誰が音楽をタダにした?  Stephen Witt  2017.2.8.

2017.2.8. 誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち
How Music Got Free ~ The End of an Industry, the Turn of the Century, and the Patient Zero of Piracy              2015

著者 Stephen Witt 1979年生まれ。ジャーナリスト。シカゴ大卒。コロンビア大ジャーナリズムスクール修了。シカゴ、ニューヨークのヘッジファンドで働いたほか、東アフリカの経済開発に携わる。『ニューヨーカー』誌などに寄稿

訳者 関美和(みわ) 翻訳家。杏林大外国語学部准教授。慶應大文・法卒。ハーバード・ビジネススクールでMBA取得

発行日           2016.9.20.初版印刷             9.25. 初版発行
発行所           早川書房

「自分が何をやってのけたか、わかってる? 音楽産業を殺したんだよ!
田舎の工場での発売前のCDを盗んでいた労働者(Dell Glover)
mp3を発明したオタク技術者(Karlheinz Brandenburg)
業界を牛耳る大手レコード会社のCEO(Doug Morris)
CDが売れない時代を作った張本人たちの強欲と悪知恵、才能と友情の物語がいま明らかになる

イントロダクション
著者は海賊版世代。デジタルダウンロードというトレンドの最先端にいた
海賊版のmp3の大半が、少数の組織されたグループから発信されていた
まず探したのはmp3という音楽圧縮技術
ついで、ラップの世界市場を2度も席巻した音楽界のエグゼキュティブが違法コピーの氾濫に立ち向かうのを見る
イギリス北部で究極の音楽オタクに出会い、彼の所有するデジタルライブラリーに感動
最後にノースカロライナの海賊音楽界で最強と言われた男に出会う。彼こそネットの違法ファイルの「第1感染源」だが、誰も彼の名前を知らない

1章       mp3が殺される
mp3の死が宣告されたのは1995
1982年、CDの登場と時を同じくしてデジタルジュークボックスの特許を申請したが、初期のデジタル電話線は細すぎてオーディオデータを送ることは不可能だったため特許の申請を取り下げ
音を1秒ごとの断片に分け、それを周波数ごとに分類、時間と周波数の網目を作り、オーディオ版のピクセルとした
人間の耳には、もともと構造的な欠陥があって聴覚に限界があることを利用して、限られたビットをうまく配分すれば、音質を保ちながらファイルを圧縮できることを発見
「ハフマン符号」 ⇒ 1950年代に開発された技術で、音の変化をパターン化すれば、反復によってビットを節約できるというもの
ブランデンブルクの圧縮技術と「ハフマン符号」を組み合わせ、1986年には実際のデモができる原始的なコンピュータープログラムができ、最初の特許を取得
ドイツ版ベル研究所と言われるフラウンホーファー集積回路研究所に入所し、そこで出会ったプログラマーのベルンハルト・グリルを始めとする「オリジナル・シックス」と呼ばれるようになる専門家集団の助けを借りて商業化を進める ⇒ 問題は容量で、データを1/12に圧縮することがカギ
AT&Tや仏トムソンが資金や技術の援助を申し出
90年代初め、開発競争の仲裁に入ったのがMPEG(動画専門家グループ)という、イタリア人エンジニアが仕切る標準規格を決める委員会 ⇒ 91年、フィリップスの持つフィルタ技術の特許使用を条件に、3方式の規格を承認。その3つ目としてmp3が誕生
mp2の規格を持つフィリップスは、90年にCD売り上げがレコードを上回り始めたころから先を見据えた投資を行い、デジタル・オーディオ市場
mp3を圧倒。品質では劣ったが、政治力で95年にはmp3の規格を葬った

2章       CD工場に就職する
95年、ノースカロライナにあるフィリップスの子会社ポリグラム社のCD製造工場に2人の音楽オタク、グローバーとドッカリ―がアルバイトで入社
会社の機械技術者が自宅のパーティーで、発売前のCDを流しているのを聴く

3章       ヒットを量産する
ラップ音楽の最盛期にモラル頽廃への批判の高まりを受け、95年にタイム・ワーナーはラップで売り出したインタースコープのレーベルを手放すと決断

