なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか  阿古真理  2016.11.11.

2016.11.11. なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか パンと日本人の150年 

著者 阿古真理(あこまり) 1968年兵庫県生まれ。作家・生活史研究家。神戸女学院大卒。食や暮らし、写真、女性の生き方などをテーマに執筆

発行日           2016.10.10. 第1刷発行
発行所           NHK出版(NHK出版新書 501)

米を主食としてきた日本で、空前の「パンブーム」が起きている。日本人お得意の「和洋折衷」力で世界をうならせるほど一大進化を遂げたパン文化。SNSに料理写真が躍り、食マニアが増えた現代だからこそ、150年の歴史が生み出した到達点を振り返ることに大きな意味があるだろう。おなかがすくこと必至! パンだけでなく、「食」にまつわる現代の動きがわかる1冊である

はじめに
本書は、西洋人が携えてきたパンを、日本人がどのように受け入れ現在に至ったかを描く食文化史であり、生活史でもある
ここ数年パンブームが続いている
その中でも目立つ存在が、バゲットなどのフランスパン
もともと日本人はあんパンなどの柔らかいパンを好きだったが、今売れているのは次元の違うパン
本格的フランスパンの登場は、日本人がパンを生活に取り入れて150年間に何が起こり、何が変わってきたのかを反映している
パンと主食を考えるということは、和食文化とは何かを考えることであり、同時に世界の中のパンと日本の位置を考えることでもある

第1章        日本人はパンが好き?
2011年には、1世帯当たりのパンの購入金額がコメを上回った
日本のパンとの最初の出会いは、西洋人が鉄砲とキリスト教を持ち込んだ戦国時代にあったが、本格的に生活に入り込むきっかけは幕末の開国である
本書で視野に入れるパンは、酵母による醗酵のメカニズムを利用して膨らませ、オーブンで焼いた西洋のパンだけ

