暗黒の大陸 ヨーロッパの20世紀  Mark Mazower  2016.12.10.

2016.12.10. 暗黒の大陸 ヨーロッパの20世紀
Dark Continent: Europe’s Twentieth Century      1998

著者 Mark Mazower 1958年生。コロンビア大学教授。歴史学、特にギリシャを中心とするバルカン近代史、20世紀ヨーロッパ史、国際関係史を専門とする。邦訳に『国際協調の先駆者たち――理想と現実の200年』(依田卓巳訳、NTT出版、2015年)、『国連と帝国――世界秩序をめぐる攻防の20世紀』(池田年穂訳、慶應義塾大学出版会、2015年)

訳者
中田瑞穂(なかだ・みずほ)
1968
年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学、東京大学)。明治学院大学国際学部教授。専門は東・中欧の政治史、比較政治。著書に『農民と労働者の民主主義――戦間期チェコスロヴァキア政治史』(名古屋大学出版会、2012年)

網谷龍介(あみや・りょうすけ)
1968
年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。津田塾大学学芸学部教授。専門は現代ヨーロッパ政治、EUの政治。著書に『ヨーロッパのデモクラシー』(共編著、ナカニシヤ出版、2009年、改訂第2版、2014年)

発行日           2015.12.10. 初版第1刷発行
発行所           未來社

民主主義とヨーロッパの屈折した関係を語り明かす世界的大家の名著、待望の翻訳。

原書は1998年刊。
かつてヨーロッパは未知・未開の大陸を「暗黒大陸」と呼んだ
しかしヨーロッパ大陸の20世紀は進歩・繁栄につねに彩られた成功と必然の物語だったのだろうか
政治、経済、社会、民族、福祉、性など多角的な視点から分析、時代の暗部と栄光を正当に位置づけ、ヨーロッパ現代史を語り直す必読の歴史叙述

はじめに

池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評

 本書は、イギリスが生んだヨーロッパ近現代史研究の泰斗、マーク・マゾワーの手になる名著の待望の翻訳である(原著の刊行は1998年)。マゾワーはギリシャ史研究者としてそのキャリアを開始したが、二十世紀のヨーロッパを俯瞰した本書の他、日本でも翻訳が出た『国際協調の先駆者たち』や『国連と帝国』など、最近では国際機構の研究にも手を伸ばしている。
 本書の狙いは、二十世紀ヨーロッパ史を民主主義の必然的な勝利の物語とみる見方に対して反論することにある。マゾワーによれば、現代の民主政治は1914年の古いヨーロッパ秩序の崩壊に始まる、長期にわたる国内的国際的実験の産物であり、自由民主主義・共産主義・ファシズムという三つの競合するイデオロギーの間で、ヨーロッパを規定するための絶え間ない闘争が、20世紀のほぼ全体を通じて続いた。マルクス主義歴史学者のホブズボームが唱えたような、20世紀は共産主義と資本主義の闘争の時代だという見方をマゾワーは退ける。彼によれば、政治を経済に還元することはできず、価値やイデオロギーの違いが重要だからである。そして民主主義にとっては、共産主義よりもヒトラーの方が大きな脅威だった。民主主義の勝利は間一髪の成功と予想外の展開の産物であり、ナチズムはヨーロッパ史の伝統からの一時的な逸脱でなく、むしろその主流に属する現象だったのである。
自由主義は、個人の自由の擁護・国家の形式的平等・自由貿易を旗印にしている。1930年代から40年代にかけて、自由主義はファシズム(人種主義的な集団的福祉・ダーウィン的闘争と優越人種の支配・ドイツの優越的地位の下でのヨーロッパの経済的協調を掲げる)の挑戦を受け、かろうじて生き残った。この闘争は三つの長期的な影響を持つことになる。第一に、人々はイデオロギー政治に疲れて私的な空間に籠もるようになり、個人に自由な空間を提供する民主主義の良さを再発見した。第二に、民主主義はヒトラーの挑戦に立ち向かう中で再活性化し、社会的な責任に目覚めた。第三に、この自由民主主義は1945年以降初めて左翼からの競争に直面したが、新たな戦争が回避されたため、両者の争いは経済的なものとなり、西側諸国だけがグローバル資本主義の圧力にうまく適応したことで勝利を収めた。
ヨーロッパ史を扱う本書が、文明的なヨーロッパと対比する意味で未開のアフリカを指す表現として使われた「暗黒の大陸」をタイトルとするのには理由がある。ナチスはヨーロッパ文明の中にある破壊の潜在能力を悪夢のように暴き出したが、彼らが「劣等人種」とみなしたヨーロッパ人たち(ポーランド人やロシア人、そしてもちろんユダヤ人)を扱ったやり方は、英仏の帝国主義がアフリカ人に用いた方法と同じだったのである。

