に翻訳したのが今のドイツ語の規範となっている

〈現地語〉が〈国語〉となっていった過程は、〈普遍語〉から〈現地語〉への翻訳を通じ、〈普遍語〉で蓄積された人類の叡智が〈現地語〉へと移され、やがて〈現地語〉が〈普遍語〉に追いつき追い越し、最終的に〈現地語〉だけが流通するようになって〈国語〉に

〈国語〉で学問するというのは、本当に可能か? 学問の本質に反することなのではないか?

17世紀後半から西ヨーロッパで誕生した啓蒙主義は、最初に〈国語〉で花開いた学問だが、いま世界で学問と呼ばれるようになったものは、ヨーロッパ人によってヨーロッパ語でなされ、ヨーロッパは歴史と文化を共有しているだけでなく、言語も起源を一にしていることから、知識人は他の国の〈国語〉を容易に「読む」ことができた。このことが〈国語〉で学問するのを可能にした

ヨーロッパが〈国語〉の時代になって最も変わったのは、人が〈自分たちの言葉〉で書くようになったこと――読む行為と書く行為は本質的に非対称で、読むことは出来ても、同じように書くことはできず、書くためには〈自分たちの言葉〉が必要だった

英語の世紀に入ってから振り返って初めてわかったのは、小説の歴史性で、ヨーロッパで〈国民文学〉としての小説が光り輝いたのは、〈学問の言葉〉と〈文学の言葉〉が共に〈国語〉でなされていた時代

小説は、母語の持つ長所を存分に利用しながら発展。かたや、〈普遍語〉の翻訳として生まれた小説は、神の存在の有無、戦争と平和、人類の運命など雄々しく立派な事柄について重々しく抽象的に語れるだけでなく、母語を母体として生まれた小説は、人間の日常生活という卑近な出来事の連続でしかないものを、どうでもいいような細部にわたってまで、活き活きと魅力的に描くこともできる

かくして、〈国語〉は、あたかも自分の内なる魂から自然にほとばしり出る言葉のように思えてきて、必然的に〈自己表出〉の言葉となる

〈母語〉とは極めて特権的な言葉で、学んでいった過程が意識されない。「生まれながらに」話していたように思われる言葉と、そうではない言葉がある

言葉というものは、いかに翻訳可能性を目指そうと、閉じたシステムの中で意味を生産するものであるがゆえ、翻訳不可能性を必然的に内在するもの。プルーストや『ユリシーズ』が、たとえ西洋語へであろうと、不可能に近いほど翻訳困難なことはよく知られている

 

4章       日本語という〈国語〉の誕生

『三四郎」の広田先生に「亡びるね」と言わせたのは、たとえ西洋相手の戦争で勝っても、近代国家として日本がまだいかに脆弱であるかを知る漱石の目である。実際、半世紀もしないうちに日本という国は無残に「亡び」たが、永久に残ったのは、『三四郎』のような小説が流通していたという事実であり、日本は非西洋にありながら、西洋で〈国民文学〉が盛んだった時代に対して遅れずして〈国民文学〉が盛んになったという、極めてまれな国

それは維新以降、日本語が早々と名実ともに〈国語〉として成立した結果に他ならず、当時すでに3つの条件を日本語が満たしていたから――1つは日本の〈書き言葉〉が〈現地語〉でしかなかったにもかかわらず、日本人の文学生活の中で高い位置を占め成熟していたこと、もう1つは維新以降の日本に「印刷資本主義」が既に存在し、成熟していた日本の〈書き言葉〉が広く流通していたこと、さらには日本が植民地にならずに済んだこと

〈現地語〉が〈書き言葉〉を持つようになるのは、〈普遍語〉を翻訳するという行為を通じてのこと

日本語が、〈普遍語〉の漢文に対しての〈現地語〉でしかなかったこと。その日本語の〈書き言葉〉が、漢文という〈普遍語〉を翻訳する行為のうちに生まれたこと。日本語に〈書き言葉〉が生まれたあとでも、日本語は〈普遍語/現地語〉という構造内での〈現地語〉に留まっていたこと、などは全て当たり前でしかないが、なぜ〈現地語〉でしかなかった日本の〈書き言葉〉が、かくも成熟した言葉になっていったか。最も大きな原因は島国だったということに尽きる。漢文圏や科挙制度の牽引力から距離を置くことができた

