新・敬語論  井上史雄  2017.4.3.

2017.4.3. 新・敬語論 なぜ「乱れる」のか

著者 井上史雄 1942年山形県生まれ。東外大名誉教授。専門は社会言語学・方言学。NHK放送用語委員、国立国語研究所客員教授を歴任。明海大外国語学部教授(07)

発行日           2017.1.10. 第1刷発行
発行所           NHK出版(新書)

日本経済新聞 朝刊  連載『現代ことば考』の下記コラムを読んで、同じ著者の本に興味を覚えたもの

17-02 デジタル社会の日本語作法』参照

「それでは、会議を終了させていただきます」「この電車にはご乗車できません」――「敬語」は今、社会構造や人間関係の変化を反映し、さらに各地の方言も柔軟に取り入れながら、上下関係を表すのではなく配慮し合う言葉に変わりつつある。また、1人の人間が使う言葉は生涯変化し続けることも調査で明らかになった。日本語の懐の深さと柔軟さが存分にわかる1

はじめに
現代の敬語は性格を大幅に変えつつある。そのためもあって、敬語の理論的分類が3分類から5分類に変えられたが、具体的な調査データに基づき実態をまとめたのが本書

第1部        敬語の「乱れ」から見える変化
まともな敬語を使いこなす人は、30代前後
序章 敬語の大事さと難しさ
敬語の使い方が原因の「敬語殺人事件」は結構多い

第1章        尊敬語を使いすぎる傾向――尊敬語は用法が広がる傾向にあり拡散を続ける
敬語の作り方の2分類
   「つぎたし敬語」 ⇒ 「お~なさる」「お~になる」
   「言いかえ敬語」 ⇒ 「いらっしゃる」「召し上がる」
尊敬語は、動作主を「高める、たてる」働きを持ち、「仕手敬語」とも呼ばれる
過剰敬語・二重敬語 ⇒ 敬語の乱れ。敬語低減の法則で敬語の度合いが下がる
:「お召し上がりになりますか」←「召し上がる」、「お読みになられましたか」←「お読みになる」、「ご覧になられますか」←「ご覧になる」
事物尊敬の広がりから動物やものごと、所有物にまで敬語を使うのは、不可
第三者への敬語 ⇒ 昔は「絶対敬語」で話題になった人に使うのが原則だったが、現在はその場にいる聞き手だけに配慮する方向に変化
「乗車する」の尊敬語は「ご乗車になる」で、その「可能表現」は「ご乗車になれる」だが、「お()~できる」と言う言い方の多用から、「敬語の指針」では、「ご乗車はできません」「ご乗車いただけません」などの言い換えを提案

第2章        謙譲語の使いにくさ――謙譲語は衰える
「お~する」は、自分側の動作に使う謙譲語

第3章        丁寧語の細分化――使い分けが細かくなる
「です」「ます」「ございます」
話題に出た人物ではなく、目の前の聞き手・話し手のために使う敬語で、「聞き手敬語」とも呼ばれる

第4章        「いただく」の広がり――使いにくい謙譲語に代わって使われ始めた
「~せていただく」が多用 ⇒ 恩恵関係・受恵関係を前面に出すことによって、目上目下という上下関係基準を薄めている ⇒ 「敬語の民主化・平等化」
「休業させていただきます」という用法が関西から伝わったのは1950年代で、徐々に受け入れられた ⇒ 接客係がその場での対人関係を大事にするため、従来の敬語を変えようとして使われるケースが多く、やたらに使うのは控えるべき

第5章        マニュアル敬語の経済効率――敬語自体の丁寧語化が進む
現場で必要な限られた表現だけを身につける傾向が、マニュアル敬語には見られる
コンビニ敬語、バイト敬語、ファミコン(ファミレスやコンビニ)敬語 
:「よろしかったでしょうか」 ⇒ 心理的に和らげる「ぼかし表現」の一種、方言起源説
:「~になります」 ⇒ 「ですます」のさらに柔らかい言い方
:「お会計のほう」「1000円から(お預かり)

第2部        成人後に使いこなす敬語
第6章        敬語の成人後採用
うちの子に「あげる」 ⇒ 近代では身内への敬語は控えるという原則が現れたので、自分の子供になら「やる」というべきだが、乱暴に響くので特に女性が丁寧に言うために自分に関わることまで「あげる」を使い始めた。語源は神棚にお供えを上げる動作に結び付き、謙譲語だったが、現代では慣用・正用と位置付けるために、「美化語」という分類が必要になった。「ことばの乱れ」「言語変化」の典型
同様に、「お」のつく語の増加・拡大 ⇒ 「お宮」はタブーの段階、「お城」「お手打ち」は身分の高い人への絶対敬語、「お顔」「お帽子」は相手に属するものへの相対敬語、「お豆腐」「お鍋」は美化語の段階で、30代女性先導の言語変化

第7章        長く話すベテラン層
敬語と文の長さには、正の相関がある ⇒ 典型は「ていただく」の増加
使用頻度と語の長さは反比例 ⇒ よく使われると、ことばは短くなる。略語はその典型

第8章        丁寧に話すベテラン層
敬語の「丁寧さ」でもベテラン層がピークで、「敬語の成人後採用」が観察された
:「ですます」から「でございます」へ
社会の人間関係把握が変わって来たのを、「民主化・平等化」の流れと捉えることができるが、ことばにも反映して、全体が丁寧になった
接客係における丁寧さの向上も変化に貢献

