列伝アメリカ史  松尾弌之  2017.7.21.

2017.7.21. 列伝アメリカ史 Movers in American History

著者 松尾弌之(かずゆき) 1941年旧滿洲生まれ。能登半島で育つ。上智大卒後NHK入局、教養部で番組制作。ワシントンの合衆国国務省勤務を経てジョージタウン大大学院博士課程修了(アメリカ史)75年上智大助教授、76年より教授。北九州市立大・九大大学院・鹿児島純心大非常勤講師など兼務。8285年外務省専門調査員としてワシントンの在米日本大使館政務班に勤務。94年内閣府主催の「世界青年の船」団長として世界の若者と太平洋一周。07年上智大定年退職・名誉教授

発行日           2017.6.20. 初版第1
発行所           大修館書店

まえがき
この本は、北アメリカに生きた15人の人々に登場してもらって、彼ら・彼女らの人生やその背景となった時代を語りながら、アメリカの歴史全体を炙り出してみようという試み
政治史のアプローチではなく、時代の流れの中で人々がどのように反応してきたのか、何を考えたのかを中心に描こうとした
社会史や思想史、文化史を、政治史の流れと統合しようという試み
ヨーロッパ系の入植以前のアメリカから物語を説き起こそうとして、まずは先住民を取り上げ、ヨーロッパ系の価値観や軍事力だけが意味を有していたのではなく、西欧近代文明だけが正統な文明ではないという考えの延長線上にある見方をとる
もう1つの特徴は、時代が現代に近づくにつれて記述が重層的になるという仕組み ⇒ 近現代により重点を置いた構成

第1章        ポカホンタス(Pocahontas:1595?1617)――征服された新天地の象徴
バージニアに実在したアメリカ・インディアンの女性
入植者のジョン・ロルフと結婚。イギリスを訪問、社交界で評判に
実像と虚像のはざまから、人間の驕りや偏見、欲望などの蠢きがみられる
1607年イギリスが上陸して植民してジェームズタウンと名付けたのが、ポカホンタスの父親ボウハタンが支配する土地。アルゴンキン語を母語とする部族連合の長
当初、先住民は入植者たちとの友好的関係を望んだが、新しい入植者は領土拡大を狙う
ロルフは、南アフリカ系のたばこの栽培で成功、植民地の経営に安定をもたらす
先住民は煙草を「悪魔の草」と言って嫌う
1614年、ポカホンタスはロルフと結婚、レベッカと名を変え、キリスト教の洗礼も受ける
イギリスの投資家からバージニア会社への出資を募る目的で、夫妻は渡英、大歓迎を受けるが、ポカホンタスはアメリカに戻る途中疫病で死去
ボウハタンの次の時代になると、先住民と入植者間の争いが激化
植民者たちがもたらしたヨーロッパの病気が、新大陸の住民の体を蝕んでいく。最悪の疫病は天然痘
自然の略奪と細菌兵器でほぼ絶滅に追いやられ、文化体系も宗教も失ったアメリカ・インディアンだが、今日的観点から見ると、その精神性はヨーロッパ系に匹敵するほど研ぎ澄まされていた。彼らの神は、基本的には「偉大な精霊」であり、日本の神道に似て、人は霊に満ちた万物に生かされながら感謝の中で一生を送るという考え
トウモロコシを始め、カボチャ、トマト、豆類など、現在の食料の1/3がアメリカ・インディアンに由来していると言われる
彼女の本当の名前は、マトアカ(灯火のある者)という