日本語という〈現地語〉の歴史は、〈現地語〉に親和性の高い「漢字ひらがな交じり文」が、〈普遍語〉に親和性の高い「漢字カタカナ交じり文」と混在しながら巷で流通するようになっていった歴史

維新後の大命題は独立国家としての存続であり、そのためには西洋語という新たに登場した〈普遍語〉に蓄積された知識や技術や叡智を、いち早く日本の言葉に置き換えて移すことこそが先決問題だったが、翻訳に従事した二重言語者は、単なる翻訳にとどまらず、〈普遍語〉の豊穣な知的世界を知りたいという欲望から、日本語という〈自分たちの言葉〉を〈国語〉という高みへと到達させた

 

5章       日本近代文学の奇跡

小説とは、〈国語〉で書かれたものであるがゆえに、優れて〈世界性〉を持つ文学。〈国語〉は〈普遍語〉の翻訳から成立した言葉なので、当然〈現地語〉よりも〈世界性〉を持つが、それ以上に〈国民国家〉の言葉である〈国語〉は近代の産物であり、近代の技術のみが可能にする「世界を鳥瞰図的に見る」という視点を内在した、真に〈世界性〉を持つ言葉

日本に近代文学が存在するようになった背景には、日本語で〈学問〉することができる〈大学〉が存在したことも大きい

世界的に見ても重要なのは、非西洋の二重言語者である日本人が、西洋語という〈普遍語〉をよく読みながらも、〈普遍語〉では書かず、日本語という〈国語〉で書いたこと

日本初の近代小説とされる『浮雲』を書いたのは、外大で授業の全てをロシア語で受け、ロシア人教師の朗読を通じてロシア文学をものにしていった二葉亭四迷であり、ツルゲーネフの『あひゞき』の翻訳を著し、翻案(意訳)しかなかった日本に、初めて文学の翻訳たるものの意味、一語一句正確に訳し、かつ感動を与えねばならないのを世に知らしめたのも二葉亭四迷。日本初の近代小説を書いた人物が、日本初の小説の翻訳家だったのは必然

華麗な文語体を用いた『金色夜叉』は、二葉亭四迷がせっかく『浮雲』で言文一致体を試みたのに、江戸戯作の伝統を復古して文学の近代化を一時的に滞らせたということになっているが、実は英語の「ダイム・ノーベル」という読み捨ての娯楽小説を焼き直したものだったという事実が2000年に発見された。日本近代小説の黎明期、西洋語をよく読んだ日本の小説家にとって、翻案、翻訳、創作という3つの行為は繋がっていて当たり前だったので、尾崎紅葉が英語の小説を乱読し、そのうちの1つを翻案して自分の小説を書いたとしても何の不思議もなかった。芥川も驚くほど英語をよく読んだし、大佛次郎が丸善に借金を返せなくなったほど要所を買っていたり、家が貧しく代用教員などをしていた中里介山がヴィクトル・ユーゴーの英訳を貪るように読んでいたし、谷崎でさえも英語を流暢に読んだという

明治時代から義務教育で強制された規範的な〈話し言葉〉もラジオの普及などによって拡散・流通し、規範的な〈書き言葉〉の流通は規範的な〈話し言葉〉の普及と相俟って、日本語という〈国語〉をいよいよ日本人の魂のそのままの表現のように思える言葉――〈自分たちの言葉〉としていった

〈国語〉が高みに達した時は、単一言語者であっても〈世界性〉を持った文学を書けるようになる。家が没落し、丁稚をしながら小説家を志した吉川英治も西洋語をまともに読んだとは思えないが、『忘れ残りの記』という自伝文学の最高峰を残したし、幸田文も随筆文学の宝を残した。林芙美子またしかりである