ヨーロッパは一見、歴史の長い国家と国民の大陸のように見えるが、多くの点で非常に新しく、20世紀の間にしばしば激しい政治変動によって作り出され、作り変えられてきた
現代民主主義や、それと密接に関連する国民国家は、1914年の古いヨーロッパ秩序の崩壊に始まる、長期にわたる国内的、国際的実験の産物
ü  自由民主主義 ⇒ ウィルソン米大統領が提唱する、民主主義にとって安全な世界を構築
ü  共産主義 ⇒ レーニンが提唱する、欠乏からの解放と搾取的階級制からの自由な共同体社会の構築
ü  ファシズム ⇒ ヒトラーが提唱する、異分子を排除し純血と目的の統一を通じて帝国的使命を遂行する戦士的な人種を構想
上記3者の間で、現代ヨーロッパを規定するための絶え間ない闘争が、20世紀のほぼ全体を通じて続いた
すべてのイデオロギーに共通するのは、自身のユートピアを歴史の最終到達点として示したがること
ナチズムの前に瀕死の状態だった民主主義は、共産主義がナチズムを打倒したために蘇ったものであり、もともと他のイデオロギーに打ち勝つよう運命づけられていた訳ではない
本書で描くのは、間一髪の成功と予想外の展開の物語であり、必然的な勝利と前進の物語ではない
共産主義の終結は「幻想の終焉」と言われたが、歴史的分析によれば、最貧国が新しい無産社会を創造し、崩壊した帝国をまとめ、産業革命を数年に短縮させるという試みであり、真にラディカルな過去との断絶を含んでいた
ファシズムにしても政治的病理と説明されるが、ナチズムはドイツのみならずヨーロッパ史の主流にしっくりとあてはまる
ヨーロッパの文明的な優越性を無傷で維持することは、精神的な境界線を絶えず引き直すことを必要とする
いわゆる「ヨーロッパ共同体」は、大陸の半分を暗に無視している ⇒ 戦後のヨーロッパは西側と同一視され、落胆した東ヨーロッパ人は野蛮人と距離を取るために、自分たちは「中央ヨーロッパ」だと主張
最終的に問題となるのは、歴史の中心にある価値の問題。人々を行動へと駆り立て、制度を作り、変容させ、国家政策を導き、共同体、家族、個人を支える価値の問題
ヨーロッパの価値体系とは何か? 自由主義はその1つに過ぎない。ヨーロッパの20世紀は多様な価値体系の対立の物語


第1章     見捨てられた神殿 :民主主義の興隆と失墜

池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評

第1章では、1930年代の各国の政治的分極化の中で、民主的な価値が雲散霧消していく様が語られる。当時の自由主義は憲法上の権利に焦点を置く一方、社会的責任を無視していた。そのため、国民全体を体現し表出するという役割を果たせなかった。エスニシティや階級間の亀裂が深刻化し、国民の統一を第一に優先するものは、権威主義的な政治秩序に引き寄せられた。


冷戦で民主主義が勝利したことで、民主主義はヨーロッパの土壌に深く根付いていると考えたいかもしれないが、歴史はそうではないことを物語る
民主主義は、憲法上の権利に焦点を置き、社会的責任を無視している

l  憲法の制定
1次大戦後、憲法改革は中・東欧を席巻 ⇒ 理想を追うあまり、政治を法律に従属させ、権力を「合理化」し、古い封建秩序の矛盾や非合理な残滓を一掃しようとした
l  ヨーロッパの内戦
ロシアでも制憲議会選挙となったが、勝利した自由主義者たちは農民たちの望んだ平和と土地をもたらさないまま、ボルシェヴィキの実力行使に屈した
l  ブルジョワの疑念
l  議会主義への批判
ファシズムは民主主義の堕落の産物。比例代表制は、立法府の破片化、多党化を招き、議会は非効率の極致に達し、とても人民の意思を反映するものとはならなかった
l  民主主義の危機
公衆に民主的価値観が欠如していることも問題で、1920年代の若いヨーロッパ男性の多くは対立の政治を喜んで正当化し、唱導さえするように見えた
民主主義への明確な支持は、ヨーロッパじゅうで希薄。君主や貴族の敗北によって自由主義者が勝利を得ただけだった。民主主義の内在的伝統を持つ国はほとんどない
l  さまざまな右翼
l  法とナチス国家
1920年代の法が憲法を支配した自由主義的ヨーロッパの風潮に対し、ヒトラーにとっては法は政治に従属するもので、法と秩序を擁護しつつ民主主義とは異なった作動させた
政治が神聖化され、平時には高い支持を得ていた

第2章     帝国、国民(ネイション)、マイノリティ
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
第2章は、第一次大戦後英仏主導で中東欧に打ち立てられた、民族自決の原則とマイノリティの国際的保護にもとづく自由主義的秩序を扱っている。敗戦により崩壊したロシア・ハプスブルク・ドイツ帝国から独立した東欧の新興諸国は多くのエスニック・マイノリティを抱えていた。国際連盟はこれらのマイノリティの保護を任務の一つとして発足したが、自由主義は幾つかの点で説教と実際の行為の内容が食い違っていた。第一に、一般的なマイノリティ保護の原則を定めた国際レジームではなく、新興諸国のみを対象とし、西欧の「文明化された」国々をカバーするものではなかった。第二に、このレジームはマイノリティをマイノリティとして永続的に保護することを目的としたものではなく、国民的一体性をつくりだすために「同化」するという暗黙の前提に依拠していた。第三に、西欧の英仏両国も国内のマイノリティに対しては同化主義をとっていたが、その植民地では人種別の発展という考えや隔離政策がとられていた。東欧の新興国家はやがて同化から手を引いていき、マイノリティは安全保障上の脅威とみなされるようになった。反ユダヤ主義も一般的であった。ヒトラーが1930年代に権力を掌握したのはこのような潮流の中のことだった。もっとも、ナチスドイツの人種的ナショナリズムが極端な形をとったのもまた事実である。

