移民からみるアメリカ外交史  Donna R. Gabaccia  2016.6.20.

2016.6.20. 移民からみるアメリカ外交史
Foreign Relations: American Immigration in Global Perspective  2012

著者 Donna R. Gabaccia トロント大歴史学教授。0512年ミネソタ大移民史研究センター所長。08年社会科学史学会会長。移民史を中心にジェンダー、階級、労働、食文化など多岐にわたる分野で著書、論文多数。本書は13年セオドア・サロートス記念出版賞受賞

訳者 一政(いちまさ野村)史織 中央大法准教授。06年バーミンガム大社会科学研究科文化研究・社会学専攻博士課程修了(Ph.D)0810年東大大学院総合文化研究科助教。10年中央大法助教を経て11年より現職

発行日           2015.11.15. 印刷              12.10. 発行
発行所           白水社

まえがき
移民と外交はアメリカと世界のつながりだと認識し、移民たちの国境を越えた人生が、アメリカ政府が追求する国際関係とどのようにかかわりあっていたかを考察

序論
本書は、移民政策を国内のみの視点からではなく、グローバルな視点から議論すべきであると提案する
移民によって「下から」作られる越境的なつながりと、連邦政府によって「上から」作られるアメリカの世界政策や対外政策が交差するところに対して、焦点を合わせようとしている
学者たちは、移民を国際的なものというより、越境的なものとして分類
本書で明かされるのは、国民国家の政府が持ち続けている、国境を定め、国境を越えるための規制を制定する力を、移民たちが一番理解しているということ。移民たちは、国民国家の権力というものを非常に身近に、時には日常的に経験している

第1章        孤立か、独立か? 1850年以前のアメリカ移民
移民たちが外国と繋がりを持っているということに、アメリカ人がしばしば気が付かないのはなぜか
アメリカは類稀な移民の国であるという国家像があまりにも強いので、今でも多くのアメリカ人は、外国人がアメリカ人となるための最初の一歩は、自分の外国とのつながりを断つことだと信じている
アメリカ建国の大きな矛盾  何百万人ものヨーロッパ人がアメリカに移民として入国していたちょうどその時、多くのアメリカ人は、自分たちの国は以前の宗主であるヨーロッパがもたらす有害でよくない影響から安全に保護されていると信じていた。移民たちのヨーロッパとの継続的なつながりを無視することで、アメリカ人は移民を新国家の独立のシンボルへと理想主義的に変化させることができたし、新しくまだ弱い国家が危険な世界から孤立しているように見えた。が、移民たちと同様、アメリカが孤立してはいなかった
1789年の合衆国憲法では、移民やその管理についてあまり言及していないが、外国の政治的影響に対する恐れや排外主義が起草者たちに影響を与えていたのは明らかで、最高行政機関(=大統領職)をアメリカ生まれの市民に限ったり、高位の立法機関での職を求める帰化した候補者たちに長い在籍要件を課したりしているのはその現れ
移民管理の上で最も重要なのは、外交問題を行政・立法府によって話し合われる連邦の問題とし、各州には平時の軍隊の保有を禁じ、他州や外国との協定や条約の締結を禁じている。行政府の中では国務省が大統領を補佐、執政者の独裁を防ぐために、憲法のもと、大統領は国務省の役人によって協議された条約を批准するために連邦議会上院の助言を求め、その2/3の同意を得なければならなかった。さらに憲法は、外国人の奇貨に関する規則をもお受け、通莊条項によって外国との通商を統制し、政府の歳入を集める権限を連邦議会に与えているが、これらの条項のそれぞれが1850年以前の移民の管理に役立っていた
ヨーロッパとのほとんどの条約では、商品をもって入国する、または交易することを求める人に与えられる双務的自由が記されていた  1830年代まで、アメリカ人たちは、この条約で定められた移動と交易の自由を「自由貿易」と呼んでいた
このような条約がアメリカ国内で法的効力を持っていたことは重要。選挙とは無縁の、民主政治の範囲外で通商条約が締結されたことは、憲法の起草者たちが、地方や地域の利害や偏見が国家の統一を容易に蝕み、対外関係の面で国を弱体化するのではと心配していたことを示す
連邦議会のみが帰化のための規定を定め、1789年の帰化法は、市民権を自由な白人の外国人に限った  自由な成人白人男性は入国から5年で市民権を得られたのに対し、それ以外の国の人々は市民権の申請すら認められなかった
1808年の連邦議会による奴隷貿易禁止も、憲法の条項に呼応したものだったが、海運業者たちは密輸入者になった
1850年以前の移民の管理に関するする激しい論争は、人種的に異質な存在とされた移民よりも、むしろヨーロッパから到着した貧民に焦点を当てていた