第二次大戦後も日本は高度成長にも恵まれ、国民全体が狂ったように文学を読んでいる国となり、優れた翻訳者を得て、ノーベル文学賞も受賞

すべての国民が文学の読み手でもあれば書き手でもあるという理想郷は、その理想郷を可能にするインターネット時代が到来する前、日本にはいち早く到来していたが、その時すでに日本近代文学は「亡びる」道をひたすら辿りつつあった

 

6章       インターネット時代の英語と〈国語〉

「文学の終わり」とは、1世紀前からすでに世界で言われてきたが、そこには歴史的な根拠がある――1つは科学の急速な進歩、2つに〈文化商品〉の多様化、3つに大衆消費社会の実現といわれるが、本当の問題は英語の世紀に入ったことにある

ということは、〈国語〉が出現する以前の〈普遍語/現地語〉という言葉の2重構造が蘇ってきたことを意味する。インターネットの出現によって、英語はその〈普遍語〉としての地位をより不動のものにしただけでなく、その地位を永続的に保てる運命を手にした

インターネットを多言語主義の勝利と見る人もいるが、ネットによる英語の支配と、ネットで流通する言語の多様化とは矛盾しない。英語と英語以外の言葉とでは、異なったレベルで流通している

インターネット上でいずれ実現し得る〈大図書館〉とは、ネットを通じて世界の全ての書物や情報にアクセスできるという、究極の図書館であり、情報の理想郷とでもいうべきものだが、英語が〈国語〉であると同時に〈普遍語〉であるという認識がない限り、理想郷は空疎なものでしかない。〈大図書館〉には「すべての言葉」が入るかもしれないが、人は「すべての言葉」を読めるわけではない。その中で唯一の例外が英語の〈図書館〉で、そこだけが英語を〈外の言葉〉とするもの凄い数の人が出入りすることになる

これからの時代は、〈読まれるべき言葉〉の序列付けの質そのものが最も問われるようになる。自動翻訳機の質が良くなっても、英語が〈普遍語〉としてますます流通していくのを押しとどめることはできない

英語の隆盛に比べて日本語の劣化、〈現地語〉への回帰を考えると、〈叡智を求める人〉であればあるほど、日本語で書かれた文学だけは読まなくなり、書くこともしなくなるだろう

 

7章       英語教育と日本語教育

日本語が「亡びる」運命を避けるために何をすべきか。学校教育を考え直すべき

先ずは英語教育の在り方

1999年、小渕内閣で有識者を集めた「21世紀日本の構想」(座長:河合隼雄)の中で、「英語第2公用語論」が出て立ち消えになったが、根底にある理念は今も息づいている。中心的主張者だったのは朝日新聞の船橋洋一。英語が急速に世界の共通言語になる中、日本が「言語的孤立」に追い込まれ、国民の間にも「言語的孤立感」から来る被害者意識と犠牲者意識が蔓延し、排外主義を噴出させかねないという憂国の主張

国民総バイリンガルまでは不要だが、理念としては共感できる

日本が必要としているのは、1人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材で、日本語を〈母語〉とする人間がそこまで行くのは並大抵のことではない。優れた英語で書くことこそ、ネットによって政治そのものが世界の無数の人々たちの〈書き言葉〉で動かされるこれからの時代、最も重要なこと。そのためには優れたバイリンガルが十分な数で存在することが、言語的孤立を避けるために絶対必要

平等主義を一番の信条としてきた日本の教育が一番避けてきたことこそが必須で、そこまでやらなくては日本語は「亡びる」

日本語が「亡びる」運命を避けたければ、学校教育を通じて多くの人が英語をできるようになればなるほどいいという前提を否定しきらねばならない。その代りに、学校教育を通じて日本人は何よりまず日本語ができるようになるべきであるという当然の前提を確立しなければならない。〈国語〉としての日本語を護ることこそ学校教育の柱とすべきである

