ゆかいな仏教  橋爪大三郎/大澤真幸  2014.1.25.

2014.1.25. ゆかいな仏教
Happy Buddhism

著者
橋爪大三郎     1948年神奈川県生まれ。社会学者。東大大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。9513年東工大教授
大澤真幸 1958年長野県生まれ。社会学者。東大大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。千葉大助教授、京大教授歴任。個人思想誌主宰

発行日           2013.11.1. 第1刷発行
発行所           サンガ(サンガ新書)

2014.1.18. 森嶬君からのメール
貴兄から頂いた年頭メールで、聡君インドご赴任との事。
今読んでいる本の一つに、ゆかいな仏教、(橋爪大三郎、大澤真幸。サンガ新書)というのが有ります。
これは、仏教のみならず、インドの文化、社会構造、精神風土を詳しく面白く説いて、興味が尽きません。
余計な事を申し上げましたが、お時間有れば、是非どうぞ。


仏教よ、お前は何者なのか?
ソクラテスからカント、ウェーバー、パーフィットまで、時空を軽々と飛翔して、その論点を比較・検討し、仏教に抱いていたイメージを一新する宗教対談
葬式仏教と揶揄されたり、「禅問答」のように、やたら難解なイメージが付きまとったりの、日本の仏教
元々の仏教はでも、自分の頭で考え、行動し、道を切り拓いていく、合理的で、前向きで、とても自由な宗教だった!
日本を代表する2人の社会学者が、ジャズさながらに、抜群のコンビネーションで縦横に論じ合う、仏教の真実の姿
日本人の精神に多大な影響を与えてきた仏教を知れば、混迷の今を生きる我々の、有力な道しるべが手に入る!

まえがき
人は、生きている間に何度か、宗教的にしか解決できない問題にぶつかる。その意味するところは、人生観や世界観の前提にまで遡るということであり、価値観そのものを問い直さないと解決できない
こうした問題にぶつかった時に、普遍宗教が蓄積してきた知恵がヒントや助けを与えてくれる。それは、宗教が独自の座標軸を設定してきたから
日本人にとっての普遍宗教こそ仏教

第1章        はじまりの仏教
紀元前5世紀位に釈尊(ゴータマ・シッダールタ)が覚りを開いたことに端を発する運動
ゴータマ・シッダールタ ⇒ 仏教の開祖の出家前の名前
ブッダ=仏 ⇒ 釈迦族出身の聖者たるブッダ=覚者
釈尊 ⇒ 釈迦族の尊者
如来 ⇒ 10種類の尊称(10)1つ。修行を完成した者。インドの一般諸宗教を通じて用いられていた呼称
l  一神教と対立 ⇒ キリスト教にとってはイエスの「思想」以上にイエスの身に起こった出来事、経験したことが大事であるのに対し、仏教ではシッダールタの覚りの内容が重要
l  ヒンドゥー教と対抗 ⇒ 最高位カーストのバラモンが生み出したのがバラモン教で神々を信じる民間信仰と融合してヒンドゥー教に変化していったのに対し、仏教はバラモンに次ぐ階級のクシャトリヤから出てきたもの。カーストのない社会を前提にしてする社会革新思想が仏教
l  儒教とも対立 ⇒ 中国では儒仏道の「3教合一」の試みがあったが放棄し、儒教を取る
l  神道と対立 ⇒ 日本では裏で繋がり、曖昧な関係になる
仏教では、覚りの内容、何が覚られるかということが不可知だが、釈迦個人に起こったことが、誰にでも繰り返され得るということ
神と仏の違いは、仏=ブッダはあくまでも人間であること。人間が人間のまま仏になるのが「成仏」であって、神に関心がない。神の力を借りずに自分の力で完璧になれるという信念こそが仏教 ⇒ ただ、普遍的な救済の場を、カーストとは別の出家集団(サンガ)として用意せざるを得なかった点は制約となっている