第2章        移民の外国とのつながりの発見とアメリカ帝国 18501924
合衆国への移民の目的が変化  西部の辺境地を求めるのではなく、男性労働者を必要とする都市部の工場や建設現場に引き寄せられた
移民が政治的権力を結果的に与えてくれるということを移民たちはずっと知っていた
アメリカのほとんどの移民集団の生活で、政治的な終結が継続する当たり前の特徴になる。その運動の目的は、彼らが残してきた国の変革  建国初期のアイルランド革命はその典型
19世紀の後半には、政治に対して活動的な移民をアメリカの福祉を脅かすものとしてみる傾向が強まり、排外主義者たちを勢いづかせた
1902年、マッキンリー大統領が、移民の両親を持ったアメリカ生まれの無政府主義者に暗殺されると、議会は、今後いかなる無政府主義者もアメリカに入国することを禁止

第3章        移民と移民制限――危険な世界での保護 18501965
特に戦争や経済危機が国際関係を席巻するようになると、多くの国で、19世紀の国際移民は反対にあった
1935年以降、世界規模での自由貿易と関税率引き下げが、グローバルな平和と国際協調のための公のアメリカの方針となるにつれて、そして、国際移民が地球規模で減少するのにつれて、移民の数をさらに減らすことはいつも支持された
アメリカの孤立という神話が長く象徴的に支配していた間、おそらく移民はアメリカを世界に結び付ける点において、対外貿易または国家の公の国際関係と同じぐらい重要であり続けた
移民制限を国内の人種主義の産物として捉えるのではなく、グローバルな視点からアメリカ移民史を見ると、アメリカのグローバルな興隆とともに孤立主義の神話は捨て去られ、移民主義を推し進めた人種主義や排外主義がアメリカの対外政策を巡る政治的対立の争点となる  国際主義と孤立主義の争いのせいで、アメリカ大統領は繰り返し議会と対立
国際関係を連邦が管理することの是非、移民や貿易の管理における立法府と行政府の対立、さらに、移民数の制限にあたって移民を選別する適切な方法の3点が根源的な政治的対立となった
かつては対外政策の両輪として絡み合っていた貿易政策と移民政策が、前者は行政府のますます広範囲で多国に亘る地政学的戦略となり、後者はますますアメリカ側だけで一方的に施行され、国内の問題として立法府が管理するものとなった
行政府と立法府の対立は、アメリカの国際関係の管理に新たなメカニズムを作り出す  移民の有権者が、当初は議会のロビー活動に集結したが、次第に行政府への働き掛けを始め、大統領と移民出身の移民政策改革派が手を組んで成功を収めることさえできた
憲法の規定にかかわらず、貿易と移民の両方を連邦が管理することに対し、諸州からは繰り返し反対がある  1832年には連邦による関税に反対してサウスカロライナが連邦から脱退するなど、諸州の挑戦は南北戦争終結まで続く
南北戦争後の憲法修正第14条は、連邦の市民権法となり、ニューヨーク州による移民への人頭税や、太平洋岸諸州による中国人排斥法を無効とした
1906年 連邦議会は統一の帰化手続きを決め、帰化手続きを連邦裁判所に限定し、入国と新たな市民の創生の両方を管理するために、移民・帰化局を加えたが、関税・貿易政策と移民政策の両方で州と連邦との軋轢は続く
19世紀末から20世紀初めの関税に関する論争を通じて、対外貿易と移民の管理が切り離され始めた  アメリカの労働者は、輸入品ではなく移民からの保護を望んでいるとして、関税率を操作する対外貿易の管理から移民の規制を切り離した
外交上の必要があれば、行政府が関税率を変えることに議会は承認を与える
20世紀を通して、議会は、関税を設定する権限を失っていくにつれ、代わりに移民を制限して保護主義の役割を果たそうとした