第2章        アン・ハッチンソン(Anne Hutchinson:15911643)――異議申し立ての系譜
アメリカには2つの始まりの地がある ⇒ 1つは荒々しい欲望にかられた始まりの記念碑であるジェームズタウンと、もう1つはピューリタニズムを基本とする理念的、精神的な始まりの印であるプリマス
プリマス植民地は、厳格な部類に属するカルバン派のピューリタンが中心
教義に厳格のあまり、植民地の為政者からは疎まれ、異端として教会から追放される
1682年、クエーカー教徒ウィリアム・ペンの設立したペンシルバニア(ペンの森の意)州は、自由の天地を標榜、州都のフィラデルフィアは「兄弟愛の都市」の意で、異端者集団を多く受け入れた
ピューリタニズムには分裂を促す種子が宿っていて、既成の制度や秩序に対し異議を申し立て、その立場を正当化する時、再び新たな異議申し立てが生まれることを覚悟しなければならない ⇒ 絶え間ない自己否定と分裂が繰り返される可能性を孕み、ピューリタニズムに内因する分裂の要素が、アメリカ大陸で次々と新しい宗教や教義を生み出す
マックス・ウェーバーは、古い宗教に反抗したピューリタニズムを含むプロテスタントの精神性に着目し、そこから生まれる思想こそが近代の資本主義を生み出したとする。特別の選良以外には神の救済が知らされない中で、この世での富は救済の証とされたから、人々は必死になって成功を追い求め、それが近代の経済制度を形成した。教会と近代社会は相容れない矛盾を抱えるが、物資が豊富なアメリカにおいて両者の統合が成功したという
アン・ハッチンソンは異議申し立ての伝統の象徴であり、真のアメリカ人 ⇒ 夫と死別後、マサチューセッツ州の圧力を嫌ってニューヨークへと移住したが、インディアンに家族全員ともども殺された

第3章        トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson:17431826)――アメリカ独立宣言の起草者
シャーロッツビルのタバコ農園の経営者。14歳で父親を亡くし、広大な農園を相続。啓蒙主義を学び、バージニア州の弁護士から州議会の議員となり、独立運動に参加
米国憲法が時代の変化に応じて修正を加えるやり方はジェファソンが導入 ⇒ 本文を変えずに追加の条項をつくる。現在27条の追加条項が存在
独立宣言起草後、州知事となり、独立後はフランス大使としてパリに赴任。大統領に呼び戻されて国務大臣に就任。メリーランドとバージニアの両州にまたがる土地に新たな首都を建設
1修正条項 ⇒ 信教と表現の自由。武器を保持する権利を保証
1797年、アダムス大統領の下で副大統領
1801年、第3代大統領 ⇒ 新首都で就任式を行う最初の大統領
バージニア大学設立 ⇒ 人生の大半を啓蒙主義の影響下で過ごし、人間の知的啓発こそが開かラた民主主義の基本だと考え、初代学長としてその実践に晩年を捧げる

第4章        ハリエット・タブマン(Harriet Tabman:1822?1915)――逃亡奴隷に居場所を用意した女性
7代大統領ジャクソンに代わって20ドル紙幣の新しい顔になる、初の黒人女性
アメリカでは中学の歴史の教科書に登場するので知らない人はいない
メリーランド州の奴隷の出自、逃亡に成功、お尋ね者の身でありながら、数千人と言われる奴隷を解放に導いた英雄
自由黒人と結婚するが、所有者の死亡で夫と別々に処分されることになって逃亡を決意、ペンシルバニアのクエーカー教徒に助けられて落ち着いた後、他の黒人奴隷の救出活動を始める
1858年逃亡奴隷の世話役をしていた奴隷制反対論者ジョン・ブラウンとの出会いが運命を変える
南北戦争では軍隊に手助けとして志願、目覚ましい活躍は北部社会全体の知るところとなり、従軍記者たちが北軍の活躍を象徴する格好の題材として取り上げられた

第5章        メリー・B・エディー(Mary Baker Eddy:18211910)――金ぴか時代の治癒方法
新宗教クリスチャン・サイエンス(科学者キリスト教会)の創始者
ニューイングランド生まれ。急速な産業化の中心地という劇的な変化の時代に育つ
病弱で2度の結婚に失敗した後、南北戦争終戦の翌年、不治の病で医者に見放されながら、「突然治癒をめぐる本質が心のなかに閃き」、その結果自ら立ち上がり、その後はずっと健康状態が改善したままになった」
評判はたちまち周辺に攪拌し、独特の治療法が編み出され、さらには宗教へと発展、アメリカで最も急激に信者を増やした教会と言われた
自ら出版した良質な新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』は、日刊高級紙として尊敬を集め、特に質の高い国際ニュースでよく知られたが、今日では週刊誌に
代表作『科学と健康』は全世界で9百万部印刷