4章       mp3を世に出す
95年、mp3NHLの氷上の最速バトルの音を再現することに成功、アメリカにおけるデジタル音声の幕開けとなる
家庭用ユーザーへの売り込みとして、パソコン向けのmp3ファイルの圧縮と再生アプリケーションの開発を開始 ⇒ 93年末インテルのペンティアムの処理能力のお陰で、mp3ファイルが詰まらずに再生できるようになった。併せて新世代のハードドライブの容量が膨大で、デジタル著作権を気にせずに12枚のCD1枚に圧縮し200曲も保存できた。ただ、圧縮のプロセスにフィリップスのフィルタバンクを使うために、最高クラスのペンティアムを使っても、アルバムをコピーするのに6時間もかかるのが制約
「デジタルジュークボックス」のアイディアを思いついていた技術者が、CDの音をほぼ完璧に再現するmp3を聴いて、ブランデンブルクに「音楽産業を殺したのが分かっているのか?」と聞いた ⇒ 音楽産業はCDと固く結びついていたためにストリーミングには興味を示さなかった
AACアドバンスト・オーディオ・コーディング ⇒ mp3が商業ベースに乗らないために、それに代わる技術を開発
Windows95向けのmp3再生ソフトウェアを開発、拡張子をmp3とするが、mp3ファイルが普及していないために再生ソフトだけでは広がらなかった

5章       海賊に出会う
2人の音楽オタク(2)は、世の中に先駆けてインターネット中毒となり、mp3の圧縮技術に辿り着く。その対象は、ソフトウェアから音楽に移り、特に発売前の海賊版は「ゼロデー」ファイルと呼ばれ、それを定期的に入手できるメンバーは憧れの存在となり、デジタル海賊界の「エリート」の称号を得た
世界初のデジタル海賊音楽グループが、CDAコンプレス・ザ・オーディオで、96年にIRCインターネット・リレー・チャット上で世界初の「公式」海賊版mp3楽曲を発表
2人のオタクは、ネット上でmp3楽曲を入手して、CDと変わらない音質に驚愕。CDを買う必要がなくなったことを知る

6章       ヒット曲で海賊を蹴散らす
ワーナーがラップの会社を手放したために首になったモリスは、すぐにシーグラムのブロンフマンに雇われ、モラル問題のないカナダでラップ音楽を広めていく
98年、シーグラム傘下のユニバーサルがポリグラムを買収するが、音楽業界はまだヒットさえ出し続ければ消費者は正規のCDを買い続けると信じ込んでおり、海賊版の影響はもとより、騒がしくなっていたインターネットが分析に値するとは考えてもおらず、買収時の目論見書には、インターネットについても、家庭向けブロードバンド市場についても全く触れておらず、ストリーミングサービスの可能性も、ファイルシェアが拡散する可能性も、もちろんmp3についても書かれていなかった

7章       海賊に惚れ込まれる
96年まで、北米のスポーツデジタル放送の7割がmp3を使用するようになり、そこからもmp3の新しい可能性が広がる
mp3を進化させたAACが開発の中心に
旧式のmp3技術が海賊界のサブカルチャーにはまり、ウェブサイトにアルバムが氾濫し出す
ブランデンブルクは、違法コピー防止機能付きのmp3を開発したが、音楽業界は楽曲の電子流通を支持しない建前を崩さず、深刻な警告とは受け止めなかった
次第にブランデンブルクの技術が認められ、98年までにmp3AACのどちらのフォーマットでも成功し、音響エンジニアの世界で称賛され、ビジョナリーと見做され、協会からも功労賞を受けるまでになる
韓国企業が、mp3の技術を使って世界初の家庭用mp3プレーヤーを出す

8章       「シーン」に入る
音楽オタク(2)は、主に映画を扱い、ビデオCDをダウンロードしては自分のバーナーで違法コピーをつくり廉価で売っていた
ユニバーサルに買収されたポリグラムの工場では、エミネムの曲などを加え、ますます生産を拡大していたが、発売前のCDが盗み出されてインターネットに出回ることを抑えきれなかった
その一翼を担っていたのがオタクのグローバー。「シーン」と呼ばれる、工場から流出した発売前の曲をアップロードする高度に組織化されたアンダーグラウンドのオンラインネットワークが出来上がっていて、彼はIRCの中でも精鋭が集まるエリートグループに参加
ドッカリ―を誘って、発売前のCDをアンダーグラウンドに流すことに加担