英吾の世紀に入った今、日本の学校教育が何を理念として掲げるべきか。文科省はあまりにも見識がないどころか、日本語を粗末に扱っている

日本人自身が日本語を大切にしようとしてこなかった――1500年にわたって日本の言葉は漢語という〈普遍語〉の下に来るものだったが、近代に入って日本語が〈国語〉になってからも、「西洋の衝撃」を受けて以来〈自分たちの言葉〉についての自信がなかった

この風潮は現代も続き、日本語のローマ字表記と西洋語のカタカナ表記が氾濫

さらに近代拡散した、〈書き言葉〉とは〈話し言葉〉の音を書き表したものだという誤った言語観が、一層日本人の自信のなさを深めている

日本では実に100年にわたり、「表音主義」がまかり通り漢字排除の動きが底流にあって、1966年中村梅吉文相が国語審議会で初めて「国語の表記は漢字かな交じり文によることを前提」とすると述べたが、漢字排除論が完全に消滅したのはここ20年ぐらいのこと。中国の存在感が増し、その中国が日常的には簡体字にしても漢字は使い続けるという意思を明確に示したこともあって、漢文はいざ知らず、漢字という三千数百年の歴史を持つ、現存する唯一の表意文字が絶滅する危機を脱した

ただ、日本にとっての不幸は、漢字を残したことが、即、「表音主義」の敗北を意味したわけではなかったことで、表音主義者は「伝統的かなづかい」を「表音式かなづかい」に改めるという念願を叶えさせた。「表音式かなづかい」によって語意識の感覚が鈍り、他の言葉との関係が曖昧になると言葉の意味が分からなくなり、言葉全体の命が枯れていく――「胡瓜(きうり)」を「きゅうり」と表記することにしたため、「うり」の一種だという語意識が薄れる

福田恆存は、「言葉は文化のための道具ではなく、文化そのものであり、私たちの主体そのもの」といって、表音主義が文化そのものの否定に繋がることを怒る

表音主義の西洋からの輸入は、戦後の日本語教育において、〈書き言葉〉がどういうものであるかの基本的な認識をも誤らせ、文化そのものを否定するイデオロギーへと繋がった

文化とは、〈読まれるべき言葉〉を継承することで、時代によって異なるかもしれないがどの時代にも引き継がれて〈読まれるべき言葉〉があり、それを読み継ぐのが文化

日本の国語教育の理想を、すべての国民が書けるところに設定したのが間違いで、〈読まれるべき言葉〉を読む国民を育てるところ、つまり文化を継承するところに設定すべきだった

文化の否定というイデオロギーのそもそもの種は近代西洋のユートピア主義にあり、原始共産制礼賛、文化的遺産を持つ者と持たざる者との差をなくそうとするポピュリズムなどの形をとって、西洋でも文化の破壊を招く

日本語は、世にも特異な表記法を持つ。漢字という表意文字と、自分たちの表音文字を混ぜて書く。表音文字にもひらがなとカタカナの2種類あり。漢字も音読みと訓読みが、しかも複数ある。さらに、表記法を使い分けるのが意味の生産に関わるという別次元の日本語独特の性質も持つ――「ふらんす」「仏蘭西」「フランス」はそれぞれ意味が異なることを日本人だけが知っている

日本人は、無意識のうちに、日本人は未来永劫日本人であり続ける、日本人はDNAによって日本人であるかのような思い込みを持っている。日本語の永続性についても無邪気な自信を持つが、自ら護る努力なしには存続はあり得ない。かつては地理的条件が日本語を護ってくれたが、ネットの出現で無意味になった

国語教育は国によって異なる――日本は8世紀から〈自分たちの言葉〉の文学を持っているうえに、非西洋圏の中で「日本近代文学の奇跡」さえあった国で、「西洋の衝撃」の後早々と〈国語〉が生まれ、〈国民文学〉が生まれ、以来たくさんの人がその言葉を糧にして生きてきた。その様な幸運な道を辿った文学を持った日本でありながら、間違った理念のもとに間違った国語教育を全ての国民に与えるようになっていた