第6章        ジョン・D・ロックフェラー(John Davison Rochefeller;18391937)――豊かなアメリカを作り上げた「強盗貴族」
アメリカの産業革命は南北戦争で加速、製造業は戦時中の武器から戦後は農機具や既製服などの日常生活に必要な製品の大量生産が始まる
石油産業で大富豪となったのがロックフェラー
19世紀後半の荒々しい資本主義がアメリカの経済を拡大発展
ニューヨーク州の貧しい物売りの家の6人兄弟の2番目として生まれたが、クリーブランドに移住し、中等教育終了後会計を学んだうえで地元の会社の会計助手とした働き始める
20歳で独立、南北戦争の開始とともに食料品の販売で北軍に食い込み、戦争終了とともに郊外の石油精製所の買収に成功 ⇒ 技術も先行きの見通しもわからない開発途上の産業に着目、専門の化学者を雇い、製品の品質向上に注力したのが成功の秘訣
当初は唯一の明かりだった石油ランプのための灯油の販売
ダーウィンの『種の起源』が人間の社会にもあてはまるとした「社会進化論」となり、自然淘汰の結果としてアメリカの富裕層が生まれたとされた
大企業に対する批判の高まりの中で、56歳の時鬱病と胃腸の不具合に悩まされつつ実務から引退し、若い頃から始めていた寄付行為を加速させた
ロックフェラー医学研究所、ロックフェラー財団等を創設

第7章        セオドア・ローズベルト(Theodore Roosevelt Jr.;18581919)――20世紀を形づくった大統領
日露戦争の調停役
海軍次官時代には、米西戦争に義勇軍の一員として参加、キューバの独立に貢献し、アメリカはカリブ海を実質的支配下に置く。フィリピン占領も同時
大統領就任後も、パナマをコロンビアから独立させ運河を建設
世界最大の生産量を誇る工業大国となり、貧富の差が拡大、発展の犠牲となった貧困層に配慮して、資本主義のゆがみを是正する政策をとる
1901年マッキンリー大統領の暗殺で急遽就任。与党に対する批判をかわすためのダミー的な存在として改革派の副大統領になったにもかかわらず突然の昇格により、中央政府の権限強化により、資本主義の弊害を糺そうとした
自然保護にも注力
後任のタフトが改革の道を逆行しようとしたため、再度大統領選に出馬しようとして唱道したのが「ニュー・ナショナリズム」で、個人の権利を制限して全体の利益を守るという、伝統的なアメリカの価値観に対抗する新しい思想の提案。金銭よりも人間の福祉を重視

第8章        チャールズ・A・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh;19021974) ――機械と共存した英雄
裕福な農民で、共和党の下院議員だった家に生まれたが、政治活動とは無縁で、飛行機の操縦に熱中、航空郵便のパイロットをしながら、ニューヨークとパリ間を無着陸で飛んだ者に25千ドルの賞金が賭けられたことを知って単独で単発機を発注、19275800kmのフライトに成功、世界の英雄となる
南米にも親善飛行で訪れ、メキシコではアメリカ大使の娘アン・モローと出会いほどなく結婚。1929年姉のエリザベス・モローが心臓病の時は人工心臓を開発するも命は救えなかった
同年、息子誘拐殺人事件
息子喪失の悲しみを癒すためにヨーロッパ旅行に出るが、アメリカ陸軍の要請でドイツも訪問し大歓迎を受け、メッサーシュミット戦闘機を操縦、ドイツの軍事的な協力者に対して贈られる「ドイツ鷲勲章」を授与された
ヨーロッパ大陸の緊張が増すにつれ、反戦の主張を展開、ドイツとの中立条約を結ぶべきと議会で証言し、ファシストの同調者という非難を浴びる
晩年はマウイ島の別荘で暮らし、ガンが発見されても別荘から離れなかった

第9章        フランクリン・D・ローズベルト(Franklin Delano Roosevelt;18821945)――パックス・アメリカーナをもたらした大統領
1933年経済再生を期待されて大統領に当選、ホワイトハウスの権限が議会のそれを超えることを予め宣言して政権運営に当たる ⇒ 3つのRが政策の柱で、Relief(救済活動)Recovery(経済回復)Reform(構造改革)
Theodoreの姪エレノアと結婚
パックス・アメリカーナを築くと同時に、今日の世界の原型を作っている