19世紀の帝国の正統性は、王朝的忠誠を基礎としていたが、第1次大戦後は、民主主義よりもナショナリズムの勝利であり、60百万の人々が民族自決の原則に従って多くの国家を作ったが、25百万にも上る他のエスニック集団が国境内に存在することは、脅威であり挑戦と見做されざるを得なかった ⇒ 国民的純化の夢によって作り出された緊張は、戦間期ヨーロッパ政治の中心を占め続ける。さらにナチスの台頭によりマイノリティは新たな攻撃に晒され、その結果難民が急増する危機が始まる
l  大帝国の解体 ⇒ ハプスブルク帝国の崩壊
l  自由主義的ヴァリアント :マイノリティの権利を目指して
マイノリティの問題はポーランドとの関係で初めて公然のものとなった ⇒ 国自体、大規模な集団の故郷。東欧の他の国家についてもエスニシティの分布状況はあまりに複雑で、どんなに専門的に引かれても国境線を受け付けるものではなかった
マイノリティの権利を保障する普遍的な国際体制が存在しないままに、妥協的にマイノリティ条約を締結しても無意味
完全な市民権は国家が与える特権であり、権利ではなかった
マイノリティは、市民というよりむしろ安全保障上の危険要素と見做され、マイノリティ条約の約束の大半は破られた
民主主義は国民共同体の創造に関わるため、一般に反ユダヤ主義的であった ⇒ ユダヤ人は「異質性を保つ国民」として区別して扱われ、ヒトラーが権力を掌握したのも、このような広く行き渡った自生的な反ユダヤ主義の伝統という文脈のもとでであった
大量虐殺は、国民国家においてマイノリティ問題に取り組む1つの方法であり、他にも、住民交換/住民「移送」などが考えられた
l  理想主義者と現実主義者
国際連盟を中心とした新秩序の構築の夢は、日本が連盟規約に人種の平等の原則を記載するよう提案したときから崩壊、白人にとっては過度の要求であり、無遠慮に拒絶された
l  自由主義の新秩序に抗して
ヒトラーが求めたのは、旧領土の回復にとどまらず、ドイツ人の更なる生存圏であり、政治を人種闘争と見た広い構想の自然の帰結
l  ファシストの諸帝国
ナチスとファシスト・イタリアにとって生き残るためには、帝国が決定的に重要。帝国は領土を意味し、領土は植民、食料、原料、健康的な入植者のための空間を意味した
最初の帝国は、1935年イタリアによって創られたエチオピア
39年のナチスによるボヘミア=モラヴィア侵攻は、ヒトラーの目的がエスニックな意味でのドイツ人の居住地域の合併を超えた最初の兆し

第3章     健康な身体、病んだ身体
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
第3章では家族政策が扱われる。ナチスの家族政策は悪名高いが、マゾワーによれば、国家は人種的に健全な子孫を必要とし、そのために私的生活に介入する必要があるという考え方自体は、戦間期には多くの国々で左右を問わず受け入れられていた。これは出生率の低下(人的資源の「量」)への懸念を背景にしたものであり、公衆衛生への危険(人的資源の「質」の維持)を口実に疾病者の隔離・断種もあわせて実行された。ここでも、第三帝国による「劣等人種」の殺害は、既に存在した傾向を極端な段階にまで押し進めるものだった。

l  戦争と肉体破壊
総力戦がヨーロッパの伝統的な家長制家族を破壊、大戦末期から終戦直後の暴動、革命、反乱の危機的状況は、社会秩序が完全に崩壊したという感覚を増大させた
伝統的な父権的特権は一掃され、独身女性の解放が進む一方、国民出生率回復のため母性イデオロギーが強調されたが、戦間期の出生率増加主義は悉く失敗している
l  家長としての国家
イギリス以外では、出生率増加への国家の役割がより早くより決定的に拡大
戦間期の都市は、徹底的な都市計画法の助けを借りて合理化され、快適な生活を国民に提供したが、同時に人種主義衛生学や優生学運動も確信をもって幅広く流布した
l  量と質
「国民共同体」の健康を促進すると同時に内部の生物学的な敵を抑圧するため断種
ドイツの人種的福祉国家の出現は、多くの点でヨーロッパの社会思想において大きく広まった潮流を極限に推し進めたもの
帝国主義と社会ダーウィニズムの時代にあって、人種的ヒエラルヒーの観念は偏在しており、何らかの人種的優越性の考えを支持したり、植民地政策上の有効性を受け入れたりしないヨーロッパ人は左右を問わずほとんどいなかった

第4章 資本主義の危機
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
第4章では、自由貿易と国際金本位制に立脚する自由主義路線の失敗が語られる。国際的にはドイツ賠償金問題をめぐって各国が対立する一方、国内では新たに高い生活水準を期待するようになった労働者と資本家の対立の調停に失敗した。国際的な資金循環の途絶が金融破綻・大恐慌を引き起こし、財政均衡主義に基づく危機対応は失敗に終わった。このことは、1930年代の経済的挑戦に立ち向かいうる、ファシズムや共産主義に代わる民主的な選択肢はありうるのか、という問いを提起した。東欧と西欧の両方で、1930年代の古典的自由主義の失敗が、経済における公的権力と私的権力のバランスを見直させ、第二次大戦後の大好況への道を固めた。