第2章        初期の仏教
「一切智者、無師独悟」
「業(カルマ)」 ⇒ 前世や後世も含め、人が「やったこと」「行為」を指す仏教の概念
「解脱」 ⇒ 人間を取り巻く輪廻(自然法則)の束縛から離れて、その外に出ていくこと
「輪廻(=苦、迷い)」「覚り」「解脱(=涅槃)」が仏教の基本概念
仏教における「苦」とは ⇒ 生物の性質であり、自分が外部と関係していかないと生きていけないという運命を背負っているのが「苦」
「無常」 ⇒ 仏教の全体を特徴付ける通奏低音
誰でもやればできるというのが仏教の本質

第3章        大乗経へ
大乗仏教の登場が、仏教史の中での最大の転換点
「自覚覚他」 ⇒ 大乗仏教の特徴で、自身の覚りや救済だけでなく、他人を救済し覚りに至らせるということも任務とする教え
布施をする在家の中から仏塔(ストゥーバ:釈尊の遺骨=仏舎利を祀る塔)を信仰の拠り所とする動きが出てきたのが大乗の起源 ⇒ 自分の模範として仏陀を探索したいという強い思いが仏塔信仰に込められている
ダルマ ⇒ 3帰依の対象を3宝といい、仏(ブッダ)(ダルマ)(サンガ)がそれ。ダルマはブッダの教えで、その中心的な意味は永遠の法則=万古不易の真理
大乗の中心的概念は、菩薩=在家修行者で、戒律に従わなくてもいいし、出家しなくてもいい

第4章        大乗経という思考
ブッダの数が急に増える ⇒ 修行を完成した者、真理を体得した者を「如来」と呼び、ブッダと同じものを指すが、釈尊以外にたくさんいても構わない

第5章        大乗経から密教へ
大乗仏教系の理論の中で、哲学的にもっとも洗練されているのがナーガールジュナ(龍樹:2世紀後半~3世紀前半) ⇒ 「空(くう)」の議論では仏()の存在すら否定される
仏性がすべての人に備わっているという思想は大乗仏教の重要な特徴 ⇒ すべての人が持つ仏性を「如来蔵(=覚りの潜在可能性のようなもの)」という
すべての人間は、カーストにも、人種や社会的地位にも無関係に、覚ることができる、というのが仏教の大原則。ブッダになれることは人間の特権
仏教の目的は、自分も成仏して、仏になること、お釈迦様と同等・同列になること
密教 ⇒ 呪術的な要素が入ってきたもの。主役は、ゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)とされる毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)=大日如来(⇒奈良の大仏)で、諸仏を祀った多神教であり、各種の秘儀により神秘の世界への没入が見られ、さらに曼荼羅のような表象を使って何かを象徴的に示すという特徴がある
仏教にはドグマがない ⇒ キリスト教で言う「三位一体」、イスラム教の「偶像崇拝禁止」のようなものが無く、覚るのが目的で、そのためには何をしてもいい

結び いま、仏教を考える
仏教について知ったり、考えたりすることの意味 ⇒ 資本主義や民主主義など、現代社会のデファクトスタンダード(事実上の標準)の多くがキリスト教を前提にできているので、キリスト教の理解を深めておくことは現在でも意義がある
   日本人の自己理解として重要
   普遍宗教の中で仏教だけが政治権力に守られずに存続している ⇒ それなりの強い合理性があったから。合理的な説得力を内包する。その合理性の核を取り出すことに価値がある
   一神教が制覇した世界が様々な問題を抱えてうまく機能していない時に、仏教の持つ合理的な核が示唆するものがあるかもしれない
仏教の特徴
   個人主義的 ⇒ 一人ひとりが自分の人生に責任を持ち、自分の目標を追求しなさいという考え方
   自由主義的 ⇒ ドグマが無く、何をどうするかは自分の創意工夫によって発見し、創造していくものであり、それはあくまで自己責任
   合理的 ⇒ 因果論からできている。ある結果や出来事にはそれを生み出した原因があって、追求していけば理解できるという考え方
   理想主義的 ⇒ いまの困った状態からだんだん良い状態に移動していける。よい/悪いのベクトルがあり、良い方向に向かうための手段があると考える