第10章     チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin;18891977)――繁栄の時代の反逆児
1910年代イギリスからアメリカに渡り、映画の天才とまで言われて映画産業の確立に貢献したが、第2次大戦開始の頃から社会に批判的な作品を作るようになると、彼の批判精神が反アメリカ的とする風潮が強まり、世論やメディアの激しい攻撃を受け失意のうちにアメリカを去りスイスで晩年を過ごす
一生国籍はイギリスで、アメリカ国籍を取得することはなかったが、アメリカ自体国籍によって規定される人々が創る国ではなく意欲を持った参加者が創り上げる場所で、もちろんその背景には、法律の定めではなく実際に何が起こっているのかを優先するアメリカとイギリスに特有の慣習法の伝統がある
1913年イギリスの喜劇俳優としてアメリカ巡業をした際、スカウトの目に留まり、映画製作者と契約を結んで以降、任期はうなぎ上りとなり、契約金もそれに伴って飛躍的にアップ、26歳ですでに大統領の収入を上回ったとして話題に
1917年自身の映画製作会社をハリウッド目抜き通りに立ち上げ、目まぐるしい移籍を繰り返すたびに収入が大きく伸びた
分身のトランプも人気。トランプtrampとは「踏みつける」「放浪する」の意であり、映画ではホームレスで、不幸の中でも人間としての誇りを失わない永遠の放浪者を演じた
経済発展を最優先とした社会への風刺や、資本主義の残酷な側面を捉えた作品に真骨頂がみられたが、アメリカが次第に戦争に向かい出すと、映画が反戦のメッセージとしてとられ不評を買い、開戦とともに「非道徳的で危険な進歩主義者」というレッテルが貼られる
終戦後も大量兵器製造を批判した『殺人狂時代』が不評でブーイングを浴び、チャップリン映画のボイコット運動にまで発展
ユージン・オニールの娘とも結婚してアメリカ市民権を取得する資格は持っていたが、FBIが国家転覆をはかる共産主義者の嫌疑をかけていたこともあったのか、国籍を取得することなくアメリカを去る決意をする
非米活動委員会の活動のなかでの白眉は「アルジャー・ヒス事件」(1948) ⇒ 自称共産主義者が委員会で、国務省元高官のヒスをソ連のスパイだと証言。国連の第1回総会の事務総長を務めたエリート外交官だったが、ニクソンが中心となって秘密文書を集め証拠として提出したために有罪と服役が確定。ニクソンは反共の闘士として有名となり副大統領候補の地位を獲得
マッカーシズムが吹き荒れる中、自伝的映画『ライムライト』(1952)を制作、初上映をアメリカを避けてイギリスでするために船で出国、その翌日トルーマン政権の法務長官マックグラネリーが議会や世論の圧力を背景にチャップリンの再入国許可を取り消す措置をとったことを知ったチャップリンは、自らアメリカとの関係を断ち切る決心をする
移住後も、晩年の最後の大作『ニューヨークの王様』でも反骨精神は貫かれ、自らの経験を基に赤狩りを風刺したパロディとなっており、アメリカの抱える問題を指摘していた
映画はアメリカを締め出して披露され、カンヌ映画祭でのレジオン・ドヌール勲章やベニス映画祭での特別賞など高い評価を受けたが、アメリカで再評価されるのは1972年のアカデミー賞名誉賞が最初
豊かさの中で異分子を排斥する棘を含んだ時代

第11章     ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy;19171963)――期待に満ちた時代の若い大統領
アイルランド移民で裕福な実業家の生まれ。母方の祖父もボストン市長。カトリックということもあって、アイルランド系移民に対する厳しい人種差別の中で実力で排除して駐英大使となったのが父親のジョゼフ。次男のジョンは海軍の飛行機事故で亡くなった長男に代わって父親の秘書として政治の世界に入る
1960年の大統領選で、ほとんど無名のケネディが共和党の大物だったニクソンを、予想に反して破ったのはテレビのお陰。それも、総投票数68百万票に対し112千票の僅差
政治的バックグラウンドの浅さから、ポリティカル・アポインティーを全米から「ベスト・アンド・ブライテスト」を募っての任命となり、本物の専門技能を有する人物が配置され、従来のしがらみから抜け出したテクノクラートの時代を呼び込む
ニューフロンティア政策に反対論の強い保守的なアメリカ南部の支持を固めるための遊説の途上凶弾に倒れる
ケネディの遺産のなかで最大級のものは、人種差別を禁じた1964年成立の公民権法
負の遺産がベトナム戦争