大戦によってヴィクトリア朝的な資本主義の基本原則である金本位制と自由貿易は放棄される一方、ボルシェヴィキ革命の成功によってヨーロッパ資本主義に対する空前の挑戦が始まる
ヨーロッパ中で基本的な問題となったのは、戦争によって、ブルジョワジーが戦前の安定に戻りたいという要求をいだく一方で、同時に政府は労働者階級や農民の新兵たちに、新たな高い生活水準を約束することになった点にある

l  共産主義の成果
戦後の経済再建の任務がロシアほど大きいところはなかったため、ボルシェヴィキは社会主義建設と真に統一された国民経済の創設とを同時に行わなければならなかった
共産主義は農村にも強制され、農業は集団化、機械化されるに従い、急速な工業成長への要求にも注力、近代社会創設という誇りを工業化に賭けた
共産主義の実態は、知られていなければいないほど魅惑的に見えた
ロシアを客観的に評価するのを困難にしたのはヒトラーの台頭で、西ヨーロッパの中道と左翼の多くは概して親ソヴィエト、反ファシズムで結びついた
l  経済ナショナリズムによる景気回復
ソ連が達成した目覚ましい成果は、経済恐慌で荒廃した中・東欧を惹きつけた
イギリスは必要な指導力を示すことはできなかった ⇒ 自由貿易は時代遅れの対応
l  ファシスト資本主義
積極的に介入する国家が自由市場に取って替わり、統制された集団が自由主義的で自己中心的な個人のあとを継いだ
ファシズムは、権力掌握前と後とでは全く発言を変え、労働者の友ではなかった
l  民主的資本主義の改革

第5章 ヒトラーの新秩序、1938-45
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
第5章では、ヒトラーのもたらした新秩序がなぜ最終的に失敗に終わったのかが説明される。ナチスドイツのヨーロッパ新秩序は政治的には階統性とドイツの人種的優位性にもとづくものであり、当初ドイツによる占領を歓迎する向きがあった諸国にあっても、対独協調の可能性を損ねた。経済的には、シュペーアの唱えた広域経済圏の構想は、経済的統合と非関税圏の創設を含み、戦後実現した共同市場を彷彿とさせる。しかしここでも人種が妨げとなり、ヒトラーの下では実現不可能な構想であった。
絶え間のない暴力の体制に服従することの衝撃があまりにも大きかったので、第二次大戦中にヨーロッパの政治的社会的態度は著しい変貌を遂げ、民主主義の長所を再発見した。ナチスの新秩序は、それに代わる体制を何とか考え出そうとさせる役割を果たしたばかりではなく、いつかの領域では戦後の現実がまさにそこから生まれ育つ苗床であった。

l  ヒトラーが逃した機会
1930年代の終わりには多くのヨーロッパ人が、1918年以降英米仏によって作り出された自由主義的で民主的な秩序を離れ、より権威主義的な未来へと向かいつつあった
ベルギーでは、40年夏、ドイツ勝利の知らせを歓迎、民主主義の時代は終わったとも宣言
フランス降伏は、ヨーロッパを混乱に陥れたが、バトル・オブ・ブリテンで、戦争の長期化が予想され、ヨーロッパ中の国境線の変更や合併があり得るという疑念も、ヒトラーの新秩序に対する信頼を傷つけた
l  歴史に残る時代に生きる
l  ヨーロッパの組織化
ナチスのヨーロッパ観というものがあるとすれば、それは政治というより経済においてだった。ドイツ版モンロー主義と結びついているのは、広域経済圏という概念であり、ドイツを中心とする地域経済のこと
l  総力戦
l  人種的存在としてのヨーロッパ
41年、ヒトラーは、「ヨーロッパは地理的な存在ではなく、人種的存在である」と述べる
国際連盟は、マイノリティを居住地に留め、国際法によって安定を確保しようとしたが、ヒトラーは対照的に、法律には何らの信頼も置かず、人々を根こそぎ追い立てることによって安定を確保しようとした
ナチスがヨーロッパを征服した結果の1つは、ナチスの人種的福祉国家の弁証法が大陸全体に広がったこと ⇒ 「人種的に望ましくない人々」を警察の力で抑圧することが、民族共同体の活力を守る政策の裏返しであるような国家が新秩序の下で生まれていった
l  人種戦争(一) :ポーランド、1939年~41
東欧のマイノリティ問題に対するヴェルサイユ条約の取り組みは、ミュンヘン会談でリッペントロップが南チロルのエスニシティ上のドイツ系マイノリティを帝国に移民させることをイタリアに内密に約束したことで完全に終焉 ⇒ マイノリティ条約の時代は終わり、ヨーロッパのエスニック問題を巡る緊張関係にはもっと野蛮なアプローチ、強制的な住民位相が取って替わった
l  人種戦争(二) :絶滅戦争、1941年~45
バルバロッサ計画の最初の段階でのドイツ国防軍と親衛隊の行動は、まさに絶滅戦争の性格を明らかにした ⇒ 前線部隊は捕虜にしたソ連の人民委員を片端から射殺したり餓死させたりして、最終的解決が移住と再定住以上のものであることを示した

第6章 黄金時代への青写真
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
そこで第6章では、各国における戦後ヨーロッパの構想が検討される。第一に、デモクラシーが保証する政治的権利と自由の価値が再評価されるようになった。第二に、形式的な自由はそれだけでは不十分とされ、経済や社会の運営にあたって政府が新しい役割を担うことを期待されるようになった。社会民主主義者だけでなく保守層もこれを支持したことで、左右の収斂が起き、戦後の政治的安定につながった。国際的には自由貿易が支持された結果、国内の国家介入とのデリケートな調合により戦後経済の「奇跡」が実現した。第三に、ナチスの人種理論を前に、民主主義国家は自ら唱えてきたことと実践してきたことの間にある矛盾を自己テストせざるを得なくなった。第四に、国民国家と国際秩序については、平和と人権の擁護のために国際法の再生が目指されたが、国家主権との兼ね合いから成果は限定的だった。戦時の夢が不完全にしか実現しなかった点では、ヨーロッパ統合も同じであった。