日本の国語教育はまずは日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべき――〈出版語〉という規範性をもって市場で流通するに至った〈書き言葉〉が確立された時の文章だからであり、日本語の古層を掘り返し、日本語が持つあらゆる可能性を探りながら花開いてきたからであり、最も気概も才能もある人たちが文字を書いていた時だから

「古典との繋がりを最小限度に保つ」――皆がその繋がりを保っていればいるほど、日本語は生きている

〈国語〉〈国民文学〉の運命は、国民がその〈国語〉とどう向き合うかでもって、この先明暗を分ける。日本文学という〈国民文学〉の豊かさは、それらの〈読まれるべき言葉〉を普通の日本人がどれぐらい読むかにかかっている

この先、日本語が〈現地語〉に成り下がってしまうことは、人類にとってどうでもいいことではない。〈普遍語〉と同じ知的、倫理的、美的な重荷を負いながら、〈普遍語〉では見えてこない〈現実〉を提示する言葉がこの世から消えてしまうのを嘆くはず

日本語を〈母語〉としない人でも読み書きしたくなる日本語であり続けたい

今ならまだ日本語の将来を選び直すことができる。選び直すことは、日本語という幸運な歴史を辿った言葉に対する義務であるだけでなく、人類の未来に対する義務でもある

 

 

 

 

 

(明日へのLesson)特別編:著者がとく 水村美苗さん 「日本語が亡びるとき」×大阪大学入試  2021.9.30. 朝日

 題名にドキッとした人も多いかもしれない。作家・水村美苗さんの「日本語が亡(ほろ)びるとき――英語の世紀の中で」(2008年)。大きな反響を集めたエッセーからの設問(19年度大阪大法学部など4学部前期「国語」)を解いてもらい、英語一強時代との向き合い方、学び方を聞いた。

 ■<解く>奇跡の国語(日本語)守り、普遍語(英語)で開く世界

 水村さんは12歳のとき、父の転勤で渡米した。思春期特有のかたくなさで周囲に溶け込めず、「英語から逃げるようにして」、夏目漱石ら日本の近代文学を読む少女時代を過ごした。約20年後に帰国、のち作家となり葛藤の記憶を小説のモチーフにもしたが、ますます強まる英語の覇権に問題提起したのが「日本語が亡びるとき」である。

 出題された三章は、水村さんが言葉について独自の概念を示すところから始まる。世界語を指す「普遍語」、地域で流通する「現地語」、近代以降に成立した国民国家で人々が自分たちの言葉と考える「国語」という3区分だ。

 ナショナリズムの起源を論じた政治学者ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」を参照する。15世紀、グーテンベルク印刷機の登場によって、知識人が現地語で話しラテン語で読み書きするという状況は転機を迎える。聖書の翻訳を皮切りに現地語の本が一般向けに市場に出回り始め、次第に書き言葉として昇格した「出版語」が確立していく。それらが地域ごとに共有され、18世紀以降の国民国家と国語の成立の原動力になっていった。

 問一はこのアンダーソンの分析に関して、出版語の成立までに資本主義が果たした役割について記述させる。水村さんは「日本のテストを受けたことがないので」と苦笑しつつ、「印刷されたラテン語の聖書の需要が満たされるに従い、話し言葉で書かれた本の需要が高まり、やがて様々な言葉の書物が出版されるようになった」と回答。市場が飽和し、大衆が新たに巨大市場となって、書き言葉が生まれ変わっていくくだりを説明した。

 問四は2題とも記述だ。聖書におけるラテン語など「聖なる言語」をめぐる、アンダーソンと著者の理解の違いについて。もう一つはアンダーソンがそう理解した理由を著者がどうみているか。

 「何度も書き直したところです」と水村さん。

 「アンダーソンは『聖なる言語』のラテン語をエリートの権威的で閉ざされた言葉だ、と否定的にとらえた。でも私は、無数の話し言葉をもつ人々の交流を可能にした開かれた言葉、西洋文明の基礎を作った普遍語だと肯定的にとらえました」

 実は、最初は、アンダーソンの見解に近かったという。言葉の序列が厳然とある世界で、少数言語も尊重すべきだとする多言語主義の考えに共鳴した。だが立ち止まる。普遍語には必然性があるのでは?