移民の管理を巡る行政府と立法府の最初の衝突は、1868年の中国人移民を無制限に認めたバーリンゲイム条約に対する西部諸州の有権者の激しい抵抗で、議会は82年に中国人排斥法を成立させ、最高裁も議会が移民管理に対し憲法上の権限を持つことを認めた
移民に対する制限は、行政府や領事たちが親善と貿易の機会を持ちたいと望んでいた国々を、しばしば侮辱したため、大統領をはじめ行政府は、議会が後に可決した移民制限の多くに対して反対した
移民出身の有権者たちは、移民制限の最悪の影響から移民たちを守る最善の戦略は、選挙政治や立法機関で力を拡大することだと考えたが、次第に自分たちにとって最も良い連携相手はホワイトハウスの大統領執務室にいると気付く
外国生まれの連邦議員は、わずか3(上院2名、下院13)に過ぎず、大きな声にまとまることはなかった
現在に至るまで、移民の妻や未成年の子供たちには制限が免除され続けているが、ふさわしいジェンダーや家族関係に関するアメリカ的見解のお陰であって、移民制限主義者たちでさえ、男性は妻子と一緒にいることを享受できるべきだと概ね信じていた
頑固な反共産主義者も、男性が自分の直径家族のまだ独立していない家族成員の保証人となることを承認したが、一方で移民女性たちは自立していないものと考えられたので、1950年代までは自分の夫の保証人となることができなかった。市民である未成年の子供たちは、今日でさえ、外国生まれの両親の保証人には絶対になれない
1930年代から40年代にかけて、移民たちは自分の血縁者のために、精力的に終結したが、あまり目立たなかった
長い20世紀の移民制限の歴史の中で、自分の出身国の窮状に関心を持つほどに、ますます移民たちは国際主義者の大統領を彼らの最も良い連携相手と考えるようになる
ウィルソン大統領の民族自決宣言は、移民たちの終結を次々と引き起こし、34年には25万人の様々な信条や全ての身分のアメリカ人の署名を集めてローズヴェルト大統領に、ドイツに対して行動を起こすべきと促す  移民の外国人居留民と行政府との結びつきは、第2次大戦中に確固たるものとなった。新しい戦略情報局(OSSCIAの前身)は、「外国人部」を作って、最近の移民に出自を持つ市民を秘密諜報部員として採用
戦後も、国務省と大統領執務室の両方が、難民や移民コミュニティの多くの専門家や知識人から提供された助言に、非公式に頼っていた
ただ、議会からの譲歩はほとんど期待できず、43年に中国人排斥法が廃止されたが、連邦議会の移民制限論者たちは、年間たった105のビザしか割り当てず、アメリカの重要な戦時同盟を再び侮辱した
1965年移民法(ハート・セラー法案)  世界全体で年間29万のビザの上限を設定。東半球が入手できるビザを17万に微増させた一方で、アメリカ半球からの移民に初めて12万という人数制限を課した。アメリカ市民の配偶者、結婚していない未成年の子供、そして親は人数制限から除外されたまま。より広い範囲の親戚(アメリカ市民の結婚していない成人した子供、在留外国人の配偶者や結婚していない子供、アメリカ市民の既婚の子供たち、成人したアメリカ市民の兄弟姉妹)にも東半球用のビザの3/4を確保。さらに10%のビザは、専門職や特に能力のある科学者や芸術家に充てられ、さらに10%は、アメリカ生まれの労働者が不足していると労働省が認める職種に限って、熟練・非熟練労働者が入手できるものとされた。難民が残りの少数(10%以下)のビザを申請できた
1965年法の署名にあたってジョンソン大統領は、国別割当法のひどい不正を終わらせる一方で、初めてアメリカ半球の国々にまで人数制限を広げるなど、「無制限の移民という日々は過去のもの」だと明言
アメリカのみならず世界中で、自由貿易が今や国際統合の機会であると理解されていたので、ほとんど誰も、移民制限の廃止が国際的な統合のための機会だとは想像しなかった