9章       法廷でmp3と戦う
ユニバーサルは、ポリグラムの買収で、ワーナーを超える一大勢力となり、モリスは、ラップ・レーベルの強化に乗り出すが、小売りチェーンに安売りを禁じる代わりに広告資金を与えていたことが独占禁止法違反に問われる
99年、大学中退のファニングが開発したナップスターの登場 ⇒ アングラのIRCでファイルの共有サービスを無料で提供できるようにしたため、違法音楽ファイルが誰にでも手に入るようになるとともに、それを契機に著作権侵害の津波がやってくる
音楽ストリーミングがタダで出来るようになり、永遠のデジタルジュークボックスが実現
違法コピーの問題は音楽業界だけが喧嘩腰で協力を拒んでいたために独自で対処するしかなかった。モラルの破壊から若者を守れなかった業界に議会も同情せず ⇒ 映画業界はすべてのビデオにFBIによる警告が張られ、出版業界も政治との距離が緊密、ソフトウェアメーカーは司法省の反海賊キャンペーンの恩恵にあずかり、彼らの多くは国家安全保障局に密かに協力していた
ユニバーサルのモリスは業界を挙げて、mp3プレーヤーの販売差し止めとナップスターのファイル共有による著作権侵害への法的責任を追及するために提訴
ドットコムのバブルの最中の2000年、タイム・ワーナーが会社ごとAOLに身売り決定。AOLは、どうでもいいジャンクメールで地球を埋め尽くすことをビジネスモデルにした会社。利益の200倍で取引されていた水増ししたAOL株と交換だったが、ブロンフマンは満足してシーグラムの解体を発表。モリスのユニバーサルも仏の複合メディア企業に売却
2000年の音楽業界はまだ豊作で、ヒットの連発によりCD売上は史上最高を記録、業界ウォッチャーですら違法コピーが業界にとって致命傷になるとは夢想だにしていなかった
控訴と反控訴を繰り返した後、裁判に決着がつき、音楽業界はナップスターには勝ったが、mp3プレーヤーのダイヤモンドには負けた。Mp3プレーヤーは店頭に残り、ナップスターのサーバーは01年に閉鎖されたが、その直前に駆け込みでダウンロードが殺到し、人々は自宅のコンピューターに膨大なファイルをため込んだ
これをきっかけに、CDは永遠に葬り去られ、ニッチなIT企業が世界最大の企業へと生まれ変わる。音楽業界は闘う相手を間違えた

10章    市場を制す
ドットコムブームが頂点に達した99年、トムソンはやっとmp3の優位性に気づき、mp3を再生するデバイスからのロイヤリティをとる契約を積極的に取りに行く
日本の資本がダイヤモンドを駆逐して、遂にmp3プレーヤーの市場が本格的に動き始める
99年、ブランデンブルクの所属するフラウンホーファーの初期のライセンシーだったマイクロソフトが、OSにウィンドウズ・メシアプレーヤーを標準搭載することを決めたため、ウィンドウズの入ったパソコンを買うと必ずフラウンホーファーにライセンス料が入る仕組みが出来上がった。マイクロソフトは独自の音声規格を開発しようとしていたが、既に膨大なmp3ファイルの存在で、異なる規格に変えるには遅すぎた
違法コピーは悪だと言いながら、その存在を前提としたmp3規格で最大の利益を享受したのはブランデンブルクで、エンジニア仲間では音響の専門家として神様のように崇められ、00年にはドイツの科学学界で最も権威のある「未來賞」を受賞
対抗馬はアップル。ジョブズもブランデンブルク同様ファイルシェアに反対し、合法的な有料サービスとしてiTunesという音楽アプリを開発。mp3よりもAACを次世代技術として採用したが、当時まだ力を持っていたのはファイル共有者であり、マイクロソフトと同様ブランデンブルクにとっての脅威にはならなかった