ナチスの新秩序という現実に触発され、大陸の内外で、民主的な国民国家を現代世界の中に新たに位置付け直す試みが、戦時中から始まる ⇒ ベルリンによって創り出された権威主義の怪物に対抗できるような、もう1つの「新しいヨーロッパ」を構想し直すこと
l  デモクラシーの復活
l  個人対国家
法と政治の領域においては、国家に対する個人の優位を再確認する傾向にあった
協力か抵抗かという選択を前にして、純然たる個人の決断にすべてが集約された
l  国民国家と国際秩序
国際法の復興が将来の世界平和と道徳的秩序にとって本質的なものであると考えた
人権の保護のためには、国家に優位した上位の機関が必要
l  新たなコンセンサス :その限界と矛盾
l  ユートピアと現実 :何が実現されたのか
48年の世界人権宣言は、国際法の中で個人が新たに獲得した地位の象徴であり、同年のジェノサイド条約は、それまで認定されていた国際法の下での犯罪に新たに重要な罪を加えた ⇒ 国際社会はこの条約の潜在力を無視し続け、92年にはヨーロッパ自身にも及ぶ

第7章 残忍な平和、1943-49
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
第7章では、ヴェルサイユの夢であった国民的同質性が現実になったのは、ドイツによる少数民族の殺戮と、大戦末にドイツ系住民が東欧から追放されたからだという冷厳な事実が指摘される。民主政治が民族的多様性の問題をうまく処理できないという指摘は、本書で繰り返されるテーマである。

l  住民移動と社会の危機 1944-48
3948年の間、逃亡、疎開、再定住、強制労働などにより住み慣れた土地から追われた者は中東欧だけでも46百万、ヨーロッパ全体では90百万もの人々が殺害されるか強制追放の対象となり、これらの人々の総人口に対する割合は、ドイツやポーランドのような極端な例では1/2、相対的にはこの問題にあまり悩まなかったフランスでも1/5
これ以降のヨーロッパ史の推移を理解しようとするなら、この巨大な激変に注意を向け、その社会的・政治的帰結を見通さなければならない
ナチスによる占領とそれに続く戦争直後の時期の混乱は、人間同士の繋がりを切り裂き、家庭や共同体を破壊し、多くの場合には社会の基礎そのものを根絶やしにした。この時期が後に残したもので最も目につくのは、物理的な破壊と並んで、無形の傷があり、道徳的・精神的な志向性の変化が個人の行動を変え、社会と政治を変えていった
最も明らかな価値観の変化は、所有権を尊重する感覚が薄れたこと ⇒ 中・東欧の多くの場所で、多くの人々が他人の家に住み他人の物を使って生きることになった
l  家族と道徳
l  占領の政治、1943-45
45年の段階では、その3年後に見られるような分極化には至っていない。ヤルタで暗黙のうちに承認された勢力圏協定でも、ヨーロッパの多くの部分が手つかずで残っていた
オーストリアやフィンランド、チェコ、ハンガリー、ユーゴ等では、ロシアも議会政治のゲームにルール通り参加することに一生懸命だった
ドイツの将来についても、3大国はいずれも統一を維持することに全力を傾注
国内においても分極化が当たり前ではなく、ヨーロッパ全域で連合政権こそが通例であり、議会制民主主義の革新のために必要な包括的な社会経済改革の実行に乗り出すことを誓っていた
l  新しい出発か?
l  ドイツの分割
47年のトルーマン・ドクトリンの宣言により、アメリカ政府のヨーロッパに対する、より決然として公然の反共政策が始まる
西側の目に、ヨーロッパの安全保障への主たる脅威としてソ連が映るようになった鍵となる事件は、プラハでの48年の共産党クーデターで、占領軍によるドイツの管理委員会からソ連が退場、ソ連地区のみの別個の自治体を建設し49年の東ドイツ建国へと繋がる
l  ヨーロッパにおける冷戦
冷戦は疲弊したヨーロッパ大陸に残忍な安定をもたらし、国際的なパワーバランスが許す範囲で、政治生活の再開が保障された
大陸分割の帰結として、残存する国境紛争やマイノリティ問題は、もはや国際的な安定を脅威に晒す問題ではなくなった

第8章 人民民主主義の建設
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
第8章では、ナチスドイツの東欧支配がその人種的ナショナリズムのために長続きしなかったのとは対照的に、ソ連の共産主義が東欧のナショナリズムと順応したがゆえに持続力をもち、工業化にも成功した経緯が説明される。

東部ヨーロッパは、20世紀の3つのイデオロギー的試みの不幸な実験室 ⇒ 1918年の自由民主主義に始まってヒトラーの新秩序と続き、最後がスターリンの人民民主主義
ソヴィエトの政策は人種的なナショナリズムによってではなく、共産主義という社会経済転換の哲学によって形作られ、排他的というより包括的であり、そのためにさらに強力だった。現地のエリートに依拠したことから東欧のナショナリズムと順応し、持続力を得た
l  政治的支配の確立
失敗した民主主義、経済恐慌、民族闘争という戦間期の遺産を覚えていた人々にとっては、東欧の内側でも外側でも共産主義に対する反対を弱める厳然たる記憶となった
l  スターリン主義に向けて
l  共産主義の改革か?
l  新しい社会
l  帝国の終焉?

