白洲正子 ひたすら確かなものが見たい 挾本佳代 2014.2.11.
2014.2.11. 白洲正子 ひたすら確かなものが見たい
著者 挾本(はさもと)佳代 1964年東京都生まれ。専門は社会学。津田塾大学芸学部国際関係学科卒後、新潮社に勤務。法政大大学院社会科学研究科社会学専攻後期博士課程修了。社会学博士(法政大)。現在、成蹊大経済学部教授
発行日 2013.11.15. 初版第1刷
発行所 平凡社
プロローグ――私はひたすら確かなものが見たい
東京の郊外に農家を買って住むことにしたのは、ヨーロッパで戦争の恐さを痛感していたからで、見よう見真似で田畑を耕し、炭まで焼いて自給自足の生活を始めた。本当に役に立ったのは、自分で働くことの喜びを知ったことで、知ると同時に今まで私はいったい何をしてきたのだろう、殆ど夢のように暮らしてきたのではないかという不安を持ち始めた。「精神的なアンバランス」と言ったのはそういう意味である。私はひたすら確かなものが見たいと思った。知りたいと思った。(『夕顔』より)
白洲は「常に道中である」と明言
白洲がひたすら見ようと追究した「確かなもの」とは、日本人の精神の記憶に関係しているものではなかろうか
本書で審らかにしたいことは2つ
1つは、白洲が多くの作品を通して、私たちに問いかけた古からの日本人の精神性の軸には一体何があり、即ち何が彼女にその問いかけを可能にさせたのかということ
もう1つは、彼女がどのような位置に立って日本を見つめ、いかなる心性や精神性を現代の私たちに問うていたのかということ
白洲作品の行間と余白には、日本人の精神の記憶に刻み込まれているものを呼び覚ます力がある。そしてそれは、その記憶さえも、今や日本人が失いつつあることを示唆すると同時に、私たちの精神や心には、確かに何かが脈々と受け継がれていることを教えてくれる
第1章
能というこころ
自らも、自分の文学の原点は能だと言う
西国三十三カ所巡礼で、生まれつき持っていたものであろうと改めて感じいった信仰を身につける
4歳から50歳まで能を舞う
処女作が33歳の時に出した『お能』
舞い手が個性を捨て、型通りに舞っていたとしても、やがてその人間の性格の芯とも言うべき部分が外に出てくる
型は、舞の技法であるだけでなく、舞い手の精神も研ぎ澄ませ、高める。虚飾をもって我が身を飾る余地がないために、自然真面目になるよりほかのことは出来なくなる
第2章
ものを見る確かな眼
白洲にとって、「目利き」とは以下のような人のこと――経験を積めば真贋の判定はさして難しいことではない。難しいのは真物の中の真物を見出すこと。それを「目利き」という。「名人は危うきに遊ぶ」と言うように、正札付きの真物より贋物かもしれない美の方がどれほど人をひきつけることか
知識よりも、身体が覚えている感覚でものの良し悪しを即決する。その強い美意識は、祖父から受け継ぐ、受け身のない薩摩示現流の精神からも大いに影響を受けていた
真贋などとやかく言うのは無意味、ただ好きか嫌いか、つまるところはそれしかない
椿の花が好きだった ⇒ 山椿か侘助、白玉椿、いずれも一重のもの。殆ど香りがない
白洲正子の美意識は3つの「花」によって貫かれる
l 世阿弥の「花」 ⇒ 能で言う「幽玄」は魂、「花」はお能の肉体
l 西行の「花」 ⇒ 桜を追い求めた結果、仏教の思想や神道の教理に煩わされずに、自分の心の中にある仏を歌によって発見し、歌によって形を与えた
l 小林秀雄の「花」 ⇒ 能の花
銀座で染織工芸の店「こうげい」を開いたのは1956年。以来15年に亘り、染織工芸家を発掘、草木染めによる織物を手掛ける作家たちとの交流を深めたが、織物ならば着物に仕立てて着ると言った当たり前の用途が日々繰り返される中で、磨かれていく美をこそ見ようとした
第3章
白洲正子が選んだ道
能は、男色のもので、男が女にならなくては舞えないということが50年やってわかったと言い、能舞台を降りたことで、彼女は文筆家の道に突き進み始める
かくれ里を含め、方々を歩き回って、外観や環境がどんなに変わろうと、持って生まれた本質は100年や1000年ではどうにもならぬものだ、ということを確信する
「1964年、ある出版社の依頼で西国三十三カ所の観音巡礼を取材、東京オリンピックの喧騒を尻目に、近江の里の上から新幹線が颯爽と走り過ぎるのを見て優越感に浸った。お前さんはすぐ古くなるだろうが、こっちは千数百年を生きた巡礼をしているんだ、ざまぁ見ろ、と言いたい気分だった」とあるのは、自伝の中でも白洲正子を直ちに言い表す実に小気味良い文章
「近江は日本の楽屋裏」 ⇒ 白洲が言い表した近江という地域は、歴史の表舞台を支えたところであり、舞台から降りた人物たちが落ち延びたところであり、そして様々な人間の思いが渦巻いたところ
近江のかくれ里で、今なお日本人の心の中に存在している筈の、古から受け継がれてきた心性や精神性を追い求め、書き留めていた。それは今や失われつつあるかのように見えるものかもしれない。しかし、その心性や精神性は、たとえ欠片になろうとも、私たちの心の中に先祖の記憶として残されているのではないだろうか。白洲正子の選んだ道は、そうした心性や精神性の記憶から日本人のあり方を問い、日本文化の原点を探るための道だった
「白洲正子の愛した近江http://www.biwako-visitors.jp/shirasu/about/book2.html」より
「かくれ里」の概要
毎月のように近畿地方を中心とした日本の山里を歩き、取材した紀行文集。「芸術新潮」で2年にわたる連載のために執筆されたものでした。1971(昭和46)年12月、新潮社より刊行され、翌年、第24回読売文学賞を受賞。白洲さん自身は「能面」に続く2回目の同賞受賞でした。