第12章     ベティ・フリーダン(Betty Friedan(19212006)――対抗文化運動のうねり
ハドソン川東岸の邸宅で暮らす典型的な中産階級の主婦。スミス・カレッジ卒
同じような境遇にある女性たちの豊かな生活の中の充足感の不足を「名前のない問題」と名付け、実態調査の結果をまとめたのが『新しい女性の創造』(1963)
原題はFeminine Mystique 1920世紀初頭の女性運動に続く第2の波を起こし、いろいろな異議申し立て運動を刺激したため、「歴史の引き金を引いた本」という評価も
人々が密かに感じていた「家庭内での隠された差別」に対する意識が、この著作の出版後には公然と語られるようになり、多くの賛同者を動かし、全米女性連盟NOW結成へ
同時期のベトナム戦争がアメリカ社会の様々な矛盾を露呈させ、それが反体制運動をますます燃え上がらせて不条理が指摘されるというサイクルが出来上がる
このような一連の動きは西欧社会の伝統文化そのものに抵抗するというので、「対抗文化運動」と言われる
新しい音楽は抵抗運動の象徴となるが、その動きの中心人物の1人がボブ・ディラン
NOWの運動は、全米黒人地位向上協会の例に倣って勧められたもの
ラディカルな運動とは一線を画し、家父長制の廃止や自由な性行為、同性愛などの容認には懐疑的で、伝統文化を踏まえながら「体制」の内側からの改革に注力
根源的な問題に対応しないとして批判に晒されたが、196070年代の対抗文化運動という大きな動きの中で、当時差別の下にあった黒人や性的マイノリティなどの「異端児」たちとともに、異議申し立てを行う民衆の行動に参加していたのは間違いない

第13章     リチャード・M・ニクソン(Richard Milhous Nixon;19131994)―多様性の時代に立ち向かった大統領
赤狩りで名を馳せ、僅か6年で下院議員から副大統領に駆け上った
ベトナム反戦を始めとする対抗文化運動のうねりの中で、法と秩序という力で抑え込もうとしたため反作用を呼ぶ
東西雪解けやアポロ月面着陸成功、排ガス規制等の環境保護策など、現代に直結する大きな業績を残しながら、大統領として悲劇的な終わり方をしたニクソンの生涯はパラドックスに満ちている
幼少時代に染み付いた負け犬のような被害者意識は生涯抜けなかった
2次大戦では南太平洋で日本軍と対峙、戦後政界に入り、加州選出のパットン将軍に代わる合衆国下院議員候補としてスタート、下院非米活動委員会のメンバーに選任
委員会での活躍が認められ、高齢のアイゼンハワー(60)大統領候補を支える若き反共主義者として39歳で副大統領候補となり、1952年の選挙で勝利
1960年には共和党の大統領候補となるがケネディに敗北、続く加州知事選でも敗北し、政治生命が終わったとみられていたが、68年の選挙では有利とされていたジョンソンが緒戦のニューハンプシャー予備選で大敗すると、ベトナム敗戦の責任を取る形で立候補を辞退、反共主義者から変身したニクソンがハンフリーを破って共和党候補となり、本選でも勝利、国際政治学者のキッシンジャーを補佐官として迎え、彼の冷静で現実的な世界観の下、デタントが始まる
猜疑心の強いニクソンは、元々メディアの公平性を疑い批判的だったが、そうした態度がメディアの反発を呼び、ベトナム戦争終結のための作戦がメディアに漏れて、新聞は戦争の拡大だとして厳しく批判、秘密の作戦情報を漏らした政府公務員を特定するために電話盗聴を命じるが、その一部が大統領選のスパイを果たす。民主党の動向を探るため民主党本部のあったウォーターゲート・ホテルに侵入したところを取り押さえられた
『ワシントン・ポスト』が最初に大々的に報道、ホワイトハウスは否定したが、さらに共和党内の予備選で優位とされていたマスキーが、ニクソンの運動員が準備した偽手紙によって有権者を中傷したことが公表されその責任をとって立候補を断念したため、選挙妨害の疑いもかけられてマスコミに責められる
大統領就任直後に議会が特別委員会を設置して調査を開始、議会は特別検察官を任命するが、ニクソンは大統領権限で解雇、議会は大統領の弾劾を決議、大統領の有罪判決が確実となったところで大統領は辞任を発表
後任のフォードは、就任数か月後にニクソンに恩赦を与える
単一の原理が通用しない社会になっていたが、ニクソンはそうした複合的なアメリカに生きて、これに立ち向かい、そして翻弄された大統領だった