第9章 民主主義の変容 :西欧、1950-75
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
第9章では、西欧における民主主義の再生が語られる。マゾワーがとりわけ重視するのが、実体的な社会的・経済的権利へのコミットメントの拡大である。福祉国家は、戦争が社会的連帯への要求を作り出す一方、戦後の経済発展が必要な資源を生み出したことで可能になった。それに対して、冷戦や超大国による介入の影響はそれほど大きくなかった。階級間の敵対関係は融解し、消費社会が到来した。

45年以降、西欧は民主主義を再発見 ⇒ いくつもの国で議会が再び正常に機能し始める
議会の役割、政党の性質、政治それ自体の性質のすべてが、ファシズムとの闘争によって変容した形で出現 ⇒ 女性選挙権の付与で参政権はより完全になり、実体的な社会的・経済的権利に対するコミットメントは左右の政治潮流の相違を超えて拡大
l  民主主義の再生
l  成長の奇跡
経済の発展が長期にわたり、それが50年以降の20年間に西欧を変容させる
l  福祉国家
l  ヨーロッパの個人主義的動員
l  ヨーロッパのアメリカ化?
l  成長社会における抗議
l  移民
戦後の資本主義では労働力が不足しており、人間の移動が必要とされたが、その一方でヨーロッパの国民国家は、国境をパトロールし、増加していく一連の権利や給付の対象となる自国の市民と外国人とを峻別することを目指していた
経済上の必要性から大量の移民が開始されたが、間もなく文化的・政治的な争点となり、ヨーロッパ社会になお染みついていた人種主義を表面化 ⇒ まったく種類の異なるマイノリティを西欧に導入、多人種社会の展開はヨーロッパの戦後デモクラシーにとって大きな課題となる

10章 社会契約の危機
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
10章では、資本主義と民主主義の二重の改革から生まれた社会契約が1970年代の経済成長の鈍化により危機に陥る一方、1930年代への回帰は起こらなかったことが強調される。社会契約が崩壊しなかったのは、西欧の国民国家が自らの力の限界と、世界的な競争に対して自らの生活様式を擁護するためには協調に基づいた行動が必要であることを理解するようになったからであり、グローバル化によって一国的経済政策を実施する政府の力が低下したことで、ヨーロッパ統合という選択肢が魅力的になった。とはいえ、資本主義と国民国家の要請の間には緊張関係がある。資本主義がもたらした移民は、ヨーロッパに染みついた人種主義を表面化させた。1970年代の景気後退によって移民は望まれざる異邦人と見なされるようになり、移民排斥を訴える極右政党が台頭した。

資本主義と民主主義の二重の改革から生まれた社会契約が、その後25年の間に発展、完全雇用が急速に発展する福祉国家の資金を調達するための税収をもたらす一方、成長によって生活水準の上昇があまねく共有されることを可能にした
70年代初頭の石油ショックは、ヨーロッパ資本主義の脆弱を明らかにし、成長は究極の善ではなく、環境に与える危険に光が当てられ、完全雇用も過去の記憶となる
l  インフレーションの危機
l  サッチャーの実験
l  持続する国家
l  左翼の衰退?
l  割を食った人々
l  個人主義の勝利?
高水準の貧困と不平等を人々が受け入れるようになった ⇒ 90年代のイギリスは14百万が貧困のうちに暮らすという、西側世界で最も不平等な社会となる
l  グローバル化と国民国家の危機

11章 鮫とイルカ :共産主義の崩壊
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
11章では共産主義の崩壊が語られる。ソ連支配の崩壊は、迅速かつ予期せぬものであったが、平和的に実現した。東欧諸国でも、西側と同様1970年代以降経済成長が鈍化し、福祉制度が歪んだ。共産主義が民主主義と比較してうまく対処できなかったのは、重工業と巨大な労働者階級を抱え、経済合理性のためにデフレや大量解雇を行うことが政治的に不可能だったためだ。生活水準の低下した労働者は体制に背を向けたが、反体制派は分裂しており、最終的に鍵を握ったのはソ連の政策変更であった。クレムリンは国内での経済改革の優先とアフガニスタンでの失敗のため、東欧からの撤退を選んだのである。共産主義の終焉は脱植民地化のプロセスの一部として位置づけられる。
ソ連帝国の崩壊によってヨーロッパの権力均衡に生じた最も根本的な変化は、ドイツの再統一だった。しかしドイツは民主化し、国外に住むドイツ系住民の問題が消滅した今、もはやヨーロッパにとっての脅威ではない。したがってドイツ問題の解決のために経済通貨同盟を実現する必要はなかった。冷戦終結後の旧ユーゴスラヴィアの戦争は、ナショナリズムの破壊力を示し、ヒトラーが生存圏獲得の際に用いた方法や価値を思い起こさせるものだった。

共産主義の崩壊を予見した者はいない ⇒ 東欧革命の本質を捉え直すことが必要
l  世界経済危機と東欧
南欧の経済がヨーロッパ共同体市場へのアクセスを得た結果、共産主義ブロックを追い抜く一方で、東欧諸国の経済は、国によって差はあるものの破滅に向かう
l  萎縮した党
l  ソ連の政策変容
l  1989年の危機
帝国の崩壊はソ連自体の内部で始まる ⇒ 87年にバルト諸国で強力な環境抗議運動が始まり、88年末にはエストニアが自治共和国としてソ連で初めて主権を宣言
ポーランドでは、「連帯」が選挙で共産党を破り、東欧で初めて非共産主義者が首相となる
全般に、体制転換は驚くほど平和裏に進展 ⇒ 深刻な市街戦が起こったのはルーマニアのみで、この点天安門広場とは真逆
l  ドイツ再統一
l  旧ユーゴスラヴィアの戦争