お能には橋掛かり、歌舞伎にも花道があるように、とかく人生は結果より、そこへ行きつくまでの道中の方に魅力があるようだ。(「かくれ里」より)
白洲正子さんは、少しずつ、あるいは同じ場所を、長い年月をかけて何度も繰り返し歩きました。そうして記された旅の記録の1つが「かくれ里」です。
「かくれ里」のあとがきには、こう書かれています。「自然が語る言葉に耳をかたむけること、-二年間にわたって、私が無意識の中に、曲りなりにもつとめて来たのはそれだった。私が未熟なために、それは未だかたことしか洩らしてはくれなかったが、今のような息苦しい時代に、大きな慰めとなったのは事実である」
第4章
日本人の心性、精神性を問う
魂があるならそれは形に出るはずだというのが、白洲正子の骨董の師・青山二郎の信念
その信念をことのほか白洲は胸に深く刻んでいて、日本人の精神性や信仰を考察するときにも生かされていった
十一面観音信仰の考察のため巡礼して回ったが、山岳信仰とも関連し、水脈に沿うように祀られているのを、実際に歩くことで感じ取った白洲は、「日本の信仰は、山と川によって発展したと言っても過言ではない。十一面観音も、八百万の神々の再来、もしくは集約されたものとみることが出来よう」と述べている
日本の神とあらゆる生命に仏が宿るとする観音経の思想が互いに歩み寄ることで、白洲の言うように、仏教が神の助けを必要としたとする神仏混淆の思想が出来上がったとするならば、「黙して語らぬ木や石」には神も仏も宿っているということになる。日本の自然は、いや自然に宿る神々や仏はものを言わない。しかし、森羅万象の至る所に信仰すべき対象があると信じる古からの記憶を持っているからこそ、富士山や日の出にも手を合わせる私たちがいるのではないか。自然に対してありがたいと思う、しなやかな信仰心を、そもそも私たちは持っているのではないか
日本人は、古来自然との調和を尊ぶ風土の中で生き延び続け、長い歴史と共に自然を信仰する魂の記憶を受け継いできた。だから、森羅万象に対して心からありがたいと思えるのだ
吉野というかくれ里には、山岳信仰の伝統を踏まえた、自然と共にある文化がいまだに残されている。それは柔弱なものではなく、集落という地域の記憶を代々繋いでいく、むしろ人間的であり、健康的なものであった。それに対し、現代の日本人や日本文化は自然から乖離していく一方なのではないか。「文化は発達しすぎると、柔弱に流れる。人間は自然から遠ざかると病的になる」という白洲の言葉を、いま私たちはどれだけ重く受け止めることが出来ているだろうか
第5章
人間の営みと自然
豊富な古典文学の教養、能の素養、戦中から鶴川村での暮らし等々、白洲は理想の文人としての資質を十二分に備える
白洲の西国巡礼の旅は、文明の発達とともに加速する一方の人間の時間を見つめ直し、自然の悠久の時間を想起させるものでもあった
エッセイ『日本の橋』では、建築家・谷口吉郎との対談で、急流の多い日本では、橋が流れるのを「覚悟」して作られるという話を聞いて、先人たちの知恵によって支えられてきたこと、この点にこそ日本独特の文化と思想が集約されていると気付いたとしている
自然と闘うより和合することを尊ぶ
古くから変わらずに日本人が持ち続けている文化、思想を描き出そうとした
エピローグ――白洲正子が見たもの
白洲作品を貫く精神は、神宮式年遷宮を守ってきた日本の歴史の精神の土壌によって育まれてきたもの
白洲が見たいと切望し、ひたすら追い求めた「確かなもの」とは、遷御を目の当たりにし、彼女の中からも甦ってきた日本人の先祖の記憶であると言えよう
先祖の記憶は、古くから培われてきた私たちの心性や精神性に刻み込まれている。その底辺には、自然を恐れ、敬い、崇め、和合しようとする自然観があった。そうした記憶を辿り、それらを審らかにするために必要だったのが、白洲にとっては能であり、近江を始めとする日本のかくれ里を歩くことだった
『古事記』や『日本書紀』では「道」に「美知」の字を充てている。美しいものを知る、あるいは知ることは美しい、どちらにしても古代人が「みち」という時、単なる道ではなかったに違いない
白洲の選んだ「道」は、まさに「美知」だった
古から日本人が大切にしてきた「美知」を、私たちは未知のままにしておいていいのであろうか。白洲作品を通して、私たちは「美知」を歩き、日本人にとっての「確かなもの」を知ることができるのである
あとがき
白洲正子を現代から振り返ってみたとき何が見えるか。白洲の立場から現代社会を見たときに何が見えるか、ということがずっと気になっていた。日本人の精神の記憶を呼び覚ます力が彼女の作品にはあり、それを介在させることで、現代の私たちの置かれている立場や喪失したものが浮上してくると私は考えていたからだ
白洲正子における能、和歌、古典文学、仏教、骨董、染色文化、自然といった様々な要素の関係性も追究、それらの有機的な繋がりを求めなければならなかった。そうしなければ、白洲正子作品全体が死んでしまう。彼女の作品における軸は能
本書の構想を立て、着手し始めたのは、成蹊大学から長期研修の機会を得て、国際日本文化研究センターと法政大社会学部に外来研究員として1年所属していた2010年度から
(書評)『白洲正子 ひたすら確かなものが見たい』 挾本佳代〈著〉
朝日 2014年1月26日05時00分
◇型を通してこそ、個性が現れる
これは白洲正子「論」なのだろうか? 読みながら、白洲正子が触れた日本文化の肌触りを、感じるようになってくる。そのまなざしがとらえたものを、共に見たような気がしてくる。論じているというより、白洲正子の内面に導いていくような本なのだ。「確かなものが見たい」という熱望が、読む者の熱望になる。