ゆかいな仏教 (サンガ新書)表紙写真はスリランカ北中部州にある聖地アヌラーダプラ(世界遺産)の史跡の1つであるイスルムニヤ精舎本堂の涅槃仏

20131118
2人の著者が知のバトルを繰り広げるのは、ベストセラーになった『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』(宮台真司を加えた鼎談)に続く3冊目。それぞれ本欄でも取り上げてきた。今回のテーマはより身近な仏教だ。面白さとヒットは約束されている。と安心していたら、少しばかり勝手が違った。愉快どころか難解、奇怪なお勉強の関門を潜り抜けねばならない。
考えてみれば、私たちが知る仏教とは葬式やお墓といった習俗のレベルであり、「華厳経の世界観」や「唯識論の構造」といった深遠な教理には縁遠い。むしろ資本主義や民主主義を支えるキリスト教の考え方のほうが実は身近だったりする。
2人はキリスト教やヒンドゥー教との比較、西洋哲学の援用を通して、仏教が展開した複雑な形而上学にあの手この手で迫る。大澤は仏教の教えに「詐欺っぽい感じもする」「ちょっと腑に落ちない」と素朴な日常感覚から明晰な論理で鋭いツッコミを入れ、指南役の橋爪は「おもしろい観点ですね」「そこが一番大事です」とクールに応じながら、高尚な教理をスポーツや料理にたとえて分かりやすく解説する。
釈尊のシンプルな教えから発展していった面倒な「言語ゲーム」にすべて付き合う必要はない。しかし、それを通して仏教の途方もない広がりと深みに触れることができるのも事実である。少なくとも、こんな視点とスタイルで仏教の世界を開示してくれる書はなかった。次はやっぱりイスラム教だ。

ゆかいな仏教の感想・レビュー(52)
タイトルからして入門書的な内容かと思ったら、仏教の基礎知識も必要で、しかも哲学寄りだったので読むのに時間が掛かった。 対談形式でなかったら読み通せなかったかも。 釈尊について覚ったか覚っていなかったかとの話も出ていたが、21世紀の世で二人の学者が議論している内容を、たった一人で考えついただけでも充分に覚っていたんじゃないかな。 また、世俗諦と勝義諦の二諦説については、これを肯定することによって現代のお坊さんの日常も許せるんだと思いました。 仏教もなかなかバランスの取れた宗教だと改めて思える良書でした。

仏教の特定宗派(どの宗派に限らず)を信じている人には受け入れがたい記述があると思います。あるレビューに「橋爪ブッダ」と書かれていましたが、橋爪さんの独自の解釈が随所に見られ、それが斬新でありながら一部の仏教信者をいらだたせると思います。しかし、仏教はインドで発生してから大きく変容して日本に入ってきました。国内でも「分派勃興の歴史」といって過言ではない。だとすれば「仏教徒はブッダになる(覚りを開く)ための教え」という線を外しさえしなければさまざまな解釈が可能だ、というのが仏教徒の端くれである僕の考えです。

面白かった。仏教の合理的・哲学的・普遍的な側面と、そのときどきの文化や社会状況から生じた側面とを分解することができ、頭がすっきりした。自由になれる気がした。◆②について一番ああ!とおもったのは、仏教はバラモン教(ヒンドゥー教)の社会常識の中で、それに対抗する形で生まれたという指摘。出家とか輪廻とかって、バラモン教の考え方がルーツなのですね。それが各地に伝播する中でまた新たな位置づけや変容を経たりして。

ベストセラー「不思議なキリスト教」「おどろきの中国」に続く、橋爪大三郎×大澤真幸の小室直樹直系と見田宗介直系の気鋭の社会学者の第三ラウンド・セッション。感想は「この本は前に作品ほど売れないだろうな」(笑)。本作は仏教を宗教というよりも哲学としてとらえている点が特徴。ポストモダン哲学や、構造主義、ギリシャ哲学との比較論に重きを置いている。が、しかし、いまいち消化不良なのだ。それは、とりもなおさず、仏教という宗教が実にファジーであることに起因している。もっと島田祐巳的アプローチもできたのに。☆☆☆★★★


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