エピローグ ヨーロッパの形成
池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評
エピローグでは今後の展望が語られる。冷戦の終焉によりヨーロッパは一つになり、イデオロギーの重要性は低下した。マゾワーによれば、1989年に勝利したのは資本主義であって民主主義ではない。どう民主主義と資本主義の折り合いをつけるかが課題であり、EUだけがこの挑戦を受けて立つ唯一のヴィジョンである。もっともEUは経済的な存在として最も重要である一方、政治的軍事的な役割は小さいままだろう。重なり合った主権のヨーロッパを、国民国家が姿を消し、より大きな統一体の中に消えていくヨーロッパと混同してはならない。

歴史的で道徳的な1つの個性としてのヨーロッパを求めるとしたら、20世紀の大半、そのようなものはなかった
70年以上前、第1次大戦後にヨーロッパ大陸全体で民主主義が受け入れられたのは、新しい世界秩序に対する自由主義的な夢に呼応するものだった
民主主義が今日ヨーロッパ人に適しているのは、部分的にはそれが資本主義の勝利と関連しているからであり、またある程度は他の選択肢のどれよりも彼らの生活に関わろうとせず、介入しないからだ
89年の真の勝利者は資本主義
世紀末の方向性喪失感は主にヨーロッパの問題
ヨーロッパ人は長い間自らを世界の文明モデルと見做していたが、今日「ヨーロッパ」とな何なのか、世界のどこに立っているのかは、ますます明らかでなくなっている
80年代中頃になって漸く連邦主義的な方向への推進力が高まったのは、フランスがドイツの強さに不安を覚えたのが主な原因
ヨーロッパ連合は、西欧国民国家の資本主義への歩み寄りであり、加盟国が国家ごとの経済政策がもはや成功を保証しないと理解し、EUを通して可能となる一種の協力と共同行動に繫栄があると考えているという事実に基づいている


 池本大輔(明治学院大学法学部政治学科准教授)  書評

3.評価と疑問点

本書に明示的には書かれていないが、自由民主主義の理念と現実のギャップが本全体を貫く問題関心である。ギャップを指摘することは、ヨーロッパの民主主義を貶めるものではない。というのは、民主主義においては、ギャップを指摘することが現実を理念に近づけていく第一歩であるからだ。ティモシー・ガートン・アッシュが指摘しているように、本書の書名には定冠詞がない。つまりマゾワーは、ヨーロッパを世界における唯一の暗黒の大陸として糾弾しようとしたわけではない。むしろ本書は、ヨーロッパの民主主義が様々な限界を抱えつつも、過去の失敗から学びながら歩んできた道のりを描き出す著作なのである。
本書の内容に疑問の余地がないわけではない。その最たるものは、20世紀における共産主義の役割を過小評価しているのではないか、という点である。確かに、自由民主主義に対してもっとも強烈な軍事的挑戦をつきつけたのはファシズムだった。しかしファシズムが当初国内でも国際的にも影響力を拡大することが許容されたのは、マゾワーも認めるようにエリートや保守層の間で共産主義の方がより大きな脅威として認識されていたためではないか(21頁・106頁)。同様に、第二次大戦後西欧諸国で戦後コンセンサスが形成されるにあたって、ファシズムの教訓が果たした役割を本書は強調している。しかしアメリカは、戦後直後はより自由主義的な国際経済秩序の再建を目指していたが、冷戦激化に伴って共産党を政権から追放することを条件に西欧諸国が福祉・成長志向の経済政策を実行することを容認したのであり、共産主義の脅威が果たした役割はマゾワーが考えるより大きいのではないだろうか。
この点は原著の出版から20年近くを経た本書の現代的意義にも関わっている。一見したところ、マゾワーの予想は当たらなかったようにも見える。彼は冷戦終結後に新自由主義が拡散し社会契約が消滅することを予見できなかった(451頁)。グローバル経済の中で、民主主義と資本主義の折り合いをつけることを可能にする枠組みとして期待されたEUは、ユーロ危機やイギリスの離脱など、多くの問題に直面している。しかし上記の表面的な限界を超えて本書を際立たせるのは、社会的側面を失った民主主義の脆弱性やそのような状況下でのナショナリズムの醜悪さについての彼の警告が、われわれの眼前で起きている事態を見事に説明しているという事実である。1930年代の教訓は彼が考えたよりも簡単に忘れ去られたかもしれない。しかしそれは教訓が無価値であることを意味しないのである。
 このような名著を良質の翻訳で読むことが出来るのは不幸中の幸いである(但し、nationを全て「国民」と訳す(65頁訳注)ことには異論がありうる)。とりわけ多くの訳注を付すことで、それなりの前提知識を要求する本書を広範な読者層に届けようとした訳者の努力は高く評価されるべきだろう。本書とめぐりあう幸運な読者が一人でも多からんことを!