重要なのは「型」であった。著者は白洲が「確かなもの」を見極めようとしたその根幹に「型」の習得があったことに注目する。白洲は能や香道の型を体得することで、そこにのみ個性が現れることを知る。徹底的に型を身体に刻み込み、型が重なって舞となり、舞が重なって能となることを悟る。能では人間が自然の象徴として現れたり、過去を生きた亡霊として現れたりするが、型を通してこそ、そこに個性が出現するとともに、自然と人間の関係にかかわる普遍的なかたちもまた、顕(あらわ)れるのだった。
個と普遍の両方をつかむ、そして自然に対する畏敬(いけい)の念を顕す、そのための文化の基本となる型を、この社会は捨ててきた。そのことの大きな損失と、そこに由来するさまざまに荒(すさ)んだ心持ちを、改めて考え込んでしまった。
東京オリンピックの年、白洲は西国三十三カ所観音巡礼の取材を開始する。オリンピックに沸き、新幹線が走り過ぎる日本を尻目に、千数百年の時間をめぐる旅に出たのだ。著書『かくれ里』から立ち上がる集落の記憶も開発とは無縁の土地に通い続けて獲得したものだった。著者はこのことに注目し、白洲の言葉は「人間や集落が自然と折り合いをつけながら生き延びてきた……土地に染み込んだ言葉」だと説く。
*
白洲正子 挾本佳代著 確かなものを求め続けた生涯
日本経済新聞朝刊2013年12月22日
白洲正子の本格的な評伝はこれが初めてであるという。晩年から死ののちもカリスマ的な存在になったことで、却(かえ)って客観的評価はむずかしかったのかも知れない。
著者は生前の白洲正子には会ったことがなく、純粋に残された文章から人間白洲正子を読み解こうとしている。この潔い態度に私は打たれた。私はご縁あって生前にお目にかかったことがあるが、一度や二度の挨拶で何が判(わか)るものでもないだろう。
著者が白洲正子の根幹と考えるのは能である。私もそう思う。
しかし、白洲正子において大きかったのは、素人として百番の能を舞ったが、やはり女には能はできない、と稽古をやめた、その断念の深さではなかったか。
著者が深い愛と理解をもって語るように、白洲正子の良さは、どこまでも素人の、そして女が、ひたすら確かなものを求めてからだひとつで「常に道中」という、心の旅を続けた生涯そのものにある。
研究者から見れば、批判される点は多々あっても、白洲正子の作品は、要するに人間そのものなのである。
能に始まり、骨董そして文筆と、白洲正子は、男たちのハイカルチャーを、女ひとり、全力で追いかけた。「韋駄天(いだてん)お正」の所以(ゆえん)である。
伯爵令嬢として何不自由なく生まれ育ち、のちには吉田茂の懐刀であった白洲次郎の夫人として、文字通りのセレブでありながら、お嬢様芸、奥様芸に飽き足らず、本物を求め続けた捨て身の挑戦こそが、読者を惹(ひ)きつけてやまない白洲正子の魅力であろう。
著者の指摘する通り、白洲正子は自分で日本人の心性というものを体感し、自分の言葉で書いた。
白洲正子には、オリジナルな思想といったものはない。能についても、ごく真っ当な、いわば当たり前のことを言っている。
しかし、この当たり前のことにたどり着くまで、時間もエネルギーも、そしてお金も、惜しみなく投じて努力したのが、余人の到底及ばないところである。
また、改めて、白洲正子を読んでみたいと思わせてくれた一冊だ。
(歌人 水原紫苑)
Wikipedia
しばしば白州正子と誤記されることもあるが白洲正子が正しい(洲と州が異なる)。
経歴[編集]
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1910年(明治43年)1月7日 - 東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)に父樺山愛輔と母・常子の次女として生まれる。祖父は樺山資紀(海軍大将、伯爵)、母方の祖父に川村純義(海軍大将、伯爵)。
幼少期より梅若流の能の舞台にあがり、能に造詣が深く、青山二郎や小林秀雄の薫陶を受け骨董を愛し、日本の美についての随筆を多く著す。梅原龍三郎や、晩年は護立の孫で元首相の細川護熙、河合隼雄や多田富雄等との交友もあった。また名人といわれた能楽師・友枝喜久夫の仕舞の会を自宅で開き、演芸研究者渡辺保も参加していた。
著書[編集]
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たしなみについて 雄鶏社新書 1948/河出書房新社 2013.8、改訂新書判
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私の藝術家訪問記 緑地社 1955
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お能の見かた 創元選書 1957
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心に残る人々 講談社 1963、講談社文芸文庫 1996
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能面 求龍堂 1963
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世阿弥-花と幽玄の世界 宝文館出版 1964/講談社文芸文庫 1996
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西国巡礼 旺文社文庫 1985、講談社文芸文庫 1999
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明恵上人 新潮選書 1974、新潮社 1999/講談社文芸文庫 1992