第14章     バラク・H・オバマ(Barack Hussein Obama II(1961)――希望を信じ忍耐を貫いた黒人大統領
アメリカ歴史上初の黒人大統領
父親はケニア出身の根っからの黒人、母親はカンザス出身イギリス系の血を引く白人で、ハワイで育つ。やがて離婚し、母親の再婚相手はインドネシア人、ジャカルタで小学校時代を過ごすが、母方の祖母の強い希望でハワイに戻って教育を受け、コロンビア大に進学
アメリカの人種差別の根は深く元々はキリスト教の神学上の論議で、「無信仰者は果たして人間か」という疑問となり、憲法上も各州の人口に応じて下院議員を割り当てる際、黒人を3/5人として数えた(「五分の三規定」)ことなどが重なり、奴隷解放宣言が出され憲法修正が行われても、自由になった元奴隷に対する反発は根強く残り、1964年の公民権法や、最高裁が「分離そのものが差別待遇」と見做してもなお大都市には黒人が固まるブラック・スラムが多く存在するし、「ワン・ドロップ・ルール(1適でも黒人の血が混ざっていれば黒人と見做すという人種判定の仕方)」の慣習も完全に消え去ったわけではない
大学卒業後すぐにカトリック教会の社会事業組織に入り、シカゴのサウスサイド地区に飛び込み、黒人社会の現実に触れ、「どの大学で学ぶよりも大きなことをサウスサイドで学んだ」と言った経験を積んだ後、ハーバードのロースクールに入り、成績優秀で大学の法学評論誌『ハーバード・ロー・レビュー』の最初の黒人の編集委員長に選出
オールAで卒業後シカゴの法律事務所で働き、人権派の弁護士として知られる
1996年サウスサイドから立候補してイリノイ州議会の上院議員に当選
2004年合衆国の上院議員の立候補演説で注目を集め当選、3年後には大統領選への立候補を表明、根強い偏見からの挑発に乗ることもなく、自然体で臨み、さらに選挙直前のリーマン・ショックにより世論が既存政権からの変化を求めたこともあって10百万票の差をつけてマケインに圧勝
インターネットを通じての資金集めも定評があった
勝利演説では、永遠の希望の大切さを指摘したケネディを意識して、「これからの道のりは長く遠い。到達するには1年、4年かかっても到達できないかもしれないが、今ほど希望に溢れている時はない」と、挑戦を始めることの必要を呼びかけた
オバマの政策は、かつてフランクリン・ローズヴェルト政権が積み残した未解決の課題の列挙だったが、着実に実績を上げ、景気は回復、オバマケアで貧困層にも保険制度が適用され、対外政策でも平和外交が奏功しキューバとの国交回復や広島の初訪問など核軍縮を推進
オバマは黒人であることを学び取った大統領 ⇒ 就任当日の伝統行事である議会メンバーとの昼食会で、先輩の黒人議員に歩み寄り「あなたのおかげ」と感謝の言葉を捧げた
オバマの支持層は、黒人層とヒスパニック、少数民族、女性、若者(1829)で、白人や男性は、当初より不支持が多く、4年後もそれが増えている
キング牧師は、「天はいずれ正しい方向に向かう。結局私たちは長い物語の一部に過ぎない」と述べたが、オバマもこのこの言葉に勇気づけられ、長期的な視野、歴史的な意味を十分考慮したうえで、政権が成り立っていた。自分は何も言わなくても、何をなさなくても、ただ存在するだけで十分大きな「物語」であることを自覚していた
『ワシントン・ポスト』紙(2016.4.22.)は、「オバマ政権に関する歴史の評価として、黒人であることがいつまでも語り継がれるであろう。黒人大統領の出現は、建国の父祖たちが想像していた以上の出来事だった」と記した
第15章     ドナルド・J・トランプ(Donald John Trump(1946)――人民の人民による人民のための政治
ニューヨーク市クイーンズの生まれ、父親は地元の不動産業者
13歳で全寮制のミリタリー・スクールを卒業後、フォーダムからペンシルベニア大へ
父親から会社経営を引き継いだ7年後、グランドセントラルの向かいの古いコモドア・ホテルを買収、グランド・ハイアットとして再スタートさせる。次々と同じ手法で、マンハッタンにいくつも高層ビルを所有するほどに成功。2016年大統領選直前の資産は37億ドル
何度か政治の世界への進出に挫折しながら、2015年大統領選への立候補を表明
アメリカには深い知性や複雑な思考に拒否反応を示す政治伝統があると言われる ⇒ 反知性主義の根源には宗教の影響
アメリカの政治を歴史的な展望から見ると、民衆の意見に耳を傾ける民主主義の流れと、選ばれた知性による支配の2つの流れがある ⇒ 国家設立当初、ジェファソンの共和派とハミルトンの連邦主義の争いもこの2つを巡る主導権争い
トランプの出現は異常ではなく、近年の大統領は例外なく「部外者」 ⇒ オバマはもちろん、ブッシュJrも中央政界とは無縁、クリントンも地方政治、レーガンは映画俳優、ピーナツ農家のカーター、アイク以降で部外者でなかったのはCIA長官だったブッシュSrぐらい
2016年、ベルトウェイ・エリートに反発し、メディアを含めた「体制」に不信感を持ち、かつての大平原地域の農民のように取り残されたと感じたアメリカが動いたのは、過去に繰り返されてきたことであり、アメリカの民主主義が曲がりなりにも機能したということ
むしろ問題となるのは、トランプ政権の出現に多くのものが衝撃を受けたと言いう事実で、マスメディアはかつて「肥しのひっくり返し」を行って暴露記事を得意とし、あらゆる出来事に関して現場での取材を心掛けたし、民衆の息吹を忘れなかったが、筋肉体質のメッディアは廃れ、良識的な世界だけを礼賛するようになったというのか、経済繁栄のお陰で一応の教育を受けた人々は、自分たちと同質の大統領候補だけを正当だと考え、「野蛮人」や「部外者」、「不動産屋」は論外と考えるようになったのだろうか
アメリカという人間世界は、多様性に満ちており、猥雑で暴力的で平和で情熱的で理知的で、簡単に窺い知ることのできない深淵であることを、もう一度認める勇気が必要
民衆は、知性や合理主義では理解できない次元から、思いもかけない答えをもたらす未知の可能性を秘めている