第2章        歴史を変えたパン焼き人たち
1. 日本人のパン、誕生
正岡子規もあんパンを愛した ⇒ 『仰臥漫録』(190102:最晩年の日記)に、朝食とおやつに菓子パンを、多い時には1度の十数個も食べている。あんパンの登場は半年間に2
アンパンの発明者は、銀座木村屋の創業者、木村安兵衛(1817)。日本酒の麹を使用。1875年に、出入りしていた明治天皇の侍従、山岡鉄舟が天皇にお茶菓子として献上したことから宮内省御用達となり、一気に広まった
パンづくりが本格化したのは、幕末に兵糧としての可能性が注目されたため
日本人のためにパンを最初につくり始めたのは韮山の江川太郎左衛門坦庵で、1842
西南の役で脚気患者が続出、ドイツ人経営の病院でパンを食べて治った患者が多かったところから、国立脚気病院が設立され、和洋医学を競わせたところ、パンと牛乳の西洋医学が優位を示した結果、ドイツ医学が公認の医学となった
2. パン好き日本一の街を築いたドイツ人
201315年の1世帯当たりパンの消費金額 ⇒ 1位京都市、2位神戸市、3位岡山市
上位10都市のうち7都市が関西、東京区部は13
当初は、皮の柔らかいパンが好まれた
パン屋の創業は横浜市が早く、現存最古のパン屋は元町のウチキパンだが、関東大震災を機に、神戸が外国人の町として発展し、パン食を新しい文化として育てる
パン食文化が日本に根付いたのは、近代以降何度もコメ不足に見舞われたことが大きい
1889年、97年の大凶作では、暴動が起こり、パン食が売れた。極めつけは1918年の富山に始まって全国に広がったコメ騒動で、その時コメの代わりになるものとしてパン屋を始めたのが常滑の酒屋の5男・盛田善平、敷島製パン(パスコ)の創業者 ⇒ 製粉工場を経営する傍ら、ドイツ人捕虜からパンつくりを習得して1919年会社設立。戦後も日本に残って敷島製パンに雇われたのがフロインドリーブ(24年神戸で独自開業)
3. デニッシュとセルフサービスの店
現在主流となっている、客がパンをトングで棚からとってトレイに載せ、レジへ持っていくスタイルの発祥は広島市(前出統計で9)で、アンデルセングループの発案
農地が狭いところから海外移民が多く、彼らが持ち帰った文化の中にパン食があった
日清戦争時大本営が置かれ、兵糧のパンが大量につくられた
1948年、被爆後初のパン屋が陸軍情報将校だった高木俊介によって開かれた「タカキのパン」で、現在でもアンデルセングループへの卸の柱の1つ。1952年、サンドイッチを売るイートインスペースを設けた直営店を開き、67年にはパン屋とレストランの複合店「広島アンデルセン」を開店、そこで始めたのがセルフサービス方式
アンデルセンが始めたもう1つの試みがデーニッシュ・ペストリー ⇒ 59年にデンマークから職人を呼んで指導を受け商品化
アメリカからは冷凍パン技術を吸収 ⇒ 予備醗酵させたパン生地を24℃で低温醗酵させて熟成させた後冷凍保存することで、必要な時にパンを焼けるもので、70年に初の工場生産開始
低温製造法の技術を公開することで、業界全体が発展、新しいトレンドとしてベーカリー・チェーン展開が始まる ⇒ アンデルセンは「リトル・マーメイド」を、東急は70年に「サンジェルマン」を、山崎製パンは83年「ヴィ・ド・フランス」を、神戸屋は82年から「神戸やキッチン」の展開を開始
4. 1965年のパン革命
日本にフランスパンが入ってきたのは幕末だが、いまではバゲットとバタールの代名詞
バゲットは20世紀初頭に生まれたパン
築地の精養軒ホテルの料理長がフランスで修行したスイス人カール・ヘスで、ホテルが焼失後1874年独自のパン屋「チャリ舎」を築地に開いたのが東京での食パンの誕生となる
現存最古のフランスパンの店は文京区の「関口フランスパン」で、1888年関口教会が孤児に職をつけさせるために始めた
1954年来日したフランスパンの神様レイモン・カルヴェル(191305)の技術指導によってバゲットが紹介され、それに啓発されたドンクの藤井幸男(1921)。カルヴェルに師事し、パン職人のビゴ(1942)を招聘、ドンクのフランチャイズ・チェーン展開とともに全国に広がり、72年には芦屋の店を「ビゴの店」として独立、大盛況を誇り、多くの職人を育てる
68年、青山ベーカリー戦争 ⇒ 青山ドンク開店を契機に、翌年アンデルセンも出店、マスコミに取り上げられて空前のパンブームに発展・加熱
5. オーガニック時代へ
94年から積極的に宣伝を始めた「天然酵母」を売りにしたパン屋が輩出
パンに使われる酵母はサッカロミセス・セレビシェという種類で、ビールやワイン、日本酒に使われるものと同種
天然酵母と呼ぶのは、果物や穀物に付着したり空気中に漂うサッカロミセス属の野生酵母