 アンダーソンはなぜその点を見落とし、また普遍語である英語に関する考察もなかったのだろうか。水村さんは「基本的には英語を母語とする人だからでしょう」と話す。母語で世界の人々と渡り合えるならば、その幸福な条件自体を深く考える必然性はないのだから。

 水村さんは別の章で、我々は言葉に関して「常に思考するのを強いられる運命にある」と記している。

 ■<説く>伝統の継承、もっと真剣に

 ――憂国の書、だったんですね。

 刊行の数年前に英語公用語論が登場し、叡智(えいち)を求める人がますます英語に流れていってしまうのでは、という危機感がありました。根っこにあったのは、日本語と日本文学がいかに恵まれた歴史をたどったかを振り返りたいという思いです。

 世界を見れば、いまだに「国語」のない国がたくさんある。日本は江戸時代までに成熟した「現地語」があり、印刷資本主義が発達していた上に、列強の植民地化を免れたこともあって、明治維新から早々に「国語」の成立をみました。世界的にも文学が花開いた幸運な時代に、「国民文学」が栄えたわけです。

 ところがすぐれた宝がありながら、伝統の継承という問題が、学校でも社会でも真剣に考えられているとは思えない。文化全体の劣化につながりうるでしょう。

 ――賛同の一方、ナショナリストあるいはエリート主義だとの評も。

 自国の文化を大切に、とさえ言えなかった戦後の日本が問題です。評論家・福田恒存が言った通り、一つの国民は、国籍でなく共有された文化的素養でつくられます。

 本の題名は、漱石の「三四郎」に出てくる広田先生のせりふ「日本は亡びるね」からとったものですが、英語一強の時代、日本語も決して永続的ではない。日本語教育の大切さを認識する必要があります。

 ――普遍語としての英語の習得も必要だと強調しています。

 両方とも重要だというのが、最も主張したかったことです。この本はまさに英訳のおかげでスペイン語、アラビア語、中国語などを母語とする人にまで広く読まれました。

 英語を身につけるといっても、ペラペラになる必要なんかはない。いろいろな発音があっていいし、スラングなど学ぶ必要もない。誰にでもわかる言葉で渡り合えることが肝心ですから。少数でいいから人材を育成する道を、より真剣に考えていくべきだと思います。

 ――受験生や高校生に、メッセージをお願いします。

 視聴覚情報があふれる時代なので理解してもらいにくいのですが、「まず読むこと」を大切にしてください。文章語を読み慣れないと思考することを学べません。

 それから近代文学の古典を読んでほしい。若いころは体力もあるし、そのころ読んだ本は忘れませんから。いまのうちに挑戦して読んでおけば一生の宝になります。(藤生京子)

 ■入試問題(要旨)

 「日本語が亡びるとき」は、グローバル化とインターネットの普及で英語の存在感が増す中、人間にとって言葉とは何かを問う。明治以降、日本人は外国語を大いに学びつつも、自分たちの言葉である日本語で優れた文学を生み出してきた。その「奇跡」を自覚し日本語を尊重せよと呼びかける。

 出題は三章から。著者は言葉には「普遍語」「現地語」「国語」があると述べる。B・アンダーソンを参照、話し言葉と読み書きの言葉の別があった二重言語の時代から、自分たちの「国語」が生まれていく歴史をひもとく。現代の普遍語、英語の考察がない点も指摘する。

 4問中、2問(計3題)が記述。国語成立の背景や、「聖なる言語」の本質についてアンダーソンと著者の理解の違いなどを説明させる。残り2問が選択方式。大阪大学は正解を公表していない。

     *

 みずむら・みなえ イエール大、同大学院で仏文学を学ぶ。プリンストン大などで日本近代文学を教える。小説に「続明暗」「私小説 from left to right」「本格小説」「母の遺産」。

 

 

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