医療者が語る答えなき世界  磯野真穂  2017.8.24.

2017.8.24. 医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学

著者 磯野真穂 1999年早大人間科学部スポーツ科学科卒。オレゴン州立大応用人類学修士課程修了後、早大文学研究科博士課程後期課程修了。現在、国際医療福祉大大学院講師。専門は文化人類学、医療人類学。著書に『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』

発行日
発行所           ちくま書房(ちくま新書)


私たちは病院に、答えを得るために足を運ぶ。心身の不調の原因が明らかになり、それを取り去るすべが見つかることを期待する。しかし実際の医療現場は、私たちが思う以上の曖昧さに満ちており、期待した答えが得られない場合も多い。そんなとき私たちは、医療者に失望するが、それは医療者も同様に悩み、考える時でもある。本書は、医療者のそんな側面を、本人たちへのインタビューをもとに紹介する。病気になったとき、私たち医療者とともに如何に歩むことができるのか。彼らの語りを通じて考えてほしい


プロローグ――医療という奇妙な現場
身体を晒したり、さわらせたり、心を打ち明けたりという関係性は、親密性の上に初めて成り立つ。そして、親密さとは、互いの考えや感情を開示し合うという、双方向のやり取りが、時間をかけて継続されることで初めて培われるのであろう。ところが医療現場においてはそのような当たり前は一切通用しない


第1部        肩越しの視点から
肩越しの視点を意識して、医療者の世界を捉える
第1章        気付き――ナタデココとスカートのゴムについて
病院の都合とスケジュールに追われて、患者を人間として見ていない
ナタデココは、重度の肝がんの患者が医師の指示に従わずに食べた事件
スカートのゴムは、おばあちゃんが外に買いに行きたいというのを病院に拒否された事件

第2章        高齢者と身体拘束――看護師の心もきしむ
介護保険を受けて運営される介護施設での身体抑制は1999年厚労省令により禁止されたが、医療施設は適用除外
多忙を極める現場で恒常的に抑制が続くと、看護師側にモラルの低下が起こる場合がある
胃瘻造設に影響する要因:措置をする医師にも逡巡がみられる
  高齢者の長期入院を可能にする医療保険のシステム(個人負担率が低い)
  延命治療を医師が中止することに対する法的保護の薄さと、訴訟を起こされることへの恐怖
  餓死を引き起こすことへの躊躇い
  死について、本人よりも家族の意思が尊重される文化的背景(生きていて欲しい)
  胃瘻を作ることで得られる診療報酬
この医療で救われるのは誰なのか?
国民皆保険制度によって、「命か金か」の選択は必要なくなったが、以前に比べて命を大切にする社会で生きていると言えるのか
終末期の問題における日本の際立った特徴は、医療経済の観点からこの問題が語られないこと。回復の見込みのない延命措置を施すことは、その費用を誰かが負担しているが、日本人は医師たちも含めてそのことについて話したがらない。
1973年保険料負担が5割から3割に引き下げ、70歳以上の医療費無料化、高額療養費支給制度開始 ⇒ 老人医療費は2年で倍強、10年で6.5倍に急増し、無料化は82年廃止
家族の命の行く末をどうするかといった問題を、全くの第3者である医療者に任せるようになり、病院の経営者はそれを引き受けて利潤を生み出だすビジネスモデルを作り上げた

第2部        科学が明らかにできないもの
第3章        手術と呪術――きれいな人と汚れた人
身体の行く末全部を医療者に完全に預けるという点で、手術は医療の中でも特殊 ⇒ 命についての責任を患者から医療者へ完全にシフトさせる
手術室では滅菌された人が清潔な人、されていない人が不潔な人として峻別
手術室の手技や環境調整が徹頭徹尾合理的であり、また科学によってその存在理由が証明されたものである一方、清潔と不潔を巡る様々なタブーは、そこに確固たる科学的根拠はない非合理なもの

第4章        新薬――それを前に臨床医が考えること
病気の視覚化が進んでもなおかつ残ってしまう、身体の不確かさを考える
2011年 脳出血の可能性が低いとされる新薬ダビガトラン(商品名プラザキサ)発売解禁
脳出血の発現率が、薬を飲んでいない心房細動患者の脳出血発現率とほぼ同じ
そのうえ、用量の微調整がいらないという使用上の容易さから、夢の薬とされたが、出血による死亡例が多数報告され、使用がストップとなる
Evidence Based Medicine ⇒ 科学的根拠に基づく医療ということが叫ばれると、エビデンスという新たな権威を創り出す結果となる

第5章        効く薬とは何か? ――漢方と科学の切れない関係
最も高いエビデンスレベルを得られるのが無作為試験法
漢方医学は、「証」という考え方に基づく個の医学 ⇒ 個々の体質やその時々の身体の状態に合わせて証が決められ、漢方医は証に応じて、どの漢方薬を処方するかを決めるので、西洋医学のような無作為試験法に馴染まない
西洋医学にはない漢方医学の強みは、手詰まりのなさ
漢方外来では、診察の中で医師が患者の話をしっかり聞くために診察後の疑問点が少ないのか、診察後に患者が質問をしてくるケースが減ったという
西洋医学にも科学では証明しきれない不確実な部分は多々存在するが、それでも臨床が成立するのは、そのような不確定要素を残しつつも、それを使うことで患者に益をもたらすことができるという実践感覚が、臨床医という大きなコミュニティの中で共有されたゆえだろう。だからこそ、患者の益を最大にするために新たな科学的知識を得て、それを臨床に還元し、そこからさらに新たな知識を得ようという大きな循環が生まれ得る ⇒ 臨床のリアルは実践の中にこそ存在する
2001年医学部のコア・カリキュラムに漢方医学組み入れ ⇒ 漢方医学の実践感覚が、医師の間で共有される日は来るのか

第3部        傍らにいるということ
病む人が「治る」に辿り着くまで、あるいは「治らない」現実とともに生きて行くとき、医療者はどうやって彼らの傍らにいるのか
第6章        いのちの守り人――医療者の仕事の本質
癌患者を診る際慎重になるのは、「治療を受ける、受けない」について患者自身が考える猶予がどのくらいあるのかを見極め、その期間を治療の内容とともに分かり易く伝えること
「治す」には入りきらない医療者の仕事とは、寝たきり病院の理学療法士、治らない現場の看護師など

第7章        死守――頑固爺はパンを焼く
重症要介護患者でも、昔のいつもの生活に戻れることが最大の喜び
患者とは、「いつもこうしてきたんです」というのが常套句で、いかにそれに寄り添うか

第8章        共鳴――旅する言語聴覚士
私たちの病むことの人生が、目の前の医療者の人生に共鳴し、彼らの未来を作ってゆく場合がある

エピローグ――患者中心の医療を目指して
医療者は止まることなく進み続けるその中で、進ませるための仕掛けや、物事を進ませるための判断に違和感を持つことがある。様々なツールや判断によって不確かな現場を「確か」に見せようとしても、本質的な不確かさはその底辺に変わらず残り、臨床の折々で顔を出す。医療者はそのような「不確かさ」に出会った時、その「不確かさ」を時にないことにしたり、時にささやかな抵抗を加えたり、時に自分の人生の道筋そのものを改変したりすることで進み続ける


コメント

このブログの人気の投稿

フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事長  Ronen Steinke  2017.10.29.

昭(あき)―田中角栄と生きた女  佐藤あつ子  2012.7.14.

誰も知らなかったココ・シャネル  Hal Vaughan  2012.12.5.