第3章        カレーパンは丼である
1. 日本人と小麦
日本に柔らかい皮のパンをもたらしたのは、中国発祥の粉もの文化  肉まんや餃子
粉もの料理は、日本でも庶民の主食で、12世紀初頭にはコメの裏作として小麦の栽培も普及していた
2. 食パンはいつから朝食になったのか
日本における食事用のパンの歴史は、幕末の横浜から始まる  1860年内海平吉が外国人相手にパンを売った
醗酵技術が一般化するのは大正時代、イーストが日本に入ってきてから
パンだねを醗酵させる酵母は、顕微鏡を発明したオランダの博物学者レーウェンフックが1683年に発見。1857年にパスツールが醗酵のメカニズムを解明し、ヨーロッパ各国で酵母産業が発達。大量生産が始まったのは第1次大戦がきっかけ。培地を遠心分離器にかけ、水分を極力少ない状態にした酵母が生イーストで、さらに水分を飛ばして乾燥させたものをドライイーストと呼ぶ。培地の原料となる穀物が戦争で入手困難になったため添加物で増量した
日本でイーストを開発したのは、1915年。アメリカの製パン法を学んで帰国した田辺玄平。1913年東京に丸十パンという食パン工場を開き、ラードや砂糖を用いたパンを作る
本格的機械化の時代の幕開けは、大阪のマルキ号製パン
高級食パンブーム ⇒ セブン&アイの「セブンゴールド 金の食パン」、13年オープンの食パン専門店「セントル・ザ・ベーカリー」
3. カレーパン誕生
日本人好みの柔らかいパンの代表は、日本で生まれた菓子パンと惣菜パンで、はじまりがあんパン。次いでジャムパンは1900年戦時携行食を研究するために陸軍が立ち上げた工場でできた。次いで新宿中村屋の相馬愛蔵が1904年に考案したクリームパン
惣菜パンの歴史はカレーパンから始まる ⇒ 1927年「洋食パン」の名前で実用新案を出し登録されたのが東京深川常盤町のパン屋「名花堂」のカレーパン(現在の名前は「カトレア洋菓子店」)1970年頃「元祖カレーパン」として再発売
4. 給食のコッペパン
日本人がパンと洋食を積極的に摂るようになったのはなぜか
戦後GHQの担当者は米飯と味噌汁の学校給食を考えたが、日本側が敗戦の混乱と凶作のために物資の手当てができないとして断ったこと、栄養改善のために洋食化とパンを受け入れたことがパンの普及に寄与
日本で最初に学校給食を出したのは1889年、山形県鶴岡町の市立忠愛小学校。目的は貧困家庭の子供の栄養補給で、パン食が多かった。学校給食にコメが導入されるのは1976年から

第4章        西洋のパン食文化
1. キリスト教徒パン
キリストが行った奇蹟 ⇒ パン5つと魚2匹で5000人の聴衆の腹を満たす
日本でのパンの普及にもキリスト教との関係が切り離せない
2. パンの西洋史
各国が独自のパンを発達させるのは、1416世紀のルネサンス期以降
3. 西洋人、日本のパンを食べる
黒パン文化のドイツ人 ⇒ ライ麦文化圏。特に小麦の育たない北部ではライ麦パン比率が高い。さらに各種麦の全粒粉もしくは粗挽き粉や雑穀でつくったパン(フォルコンブロート)やサワーだねを使うライ麦粉中心のパンが一般化。ふわふわの日本のパンには違和感。耳を落としたサンドイッチには驚愕
英米人のパン ⇒ 日本のあんパンやポテトサラダのサンドイッチのように炭水化物をパンにはさむ文化は理解できない。炭水化物がだぶらないことを求めるのはライ麦文化圏と同じ。イギリスのトーストは厚さが1.5㎝ほどしかなく、日本の食パンの厚さの違いに驚く。日本のフレンチトーストは似て非なるものだが、日本人はフランスのパンの文化を日本のものにしていると評価する人が多い

第5章        フランスパン時代の幕開け
加速するパンブーム ⇒ フランス語でパン屋を意味する「ブーランジェリー」を名乗る店が増えている。単価は高め、カンパーニュのサンドイッチがあり、バタールよりバゲットの存在感が強く、皮は固い
きっかけは『Hanako』の091月号に「東京パン案内」の特集が組まれたこと。1110月世田谷での「世田谷パンまつり」で一気に加速
マニアたちの登場 ⇒ 前段は00年前後にデパ地下ブームに伴って起こったスイーツブーム。さらなる景気後退でスイーツよりお手頃で気軽に食べられるパンに移行。70年代以降充実した外食店の存在も一役かっている
高価でもおいしければ売れるきっかけを作ったのは、渋谷と丸の内に出店した「VIRON」で、加古川の製パン会社の3代目、食パンブームの火付け役だったが、飲食店経営のル・スティル社を立ち上げ、フランス・ヴィロン社の無添加小麦粉の独占使用契約を取り付けて03年東急本店前に開店
都市部で本格派の店として最初に登場したのは、96年神戸・三宮の「ブーランジェリー コム・シノワ」
98年には京都・今出川で「ル・プチメック」が開店
01年には東京にフランスから2社が上陸、「メゾンカイザー」と「PAUL
「メゾンカイザー」は、96年パリに開業、本店で修行した銀座木村屋6代目をパートナーとして日本に進出を果たす
PAUL」は、1889年創業でチェーン点を展開、91年名古屋に敷島製パンと組んで上陸、東京は再上陸。それまでに日本に進出していたフランスの食の高級店進出が相次ぎ、特にフォションとポール・ボキューズのパンを請け負って製造していた敷島製パンの技術がものを言った