11章    音楽を盗む
ノースカロライナのCD製造工場では、警備の厳格化の一方で、なぜか注目アルバムが発売前に外に出ていた
グローバーは、当時流行のベルトに着いた大きなバックルにCDを隠して工場から盗み出すことに成功、すぐに発売前CDの世界一の流出元になる。特にエミネム世代が求める音楽が手に入るのは魅力
FBIとインターポールによる違法コピーの摘発も進んでいた ⇒ オフラインの組織犯罪との関係が疑われた
シーンのボスが、海賊業界のトップに立つために焦って拙速でネットに挙げたのがきっかけとなって、CD工場での犯人探しが始まり、グローバーは手を引くことを決意

12章    海賊を追う
海賊版がCDの販売に打撃を与え始め、業界はどこを見ても火の車に
AOLタイム・ワーナーが、買収時の「のれん代の償却」により02540億ドルの赤字計上
音楽オタクだったジョブズが、旧譜の入手を狙ってユニバーサルの買収を申し出 ⇒ ユニバーサルの楽曲が有料で合法的にiTunesストア経由でダウンロードできるようになり、すぐにヒットした
レコード業界では、新譜が店に並ぶ火曜日が一番多忙。通常のアルバムは発売日から4週間で総売上の半分が消化される。iTunesストアでも火曜に新譜をレリースしていたが、mp3ファイルが何週間も前に出回っていることが少なくなかった
違法コピーの撲滅に向け、レコード会社が立ち上がり、ネット上でコピーしている個人をランダムに摘発して損害賠償請求訴訟を提起したが、世論の支持は得られず
FBIが業界団体とともに立ち上がり、集中的に海賊版を流すサイトの摘発に動く

13章    ビットトレント登場
01年、人気ファイルにトラフィックが集中してサーバーがダウンしてしまうことを防ぐシステムを開発。マッチング方式によりトラフィックの分散を図る
多くのユーザーを糾合して、ライブラリーの質を上げ、すべて完璧な品質を持つデジタルファイルを完成させる ⇒ ナップスターはいい加減なユーザーも多くいて劣悪なファイルで溢れていた
トレントの成功者の1つがイギリスのエリスという21歳のコンピューターサイエンスの学制が運営するピンクパレスで、04年サイトを公開 ⇒ 高い品質を追求し、慎重に収集されたデジタルアーカイブを目標とし、ユーザーにアップロードとダウンロードの割合の一定基準の維持を要求したため、ユーザー間でアップロードの質を競う場となり、ITマニアと音楽オタクの究極の行き場となるが、同時に大掛かりな詐欺に計画的に加わっているとも言える

14章    リークを競い合う
ノースカロライナの工場で昇進を果たしたオタクの2人は、管理職がCDの盗み出しの検査の対象にならないと知って、03年にまた事前リークのシーンに舞い戻り、たちまち元の地位を取り戻し、所属するシーンRNSは海賊版付のトップに返り咲く
04年、FBIの一斉捜査により、十数か国で100人以上の検挙者を出す ⇒ 著作権侵害の共謀罪で実刑が下る
海賊版のシーン代表者が参加して対策を練るが、犯罪に片足を突っ込んだ匿名のインターネット集団をどう「率いる」のかは面白い問題だった ⇒ チャットチャンネルを利用して、海賊版流通ルートの管理者を限定
グローバーが目指したのは、盗み出したCDによる貢献度を上げて、本来興味のあった映画を手に入れ、もっとDVDを売ることだった ⇒ 空ディスクのパック価格が急落し儲けが大きくなっていた
マスコミが嗅ぎ付け、雑誌にRNSの名前が載る
RNS05年全米売り上げトップ5のアルバムのうち4枚を、トップ10のうち7枚をリークして番付を独占。すべてグローバーの手柄
グローバーのDVDの密売にも真似をするライバルが現れる
シーンのメンバーは、寡占状況を必死で守ろうとしたが、ファイルはすぐに外に出てしまい、グローバーの盗んだ発売前のアルバムのコピーが48時間以内には世界中のiPodに収まっていた
海賊版の販売には、ドラッグや不動産やその他の闇ビジネスと同じ経済原理が働き、供給がすべてだった ⇒ 音楽もDVDも、タッチの差で新作が求められ、映画館での盗撮もレベルが上がっていたし、テレビ番組も新しいコンテンツになった
グローバーの上得意は工場の従業員で、自宅に外には焼き上がるCDを待つ人の列まで出来たし、信頼できる人間には動画配信サービス(ビデオ・オン・ディマンド)を格安で提供した ⇒ 金遣いも荒くなる