第9章        敬語分類の再編
奈良時代には尊敬語しかなかった
平安時代になって「うかがう」などに当たる謙譲語が誕生
丁寧語の発生は、平安以降の「はべり、そうろう」に見られ、室町以降は「ます」が発展、「です」は幕末以降、現在も発達を続ける
「お」をつける美化語も広義の敬語で、中世以来着実に使用範囲が拡大 ⇒ 「お茶」「お花」
現代になって、その他の敬語的表現が広がる ⇒ マニュアル敬語
個人がこれらの敬語を取得する過程は、敬語の発達とは逆の流れを取る
07年、文化庁の文化審議会が答申したいわゆる「指針敬語」では、従来の尊敬・謙譲・丁寧の3分類に加え、謙譲語を2分し、美化語を加えて計5分類とした ⇒ 謙譲語Iは本来の「お~する」「うかがう」など、謙譲語IIは丁重語と呼ばれた「まいる」「申す」「いたす」「おる」などで相手に対して丁重に述べることばとされるが、境界が曖昧。また、美化語も相手の提供する酒や料理の場合は尊敬語として使われるので、単語自体の分類ではない
敬語は心理的距離を表す。現代敬語は話し手と聞き手の心理的な関係を表すのにふさわしい方向へと変化しつつある ⇒ 敬語は、原則3分類で、それぞれに用法の拡大、機能の発展がみられると説明した方が分かり易い

第10章     敬語の「乱れ」は変化の先駆け
現代の敬語変化の4要因
    言語内の要因―敬意低減の法則
使っているうちに効果が薄れ、同じ語形の敬意の度合いが下がること。「待遇価値の下落」
:「きみ」「おまえ」、「お見えになられる」
    言語内の要因―絶対敬語から相対敬語へ
敬語自体の丁寧語化への動きで、典型は第三者への敬語で、聞き手への配慮が敬語を左右している
    言語外の要因―敬語の民主化・平等化
    言語外の要因―敬語簡略化








敬語の3分類は不変 井上史雄
2017/2/12 2:30
日本経済新聞 朝刊  連載『現代ことば考』

フォームの終わり
 現代敬語について気にかかっていたことが、やっと整理できた。結論から言うと、学校で教えている敬語の3分類「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」は変える必要がない。現在それぞれの用法が変化し、拡散しつつあると考えればいい。
 文化庁の『敬語の指針』では敬語5分類を提唱し、「尊敬語」「謙譲語1」「謙譲語2」「丁寧語」「美化語」に分けた。それを発展させて、「尊敬語2」(または新尊敬語)を追加すれば6分類になる。その上で基本的3分類に単純化するのだ。これは、『敬語の指針』の考え方を、一歩進めて二歩後退させるものだ。
 「尊敬語」の用法が発展したものを「尊敬語2」と呼ぼう。実例は「いらっしゃる」で、「指が細くていらっしゃる」は『敬語の指針』でも正用としている。「ネクタイが曲がっていらっしゃいます」は誤用すれすれだろう。「ていらっしゃる」は、国会会議録では1960年代から増えて、「(公庫は)農業向け融資が随分と残高が多くていらっしゃる」という発言もある。
 「いらっしゃる」を使っても、別に、指やネクタイや残高に敬意を払うわけではない。その所有者に向けて間接的に使うもので、角田太作(つのだたさく)さんの唱えた所有者敬語と呼ばれる用法である。
 これは「まいる」「申す」「いたす」などの「謙譲語2」の用法と似ている。「電車がまいります」「この鳥をドドと申します」「まもなくいたしますと」なども、謙譲語本来の使い方からずれて、ことば全体の丁寧さを高めようとするものだ。
 「あげる」が身内や目下にも使われ、「~ていただく」が相手の許可や恩恵と関係ない文脈でも使われるのも同じで、敬語の使い方が拡散したのである。
 「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」に属していた単語の一部の使い方が広がって、「尊敬語2」「謙譲語2」「美化語」と呼ばれる用法を生み出した。敬語本来の機能を薄めつつあるのだから、敬語論としては度外視してもいい。つまり従来の基本的3分類は変えなくていい。細かい違いだから、教え方も変える必要がない。
 単純化できて、胸のつかえが降りた。納得のいく結論を出せて、近刊の本に書かせていただいた(・・・・・)。
(言語学者)


『新・敬語論』井上史雄著

2017/2/26付 日本経済新聞
『新・敬語論』井上史雄著 敬語の変化を分析する。使用範囲が限られ、使い方も難しい謙譲語の機能がせばまった。一方で丁寧語は「です」を短縮した「っす」が普及するなど、使い分けが細かくなり「全盛時代」に向かっているという。社会の民主化・平等化の流れの中で、相手との関係を細かく配慮して敬語を変える必要が生じたことが背景にあると考察する。(NHK出版新書・780円)


2017.3.2. 讀賣新聞
 「千円からでよろしかったでしょうか」といった「コンビニ敬語」、「~させていただきます」の普及など、敬語の変化は著しい。
 データを用いて学問的に示すとともに、かつて敬語の背景にあった伝統的な身分がなくなり、社会の民主化・平等化が進展していることが理由だと論じる。どのような変化も必ず合理的な理由があるという視点が興味深い。(NHK出版新書、780円)
評・友田健太郎(文芸評論家)












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