第6章        ホームメイドのパン
日本に家庭でパンを焼く文化を伝えたのは田辺玄平(3章参照)
終戦直後にも流行ったが、趣味としてのパン作りの人気が本格化するのは、7080年代にカルチャー教室の流行に乗ってから
1987年、松下電器が家庭用パン焼き機ホームベーカリーを発売

第7章        私たちの主食文化
飽食の時代を経て、主食はおかず
パンの流行の中に興味深い動きがあって、未来に少し希望を抱かせる。それは、高級食パンやフランス産小麦を使ったこだわりのバゲットといった、品質の高さを売りにする高い価格帯のパン屋に人気があること ⇒ 丁寧な仕事をする職人と良質の原料があれば認められることの証であり、さらには生産者の生活を支え、支え合う大切さを実感する時代が始まろうとしている (意味不明?)





なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか 阿古真理著 「趣味」に至る歴史と食文化

2016/10/23付 日本経済新聞
 今は空前の「パンブーム」だという。テレビ番組や雑誌の特集などで取り上げられ、有名店には長蛇の列。SNSで情報を発信する「パンマニア」もいる。今やパンは日本人の「趣味」。だがここに至るまでに長い歴史があった。本書は150年にわたる日本人とパンの関係をたどる。
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 幕末期、パンはまず「兵糧」だった。携行でき、保存に優れるとして戊辰戦争や西南の役でも支給された。それが新しい主食として社会に受け入れられていったのは、明治以降に何度も起きたコメ不足が要因だった。同時に洋食が浸透し、朝食にパンを食べる習慣が社会に広がった。
 そうした経緯を振り返りながら製パン業者が勃興していった流れをたどる前半も面白いが、読みどころはパンを切り口に日本の食文化の特性を読み解いていくくだりだろう。「白米とおかずを一緒に口に入れて食べる文化が惣菜(そうざい)パンを生んだ」「パンや白米は口直しであり、その意味では日本人の主食は『おかず』だ」という指摘など、なるほどと思わされる記述が続く。
 食料であるパンが「趣味」になるのは、むろん日本社会が圧倒的に豊かだからだ。だが一方で近年は貧困が問題になってもいる。飽食の時代の危うさをさりげなく説いた最終章は、私たちの食がどうあるべきかを鋭く問うてくる。(NHK出版新書・780円)


NHK出版新書 創刊15年、通巻500号を突破
  • 20161019
PR TIMES - リリース発行企業:株式会社NHK出版

NHK
出版新書 創刊15年、通巻500号を突破
ラインナップの特徴と売れ筋は

NHK
出版新書は2001年に「生活人新書」として創刊され、2011年に新装刊され、201610月に創刊15年通巻500号を迎えた。これまでのラインナップの特徴と売れ筋、500号にあわせた企画をみてみたい。

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 創刊当初の「生活人新書」は、NHK出版が得意とする実用書を土台とした「生活に根ざした良質な知識や智恵」を豊富にラインナップし、なかでも『蕎麦屋のしきたり』『旧暦はくらしの羅針盤』『茶の湯の不思議』などがロングセラーとなっている。

 その一方で「いわば新書」たる、時代に即応したテーマも編まれ、なかでも『ゲーム脳の恐怖』は子どもに与える影響を鑑みて社会的な話題としてベストセラーとなり、『セロトニン欠乏脳  キレる脳・鬱の脳をきたえ直す』、『フリーズする脳 ―思考が止まる、言葉に詰まる』などがそれに続いた。並行して『脳が冴える15の習慣 記憶・集中・思考力を高める』、『脳と気持ちの整理術  意欲・実行・解決力を高める』、『脳が冴える勉強法  覚醒を高め、思考を整える』など、具体性や即効性もある、一連の「脳もの」が売れ筋となってきた。