15章    ビジネスモデルを転換する
0405年、音楽業界の未来はどうしようもなく暗くなり、破綻や合併が相次ぐ
CDからiPodの時代へと移行 ⇒ ウォークマンやディスクマンの時のように、ハード機器が売れても肝心のCDの売り上げは伸びず、iPodは海賊版で一杯になっていた
本当の問題は、法を破っていた消費者であり一般大衆
低迷していたレーベルの会社が、作った曲をネットに無料でアップするとともに、許諾なしにミックステープを作って、「宣伝用」としながら販売していた ⇒ FBIが共謀罪で取り上げ、尋問の結果、漸くRNSメンバーのインターネット通信を傍受

16章    ハリポタを敵に回す
違法コピーの世界は限りなく広がり、著作権者とのコンテンツ削除を巡る攻防は鼬ごっこになっていた
ピンクパレスのユーザーは18万にのぼり、アップロードを競うために発売前の流出コンテンツがアップされ、エリスのもとには大量の削除請求メールが来たが、エリス自身はサイトの記録保管者に過ぎず、著作権で保護されたファイルを保管していない以上自分のやっていることは合法だと純粋に信じていた
ハリポタの顧問弁護士からの告発で、国際レコード産業連盟の海賊捜査班がエリスを摘発。同時にピンクパレスのトレントは消滅

17章    「シーン」に別れを告げる
0406年は伝説的な年。RNSは最も成功した音楽リーク集団となり、シーンを独占。征服すべき世界は残り少なく、関係者もそろそろ引退を考える
グローバーも、リークに関わって8年、2000枚近いCDをリークしたが、海賊版DVDも時代遅れとなり、家族との生活を優先しようとする
07年のリークを最後に、RNSは解散を決める
グローバーもRNSのリーダーも、一種の中毒症状から、数か月してまたリーク作業に戻って、1枚目をリークしたところで、犯罪摘発の包囲網を狭めてきたFBIに拘束

18章    金脈を掘り当てる
07年、全米レコード協会がファイル共有の消費者を訴えた裁判17千件農地唯一陪審裁判に持ち込まれた案件で著作権侵害が認められ、24曲のダウンロードに対し222千ドルの賠償金が命じられたが、勝訴したもののシングルマザーの被告は自己破産してほとんど回収できず。大部分の案件は和解で解決。違法コピーの世界を牛耳っているシーンの上層部やトレント運営者には何の影響もなし
グローバーは、有罪を認めて共犯者に不利な証言を約束し、金銭的な賠償を求められることはなかった
メガアップロードのような合法的なデジタル保管サイトが出現
音楽業界の凋落は大手から中小にまで及ぶ ⇒ ProToolsがあればスタジオは不要、mp3エンコーダがあればCD工場は不要、トレントトラッカーがあれば流通網もいらない。業界全体がラップトップ1台に収まった
動画サイトで違法コピーが氾濫、そこに広告が付いているのを見て、初めてモリスが自分のプロデュースした楽曲アルバムが盗まれていることに気づき、あらゆる動画サイトに削除請求をするとともに、広告収入の大部分を受け取ることになる
インターネットの基本的な取引単位にも注目し、広告主からの収入を確保
さらに、09年には過去40年のミュージックビデオを網羅したライブラリーを作成、動画共有サイトを立ち上げる ⇒ ユーチューブで最も人気のあるチャンネルとなる