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古都残影 駸々堂出版 1970 写真浅野喜市
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かくれ里 新潮社 1971 新版2010/講談社文芸文庫 1991
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旅宿の花 謡曲平家物語 平凡社 1982、講談社文芸文庫 1998
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私の百人一首 新潮選書 1976、新潮文庫 2005.1、愛蔵改訂版 新潮社 2005.11
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魂の呼び声 能物語 平凡社名作文庫 1978
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能の物語 講談社文芸文庫 1995
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道 新潮社 1979、新版2007、新潮文庫 2011-歴史紀行文
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鶴川日記 文化出版局 1979/PHP研究所 2010、同文芸文庫 2012
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日本のたくみ 新潮社 1981、新潮文庫 1985、改版1997
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私の古寺巡礼 法蔵館 1982/講談社文芸文庫 2000
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縁あって 青土社 1982、新版1999/PHP研究所 2010、同文芸文庫 2012
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白洲正子が語る能の物語 平凡社かたりべ草子 1984
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木 なまえ・かたち・たくみ 住まいの図書館出版局 1987、平凡社ライブラリー 2000
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お能・老木の花 講談社文芸文庫 1993
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いまなぜ青山二郎なのか 新潮社 1991、新潮文庫 1999
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随筆集 夕顔 新潮社 1993、新潮文庫 1997
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白洲正子自伝 新潮社 1994、新潮文庫 1999
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風姿抄 世界文化社 1994 新版2009.10
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日月抄 世界文化社 1995 新版2009.10
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名人は危うきに遊ぶ 新潮社 1995、新潮文庫 1999
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雨滴抄 世界文化社 1996 新版2009.10
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風花抄 世界文化社 1996 新版2010.11
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両性具有の美 新潮社 1997、新潮文庫 2003
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美しくなるにつれて若くなる 角川春樹事務所ランティエ叢書(文庫判での再編)1998
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独楽抄 世界文化社 1998
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花日記 世界文化社 1998
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器つれづれ 世界文化社 1999、写真藤森武
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行雲抄 世界文化社 1999
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対座 世界文化社 2000-随筆・インタビュー・対話集25篇(図版多数)
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衣匠美 世界文化社 2000、写真藤森武