第4章        移民とグローバル化 1965年~現在
1965年移民法から45年間の動きはグローバル化と言われ、移民の規模の増大もアメリカが国際的に積極的で指導的な役割を果たした結果と見做された
グローバル化やアメリカの凋落の可能性をアメリカ人が新たに認識したことが一助となり、移民は新たな脅威であり、過去の移民とは違うという印象を与えるようになる
19世紀における大規模な労働移民と違って、65年以降の移民は呼び寄せビザや難民申請による移民が多く、連鎖移民が増大
メキシコのプエブラのように、人口の1/4にあたる約百万人がテキサス州に、大半が違法移民として生活していたり、移民が出身国の家族らに送金する額がその国への直接投資よりも多くなったりした
20世紀の終わりまでに、グローバル化の進展を通じて、多くの非政府組織の関係者が、その多くが人道的な目的を持っている国際的な非政府組織の創始者、出資者、そしてボランティアとして、影響力の大きい国際的な役割を果たしていることに気づく
移民は、1980年代の700万から90年代には900万に増加、08年の金融市場暴落まで毎年100万の移民が入国  議会が設定した年間制限数(6580:29万、8086:27万、8699(89?):54万、9294:70万、94年以降:67.5)を若干超えた程度だったが、不法定住者の10001100万の移民は、移民が「制御不能」と認識される大きな要因となっている
1965年以降、アメリカは世界のどの国よりも多くの移民を受け入れてきたが、人口統計上の影響は軽微。最新の国勢調査の結果では外国生まれが3670万人と、全人口の11.8%に過ぎず、歴史上の移民の最盛期の規模15%を十分下回っている。外国生まれのうち1/3は帰化したアメリカ市民であり、他の国々の統計では外国人人口として数えられていない
総人口に対して国際移民数の占める割合が多い国:
カタール86.5%、UAE70%、クェート68.8%、シンガポール40.7%、スイス23.2
いずれの国でも移民は制限され、特定の種類の移民たちに特権が与えられている
カナダでは、教養ある高度熟練労働者の移民を奨励するために点数制度を導入
アメリカの国外では、移民は国内問題ではなく、国際的な問題であると認め、二国間、多国間、そして国際的な努力がなされている
EU圏内での自由な貿易と自由な移動を制度化するにつれて、他方で非ヨーロッパ人の移民を阻止するために、国境周辺の管理を引き締めることで、「要塞ヨーロッパ」と呼ばれるものを構築し始めた。大部分のヨーロッパ諸国は、ヨーロッパ以外からの人々については、労働者に対してではなく、難民、亡命希望者、もしくは家族のみに入国を認めている。その結果として、不法移民が仕事を求めて隣接する国々から、あるいはアフリカやアジアからボートに乗って秘密裏にEUに入国するようになり、移民の不法行為が移民への敵意を高めている
国際連盟への加盟を拒否して以来、アメリカ政府には、労働移民に対する国際規約を受け入れない長い歴史がある。アメリカは、難民支援と再定住化に関する国際管理についてのみ、控えめに賛同してきた。ILOにおいて何の役割も果たさないのも、移民問題はあくまで国内問題だとするアメリカの断固たる主張が現れている
1948年の国連世界人権宣言でも、アメリカ主導なるがゆえに、「すべての人は、各国内において自由に移動および居住することができる」としたうえで、「自国を含むいずれの国からも立ち去る権利を有する」と規定しながら、出ていく人が次にほかの国へ入国するのに対応する条文、または権利が示されていない。そのような権利は国家主権に対する挑戦と見做された
アメリカは、UNHCRによって提示された「難民」の定義を採択しなかったし、1980年までは共産主義から逃れた難民たちに難民認定を出すのも留保していた
過去の移民たちと同じように、1965年以降の移民たちもまた、海外に居住する彼らの家族や友人たちのネットワークを作り、広げ、維持し、保護しようとしている。現在に至るまで、移民たちは出身国のために、またはほんのわずかな特権、とりわけ家族呼び寄せビザを入手する権利を守るために政治的に集結する
アメリカ人自身が、他国で慣例となっている人口登録システムや国民IDカードに抵抗しているので、証明書を持たない1100万人の外国人がアメリカで暮らすことができるのだ。彼らの雇用主は大企業ではなく、家事労働者、庭師、保育士を必要とする何百万もの小事業者や個々の世帯主が、不法滞在者でも快く雇用し、彼らの作り出すサービスを購入している  自国の人々も移民たちも共に法律に無関心なのは、移民に限ったことではなく、例えば禁酒法下の時代でも消費者はほとんど刑務所にはいなかった

結語 「故国と忠誠を変更する、人の譲ることのできない権利」(バーリンゲイム条約の条文より)
移民の外国とのつながりに注目することが、如何に移民が地球規模で人と人の人道主義的な統合を促進したかを明らかにする