19章    海賊は正義か
10年、エリスはイギリスで詐欺の共謀罪で起訴されたが、音楽自体を保管したわけではなく、あくまでリンクを提供しただけと主張したため、著作権侵害には問われず、詐欺罪を適用しようとしたが、すべて無罪となって、エリスはネットから姿を消す
ピンクパレスのサイトの閉鎖から2日もしないうちに、元管理人が2つの同様のサイトを立ち上げ、瞬く間にピンクパレスのピーク時代を超えるライブラリーとした ⇒ エリス逮捕の抑止効果はゼロ
ブランデンブルクがウェブ上に無料でmp3エンコーダを公開したことが、著作権侵害の黄金時代を生み出し、それが音楽産業を殺し、一方で特許により保護されたmp3のライセンス収入が自分たちに莫大な富をもたらした

20章    法廷で裁かれる
シーンの1人がFBIに検挙され、すべてを自白し始めると、それぞれに使っていたハンドル名も間もなく素性が辿れるようになり、グローバーもシーンのトップもすぐに判明
RNSを解散した時に辞めていれば、素性が割れなかった可能性が高い
RNS11年間に2万枚を超えるアルバムをリークした歴史上最も浸透し悪名を誇ったインターネット上の著作権侵害グループと見做された
この期間にユニバーサルが音楽市場を独占していたことを考えると、数十億とも推定されるmp3のコピーファイルの元を辿るとグローバーに行き着く。グローバーは音楽業界のがんで、アンダーグラウンドの英雄、シーンの王様、史上最高の音楽泥棒だった
09年、グローバーは法廷に出頭、著作権侵害の共謀罪に問われる。有罪なら5
法廷で初めてシーンのリーダーの顔を見る。実刑は免れないと思ったグローバーは、刑期短縮を狙ってFBIに協力し、リーダーにとって不利な証言をするが、リーダーが本人だという証拠は何も示すことができなかった。陪審員を選ぶにあたって、検察は、たとえ合法的でも音楽を一度でもダウンロードした人を排除、弁護側も同じことをして、40歳以下を全員外したため、アメリカの刑事裁判史上最も重要な音楽著作権事件は、いまだにCD時代に留まっている中年のテキサス人の手に委ねられ、陪審は無罪を告げる。何人かの陪審員は被告が有罪とはわかっているが、罰が重すぎるので無罪にしたと語る(「陪審による法の無視」というアメリカ司法制度特有の現象で、陪審員の特権)
RNS10年以上にわたって音楽業界のサプライチェーンに侵入、工場にも入り込んで、あらゆるジャンルのアルバム3000枚を毎年リーク。インターネットの陰に隠れて違法コピーの山を築き、解読できない暗号にしてそれを保管。音楽業界に与えた損失は何十億ドルにも上るが、テクノロジーの素人から選ばれたテキサスの陪審団は、こうした活動を禁止する法に従う必要はないと判断

エピローグ
スポティファイのような音楽ストリーミング配信サービスができ、mp3の引退が見えてきた。スポティファイはmp3ではなくオープンソースのオッグを使用
モリスは、ソニー・ミュージック・エンターテインメントのCEOに転出
業界再編により、音楽産業の8割は3社の寡占に ⇒ EMIがユニバーサルの傘下に入り、ソニー、ワーナーと市場を分ける
2011年には、蓄音機の発明以来初めて、アメリカ人は録音された音楽よりライブにお金を落とす
2012年、北米のデジタル音楽売り上げはCDの売り上げを上回る
2013年、会員制と広告制のストリーミング収入が初めて10億ドルを超える
クリエイティブ業界はこぞってストリーミングメディアと契約を結び始める
ストリーミングは何の解決にもならない ⇒ 音楽業界の売り上げは落ちる一方で、ストリーミングサービスと海賊行為の板挟みになっていた
レディ・ガガやビヨンセなどのアーティストは、独自で廉価の新譜を販売ルートに乗せ、ミリオンセラーを記録
世界的には音楽売り上げの半分以上がCDによるもの。アメリカには唯一CDの大規模生産工場がインディアナ州に残る
業界の監視体制が強化され、リークは激減して、シーンも下降を辿る
グローバーもドッカリ―も短い刑期を終えて普通の仕事に就く