吉岡桂子 書評委員が薦める「今年の3点」
2015.12.27. 朝日
1)暗黒の大陸(マーク・マゾワー著、中田瑞穂、網谷龍介訳、未来社・6264円)
(2)シリーズ 日本の安全保障 第8巻 グローバル・コモンズ(遠藤乾編、岩波書店・3132円)
(3)世界の果てのこどもたち(中脇初枝著、講談社・1728円)
 「民主主義ってなんだ?」の声が胸に響くままに暮れを迎えた。
(1)は、今年いっぺんに3冊の邦訳がでた歴史家マゾワーが語り直した、20世紀の欧州と民主主義の関係史。そこにあるひ弱さにこそ、現在を考える視点が宿る。
 (2)は、安全保障を語る言葉を、「安保ムラ」に集う一部の専門家から取り戻すための論点と知識を網羅したシリーズの最終巻。他人任せにしている限り、自らの安全は守れない。民主主義と地続きにある市民、つまり「私」の安保を考えるヒントがつまっている。
 (3)は、旧満州で出会った3人の少女の物語。1974年生まれの著者の温かい文章を、丁寧な調査と東アジアの未来への思いが支える。自分と異なる誰かへの想像力が、人を社会の主役にする。
 (本社編集委員)


暗黒の大陸 マーク・マゾワー著 欧州の冷酷な真実を精緻に語る
2016/4/7 日本経済新聞 朝刊
 いまヨーロッパは、深い苦悩の中にある。昨年11月のパリに続いて、今年の3月にはブリュッセルでも凄惨なテロが発生した。押し寄せる大量の移民や難民に立ちすくみ、ヨーロッパはその寛容さを失いつつある。また、極右と極左が力を増す中で、政治の分極化が民主主義を衰弱させている。ヨーロッパは、自らが掲げてきた理念を失おうとしているのか。
 そのような現状を理解する上で最適な一冊が、気鋭の歴史家マーク・マゾワーによる本書である。20世紀のヨーロッパの歴史を概観する本書は、20世紀末の1998年に刊行されたものである。ところが、特筆すべきこととして、18年前の執筆当時よりも現在の方が、本書に書かれている内容がよりいっそうヨーロッパの現状を鮮やかに説明している。それはマゾワーが予言者だからではない。巨大な歴史の潮流をきわめて適切に理解しているからだ。
 多くの優れた歴史家がそうであるように、マゾワーもまた歴史の冷酷な真実を、その虚飾を排して露呈させる。すなわち、20世紀のヨーロッパにおいて、いかに民主主義が脆弱で、人権が無視されて、人種差別が深く浸透していたのか、という歴史である。それにも拘わらずヨーロッパは、「文明的な優越性の感覚を無傷で維持する」ことに固執し、また「自己欺瞞の能力は衰えなかった」と、マゾワーは批判する。
 マゾワーは冷戦後の世界についても、残酷な真実を明らかにする。すなわち、「一九八九年の真の勝者は民主主義ではなく資本主義」であったのだ。
 人々の希望は、置き去りにされる。「完全雇用は終わり福祉削減が始まっている」のに加えて、「金融市場のグローバル化によって、国民国家が行動の自律性を維持するのはますます難しくなった」のだ。
 現在ヨーロッパが直面する危機は、ヨーロッパが擁護してきた麗しい価値を損なうものである以上に、「暗黒の大陸」としてのヨーロッパの地下水脈に流れる非民主主義的で、非人道的な要素が噴出したものとして、理解すべきなのだ。他方、マゾワーはそれを乗り越えようと格闘するヨーロッパの人々の努力も見逃さない。
 誠実に真実を語り、公平に史実を綴るマゾワーの歴史家としての力量は、イギリス人の歴史家の中でも卓越している。極めて精緻に書かれた、視野の広いこの名著を、優れた訳文によって読める意義は限りなく大きい。現代ヨーロッパを理解するための必読書である。
(国際政治学者 細谷 雄一)


法政大名誉教授、川成洋が読む『暗黒の大陸 ヨーロッパの20世紀』マーク・マゾワー著
 民主主義は勝利したのか
 「暗黒の大陸」とは、18世紀末から始まったヨーロッパ列強による理不尽な「アフリカ分割」期のアフリカに対する常套(じょうとう)句的蔑称である。これが本書では、あろうことか、「ヨーロッパの20世紀」をターゲットにしているのだ。
 たしかに、ヨーロッパの20世紀を振り返れば、第一次世界大戦で6百万人の死者、第二次世界大戦では実に4千万人の死者を出した。しかもその半数は民間人で、これこそ人類史上最大の汚点ともいうべき凄惨(せいさん)な世紀であった。
 本書によると、1914年に勃発した第一次世界大戦は古いヨーロッパの秩序を崩壊させた。18年の終結以降、旧体制の廃虚の中から、拮抗する3つの政治イデオロギー、つまり民主主義、共産主義、ファシズムが台頭し、おのおのの理想とするユートピアを掲げ、ヨーロッパ大陸に新秩序を作り出そうとした。
 共産主義は、戦争期にロマノフ王朝を打倒しソ連を建国した。戦争に勝利した民主主義は、国際連盟を創設し、4大帝国の消滅後の民主的継承国として、10の共和国を東・中欧に誕生させるなど歴史を前進させた。しかし、29年の世界経済恐慌のあおりで、東・中欧政府は右旋回し、ファシズムの協力国となった。こうして、民主主義はファシズムと共産主義から挟撃されることになる。
 第二次世界大戦で、ファシズムは徹底的に撃砕された。ナチス・ドイツの完敗で戦争は終結するが、民主主義、共産主義の対立は冷戦として続く。89年のベルリンの壁崩壊で、政治イデオロギーの敵対関係は終わりを告げた。だが、これは人口に膾炙されているように、民主主義の勝利であろうか。
 本書は、民主主義が脆弱であった点を強調し、「1989年の真の勝者は民主主義ではなく資本主義である」と述べ、ヨーロッパは30年代以来の課題に依然として直面していると指摘する。つまり民主主義と資本主義が相互に補完し合う関係を作り上げられるかどうか。これこそ、ヨーロッパが「暗黒の大陸」から脱却するための喫緊のテーマであろう。
 評・川成洋(法政大学名誉教授)


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