訳者あとがき
本書は、「世界の中のアメリカAmerica in the World」叢書の1冊として、2012年に米英で出版されたものの全訳
著者は、長年、アメリカの移民史研究をリードしてきた研究者
移民や移民史を、国内のみの視点からではなく、グローバルな視点から議論すべきとする
グローバル化の中での移民たち自身の経験やネットワークの構築、アメリカの外交、政治、移民政策など、様々な要素の関連性を分析する新たな視点を提示し、アメリカの移民史や政治史を世界史の複雑な文脈の中に位置づけることに成功している



移民からみるアメリカ外交史 ダナ・R・ガバッチア著
米移民史を国際関係から解読
2016/1/24付 日本経済新聞 朝刊
 米大統領選挙に立候補しているドナルド・トランプ氏が、イスラム教徒の入国禁止や不法移民の国外退去など、過激な移民政策で話題を集めている。しかし、こうした声は今に始まったことではない。米国史とは、ある意味では移民制限をめぐる歴史だったことを本書は教えてくれる。
 米国の歴史学では、移民史は国内史の一部で、国際関係史と呼ばれる外交史とは区別されてきた。しかし、本書のように両者を架橋する視点も近年増えつつ
http://style.nikkei.com/img/pc/common/loading-fix.png
米大統領選挙に立候補しているドナルド・トランプ氏が、イスラム教徒の入国禁止や不法移民の国外退去など、過激な移民政策で話題を集めている。しかし、こうした声は今に始まったことではない。米国史とは、ある意味では移民制限をめぐる歴史だったことを本書は教えてくれる。
·        http://www.nikkei.com/content/pic/20160127/96958A99889DEBE4E6E5E0E0EAE2E0E1E2E3E0E2E3E49F8BE5E2E2E3-DSXKZO9647233023012016MY7001-PN1-4.jpghttp://style.nikkei.com/img/pc/detail/btn04.png(一政(野村)史織訳、白水社・3200円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 米国の歴史学では、移民史は国内史の一部で、国際関係史と呼ばれる外交史とは区別されてきた。しかし、本書のように両者を架橋する視点も近年増えつつある。歴史学者のダナ・R・ガバッチアは、移民史を国際関係から解読し、米国移民の意外な素顔を浮き彫りにしている。
 これまで移民は、概して米国社会に同化していく存在と解釈されてきた。だが、実際には移民の多くは、残してきた人びとや場所との「つながり」を持ち続ける。そしてときには出身国に対する米国の政策に影響を与えようともする。著者はこの「ネットワーク」の存在を米国建国期にまで遡って実証している。
 なるほど移民の利益を政治に反映させる営みは「エスニック・ロビー」としても健在だ。
 著者は米国が貿易、軍事介入、国際投資を通じて「帝国」として膨張していく過程で、米国内で排外主義と移民制限への動きが強まった様子も描く。本書によれば、移民は外国との通商関係の派生物としての起源も持っていた。しかし、連邦議会が移民制限で力を握るようになり、国内問題化していったのだ。
 伝統的に移民に親和的だった行政府に移民政策は任せ、反移民のポピュリズムに陥りがちな有権者と議会を政策から引き離すべきだと本書は示唆する。ここは賛否が分かれるかもしれない。たしかに、オバマ政権の包括的移民制度改革は、政権終盤においても遅々として実現しない。トランプ氏のような排外主義のレトリックが横行し、米国政治は未(いま)だに移民をグローバルな問題と捉えられていない。
 だが、著者も述べているが、移民は経済的な機会や政治的な自由を世界に広めてきた。その意義を理解している有権者も存在するはずだ。今後は人口増加著しいヒスパニック系の票が無視できない以上、反移民だけではなく、「親移民」のポピュリズムも台頭するだろう。
 本書は、米国が直面する移民問題はもとより、難民受け入れをめぐる普遍的な問題を考える上でも啓発的だ。また、排外主義の象徴例として戦時下の日系人収容所が指摘されるなど、言及は少なめながら、日系移民に関する記述も興味深い。
(北海道大学准教授 渡辺 将人)
[日本経済新聞朝刊2016年1月24日付]

移民からみるアメリカ外交史 [著]ダナ・R・ガバッチア
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■建国神話の裏に出身地との絆