訳者あとがき
音楽が無料になったのはナップスター以降と言われるように、レコード業界を破壊したのはナップスターを立ち上げたショーン・ファニングとショーン・パーカー
でも、以前から音楽ファイルはインターネットのどこかにあり、ナップスターはそれを見つけやすくしただけ
著者はナップスター世代のど真ん中。ネットで楽曲を集めるうちに、ネットの中に発売前のアルバムをリークする秘密の組織があることを突き止める
いくつかの偶然が重なって音楽がタダになったのだが、その1つはmp3という音楽の圧縮技術の成熟であり、もう1つが、ラップが1つのジャンルとして確立し、それがデジタルネイティヴのミレニアル世代に最も人気のあるジャンルの1つになり、そのジャンルをユニバーサル・ミュージックが独占したこと
本書の主人公は、mp3を開発したドイツ人技術者と、ユニバーサルのエグゼキュティブと、リークを組織した工場労働者の3
映画化も決定している


誰が音楽をタダにした? スティーヴン・ウィット著 「聴く権利の販売」に変わるまで
2016/11/6 3:30
情報元
日本経済新聞 朝刊
フォームの終わり
 いまや音楽はインターネット経由で楽しむ時代となった。音楽の聴き方が大きく変化する中、音楽業界にとって痛烈な一撃となったのは、違法コピーによる音楽データがインターネットにあふれ、タダで音楽を聴く人が激増したことだろう。何故(なぜ)こんなことになったのか。
http://www.nikkei.com/content/pic/20161106/96959999889DE2EBE3EBE4E2E3E2E2E7E3E3E0E2E3E49F8BE5E2E2E2-DSKKZO0919602005112016MY7000-PN1-1.jpg
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 本書が解き明かす事実は衝撃的だ。まず、発売前の音楽を非合法に入手してインターネットにアップするリーク組織を白日の下にさらす。しかも彼らの動機は、誰が先に音楽をリークするかという、何とも幼稚な功名争いにすぎないのだから言葉を失う。また世界一の音楽リーク組織のキーマンが大手レコード会社のCD製造工場に勤める男だったのにも脱力した。
 こうしたリーク組織は違法入手した音楽の多くをmp3に変換してネットにアップする。mp3はCDの音楽データを同等の品質で12分の1以下に圧縮する方式だが、開発したドイツ人チーム(アメリカ人ではない!)がmp3プレーヤーのメーカーに特許をライセンスすることで大きな富を得ていたことも、本書で初めて知った。
 これらの事実を本書は、リーク組織のキーマンやmp3の開発者、音楽ビジネスの大御所に取材して克明に描き切る。功名心に最新の技術が結び付き、音楽業界の既存ビジネスモデルを崩壊させるのだから、まさに蟻(あり)の一穴を地で行く話である。
 しかし現実の物語はまだ終わらない。大打撃を受けた音楽業界は、今やストリーミングによる音楽配信で息を吹き返そうとしている。実際、全米レコード協会の最新の調査によると、米国音楽市場の47%は有料のストリーミング音楽配信が占め、その急成長により市場全体も大きなプラス成長を達成した。
 象徴的なのは、著者が本書末尾で10万曲もの違法コピーを廃棄し、ストリーミング音楽配信で世界最大の利用者を誇るスポティファイに加入する場面だろう。4000万曲もの音楽をタダまたはわずかな金額で聴けるスポティファイの前に、違法コピーを所有する意味はまるでない。今や音楽ビジネスは「音楽の販売」から「聴く権利の販売」へと軌道変更しつつある。
 日本ではアップル・ミュージックがストリーミング音楽配信を始めて1年以上が過ぎた。つい先頃(さきごろ)にはスポティファイも日本上陸を果たした。このタイミングで出た本書は、古い音楽ビジネスの終焉(しゅうえん)を描きつつも、実は新たなビジネスモデルの台頭を予感させるのであった。
原題=HOW MUSIC GOT FREE
(関美和訳、早川書房・2300円)
▼著者は79年生まれ。米コロンビア大ジャーナリズムスクール修了。ジャーナリスト。「ニューヨーカー」誌などに寄稿。
《評》ノンフィクション作家
中野 明

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