あとがき
歴史は、その中を生きた無数の人間の生き様、努力や失敗の積み重ねの総合計




列伝アメリカ史 松尾弌之著 意外な人選が示す米国らしさ
2017/7/8付 日本経済新聞
 人物の評伝を並べる紀伝体で書かれた米国史である。となると、誰を題材にするのかで読後感が全く違うが、著者の人選はかなり変わっている。15人の登場人物のうち、7人が大統領なのだが、ジョージ・ワシントンもエイブラハム・リンカーンも出てこないのだ。
 日本人になじみの薄い人物も選ばれている。新興宗教クリスチャン・サイエンスの教祖だったメリー・B・エディー、奴隷だった黒人女性ハリエット・タブマンらがそうだ。
 何を基準にしたのか。「社会史や思想史、文化史を、政治史の流れと統合しようという試み」と著者は書く。米国史を題材にして、読者にどういう世界観を抱いているのかを問いかける本ともいえる。
 「建国の父」で選ばれたのはトマス・ジェファーソン(著者はジェファソンと書く。実際の発音に近づけたいとのこだわりも並ではない)である。独立宣言の起草者の人生を通じて、人工国家が持つ求心力と遠心力が読み取れる中身であり、「米国らしさ」とは何かを理解する土台となろう。
 著者はワシントンの日本大使館で専門調査員を務めるなど日米外交の最前線に立ってきた。どの評伝も、生家を訪れたときの話などが盛り込まれ、出来事の羅列に終わっていない。(大修館書店・2300円)


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