 「今日、アメリカ合衆国の政策議論において、移民は主に国内の問題であると見なされており、(中略)本書が提案するのは、移民政策を国内のみの視点からではなく、グローバルな視点から議論すべきだということである」。えっ、これは意外。移民をもっぱら国内問題とみなす、その姿勢こそアメリカ的、なのか。
 各章で年代順に語られる移民政策と国内世論、国際情勢を、まずは追ってみる。移民問題が通商外交の問題だった時代、帝国の成長と人種主義、戦争と移民排斥、そしてグローバル化。そこに一貫して在るのはアメリカの自意識形成に関わる、恐れの感情だ。
 旧世界を捨て新天地へ、というアメリカの建国神話は強固で、相当数の移民が帰還したことや、アメリカ市民になっても出身地を「文化的故郷」とみていた事実を覆い隠してしまう。この神話は、アメリカは世界から孤立した国家だ、あるいはそうあるべきだという、もうひとつの強固な神話に結びついている。神話の根に著者は、独立直後の不安定な若い国の心理をみる。
 新移民の脅威から自分たちを守らなくては、という排外主義への固執は、かつて先住者を追いやった入植者の子孫が抱く、既視感と不安ゆえだろうか。メキシコの牧場を地元農民に奪われまいと、夫亡き後ひとり銃をもって見回ったアイルランド系アメリカ人女性の例は、印象的だ。じつは本書の特徴は、こうした個人のライフヒストリーと、政策史の交差にある。20世紀初頭の中国商人チャンの一族年代記など、まさに小説より奇。
 移民が出身地との絆を代々維持してきたことを、著者は繰り返し強調する。故国のために行動する移民の子は昔からアメリカにいたのだ。だが「ほとんどのアメリカ人は、移民たちが故郷の政治闘争にかかわってきた長い歴史について知らなかった」。この認識からどう進むかが、アメリカの今後を左右するのだろう。
    ◇
 一政(野村)史織訳、白水社・3456円/Donna R.Gabaccia カナダ・トロント大学教授(ジェンダー、労働、食文化)



内容説明
アメリカ移民史研究の泰斗が、移民が構築する越境的なネットワークとアメリカの移民史、外交史、政治史をグローバルな視点から論じ、研究に新たな視角をもたらした画期的書。
目次
第1章 孤立か、独立か?―一八五〇年以前のアメリカの移民
第2章 移民の外国とのつながりの発見とアメリカ帝国―一八五〇~一九二四年
第3章 移民と移民制限 危険な世界での保護―一八五〇~一九六五年
第4章 移民とグローバル化―一九六五年から現在まで
結語 「故国と忠誠を変更する、人の譲ることのできない権利」
著者紹介
ガバッチア,ダナ・R.[ガバッチア,ダナR.] [Gabaccia,Donna R.]
トロント大学歴史学教授。2005~12年、ミネソタ大学移民史研究センター所長。2008年、社会科学史学会会長。移民史を中心にジェンダー、階級、労働、食文化など多岐にわたる分野で著書、論文多数。『移民からみるアメリカ外交史』は2013年セオドア・サロートス記念出版賞(Theodore Saloutos Memorial Book Award)を受賞

一政(野村)史織[イチマサノムラシオリ]
中央大学法学部准教授。2006年バーミンガム大学社会科学研究科文化研究・社会学専攻博士課程修了(Ph.D.)。2008~10年東京大学大学院総合文化研究科助教、2010年より中央大学法学部助教を経て、2011年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社内容情報
移民の経験や語り、人的ネットワークは米国の対外政策とどのように関連してきたのか。移民史研究に新視角をもたらした画期的書。

移民史研究の必読書
 本書はアメリカの移民史を、それぞれの出身地域とつながりを保ちながら構築したネットワークや、移民自身の経験・語りというミクロなレベルと、アメリカの外交政策や国際関係というマクロなレベルの両方の視点から検証し、両者の関係性を分析した画期的な研究書である。
 これまでアメリカの移民史は国民国家の枠組みの中で語られ、個人のネットワーク・経験・語りと、国策としての移民法や、その背景にあるアメリカの外交史、国際関係は、別々に研究されてきた。
 しかし、長年学界をリードしてきた著者は、移民が構築するネットワークとアメリカの世界戦略、対外政策が交差するところに焦点を当て、越境的かつグローバルなかたちで展開する移民の経験・語りとアメリカの外交・移民政策を並列して分析する。この研究視角により、アメリカの移民史を国際関係の複雑な文脈の中に位置づけることに成功したと言ってよい。
 出版されるやいなや、本書は学界やメディアから高い評価を受け、2013年、移民史研究分野で最も優れた書籍に対しアメリカのエスニックヒストリー協会から贈られる「セオドア・サロートス記念出版賞」を受賞した。


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