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 新装刊されたNHK出版新書は従来の流れに加え、「時代とともに変化する教養のありかたを的確にとらえた啓蒙書としての役割を担うもの」をも主軸のひとつに据えた。その象徴が、30万部を突破した『おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』や『見通す力』『はじめてのサイエンス』の「池上彰本」といえる。

啓蒙書としては、チョムスキーなど海外の叡智人6人を集めたベストセラー『知の逆転』や、ジミー・カーターら「知の長老たち」6人による『知の英断』、ピューリッツァー賞受賞者のジョン・ダワーの『転換期の日本へ 「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』など、海外の巨人たちまで著者の層は厚い。


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 NHK出版新書のテーマは人文系に限らず、『巨大地震はなぜ連鎖するのか 活断層と日本列島』、『火山入門 日本誕生から破局噴火まで』、『福島第一原発事故と放射線』、『ルポ 電王戦 人間 vs. コンピュータの真実』などサイエンス系まで幅広く、タイムリーでありながら信頼性の高いブランドとして、「時代とともに変化する教養のありかたを的確にとらえた啓蒙書」の立場を確固として部数を重ねている。


また「古典的教養の精神にも絶えず立ち返り、この時代を大きく総合的に把握する」という点で、これまでにない新しい視座の提示した代表には『「怖い絵」で人間を読む』があり、『怖いクラシック』などが続いている。「怖い……」という素朴な感情をキーワードに紐解く展開は読者をひきつけている。
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 以上のような啓蒙書と並んでNHK出版新書のもう一つの主軸といえるのが「理系・文系といった表層的「仕分け」を超えた、<体系知>を提供するもの」といえる。「啓蒙書の顔」が「池上本」なら、「体系知の顔」は「佐藤優本」といって過言ではないだろう。『はじめての宗教論 右巻  見えない世界の逆襲』、『はじめての宗教論 左巻  ナショナリズムと神学』、『世界史の極意』、『資本主義の極意  明治維新から世界恐慌へ』がベストセラーに上がっている。


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佐藤優のような「知の怪物」だけでなく、「表層的仕分けを超えた若き論客たち」はNHK出版新書で生き生きと暴れている。『スター・ウォーズ論』の河原一久、『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』の西寺郷太、『コンテンツの秘密  ぼくがジブリで考えたこと』の川上量生、『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』の輪島裕介などなど、これまでは成り立ちそうもなかった書名が思わず手に取らせる。

次に来るトレンドとして喧伝されるが、その実明確な定義や範囲が定まっていない先端技術やそれがもたらす社会について、体系知として提供するのもNHK出版新書の役割といえる。『VRビジネスの衝撃 「仮想世界」が巨大マネーを生む』、『メイカーズ進化論 本当の勝者はIoTで決まる』、『ザ・プラットフォーム IT企業はなぜ世界を変えるのか?』、『レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる』など、他社ならばハードカバー級になる知の最前線が、NHK出版新書ではコンパクトで括目する形にまとめられている。
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そしてNHK出版新書の最後の主軸は「NHKの放送番組と連動した良質の情報」である。『勝間・藤巻に聞け!「仕事学のすすめ」』、『「プロフェッショナル 仕事の流儀」決定版 人生と仕事を変えた57の言葉』、『プロフェッショナルたちの脳活用法』などが番組を編んだもので、番組直接ではなくても『英文法、ネイティブが教えるとこうなります』、『英文法、ネイティブがもっと教えます』という語学系群れも放送番組をソースとしたものといえるだろう。


創刊15年通巻500号を記念する10月と11月のラインナップは、以上のようなNHK出版新書の主軸が明確に現れている。10月発売の記念すべき500号は、「啓蒙書の顔」池上彰の『はじめてのサイエンス』。そして『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮新書)の著者・阿古真理の『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか  パンと日本人の150年』という料理生活ものがテーマだ。
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11
月は「体系知の顔」佐藤優の『大国の掟 「歴史×地理」で解きほぐす』と、放送と連携したNHKスペシャル取材班『キラーストレス_心と体をどう守るか』、姜尚中『逆境からの仕事学』だ。書店などでは創刊15年通巻500号関連イベントやサイン会も予定されている。


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