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舞終えて ワイアンドエフ 2000
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ほとけさま ワイアンドエフ 2000
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ひたごころ ワイアンドエフ 2000
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余韻を聞く 世界文化社 2006-手紙+随想、図版多数
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金平糖の味 新潮文庫 2010
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美の遍歴 平凡社ライブラリー 2010、初期エッセイ集
作品集[編集]
対談・共著[編集]
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瀧 永瀬嘉平写真 駸々堂出版 1977
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対話 「日本の文化」について 神無書房 1993
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白洲正子を読む 求龍堂 1996、対談・作家論集
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おとこ友達との会話 新潮社 1997、新潮文庫 2005 対談集
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白洲正子への手紙 二人が遺した文筺から (織師田島隆夫との書簡) 文化出版局 2000
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日本の伝統美を訪ねて 河出書房新社 2001、河出文庫 2009 対話集
ビジュアルブック[編集]
骨薫収集家としても著名。収蔵品には武者小路公種の百人一首ほか数々の名品揃いである(愛蔵版「私の百人一首」に所収)。
以下には、収集品紹介も兼ねたムック本もある。
以下には、収集品紹介も兼ねたムック本もある。
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草づくし 吉越立雄写真 (とんぼの本)新潮社 1985
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お能の見方 吉越立雄写真 (とんぼの本)新潮社 1993、改訂版2008
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日本の神々 (とんぼの本)新潮社 1998、写真アルバム
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白洲正子の旅 <別冊太陽 日本のこころ>平凡社、 2000
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白洲正子の世界 二十一世紀への橋掛かり <別冊太陽>平凡社、2000
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白洲正子 “ほんもの”の生活 (とんぼの本)新潮社 2001
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白洲正子美の種まく人 (とんぼの本)新潮社 2002
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白洲正子と楽しむ旅 (とんぼの本)新潮社 2003
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白洲正子と歩く京都 牧山桂子編(とんぼの本)新潮社 2008
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白洲正子 十一面観音の旅 大和路篇 <別冊太陽>平凡社、2010 青柳恵介監修
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白洲正子のきもの (とんぼの本)新潮社 2012
伝記・評論[編集]
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『武相荘のひとりごと』 牧山桂子、世界文化社 2012
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『白洲次郎と白洲正子 乱世に生きた二人』 牧山桂子・青柳恵介・須藤孝光 新潮社、2008
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『白洲正子 祈りの道』 白洲信哉編、新潮社〈とんぼの本〉、2010
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『白洲正子 ひたすら確かなものが見たい』 挾本佳代、平凡社、2013
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